俺はいつものように小説投稿サイトを巡っていて、そのタイトルを偶然目にした。何の気なしにクリックし、ページを開く。
冒頭に書かれていたのは物語ではなく、契約文書のような説明文。
「このHTMLで決定を押すと押した者の意識は異世界に転送され、 そこで死亡するまで過ごす。
そして死亡後に押した者は元の世界に戻されるが、 この際、押した者は記憶を消されるため、
押した者の自覚では何も変わらない。」
小説というより、説明文のような文体。
読んでいくうちに、これは物語ではなく、一種のシミュレーションの手順が書かれた奇妙なテキストなのだと気付く。
ふと「5億年ボタン」を連想し、ぞくりと背筋が冷えた。
続きには種族や属性耐性、ステータス、スキル枠といったゲーム的な要素が並んでいた。
力や体、魔や速といった数値。リロールという項目まで備わり、キャラクター作成画面を文章化したかのようだ。
その構造に思わず笑いそうになる。物語ではなく、物語の外形を提示しているに過ぎない。
小説の末尾には、ダウンロードリンクが張られていた。
ご丁寧に、注意事項もなく直リンクで置かれている。
俺はしばらく画面を見つめていた。
冗談だろう。どうせ中身は、HTMLファイルに過ぎない。ブラウザで開けば先ほどと同じ文章が表示され、ボタンを押しても簡単なスクリプトが走るだけ。
そう理解していながら、心臓は落ち着かない。
――ダウンロードしたらどうなる?
思考が、その問いを繰り返す。
かつて読んだ女神転生の二次創作を思い出す。
「悪魔召喚プログラム」がネットに転がっていて、偶然拾った者が異界の存在を呼び出せるようになる――そんな設定。
これは、そのオマージュなのだろうか。小説の体裁を借りて、同じようにネットにばらまいたという風刺的な仕掛けか。
ダウンロードリンクを開くと、拍子抜けするほどシンプルなHTML構成が表示された。
中身はタグの羅列、簡素なスクリプト。
凝った暗号や怪しい処理はどこにもない。
――ほんとにただのHTMLじゃないか……
結局、俺は「Ctrl」+「S」でファイルを保存していた。
ダウンロードしてHTMLのアイコンが現れる。
チープな存在感を放ちながら、他のファイル群の中でどこか無機質に浮いている。確かにHTMLファイル。中身を開けばただのコードだろう。
それでも、どうにも心をくすぐられる。
一応セキュリティソフトで検査した後、見知らぬファイルを開く。
クリック。
黒地に金色の文字のタイトルが浮かび上がった。
ブラウザに表示されたのは、拍子抜けするほど簡素な画面だった。中央に配置されたカード型の枠、その中に「女神転生HTML決定」というタイトル。
説明文、種族や属性耐性、ステータス、スキル枠、保存や読込、そして――決定ボタン。
俺はじっとそれを眺める。
見覚えのあるはずの文章が、今度は小説の一部ではなく、インターフェースとして眼前に存在している。
違いは決定的だった。小説を読んでいたときは「物語を読んでいる」感覚だったが、今は「契約を前にしている」感覚だ。
マウスのカーソルを決定ボタンに重ねる。
ほんの数ピクセルの距離が、自分を小説の読者から登場人物へと変えてしまうように思えて、息が詰まる。
――押したら、どうなる?
好奇心は猫を殺す。そんなことわざもあるが、これは現実。
当然、何も起こらないだろう。だがもし、物語が現実に食い込む余地があるとしたら――?
いや、まずは、他の項目から確認していこう。属性耐性、ステータス、スキル枠を視界に入れながら、そう考える。
好奇心に駆られ、軽い気持ちで触ってみる。
試しに「属性耐性」や「ステータス」の欄をリロールしてみた。
やはり出てくるのは「弱点」か「なし」ばかり。
耐性を出す気があるのか疑問になる。これなら呪殺の弱点を消すぐらいが現実的か。
ステータスは1~10が同じ確率で出てくる。とりあえず10で揃えればいいか。
何だか、夢がないと思ったが、その考えも消し飛んだ。
スキルについては女神転生シリーズに登場したものなら、何でも選べる自由記入欄がある。
女神転生Vのマガツヒスキルが標準で記述されていることを考えると、スキルでさえあれば本当に何でもよさそうだ。
それで最弱でも最強でも平均でも自由にすればいいといった感じか。
マリンカリンからメギドラオンまで選び放題だな。
魔力0を視界に映しながら、使えればだが……と思った。
思ったが、スキル枠は1~8まであるから、何だったらパッシブスキルの属性吸収で埋めるというのも手軽ではある。
――異世界で戦闘せずに日常を過ごすだけなら、これでいいんじゃないか?
数回リロールを繰り返したのち、いったんブラウザを閉じ、改めてHTMLの構成を確認する。
やはり拍子抜けするほどシンプルなHTML構成。
中身はタグの羅列、簡素なスクリプト。仕様についても一通り把握した。
改めて確認しても凝った暗号や怪しい処理はどこにもない。
――やっぱりただのHTMLじゃないか……
どうにも肩透かしの印象しか残らない。興ざめした気分のまま、再び「女神転生決定HTML」の画面を開き、
結局スキルを入力することもなく、初期値のまま「決定」を押してみた。
クリック。
クリック音が部屋に響く。
瞬間、画面に「転生特典の表示」と題されたウィンドウ。
人間、呪殺弱点、力1、体1、魔0、速1、運7。スキル欄は未記入。
転生特典とはありきたりだが、女神転生とは関係ないだろう。転生だけにってか?
しょうもない。そう思うと笑いそうになった。
単なるプログラム。小説に書かれていたとおりの処理。予想通りだ。
だが、数秒後。
画面中央に新しい文字が浮かび上がる。
「あなたは転生しました」
これは小説に書かれていた流れそのままだ。
俺は今、小説と同じことを繰り返している。まるで入れ子構造だ。
つまり――小説を読んだ主人公もまた、「女神転生HTML決定」をダウンロードして開き、決定を押した。
ブラウザが自動で閉じる。
息を呑む。
──そして、何も起こらなかった。
当然だ、と心の中で呟く。
だがそれでも一抹の不安がよぎる。
もしあの説明文が本当だったとしたら。
──記憶を消され、元の世界に戻され、こうしてモニターを眺めているのではないか?
モニターは沈黙している。
ただのHTMLのはずだ。
そのはずなのに、心の奥でざわめきだけが、消えずに残っていた。
──やっぱり転生特典をしっかり選択すれば良かったかな……と。