両軍が広大な草原で分かれ、両軍から一人づつ歩み出た。
相対するは英雄である。
その力は一騎当千。
一人の武力にて一軍に勝り、戦場にて無敗。
勝利を約束する英雄である。
鉄の国の英雄、鉄弓の狩人は男である。
その鉄の弓から放たれる矢に音はなく、一矢一殺にて敵将を打ち取る。
魔法の国の英雄、歌炎の戦姫は女である。
その力は一小節の歌で大群を焼き尽くし、万の兵を一と同等に扱う。
二人の英雄が相対した。
戦えばどちらかが死ぬ。英雄を失っては国は負けたも同然。
そのため今まではお互いが離れた戦場を与えられていた。
そんな二人の英雄が相対している理由は簡単だ。
戦争を続けるのは両国とも限界だったのだ。
鉄弓の狩人にあまりにも将を殺されすぎた。
兵を指揮する将がどんなに沢山の兵の中に紛れていようが、強固な陣地を築こうが必ず一矢一殺で打ち取られていった。
将を失った雑兵が統率された軍に勝てるはずもない。
指揮をする者を失った兵はもはや軍ではない。
包囲されすり潰されるだけだ。
歌炎の戦姫にあまりにも兵を殺されすぎた。
彼女の美しい歌声は破滅的な火炎を生み出す呪文である。
どれだけ優秀な指揮があったところで、彼女と相対した時点で戦場を覆いつくす炎が兵を残らず焼き尽くした。
兵を失った将が一人で軍に勝てるはずもない。
指揮する者を失った将はもはや将ではない。
追手に追われ殺されるだけだ。
相対する両者は勝利を約束する英雄である。
兵からの希望を一身に受ける存在であるが、この戦いは同格の戦いとは思われていなかった。
鉄弓の狩人の弓と剣の腕前はまさに神業、だが人の理解の範疇であると思われていた。
戦えば歌炎の戦姫の炎が鉄弓の狩人を包み込み終わりだと思われていた。
鉄の国の王も仕方がなく歌炎の戦姫に鉄弓の狩人をぶつけることにしたのだ。
だがこの戦いは、後におとぎ話として語り継がれる戦いとなった。
先に仕掛けたのは歌炎の戦姫であった。
一音発声した瞬間、両者の間に炎の壁が現れ、詩を奏でると炎の壁は巨人をも飲み込む巨大な炎の津波となり鉄弓の狩人に襲い掛かった。
あまりにも高く広い炎の壁の前に逃げ場はない。
肺を焼き目玉を蒸発させる煉獄の炎は、
鉄弓の狩人の防具らしい防具は、フードマントで覆われた鉄で出来た胸当てと脛あてと弓小手のみ。
防御も回避も不可のこの状況は詰みだと思われた。
鉄弓の狩人はマントを開き弓を引き、構えた。
フードマントのフードが炎の津波が引き起こす熱波によりはずれ、目から下を覆うマスクの繊維が焼け始める。
迫る炎の津波を前に回避も防御もする様子はなく、狩人は弓を構えたまま瞼を閉じて熱から目を守るだけだ。
炎の津波は速馬よりはるかに速く、ハヤブサのごとき速度で鉄弓の狩人に迫る。
炎の津波が鉄弓の狩人に到達するまでに要した時間はほんの一瞬であった。
鉄弓の狩人まであと数歩の距離、炎の津波が迫った時である。
矢が歌炎の戦姫の目の前に迫っていたのは。
歌炎の戦姫は炎に包まれながら地面を転がっていた。
そのため矢が通過した場所には歌炎の戦姫はもういない。
美しい顔を煤と土で汚しながら歌炎の戦姫が顔を上げた時、パキンという鉄弓を弦が打つ音が戦場に鳴り響いた。
絶対不可侵の炎の津波のこちら側に鉄弓の狩人が立っていた。
鉄弓の狩人が放った矢は音より速かった。
矢が通った後には空気の壁ができ、圧力を持って炎を押し広げる。
鉄をも溶かす炎の津波だが、矢を溶かすまで熱を伝えるには矢は速すぎた。
音無の矢を放つといわれている鉄弓の狩人だが、ただ音が聞こえないから音無なのではない。
音より速く、音が聞こえる頃には耳の持ち主が死んでいる。
故に音無の矢なのである。
