投降し、武器を捨てた傭兵達を護送車に収容しされてゆく光景を遠目に、イオリは周囲を見渡す。
被害は出たものの、研究所は制圧し、失踪していた生徒達は無事に保護する事が出来た。
作戦自体は成功である。しかし、イオリの表情は暗く、周囲に大勢の生徒がいるにも関わらず、黙りこくったままだ。
他の風紀委員を不安にさせないよう努めてはいるが、内心は穏やかではない。
先生とヒナの失踪。
建物内で起きた爆発音の後、後方で待機していた風紀委員が先生とヒナの安否を確認するも、連絡が取れず音信不通の状態となっている。
今はアコの指揮の元、先生とヒナの捜索にあたっていはいるが、未だ発見の報告はない。
確認出来たのは崩落した地下の通路。爆発の衝撃で崩れた瓦礫が辺り一面を埋め尽くしており、通路の様子を伺い知る事は出来ない。
もしかしたら爆発による建物の崩壊で瓦礫の下敷きに……。
最悪の想像に、イオリは頭を振り、その想像を振り払う。先生とヒナは無事だ。そう信じて先生達を探し続けるのであった。
意識が覚醒すると共に痛覚が刺激され、ヒナは顔を顰めた。
身体中に走る鈍い痛み。そして冷たい床から感じる地面の固さが、ヒナは意識を失う前に何が起きたのかを嫌でも思い出させる。
ユスティナ聖徒会の姿を模した失踪した生徒達。そして、先生の顔立ちが酷似した傭兵。悪夢のような光景を思い出して、ヒナはハッと我にかえり、先生の安否を確認しようと周囲を見渡す。
しかし、先生の姿は何処にもない。別の場所に監禁されているか、或いは……。
最悪を想像してしまい、ヒナは思考を中断する。駄目だ、悲観的に考えてはいけない。必ず先生は無事でいる。希望を失ってはいけない。そう自分に言い聞かせながら、現状を少しでも把握するべく、ヒナは改めて周囲を見渡した。
そこは薄暗い空間だった。壁や床は打ちっぱなしのコンクリートで、天井は高く、調度品の類は存在しない。部屋に窓はなく、唯一ある扉は鉄製のもの。それが佇んでいる以外、目ぼしいものは見当たらない。
唯一、大きなカーテンで仕切られた壁が目につく。ヒナは立ち上がり、そのカーテンを捲った。
「っ! 先生!」
カーテンの向こうにはベッドがあった。そして、そこには先生がいた。目を閉じたまま意識を失っているものの、目立った外傷もなく無事そうである事にヒナは安堵するも、分厚いガラスで隔てられている為、直接触れる事は出来ない。
今の状態も知りたい。このまま無事でいるのか、それとも何かされたのか。不安に駆られる中、背後からコツンコツンと足音が聞こえる。
振り返るも誰もいない。視線の先には鉄製の扉があり、外から誰かが此方に近付いてきているようだ。
咄嗟に銃を構えようとするも、意識を失っている間に武器を奪われてしまったのか。ヒナの手元に銃はなかった。
丸腰の中、敵と対峙する。
無論、銃がなくとも戦う手段がない訳ではない。それでも、先生が人質に取られている以上、下手な行動は控えた方がいいだろう。
寧ろ、敵の方から此方に接触してくれるのは好都合である。ヒナはそう考え、鉄製の扉が開かれるのを待つ事にした。
そして、鉄製の扉が開かれる。
「……おや、目を覚ましていましたか。おはようございます」
鉄製扉の奥から現れたのは、スーツ姿の男性だった。いや、正確にはスーツを着た『誰か』であった。
顔が判別できない。まるでモヤが掛かったかのように、顔が霞んでいる。男性であると判断したのは、辛うじて声で判別できた為だ。
彼が先生と敵対していた組織の人間か?
