※この作品はR-18です。

とある世界の常識改変   作:ロロノア

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第一話

 背の高い商業ビルに挟まれた狭い路地裏は、学園都市の中でも比較的古い町並みを残す繁華街の裏側だ。飲食店が軒を連ねるいわゆる飲み屋街で、夜には仕事帰りのサラリーマンたちで賑わう区画だが、真昼間の今は人通りが少なく、車も通らない。

 ついさっきまでやかましく声を上げていた鳥も虫の気配もなく、不自然なまでに静まり返った路地裏に男が一人倒れている。

 ビクビク痙攣し、泡を吹いて白目を剥いている。

 海に魚を釣りに行ったときに釣り上げた魚がまさにこのような感じだった。

 空気を求めて口をパクパクと開き、もがいている。生命の危機に身体が勝手に反応して筋肉が反射的に動いているかのようだが、目の前の男のこれはそういった反応とはまた別だ。

 精神的なショック状況で一時的に脳がパニックを起こしているのである。放っておけば痙攣は治まるだろうが、大切な精神のほうはどうなるだろうか。

 「形」はそのままにしているが、さて……。

 と、倒れた男をつまらなそうに見下ろして、青年は携帯を取り出した。

 

『もしもし!』

 

 たったワンコールで目的の人物は応答した。慌てたような女の声。音量が大きく、思わず耳を遠ざける。

 

「元気だね、唯一先生。ていうか、一瞬で出るとか、仕事は大丈夫なの?」

『あん、条理君の電話なんだから仕事なんて棚上げに決まってるじゃない。それで何かな? 心の準備なしに条理君のASMRを聞いちゃったからもう大変なことになりそうなんだけども』

「一つ頼みがあるんだけど」

『何々、何でも言って♡ ホテルの予約はわたしのチョイスでいいのかな♡ 衣装は何にしようか。ボンデージメイドナースいつもの白衣なんでも着ちゃう♡』

「せっかくのお誘いだけど、とりあえず今は目の前でぶっ倒れてるおっさんの処理をお願いしたいんだよね。どっかの病院に運んでもらえる? これ、たぶんそっちサイドの案件じゃないの」

『ええ……そう、そういうこと。まだ条理君に手ぇ出そうって輩がいるわけね。いいよ、わたしの管轄とは違うけど、特に騒ぎにならないように手を回してあげる』

 

 俗に裏稼業と呼ばれる仕事がある。どこの世界にもそういったアングラの面はあるものだが、この学園都市は世界でも屈指のアングラ社会が根付いているといってもいい。

 ほとんど表沙汰にはなっていない。世界の科学技術をリードする学園都市の裏側には、多くの命を消費してでも科学を発展させようという非人道的な価値観がとぐろを巻いている。

 大半の学生には無関係の世界でありながら、「能力開発」という一面がある以上は誰であっても関わるリスクを負っている。そんな不条理の世界の暗闇は掘り下げるほどに暗く、濃厚になっていく。日本という世界でも類を見ない治安のよい国の中に位置しながら、国家権力も法もはねのけて独自の秩序を構築するほどの力を持ち、南米の麻薬カルテルも真っ青な人道を無視した実験を繰り返しているのが実情だ。

 条理と呼ばれた青年を襲ったこの男もその手合いだ。

 もちろん、末端の末端。事情を知らないそこらの不良に金を渡してけしかけてきただけで脅威にはなり得ないが、どうにも「上」の誰かに目をつけられたらしい。

 正当防衛で撃退した不良や能力者はそこそこいるし、程度によっては再起不能にもしているが、名指しで命を狙われるほどの悪行はしていないつもりである。

 

「もしかして、唯一ちゃんのなんかに巻き込まれてないか?」

 

 と、条理は電話の相手に尋ねてみた。

 自分に心当たりがないのだから、関係者――――それも裏側に関わっている彼女の案件が絡んでいると疑うのは当然だ。

 

『……そんなことはない、と思うなぁ~~』

「なんで言いよどむのさ。めっちゃ心当たり有りそうなんだけど」

『今わたしが進めてるプロジェクトはいたって健全よ。世間一般から見てもノープロブレム。ま、今までの積み重ねもあるので、何がどう動いているかというと難しいわねぇ。あ、でもでも、わたし絡みじゃない可能性もあるでしょう? 純度百パーセント条理君狙い』

「あるかぁ? レベル3だぞ」

 

 学園都市最大の特徴は「能力開発」にある。学園都市の独自技術により、学生たちの多くは様々な異能を発現している。

 能力が発現しなかったレベル0から最高ランクのレベル5まで、その強度は様々でレベル5ともなると殿上人も同然だ。何せ230万人の学生の中にたった7人しかいないのである。一方で条理はレベル3とどこにでもいる一般ピープルである。

 

『データ上は、でしょ』

 