彼女がそんな音無の矢を避けられたのは精霊に愛されていたからだ。
彼女だけが話して見ることができ、力を与えてくれる人知を超えた精霊。
その精霊が必死に危機を叫び、歌炎の戦姫を炎の風で吹き飛ばしたのだ。
いまだ地面に手をつく歌炎の戦姫は、自分に向かって次の矢を番える鉄弓の狩人を見た。
歌炎の戦姫は背筋を凍らせながら旋律を奏でた。
付いた手の下の草が燃え、土が赤熱し盛り上がる。
次に歌炎の戦姫の前に溶けて変質した溶岩になった土が壁となってあらわれた。
石と土が混ざった溶岩の壁の粘度に、音無の矢は深く食い込むが歌炎の戦姫に到達する前に停止する。
急いで歌炎の戦姫が立ち上がると弦音が歌炎の戦姫の耳に届いた。
精霊の警告により上空を見上げると、高く打ちあがった矢が見えた。
放物線を描いて歌炎の戦姫へと向かう矢じりには、丸い小袋が縛り付けられている。
歌炎の戦姫が一歩避けるだけで外れるその矢を精霊は焼き払えと警告する。
おそらく毒かなにかを括り付けているのであろう。
魔法の行使に声を必要とする歌炎の戦姫は常に呼吸を必要とする。
そのためできるだけ激しい動きを避け、息を切らさずにいなければならない。
毒の粉など周囲にばらまかれれば歌炎の戦姫は発声ができずに魔法を封じられてしまう。
放物線を描かせるためにあえて弓威を殺した音無ではない矢では炎を突破できない。
致命の一撃となりうる放物線を描く矢を歌炎の戦姫は炎で燃やし尽くした。
溶岩の壁を作ることにより鉄弓の狩人を見失っていた歌炎の戦姫は、壁の向こうを焼き払いながら顔だけが出る程度に壁を低くし、鉄弓の狩人の場所を目視しようとする。
すると鉄弓の狩人は壁のすぐそばまで迫っており、弓を歌炎の戦姫に向けていた。
歌炎の戦姫は再び溶岩の壁を高くする。
鉄弓の狩人は再び出来上がった溶岩の壁を見て腰に下げた小袋を投げ込み、壁を回り込むために走る足の方向を変えた。
直角に方向転換するために踏みしめられた土は大きく凹み、土煙を上げる。
人間離れした膂力から生み出される疾走によって鉄弓の狩人は瞬く間に壁を回り込み、再び歌炎の戦姫を視界にとらえた。
歌炎の戦姫は壁の横から現れた鉄弓の狩人の矢と上空に投げられた小袋の両方の対処を迫られる。
小袋の口はあいており、毒であろう粉は既に空中に散布されている。
歌炎の戦姫は迷わず鉄弓の狩人に向けて溶岩の壁を作り出した。
瞬間、壁に埋まる矢、遅れて聞こえる弦音。手つかずの毒の粉。
果たして毒の粉は歌炎の戦姫に到達する前に上空に向かって舞い上がっていき、歌炎の戦姫の元へ到達することはなかった。
歌炎の戦姫の周りには高温の溶岩の壁が存在している。
その熱の発生源である歌炎の戦姫の周りは常に高温であり、熱された空気が常に上昇気流を生み出しているのだ。
これにより軽い粉末は吹き飛ばされ歌炎の戦姫に到達することはない。
歌炎の戦姫は壁の向こうにいるであろう鉄弓の狩人の方へ向けて火炎を生み出した。
面で攻撃する歌炎の戦姫にとって相手の位置の把握は大雑把でいいのだ。
鉄弓の狩人は3本の矢を同時に音無の矢として放つ。
衝撃波が炎を散らしたが、歌炎の戦姫の生み出す炎が次から次に生み出されあっという間に周りは炎に包まれ、鉄弓の狩人は逃げ場を失う。
あらかじめ水を含ませていたフードマントの水分はとっくに蒸発しており、衣類で身を守れるのは一瞬しかない。
鉄弓の狩人はその一瞬をもって矢を放ち、炎の草原に道を作り走り抜けた。
音無の矢を放つほどの強弓を引き絞る強靭な体についた足も当然英雄足りえるもの。
生み出され続ける炎に飲みこまれる一瞬で鉄弓の狩人は歌炎の戦姫から離れることに成功した。
両者は離れ、再び相対する。
この攻防は常人のほんの数呼吸の間に行われたものである。
