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ダヴィスは正式に叙勲を受け、オリヌス伯爵領を拝領した。
両親の喪に服すのも終わりだ。領内は、ダヴィスの正式な就任を祝う祭りの準備が進んでいる。
だが領民のほとんどが知っていた。就任だけを祝う祭りではないことを。
積もりに積もった執務に区切りをつけると、ダヴィスはクオルデンツェ領へ向かった。
最初の婚約者であるクオルデンツェ・ファニィを迎えるためだ。
養子同然に育てられたクオルデンツェ家に顔を出すのは三か月ぶりだ。
そのころにはまだ童貞だったことを思い出す。まるで遠い昔のことのようだった。
「いろいろ、説明しないといけないことがあるなぁ……」
他の婚約者のことや、自分が始祖という特別な力を持っていることも。それから、もちろんファニィを第一夫人として迎えるつもりに変わりがないことも。
クオルデンツェ侯爵と侯爵夫人はダヴィスを温かく迎えてくれた。折悪く、ファニィは周遊に出かけているらしい。
「あなたと結婚したら、ここを出ることになるでしょう。その前に、故郷の風景を見せてあげたかったのよ」
と、侯爵夫人は説明した。もっともである。
だが、滞在して一晩を過ごしても、ファニィからの知らせがない。
さすがに妙だと感じたダヴィスは城を飛び出した。
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端的に言って、ファニィは捕まっていた。
麻袋をかぶせられ、椅子に縛り付けられている。
周囲からは数人の男たちが言い争っている声が聞こえる。
「革命軍の理念を忘れたのか? 目の前に主祖がいるなら、見せしめにするんだ!」
「現実を見ろよ。必要なのは金だ。身代金をもらって、帝国にでも逃げないと」
「それより、子供だけどかわいいじゃねえか。なあ、裸を見てみようぜ」
彼らの意見はさっぱり統一されていないようだが、どれが実現するにせよ恐ろしいことが起きることはわかった。
(どうしよう……)
ファニィは激しい後悔に沈んでいた。
事の始まりは3か月前。兄同然に慕っていたダヴィスがクオルデンツェ家を離れ、伯爵領に向かったことだ。
一緒にいられて当然と思っていた人がいなくなったことで、ファニィは寂しさで幾晩も涙を流した。
しかしダヴィスはそんなファニィを気遣って、毎日のように手紙を送ってくれた。遺跡を調べに行ったこと、女奴隷を買ったこと、そのあとも、成熟魔獣を倒したことや、魔境を調べていることも、手紙の中で話してくれている。
ただし――ファニィは知らないことだが、ダヴィスは婚約者たちについては伏せていた。
ダヴィスはファニィを最初の妻として迎えるつもりだった。その相手に対して、他の婚約者について話をするのも失礼で、そしてまだ幼いファニィを傷つけてしまうと考えたのだ。
とにかく、ダヴィスの手紙を通じてファニィは勇気づけられた。
今まで「それなりに」受け入れてきた家庭教師たちの授業を熱心に聞くようになり、侯爵夫人に貴族の妻としての心得を学ぶようになっていった。父親の侯爵は寂しい思いをしていたが、それはそれ。
(私は、お兄さまの妻になる……!)