ヒナは警戒し、男性を睨み付ける。しかし、男性は気にも留めず、淡々とした様子でヒナに語りかけた。
「そう睨まないで下さい。私はただ、貴女と交渉する為に来たのですから」
「……交渉?」
目の前の男は敵側の人間である事は明白だ。そんな相手との取り引きなど、簡単に応じるべきではない。
しかし、男性は気にした様子もなく、ヒナに語りかける。
「と、その前に自己紹介がまだでしたね。私はコンコース。新たにゲマトリアを結成した者です」
そう言うと、コンコースは胸に手を当てながら恭しくお辞儀する。その態度がヒナの神経を逆撫でするも、その感情を表に出してはいけない。そう自分に言い聞かせ、平静を装いつつ冷たい声で「空崎 ヒナよ」と名乗る。
「ありがとうございます。貴女が自ら自己紹介をしてくれるので助かりましたよ」
コンコースはそう言って微笑むが、その声色に友好の意思は感じられない。最初から敵同士として決別している以上、和解など考えるだけ無駄だろう。
その思いを胸に秘めながら、ヒナは抵抗の意志を露わにするようにコンコースを睨みつける。
「貴方の目的は何。私と先生を捕まえて何をしたいの?」
「話が早くて助かります。では、本題に入りましょう」
コンコースは満面の笑みを浮かべながらそう告げると、淡々と自身の目的を口にする。
「私の目的は単純明快。証明がしたかったのです」
「……証明?」
「えぇ。私という存在の在り方の証明とも言えましょう。新たな組織の結成。そして、その組織の名を冠する新たな概念の誕生。それが今回の目的です」
コンコースは恍惚とした笑みを浮かべ、劇場型の大仰な動作と共に言葉を続ける。
「その上で必要だったのです。シャーレの先生の敗北。その証明が。その証明をもって、私は先生という存在が絶対の存在ではない事を世に示したいのです」
「……何が言いたいの」
「言葉通りですよ。先生という存在は、これまで多くの危機を乗り越え、様々な問題を解決してきた偉業は、決して偶然ではない。諦めず、折れず、曲がらず、立ち向かい続けた結果。そして、多くの生徒達の協力があってこその偉業である事は否定しません。しかし、先生という存在は決して絶対の存在ではない。先生は敗北する可能性を持つ人間であり、絶対に勝利する存在ではない事を証明したかったのです」
そう言っていったん言葉を切り、そしてヒナへと視線を向ける。その瞳は笑みを浮かべてはいるが、目が笑っていない。
「……ですが、先生はまだ負けたわけではない」
コンコースの罠に嵌り、囚われの身となった。しかし、それが敗北であるという証明に至るには早い。先生を思う生徒達が必ず助けに来る。そして先生とヒナは必ず助け出される。
その上で、コンコースは手札を切るのであった。
「そこで、貴女に取引を提案します。空崎 ヒナ。私に協力して頂きたい」
コンコースの言葉に、ヒナは眉を寄せる。そして、警戒を強める。
「警戒するのは当然です。ですが、この取引は貴女にとっても悪いものではありません。寧ろ、好条件と言っても良いでしょう」
「……その条件はなに?」
「なに、ちょっとした価値観の証明ですよ。先生と貴女。どちらが大切ですか?」
コンコースの言葉に、ヒナは息を呑む。そして、警戒を強める。
「先生と貴女の事は調べました。その上で先生は貴女を他の生徒の誰よりも信頼している。そして空崎 ヒナ。貴女は先生を慕っている。だからこそ、先生の為なら己を犠牲にしてでも行動する。そうでしょう?」
ユスティナ聖徒会を模した生徒達の攻撃から先生を守るために、その身を盾にした行為は、その証明になる。そうコンコースは自信満々に口にする。
「その信頼、その絆。大変美しいものでしょう。故に、それらを踏み躙り、砕き、打ち壊したい。そう思ったのです」
「っ!」
ヒナは怒りに駆られる。先生と自分との絆を踏み躙る。そんな事を許すわけにはいかない。
しかし、コンコースはその反応を楽しむように、言葉を続ける。
「貴女は今、先生を守りたいと思っている。先生は囚われの身。救出されるまでの時間を稼ぐには、先生を助ける為に行動する必要があります。その為には、私が提示する条件を飲むしかない。そうでしょう?」
「そして、私が提示する条件は簡単です。『先生の命』か『貴女の全て』」
