アンの兄、王位継承権第一位のレオナルドは報告を受け驚愕した。
「馬鹿な……アンリエットが白龍を倒しただと?」
レオナルドは国を荒らしているのが白龍ミラだという事はわかっていた。
それをあえて正体不明の魔物と証してアンを討伐に行かせたのは、白龍によりアンが倒されるのを狙っての事。
白龍は過去にアンや討伐隊の命を見逃しており、アンと戦わせてもまた見逃される可能性があったが、どういうわけか白龍が国内で虐殺の限りを尽くしている今であれば殺し合いになると踏んでいた。
一応アンが白龍に勝利する事も想定し、騎士達の中に戦いでアンが弱った所を暗殺する者を紛れ込ませていたが、戦いの余波で死亡してしまったらしい。
「アンリエットはそこまで力をつけたか……」
なぜここまでアンに対して強硬手段に出たかというと、力を持ったとある貴族がアンの支持を表明し、レオナルド陣営の旗色が悪くなったためだ。
そこに加えて今回の白龍討伐、アンの王位継承の最後の一押しとなることは間違いない。
「馬鹿な事をしてくれた……」
白龍討伐の任務は他言せぬよう騎士達には口止めをしていたが、既にアンリエット派にも漏れてしまっているらしい。
これはレオナルド以上にアンが支持を高めている証と言えた。
これから起こる未来に頭を悩ませながらレオナルドは魔導具の研究に戻ることにした。
魔法の国の王族は歴史上ほとんどが優れた魔法使いである。
レオナルドも例に漏れず強力な魔法使いであり、その力は魔導王と呼ばれた先代の王をも上回ると言われている。
アンという例外さえいなければ魔法の国の歴史に名を残す稀代の魔法使いとなっていたはずである。
そんな優秀な魔法使いであり、研究者でもあるレオナルドによるクロの手足を用いた魔道具の作成は難航していた。
クロが先代の王を数里先から射抜いた矢はそれほど特殊なものではない。
使われていた弓は鍛え抜かれた弓の名手であっても引くことのできない強弓であったが、ただ強い弓というだけではあの飛距離と貫通力は説明できない。
明らかにクロ本人による魔法の行使があったはずだ。
数里先の獲物を射抜く力を自在に扱うことができれば、戦場の戦略の常識を大きく塗り替えることになる。
騎士の鎧は意味をなさなくなり、騎馬兵の機動力も音速を超える矢の前には無力と化す。
「やはり体がいるか……」
レオナルドには力が必要だった。
「クロ、私はまたしばらく出かけてくる」
アンの元に再び魔獣討伐の依頼が来た。
アンは本来であれば目立たずに隠居生活を送りたいのだが、アンに来る魔獣討伐依頼の相手は全て強力な魔獣である。
放っておけば多くの被害が出ることは確実であり、白龍に民を虐殺されたばかりで胸を痛めていたアンに断ることは出来なかった。
「シズネ、留守を頼んだぞ」
アンを迎えに来たのはアンリエット派の騎士である。
彼らは当然アンの味方であるのだが、そもそも彼らがアンを王にしようとさえしなければ、レオナルドがアンを害そうとすることはなかった。
アンリエット派の中に王でも無視することができない有力な貴族が何人も現れ、国民を先導し始めたがためにレオナルドの地位を脅かすことになってしまった。
アンの意思を無視する存在を味方と言っていいのだろうか。
味方であるが故にアンの平穏を脅かす存在。
それがアンリエット派であった。
「いってらっしゃいませ」
アンの見送りを終えたシズネは駆け足でクロの部屋に向かった。
部屋の前で少し荒くなった呼吸を整えてから部屋に入るとクロは欠伸しながら背伸びをしており、シズネはその姿を見て心臓がドクリと高鳴って体温があがった。
腕を上げる事で引き伸ばされた胸筋、深くなった鎖骨、広がった広背筋、初めてをささげた男の体はどこをとってもシズネの目に毒であった。
クロの姿にシズネは生唾を飲み込むが、クロは朝にアンとセックスしたばかりで食事もとっていない。
いつもならクロとアンは同時に食事をとるし、体を拭いたりも一緒にするのだが、今日は予定が詰まっていたためクロは後回しとなっていた。
そのためシズネは自分のスケベ心を抑え、まずはクロの汚れた体を清めることにした。
