淫臭村フィールドワーク〜ムチムチドスケベ欲求不満おんなばかりの田舎村を調査する〜 作:ユリイカ
耀が案内されたのは、広々とした客間だった。床の間には水仙が生けられ、障子の向こうに見える庭園からはせせらぎが聞こえてくる。自然豊かな村ということを鑑みても風流な空間だ。その静謐が、耀にとってはむしろ息苦しい。
彼を出迎えた玲瓏の美女は正面に座し、きりりと鋭い視線を向けた。まるで鷹や鷲を思わせる眼光に、耀は思わず背筋を伸ばす。
「私は谷倉笙子と申します。先述の通り、初瀬川さんの事はすでに伺っております」
「お、お世話になります……」
上から突きつけるような、強い語調だ。美人だが、生花や茶道といったものより薙刀の方が似合いそうな風格がある。
「初瀬川さんは大学の研究の一環で、桃香村の百花舞奉納を調査されたいとのことでしたね」
「はい。五年に一度の秘祭とのことで、大変興味深く――」
「申し訳ありませんが、百花舞奉納は外部の方に公開することはできません」
「え」
事前に用意してきた言葉をそのまま口にしようとした耀に、笙子はぴしゃりと言い放つ。教授から話は通っているはずで、他ならぬ彼女自身がそう言っていた。その矢先にこうもきっぱりと拒絶するとは思いもよらず、耀はぱくぱくと口を動かす。
酷薄とした表情のまま、和美人は紅唇を開く。
「この奉納は桃香村に伝わる重要な儀式です。門外不出、他言無用が厳格に定められています。そのため、これまでもあらゆる取材をお断りしてきました」
「そんな……。でも、教授が……」
ここまで苦労してやってきたのだ。それもこれも卒業論文のためである。ここで梯子を外されるなどあんまりではないか。
耀は腰を浮かせて訴える。だが笙子は泰然として取り合わない。
「桃香村は元来、その土地の全てが山神より賜ったもの。神聖な領域であり、許可なく立ち入ることも許されません。――しかし」
笙子が耀を見つめる。白い肌はきめ細かく、しなやかで女性的な曲線美にあふれた容姿だが、彼女は耀よりも背が高い。互いに正座しているこの状況でも、上から見下ろされているような感じは拭えない。
彼女はまるで品定めでもするかのように、耀の全身を見つめる。
「条件を厳守していただけるのであれば、村での滞在を許可しましょう。そして、この一週間のうちに妥当であると判断した場合のみ、奉納の観覧を許します」
「条件……」
教授からは何も知らされていない。ただ桃香村という田舎の僻地へ赴けという指示だけを受けてきた。こんな試練のようなものが発生するなど、露ほども思っていない。
困惑する耀は、ふと脳裏に記憶が蘇る。タクシーの車内で運転手の女性が口走っていた。桃香村には掟があるという。それが具体的にどういったもので、守らねばどうなるのかは分からないが、笙子の言う条件とはそのことではないだろうか。
「初瀬川さまに厳守していただく約束は五つ。全てを完璧に遂行していただければ、問題はありません」
笙子が懐に手を伸ばす。きっちりと整えられた和装の襟元が開かれ、わずかに白雪のような柔肌が見える。突然の行動に驚く耀の前で、彼女は恥じることもなく一枚の懐紙を取り出した。
差し出されたそれを咄嗟に受け取ると、ほのかにあたたかい。氷のような雰囲気を纏う笙子だが、その体温が移っていた。生々しい感触に思わず生唾を飲み込みながら広げると、達筆な文字で五つの掟が記されていた。
一つ、男子は桃を食べるべからず。
一つ、山の方角からの呼びかけに応じるべからず。
一つ、夜獣の声あれば部屋から出るべからず。
一つ、日没後は湯に浸かるべからず。
一つ、酒精を摂るべからず。
一つ、祭囃子はなきものとせよ。
耀はそれぞれを黙読し、眉を寄せる。もっと犯罪や迷惑行為に関わるような内容かと思っていたが、妙に曖昧だ。禁止される理由もまた見当がつかない。さらに言えば、笙子は五つの約束と言っていたが、記載されているものは六項目だ。
不思議に思って顔を上げると、笙子はかるく頷く。
「最後の一つは、前の五つのいずれかひとつでも犯した場合には関係がありません。ですので、この一週間は五つの約束だけを守っていただきます」
どうやら、祭囃子とは秘祭のことを指すようだ。それをなきものとせよ、という文言はやはり不可解だが、ここは頷く他ない。
「この桃香村では特別な桃を育てています。しかし、それは男子禁制の神饌となります。あなたは絶対に食さぬように」
「はぁ……」
タクシーの運転手は、桃香村には特産もないと言っていた。そのような桃を育てていると言う話は初耳だった。しかし、耀はひとつ思い当たる。入村した直後に開けられた車窓から香った甘い匂いは、その桃のものではないか。
「他の約束についても同様です。これらに該当することが起きたとしても、必ず守ってください」
