淫臭村フィールドワーク〜ムチムチドスケベ欲求不満おんなばかりの田舎村を調査する〜 作:ユリイカ
谷倉邸の古い土蔵には、笙子が耀を監禁するために用意した様々な品が残されていた。しかし、耀は機械に疎いながらもわざわざ運び込まれていた最新のゲーム機にも脇目を振らず、その奥に置かれた長櫃へと取り掛かる。蓋を開ければ樟脳の匂いと共に古い紙の束が現れる。紐で閉じられた和本が何十年と陽の目を浴びることもなく置かれていた。
「これは過去の百花舞奉納が描かれた貴重な史料だ。これを読み解けば、何か分かるかも……」
一縷の望みをかけて、耀は慎重に本を手に取る。代々桃花村の村長を務めてきた谷倉家の、過去の当主たちが記した日記だ。それだけでも当時の暮らしぶりを窺い知ることのできる稀少なものだ。万が一にでも汚損してしまえば、学術的な損失も免れない。
不真面目な大学生である耀も、つい手に力がはいる。
「うぐ。達筆だなぁ」
しかも紙面を走る筆書きの文字は流麗で難解だ。耀は以前に笙子から渡された掟を記した紙を思い出す。あれは笙子が自ら記したものだろうが、思わず息を呑むほど精緻な筆の運びだった。どうやら、谷倉家は代々達筆な家系らしい。
それはともかく、歴史を感じさせる文字と文体は、読み解くだけでも一苦労だ。スマホに入れていた古文書解読アプリを使ったとしても、一文字ずつ解き明かすのに時間がかかる。
こんなことなら、もっと真面目に講義を受けておくべきだった。と、今更すぎる後悔が脳裏をよぎる。
――Pipipipipi!
「うわっ、電話? こんな時に誰だ――」
なんとか頁を読み進めようとしていた最中、不意に着信が入る。思わずスマホを取り落としそうになった耀は、慌てて発信者を確認し、目を丸くする。
「な、何の用ですか、教授」
『んふっ。ふふっ。いやなに、私の可愛い愛弟子が、何か困ってやしないかと思ってね』
スピーカー越しに聞こえてきたのはくぐもった声。どこか影のある雰囲気を醸し、しっとりと湿度を感じさせる。
ビデオ通話に切り替わり、映し出されたのは日を浴びていない生白い肌を跳ね放題の黒髪で飾った、小柄な女性だった。何日着続けているのかもわからない、よれた白衣は裾があまり、大きすぎる椅子に腰掛けた様子は人形のよう。しかし背後には無数の本が柱のように積み上がり、研究室を圧迫している。度の強い眼鏡の奥から覗く眼差しは、優秀な研究者のそれだ。
彼女こそが、卒論の進捗が振るわず泣きついてきた耀を桃花村へと送り込んだ張本人。彼が通う大学でも指折りの変人として知られる若き才媛であった。
普段は研究室に閉じこもり、怪しげな本を読み漁ってはくぐもった不気味な笑い声を廊下に漏らして、大学の怪談の発生源となっている彼女が、きらりと眼鏡を光らせる。
「突然ですね。別に困ってることなんか……」
「ふふっ。別に隠さなくてもいいんだよ。私だって、その村の出だからねぇ」
咄嗟に取り繕おうとした耀を先回りして、教授はにたりと笑う。耀も笙子から聞いた話を思い出した。門外不出の百花舞奉納を知り、その断絶を阻止したい笙子に頼まれて耀を送り込んだ張本人である。
「もしかして、全部分かってるんですか」
「んふふっ。君や笙子ちゃん、結美ちゃんたちのことはよぉーく知ってるからね。どういうことになってるか、大体予想は付くさ」
相変わらず怪しげで捉えどころのない女性である。だからこそ彼女のゼミは人気がなく、ゼミ生も耀しかいないのだが。しかし彼女はその年で教授になるだけのことはあるようだった。
「そういうことなら、話が早いです。先生、手伝ってもらえませんか」
「んふ、ふふふっ。よかろう。私もそこの史料には前々から興味があったのさ」
怪しい笑みを浮かべながら、眼鏡を押し上げる教授。普段は胡散臭くて近寄りがたいが、今は何よりも頼りになる。ちなみに実際に対面すると一週間くらい風呂にも入らない研究バカであるせいで、本当に少し臭くて近寄りがたい。
教授も桃花の血筋ということは、あの旺盛な性欲を宿しているのだろうか。それとも、それをうまく研究熱に転換しているのだろうか。
そんな疑問が一瞬脳裏を過りながらも、耀はすぐに本題を思い出す。ビデオ通話を繋げたまま、長櫃の中に詰められていた史料を床に広げ、教授にあらましを説明する。
「なるほど、祭囃子はなきものとせよ。もちろん私も知っているが、確かに実際に体験してみると不可解なところはあるね。共同体としての治安を優先し、男を捨てるという意味では理に適ったものだが、人の感情とは複雑で強烈だ。そうそう割り切れるはずもない」
「もしかしたら、掟が長い年月の中で歪められたんじゃないですか。しばらく正式の百花舞奉納はできてなかったわけですし、そうでなくとも千年以上の伝統がある習わしなら」
「その可能性は否定しきれないね。とにかく、史料を当たろうじゃないか」
