黒煙が辺り一帯を覆い尽くす。
機材の悉くが吹き飛び、瓦礫が散乱し、施設内は見るも無残な姿へと変貌していた。
原型を失った機材は火花を上げ、黒煙を上げながら燃えている。
瓦礫の山。崩壊した壁面。
そして、吹き飛んだ天井から剝き出しの鉄骨が露出していたが、地下区画という事もあり、吹き抜けとなって外部と繋がっているという事はなかった。
視界は悪く、唯一の明かりは瓦礫の中で焼却されている機材のみ。
しかし、その明かりだけでもこの惨状を目の当たりにするには充分過ぎる光景であった。
山積みとなった瓦礫が音を立てて崩れ落ちる。先生を庇う為に身を挺し、爆発による余波から先生を守ったヒナは、身を起こしながら瓦礫の中から這い出るように脱出した。
「……先生、大丈夫?」
自身より背丈の大きい先生を翼で包み込み、地面に叩きつけられた際に怪我をしないように守った為か、外傷は見受けられない。しかし、爆風による衝撃の影響か、意識を失っており返事がない。
頭を打った訳ではないだろうが、念の為にヒナは先生の状態を確認する。
意識を失っているが、息はある。呼吸も安定しており、見たところ外傷もない。ただ、爆発のショックで気絶しているだけのようだ。
良かったとヒナは安堵の溜息を吐く。
先生を守れた事に安堵しつつ、改めて周囲の状況を確認する。
黒煙と瓦礫が視界を遮り、先生を支えながら立ち上がろうとするも、瓦礫に足を取られ転倒しそうになった。
「……っ」
爆発の余波で負傷したのか、全身に痛みが走る。頭部から頬をつたう血が滴り落ち、ヒナは手で拭う。
「……っ」
思わず顔を顰める。全身を強打した影響か、身体の節々が痛み、出血している部位もある。しかし、先生を守れた事に比べれば、大した事ではない。
ヒナは先生を抱き抱えながら立ち上がり、改めて周囲を見渡す。
黒煙と瓦礫が視界を遮り視界は悪いが、ある程度の状況は把握できる。
此処は地下施設の最深部であり、誘拐された生徒達が囚われている筈の場所であり、同時に敵の最重要拠点でもある。
そう思っていた。
しかし、現実は違った。先程まで稼働していた研究用と思わしき機材の数々も、そして地上で風紀委員会のメンバーと交戦している傭兵達も、全ては自分達を罠に嵌める為の駒でしかなかったのだ。
ポケットから携帯を取り出すも、当然のように圏外を示しており、風紀委員会との連絡は途絶えている。
救援は期待できない。孤立無援の状態だ。
しかし、まだ諦めるわけにはいかない。
誘拐された生徒達の救出と、先生の保護。そして首謀者の確保。
三つの目的が脳裏に浮かび、しかし直ぐに、二つを切り捨てた。
選んだのは先生の安全だった。
先生を守りたい。
その一心で行動した結果が、この惨状である。
自分の浅はかさが招いた結果であり、この惨状は自分の責任である。
悔しさが込み上げてくる。しかし、今は嘆いている暇はない。
爆発の影響で通路は塞がれ、唯一の出入り口も瓦礫に埋もれてしまっている。
別の出口を探す必要がある。先生を担ぎながら、ヒナは周囲を見渡す。
しかし、どの方向を見ても瓦礫の山が聳え立ち、通路は塞がれていた。
先生を抱き抱えながら、ヒナは瓦礫の山を掻き分け、出口を探す。
しかし、どれだけ探しても出口は見当たらない。
「……っ」
ヒナは歯噛みする。絶望的な状況だ。それでも、諦めるわけにはいかない。
先生を守る為に、生きて帰る為に、此処から脱出しなければならない。
ヒナは再び周囲を見渡す。すると、黒煙の中に微かに光が見えた。
その光は、出口を示す希望の光なのかもしれない。そう思い、ヒナは先生を抱えながら、光の方へ向かって進む。
瓦礫を掻き分け、光の方へと進む。すると、光が漏れている場所に辿り着いた。
「……っ!」
刹那、無数の銃声と共に、無数の銃弾が放たれる。
突然の銃撃に、ヒナは咄嗟に先生を庇うも、銃弾はヒナの身体に被弾し、負傷した肉体に、更なるダメージを与える。
「っ!」
激痛に耐えながら、ヒナは瓦礫の陰に身を隠す。普段なら大したダメージではなかったが、負傷している身体では耐え切れず、膝をつく。
ヒナは銃を構えながら、銃撃の発生源を探る。すると、瓦礫の向こう側に、数人の人影が見えた。
そして、その人影の姿を視認したヒナは驚愕に目を見開いた。
「…………ユスティナ聖徒会……なんで?」