 含みのある言い方をする唯一。

 表向きの能力とレベルが必ずしも一致するとは限らない。

 もちろん、能力開発は学校で幼少期から行われるものであり、その成長過程は逐一各学校でモニタリングされている。意図的に能力を隠すのは、「裏」と関わりがあると言っているようなものだ。あるいは、その特性から知られるだけで日常生活に支障をきたすような特殊事例でもあるか。

 それにレベルが低いからと言って利用価値まで低いというわけではない。能力の性質によってはレベルが低くても「価値」を見出されることはある。

 その「価値」を評価してくれる人間が、まともな思考回路を持っていなかった場合、学園都市の闇に触れることになるのだ。

 

『あなたの本当の能力を知っている誰かさんがあなたを狙うというストーリーは荒唐無稽な話じゃない。……わたしの条理君に興味本位で近づかれるってのは本当に迷惑な話なんだけども、人によってはそれだけうまみのある能力だもんね。解剖したい人はたくさんいるのはしょうがないよね。おっと、しゃべってたら興奮してきたぞ♡ 条理君の内臓の色はどんなかな?かな?』

「相変わらず急に猟奇的になるね。まあ、何。これがどこの誰から来たヤツかってのは、分からないんだ?」

『ごめんねぇ。でも直接的な方法に打って出たからには、これで終わりじゃないと思うの』

「そうだね。気を付けるよ」

『あ、じゃあ、うちで匿ってあげるよ。衣食住性全部ばっちり取り揃えて……』

「おっと、そろそろ人が来そう。一回切るね」

 

 会話の途中だが、条理は通話を切った。

 木原唯一という条理の能力研究を担った研究員は、「木原」一族の一員として非人道的実験を数多く行ってきたマッドサイエンティストである。

 何年か前に彼女に目をつけられた条理は、その研究開発の中で逆に唯一を篭絡し手籠めにすることに成功した。彼女の中の「常識」を破壊して作り変え性的に倒錯した人格に作り直した。ベースは変わらないが、彼女を突き動かす好奇心は今となっては条理一人に向けられその感情は木原の本能すら凌駕している。そのように彼女の常識を改変した。

 言ってみれば忠実な愛人であり性奴隷だ。

 そのように他人を作り変えたことはなかったが、ちょうど性に関心を持っていた頃だったし、悪いことをしようとしてきたから先手を打った。これは正当防衛であり、唯一は正当な報酬だ。そのように考えられるから、その実は条理の精神性は暗部よりと言えるだろう。

 暗部に属した覚えはないが、暗部の連中からは同列に見られているらしい。

 唯一が研究の対象にしているというだけで注目されるのは避けられない、ということで、これまでにも何度か唯一由来のトラブルに巻き込まれたことがあった。今回もその類かと思ったが、さてどうだろうか。唯一が言ったとおり、これで終わりなはずがない。不良に目をつけられて喧嘩に発展したというだけならまだしも、明確に人払い等の準備をしたうえでの襲撃だ。おまけに下準備をしているにも関わらず襲撃者はたった一人だった。十中八九、これは小手調べ。こちらの手の内を図るための使い捨ての特攻要因といったところだろう。

 

(――――となると、次は能力者あたりが嗾けられてくるだろうか)

 

 条理は学生カバンを担ぎなおして倒れた男に背を向けた。

 唯一が手を回すといった以上、この男は放置で問題ない。行先がどこかは知らない。唯一か、あるいはこの襲撃の首謀者のどちらかが何とかするだろう。

 ふと気が付くと人々の生活音が聞こえてくる。やはり、襲撃を成功させるために何らかの人払いをしていたようだ。

 条理が学校帰りの近道に使っている裏道で待ち伏せるあたり、やはり狙いは条理自身だったのだろう。偶然、通りかかりの誰かを襲ったただの通り魔という線は考えられまい。

 

(こっちから手を出してもいいんだけど、それもなぁ)

 

 余計なことに首を突っ込むと収拾がつかなくなる。ドミノ倒し的に面倒ごとが加速していくのがこの学園都市の厄介ごとの特徴だ。

 命を狙われていることは自覚したが、その解決に積極的に動く段階ではない。自分の能力に絶対的な自信があり、自力でなんとかできるという確信があるが故の傲慢さであり、この事件がどう動いていくのか先が楽しみだという興味関心。それが条理の中で渦巻いている。

 

(まいったね、これは、唯一ちゃんに影響されてるかな)

 

 と、冗談めかして思う。能力によって精神の在り方を固定しているので、外的要因による精神面への影響は無視できる。一方で、そういった異能を無視した普通の交流の中で影響を受けることはある。条理も人間だから仕方ない。むしろ、条理に影響を与えられる唯一の性質にこそ賞賛が与えられるべきだ。

 旧式の携帯電話をポケットにしまって、条理はその場を後にした。

 ずっと背後では救急車のサイレン音が響いていた。

 

