「──────♪︎」
穏やかな歌声が、静かな酒場に響いてくる。
傭兵なら誰でも知っているようなそれ。テーブルの向かいでジュースを煽る彼女は、それに顔を上げ、歌姫の方へ視線を向けた。小さな舞台、ピアノの伴奏に合わせて響く歌声は、だが、お世辞にも上手なものとも言えない。
「懐かしい曲だ」
確かに、そうだ。
知っていたとして、だが聞くことは少なくなってしまった。それをこんな田舎の酒場で聞けるとは思わなかったもので、俺もまた、無意識にそれに聞き入ってしまっていた。
彼女もそうなのか、彼女は微笑みながら、その曲に合わせてグラスを揺らす。波を立てる薄緑の小さな海は、浮かぶ氷を壁にぶつけ、からんからん、と音を立てた。
俺は、彼女から再びテーブルの上の工房道具に目を落とし、彫刻刀と指輪を手に取る。バックで流すには丁度いい。
彫刻刀に魔力を込め、指輪の内側、堀りかけの刻印を刻む。
「お前、久しく会ったと思えば彫刻師でも始めたのか?」
「そんなところだ。
何か、エルジアでは変わったことはあったか」
「いいや、特には。
いつも通り変わりなく、世俗は大きく動かない。
戦争で死人と魔物ばかりが増えてるさ。
ま、私たちにとっては都合が良い話だが……お前は?」
「ベリウスを一通り回ってきた。
まだ公表されてないが、亜人戦争も終結したようだ」
「おぉ、そうなのか。勝ったのは?」
「やはり
亜人連合も善戦したが、物量には敵わないな。
連中は散り散り、じきにエルジアに押し寄せるだろう」
どこもかしこも、戦争ばかり。
俺ら傭兵としては仕事に困ることはないが、困った時代だ。外に出ればはぐれの軍隊に出会したり、グールや戦場漁りの盗賊も彷徨いている。話した通り、戦争を逃れた亜人たちも飢えに耐えかねて略奪を働くことになるだろう。
傭兵の需要は、まだ失くなることはない。
彫刻刀での刻印が終わる。
掘った刻印が青白い光を放ち、そしてすぐに消えていった。
「ふう、どこも物騒だ。
平和な時代など訪れるのだろうかね」
「さてな。ほら」
「おっと」
指輪を親指で弾き、彼女の方へと投げ渡す。
ピン、と弾かれたそれは、その顔の手前で受け止められた。そうして彼女は、それを指先で摘み上げて覗き込む。
「そんな物騒な時代で再会できた記念だ」
「へえ、ありがたく受け取っておこうか」
木彫りの指輪。
効力としては、魔術への耐性、命の依代。刻んだ魔術文字は害を与える魔術、または致命的な一撃を身代わりに受ける、というもの。それらは魔力を流すことで効力を発揮する。
戦争開始と共に魔術の普及も広がった。
未だ忌むべきものでもあるが、しかし今まで秘匿され、だがそれすら破られた今の時代。ならば対抗する術も必要だ。
「魔力を流すくらいは出来るだろう。
そうすれば、それがお前を守る」
「フッ、指輪の贈り物か。初めてだな」
「む。いや、そんなつもりじゃ」
「ハハハ、分かっているさ。
お前がそんな気の利く男だとも思ってないし。
まぁ、女の子に勘違いさせないようにな」
「……好き放題言いやがって……」
けらけらと笑う彼女に、そう言葉を溢して呆れる。
全く、飄々として掴み所がないところは相変わらずだ。
久しく会った同郷の、友人とも呼べる数少ないうちの一人はそうして笑みを湛えたまま、指輪をじぃっと眺め、そして、その左手の指へ、ゆっくりと滑り込ませる。
細く美しい指に嵌め込まれたそれは、だが一切の装飾もない無骨な指輪では似合わない。それになんだかモヤっとして、銀装飾の指輪に変えるべきか、と一瞬悩む。が、どことなく嬉しそうな彼女の顔に、その考えを吹き飛ばされた。
「あぁ、いいな。気に入った」
「……それなら何よりだ。他のもあるが」
「いや、また今度にしよう。今はこれでいい。ふふ」
そんなに嬉しむほどのものをくれてやったつもりはないが、まぁ喜んでいるのならそれでいいか。
……と。
後ろに足音。振り向けば、何人かの男らが物々しい雰囲気でこちらを見下ろしていた。
「席なら他に空いているぞ」
「そりゃ悪いが、酒を飲む予定はねぇ。
それより……良いものを持ってるようだな」
「商売道具だ。良いものを選ぶのは当然のことだろう」
「その女もな」
店の雰囲気が、その物々しい雰囲気に呑まれていく。
どうやら、厄介な相手に捕まったようだ。気色の悪い笑みを浮かべる男たちを軽く睨み───────
「おい、店の迷惑を考えろ」
そこで、彼女の言葉に制される。その言葉が男たちではなく俺に向けられているのも、すぐに分かった。
だが、この男たちが言葉で止まろうものか。
飢えは人の欲を引きずり出す。
満たされないそれは、更なる欲として他者へと向かう。
立ち上がる。
「三度、警告する。
「……まぁ落ち着けよ、あんちゃん。
あんたの商売道具をこっちに寄越せば何もしねぇ」
男は下がりながらも腰の剣に手を沿える。
後ろの人数は、四。
歌声が止まった。ここが静寂の中心であり、しかし、そんな騒動の中心でもあった。
「商売道具は命の次に大事なものだ。
そして二度目……退け」
「おい、おい、俺たちゃ『レイギン』だぞ?