ヒナの視界に映る人物。ウィンプルを被り、レオタードを着用した少女達。顔はガスマスクで覆われており、表情を窺う事は出来ない。しかし、彼女達の服装からユスティナ聖徒会と認識したヒナは、この事件が先生と対峙していた人物と関わっている事を確信すると同時に、過去の記憶が想起され、思わず表情を曇らせた。
忘れる筈もない記憶。エデン条約の最中、アリウス分校の襲撃によりゲヘナとトリニティの双方が混乱に陥り、その混乱に乗じて先生を会場から避難させるべく、負傷した身で立ち向かったあの時の事を。
そして、力及ばず、先生を守れなかったという自責の念が蘇る。
彼女達の姿に、心が乱れる。過去のトラウマが蘇り、精神的に追い詰められる。
「……落ち着いて」
ヒナは自分に言い聞かせるように呟く。過去の記憶に囚われてはいけない。今は先生を守る事に集中しなければならない。
ヒナは冷静さを取り戻し、銃を構える。そして、瓦礫の陰から改めて彼女達を観察する。
記憶の中にあるユスティナ聖徒会は亡霊のように存在が希薄であった。しかし、目の前の彼女達からは確かな生気を感じる。彼女達は過去の亡霊ではなく生きた人間。
その事実に、ヒナは違和感を覚える。エデン条約の際に現れたユスティナ聖徒会は、確かに実体を持ってはいたが、それは亡霊のような存在であり、生きた人間ではなかった。
しかし、目の前の彼女達は違う。彼女達は生きた人間であり、その事実がヒナに疑問を抱かせる。
「…………っ」
ヒナは改めて彼女達を観察する。彼女達の服装は、確かにユスティナ聖徒会の装束である。しかし、その装束は新品同様であり、古びた印象は全くない。
また、彼女達の装備も新しく、過去の亡霊が装備していた物とは異なる。
これらの事実から、ヒナは一つの結論に至る。
彼女達は、エデン条約の際に現れたユスティナ聖徒会とは異なる存在である。
しかし、それは同時に新たな疑問を生む。彼女達は何者なのか。何故、ユスティナ聖徒会の装束を纏っているのか。そして、何故自分達を襲撃してきたのか。
様々な疑問が頭を過るが、それらを解決する時間はない。今は、先生を守る事に集中しなければならない。
状況は絶望的だが、それでも希望はあった。
彼女達が姿を現したという事は、少なくともこの先には道があるという事だ。
彼女達の包囲を突破すれば、先生を助けられるかもしれない。
ヒナは覚悟を決め、先生を庇いながら、瓦礫の陰から飛び出す。
先生を抱えながら自身よりも遥かに大きな銃器を手に持ち、走る。
彼女達は即座に反応し、銃を構える。
しかし、ヒナは怯まずに突撃する。彼女達の包囲網を突破する為に、ヒナは全力で駆け抜ける。
銃弾が入り混じり、ヒナの身体に銃弾が被弾するも、ヒナは怯む事無く前へと進んだ。
敵の殲滅は二の次に、必要最低限の迎撃に留め、一刻も早く包囲網を突破する事を優先する。
此方の銃弾に被弾したユスティナ聖徒会の彼女達は、実体を消失させる事なくその場に倒れる。やはり彼女達はユスティナ聖徒会ではない。
これならいける。
そう確信し、包囲網を突破すべく、前方を遮る集団に向けて銃を乱射した瞬間、被弾してガスマスクが破損したユスティナ聖徒会の彼女達の顔を見て、驚愕に目を見開く。
彼女達は皆、誘拐されたゲヘナの生徒だったのだ。
それも、皆が皆、『同じ顔』をしていたのである。
誘拐された生徒達と同じ顔をする生徒が複数人存在するという異常な光景に、ヒナは戦慄する。
ヒナはその光景を理解できなかった。何故、誘拐された生徒達が此処にいるのか。何故、同じ顔をしているのか。そして、何故、ユスティナ聖徒会の装束を纏っているのか。
疑問が次々と湧き上がるが、それらを解決する時間はない。彼女達は容赦なく銃撃を続ける。
「……っ!」
ヒナは困惑するも、それでも先生を守る為に、包囲網を突破する為に、必死に銃を撃ち続けた。
一人一人の力は大した事はない。しかし、数が多い。そして、同じ顔の生徒達が幾度となく行く手を阻むという現実に、精神的な負担が増していく。
そして、その精神的な負担が、ヒナの隙を生む事となる。
包囲網を突破する為に銃を撃ち続けるも、次第に動きが鈍くなり、銃弾の命中精度も低下していく。
疲労と精神的な負担により、ヒナの集中力が低下していたのだ。
そして、その隙を突くように、銃弾がヒナを襲い、先生に被弾しないように庇いながらも、負傷した肉体に更なるダメージを負い続けていく。
此処で先生を手放せば、それだけで状況は好転するだろう。しかし、そんな選択肢を選ぶ事などあり得ない。