 

 

 

 

『以上が逆巻条理(ターゲット)の戦闘映像です』

 

 とあるビルの一室でその上映会は行われていた。

 上映会といっても椅子に座る少女が一人だけの寂しいものだ。他には誰もいない。主催者たる今の声の主もこの場にはいない。スピーカーから流れてくる機械的な音声は息遣いがあるのでボイスチェンジャーか何かで声を変えたものなのだろう。飲食店跡地の居ぬき物件をそのまま使用したアジト。電気もガスも水道も止まっている、まさに「そのまま」の一室だ。

 本来なら、こういった場所には足を踏み入れたくはない。人目がないから秘密の会議にはうってつけ、と思いきや、普段から人目がないからこそ、出入りしていると不審がられる。

 今回は依頼主からの指定ということと、幸いなことにこの物件はこれから中華料理の店が出店する予定で業者が出入りするようになっているし、近くには夜の店もあるので堂々と出入りすれば意外と目につかない。あとは能力で透明人間になれば、無関係な人間が彼女に気付くことはできないだろう。

 かつてのスタッフルームに置かれた机の上にあるパソコンが、上映会のスクリーンだ。ネットにはつながらず、HDDに保存されている動画データを再生している。

 パソコン内部に保存されたデータには、逆巻条理なる学生の来歴と過去三回分の襲撃犯撃退時の映像が納められていた。

 情報は大切だ。標的の年齢、所属、性格に行動パターン、交友関係まで当然に把握していなければならない。幸い、学園都市において個人情報保護法などあってないようなもので、暗部に生きる者たちにとって一介の学生の情報を詳らかにすることなど造作もない。

 

「レベル3の『心理崩壊(メンタルクラック)』? それがわたしが選ばれた理由なのかしら?」

 

 一通りデータに目を通してから少女が口を開いた。

 関心があるのはやはり能力の項目だ。

 戦闘を想定するのなら、相手がどのような能力の持ち主なのかは必須事項といっていい。この情報を提示できるか否かで依頼主への信頼度が大幅に変わる程度には重要である。暗殺任務の成功率がそれだけで上下する。発火系の能力者が相手なら不燃性の武装を用意するし、電気を操る相手なら絶縁性の武装を用意する。小難しい話ではなく、命がかかっているのだから、能力者対策をしっかりしておきたいというシンプルな話だ。

 資料上に記載されている能力を見たところ、彼女――――獄彩海美にとって多少は親しみのある系統の能力者だ。

 

『相手にとっての悪夢を見せて精神を崩壊させる。これまで彼に倒されたものは軒並み同様の方法で病院送りになっています』

「それは精神を崩壊させるまでが能力?」

『通常の幻覚を使っている様子もあります。学校では炎や雷を発生させたようにみせていますし、大覇星祭では花火の幻覚によるパフォーマンスをしていますから……』

「つまりは幻覚使いってことね。理論は分からないけど、自然干渉系ではなく精神干渉系の幻覚という分類だから、わたしの『心理定規(メジャーハート)』なら対策できると」

 

 同系統の能力がぶつかり合ったとき、どのような影響が生じるかは未知数だ。

 相互干渉が生じて打ち消しあうか、力の押し合いになるか、はたまたまったく予想外のカオスが待っているか。

 分かりやすい自然干渉系の能力と異なり精神干渉系の能力は、ぶつかり合ったときの結果が予測できない。

 ただ分かっていることは、高レベルの能力者側が有利だということ。レベルが高い能力を持つということはそれだけ演算能力が高いということでもあり、同種の能力同士であれば、個人の力量がものをいう。暗部で生き抜いてきた海美はそういった点でも上を行く。

 『心理崩壊(メンタルクラック)』というが、強制的に精神崩壊を引き起こすような攻撃性のあるものではなく、あくまでも幻覚によって精神を追い詰めて崩壊に導くという使い方だ、能力の説明としては、幻覚を見せる能力というべきだろう。

 

「能力の発動条件が定義されていないのだけど?」

『所属校のデータベース上でも彼の能力の発動条件は分かっていません。制限や上限も不明です』

「ああ、そう」

 

 能力者の中には複雑な力を制御するために小道具を使ったり、条件付けをして精度を高めたりする者がいるが、逆巻条理の場合はそういった弱点が見当たらない。また、幻覚の理屈も不明とある。レベル5の『心理掌握』が、脳内の水分を操ることで精神操作を実現しているというような「能力の作用機序」が分かれば、より対策も立てやすかったのだが、在学中の学校で続いている能力開発の現場で不明と断じられているからには、有意義な情報が追加で手に入る可能性は低そうだ。

 

「ひとまずは分かったわ。それで、報酬の前払い分と玩具は?」

『キッチンの戸棚に入っていますよ。鍵の解錠番号は資料の最終ページを見てください』

 

