シズネ達は馬車で村から村へ移動し、疲弊した馬を各地で用意していた馬に交換しながら走り続けた。
自分の足で走っているわけではないが、ほぼ休憩なしで昼夜問わず馬を走らせ続けているため、シズネに疲労が蓄積していく。
夜道を馬車を走らせ続けるのは危険だ。
アスファルトなどで舗装されていない道は、どこを通っても馬車が確実に通れる保証は何もなく、大きな穴が開いていることも珍しくない。
もし馬車の車輪が穴にはまって動けなくなってしまえば、普通の女の腕力しかないシズネではクロを運ぶ速度に大きく制限がかかってしまう。
そんなリスクを抱えながらシズネが月明りとランタンを頼りに夜も進み続けるのは、魔導騎士団が追ってくると確信していたからだ。
(アン様が留守だったのは偶然じゃないはず……クロ様を狙うのは人質? 研究のため? どちらにしろこれはアンリエット様への宣戦布告……レオナルド様がアンリエット様に対する切り札になりえるクロ様を諦めるはずがない)
クロを狙うという明確な敵対行動を取ってきた以上、争いを避けてきたアンでもレオナルドを許すことは無いだろう。
アンを倒せる人間がこの国にいない以上、レオナルドがクロを人質にすることでアンに対して優位に立とうとしているとシズネは考えていた。
そして疲労と寝不足で重くなる瞼を必死に持ち上げながら三回目の月が見えた時、街道を外れ森の中に隠して建てられた小さな小屋の前でシズネは馬車を止めた。
(やっと着きました……)
シズネは馬を馬車から外して小屋の外の木につなぎ、クロのいる馬車の扉へと向かう。
「んぅ~っ……うっ!」
シズネは歩きながら硬くなった体をほぐすために背伸びをすると、トイレと馬を交換する時以外はずっと馬車の振動を受け続けていたお尻に痛みが走った。
(痣になってないといいですが……)
シズネは自分のお尻をさすりながらクロのいる馬車の扉を開く。
「隠れ家に着きました。ここまで来れば一旦大丈夫でしょう」
クロは眠っていたのか閉じていた目をシズネの声に反応して目を開ける。
「碌にお食事の時間を取れず申し訳ありませんでした。まずは食事にしましょう」
シズネの言葉を聞いて胃が動き出したのかクロの腹の音が鳴る。
クロの食事の介助という日常の象徴とも言えるその音は、シズネにすこしばかりの安心感を覚えさせ、疲れた体に気力を湧き上がらせた。
食事内容は保存食として馬車に乗せていた硬い干し肉とカチカチのパンと水。
水だけは途中立ち寄った村の井戸で汲んだものだ。
カーテンを閉めた小屋の中でランタンに火を灯し、備え付けのベッドに座るクロの口に硬い干し肉とパンを水にひたしてから運ぶ。
主人の旦那となるクロより先に食事をとるわけにはいかないため、シズネの食事は後回しだ。
シズネの目の下には薄暗い小屋の中でも見えるほど濃い隈が浮かんでおり、クロの目から見てもシズネが疲れ切っているのは明らかだった。
クロはシズネと比べて疲労していない。
御者を務めていたシズネと違い、馬車の中で転がって寝ているだけな上、しばらく寝たきり生活が続いた今でも常人離れした体力をもっている。
そのためクロの心情としては先にシズネ自身が先に食事をして欲しいと思っていた。
だが声無しでそれを伝えようとして時間を喰うより、早く食べて自分の食事に移ってもらった方が恐らく早い。
そう考えたクロは硬い干し肉を人間離れした顎の力を発揮し齧り付いた。
「こんなものしかご用意できず申し訳ありません。どうかご容赦を」
クロに食べさせながらシズネはクロに謝罪した。
アンに捉えられてからの食事と比べると確かに質素な食事ではあるが、従軍経験もあるクロからすれば保存食は食べなれた物だ。
またクロは狩人をしていたため貴族以上に新鮮な肉を普段から食べていたが、まともに料理を覚える気の無い程度には食に無頓着であった。
そんなクロにとって硬い干し肉を食べることは苦ではないし、たとえとんでもなく不味いものを食べさせられても気分を害することはない。