自分の命が一番大事なんだろう、やめとけ」
「知らん名だな」
「おい、やめろ!」
笑い、背後からの制止を無視して片手を手刀に構える。
「三度目の警告だ。次は無いぞ。
──────退け」
「はははは、やれるもんなら」男の首に狙いを定め、手刀を──────
「やめろ。
これで私の警告も、三度目だ」
俺の首に当てられた冷たい曲剣が、その言葉と共に。
男の喉仏に触れた手刀を、制止させた。
「………!!」
「傭兵の警告、その三度目。やめるべきだな」
自分の命を鷲掴まれていたのを悟った男が、崩れ落ちる。
俺は手を引き、荒い呼吸を繰り返す男を見下ろした。今度は俺が男を見下ろす番だった。
傭兵は三度、警告をする。
それを聞き届けないのならば、死の覚悟が必要だ。
友人と、それも〝赤い鷹〟と殺し合うつもりはない。
それについ今さっき、致命傷を防ぐ指輪を与えたばかりだ。どちらにもそれが一つずつ。この距離なら、確実にどちらも一度は死ぬ。それに抜剣している彼女が相手では間違いなく俺の首が二度も刎ねられることになるだろう。
「お前、ここまで堪え性がなかったか?
旅をして随分と短気になったみたいだな」
「我慢強い傭兵など数えるほどだろう。なぁ」
「………っ」
見下ろした男に肩を竦めて見せると、男はさっ、と青ざめた顔で、水面に顔を出した魚のように口をぱくぱくと開く。
後ろの男たちもざわめき立ち、後退りする。
「さて、改めて私が警告する。
出ていけ。二度と私たちの前に顔を出すな」
そうして、やっと俺の首に当てられていた曲剣が引かれて、その切っ先を男たちに向ける。
男たちは、向けられた殺気に慌てふためきながら逃げ出す。
俺の足元で震えていた男も、それを見送って、そうしてから俺たちの視線を受けると、店の床を這いずって逃げていく。
「ふぅ……」
呆れたような、疲れたような。
そんな残念そうな溜め息が、静寂に包まれていた店に響く。音もなく納められた曲剣と殺気は、勇気あるピアニスト君の指によって叩かれる鍵盤に、掻き消されていく。お見事。
俺たちは向かい合い、何事もなかったように。
だが、立ったままで言葉を再開する。
「………お礼が遅れたな。ありがとう」
「何の礼だ。礼を言われることはしていない」
「お前が怒ったのは私のことを言われてからだ。
代わりに怒ってくれたんだろう?」
「………代わりに事を荒立てたのも俺だ。
お前に剣を抜かせたのもな。それで帳消しだ」
「嬉しかったよ」
「やめろ」
ニコニコと微笑む彼女。
そして、更なる足音が近付いてくる。
顔を向けると、そこには木製のトレイを手にした店の女将がやって来ていた。どやされるのかと思ったが、女将の表情や足取りは寧ろ軽いものだった。
木のトレイには二つのグラス、そして香ばしく焼けた肉が、皿に盛りつけられている。香草の香りは、少し離れていてもよく香ってくる。腹が空く匂いだ。
とはいえ、だ。
俺たちは目を合わせ、同時に頷いた。
「待って。座っておくれよ、お二人さん」
女将の優しげな声音は、確かに俺たちに向けられていた。
俺は、彼女と共に立ったまま女将に声をかける。
「申し訳ない。すぐに店を出よう」
「私たちも、これから店に顔を出すことはない。
すまなかった」
「いやいやいや、待っておくれ。
とにかく座って、話を聞いてくれないかい?」
「………」
「分かった。うん」
彼女に顔を向けると、彼女はこちらに頷きを返す。
俺たちは席に着く。すると女将は安心したように息をつく。そして、その視線を彼女の方へと向けた。
「赤い髪……あんた、〝赤い鷹〟だろう?