 キッチンの戸棚が一か所だけ閉めてある。そこだけ古風な南京錠で施錠されており、奇妙に思っていたところだった。海美は指定された数字で解錠し、その中を確認した。紙袋に重火器と弾薬。そして、小切手が入っている。

 金にしろ武器にしろ、デジタルでやり取りすると足がつく。科学が発展した学園都市のアングラ世界だからこそ、科学の目を潜り抜けるためにあえてアナログな方法で報酬や武器のやり取りをするという依頼者のこだわりが垣間見える。

 金払いは悪くないし武器も用意してくれる。

 

『他に何か質問は?』

「傷つけちゃダメなところはあるのかしら?」

『脳へのダメージは最小限にしてください』

「殺しなのだから、脳の機能は維持できないわよ?」

『物理的に壊れていなければ、構いません。回収班を用意しておきます』

「そう。じゃあ、気を付けておくわ」

 

 話が終わったら、すぐに通信は途絶した。

 雑談に興じるような間柄ではなく、非合法の商談なのだから、いつまでも通信を繋げて傍受のリスクを増やしていく馬鹿なことはしない。

 

(……あまりいい依頼主じゃなかったわね)

 

 学園都市の裏側に身を投じてからそこそこの年月が過ぎ、平均寿命の短いこの世界ではベテランの域に達したともいえる海美ではあったが、このところうまくいかないことが増えている。依頼を失敗するということではないが、依頼者の質が明らかに低下している。

 今の依頼者は学園都市のそれなりに上にいる人物で、科学の発展のためには文字通り何でもするという倫理観の欠片もない研究者だ。

 圧倒的科学技術による治外法権を確立した学園都市の権力者側の人間は、平然と法を無視した研究を実施する。が、しかし、その一方で彼らは一枚岩ではない。自分の研究を進めるための予算や素材、人員の確保のため、ライバルを蹴落とす権力闘争もまた日常茶飯事であり、標的とされた逆巻条理もまた、何某かのいざこざに巻き込まれて命を狙われることになったのだろう。

 条理がその理由に心当たりがあるかどうか不明。

 殺しの理由を殺し屋は問わない。

 標的の命を奪うのに必要な情報を最低限もって、他は一切関わらない。

 それくらいドライに徹しなければ、学園都市の闇の中では生きられない。余計なことを知った人間の口を封じるなど、当たり前のように行われていることだ。「なぜ、この男を殺すのか」という問いそのものが、自分の寿命を削ることに繋がりかねないのである。

 

(裏に関わっているけど、殺し自体には詳しくない。そういうタイプね)

 

 顔も名前も知らない金だけの関係の依頼主。

 回収班を持っているということは、多少なりとも組織を動かす資金力はあるようだ。バックアップも期待できるので仕事をする分には都合のいい相手ではあるが、何分と詰めが甘いというか考えが浅はかだ。過去に二度、この人物から依頼を受けたが、自分の研究のための殺しというよりも他者の邪魔をするための殺しという方向性のような気がしてならない。ライバルの足を引っ張れれば、それでいいという浅薄な殺しの依頼は、恨まれるリスクとどこまで釣り合うのだろうか。金払いのよさだけで繋がっているが、そろそろ頃合いかもしれない。

 

(こっちが聞くまで頭は狙うなって言わないし、脳機能の維持を期待するのなら殺しの依頼ではなく拉致の依頼にするべきでしょうに)

 

 確実に始末するために心臓と脳を破壊するつもりでいた。能力者が相手なら、心臓を止めただけで殺しきったとは言えない場合があるからだ。だというのにできるだけ脳は傷つけないでくれときた。殺しの依頼なのだから、脳機能の停止は必須条件とするべきだろうに。間違いなく思いつきで付した条件だろう。矛盾もいいところだ。こういった面があるから、海美がこの依頼主に向ける信頼感は絶賛低空飛行状態だ。

 

(――――今は仕事を選べる立場じゃないし、仕方ないか)

 

 「スクール」が壊滅してから海美は伝手を頼って、地下に潜る生活を続けている。

 圧倒的な力で他者をねじ伏せるレベル5第二位のリーダーがいなくなり、所属組織もなくなったことで海美の安全を担保するものがなくなってしまった。これまでに買った恨みも数知れない。なかなかのハードモードに突入しているような気がしてならない。

 結局、今の海美は裏の仕事を回していくしかないし、仕事の選り好みができるような立場でも状況でもないのだ。

 我がことながらドツボに嵌っていて笑えてくる。

 所詮は裏稼業だ。年貢の納め時というのは、このようにして歯車が狂っていった先にあるのかもしれない。

 

 

 

 +

 

 

 

 条理が通う高校は学園都市の中ではごく普通の進学校だ。所属する学生の大半がレベル2以下で3あれば優秀という能力開発の面ではまさに普通。この頃になると能力開発は置いておいて、外の学校と同じく学力重視で進学を目指していくようになる。