という自覚と目標にファニィは燃えていた。
それから三カ月で、ファニィは大人になった。
精神的に成長したという意味でもそうだし、肉体も変化を迎えた。
初潮がきたのだ。
驚き、焦ったが、そういうものだという理解はしていた。ファニィが生まれる前に兄が亡くなったことで、ファニィは多くの召し使いから助けを得ることができた。
(これで、お兄さまの妻になれる)
そう思った。
しかし、状況は変わる。
父母がこんなことを話していた。
「樹雷の皇女が内密に婚約したらしい」
「樹雷公女って、兄妹で婚約していたんじゃなかった?」
「そっちじゃない。妹のほうだよ」
「まあ……。でも、第二公女さまはファニィと同じ年じゃなかった?」
「それなら、もう十分な年齢だろう。問題はその相手だ。誰だと思う?」
「樹雷の華族ではないの?」
「それが、オリヌス伯代行だとか……」
「そんな。ファニィとの婚約はどうなるの?」
「代行はいま、王国に向かっている。領地に戻ってきてから話を聞くしかあるまい」
「こっちは正式に婚約の手続きを交わしたのよ」
「樹雷の皇女が相手ではな……。ファニィのことは側室にするつもりだろう」
「ファニィの子にはこの侯爵領を継いでもらわなくてはならないのよ。側室では当家の面子が立ちません」
「慰謝料を求めることもできるだろう。幸い、ファニィは若いから、今なら別の相手を探すことも……」
「あの子の気持ちはどうなるんです」
「私たちは従祖ではないのだ」
ファニィは扉越しに聞こえる声を聞きながら、体が震えるのを感じた。
(お兄さまが、他の相手と結婚するなんて……)
樹雷という大国のことは知っていた。お兄さまはすごい人だから、たとえ大国のお姫様だろうと、出会ってしまえば夢中になってしまうに違いない、とファニィは思っていた。ややダヴィスのことを美化しているきらいはある。
正室と側室の何が違うのか、頭では理解しているつもりでも、ファニィにはまだ実感がわかなかった。だけど、ダヴィスと一緒にいられる時間が減るのかもしれない……そう思うと、胸の奥が締め付けられるような痛みを感じた。
(お兄さまとずっと一緒にいられないなら、いっそ消えてしまいたい……)
ファニィはこの三か月の間、ダヴィスと始終つかず離れずの夫婦になることだけを想像して生きてきたのだ。いや、自分ではっきりとイメージできるようになったのが最近なだけで、ファニィの人生はすべてそのためにあったと言っても過言ではなかった。
押さえつけていたわがままさが顔を出し、ファニィは一計を案じた。
故郷を目に焼き付けておくため、として周遊に出た。帰路につかずにこっそりと隠れることにした。
要するに、家出である。
家出をすることで何かを訴えたかったわけではない。ただ、自分が悲しんでいることを隠し通せなくなってしまったのだ。世間知らずなまま育ったファニィには、他に気持ちのやり場が思いつかなかった。
当然ながら、貴族の娘がひとりでできることではない。
ファニィに同行した侍女たちも、主人の気持ちをよくわかっていた。
本人には言えないが、彼女らにも打算があった。婚約者に捨てられた傷心のあまり家出してしまった、となれば、オリヌス伯に対して侯爵が請求する慰謝料が上乗せできるだろうと考えたのだ。
もしもダヴィスがファニィを捨てる気なら、少しくらい痛い目を見せてやろうと思ったのである。
ファニィ自身は単に悲しみのやり場をなくしての行動だったのだが、貴族の社会ではスキャンダルを作り出すことも駆け引きの一つだった。
かくして、侍女たちが手を回して用意してくれた小屋に数日、滞在することにしたのだが……
ここでようやく、時間が現在に追いつく。
これまたファニィには知る由もなかったが、ダヴィスに計画を打ち砕かれた「革命軍」は、ダヴィスと公に婚約しているファニィを狙うことにした。もちろん本人には敵わないからだ。
ひそかに様子をうかがっていたら、そのターゲットが自ら城を出て、ほんの数人の侍女とともに小屋の中に入っていった。
これ幸いと彼らは夜中に押し入り、ファニィを縛り上げてしまった。
ファニィについた召し使いは従祖だったが、主人を人質に取られてしまっては手を出せない。
「まあ、現実的に考えれば金を要求するしかないか……」
怒号混じりの議論を経て、革命軍の構成員たちの意見はまとまりかけていた。
彼らとて、強烈な思想を持って活動してきたわけではない。田舎で普通に過ごしていれば、隷祖は従祖たちのご機嫌をうかがいながら生活しなければならない。
その力関係に嫌気がさして、反発した程度のことである。
幹部たちの半分が捕らえられ、もう半分は魔境に隠れてしまった今、彼らにはうっすらあきらめムードが漂っていた。
「その前に服を脱がせて……」
「馬鹿野郎! この娘の親が知ったら全員殺されるぞ」
