配信しか出来ないと追放された俺、迷惑系エロ配信者になってダンジョンで【通信】スキルで好き勝手する事にしました 作:九凪
御岬瀬里奈は、白い天井をただ見つめていた。
病院の無機質な白い天井は、彼女の心に広がる深い闇を、わずかにも照らすことはなかった。
あの奈落の底で経験した屈辱と恐怖は、夢にまで現れ、彼女を眠りから引きずり出す。身体に残された痛みよりも、心に刻まれた羞恥と絶望の方が、はるかに深く、彼女を蝕んでいた。
「御岬さん、そろそろリハビリの時間です」
看護師の事務的な声が、現実へと引き戻す。あれから数週間が経っていた。
彼女が意識を取り戻したのは、ダンジョンから救出されてすぐのことだったが、精神的なショックは深く、一時的には廃人のようになるかと思われた。遠山ミコトほどの重症ではないにしても、彼女もまた、奈落の淵で精神を深く傷つけられていた。
テレビやネットニュースは、連日この事件を報じていた。
『人気探索者・御岬瀬里奈、ダンジョン内で衝撃の被害!』
『「奈落のショータイム」と称された悪夢の配信、その全貌とは』
『探索者倫理を問う、黒井勇樹の暴挙』
彼女が受けた凌辱の光景は、ネット上で数十万人に生配信され、その後、切り抜き動画はもはや数百万、数千万の人間に見られていた。一度拡散されたデジタルタトゥーは、二度と消すことはできない。それは、彼女の人生に永遠に刻み込まれた烙印だった。
一緒に奈落に突き落とされた二人の男性探索者は、彼女よりも早く退院したが、世間のバッシングは凄まじく、結局引退に追い込まれたという。
彼らの行方は知れない。おそらく、彼女と同じか、それ以上の絶望を味わっているのだろう。
彼らは、彼女よりもはるかに多くの非難の対象となった。「情けない」「男のくせに」「助けられなかったのか」――そんな心無い言葉が、彼らを社会から葬り去ったのだ。
瀬里奈もまた、同様の言葉に晒された。
「自業自得だ」
「エロ配信者だったんだろ?」
「売名行為かな」
心無いコメントの嵐。
彼女は、もはや自分は社会から必要とされていない、生きる価値すらないのではないかとさえ思った。
食事も喉を通らず、ただひたすら眠り、悪夢にうなされる日々。
『有名人気取りが絶望する瞬間はいつ見てもたまらないw』
『やっとイレギュラーモンスター出て来てくれた、これで死ぬかな』
『推しが失敗して死ぬ瞬間のためにずっと応援してる』
『イレモンがんばえー!w』
『瀬里奈ちゃんのグロ死楽しみwww』
あの時の絶望、恐怖。そして配信画面から目に入った、わずかだが……確かにあった、自分の絶体絶命のピンチに盛り上がるコメント。
それが頭から消えてくれない。フラッシュバックする日々。
しかし、ある日、ふと彼女の脳裏に、忘れかけていた記憶が蘇った。
それは、まだ彼女が探索者になる前のことだ。
友達もいない、暗い日々を送っていた少女時代の瀬里奈。そんな彼女に、唯一の光を与えてくれたのが、ダンジョンのライブ配信だった。力強く魔物を倒す探索者たち、危険を顧みず視聴者を魅了する配信者たち。
彼らの姿は、彼女に「自分もあんな風になりたい」という憧れと、生きる勇気を与えてくれた。
「……また、頑張らないと……」
掠れた声が、病室に響いた。
このまま終わってたまるか。
あの頃の自分は、こんなところで諦める自分を、決して許さないだろう。
奈落に突き落とされたのは事実。屈辱を味わったのも事実。しかし、だからといって、そこで人生を終えるわけにはいかない。
そうだ。立ち上がれ。お前にはそれができる。
そして――来るんだ。
そんな声が心に響いた気がした。
無論、気のせいだ。
だがそれは、瀬里奈の心に――火をともした。
あの人のように。
私は――。
◇
退院後、瀬里奈は所属事務所の社長に呼び出された。
「御岬君、君の気持ちはよくわかる。だが、このままでは……」
