4年前、アンリエット14歳。
アンはスプリングのない硬い木で出来たベッドの上で目が覚めた。
「ここは……?」
アンが体を起こそうとすると背と腹に激痛が走り、力が抜けた。
震える手でかけられていた布団を持ち上げ、痛みの走った腹部を確かめるとそこには血の滲んだ包帯が巻かれていた。
肌寒い空気が布団の中に入り込み、体が震えたためアンは布団を被りなおす。
「そうか……私は負けたのか……」
包帯を見てアンは思い出した。
アンは国境近い森を住処とする白龍の討伐に挑み、敗北した。
アンが思い出せる戦いの最後はあのオオカミのような大きな口に嚙みつかれたところまで。
「生きてる……」
白龍はアンを殺そうと思えば簡単に殺せたはずだが、どういうわけかアンはとどめを刺されず生きている。
(見逃された? いや……そんなわけないか……)
アンは自分が生きている理由について見逃されたと考えるが、すぐにその考えを否定した。
アンに討伐が依頼されるのは冒険者でも手に負えない凶悪な魔獣が多い。
今まで彼女が倒してきた魔獣はその強大な力故に人をおやつ感覚で齧り、戯れで人を殺すようなものばかり。
少し顎に力を入れれば殺すことのできる人間を見逃すなど、アンからすれば考えられないことであった。
(誰かが助けてくれたのか?)
アンは白龍討伐には護衛の騎士と専属メイドのシズネを伴って挑んでいた。
伴ったといっても護衛とは名ばかりで、騎士達は戦いに巻き込まれないように離れさせていたし、シズネに至っては論外。
連れてきた者では白龍相手に自分を助けることは難しい。
そうなると見知らぬ誰かが助けてくれたのかという話だが、アンでも勝てない相手から自分を助け出すような人間がそうそういるとは思えない。
アンが自分の状況に答えを出せずにいると、扉が酷く軋む音を出しながら開いた。
「お、目ぇ覚ましたか」
「……誰?」
「俺はクロ。森の中で倒れてたあんたを見つけてここまで運んだんだ」
染みの付いた分厚い毛皮の服、その上からでも分かるほど鍛えられた体、茶色の髪と鋭い目、整った顔。
体つきだけみれば護衛の騎士達とそん色ないが、現れた男、クロはアンの知らない男だった。
「あんたは?」
「……」
「あ! おい!」
アンは体を起こし、その様子を見て焦ったようにクロが近づいた。
アンが急に体を起こしたため傷が開くのを心配しての行動であったが、アンがクロを制止するように手の平をクロに向けて突き出した。
アンは腹部と背中に走る痛みに顔をしかめるが、強い意志で体を支える。
声だけで魔法を生み出せるアンが手を向けたのは威嚇のためである。
「私は魔法使いだ。指一本動かす間にお前を消し炭にできる」
「えぇ……」
アンに止まれと言わんばかり突き出された手の平と、敵意の宿った表情を見てクロは困惑した。
「落ち着けって……言っただろ? 俺はお前を助けただけだ」
痛みで額に脂汗を浮かばせながら警戒を見せるアンに、クロはできるだけ安心させるように声をかける。
若い女性が見知らぬ男を警戒するのは理解できるためだ。
「ここはどこだ?」
「俺の家。あんたが倒れてたところから一時間くらいだ」
「私のほかにだれかいなかったか?」
「他に? いや……見てないけど……」
アンは状況を理解しようとクロに質問を重ねていくが、その顔色がどんどん悪くなっていく。
「じゃっ……じゃあ俺一旦外に出るから扉越しに話そう。それなら安心だろ?」
アンの体調がよくないのはクロの目から見ても明らかで、 警戒が解けないアンにクロは提案した。
物理的に触れられない状況になれば少しは安心できるかと思ったからだ。
その様子を見てアンは少しだけ警戒を緩めたが、まだ手は降ろさない。
アンは魔獣のほかにも山賊討伐の経験もある。
そのため女が捕らえられ、慰み者にされていたのを何度も見たことがあり、見知らぬ男を警戒しているのだった。
アンは完全にクロを悪党だと決めつけているわけではないが、安心するには判断材料が少ない。
「うぅ……」
「ああ言わんこっちゃない」
だがアンがクロを信用する材料を集める前に、痛みと貧血で意識が朦朧としてベッドに倒れ込んでしまった。
クロは傷が開いたのかと焦り、アンの包帯を確認するのだった。
数十分後、 アンは辛そうにベッドに寝転びながら頭を下げた。
「……申し訳ない……山賊かもって……」