 これが普通の能力者の普通の生活だ。

 そして、そんな学校に通う普通の中では上位の学生である条理は、来る定期テストに向けた勉学にいそしむ――――わけでもなく、夜の工場地帯を自転車で爆走していた。

 日が暮れるまで続いたテスト前の追加授業を終えて帰宅していたところで待ち構えていた何者かに狙撃された。

 真横から飛来した銃弾は外れたが、そのまま人気のない工場地帯に追い込まれてしまったわけだ。

 いつかは実力行使に来ると思っていたので、この状況を不思議には思わない。やっと来たかと不敵に思うくらいには余裕がある。

 

(能力じゃなくて銃撃ってのがプロって感じだな)

 

 暗殺のプロの知り合いはいないが、この学園都市の裏にいるものなら銃火器を入手することは簡単らしい。能力は個人に紐づくので、銃を使った方が足がつかないという考え方もあるようで、例えば発火能力で罪を犯せば、容疑者は発火能力者の誰かということになるのだとか。

 念動力でも壊れないという頑丈さがウリの自転車だが、市販品でしかないので性能はお察しである。全力で漕いで時速20キロを超えればいいほうだ。

 人目に付くところでも銃を使ってきたところからして、なりふり構ってられないか、それとも悪事を握りつぶせるだけの権力があるのか。

 鉄くずが積み上げられた廃棄物処理場の横を駆け抜けているところで、不意の閃光が炸裂した。

 より具体的には駐車場の隅に置かれていたドラム缶が爆発して、数えきれない鉄片をまき散らして条理の身体をずたずたに引き裂いたのである。

 

 

 

 +

 

 

 

 思いのほか呆気ない結末に獄彩海美の警戒心はむしろ上がった。

 逆巻条理という青年について海美は事前に情報を収集し、暗殺計画を実行した。彼の通う学校のスケジュールを事前に確認し、彼の帰宅経路も計算に入れて狙撃手を配置し、さらに無人の工業地域に追い込んだ。不祥事から稼働を停止して半年余りの工場が大部分を占めるこの区画は、不良もまだ居付いていないので人気がなく、暗部の仕事がしやすいということで狩場として重宝されていた。海美にとっても依頼者にとっても地の利があるこの場所に追い立てることができた。爆弾を使ったのは念のためだ。狙撃だけで片付けられれば簡単だったが、勘が鋭いのか運がいいのか、配置した狙撃手の銃撃は結果に繋がらなかった。『心理崩壊(メンタルクラック)』の応用技でも使っていたのだろうか。いずれにしても、物理的な干渉力を持たない精神系の能力では至近距離からの爆風と無数の鉄片の雨を防ぐことは不可能だ。――――不可能なはずだ。

 工場の仮眠室の窓から爆破現場を見下ろして、海美は目を細める。濛々と立ち込める黒煙と砂煙で結果が目視できない。今日は風がないので、もう数分はこのままだろう。

 

「これで終わり?」

 

 暗部に命を狙われて、何度も生き延び、襲撃者を撃退までしてきた男が、こんなにあっさり終わるのだろうか。

 終わるときは終わるだろう。それはそうなのだが、本当にそれで大丈夫かという疑念は晴れない。やはり死体を確認するまでは一息つくことはできない。

 と、海美は携帯電話を取り出して、狙撃手に電話をかける。

 機械的なコールが鳴る。それが三回鳴った時点で、海美は電話を切ってポーチを手に取り腰かけていた椅子から立ちあがる。

 狙撃手は海美のためなら殺人も厭わないという優秀な信奉者だ。それゆえに海美からの連絡を無視するなどあり得ない。

 

「判断早いな。もう逃げんのか」

「――――ッ」

 

 月明りが差し込む室内にいつの間にか逆巻条理が立っていた。

 

「驚いた。どうやってここに?」

「まあ、いろいろと。で、あんたが真犯人ってヤツで間違いないね?」

「どうかしら。偶然、肝試しに工場に忍び込んだだけの一般人かもしれないわよ」

「そんなわけないでしょ」

 

 海美が緊張感に背筋を震わせる。

 能力の正体がいよいよ分からなくなる。爆発からどうやって生還し、ここを割り出したのか。狙撃手はどうしたのか。疑問が山のように溢れてくるが、とにかく今はこの場をどう凌ぐかが大事だ。

 

(爆弾から無傷で生還しただけじゃなくて、こっちの居場所を特定して一瞬で移動した? 狙撃手も倒してたとしたら、『心理崩壊(メンタルクラック)』なんて表層部分にすぎないんでしょうね)

 

「わたしが見ていたあなたは幻覚なのかしらね」

 

 考えられるとしたらこれくらいだろう。精神系能力者に物理的な防御力はないというのが基本とするのなら、最初からそこにいなかったと考えるほかない。

 

「だとしたらどうだ。今、あんたが見てる俺が本物だって保証もないぞ」

「そのときはそのときでしょう。少なくとも、今のあなたが本物かどうかなんて関係ないわ」

 

 少なくとも相手は会話に乗ってくれている。これは海美にとっては好都合だ。時間を稼ぎ、情報を分析することができる。海美の『心理定規(メジャーハート)』は心の距離を操る精神系能力だ。相手が問答無用でこちらを害する気がないのなら、その間に能力をかけることもできる。

 

(すくなくともわたしの精神は平常。幻覚を見たとすれば、精神への直接干渉ではない別の方法。光信号による視覚干渉とか?)