「だいいち、この女の子だって主祖なんだろ? 俺たち隷祖にどうこうできるもんかね」
「どうこうって、今もこうして縛り付けてるだろ」
「主祖は子供でもとんでもなく強いって聞くぜ。なんでできたんだ?」
主犯格らしき誰かがため息をつくのがわかった。
「主祖は子供に『魔力封じ』をするんだよ」
「『魔力封じ』?」
「魔法のことは知らないが、魔法を使えない状態にするんだ。これには二つの効用がある」
「聞き流してもよさそうだな……」
「わかんねえやつは無理に聞かなくていいぞ」
主犯格はそう言ってから、語りだした。
「一つは、子供は魔力の制御が不安定だから、いきなり爆発を起こしたり、速く走りすぎて壁にぶつかったりするリスクを減らすことができる。もう一つは、体内の魔力が『魔力封じ』を破るためにあらがうことで、自然と魔法を使うトレーニングになるんだとよ。強い主祖の子も魔力が強くなるのはこのせいだよ。親が強い魔力を持っていて魔法に熟練しているなら、子供にかける『魔力封じ』も強くて緻密になる。その子が成長して『魔力封じ』を解くことができるようになったときにどれぐらい強くなっているかは、親の強さによるんだ」
「それじゃあ、同じ主祖でも強いやつの子はもっと強くなるわけか」
「そうだ」
「道理で、貴族様が必死に結婚相手を探すわけだよ。血統と教育、どっちも親の強さで差がついちまうとはな」
なぜかとつぜん饒舌になった男は、かつては貴族に仕えていたのかもしれない。
「とにかく、『魔力封じ』が効いてる間は主祖だろうと無力なんだ。こいつの従者の誰かを送って、貴族様に金を持ってこさせるんだ」
ファニィはおおむね状況を把握していた。
(いくらかはわからないけど、お父様は私のためならお金を用意するに違いありません)
冷静にそう考えながらも、ファニィの心に残る夢見る少女の部分は別のことを訴えていた。
(誰か……できればお兄さま、助けに来て!)
夢見る少女は、本人が思っているより図太いものである。
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ダヴィスは身体強化をフルに使って風よりも速く走り、ファニィの足取りを追っていた。
彼女がたどった道程をたどり、最後に目撃された宿のあと、首都に向かうのとは別の道に進んだことを知った。
貴族が馬車を使っての旅である。目撃者をたどることは簡単にできた。
だが農村部を離れ、人があまり住んでいない方向に彼女らは進んでいったようだ。
(まさか、危ない目に遭っているんじゃ……)
人気のない森の道を突き進みながら、ダヴィスは走った。
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ところで、ファニィはだんだん腹が立ってきていた。
(なんだか、子ども扱いされていますね……)
革命軍の議論は、侯爵にいくら要求するかに移っていた。
(それに、お兄さまも助けに来てくれないし……)
ダヴィスはファニィを探して駆け回っているところだが、神ならぬ身で知るすべはない。
(お父さまもお母さまも、もう少し私の心をわかってくれてもいいのに……)
一通り思いつくものに心の中で文句を言ってから、最後にまだ文句を言っていない相手がいることに気付いた。
自分自身だ。
(こうなったのは、私が勝手なことをしたからです)
周遊なんて思いつかなければ。よしんば、周遊したとしても家出ごっこなんてしなければ、悪党に付け入られる隙などなかったはずだ。
そんなに不安なら、ダヴィスへの手紙を書いてたずねればよかったのだ。
両親の話を聞いてしまったことを正直に打ち明けて、これからのことを話し合うべきだった。
やるべきことへの勇気を持てず、悲劇のヒロインを気取ってふらふら歩き回るなんて、
(まるっきり、子供です)
麻袋をかぶせられたまま硬い椅子に縛り付けられて、お尻と腕が痛くなってきた。
誘拐されるなんてまさにお姫様みたいだ、と状況に酔っているのも限界だった。
(ここにいるのは私の召し使い。彼らは我が家の財産を奪おうとしている。そして、お兄さまの名誉も)
悲しみも怒りも通り越して、少女の心に残ったのは、こういう思いだった。
(それらはすべて、私が守るべきものです)
そうしてファニィは、自らが知る限り最良の精神、つまり貴族の徳に従うことを決めた。
「えいっ」
体に力を籠める。縄をちぎるだけのつもりだったのだが、座っていた椅子ごとバラバラになってしまって、ファニィは床に思いっきり転んでしまった。
「……えっ?」
周囲から間の抜けた声が聞こえた。どうにか縄をほどいたファニィは、かぶせられていた麻袋を放り捨てた。
「なぜ動けるんだ……」
と、言いかけた男に向けて、ファニィは魔力を放った。
「子供じゃないもん!」
▶
ちゅどーーーーーーーーーん!!!