まだ戦いは始まったばかりである。
一手も間違えることのできない英雄の戦いは半刻続いた。
果たしてそれは一対一の戦いとしては長いのか、神々の争いを思わせる戦いとしては短いのか。
立っていたのは歌炎の戦姫であった。
歌炎の戦姫の長く美しい赤い髪は短く千切れており、血と煤により赤黒くなっている。
左手と右腿に突き刺さった矢による出血は焼くことで収まっているが、頭から流れる血は心拍の動きに合わせてまだ続いている。
呼吸も絶え絶えであるが歌炎の戦姫は立っていた。
鉄弓の狩人は歌炎の戦姫の目の前で地面に仰向けに倒れている。
赤い光を発するほどに熱された胸鎧が鉄弓の狩人の肉を焼いている。
本来男を守るための鉄の胸当てが、今ではただの拷問器具だ。
戦いは広大な草原を荒地へと変え果てた。
勝者である歌炎の戦姫は、せき込みながら荒野を足を引き釣りながら進み、倒れ伏した鉄弓の狩人の顔を覗き込む。
顔を覆っていたマスクは既に燃え尽きているが、鉄弓の狩人の顔は形のみを残す炭と化しており表情は見えない。
自分を追い詰めた鉄弓の狩人の顔をせめて記憶してやろうと思っての行動であろうが、この有様ではそれは叶いそうにない。
顔を記憶することを諦めた歌炎の戦姫は、なんとか息を整えて歌を歌う。
息も絶え絶えにもかかわらずその歌は恐ろしく美しい。
歌は未だ精霊を満足させるに足るもので炎が生まれ、鉄弓の狩人を包み込んだ。
念には念を、相手は英雄だ。
常人では死は免れない火傷だが、この鉄弓の狩人は常人ではない。
事実、鉄弓の狩人はこの時までは生きていた。
起き上がって剣を歌炎の戦姫に向けて神速で突き立てる事をこころみる事さえ出来た。
ただ、鉄弓の狩人に既に反撃の意思はなかった。
鉄弓の狩人は歌炎の戦姫の元恋人であった。
国境付近の山奥の田舎の狩人として生活していた彼が、龍との戦いに敗走し倒れる彼女を助けたのがきっかけである。
敵国の姫である彼女は素性を隠し、育ちの良さに勘づきながらも何も言わず彼は彼女が回復するまで献身的に支えた。
重傷を負っていた彼女が回復するまでは時間がかかり、その時間は恋に落ちるには十分すぎた。
傷が癒え、国に戻った姫は度々城を抜け出し、狩人の元へ向かい逢瀬を重ねた。
姫である彼女は政治的価値を持つその体を捧げることは出来なかったが、二人は幸せであった。
その逢瀬は戦争が始まるまで続いた。
鉄弓の狩人は自分の生まれ育った村を戦火に包ませるわけにはいかないと従軍した。
歌炎の戦姫は自国の民草の命を散らせるわけにはいかないと前線に立った。
彼が鉄弓の狩人と呼ばれるように頭角を現すまで時間はかからず、彼女が歌炎の戦姫だと気付くまでもまた時間はかからなかった。
鉄弓の狩人は戦場では顔を隠し、歌炎の戦姫に素性がバレないよう動いた。
一言でも言葉を交わすと、再び情が沸くと考えていたからだ。
だが相対した今、生き残れるのはただ一人のみ。
鉄弓の狩人は悪あがきするぐらいであれば自分の命は諦め、国を捨て、歌炎の戦姫の命を選んだ。
歌炎の戦姫は鉄弓の狩人の体を無情に焼く。
英雄の戦いは終結した。
だがこの戦いは。戦争は。茶番となった。
この英雄同士の戦いによって戦勝国が決まるはずであったが勝者は生まれなかった。
鉄弓の狩人の放った矢により、数里先でこの戦いを見届けようとした両国の王は息絶えていた。
魔法の国の王だけではなく、鉄の国の王もである。
歌炎の戦姫の勝利で終わったこの戦いであるが、もはや両国に戦いを続ける力も理由も残されていなかった。
戦う意味などとうにない。
この戦いは茶番だったのだ。
* * *
鉄弓の狩人と呼ばれていた英雄、クロは目覚めた。
(俺は……生きてる?)
