絶歌~destrudo~ 作:柳川 秀@尾上 愛‗VTuber
母は元々病気を患っていた。
脊髄に関わる病で、脳が浮かんでいる液体が体外へと漏れ出し、様々な症状を起こすというものだった。
そのせいか母は寝た切りとまではいかないものの、一日中横になって「痛い、痛い」と呻いていた。
雨の日は特に酷く、ただでさえじめじめとしている部屋の中で動かない母は、ボクには腐るまで放置された生ゴミのようにとてつもなく不気味な物に見えた。
そんな風に母がなってしまったのは、ボクが六才の時の梅雨のある日だった。
免許を取りたての女が、ペーパードライバーの恋人を隣に乗せて運転の練習をしていた車。
それに夕闇と小雨の中で母一人の乗る車は衝突された。
相手が一時停止線を無視しただけで母に過失は一切なかった。
慰謝料も確実に取れると、事故現場に駆け付けた警察も後から話を聞いた母の友人も家族も皆そう思っていた。
でも、若い二人には財産も然程なかったのだろう。
相手側は自己破産することで逃げたのだった。
病症はそれからすぐに生じていたが、母が患った病気の認知度は低く、今でこそ事故に遭えば検査され判明する可能性があるものの、当時はそんなこと誰にも分らなかった。
だから母が何故そうして一日中寝ているのか、痛がっているのか、呻いているのか皆不思議で疑問だった。
理由もないのにそんな状態になっている母は、前述のことも含めて余計に気味悪く見えたのはボクだけではなかったろう。
母の病気が判明するのはボクが十一才の時の春。
誰もがすぐに予想した慰謝料のことについては外れたのに、病気のことについては誰もが五年間もの間予想だにしなかったのは余りにも皮肉的だった。
病気が判明してからは対処療法によって幾分か母の体調も改善され、好きだった酒も呑めるようになったが、元のような、或いは生活に支障が出ないようなレベルにまでは現代の医学を以ても回復できなかった。
横になっている時間はそれまでより大幅に少なくなったが、母が家事などを行える時間は健常者のそれに比べればとても少なく、家の中だけならまだしも外を歩く際には杖が必要で、何か一つの作業を終える度リビングの座椅子に身体を沈めて休むというような状態だった。
そんな運動能力の低下に加えて、母には言語能力と記憶力の低下も確認できた。
中々ある単語が出てこなくて考え続けたり、次に何をしようとしていたのか思い出せず頭を抱えていたりする姿は、認知症の始まった老婆と大差ないものとしてボクには見えた。
母が事故に遭ったのはボクがまだ小学生になりたての頃だったことを思い出してほしい。
その年頃の子どもはまだ母親と分化する初期段階にいるのではないだろうか。
幼稚園から小学校へと通う場所は変わったものの、家に帰れば出迎えてくれる、温かく自分を抱擁してくれる存在として母親は認識されていなかっただろうか。
少なくともボクにとって、それまでの母はどれだけ遠くへ冒険しに行ってもまた同じ所へ帰ってくるための目印、或いはその自分の心身の安全が確保された絶対的な癒しの場所そのものだった。
母が事故に遭ったことを知ったのは、小学校から帰って来たボクが家に誰もいないことへの不安に耐え切れず母の携帯に電話した時だった。
母の泣きじゃくる声による説明は当時のボクには簡単に理解することができるものではなかったが、なんとなく「大変なことが起きた」ということだけは理解できた。
それから数時間経ってから、母は母の友人の車に乗せられて帰って来た。
それから先、前述のような得体の知れない物のようになった母を、大人たちでさえ理解できなかった母を当時たった六才だったボクがすぐに受け入れられる訳もなかった。
まだ甘え足りない、まだすがっていたい。
当然、病気を患った母にはボクを抱擁し癒す力はなかった。
それでも母の愛を求めるボクと、ボクに応えようとしてもそうできない母。
ボクにとってこのジレンマは悲劇だった。
正直に言うと、ボクは明るく元気に動いていた頃の母の姿をあまり覚えていない。
ボクの思い出の中にいる母のイメージは、弱くて小さい、癒しとは懸け離れたものだ。
ボクの中に、母の愛はあまりない。