「あの、山の方角とか、夜獣の声とか、よく分からないんですけど……」
「そこに記されていること以上はお伝えすることはありません。しかし、必ず厳守してください」
「ええ……」
あまりにも要領を得ない指示である。これだけで守れと言われても、気付かぬうちに間違えて違反している可能性はあった。
あえて曖昧に書いて、追い出す算段をつけているのではないか。笙子の鋭い視線から、そんな邪な思惑さえ感じとってしまう。
その時、屋敷のどこからか重く響く音が聞こえてきた。肩を跳ね上げる耀に対して、笙子はちらりと視線をずらし、立ち上がる。
「もうすぐ日が暮れます。その前に入浴を済ませた方が良いでしょう。こちらからの用件は終わりましたので、お帰りいただいて結構です」
「え? あ、はい。失礼します」
急かすような早口だった。
まさか、時間がないと言っていたのはそういうことか。掟の一つである"日没後は湯に浸かるべからず"を守らせるため、笙子は焦っていた。そんな可能性に思い至り、耀は意外に思う。
「白樺荘の裏手に小さいですが温泉があります。そちらで疲れを癒してください。――ただし、日没までには必ず上がってくださいね」
「わかりました。気をつけます」
もしかして、見た目より怖い人ではないのかもしれない。
我ながら単純な性格だと思いながらも、耀は目の前の女性への認識を改める。少なくとも、彼女は無理やり揚げ足を取るように掟の違反を狙っているわけではないようだ。
「まあ、俺としては一日くらい入らなくても……」
「初瀬川さん、掟とは別に社会通念上の規範はありますからね」
「あはは。すみません」
じろりと睨まれ、肩をすくめる。上から睥睨されても、さっきまでの竦むような恐怖は薄らいでいた。
「すみません、笙子さん。こちら受け取ってください」
「わざわざありがとうございます。――お気を付けて、お過ごしください」
耀はすっかり忘れていた手土産を押し付けるようにして渡し、石段を駆け降りる。谷間の村は夕暮れも早いらしい。赤色が滲み出す村を見ながら、急いで白樺荘へと戻る。
息を乱しながら引き戸を開けると、すぐに音を聞きつけた結美がで迎えてくれる。相変わらず柔和な笑みを浮かべて、吸い込まれそうな抱擁感のある美女だ。
「おかえりなさい、耀さん。ごはんはできてますよ」
「すみません。先にお風呂を頂いてもいいですか?」
結美の手料理には強く興味を惹かれるが、風呂無しで一日を終えるのは辛い。苦渋の思いで頼むと、結美はおやと眉を上げる。だが、すぐにまた目を細めて快く頷いた。
「もちろん。うちの裏の山を少し登ると温泉があるわ。迷うことはないと思うけど……」
「ありがとうございます!」
こんなところで躓いて、無収穫で帰路に就くわけにはいかない。耀は急いで荷物の中から入浴セットを取り出し、白樺荘の勝手口から外に出る。結美の言う通り道が整備され、丁寧に足元を照らすライトも置かれていた。
それをかけ登れば、周囲を背の高い竹垣で囲まれ湯気の立ち上がるものが見える。脱衣場らしき小屋も真新しく、不潔感はない。
耀は時間を気にしつつ服を脱ぎ、いよいよ温泉へ。石畳の敷き詰められた綺麗な浴場に、こんこんと湧き出る乳白色の湯を湛えた泉があった。
「おお、こりゃすごい」
まさかこんな田舎で、立派な温泉に入れるとは。しかもおそらく入り放題だろう。日没後は入れないとして、昼から湯に浸かるというのも乙なものだろう。
この一週間が楽しくなりそうな予感を抱きつつ、耀は早速湯船へ足を沈める。温度も高すぎず低すぎず、ちょうどいい。滑らかな湯質で、肌をしっとりと包み込むようだ。
すぐに肩まで浸かり、全身を弛緩させる。これまでの長旅と緊張から蓄積していた疲労が、ゆっくりと溶け出していくようだった。
「ふぅ。これは……いつまでも浸かってられるな……」
まさにこれこそが極楽というものだろう。
美人な女将に、少し当たりは強いが優しさも見える村長。村ですれ違う村民たちも、まだ警戒はしている様子だったが皆美人ばかり。まさに美人の里とでも言うべきか。
男性陣はどこにいるのだろう、という疑問も湯に溶けていく。
「うぅ……」
もうもうと立ち上がる湯気。じんわりと熱が浸透してくる。
知らず知らずくたびれていた身体がほどけていく。
そろそろ上がらなければならないだろうか。いや、もう少しだけ。
耀は極上の湯に葛藤する。掟は守らなければならないが、この娯楽は手放し難い。悶々としているうちに、だんだんと瞼まで重くなってきた。
「――耀さん? もうすぐ、日が暮れてしまうわよ?」
まどろみの意識のなか、白い湯気の向こうにむっちりとしたまろやかな人影が見えた気がした。穏やかで耳に心地よい声。それが、どこか湿り気を帯びている。だが違和感を抱くまでは至らず、耀はつい眠気に負けてしまった。