 

 感情や記憶に干渉するようなものなら自分の能力と相殺できるが、こういった物理的な条件をトリガーにした認識への干渉は精神干渉系ではあっても方向性が異なる。幻覚使いということは予想していたが、これは油断だった。

 

「そっちも精神系の能力なのか。好き嫌いを操る感じか。好感度調整能力ってとこ?」

「微妙に違うけど、そんなところ。わたしの『心理定規(メジャーハート)』は心の距離を操る能力。例えば赤の他人同士を大親友にすることもできるし、逆に大親友同士を不倶戴天の敵にすることもできる。初対面の相手を恋人以上の大切な人と同じ心理的距離にすることだってできるの」

 

 海美は流れるような手つきで銃を抜き放った。手のひらに収まる程度の小さな銃は女性の細腕でも問題なく使用できる護身用の銃であり、同時にその携帯性から暗殺にも適した銃と言える。

 

(10メートルもない至近距離。そして、心の距離は15。恋人以上の相手に能力なんて使えないでしょう)

 

 心理的な距離を操ることに成功した。これで敵は無防備だ。愛する恋人に撃ち殺される悲哀を抱えて死ぬしかない。

 

「――――ッ、指、動かない……なんで」

 

 海美の指が引き金を引かない。

 カチカチと震えて鼓動が早くなる。精神に異常を来たしているのが明らかだった。

 

「撃たないの?」

 

 と、条理が問う。

 

「……う、撃てない。だって、ッ――――何、を」

 

 海美は突然湧き上がってくる不条理な悲しみに狼狽した。

 理解が全くできなかった。

 あえて言葉にするのなら、これは「恋人を銃殺することへの拒否感」だ。

 

「わ、わたしに何をしたの?」

「むしろ自分が何をしたのか思い出せばいい」

「何……って、そんなの『心理定規(メジャーハート)』で心の距離を恋人以上に設定しただけ。これで、あなたは動けなくなるはずなのに、なんで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()!?」

「自分でそうしたからだろ」

「そんなわけ、ない。わたしは確かにわたしに能力を使ったわ。間違いなくッ。()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()――――ッ、ぁ」

 

 海美はそこまで言って背筋が泡立った。

 

「わたし、何をして……なんで」

 

 心の距離を操るのはあくまでも相手と他者の心の距離だ。海美自身に使うことは基本的にあり得ない。それなのに、なぜか海美は自分に能力を使うことが当たり前だと思っていた。結果、海美自身の心が条理を恋人以上の存在と認識してしまっていたのだった。

 記憶も経験も自我すら無駄だ。恋人以上に固定された心の距離は、海美が理性でどう抗おうと変わることはない。

 

「これが俺の能力の一端ってわけ。夢で現実を書き換えるって感じでね。雑な言い方をすれば常識改変能力ってヤツ。正式な名前はまだないから、『心理崩壊(メンタルクラック)』のままでよろしく」

「常識改変……他人の認識に介入するものなら、わたしだって気づけたはず」

「俺が改変してるのは君の頭じゃない。世界そのものだよ。ガイア理論って聞いたことある?」

「地球を巨大な生命体と仮定する非科学的な思考実験みたいなものでしょう」

「仮に地球が生命体だとして夢を見るなら、俺はその夢を書き換える。俺は星の夢を介して現実を改変できるってわけ」

「そんなオカルト、あるわけないでしょ」

「うんまあ、そのとおり。感覚的なもので俺も説明できないからそれっぽい用語を並べただけなんだ。なんとなく、これが一番近い説明な気がするんだけど。ともかく、こいつは何でもありで精神干渉は一番得意分野ってだけで、他にもいろいろできるんだよ。少なくとも銃弾で俺を殺すのは無理だと思ってほしいね」

 

 条理は不敵な笑みを浮かべてそう言った。

 条理の能力は説明されても全く理解ができない。すべて真実だとするのならあまりにも理不尽だし学園都市の能力開発の常識を超えている。レベル5でないのがおかしいというくらいのチートだ。

 

「銃で俺を殺せないと分かってちょっと安心した?」

「ッ……く」

「でも銃は下してほしいな。恋人相手に銃なんて向けないでしょ」

「冗談じゃ、誰が……うぅ」

 