「まあ……わかってくれればいいよ」
歳の近い可愛い女の子に山賊と思われたことに、16歳のクロは内心少し傷ついた。
自分が歳の割にガタイがいいことを自覚しているため、それも仕方がないとクロは飲み込む。
「動けるようになるまではいてくれていいから」
「……感謝する」
信頼できる人間がいない今、傷ついたアンが助かるには目の前のクロという男の看病を受けるしかない。
「改めてだけど俺は狩人のクロだ」
「……アン」
「アンか、よろしく」
交わした会話は決して多くないが、クロの人の良さを感じ取ったアンはひとまずクロへの警戒を解くのだった。
その晩、痛みでアンは眠れずにいた。
「うぅ……」
白龍の顎に食いつかれたアンだが、幸い白龍の牙は内臓に到達していなかった。
奇跡的に背骨も牙と牙の間をすりぬけたようで無事である。
それでも白龍のいくつもの規則正しく並んだ牙で開けられた穴はジクジクと痛い。
アンは簡単な治癒魔法なら使えるが、傷に残された白龍の濃い魔力の残照が一切の魔法を受け付けなくしていた。
そのためアンは終わらぬ痛みに耐えるしかなく、ついにはうめき声を我慢できなくなっていた。
そんな苦痛に耐えるアンの耳にコンコンと扉をたたく音が聞こえる。
「入っていいか?」
扉の外からかけられた声に対して、アンは痛みで頭が朦朧としているため返事ができない。
「入るぞ」
夜で返事がないにも関わらずクロは部屋に入ってきた。
クロの手には緑色の粉が乗った木の皿を持っている。
「うなされてんな。痛むか?」
普通なら夜中に女性の寝室に入ってくる男を警戒する所だが、アンは痛みでそれどころではない。
アンは耐えるようにきつく閉じていた目をうっすら開け、クロに向かって小さく頷いた。
アンの傷口を洗い、殺菌効果のある薬草を染み込ませた布を当て包帯を巻いたのはクロである。
狩人であるクロは狩りの師匠である父から魔獣に噛まれた時の対処は習っているし、自分自身何度も噛みつかれた経験がある。
クロは自身の経験からアンが痛みに眠れないことは予想できていた。
「これ飲め、痛み止めだ」
クロはアンの頭に手を差し込んで体を頭を起こさせ、痛み止めの粉末とそれを流し込む水を飲ませる。
この痛み止めも父から教わったいくつかの薬草をすり潰して作るもので、昼間にアンがある程度安静に過ごせたのはこの痛み止めの効果だった。
この痛み止めはよく効くのだが日持ちしない薬草が必要なため、クロの家にストックがほとんど無く、夜に痛み止めの効果が切れることを見越していたクロは薬草を取りに出かけていた。
なんとか暗くなる寸前に薬草を集め終え、暗くなった森の中から帰って痛み止めを完成させたのはついさっきの事であった。
「効果が出るまで少し時間がかかるからな。ちょっと辛抱しろ」
アンは冷や汗をかきながら力なく頷く。
「汗拭くぞ」
クロはベッドの脇に置かれた水の入った桶から布を取り出し、アンの顔に浮かんだ汗を拭く。
アンにお礼を言う余裕はなく、クロの言う痛み止めが効くまでじっと目をつむり耐えることにする。
「俺が子供の頃の話なんだけどよ」
すると何かを引きずる音が聞こえた後、クロが話を始めた。
アンが薄目を開けるとクロがベッドの傍に寄せた椅子に座っていた。
「かくれんぼをしたんだ。友達が鬼で俺は村長の家の裏にあるでっけぇ木の洞に隠れた」
それはしょうもない話だった。
「そうしたらさ、なんかくせぇんだ。そんで足どかして見るとそこには潰れたうんこ!」
王族のアンに聞かせるには下品な話。
「どうやら村長の犬がそこをトイレにしていたらしい」
治療のためアンのドレスアーマーを着替えさせたのはクロである。
クロはアンの装備からしてアンが何か偉い人で、ドレスアーマーに刻まれた紋章をからして隣の国の人間であることを察していた。
「でも俺は狩人の息子、そんなことで叫んだり隠れ場所を変えたりしない。俺はうんこと共にそのまま隠れ続けた」
それを分かっていながらこんな話をし始めたのは、クロが貴族と全く無縁の田舎者でいまいち貴族がどんな存在か知らないからである。
「みんな木の洞に犬のうんこがあることを知っていたんだろうな。だれも俺がそこにいるとは思わなかったらしく昼飯で呼ばれるまで隠れ続けた。そして俺は皆から尊敬を集めたのさ」
だがアンからすればそれが良かったのだろう。
自分が経験したのことのない他愛のない話はアンの興味を引いた。