「お風呂に行きましょうか」
シズネがベッドの傍で背中を向けて屈むと、クロが短い手足を使って四つん這いで歩いてシズネの背中にのしかかった。
シズネはクロを体を受け止め、腕をクロの足に回しておんぶして立ち上がる。
クロの体は手足がないため普通よりは軽くなっているが、筋肉があるため女性が持ち上げるには少々重い。
いつもは体を拭くか、アンと二人がかりでお風呂場まで運ぶのだが、今日は一人しかいないためシズネが一人で運ばなければならない。
一歩一歩踏み出すたびに足に乳酸が溜まり、汗が噴き出すがシズネはクロを決して落とすまいと一歩一歩足に力を込めて歩いていく。
そんな状態のためシズネに扉を開ける余裕はなく、風呂場までの扉はあらかじめ開けたままにしてある。
「はぁ……はぁ……それ……ではお体を……お清……めします……ね……」
バスタブに到着した時にはシズネの息も絶え絶えになっていた。
その様子にクロは申し訳ない気持ちになるが、シズネは何事もないかのようにシャワーからお湯を出してクロの体を洗い始めた。
クロが屋敷に来たばかりの頃は手足の傷が痛むため風呂ではなく体を拭くだけで済ませていたが、短くなった手足で四つん這いに歩けるくらいに回復したため風呂をつかうようになっていた。
体を洗い終えたシズネは再びクロをおんぶしてベッドまで運んでいく。
部屋に戻る途中、シズネは噴き出す自分の汗を自覚して汗臭かったらどうしようと一瞬思うが、背中に当たる堅い感触にこれはこれでクロが喜んでくれていると確信して部屋まで運びきった。
「朝食を用意しますね。食べたいものはありますか?」
シズネは背中に付着した我慢汁の存在にセックスへの欲求が高まるが次は食事だ。
頬と耳は赤くなっているがいつも通りの表情を保ちながらシズネは朝食のメニューを思い浮かべる。
「ハム、ベーコン、スクランブルエッグ、焼き魚、コーンスープ……」
シズネが食べ物の名前を順番に口にしていくと、クロはベーコンとスクランブルエッグの時に腕を上げた。
完全にクロの食べたいものを聞くことが出来るわけではないが、こうやって出来るだけクロの食べたいものをくみ取る様にしていた。
「承知いたしました。ベーコンとスクランブルエッグですね。作ってまいりますので少々お待ちください」
食事を作り終え部屋に運んだシズネは、それぞれ食べやすい大きさに切り分けてからクロの口に運ぶ。
「おいしいですか?」
クロが頷く。
「そうですか」
クロが頷くとシズネの胸にまた喜びの感情が湧いてくる。
「嬉しいです」
シズネは素直にその感情を口に出した。
「ご奉仕は必要ですか?」
それは体を清め、腹を満たした上での満を持しての申し出だった。
クロが性欲をたぎらせているのはシズネの背中のパリパリになったエプロンドレスが物語っている。
シズネはアンとは違いクロが勃起しなくなるまで精液を搾り取った経験から、クロが自分を求めてくれるという淡い期待を抱いていた。
だがシズネの期待とは裏腹にクロは首を横に振った。
「……承知いたしました。必要となればいつでもお呼びください」
シズネは断られるかもしれないという予想もしていたのだが、それでも拒否されたことにショックを受けた。
そのためいつも感情を表に出さずプロフェッショナルに徹するシズネが、了承の意思を口に出すのに少し時間を要してしまう。
だがシズネはがっかりした気持ちを抑えて頭を下げて部屋を後にした。
シズネは我慢できる女だった。
仕事を一通り終えたシズネが一冊の本を手にしクロの部屋を訪れた。
「今日はこんな本はいかがでしょうか? 今国で流行ってる恋愛小説です」
クロの部屋に訪れたのはクロに本を読み聞かせるためだ。
これはクロへの娯楽を増やそうとして少し前に始めた習慣だった。
部屋の中に閉じ込められ、自由に動けないクロの退屈を紛らわすためには本は最適な娯楽だ。
手足がないクロでも本をめくるぐらいのことは出来るのだが、田舎育ちのクロは字が読めないため読み聞かせという形をとることになった。
勿論読み聞かせるのはシズネの官能小説コレクションではなく一般小説である。
