扉を開け、外に出る。
夜の暗闇は、だが強い月光によって僅かに照らされている。慣れるまで今暫くはかかるだろうが─────
「こんな夜更けに、どこに行くんだ?」
「………」
さて、参ったな。
扉の近く、酒場の壁に寄りかかり、そう声をかけてきたのは件の彼女だった。依頼では彼女に勘づかれず、とのことだが早速バレてしまったわけだ。嘘でもついてみるか。
「眠れない。少し散歩に出る」
「今から夜の森に?戦争中だぞ」
「……分かってるんだろう」
肩を竦め、彼女は俺の言葉に笑みを深めた。
こうして待ち伏せされていたのなら、答えは一つだ。彼女はゆっくりとこちらに歩み寄りつつ、頷きを返した。
酒場で見たときと変わらない旅の装いだった。
「女将も無用心ではあったな。
傭兵の耳を欺ける人間がどれだけいるか……
さて、待たせたな。それで……何か用か?」
「私も行こう」
「この程度、お前の手を煩わせる必要はない。
報酬もベリウス金貨だ。お前には必要ないものだろう」
「報酬は必要ないが、指輪の礼だ。
再会の記念、仕事で果たさせて貰おう」
「………言っても聞かないだろうな」
「私のことは黙っていろ。
それに久し振りの協力なんだ、いいじゃないか」
確かにそうだ。
約束を無下にすることになるが、彼女は腕利きだ。これ以上頼もしい相手もいない。楽しそうに肩を回す彼女に押され、たまには良いか、と納得させられる。
「さ、デートと行こう。
折角だ、楽しもうじゃないか」
「逢瀬にしては物騒だがな」
「ハンティングだよ。
最近のエルジア諸王家の流行りらしい。
ここは一つ、高貴な者の狩りを体験してみよう」
「その実は?」
「正面突破。この手に限る」
「だろうと思った」
呆れながら腰のランタンを灯し、その場に屈む。
幾つもの足跡のなかに、這いずったような痕跡を見つけた。腰を抜かしたあの男のものだろう。それを追い、そしてその跡が足跡に変わるのを見届ける。
そしてそれに続く、複数の足跡。
「見つけたな。さぁ、行こう」
「あぁ。行くか」
それは森の中へと続き、俺たちはそれを辿り始める。
街道を外れ、獣道へ。
「〝赤い鷹〟さまはエルジアをさすらっていたのか?
随分と名を上げたらしいじゃないか」
「それなりにはな。
ただ少し、色々あったんだ」
「赤髪の女が飛竜のつがいを地に墜とした。
エルジアでの道中、詩人からそんな詩を聞いたが」
「なんだ、お前も知ってるのか……
まあその通りだ。色々、というのはその後でな」
彼女も随分と波乱万丈な旅をしているらしい。
二頭の飛竜を相手にしたというのは本来生きて帰るだけでも栄誉なこと。更にそれらを仕留めたとなれば、勲章ものだ。彼女が堪えたのは、その後のことらしいが。
「小さな村での事件だったんだがな。
近くの駐屯地からだろう、私のその栄誉とやらは、
どうやら王都にまで広がってしまったらしい」
「ほう?本当に勲章でも貰ったか?」
「フー………そこの王族に求婚されたんだ」
「成程な」
げんなりとして溜め息をつく彼女を横目に、頷きを返す。
身分を弁えぬ求婚。相手方も勇気を振り絞ったのだろうが、それは彼女にとって最も忌むべき逆鱗でもあったわけだ。
思わず笑ってしまい、鋭い目で睨まれる。
取り繕うように、詩的な言い回しを拙い語彙から選ぶ。
「だが自由を好む鷹は、高貴な手から逃げ出した」
「その通り。私は自由だ。だから傭兵をやってる」
「人に飼われる気はないか。お前らしいな」
「宮廷の小綺麗な鳥籠より、
こんな獣道で、鴉の横を飛ぶ方が楽でいい」
「腐肉を
「お前はグルメだろう?
死肉を嗜むような舌じゃない。私もそうさ」
彼女はそう言うと、思い出したように苦い顔をする。
またもや、その口からは溜め息が溢れた。
「数えられないほどのテーブルマナーに、
肉料理と銘打ってる癖に肉の少ない食事……
あの酒場の料理の方がよっぽど旨い」
「豪勢な歓迎を受けたらしいな」
「全くだ。もう二度と宮廷には行きたくない。
王家のフルコースも、堅くて動きにくいドレスも、
柔らか過ぎて寝苦しいベッドも、うんざりだ」
「はっ、貴族どもが聞けば泡を吹くだろう」
「庶民の感性では分からないんだろう、一生な。
それに─────」
そこまで言って、彼女は言葉を区切った。
視線。
どこからか、何者かに、視認された。監視されている。
「………見つかったな」
「へぇ、気付いたか。鴉も腕は落ちていないらしい」
「(この感じ……獣覚か。
声を小さく、あと動くな。下手に動けば探知される)」
「(獣覚?なんだそれは)」
「(獣人の狩猟の技の一つだ。
視覚と味覚を閉じて周囲一帯の動きを探知する)」
「(物識りだな、しかし……獣人だと?)」
馬を飛ばしてきたとはいえ、もうこんなところまで獣人らが辿り着いているとは思わなかった。ゆっくりと片膝をつき、互いにそれぞれ身を潜める。蝙蝠の反響探知に近いそれは、極限まで高めた聴覚と嗅覚、触覚を以て離れた場のあらゆる動きを探知する。相手は獣覚を使っている間は無防備だが、下手に動くのは─────いや、そうでもないか?