むしろここまで頑張ってくれて先に食事の介助を優先するシズネに感謝しかないため、シズネの謝罪はクロを酷くいたたまれない気持ちにさせた。
そんな気まずい食事もあと少し、二口ほどの大きさとなったパンがクロの口ではなく、頬におしあてられた。
カチカチのパンを柔らかくするために水を浸しているため、クロの頬がべっとりと濡れる。
クロはシズネの方を見ると、シズネはパンを手に持ったまま目を閉じていた。
どうやら疲れが限界に来たらしい。
クロのベッドの傍の椅子に座ったままコクリコクリと頭が揺れるシズネを、クロは肘から先のない腕を伸ばして引き寄せる。
するとシズネは抵抗なくクロの上に覆いかぶさる形で倒れ込む。
クロはシズネの下から抜け出し、シズネをベッドに寝かせようとするが、 スゥスゥと寝息を立てるシズネの顔を見てそのまま寝かせることにした。
手足のない体でシズネの下から無理やり脱出しようとすれば起こしてしまいかねないからだ。
シズネはクロの胸に頭を預けると、クロの心臓の鼓動を子守唄にして眠りについた。
「おつかれさん」
「っ!」
頭を強く揺さぶられシズネは目覚めた。
シズネが目を開けるとそこには覗き込むようにシズネを見るクロの顔。
カーテンの外は既に明るくなっており、クロの顔が良く見える。
「っ! 申し訳ありませ……」
シズネは自分がクロの胸の上で寝てしまった事に気が付いて謝ろうとするが、口にクロの腕を押し当てられ言葉を遮られた。
クロの様子に困惑するシズネだが、寝起きでぼうっとする頭が現在の状況を思い出した瞬間覚醒する。
(もしかしてもう追手が?!)
シズネが言葉を発するのをやめた事を察したクロは、小屋の窓の方へ腕を向け、同時に顎をしゃくって指し示す。
シズネは馬車から持ち込んでいた護身用の剣を握ると、音を立てない様にゆっくり窓に近付いてカーテンの隙間から外を盗み見た。
(人……魔導騎士団ではない様ですがどう見ても……)
囲まれている。
鞘から抜かれた剣や斧、小汚い服や皮鎧。
あまり質が高くなさそうなその装備からして正規兵ではない。
人数は10人以上。
シズネ達が乗っていた馬車の中にも何人かいる。
明らかに盗賊の類だった。
シズネの背がぞくりと寒くなる。
外にいる男達は、ほぼ間違いなく戦闘力でいえば魔導騎士団より数段劣る相手だろう。
だが外にいるのが本当に盗賊であるとすれば、シズネ達にとって魔導騎士団よりはるかに危険度が高い。
統率の取れた魔導騎士団であれば命までは取られないだろうし、女であるシズネも酷い目にあわされる可能性は少ない。
だが盗賊の類であるのならばシズネは欲望を満たす道具とされ、クロは殺されるだろう。
シズネはそれなりに戦闘訓練を受けているとはいえ、多勢に無勢、荒事に慣れた男たち相手に大立ち回り出来るほどの戦闘力はない。
シズネ達からすれば魔導騎士団だろうが、盗賊だろうが勝てないことに代わりはなく、容赦のない盗賊の方が危険な相手と言えた。
小屋の扉がノックされる。
(どうしたら……)
次は野太い男の声も一緒に聞こえてきた。
「お~い誰かいないか?」
ガチャガチャとドアノブを回される。
外にはシズネ達が乗ってきた馬車、男は中に誰かがいる事を確信しているのだろう。
シズネは鞘から剣をゆっくりと抜いて返事をした。
「どなたでしょうか?」
魔導騎士団から逃げる時以上の緊張がシズネを襲う。
「ちょっと道に迷っちまってな。森の中で途方に暮れてたらこの小屋を見つけたんだ。すまんが一晩でいいから止めてくれないか?」
「大変申し訳ありません。人を泊めることは出来ません。お引き取りを」
人を小馬鹿にしたようなわざとらしい言い方だった。
本当に困っている様な感じは微塵もない。
また、シズネの耳に後ろに控えているだろう他の男達の歓声が届く。
女の声がして興奮しているようだ。
「ええっ! そういわずにさ! 頼むよ~こちとら三日三晩森を彷徨って死にそうなんだよ」
