絶歌~destrudo~ 作:柳川 秀@尾上 愛‗VTuber
早くから一人親であったことと母がそんな状態になってしまったこともあり、兄はボクの母親代わりであり、同時に父親代わりであったと言っても過言ではない。
今思えば、どちらかと言えば父親としての面の方が強かったような気がする。
ボクに対する躾はほぼ全て兄によってなされていた。
箸の使い方に始まり、目上の人に対する挨拶や振る舞い方……様々な礼儀を文字通り叩き込まれたことは、ある種トラウマでもある。
特に兄は手を出すのが早かった。
元々中々の体格と運動神経の持ち主で、休日は友達と一緒に出掛けて派手に身体を動かしていた印象が強く残っている。
生まれる時代がもう少し早ければ、ガキ大将とか番長とかそこら辺になっていたのかも知れない。
そんな兄はこの世界に産まれ出る時、その誕生を歓迎されていなかった。
既に話した通り、母が兄を産んだのはまだ十六歳と九ヵ月の時だ。
父と母は短期大学生と高校生という時に出会った。
そこまでなら母の父……つまりボクにとっての母方の祖父も何も言い出しはしなかった。
だが、まだ若い娘を孕まされたとなっては別だろう。
当然の如く母の家族は荒れに荒れた。
母は長女であり父も長男であったから、両家の祖父母も何をどうすればいいのか分からなかったし、できてしまった子どもを堕ろすのかどうかという議論も長く続いた。
そしてその議論に決着が付かぬ内に、中絶可能な妊娠二十一週目を過ぎてしまったのだ。
当時もうよぼよぼのお爺さんに近かった町の産婦人科医が、母方の祖父に妊娠週数を誤って伝えてしまったことがその大きな要因だった。
特に厳格であった訳でもない祖父だが、この時大いに怒りを露わにしたことは責めようのないことだろう。
結果、兄はこの世界に「仕方なく」産まれてきた。
とは言えネグレクトなどの虐待もなく育てられたことは、兄本人曰く「人生最初の不幸中の幸い」で、皮肉ったように度々そのことをボクに話した。
母であり同時に父であった兄がボクに与えた影響は数知れないが、その中で最も大きかったのはボクが反抗期に差し掛かった頃のことだろう。
反抗期とは親と子が分化するための重要な過程の一つではないだろうか。
それまで親の意思、或いは意志と共に在った子がそれに反抗し、自身だけのそれらを築き上げ自律し自立していく。
それが反抗期の意義であり、機能であるとボクは思う。
だが、もう一度思い出してほしい。
ボクにとってたった一人だった親である母は、ボクが反抗期に入る時には既に弱くて小さい存在へと成り下がっていたことを。
そうボクが見下していたことを。
もちろん、だからと言ってボクと母が既に分化できていた訳ではない。
話した通りボクはまだ分化したくなくて、それに母が応えられないだけだった。