面白くなってきた、と舌なめずりをする教授。彼女は耀が広げてみせた本を覗き込み、その内容をすらすらと読み解いていく。
「基本的には谷倉の村長たちが、日頃の問題や不満を書き記しているようだねぇ。やれ畑の収穫が少ないやら、雨が降らないやら、行商にやってきた男がかっこよくて十回も自慰に耽ったやらと」
「関係ない部分は飛ばしてもらっていいですよ。なんか、当時の方が浮かばれないので」
あくまで谷倉家当主たちが個人的に残してきた文章である。そのぶん当時の生活に根付いているが、プライベートまで赤裸々に語られているということでもある。すでにこの世にはいない当主たちの尊厳のためにも、耀は極力効率を求めた。
「ふむふむ。なるほど、興味深い……」
「何か分かったんですか?」
「演習問題だ。そのページを読み解いてみなさい。なに、君もそろそろ目が慣れてきただろう」
なにを悠長な、と眉を寄せる耀に、教授は先回りして突きつける。実際、彼も頁を捲りながら翻訳を聞いているうちに、おぼろげながら内容を掴めるようになってきた。
「君は私が見込んだ愛弟子だからねえ。これくらいは本来、お手のモノだろうさ」
「その買い被りは本当によく分からないですよ」
「んふふっ」
この怪しい女教授は、なぜか耀を二つ返事でゼミに迎えた。今となっては、それが文字通りの体目当てだった可能性もあるが、その割に彼女は耀をことあるごとに褒めていた。今回のフィールドワークについても、百花舞奉納を抜きにしても、絶対に研究を成し遂げられると確信しているような節すらあった。
薄暗い研究室の椅子の上にうずくまった教授は、白衣で包んだ体をもぞもぞと動かす。なにが楽しいのか息も荒く、時折ビクビクと震えている。彼女の奇行は今に始まったことではない。それを華麗にスルーした耀は
与えられた課題に集中する。
「そうか、これ百花舞奉納の時の話だ」
それは今から二百年以上前に執り行われた百花舞奉納について、当主が記した覚え書きのようだった。当時から山の神に扮した女たちが、供物たる男を求め、一晩中しっぽりとその精を搾り取るという大まかな流れは変わらない。最後には桃を食べ、契りも結んでいる。
そして翌日の記述へと移った耀は、違和感を抱く。
「先生、これは男が帰ったとか、出て行ったような話がありません」
「んぉっ♡ お、おぉお……。お? あ、何か分かったかい?」
もぞもぞと身を丸めていた教授が顔をあげる。
この大事な時になにをしているのかと呆れつつ、耀は読み解けた内容を口にする。
「本来なら祭囃子はなきものとする。つまり、婚姻も形式的なものであり、終われば男はお払い箱です。でも、彼が故郷に帰ったとか、殺されたとか、とにかく失われたという描写がないんです」
「なるほど。しかし、だからといって婚姻関係が持続したとは言えないだろう?」
「ええ。ですが後日の頁を見てみると、百花舞奉納に参加した女性たちが次々と懐妊しています」
「百花舞奉納で中出しされたからじゃないかい?」
耀はさらに文書を熟読し、首を横にふる。
「違います。一晩で着床したにしては妊娠の発覚時期がバラバラだし、そもそも百発百中ってことはないでしょう」
「んふふっ。君もなかなか言うようになったねえ」
嬉しそうに頬を緩める教授を無視して、耀は考える。
日記の中にはところどころ違和感があるのだ。井戸端会議をしていた女性たちが突然三人から二人に減ったり、かと思えば特に理由もなく三人に戻っていたり。喧嘩が勃発したと聞いて村長が駆け付ければ、そんな事実はなかったり。
「……意図的に、何かが省かれてるような気がします」
まるで見えない空白が挟み込まれているかのようだ。それに気付けたのは、ほんの偶然でしかない。教授の助けがなければ、気付くことはなかっただろう。
「せ、先生! これ!」
そしてついに、耀は決定的な一文を見つける。
埃っぽく黄変した紙の上に指を置き、スマホのカメラに向かって指し示す。
「"祭の囃子の声聞こゆるゆえ、今日はこれにてしまひとす。"――これ、つまり祭囃子が村の中で鳴っているってことですよね。百花舞奉納は終わったのに、お囃子はまだ終わってない。なきものとせよ、とは忘れるってことじゃない!」
興奮のまま声を震わせる耀を見て、教授は口を曲げる。
「んふふぅ。いい推察だ」
彼女は濡れた指先で眼鏡を押し上げ、
「百花舞奉納とは一年の豊穣を祝い、祈願するもの。一晩で終わりというわけではない。しかして一年を通して祭り騒ぎを続けるわけにもいかず、"供物"も貴重だ。豊穣は求めているし、供物は早々手放したくない。さりとて共同体としての不和を招くわけにもいかない。――そこで彼女たちは、一つの策を仕上げた。奉納を経て神に捧げられた"供物"はつまるところ神そのもの。故に神の思し召しこそ豊穣そのもの。そこに人智の介する余地はない」
一条の光明が、土蔵の中の耀にむかって差し込んだ。