クロが目覚めたのは異様なまでに心地の良いベッドの上だ。
あまりの肌触りのよさとどこまでも沈みこむ柔らかな感触に、ここは天国か? と疑うほどだった。
(俺は彼女との一騎打ちをして……負けたはずだ)
クロの記憶の最後は着ていた防具などまるで意味をなさないほどの炎に全身を焼かれたというところまで。
彼女の炎をまともに受けた人間が生きていられるはずがない。
顔を動かして部屋を見回してみる。
(なんか……豪華そうな……)
育ちの悪さゆえの語彙の少ない感想だが、それは的を射ていた。
部屋は白を基調とした統一感のある調度品がおかれており、一つ一つが実際に高級品だ。
おいてある絵や壺一つとってもクロの家が何件か買えてしまうほどの金額である。
さらには壁と天井が果てしなく遠く感じるほど広く、その広さはクロの家の庭を含めた面積より広い。
「……ぁ……」
周りを見回すクロの視線が左のほうに寄った時、喉がひどく痛んだため声がでなかったが、驚きで小さなうめき声のような出た。
ベッドのそばに口に手を当て、目を見開いて驚く赤いドレスを着た女がいる事に気付いたのだ。
「あぁ……やっと……」
女が感極まったように声を上げる。
クロは彼女をよく知っていた。
彼女はアン。
本来の名前はアンリエット、そのあとにやけに長い名前が続くが、覚えられないクロは彼女をアンと呼んでいた。
アンはクロの元恋人で歌炎の戦姫と呼ばれる魔法の国のお姫様だ。
「よかった……生きてた……会いたかった……」
アンの目から涙がこぼれた。
クロの胸にアンは縋り付く。
「クロ……」
クロは目覚めてまだ本調子じゃないのか、再び意識が朦朧とし始めた。
それでも薄れ行く意識の中でクロの名前を呼んで胸に縋り付くアンを慰めようと手を伸ばそうとする。
(ん?)
クロの腕が涙を流すアンの頭に触れようと動いたが空を切った。
不思議に思いながら代わりに声を出そうとするが、喉が酷く痛んでとても声は出せそうにない。
俺は彼女を慰めることができないのを悔しく思いながら再び眠りについた。
クロが目を覚ましてから一週間。
クロはアンの介助がなければなにもできない生活を送っていた。
「はい、あ~ん」
クロはアンが口元に運んできた信じられないほど柔らかいパンを咥えて租借する。
クロは目覚めたばかりの時は租借する力がなく、流動食しか口にすることが出来なかったが、今はある程度体力が戻り固形物も食べられるようになった。
「ふふ……美味いか?」
アンはクロが食事をする様子を気の強そうな眦を緩めて眺めている。
戦場では勇猛果敢。
単騎で戦場を渡り歩き、兵を率いる時も威風堂々とした勇ましさを持つ彼女であるが、今だけは年相応の乙女になっているのであろう。
アンは魔法の国の王の娘、王女である。
そんな立場の彼女がこの一週間身動きのできないクロの傍を片時も離れず、使用人を使わずに甲斐甲斐しく世話を焼いていた。
食事はすべてクロの口に運び、排泄でベッドを汚しても嫌な顔一つせずシーツを交換し、入浴できない汚れた体を嬉しそうに拭く。
「体、拭くぞ」
そして今日もアンがクロの体を拭くためにシーツをめくった。
ひんやりとした空気にさらされたクロの体には肘と膝から先、つまり手足が存在していなかった。
四肢欠損物(男側)