先生を守る為に、ヒナは必死に抗う。しかし、多勢に無勢である。次第に追い詰められ、包囲網を突破するどころか、先生を守る事さえ困難になっていく。
それでも、ヒナは懸命に先生を庇いながら前へと進み続けた。
そして、通路の先の開けた空間に辿り着いた瞬間、正面で待ち構えていた敵を発見し、ヒナは咄嗟に銃口を向けた。
敵はユスティナ聖徒会ではなく、地上で風紀委員会と交戦していた傭兵と変わらぬ風貌。即座に引き金を引き、銃弾を放つ。
銃弾は吸い込まれるように傭兵の胴体に被弾し、そのまま……。
『身体』を『貫通』し、血飛沫を上げながらゆっくりと膝から崩れ落ちた。
「……………………ぇ?」
信じられない光景に、ヒナは呆然と呟く。
傭兵の身体が銃弾で貫通した。それは、キヴォトスであれば有り得ない事である。どんなに強力な銃弾でも、身体を傷付ける事はあっても致命傷に至る事はまずない。
それは、ヒナ自身もよく理解している。だが、目の前の光景は、その認識を根底から覆すものだった。
身体を貫通した銃弾。崩れ落ちた傭兵。傷口から溢れ出る血。
そして、倒れ伏す刹那に漏れ出た傭兵の声。
「ヒ……ナ……なん……で……」
その声に、その声色に、ヒナは聞き覚えがあった。否、忘れられる筈がない。それは、先生の声だったのだ。
先生は隣にいる。にも関わらず、先生の声色を真似る事なく、本人の声と全く同じ声色で呟いた傭兵は、そのまま事切れた。
「あ……あぁ……」
ヒナは、呆然と呟く。何が起きているのか理解できない。理解したくない。
目の前の光景が現実だと認めたくない。しかし、それは紛れもない現実であり、残酷な真実だった。
ヒナは震える手で銃を握り締める。しかし、それは恐怖によるものではなく、絶望によるものだった。
誘拐された生徒達がユスティナ聖徒会の装束を纏い、自分達を襲撃する。そして、傭兵が先生の声で話す。
これらの現象が意味するものは何か。それは、誘拐された生徒達が、傭兵が、そして自分達が置かれている状況が、常軌を逸しているという事だ。
早く此処から逃げなければならない。一刻も早く此処から脱出しなければならない。
それでも、足がいう事を聞かない。
恐怖に支配された心を必死に抑え込み、何とか気力で足を動かそうとするも、それは叶わない。
足が震え、その場に縫い付けられたように動けない。
ユスティナ聖徒会の彼女達が迫ってくる。彼女達の顔が、誘拐された生徒達の顔が、次々と迫ってくる。
ヒナは銃を構えるも、恐怖に支配された心では照準が定まらない。
そして、ヒナの銃が、その手から滑り落ちた。
カラン、と乾いた金属音が鳴り響く。
ヒナの手から滑り落ちた銃が床に転がり、その音が空間に虚しく響き渡る。
銃を手放したヒナは、呆然と立ち尽くす。
そして、気が付けば先生とヒナを囲むようにユスティナ聖徒会の姿を模した生徒達が銃を構えていた。
向けられた銃口。そして視界の端で気を失っていた先生を見て、ヒナは最後の最後に、気力の全てを振り絞り、先生を庇うように抱き締めた。
その瞬間、一斉に銃声が鳴り響き、ヒナの身体に銃弾が雨霰のように降り注いだ。
鳴り止まぬ銃声。地面に転がる空薬莢。
先生を守るべく広げた羽も、銃弾の雨の前には無力だった。
身体に刻まれる銃創。痛みを通り越して熱を感じる身体。
意識が朦朧とし、思考が停止する。
先生を守らなければ。その一心で耐えようとするも、意識は薄れていき、遂にヒナは倒れ伏した。
そして、静寂が訪れる。
「……せ……せ……っ」
薄れゆく意識の中で、ヒナは先生の名を呼ぶ。しかし、その声は小さく掠れており、先生には届かない。
ヒナは先生を庇う姿のまま、銃弾を浴び続けた。そして、意識を失う寸前、最後に視界に映ったのは、自分を見下ろす彼女達の姿だった。
腹部に衝撃が走る。床に背中を打ち付け、仰向けの姿勢のまま、ヒナはぼやけた視界の中、数十にも及ぶマズルフラッシュを眺める。
銃声は止まず、ヒナの身体が何度も跳ね、その度にヒナの身体に銃弾が撃ち込まれていく。
数十分にも及ぶ銃声が鳴り止んだ後、ピクピクと身体を痙攣させながら、ヒナは遂に意識を消失させる。
ボロボロになった風紀委員会の上着から腕章がボロリと零れ落ち、ユスティナ聖徒会の姿を模した生徒達が無遠慮に踏み締め、意識を失ったヒナを抱き上げた。
無感情に。そして淡々と、ヒナを運び出す。そして、その後を追うように、先生を担ぎ上げた他の生徒達が後を追う。
後に残されたのは、ヒナの上着から落ちた腕章だけだった。