暗闇に慣れてきた夜目で、周囲を探る。
木々の奥、茂みの中へ、目を凝らす。
見つけた。
崩れ落ちた柱、瓦礫の山。遺跡群だ。
視線を彼女に向ける。彼女はこちらを待っていた。
「(………正面突破、だったな?)」
「(あぁ、準備はいいか)」
「(無論。連中を叩き起こしてやろう)」
互いに立ち上がる。
彼女は鞘から二本一対の曲剣を抜き放ち、俺も剣を抜く。
同時に。
「敵襲!!敵襲だ!!」
夜の森に、女の声が響き渡る。
静寂を切り裂いて木霊するその声。
そして、金属音と共に闇を払うように火花が散った。
重い、重い金属音。
それは隣から聞こえたもの。
一対の曲剣は、その柄を鍔と刀身の根元に格納。がちぃん、という金属音と共に上がる火花は凄まじく、そして同時に、曲剣の剣先から尾を引くように流れる鉄弦が硬く結ばれる。
「始めようか」
冷たい言葉と共に、その弦に巨大な銀の矢がつがえられた。小さな槍と云っても差し支えないほどのそれを構え、一対、二本の曲剣は、弓矢へとその形を変える。
竜墜の剣弓。
弓への変形機構を有する、曲双剣。
近接、遠距離の両方への対処方を有するそれは、しかし高い技量を必要とする。重い曲剣、そしてそこから流れる鉄弦、巨大な弓矢。全ての素養を完璧に備えていて、初めて実戦に投入出来るという、使い手を選ぶ武器。
その片側の切っ先を地面に突き立て、巨大な弓の弦が強く、強く引き絞られる。
剣を構える。
反撃がないわけがない。
「─────!」
やはりか。
動きを察知されたらしく、敵襲を告げた者の姿が、背後から灯った光に照らし出される。人間の姿のそれが、ざわざわと逆立った髪と膨張する筋肉と共に、形を変えていく。
獣人。
あの姿は、恐らく狼牙族。
獣人のなかでも最も戦に長けた種族だ。
よく知っている。
共に戦ったことも、殺しあったこともある。
「グゥウッ──────!!」
強く低い、唸り声。
「ガァォオォォォォォォ──────ッッ!!!!」
周囲の木々を根元から薙ぎ倒し、咆哮が空に轟く。
空間を震わせるそれは、指向性を持ち、衝撃波を伴う。
それはまるで、大砲のように。
かつて古い大戦にて、神を喰った狼が放った咆哮。
それは天地を大きく震わせ、あらゆる生命の断末魔となり、更にはそれが三日三晩、世界に鳴り響き続けたという。
その直系、狼牙族という獣人が今の時代まで生き残り続けた証左として、その強さの象徴として、万物吹き飛ばす咆哮が伝わり続けている。
〝狂獣の咆哮〟
だが。
要は、ただの音の衝撃波でしかない。
「風よ」
剣を胸の前に構え、その呼び掛けに魔法が発現する。
強い風が吹き、剣を中心に風が滞留する。
渦を巻くように剣を振るい、風を巻き取る。
「─────舞い上がれ!!」
彼女へ襲い来る衝撃波。
その前に飛び出す。
嵐を以て、斬り上げる。
言葉通り─────
舞い上がる黒い風が、強烈な空気の破裂音を伴い、衝撃波を打ち消す。いや、完全には打ち消せてはいない。
「お見事!!」
その言葉と共に、轟音と共に周囲の木々が薙ぎ倒された。
正確には四散させただけだ。流石に衝撃波そのものを完全に打ち消せたわけではない。だが、それで十分だ。小手調べで相手の本気の一撃を、無傷で受け流せた。
そして。
「が────っ………!?」
再び、空気の弾ける音。
放たれた一閃が、光の彼方へ飛翔する。
獣の胴体に打ち開かれた風穴に、光が差す。
それは、流れる血に塞がれ。
そして、ぐら、と揺れて、見えなくなる。
竜を墜とした一撃。
人に放たれれば半身は消し飛ぶだろうそれに、風穴で済んだ強靭な肉体もまた、その一撃と共に。
「見事だ」
開戦の合図は、一匹の狼の断末魔だった。
幾つもの悲鳴と怒号が森に響き渡り、松明と武器を手にした賊が次々と姿を現していく。ばきん、という音と共に、弓が双曲剣へと分解された。
「悪いが、これも仕事でな」
「さて、死んで貰おうか」
剣を構える。