絶歌~destrudo~ 作:柳川 秀@尾上 愛‗VTuber
九月に入ってからも残暑が厳しい盆地の、熱気の溜まり易い地下駐車場。
そんな所で一生懸命歌っていれば、ワイシャツの袖を巻くっていても激しい暑さを感じる訳で。
ボクはいつの間にか汗が肌を滑っていく様子に、シャツが濡れて透けていく様子に、なによりも彼女自身が熱を帯びていく様子に釘付けになっていた。
そう、その時気付いてしまったのだ。
ボクが彼女をただの癒しを得るための存在としてだけでなく、奇妙な縁で繋がった他者としてだけではなく、自分の手中に収めたい、ボクだけを見させていたい人として捉え始めていることに。
彼女と特別な関係を結びたいと思い始めていることに。
でも、怖いという感覚はなかった。
彼女をそんな目で見てしまったことに対する嫌悪感すら抱くこともできない程心は麻痺していて、ボクは彼女に「愛されたい」と願ってしまった。
それに、その時ボクはもう幾分か彼女に心を許していたのだ。
何度も一緒に食事をして、何度も彼女の歌を聴いている内に。
力強く、何にも縛られていないかのように自由で、だからこそ誰かを受け入れる余裕を持てているような彼女の姿を見ている内に。
ボクは彼女の中に無償の愛を見出そうとしていたのだ。
エロティックな欲動がボクの背を押した。
「彼女は「マザー」ではないかも知れない」という疑問や不安を無視できる程強く、俗に言う恋心はボクの気持ちを駆り立てた。
最後の一曲、ボクのお気に入りの歌が始まる前。
彼女が水分補給するタイミングでボクは「聞いてほしいことがあるんだ」とだけ言った。言えた。
激しく動く心臓は自らの居場所をハッキリと主張していて、手は理性の制止に耳を貸さぬまま小刻みに震えていて、顔と頭の中はのぼせ上がったかのように熱くなっていた。
それでも、「構うものか」と言うように、「もしこれで拒まれても踏ん切りが付く」と保険を掛けながら、ボクは目を丸くしている彼女に全てを話した。
全てを曝け出し、また同時に全てを押し付けた。
弱き母の死を、強き兄の人生を、優しき祖父母の夢を、遠き父との繋がりを。
全てを他者のせいにして、それでいて何も恨むことができず、かと言って自身が傷付くことを恐れる、青空とは懸け離れたこの世の何よりも醜き自らの姿を。
彼女の普段の声を「歌」とするならば、この時のボクの声は単なる「叫び」だったに違いないだろう。
メロディもリズムもない、ただただ悲痛で耳障りな叫び声。
けど、彼女は歌う時と同じように真っ直ぐボクを見つめて、真剣な瞳の中に泣きじゃくる子どものような姿を映しながら、静かにその叫びを聞いてくれた。
ボクのことを受け入れてくれた。
最後に、世界からの愛を疑ってしまう自分が嫌いなことと、そうして自分に愛を疑わせる世界が嫌いなことを話すと、彼女はボクのことを抱き締めてくれた。
優しく、温かく、まるで子どもをあやす母親のようにボクのことを包んでくれた。
そして、
「全てを疑うのは、本当に信じられるものを探しているから」
「何もかも信じられなくても、本当に信じられるものが一つでもあればきっと救われた気分になれる」
「今信じられるものがないのなら、私が信じてもらえるようにがんばる」
「キミが疑わずに済むようにがんばる」
「キミのことを受け入れてあげる」
「私がキミを愛してあげる」
「だから、キミは一つも悪くないよ」
と、彼女はそう告げてくれた。
その言葉にどれだけボクは救われただろうか。
人間はたった一つの切っ掛けで壊れる程単純ではない。
また、たった一つの言葉で立ち直れる程簡単でもない。
それでもこの時初めてボクは「本当の愛」に接し、この世界に歓迎され、それを素直に受け入れることができたような気がしていた。
なのに、ボクは自分の手でそれすらも手放してしまったのだ。
出逢えただけで満足しておけば良かったのに、いつまでもその夢を見ていれば良かったのに、ボクは彼女に「マザー」としての役を押し付け、彼女を傷付けてその笑顔を奪ってしまったのだ。
どうすれば回避することができたのか?
彼女に母の代わりをさせず兄と同じように押し付けず夢を見ないで傷付けないことが、彼女の空を曇らせないことができたのか?
その問いについて考え辿り着く先はいつも同じ、「ボクはそもそもこの世界に生まれてこなければ良かったんだ」ということ。
でも、それが正しいとして、この世界に既存在してしまっているボクはこれからどうすれば良いのだろうか?
今までのボクならまだ分からなかった。けれど、もう分かってしまった。
死ななければならない。
今ここで、ボクはボクの自己完結を迎えねばならない。