「この扉の正面方向へ向かえば街道に出ます」
「しょうがないな~」
扉に何か重いものがぶつかった。
同時に複数の下品な笑い声があがる。
「この小屋は魔法の国第一王女、アンリエット様の持ち物です! そして私はその傍付きです! 控えなさい不敬罪になりますよ!」
扉を破ろうとする男達にシズネは身分を明かすことで、割に合わない相手だと思わせようとするが、笑い声が上がるばかりでより扉を叩く音が強くなる。
逃亡経路の中継地点でしかないこの小屋に、屋敷のような防御用の魔法などかけられておらず、扉を破られるのは時間の問題だ。
シズネはせめて少しでも時間を稼ごうと、小屋の中の机を扉の前に立てかけようとする。
だが、後ろからガシャンという音と共にそれは意味のない行動だったことを悟った。
「お~上物じゃねぇか!」
シズネが後ろを振り返ると、そこにはガラスを割ってカーテンを捲って顔を覗かせる男がいた。
シズネは手に持った剣を構え、窓から小屋を覗く男へ斬りかかろうとする。
するとまたシズネの背後から大きな音が鳴り、扉からも男が入ってきたことを悟った。
破壊された扉から手入れされていない斧や剣を持った男たちがなだれ込んでくる。
シズネは剣を構えて再び叫んだ。
「私たちは魔法の国の王女、アンリエット様の従者です! もし私達に手を出せば国家反逆罪で国を挙げてあなた達を処刑台に送ることになります!」
「おーこわ」
まるで脅しが聞いた様子のない盗賊達の様子に、シズネは剣を握る手に力を込める。
(時間さえあればアンリエット様が来るはず……それまでなんとか時間稼ぎを……)
「こっちにも誰か隠れてるな。怖くないから出ておいで~」
盗賊の一人がクロのいたベッドに近寄る。
ベッドの上には人がシーツを被ったであろう膨らみがあり、盗賊はそのシーツをめくろうと手を延ばしていた。
「その方に触れるな!」
シズネが制止しようと叫ぶが盗賊は笑うだけで取り合わず、その手がシーツを握る。
シーツの中にもう一人女がいる事を想像しているのだろうか。下品な笑いを浮かべた盗賊は勿体ぶりながらシーツを捲りあげようとした。
その瞬間、シーツは突如飛び上がり盗賊に覆いかぶさった。
「痛ぇ!」
シーツは盗賊の体に纏わりつき、盗賊は痛みの声を上げる。
盗賊の首にシーツが喰い込み、白いシーツが赤く染まり始める。
「離れろ!」
シーツに絡みつかれた盗賊は、引きはがそうと手に持っていた剣を突き立てようとした。
だが剣が絡みつくシーツに当たる直前、盗賊の首から血が大きく吹きあがった。
「ベン!」
ベンと呼ばれた盗賊は首を抑えながら崩れ落ち、シーツの中から一人の男が転がり落ちた。
「なんだこいつ?!」
口を真っ赤に染め、両手両足のない短くなった四肢で獣のように四つん這いになるクロ。
仲間の喉笛を食いちぎった男のその異形の姿に盗賊達は後ずさった。
事態が飲み込めずクロに盗賊達の目が釘付けになっている間、先に我に返ったシズネは手に持った剣で、傍に立っていた剣を構えている盗賊の腕に向かって振り下ろした。
「うがああ!」
盗賊肘から先が切断され、剣を握ったままの左腕が床に落ちた。
それが戦いの合図となった。
シズネは剣をさらに隣にいた盗賊の腹に突き刺し、そのまま横に引き裂いた。
盗賊の腹から一気に血が噴き出してシズネのメイド服を赤く汚す。
シズネに向かって斧が振り下ろされる。
シズネは上体を反らして間一髪でそれを避け、床に斧をめり込ませた盗賊の首に剣を突き出した。
盗賊は身をよじりシズネの剣を避けると、斧から手を離して拳をシズネの腹に叩き込んだ。
シズネの肺から一気に空気が抜け、声にならないうめき声が漏れる。
シズネは手から剣を落としそうになるが、なんとか手に力を込めて再び盗賊に斬りかかろうとするが、剣を持ちあがる前にその顔面に拳が叩きこまれる。
「ぅぁ……ぁ……」
シズネの脳が揺れ鼻血が噴き出し、視界が回る。