クロの性欲を煽るために官能小説を読み聞かせようかと葛藤したが、シズネにも官能小説を読んでいる事を知られたくない乙女心が残っていた。
最初は本を読むという文化のないクロにとって小説の面白さはわからなかった。
だが本を読むシズネの声は普段とは違う感情の籠ったもので、学のないクロにも小説の世界の情景を連想させるほど熱がこもっていた。
シズネの音読スキルの高さもあり、この本を読むという時間がクロの楽しみとなるのにそれほど時間はかからなかった。
そんなアンがいない間も穏やかな時間が過ぎていく。
アンがいなくなって三日目、クロが久々に射精しない日を過ごす事で酷い朝勃ちに襲われている一方、屋敷に武装した集団が屋敷を迫っていた。
屋敷の庭を覆いつくし、それどころか屋敷に続く道に列をなすほどの人数で押し寄せており、その全ての人に全身を重厚なフルプレートアーマーが装備されている。
所属するもの全員に支給された魔法の強化が施された鎧、鎧に刻まれたで剣で形作られた赤い六芒星、彼らは魔法の国で最も強く誇り高い精鋭部隊、魔導騎士団である。
彼らはクロにより半壊の憂き目にあったのだが、それまでは負けを知らず国の誇りとまで言われていた騎士団だ。
シズネはそんな魔導騎士団とただ一人相対していた。
「王の命令だ。鉄弓の狩人の身柄を渡せ」
アンの留守を狙って魔導騎士団の全兵力を集めて屋敷に現れたのはクロを奪うためであった。
尋常ではない数に迫られながら下された要求にシズネはいつも通り毅然として言葉を返す。
「彼の身柄はアンリエット様に一任されているはずです。王の命令とはいえアンリエット様の許可無くクロ様を渡すことは出来ません」
それに対し魔導騎士団の騎士団長が代表し、説得を試みる。
「あまりご婦人に強引なことはしたくない。そこをどいてもらえないだろうか?」
「できません。お引き取りを」
魔導騎士団の団長は戦争でクロに殺されており、彼は副団長から繰り上がりで団長となった男である。
シズネに対する気づかいは騎士の誇りからくる本心であったが、同時にクロに対しては憎しみを燃え上がらせていた。
命令があり私情もあるため彼らが何もせず帰るという選択肢は存在しなかった。
「王名である。拒否権はない」
両者の間に何度か似たやり取りが続き、やがて騎士団長はため息を吐くと魔導騎士団の団長は語気を強めた。
シズネはメイドであるがそこら辺の男であれば一人で制圧できる程度に戦闘訓練も積んでいる。
だがシズネの目の前にいるのは精鋭中の精鋭である。
女というハンデ、装備の差、数の差、根本的な戦闘力、シズネは彼らを止めるにはあまりにも非力な存在であった。
「……では少々手荒になりますがご容赦を」
屋敷の前からどこうとしないシズネを無視して押しのけようと歩み寄った。
シズネが拒否したところで全身を鎧で覆われた彼らを止める事は不可能だ。
騎士団長は立ちふさがるシズネを押しのけようと肩に手を伸ばした瞬間、バチっという音と共にその手が弾かれた。
さらには屋敷の窓という窓全てに鉄の壁が下りていく。
「それ以上近づけば雷があなたの体を焼くでしょう。お引き取りを」
この屋敷は魔法の国のお姫様が使う別荘である。
当然魔法具を用いたあらゆる侵入者対策がされている。
騎士の手を弾いたのは雷撃トラップ。
魔力で作られた不可視の壁に触れた者を雷の魔法が襲うというものだ。
「この他にも屋敷には様々な防衛措置が取られています。もしこの先に進もうとするのであれば命はないと思ってください」
そういうとシズネは深々と礼をした。
「それではごきげんよう」
シズネはゆったりとした動作で扉を開け、屋敷へと戻っていった。
「なるほどな……」
残された騎士団長は直ぐに指示を出し始めた。
彼ら魔導騎士団はアンを除けばこの国の最高戦力である。
彼らは対人のエキスパート、暗殺のような絡め手も含めて戦いに関するあらゆる状況を想定して日々訓練を積んでいる。
その訓練には城攻めも含まれていた。
「総員この屋敷は城だと思え、攻城戦だ」
(まずいまずいまずい!)
