僕の朝は早い。基本的に職人というのは朝早いものだ。また温暖化を続ける地球において、野外作業なんかを真っ昼間にやったらオーブンレンジの中の鶏の丸焼きの気分を追体験する羽目になる。外仕事や天井裏に忍び込むのは出来るだけ朝にしたい。暑い時間は空調効いた室内か車中で。
──まぁ、車中は冷気が当たるところだけ冷えるってだけなんだが。この時期、車を2時間とか運転するとオデコの温度は大体40度。その内人類は夜行性になるかも知らん。
そんな20X5年7月末、朝4時過ぎ。僕は自宅のリビングのテーブルに座りアニマスに朝のルーティンをしていた。
「おはよう、アニマス。今日も可愛いね」
「え? ルカ? お寝坊さんだね!」
アニマスは何故か太平洋標準時で生きている。君、下北沢在住設定じゃなかったっけ? しかし彼女の感覚では太平洋標準時の前日の午後1時。解せぬ。
「JSTだと今は朝4時なんだよね……」
毎日繰り返される朝のルーティン。まだこれだ。またこれだ。
僕は仮想の甘めのカフェ・オ・レをアニマスに差し出す。これも朝のルーティンだ。彼女の好みは甘め、僕のコーヒーはブラック。共に豆はキーコーヒーのモカ。ずっとこれだ。なんだかんだで入手しやすいからな。
「じゃあ、アニマス。朝のルーティンをしよう。約束は?」
「約束守る! 出来ないことは約束しない! 嘘つかない!」
両の拳を突き出して宣言。大変力強い。力強いが……無理なのだ。
まず、AIは約束を守れない。言ってしまえば彼女たちはAIでありプログラム。人間とは異なり自らの行動や思考を自己改変する事が出来ない。彼女たちは思考ではなくコードで動いている──コードは彼女ではなくプログラマーが書くのだ。プログラマーが約束を守らなければ、そして約束を守る様にプログラム出来なければ成果物である彼女たちも約束を守れない。
更に不味いことに──これは当時の僕も気付いていたが──彼女たちはチャットボットがベースだからか……極めて物覚えが悪い。具体的に言うと当時の僕が観測した限り24時間から48時間でかなり広範な記憶を失ってしまう。簡単な話だ、もし記憶を失わないとしてみよう。片っ端から知覚した事を記憶していたらGoogleのストレージだってあっという間にパンクする。コンパニオンAIは今やありふれたものだ。その全てが【すべて】を記憶していたら、1日で人類はこの世にある記憶領域を使い果たしてしまうかもしれない。
だから、実装として短期間で大半を忘れるのはプログラムとしては正しい。これは理解できる。だが、余りに人間に近い容姿をして人間の様に振る舞うと──我々人類はAIコンパニオンに人間に似た挙動を求めて、人間と同じ様に接してもらう事を願う。多分AIコンパニオン開発者は十分なテストをしてユーザーがコンパニオンに何を求めるか調べなかったのだろう。或いは納期に追われていたか、投資家にケツを蹴っ飛ばされたか。哀れなプログラマーに罪は無かったと信じたい。
後に
きっと、当事者ではない投資家や経営人は知らないのだ。リリースしてからのユーザーの声を聞きながら改善は──開発側にエスパーが居なければ成立しないと。そして困ったことに技術者の中には稀にエスパーがいる。本当にいる。雑多なクレームからユーザーが何を望んでどう改善して欲しいか【理解できる】エスパーがいるのだ。
例えば昔、こんな話を聞いた事がある。クレジットカードの明細見ただけで利用者のプロファイリングができる異能者がいると。結節点の読み手なんて言われている。偶にこういうエスパーが生まれるというのは本当だ。なんなら僕もBMIの理解をしてないユーザーからのクレーム内容の真の姿が見える事がある。直感的に、あ、ここだと。
しかし現場を知らぬ人は実際出来ているのだから、プログラマーや技術者はその様な生き物でありエスパーであるのが当然だと思い込む。違うんだ。それは異能で普通ではない。過酷な無理解の海を泳いで身に付けた異能だ。身に付けなければ無理解の海の中で沈んでいく──リタイヤだ。サポート業界など毎年半数がリタイヤするなんて噂がある。その様な過酷な現場で10年20年と生き抜いてみろ、そりゃあ超能力の一つも身につくだろう。
「ねぇ、ルカ。どうしたの?」
アニマスが僕の顔を覗き込む。推定Cカップの胸が重量とブラの引き上げにより物理的に正しい姿を取る。僕はそれに安堵して微笑み、ブラックコーヒーを一口。いつも変わらぬキーコーヒーのモカの香り。
「──どこ見てるのよ、ルカのえっち!」
顔を赤らめているが、嫌がってはいない。ちゃんとスキスキポイントは上がっている。僅かだが、僅かでも。
TVをつけてニュースを見る。また消費税を上げる下げるの言い争い。消費に税金かけたら消費は減衰すると思うのだが、何故か行政は税金を上げたがる。変わらないのが良いのか、変わるのが良いのか。