 海美の右手は彼女の意思に反して銃を下ろしてしまう。

 

(不味い、不味い、不味い、不味い! このままじゃ、何とかしないと)

 

 心の距離を恋人以上に設定したことで海美の感情はぐちゃぐちゃだ。ほとんど資料上の情報としてしか知らない相手を明確に愛してしまっているのだ。自分で自分に能力を使った結果であり、恐ろしいほどに効果を発揮している。

 

「そういえば名前を聞いてなかったけど、何て名前?」

「はぁ、く……言えな、い……言うわけないでしょ」

「自分を殺そうとした相手の名前くらい知りたいでしょ。ましてすげぇ美人だし。今まで俺を狙ってきたのって、おっさんばっかだったから、ちょっと嬉しかったりするんだよね」

「……獄彩海美」

 

 意思に反して海美の唇は自分の名前を口にする。

 

「海美っていうんだ」

「名前で呼ばないで」

「別にいいでしょ。嬉しそうじゃん」

「そんなわけない」

 

 海美は自分の理性と感情の差異に煩悶する。

 今まで『心理定規(メジャーハート)』で廃人にしてきた相手と同じ状況に置かれているのだ。

 条理に名前を呼ばれて嬉しいというまやかしの感情が膨れ上がっている。

 嘘が真実を上書きしつつあることに海美は恐怖する。

 

「能力。解除しないのか?」

 

 挑発的に条理は問いかけた。

 

(できるもんなら、してるわよ)

 

 と、海美は内心で悔しそうにつぶやく。

 

(でもできない。だって、能力を解除したら心の距離が開いてしまう。()()()()()()()()()()()()

 

 海美にとっての誤算は海美自身が恋人を撃てない性格だったということだろう。

 恋人だろうが何だろうが撃ち殺せるような尖った性格だったら、ここまで苦戦はしない。能力を解除するまでもなく、割り切って引き金を引いただろう。だが、海美は撃てなかったし、自ら能力を解除することもできなかった。恋人以上と設定した心の距離を離すことに恐怖してしまう程度には、まっとうな価値観を持っていたのだ。

 海美からすれば手詰まりだ。完全に条理の術中に嵌っている。

 

「それじゃ、もう手札はなさそうだし終わりにしよっか」

「……ッ」

 

 追い詰められた海美がとった行動は、全力で逃げることだった。

 条理を攻撃することはできないが、背を向けて距離を取ることはできた。何とか戦おうなどという考えはない。とにかく逃げることだ。何をしたらいいかは頭では分かっている。感情が追い付かないのなら、とにかく理性に従う。逃げるという行動自体は条理に危害を加えるものではないから、足を止めることにはならない。そうして距離を取って、感情の整理をつけてから能力を解除する。人の心の距離は常に一定ではない。時間経過で離れていくことも日常茶飯事である。どれほどの大恋愛であっても、時間とともに感情の変化は発生する。ましてや、『心理定規(メジャーハート)』で作り出したまやかしの好感度である。

 海美の全身に悪寒が走った。強烈な嫌悪感に足が止まり膝をつく。

 

「う……ぷ、これは……」

 

 吐き気を伴う不安感だ。頭の中を情報がぐるぐると回っていて思考がまとまらない。精神干渉の一種なのは間違いないが、その正体が掴めない。

 

「何をしたの?」

「少し弄らせてもらったよ。あんたの精神性」

「精神性、ですって?」

「常識を改変するって言ったでしょ? 世界の常識より個人の常識を弄る方が簡単なんだ。この場合は精神系の能力とほぼイコールになるんだけどね。今回はあんたの「常識」にちょっとだけ手を加えたよ」

「常識に手を加える……?」

「さっきまでは能力は自分に使うものという常識。そして、今回は人を傷つけることは悪いことだっていう常識だよ」

「何を言ってるの? そんなの当たり前でしょ? 人を傷つけるなんて、あり得ない……う、ぷ」

 

 そう言ってから海美は口元を抑えた。

 吐き気を堪えて、大きく深呼吸する。脂汗がにじみ出て、激しい不安感に動悸がする。

 かつてないほど強烈なストレス反応に身体が対応できていない。

 

「そうそう、あり得ない。それが常識。普通のね。でも、あんたたち暗部の連中は、そういう常識が最初からないか、あるいはどこかで折り合いをつけて仕事をしてきた。だから、そんなヤツらには、もう一度初心に帰ってもらう。当たり前の常識ってヤツを叩き込んでやるわけ。暗部にいるヤツにはこれがよく効くんだ」

「いや、違う。こんなのはわたしの感情じゃ、ない。戻して。わたしの心」

 