社長は言葉を濁したが、引退勧告に近いものだった。しかし、瀬里奈は毅然とした態度で言った。
「社長、私は、また配信をしたいです。探索者として、配信者として。もう一度、ダンジョンに挑みたい」
社長は驚きに目を見開いた。
「正気か? 君がどんな目に遭わされたか、世間がどう見ているか、わかっているのか?」
「わかっています。だからこそ、立ち上がらなければならないんです。私を応援してくれた人たちのためにも、そして、あの時の自分を裏切らないためにも」
社長は、彼女の目に宿る強い光を見て、考えを変えた。
「わかった。だが、簡単なことではないぞ。バッシングは覚悟しろ。
……だが、君の心を守ることも、我々の仕事だ」
「……はい!」
事務所は、瀬里奈の復帰に向けて動き出した。
まずは、記者会見ではなく、彼女自身の言葉で、今の気持ちを伝える場を設けることになった。選ばれたのは、彼女がかつて活動していた配信プラットフォームでの、久々のライブ配信だった。
配信当日。瀬里奈は、震える手で配信開始ボタンを押した。コメント欄は、開始直後から荒れに荒れた。
『出てくんな』
『面の皮厚すぎだろww』
『まだやるのか、恥知らず』
『また脱ぐのか?』
『あのレイプ動画家宝にしてますwwww』
『応援してます、脱いでwwwww』
『よぉビッチwwww』
心無いコメントが、滝のように流れ続ける。胃が締め付けられるような感覚に襲われ、呼吸が苦しくなる。しかし、彼女は逃げなかった。
「皆さん、お久しぶりです。御岬瀬里奈です」
震える声で、しかし、しっかりとカメラを見つめて話し始めた。
「この度は、私の軽率な行動により、多くの皆様にご心配とご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」
頭を深く下げる。
「そして、奈落の淵で、大変不適切な形で私の姿が晒されてしまったことについても……」
言葉に詰まる。あの時の光景がフラッシュバックし、涙がこみ上げてくる。
「……本当に、申し訳ありませんでした」
一呼吸置き、彼女は続けた。
「正直、もう二度と、表舞台には立てないと思っていました。探索者も、配信も、全てを辞めて、ひっそりと生きていこうと……」
彼女の言葉は、嘘偽りのない本心だった。
「ですが、入院中、私は考えました。なぜ、私は探索者になったのか。なぜ、配信を始めたのか。
私は、かつて友達もいない、暗い女の子でした。
そんな私に、ダンジョン配信は光を与えてくれました。探索者たちの活躍を見て、私も誰かに勇気を与えられる存在になりたいと、そう思いました」
「あの悪夢のような出来事は、私の人生を壊しました。しかし、同時に、私を奮い立たせてもくれました」
瀬里奈は一息置き、そして顔を上げる。
その表情には強い意志が見えていた。
「私は、このまま終わりたくない。もう一度、探索者として、配信者として、立ち上がりたい。
心無い言葉もたくさんあるでしょう。それでも、私は……私は、もう一度、頑張りたいんです」
彼女がそこまで言い終えると、コメント欄の流れが、少しだけ変わった。
『……頑張れ』
『応援してる』
『瀬里奈、負けるな!』
『おかえり!』
罵倒の嵐の中に、わずかながら、しかし確かな応援のコメントが混ざり始めたのだ。それは、彼女の心の奥底に、温かい光を灯した。
「……ありがとうございます」
彼女の目から、大粒の涙が溢れ落ちた。それは、絶望の涙ではなく、再生への希望の涙だった。
――そうだ。それでいい。
お前はもう一度輝ける。
そんな声が、心のどこかに響いた。
◇
配信後、事務所には賛否両論の意見が殺到した。しかし、彼女の正直な言葉は、一部の視聴者の心を確かに掴んだ。
しかし、探索者仲間の中には、彼女から離れていく者も多かった。