そっちは知らないけれど、名のある傭兵さんかね」
「巷でそう呼ばれているだけだ。
女将、私たちは通りすがりの傭兵でしかない」
「うん、うん。でも、店の恩人なんだ」
「恩人?
迷惑を吹っ掛けただけだ」
「迷惑だったのはあいつら……レイギンって連中だよ」
レイギン、というと、先の男たちが言っていたな。
思い出していると、女将はトレイの上にあるグラスと皿を、俺たちのテーブルに広げていく。グラスに注がれているのは葡萄酒のようだった。香草焼きとはよく合うだろう。
「あたしの奢りだ、ぜひ食べて飲んどくれ」
「女将、レイギンとはなんだ」
「あぁ………卑しい賊だよ。
ここ一帯を縄張りに持ってる連中さ。この村も……」
「成程。それを私たちが追い払ったと」
「あぁそうさ。それも、特大の言い渡しまでしてね。
ふふふっ、あいつらの怯えた顔、よく覚えたとも」
二度と顔を見せるな、か。
確かに、この店や村にとっては大きな印となっただろうな。それも一帯では〝赤い鷹〟もよく知られているらしい。その傭兵の名が響いているというだけで賊は震え上がるだろう。
「あんたたちは吉兆だよ、うちの店にとってはね」
「……」
「なら、ありがたく頂こう」
「そうしておくれ。
おかわりしないなら、代金はいらないからね」
「助かる。ほら、折角だろう」
彼女に急かされ、俺たちは幸運な食事に手を伸ばした。
この店にとっては、か。
無闇な挑発は危険だ。
レイギンとやら、何を仕出かすか分からないが………
さて。
─────
─────────
食事を終え、人気もなくなった酒場。
念のため最後まで残っていると、俺は女将に厨房に来るよう呼び出された。剣呑とした表情。と、なると………
「依頼か」
「あぁ、でも……あの子……〝赤い鷹〟は駄目だ。
危ないのは分かってるが、一人で行ってくれるかい」
「彼女の威厳を守るためだな」
「そうだよ。分かってるじゃないか」
女将は笑みを浮かべ、そして周囲に聞かれていないか、目を周囲に向けると、小声で話し出す。
「レイギンを全滅させておくれ。一人残らずね」
「物騒な依頼だ」
「あんた、強いんだろう?
あの子と一緒にいて、それで止め方を見て分かったよ」
面倒だ。それに、話が長くなるのも嫌いだ。
俺は目を細め、女将に視線を合わせる。
「簡潔に言え」
「話が早いね。
レイギンは最近出来たばかりの賊の集まりだ。
ここいらを縄張りにしてた前の連中は、
粗暴だったけどあそこまでじゃなかった。
あたしらはもう懲り懲りなのさ。これも村のためだ」
「後釜については俺たちにどうこう出来る話じゃない」
「そのときはまたあんたを雇うってさ」
「………」
合理的だ。
店一つの判断ではないのだろう、その言い方。客の中には、村の者も混ざっていたのだろう。
「頼めるかい。出来るだけ、こっそりとね」
「報酬次第だ」
「ベリウス金貨なら沢山ある。全部あげるよ」
「具体的に言え」
「……ベリウス金貨10枚。それ以上は確実に出せる。
ウチはベリウスの出でね、金庫はそのままだ。
少し前にエルジアの通貨が変わっちまったから、
換えそびれたのがそのまま残ってるのさ」
成程。こちらでは使えない通貨だが、ベリウスでなら、また使える。店を立ち上げてしまい、ベリウスに戻ることもなく埃を被った金だけが残っていると。
「………あと一つ、ここは宿もやってるか」
「二人分なら部屋も寝床も余ってる。構わないよ」
「十分だ」
彼女に気取られないためにも、部屋くらいはとっておこう。報酬としてはこれで十分。レイギンとかいう賊の奴らからも巻き上げる分も考えれば、十二分だ。
「連中の情報はあるか」
「……村の西側、古い遺跡があいつらの根城だ。
連中、馬鹿だが間違いなく報復はしてくる。
出来るのなら、今夜のうちに頼むよ」
「任せておけ」
「あぁ、そうだ。
あと……名前を聞かせてくれるかい。
何かあったのなら、あの子にいなくなったと伝える」
「ジェラールだ。
ベリウスでは〝白い鴉〟と呼ばれていた」
「あんたに出会えて幸運だ。よろしく頼むよ」
軽く、笑みを返す。
エルジアでの初仕事だ。
手早く、確実に終わらせるとするか。