まるで演劇の効果音のような爆発音が響いた。
「なんだ!?」
森の中を駆け回っていたダヴィスは思わず足を止めてから、音の聞こえてきたほうへ駆け出した。
そこで目撃したものとは!
「あ、あれぇ……?」
粉々に吹き飛んだ小屋の中で、ファニィが立ち尽くしていた。
侍女たちはなんとか身を守ったのだろう。彼女らとて従祖だ。
一方、隷祖である男たちはひっくり返ってノびていた。
この光景を見て、ダヴィスはおおよその状況をすぐさま理解した。
ファニィが魔法を使って身を守ろうとしたが、ふだん他者を害する魔法なんて使わないから制御がうまくいかなかったのだろう。
男たちにケガらしいケガをしている様子はなかった。それも、彼女の優しさのなせるわざかもしれない。
「ファニィ!」
森の中から飛び出す。ダヴィスは土埃と葉っぱにまみれていた。
「お兄さま!?」
その姿を見てファニィは仰天すると同時に、天にも昇る心地が湧き上がってきた。
(やっぱり、私のことを心配してきてくれたんですね!)
あんなに汚れた姿になってまで!
ダヴィスが駆け付ける数秒の間に、ファニィの胸中には様々な思いが去来した。
(ああ、でもお兄さまが助けに来てくれたのなら、もう少し我慢してつかまっていたほうがよかったのかも……そうすれば、お兄さまがもっと華麗に助けて、優しく縄をほどいてくださったはずなのに。
ううん、いけない。そもそも私がこの事態を招いたのだから、そのことでさらにお兄さまの手をわずらわせるなんて、あってはいけないこと。まずは謝らなければ。
ああ、それにしても、少し合わなかっただけなのに、お兄さまはますます精悍になられました。それに比べて、私はずっと子供のまま。このごろ流行している小説のように、婚約を破棄されても当然のことをしてしまいました。
こんなわがままなファニィを、お兄さまは受け入れてくださるのかしら。
だけど、彼らはお兄さまを恨んで私のことをさらうことにしたのですよね。だったら、お兄さまにだって少しは責任があるはず。ちょっとくらい甘えても、バチは当たらないはずです)
というようなことを一瞬のうちに考えた結果、ファニィは婚約者の胸の中に自ら飛び込んでいった。
「お兄さま!」
「ファニィ、無事でよかった」
「ううん、とっても怖かったです」
愛する人の胸に飛び込んで、子供っぽく甘えてみせる。
自分から幼さを演じたことに、ファニィは少しだけ、自分でも成長を感じたのだった。
「ば、バカな……魔力封じは……」
地面に転がった男がうめく。
「ファニィがまだ魔力封じを受けていると思っていたのか」
たしかに、ファニィの年頃ならまだ魔力封じを受けている貴族もいる。
「失礼だと思いませんこと? 私はとっくに卒業しています」
「そうだね、見事な魔法だったよ」
乱れた青い髪をダヴィスに梳いてもらって、ファニィはすっかり夢心地だった。
ファニィに魔力封じを施していたのはダヴィスだった。理由は簡単で、ダヴィスのほうがクオルデンツェ侯爵よりも魔力が強かったからだ。
強力な魔力封じを施すほど、子の魔力は大きく育つ。
結果としてファニィの魔力はどんどん育ち、その力は今やクオルデンツェ侯爵を超えるほどだった。
もっとも、魔法を扱う技術にはまだ修練の余地がありそうだ。
「さぁ、家に帰ろう。侯爵と侯爵夫人に招待状を書かないと」
「招待状? 何のですか?」
「もちろん、俺たちの結婚式のだよ」
今度こそ、ファニィは『天上の心地』を知った。
ダヴィスは幸福の絶頂のあまり失神した彼女を抱いて帰ることになったのだった。