「すまない、瀬里奈。俺たちも、君と一緒だと、白い目で見られるから……」
「ごめん、もう臨時でもパーティーは組めない」
冷たい言葉に、彼女は何度も心を傷つけられた。だが、そんな中で、本当に彼女を支えてくれた者たちもいた。
「瀬里奈、あんた、よく立ち上がったわね」
「私は、あんたの配信、また見たいよ」
かつて一緒にダンジョンを攻略した、数少ない友人たちが、彼女の元を訪れ、励ましの言葉をかけてくれた。彼らは、彼女が奈落で受けた屈辱を、同情ではなく、理解と共感をもって受け止めてくれた。
「ありがとう……本当に、ありがとう」
彼女は、その温かい言葉に、どれほど救われたかわからなかった。
所属事務所の先輩や上司たちも、彼女を支えた。特に、かつて彼女が憧れていた女性探索者の先輩は、個人的に彼女の相談に乗り、精神的なケアを続けた。
「瀬里奈、あんたは悪くない。悪いのは、あんたを利用した奴らだ。でも、そこで立ち止まったら、奴らの思う壺だよ」
「もう一度、あんたの輝く姿を見せてやりな。それが、何よりの復讐になる」
先輩の言葉は、瀬里奈の心に深く響いた。復讐という言葉は、彼女の心に、新たな炎を灯した。それは、黒井勇樹のような歪んだ復讐ではなく、自分自身の尊厳を取り戻すための、静かなる復讐の炎だった。
リハビリを続け、体力を回復させた瀬里奈は、再びダンジョンに足を踏み入れることを決意した。
最初は、事務所の人間や、心ある友人探索者と共に、浅い階層の小さいダンジョンから。
ダンジョンに入る直前、彼女の足は震えた。あの記憶が、鮮明に蘇る。
凶悪なイレギュラーモンスター。全く歯が立たない実力差。倒れていく仲間たち。
そして……。
『有名人気取りが絶望する瞬間はいつ見てもたまらないw』
『やっとイレギュラーモンスター出て来てくれた、これで死ぬかな』
『推しが失敗して死ぬ瞬間のためにずっと応援してる』
『イレモンがんばえー!w』
『瀬里奈ちゃんのグロ死楽しみwww』
脳裏に蘇る、応援してくれていたはずの視聴者たちの嘲りの言葉。
だけど。
――大丈夫だ。お前は立ち上がれる。
何故なら。
「大丈夫、瀬里奈。あたしたちがいる」
友人の声に、彼女は深呼吸をした。
一歩、また一歩と、ダンジョンの中へと進む。
魔物と対峙する度に、恐怖が込み上げる。しかし、その度に、彼女は自分に言い聞かせた。
「私は、もう、あの時の私じゃない」
スキルを使い、魔物を倒す。その度に、微かな達成感と、生きている実感を取り戻していく。
世間は、彼女の復帰を様々な目で見ていた。
『御岬瀬里奈、まさかの探索者復帰!』
『「奈落のヒロイン」は、どこへ向かうのか』
『黒井勇樹の被害者、再生への道』
中には、彼女の復帰を「話題作りのため」「同情を誘うため」と揶揄する声も少なくなかった。事実、彼女の復帰は大きな話題を呼び、収益もかなりのものとなっていたからだ。
しかし、彼女はもう、そんな声にいちいち耳を傾けなかった。
彼女が目指すのは、ただ一つ。
かつて自分に勇気をくれた、あのダンジョン配信者のように、誰かに希望を与える存在になること。
そして、何よりも、奈落の淵に落ちた自分を、もう一度、自分の力で引き上げることだった。
「私は、負けない」
ダンジョンの奥深くで、彼女は静かに、しかし力強く誓った。
これは、彼女の再生の物語。
そして、奈落の闇に抗い、再び光を掴むための、長い戦いの始まりだった。
黒井勇樹の歪んだ悪意が、探索者界隈に混沌をもたらす中で、御岬瀬里奈の静かなる反撃が、今、始まったのだ。
静かに、しかし確実に、彼女は歩みを進める。
今日も彼女は、誘われるように、導かれるように、独り――静かに、誰にも気づかれないようにダンジョンへと向かう。まるで自分ですら気づいていないかのように、足を進める。
奈落の淵より、再生の萌芽が、今、芽吹き始めていた。