ふら付くシズネに数人の盗賊達が群がり、床へと押し倒された。
クロは手足がないとは思えない跳躍力で盗賊の一人に飛び掛かった。
人間離れした強靭な肉体から生み出されるバネは、手足がないというハンデがあるにもかかわらず、首に到達する程の跳躍力を見せる。
盗賊の脳裏に先ほど仲間の頸動脈を食い破られた光景がよぎる。
盗賊は背筋を凍らせながら自分を守る様に腕を突き出すと、クロの開かれた口が手首に食い込み、バキバキと音を立てながら骨ごと食いちぎってしまう。
盗賊は痛みに叫び声をあげながらたたらを踏み、クロが床に着地する。
その着地したクロに別の盗賊が横から腹を蹴り上げた。
クロの腹に盗賊の足先が刺さるが、クロの分厚い腹筋は盗賊の足先を一切内臓へと通さず弾き返した。
クロは腹を蹴り上げてきた盗賊に飛び掛かり、脛を一瞬で食い破る。
盗賊は痛みと骨を失ったことでバランスを失い倒れ始める。その盗賊の倒れる先には次の盗賊に向かい飛び掛かろうと体を沈ませているクロの姿。
「死ねぇ!」
盗賊は倒れながらクロの背中に剣を突き立てた。
飛び掛かろうとしていたクロの体が剣により床に押さえつけられる。
クロの背中に刺さった剣は、切っ先部分までしか刺さっていない。
切れ味の鈍い粗雑な剣に加え、クロの強靭な筋肉が剣を内臓に到達するのを防いでいた。
だが致命傷には程遠いが、切っ先で押さえつけられたことでクロの動きが止まった。
小屋には盗賊達が続々と入ってきており、動きの泊まったクロの背中に順番に剣や斧をクロの背中に振り下ろされていった。
「クロ様!!」
一方、脳震盪から回復したシズネは盗賊に向かって叫んだ。
「お前ら! こんなことしてタダで済むと思うな!」
普段声を荒げる事のないシズネにできる精一杯の怒りを込められたその叫びを前に、盗賊達は笑うだけだ。
(いや……怖い……やだ……)
気丈に叫ぶシズネだがそれはただの虚勢であった。
(どうしようどうしようどうしよう!)
クロが殺され、これから自分の身に降りかかるであろう悪意がシズネの身を固くさせる。
「お前こそこれだけのことをしでかしてただで済むと思うなよ」
盗賊はシズネの胸の上にまたがり、腕に膝を乗せて抑え込む。
盗賊の目に浮かんでいるのは嗜虐の色。
仲間の犠牲の責任をシズネにとらせるつもりなのは明白であった。
仲間が死んでいるというのに、シズネの目の前でズボンが大きく膨れ上がっている。
これから自分に行われるであろう行為と、目の前の光景のおぞましさにシズネの背筋が凍る。
「っ! 離して!」
シズネは必死に足をばたつかせて抵抗しようとするが、盗賊の一人がシズネの腹を強く踏みつける。
「あがっ!」
胸にのしかかられ、腹を踏みつけられたシズネの肺から空気が抜ける。
痛みでうずくまろうとする体は抵抗する力を失い、足をいともたやすく左右に割り開かれてしまう。
足の間で幕を張っていたスカートに剣が突き刺さり、そのまま下に切り裂かれていく。
露になるレースの白い下着。
ただの村娘では履くことのできない装飾されたその下着は、目にした盗賊たちを沸き立たせた。
「ひっ!」
シズネの肌に鳥肌が立った。
痛みと羞恥でシズネの目から涙がこぼれる。
シズネは性欲旺盛な耳年増な少女であるが、だれかれ構わず股を開くビッチではない。
恋愛小説が大好きな恋に恋する少女であり、ずっと風呂にも入っていないであろう全身から悪臭を放つ男の目に体を晒すのは屈辱以外の何物でもない。
シズネは足を閉じて少しでも男達の目を遮ろうとするが、両足が掴まれグッと足を開かされる。
するとついにシズネの目の端に涙が浮かんだ。
「アンリエット様助けて!!」
自分の知る限り最も強く、頼りになるであろう主人に助けの声をあげた。
だがアンはまだ来ない。
シズネの心を絶望が襲う。
盗賊の手がシズネの下着に伸びる。
アンはまだ来ない。
「ぎゃあああ!」
だが盗賊の叫び声が小屋の中に鳴り響いた。