「そうそう、その村長の犬と言えば友達の女の子の人形を咥えて離さなくなって俺が取り返すことになったんだけど……」
クロの小話は薬が効いてアンが眠るまで続けられた。
「よーアン。飯できたぞ」
「ああ、ありがとう」
「大分良くなってきたな」
アンの容態が体を起こせるくらいよくなると、クロは狩りに出かけるようになった。
アンのクロが自分のために蓄えていた食料を切り崩し、狩りに出かけていなかったことを知った。
「ただいまー」
「おかえり、クロ」
「今日はでっかいイノシシが獲れたんだけど、はぐれオーガが横取りしにきやがった」
「な……オーガだと……怪我は?!」
「いや、弓で耳を射抜いてやったら逃げてったわ」
アンとクロの口から「ただいま」と「おかえり」、そんな言葉が自然と出るようになった頃、アンはクロが多少の魔獣や魔物を問題しないほど優秀な狩人だと知った。
「私も料理というものをしてみたいのだが……」
「ん? 一緒にやってみるか?」
アンは立ち上がれるようになると、クロに教えてもらいながら生まれて初めて料理をした。
といっても男の一人暮らしであるクロが複雑な料理を知っているわけもなく、教えてもらったのは簡単なものだけだ。
飼っている鶏の卵を使った目玉焼き。
塩や香草を揉みこんだ肉を使った焼肉。
山菜と村でもらってきた野菜、そして干し肉ぶち込んで煮込んだだけのスープ。
スープを浸さないと食べれないほどカチカチのパンは、歩いて一時間ほどの距離にある村からクロがもらってきている。
王族であるアンが今まで食べてきたものからすればどれも不味いのだが、アンはいわゆる庶民の味にすぐに慣れてみせた。
動けるようになったアンはクロに教えてもらった料理をして帰りを待つようになり、さらには料理を工夫するようになっていった。
スープの煮込む時間や入れる材料、肉の切り方、香草の組み合わせ。
ちょくちょく失敗し、クロが作る男飯以上に不味い飯が出来上がる事もあったが、日に日にアンの料理の腕は上がっていく。
独学故に凝った料理は無理だが、少なくともアンがクロよりおいしいごはんが作れるようになるのに時間はかからなかった。
さらにアンの体が回復し、普通に動けるようになってからは掃除も始めた。
クロは全く掃除をしないわけではないが、やはり男のためいい加減だ。
ほこり一つない部屋で育ってきたアンからすれば、クロの家は汚部屋にしか見えない。
クロが使っていた箒と雑巾を手に持ちアンは掃除を開始する。
もちろんアンは掃除をするのも初めての経験だ。
ほんのたまに行われるクロの掃除と、城でメイド達が行っていた掃除を思い出しながら見様見真似で掃除をしていく。
綺麗な状態を知っているが故に、アンはクロよりはるかに家を綺麗に保って見せた。
「あー疲れた!」
「さっさと服を脱げ。まとめて洗濯してくるから」
そうなるとアンは洗濯にも手を出し始め、とうとうクロが家でやっていた事はほぼ全てアンが担うようになっていた。
アンは椅子に座りながら服を脱ぐクロの足元に膝をつき、クロの足からブーツを抜き取る。
「ふふっ」
アンは笑う。
クロが狩りに出て一人になると掃除をして料理をして洗濯をする。
自分のしている行動がクロの妻にしか見えないと思ったからだ。
狩りから帰ってきたクロは、汗と血と獣の臭いが混じった酷い臭いがするが、それも今は慣れて平気だ。
むしろ井戸で必ず行われる水浴びを終えたクロの体臭は安心感さえ覚えるくらいである。
自分が使わせてもらっているベッドはクロのもので、そのクロの布団で寝起きしていたのもあるのだろう。
雨が降るとクロの狩りは休みとなる。
そんな日はクロの家の外、張り出した屋根の下に置かれた木製のベンチに二人で腰かけ、雨を眺めて過ごす。
「……」
「……」
話題は尽き、無言の時間が流れるが二人はそれを苦に思わない。
アンの頭がクロの肩へことんと預けられる。
クロは何も言わず、アンのしたいようにさせる。
ただ降る雨を眺めるだけ。
アンははそれだけで幸せだった。
そんな日々が続き、アンの体が完全に回復した頃、クロがアンを村に連れて行くと言い出した。
「じゃあ謝りに行くぞ」
「え? 謝る?」
「アンの怪我は龍にやられたんだってな?」
「ああ……そうだ」
アンは今の居心地がいい関係を崩さないため、自分の身分をクロに明かしていなかったが、自分の怪我の原因は話していた。