「その身、その心、これまでの実績、信頼、信用、地位、名誉、尊厳、人権、その全てを私に捧げるのです。その代わり、先生の命は保証しましょう」
「勿論、拒否しても構いません。ですが貴女が拒否した場合、先生の命は失われる事になります。その選択肢を選べば、先生は助からない。だからこそ、貴女は拒否出来ない。そして、先生の命を救う為に、私の要求を受け入れるしかない」
コンコースは、愉快そうにそう告げる。そして、最後にこう付け加えた。
「貴女がこれまで積み上げてきた全てを差し出せば、先生の命は保証しましょう。どうです? 好条件でしょう?」
ヒナは黙り込む。コンコースの言葉に、何も言えない。先生の命を救うには、コンコースの要求を受け入れるしかない。しかし、それを受ければ、自分は全てを失う事になる。
「……仮に私がその条件を飲んだとして、貴方は先生を解放するの?」
「えぇ。約束しましょう。先生の命は保証します。ただし、貴女が私の指示に従う限りにおいてですが」
「……」
ヒナは沈黙する。コンコースの提示する条件は、先生の命を保証する代わりに、ヒナがこれまで積み上げてきた全てを差し出すというもの。先生の命を保証する代わりに、自分の全てを差し出す。
先生の命を救う為に、自分を犠牲にする。それはきっと、先生が望まぬ選択だろう。しかし、コンコースの言う通り、先生の命を救う為には、この条件を飲むしかない。
ヒナは苦渋の決断を下すしかなかった。
「……分かった。貴方の要求を飲むわ」
「素晴らしい! 賢明なご判断です。貴女のその決断に敬意を表します」
コンコースは満足そうに微笑む。そして、ヒナに近づくと、懐から針の無い注射器を取り出し、それをヒナに手渡す。ヒナは受け取った注射器を見つめ、そして問い掛けた。
「これは?」
「貴女がこれから歩む道の始まりです。それを打てば、貴女の身体は限りなく先生の肉体に近付く事となります。まぁ、銃で撃たれようと傷がつく事はありませんが、撃たれた時の痛覚……確かエデン条約で撃たれた先生のように痛覚だけは感じるようになります」
「そして、貴女が唯一取柄としていた荒事に対する強さも、大幅に弱体化します。ふふ、弱体化とは言い方が陳腐ではありますが、要は肉体の強度は今のままですが、それ以外が先生以下になると言えばわかりやすいでしょうか?」
コンコースはそう告げると、ヒナを見つめる。そして、続けた。
「此処で怖気づくようでしたら考え直しても良いのですよ。その代わり、先生の命は……」
言いかけた言葉は、ヒナが己の首筋に注射器を当てた事で遮られた。そして、躊躇いなく、注射器の液体を体内に注入したのであった。
「っ……!」
注入した液体が体内を巡る感覚。そして、今まで感じた事のない不快感が全身を駆け巡る。その不快感に耐えきれず、ヒナはその場に蹲った。
「ふふ、先生の肉体に近付く過程は、苦痛を伴います。ですが、それはほんの一時だけ。すぐに慣れることでしょう」
ヒナは苦悶の表情を浮かべるも、耐え続けた。やがて、不快感が消えていくのを感じると共に、身体が重怠くなる感覚を覚える。そして、立ち上がったヒナは、己の手の平を見つめた。
見た目は変わらない。しかし、内面は大きく変化したことを自覚する。その事実に、ヒナはゾッとする。
「さて、これで契約は成立です。果たして貴女は何処まで耐えられるでしょうか? もしも、これから起こる全ての責め苦に耐える事が出来れば、貴女と先生を解放する事を約束しましょう」
コンコースはそう言うと、ヒナに背を向け歩き出す。そして、鉄製扉を開け、部屋を出て行った。
ヒナは一人取り残された部屋で、しばらく茫然と立ち尽くす。そして、ゆっくりと己の手を見つめた。
「先生の肉体に近付く……っ」
その言葉の意味を考えながら、ヒナは拳を握り締める。そして、かつて先生を守る事が出来なかった記憶を想起させ、己を奮い立たせた。
エデン条約での騒動の最中、先生を守れなかった。その事実は今でも鮮明に思い出せる。そして、今回もまた先生を守れなかった。ならば、今度こそ先生を守る。
例え、この身がどうなろうとも。
「……今度こそ絶対に、先生を助ける」
ヒナは己に誓う。そして、これから起こるであろう責め苦に耐え、先生を助ける事を心に誓うのであった。