シズネを含め、小屋の中にいる者全員が叫び声をあげた盗賊の一人へと視線を向ける。
そこには床に這いつくばりながら、倒れた盗賊の足首を
あるはずのないクロの腕が一本、存在している。
クロの腕から生えているにしてはやや細く肌の色も違うため酷く違和感があるが、盗賊の足首を握る左腕の先には確かにクロがいる。
シズネの周りに集まっていた盗賊が、クロに殺到する。
クロは足首を掴んだ盗賊をまるで重さなどないかのように振り回した。
狭い小屋の中に大の大人が文字通り、振り回すことができるようなスペースは存在せず、盗賊の頭が壁やベッドにぶつかるがお構いなしにクロは振り回す。
木でできた壁やベッドは砕け、近寄ろうとした盗賊達はその勢いの前に足を止めざるを得ない。
「うぉっ?!」
やがて凄まじい力で盗賊の体が投げ飛ばされ、二人の盗賊を巻き込んで壁に叩きつけられた。
振り回されていた盗賊の頭は砕け散っており、クロに握られていた右足は膝から千切れている。
千切れた足はいまだクロの手の中である。
どうやらクロは盗賊の体を投げたのではなく、盗賊の足が衝撃に耐えきれず、千切れて吹っ飛んでしまったようだ。
クロに迂闊に近づけなくなった盗賊達を他所に、クロは手に持った盗賊の足を自分の膝から下のない足の断面にあわせた。
「……はぁ?」
盗賊の一人が目の前の光景の異常さに呆れたような声を上げる。
「化け物かよ……」
押し当てられた盗賊の足の断面に、クロの足から筋繊維と血管が伸びてみるみる一体化していく。
持ち主の体から離れ、二度と動かないはずの足首がクロの元で感覚を確かめるように動きだした。
クロは自分でそのような行動をしたにもかかわらず、目を見開いて驚いたような表情をした。
右足を手に入れたクロは、左手を突いて器用に立ち上がる。
盗賊達は目の前の光景に唖然としているのか、クロに気圧されているのか、その一連の様子を見ているしかない。
クロは体をかがめると左手を床につけ、右足を引いて片手片足のないクラウチングスタートの体勢を取った。
クロの左手が床板に穴をあけ、右足が床板を爆ぜさせる。
次の瞬間、シズネの上に圧し掛かったまま手を止めてクロの方を見ていた盗賊の体が、小屋の壁に叩きつけられていた。
壁に叩きつけられた盗賊の腹にはクロの左腕が突き刺さり、背中から背骨を握った手が飛び出して壁の中に埋まっている。
その姿を見て盗賊たちは後ずさりをする。
「ま……待ってくれ……」
クロは盗賊の腹から腕を引き抜き、片足ながらしっかりと地面に立って残りの盗賊の方へ向きなおる。
盗賊達は声を上げて外にいる仲間を呼び寄せようとするが、声を上げる前に目の前の男に殺される未来を幻視する。
クロから放たれる殺気で自分とは生物としての格が違う事を理解したのだ。
「悪かったって……お前らを襲ったお詫びに俺らのアジトに蓄えてる金をやるからさ……命だけは助けてくれ……」
「……」
命乞いを始めた盗賊の方にクロは片足で跳ねながら近づいていく。
圧倒的な戦力差を感じた盗賊達は、クロが跳ねるたびに扉の方へと後ずさりしていく。
逃げたい。だが背中は見せたくない。
そういう動物としての本能が盗賊達に後ずさりという選択をさせた。
それは正解である。
もし背を向けて走り出せば、真っ先にクロのターゲットになっていたからだ。
「これからは心を入れ替えてお前の子分になる! だから……」
ゆっくりではあったが、クロのいわゆるケンケンは後ずさりより速かった。
盗賊の一人に追いついたクロの掌が、盗賊の胸に添えられる。
盗賊は心臓を直接握られたかのような錯覚を覚え、歯がガチガチと鳴り命乞いの続きの言葉が出なくなる。
その様子を見たクロは口を開いて息を吸い込み、言葉を発した。
「嫌だね」
クロがそう言った瞬間、クロの手が盗賊の胸にめり込み、その体を床へと叩きつけた。
あまりの衝撃に床板が爆ぜ、肉と血が天井にまで飛び散った。