人知を超えた力を持つ白い龍に戦いを挑み、どういうわけかとどめは刺されず森の中に捨て置かれていた。
そこをクロが見つけ、手当をしたという話をアンはしたのだが、アンはその時のクロの様子を思い出した。
(そういえばその話をしたときクロの顔が変な顔になってたような……)
アンがその話をした時、クロは苦虫をつぶしたような顔をしていた。
アンはクロがアンの話を信じていないか、なんでそんな上級の魔獣に戦いを挑んだんだという疑問を持たれたのかと思っていた。
「その龍が住んでるところ知ってるし友達だから謝りに行こう」
「謝るって……あの白龍にか?」
「ああ、ミラとは小さいころからの友達なんだ」
だがそれは違ったらしいことをアンは悟った。
とはいえクロの口から飛び出た龍が友達という言葉に理解が追い付かず、アンの頭の上にはてなマークが浮かぶ。
「ミラ……?」
「この辺に住んでるその白龍の名前だ」
「龍と……友達?」
「まあ会ってみればわかるよ。村に住んでるから一緒に行こう」
「え……村に?」
アンは混乱したままクロに連れられ、久々にクロの家から離れる。
クロの家は村から少し離れた森の傍にある。
困惑するアンを連れて1時間ほど歩いて到着した村の中、村の入口に近い民家の前でクロは足を止めた。
「ここがミラの家だ」
クロが立ち止まったのは何の変哲もない民家だった。
特に大きくもない田舎によくある小さな一階建ての木造の家だ。
扉も普通の人が通る扉で、どう見てもアンと戦った白龍が入るような大きさではない。
目的地に到着してますます困惑するアンだが、クロはノックもせずいきなりその家の扉を開けて中に入っていった。
「おーいミラ~いるか~?」
「あ、おい!」
アンは返事も待たぬまま家の中に入ったクロの後ろを遠慮がちに着いていく。
人の家に勝手に入ってはいけないことを、城を抜け出し城下町で遊びまわった経験から知っているのだ。
「いつも勝手に入ってくんなっていってるでしょうが!」
すると若い女の高い怒りの声が飛んできた。
「昔からだし今更だろ」
「もう僕結婚できる年齢のレディなんだけど? そろそろ気を使えよ?」
クロはその声に動じることなく家の中に入っていく。
アンはクロの背中でその声の主が見えなかったため、クロの背中から顔をだして声の主を確認する。
そこにいたのは異形の女だった。
クロとの会話から察するにその女が白龍ミラなのであろう。
ミラは
腰まである長い白い髪、雪のような白い肌、宝石のような透き通る蒼い瞳。
身長は150㎝ほどで、まだ少女と言って差し支えのない幼さを残した顔をしている。
ミラは全体的に白い人間離れをした色をしているが、形は人のものである。
ミラが異形と言えるのは手足と臀部から伸びる尻尾だ。
手の形こそ人と変わらないが、袖から伸びる腕から手の甲までかけて白い鱗に覆われている。
スカートから伸びる足も腕と同様、白い鱗に覆われているが、こちらは人の足の形はしておらず、鋭い爪の生えた爬虫類のような足で靴を履いていない。
臀部から伸びた尻尾は、ミラの細い体には不釣り合いなほど重たく太い蛇のような尻尾である。
爬虫類のような身体的特徴を持つミラは、異形であるが故の人間離れした神秘的な美しさを持つ少女だった。
アンはその神秘的な美しさを持つミラの姿に気圧され、思わず唾を飲み込んだ。
アンは自分の容姿が美しいことを知っているが、ミラの美しさは比べることすら畏れ多いと思わせる俗世離れしたものだと感じたのだ。
そんなアンの様子を知ってか知らずか、クロは手をアンの背に回すと前へ押し出した。
「ん? え? 誰?」
クロが前へ押し出したことでアンの存在にミラは気付いた。
突然現れた女を見てミラの白い眉の間にしわが寄る。
アンの顔に何か引っかかりを覚えるようで、ミラはマジマジとアンの顔を観察し始める。
「ミラに紹介するわ。この人は半年ほど前に……」
「あああああああ!」
ミラはクロの半年という言葉で思い出したようでアンを指さして大声を上げた。
「ちょっと! クロ! なんでそんな奴といるの!」
「あ……えっと……クロ……もしかしてこの方が?」
「ああ、こいつがミラ。アンの戦った白龍だよ」
ミラは歯むき出しにアンに敵意を向けた。
これがアンとミラの出会いである。
幼馴染白龍僕っ子