シズネは優雅な所作で扉を閉めたあと、直ぐに走り出した。
シズネは魔導部隊がこの屋敷の守りを破ってしまう事を理解していたのだ。
外壁には巨人でさえ破壊することのできない最高クラスの魔法と石材が使用されているが、その石材を開発したのは魔法の国であり、彼らは魔法の国の最高戦力である。
王族に仕える者の教養として魔導騎士団の事も知っているシズネは、彼らがこの屋敷の壁を壊せないとは思えなかった。
(どれくらい持つ? アンリエット様に連絡……クロ様を連れて逃げなくては……)
シズネがまず向かったのはアンの部屋だった。
そこには鳥かごと燃える羽を持った一匹の鳥。
「アンリエット様の所へ」
シズネの言葉に燃える羽の鳥は鳥かごがないかのように檻すり抜けて飛び出し、さらには壁をもすり抜けて羽ばたいていった。
次に向かうのはクロの部屋だ。
「クロ様! レオナルド様が刺客を送り込んできました! 逃げます!」
突然扉が勢いよく開かれたことで目を丸くしていたクロだが、すぐに状況を飲み込んだのか表情を変え頷いた。
シズネはクロをおぶって部屋を出る。
目的地は一階の物置部屋、少しでも景色を楽しんでもらおうと二階に用意したクロの部屋からはやや距離があった。
一歩進むごとにシズネの足に乳酸が溜まっていく。
シズネが戦闘訓練を受けていたのは何年も前の話だ。
アンの傍仕えになってからは普段の仕事以外の運動はしていなかったため、いまでは身体能力は女としてはやや強い程度にでしかない。
息を切らせながらもなんとか物置部屋にたどり着いたシズネは端に置かれた木箱を体で押してずらす。
すると木箱の下に石作りの隠し階段があらわれる。
「これはアンリエット様が作った隠し階段です。この屋敷の建築に携わった者でもここの存在は知りません」
それはアンの岩を溶岩にし操る魔法により掘り固められた隠し通路であった。
シズネがクロをおぶりながら階段を降りると、真っ暗な通路にたどり着いた。
通路の床は恐ろしく平らに作られており、先は暗闇で見えない。
松明も何も置かれておらず、あるのは小さな荷車のみ。
シズネはその荷車にクロを乗せると階段入口に戻り、木箱をずらして入り口を塞ぐと通路が暗闇に包まれた。
「光よ」
シズネが呪文を唱えると光の玉が現れ、真っ暗になった通路を照らすとシズネはクロを乗せた荷車を引き始めた。
その時、遠くから金属がひしゃげる鈍く甲高い音が響き渡る。
魔導騎士団が屋敷の扉なり壁なりを破壊したのだろう。
「急ぎます」
壁を破られた後も様々なトラップが仕掛けられているが、この通路が見つかるのは時間の問題だろう。
クロの体重を直接支えなくてよくなったこともあり、荷車を押すシズネの足が早まった。
湿度の高い通路を走ることでシズネは汗を止まることなく流れ、息を切らせる。
ガラガラと荷車の車輪が転がる音が反響し、何度もシズネの耳を叩く。
通路はかなり長く作られており、反響する音がシズネの時間間隔を永遠のように感じさせる。
命の危険、肉体的疲労、暗く湿度の高い閉鎖空間、全てがシズネに多大なストレスを与え、普段以上に体力を消耗させていった。
どれほど時間がかかっただろうか。
シズネの前に再び階段が現れた。
シズネは息も絶え絶えになりながら階段を上り、出口をふさいでいた板を持ち上げる。
出口から頭を突き出し様子を伺うが家具も何もない部屋の中に異常は見当たらない。
隠し通路がつなげられたここは王都とは森を挟んで反対側の村にある空き家である。
シズネは扉を開けて外の様子も確認、いつも通り働く村人の姿が見えるだけで異常はないと判断して外に出る。
空き家であるが隣接された馬小屋には馬が二頭飼育されている。
この馬はアンが村人に給金を払い世話を頼んでいた馬である。
シズネは馬を出して馬小屋の中に置かれていた馬車に繋ぐと、再びクロを背負い馬車に乗せた。
「これはシズネ様、お出かけで?」
シズネの姿に気が付いた村人たちが話しかけてくるがシズネに構う余裕はなく黙殺して馬車を走らせる。
いきなり勢いよく馬車を走り出した所為で挨拶に寄ってきた村人が轢かれそうになり尻もちをつくが、シズネは内心謝る事しかできない。
「待て!」
「もう来ましたか……」
声が聞こえ後ろを見るとシズネ達が出てきた民家から魔導騎士団の騎士が出てくるのが見えた。
隠し通路を見つける早さといい、足の速さといい、やはり彼らは優秀なのだろう。
だが馬車は既に走り出している。
いくら優秀な騎士とはいえ馬に追いつくことは出来ない。
それを騎士も理解しているのか追いかけてくる様子はなかった。
長い間放置していた下記一般小説も再開しました
男が英雄でなければならない世界 〜男女比1:20の世界に来たけど簡単にはちやほやしてくれません〜
https://syosetu.org/novel/255624/