クロは死体となった盗賊の胸に埋まった手の平を引き抜くと、その死体の左足の方へと手を向ける。
「おい! 何があっ……た……」
小屋に入りきれず、外で待機していた盗賊達が音を聞いて小屋の中に入ってくるが、中の凄惨な状況を見て顔を青くする。
小屋の中は天井まで血で汚れており、その血は先ほどまで馬鹿話をしていた仲間たちの死体ものであることが一目でわかるほどの死体の損壊状況。
この光景を作ったであろう片手片足しかない男が、見覚えのある靴とズボンに包まれた足を自分の膝から先のない足に押し当てている。
千切れた足を自分の足に当てるという常軌を逸した行動をする男の足元には、自分たちのリーダーが床に埋まりながら生気のない目で天井を見つめている。
「ああああ!」
様子を見に小屋に入ってきた盗賊達は皆逃げ出した。
クロの両足で立つ姿を見た盗賊全員が、本能でここにいれば命はないと理解したのだ。
背を向けて逃げ出した盗賊達の様子に訳が分からないまでも警戒を強める外の盗賊達。
もしこの時、一斉に全員がバラバラに違う方向に逃げ出していれば生き残る者はいただろう。
だが盗賊たちは恐怖に駆られ一様に自分たちがやってきた街道の方へ走り出す。
逃げる者、抵抗する者、等しく足を得たクロによってすり潰されていく。
後日、一帯を恐怖に陥れていた盗賊団が壊滅したという報告がギルドにされることになる。
森に響き渡る叫び声が聞こえなくなると、シズネは恐る恐る壊れた扉から顔を出して外の様子を伺った。
すると全身を真っ赤に染めたクロが伸びをしながら戻ってくるのが見えた。
「あぁ~ひっさびさに動いた」
シズネは初めて聞いた。
かすれているが、まぎれもなくクロから発せられた声を。
「クロ様……お声が……」
「まだ喉痛ぇけど……奴らを追いかけてるうちに出せるようになった」
危機は去ったというのにシズネの心臓が早鐘を打ち始めた。
「メイドさんごめんな。もうちょい早く助けられたらよかったんだけど」
「いえ……」
粗野だが力強く、優しさを感じる声がシズネの耳に溶けていく。
「クロ……様は……わっ……私を……」
胸を高鳴らせながらも緊張の糸が切れたせいか、シズネの声が震える。
「たっ……たすけ……て……くれっ……」
シズネの目に涙が溢れはじめ、カッと体が熱くなる。
シズネの頭の中に様々な感情が沸き起こり、わけがわからなくなったシズネは全身が返り血でびちゃびちゃになっているクロに抱き着いた。
抱き着かずにはいられなかった。
「うぁああああ!」
シズネは子供のように泣き出した。
クロは血で真っ赤な手でシズネに触れるわけにもいかず、手を挙げた状態で大人しく抱き着かれる。
「あーごめんごめん、もう大丈夫だから」
(暖かい! 私生きてる!)
普段あまり感情を表に出すことのないシズネの様子にクロは困惑しながらも、「そりゃそうなるか」 と受け入れる。
何日も頼れる人がいない中での逃避行、そして今回の盗賊による襲撃で犯される寸前まで追い詰められた。
その絶望がアンの傍付きとして教育されてきたシズネの感情をあふれさせた。
クロの胸に顔を埋めたシズネは泣き続け、クロはシズネを慰めようと声をかけ続けた。
「怖かったな。すまんすまん」
どれほどその時間が続いただろう。
決して短くはない時間が過ぎ、やがてシズネが落ち着いてきた頃、突然シズネの腕にズシリとクロの体重が伸し掛かり、シズネは支えきれずにそのままクロを押し倒す形で地面へと倒れ込んだ。
「あれ?」
「っ! 申し訳ありませんクロ様!」
クロはなぜそうなったのかわからないようで疑問の声を上げながら、後ろ手に地面に手をつこうとして失敗した。
シズネは自分が長時間抱き着いたせいでクロが疲労で倒れたのだと焦って謝罪する。
「あ……俺の手がない……」
クロが周りを見回すと、地面には先ほどまで自分のものになっていた手と足が地面に転がっている。
先ほどまでクロの手足のように繋がっていた盗賊の手足は腐り落ち、クロは再び手足を失っていた。