淫臭村フィールドワーク〜ムチムチドスケベ欲求不満おんなばかりの田舎村を調査する〜 作:ユリイカ
再び訪れた谷蔵邸は相変わらずの立派な門構えだった。笙子は長い石段もすたすたと登る健脚を見せ、朝っぱらから呼吸を荒くしている耀を真顔で迎えた。耀は促されるまま屋敷の中へと入り、初日にも通された客間へと場所を移す。
「はぁ、ふぅ……。笙子さんは毎日あの石段を登ってるんですか?」
「これが日常ですので。この程度で息が上がるとは、体力に問題があるようですね」
耀よりも二回り以上年上の笙子だが、平然とした顔だ。呼吸ひとつ乱れていない和装の女性に、耀は感心を通り越して尊敬の念すら抱いてしまう。耀の呼吸が落ち着かないうちに、笙子は緑茶を淹れて運んできた。お茶請けの和菓子まで用意して、ずいぶんな厚遇である。
わざわざ急須で淹れた緑茶は香り高く、味に頓着しない大学生でも違いがわかる。思わず一気に飲み干せば、笙子はすぐに注ぎ直した。
「ありがとうございます。それで、百花舞奉納の史料というのは……」
「その前に、確認があります」
ようやく落ち着きを取り戻し、本題に入ろうとした矢先、耀の言葉を遮るように笙子が言い放った。
百花舞奉納の史料があったと言って招いたのは笙子だが、彼女は掟の厳守がなされているかの確認もしていた。白樺荘の軒先でそれは終わったものと思っていた耀は、困惑しながら頷く。
「ちゃ、ちゃんと掟はしっかり守っていますよ」
実際には、滞在三日目にして既に二つの掟を破っている。一週間後の祭に参加するには一つたりとも破ってはならないというのに、毎日一つ罪を犯しているペースだ。
耀は笙子に嘘をつくことに申し訳なさを抱きながらも、卒論のために断言してみせる。
村長の鋭い目つきが青年を見つめる。年齢を感じさせない、白く端正な顔立ちの和美女にまじまじと見られては、状況を忘れて羞恥心が湧き出てきた。紅色の唇が硬く結ばれている。長い黒髪は艶々としていて、和装によく馴染んでいた。
笙子は舐めるように、正座した耀の全身を見る。居心地の悪さを感じながらも、耀は動くこともできなかった。
「――わかりました。ちゃんと、掟は守っていただけているようですね」
その言葉によって、緊迫した空気が弛緩する。難局を乗り越えた達成感から大きくため息を吐きそうになった耀は、慌てて気を引き締める。ここで油断しては、笙子に勘付かれる危険があった。
耀は油断を悟られないように気をつけつつ、湯呑みの隣に置かれた和菓子へ手を伸ばす。何か食べて、気を紛らわせていたかった。しかし、皿を手に取った時、不意に違和感を抱く。
茶菓子として供されたのは、白餡に包まれた生菓子のようだ。しかしそこから餡のものとは違う、みずみずしく甘い匂いがする。
「笙子さん、これは……」
「ふっ。抜け目ありませんね」
黒文字で菓子を割ると、中に包まれた白桃が現れた。匂いの正体は、この桃であったらしい。
笙子は口元に笑みを浮かべて、耀の皿を受け取る。
掟の一つ、男子は桃を食べるべからず。笙子はあえて桃の菓子を出すことで、自分を見極めようとしていたのだ。そのことに気づいた耀はぞっとする。匂いに気付かず食べていたら、即退場だった。
「勘弁してくださいよ」
「申し訳ありませんでした。しかし掟はそれほど重要なのです。我々のため、そして初瀬川さんのためにも」
掟を守ることがどう自分のためになるのか、耀には見当もつかない。しかし、ここで追及するようなこともできなかった。
笙子はすっと立ち上がり、いつもどおりのピンと背筋の伸びた美しい姿勢のまま歩き出す。耀もそれについていき、屋敷の奥へと向かう。長い廊下を進ほど、谷倉邸の大きさを実感した。いくつもの部屋が並び、調度品も品があるものばかり、しかし、人の気配があまりにも希薄だ。
「笙子さんは、ここに一人で住んでいるんですか?」
「……ええ」
不躾な質問かと思った矢先、笙子は平然と答えた。
「その、旦那さん、とかは」
耀は以前の玲奈の言葉を思い出していた。笙子には夫がいたという話である。だが、そのような気配も、夫の姿も、今の今まで見ていない。そもそも桃香村に男性が全くいないのだ。
黒い和服の美熟女は、歩きながら静かに答えてくれた。
「もう随分前に別れました。あの人は身体を、悪くしましたので」
ずいぶんと薄情な話だと思った。耀は何も知らないが、病気を患ったり怪我をしただけで別れるというのは、愛がないように思えた。口に出さずとも、笙子はそんな青年の抱いた思いを感じ取ったようだった。
「円満な別れでした。そもそも、あの人には桃香村の土地が合わず、私も村長として離れるわけにはいかなかったのです」
「そうでしたか……。すみません」
お互いの思いだけでは、どうしようもないこともあるのだろう。まだ人生経験が豊富とは言えない耀には、まだ分からないことであった。
笙子は黙ったまま、歩き続ける。気分を害したようにも見えないが、そもそも彼女の感情の機敏を察するのは難しかった。耀は自分の言葉を後悔しながら、その後を追いかける。
「笙子さん、その、蔵というのは?」
「この先です。もうすぐですので」
ずいぶんと奧まで歩いてきた。それでもまだ果てが見えないというのが、田舎の屋敷の底知れない部分である。笙子は迷いなく歩き、耀もそれについていくので精一杯だ。
何度か問答を繰り返したのち、ようやくそれらしい扉が現れた。古い鋲で補強がなされた頑丈な扉で、重たげな南京錠までついている。その見た目だけでも、中に重要なものが納められていることはありありと察せられた。
「どうぞ、お入りください」
「いいんですか?」
てっきり、笙子が蔵から史料を持ち出してくるものと思い込んでいた耀は困惑する。彼女は扉のそばで振り返り、耀を中へ促していた。
「私は明かりになるものを探してきますので。どうぞお先に」
扉の奧は漆黒の闇である。古い建物であるからか、電灯の類もないようだった。
家主にそう言われては仕方がない。耀は緊張の高まりを覚えながら、恐る恐る蔵の中へと入っていく。カビと樟脳の匂いが立ち込め、意外にも広々としている。どこに何があるのか、目が暗闇に馴染まなければよく分からない。
「笙子さん、やっぱり外で――」
これでは内で待つのも外で待つのも変わらないだろうと振り返ったその時だった。耀の目の前で扉が閉まる。さらに間髪入れず南京錠がかかる金属的な音も続いた。
状況が飲み込めず唖然とする耀。扉の上部に取り付けられた格子から、冷徹な眼差しが覗き込んでいた。
「笙子さん!? こ、これは……。だ、出してくださいよ!」
「申し訳ありません、初瀬川さん。掟を守ることは、ひいては貴方様を守ることになるのです」
「何を言って……。これは監禁ですよね? は、犯罪じゃないですか!」
訴える耀の言葉も村長は涼しい顔で聞き流す。
「掟は必ず守っていただきます。――百花舞奉納が終わるまで、こちらでお過ごしください。生活のものは、ご用意しておりますので」
そう言って、笙子は扉から離れていく。耀がどれほど叫んでも、彼女は止まらない。村の最奥、屋敷の最果てにある蔵に閉じ込められた青年の声が、外に届くこともない。
閉じ込められたことを確信し、耀は足元から崩れ落ちるのだった。