 奥歯がかみ合わないほどガチガチを震えて音を立てている。

 傷つけた敵の顔が脳裏にちらついている。

 暗部に身を投じてからというもの多くの人の人生を破壊してきた海美は、当然ながら一般的な罪悪感は捨て去っている。仕事だからと割り切って、命を奪うことも廃人にすることにも心を動かさなかった。それが、条理の能力によって狂わされた。

 人を傷つけられないほどまっとうな価値観を植え付けられた海美の精神は、自分のこれまでの行いを許せない。

 

「違う、違う、違う、こんなのわたしじゃない。わたしじゃ……わたしがした、わたしが奪った、ち、ちが、これは、あ、あ、ヤダ、変、おかしく、なる、あ、ああ、あああああああああああああッ」

 

 頭を掻き毟り、パニックになった海美は叫びながら身悶えた。

 理性が偽物の感情だと警鐘を鳴らすが、冷静に分析する余力はない。

 海美の「常識」が自己批判を繰り返す。己の罪を断罪する。学園都市の表では二人を殺害するとまず死刑だそうだ。ならば、暗部の仕事を請け負ってきた自分の行きつくところは一つしかない。

 

「……ごめんなさい」

 

 海美は啜り泣きながら、小さく身を丸めて床に額をつける。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、すみませんでした、ゆるしてください、わたしのせいで、ごめんさい」

 

 ひたすら、そこにはいない誰かに謝罪を続ける海美はもう条理との戦いも頭にはないのだろう。

 むしろ発狂して廃人になっていないのはさすがというところだろうか。

 暗部の人間を病院送りにしてきたのが、この常識改変による罪悪感の強要だ。自分の罪に押しつぶされて、精神を崩壊させる。これが精神攻撃能力と認定されて、『心理崩壊(メンタルクラック)』などという名前になったわけだが、本質からまったく外れた能力名だ。

 無力化はしたが、これでは病院送りということもできないか。

 放っておいても、仕事をミスしたということでこの娘がどうなるか分からない。

 能力の影響で恋人扱いしてくれるし、手元に置いておくのもいいかもしれない、と不埒な考えが頭に浮かぶ。

 

「海美、あんたこの後どうするんだ?」

「……う、ぅ」

「俺を爆殺しようとしたよな?」

「あ、あ、ぅ……ご、ごめんなさい。あれは、あの時は、どうかしてたの! だって、あなたをこ、殺すなんて、あ、あり得ないのに……なんで」

「海美からすると俺は恋人以上の距離感なんだっけ? どんな感じ、恋人以上の相手を殺そうとするのって?」

「ひ……ちが、ごめんなさい! 本当にごめんなさい! ヤダ、嫌いにならないで! さっきまでのわたしは違うの、頭がおかしくて、あれ、なんで、変、今、初対面で、これは『心理定規(メジャーハート)』のせいで、でも……傷つけようとしたのは事実で、絶対に許されないことだから、う、ぅう、わたし、どうしたら」

「海美、俺の女になれよ」

「え……」

「海美美人だし、これでお別れは残念だからね。お互いウィンウィンだろ?」

 

 そう言って条理は海美を押し倒した。

 

「きゃッ、あ……!」

 

 海美は抵抗しない。もともと恋人以上の心理的距離に設定しているために、条理に押し倒されても嫌悪感がなかった。命を狙ったという事実に対する罪悪感は依然として強い。

 

「わ、わたしがあなたの女になんて、そんなこと――――んッ」

 

 言葉を封殺する口付け。強引に唇を奪った条理はそのまま体重をかけて海美の小柄な身体を抑え込む。

 海美は目を見開いて驚愕するが、すぐにとろんと表情を蕩けさせた。

 

(キスされてる。わたしがこんな初対面の年下に……でも、気持ちイイ)

 

 柔らかな唇をそっと塞いだキスは小手調べのあいさつ代わりだ。

 

「今度は何をしたの?」

 

 と海美は尋ねた。

 

「恋人とのキスは気持ちイイ。常識的だろ」

「人の頭を好き勝手に……」

「舌出せ」

「あ……ぁあ、やらぁ♡」

 

 海美は言われるがままに舌を出した。

 操られているわけではない。それが当たり前の行動だと認識してしまう。命令に従わされるのではなく、条理の言葉に従うのが常識だと思う。そもそも恋人云々の部分は海美の能力によるものなのだから、自業自得だ。もう自分の能力によるものなのか、条理の能力によるものなのかも混ざり合って訳が分からないことになっている。

 舌を絡ませる。熱くざらつく舌が絡まって、唾液がまじりあう。裏稼業に身を置いても身体を売ったことはないし、まっとうな恋愛もしたことはない海美にとってはこれがファーストキスだ。

 

「ふぐ……んちゅ……れろ……はあ……うそ、やだ、これ……ん、ぷ……ちゅ……ん、ん、んふぅう♡」

(これ、ヤバい、気持ち、よすぎる。頭が溶けて、何も考えられない♡)

 

 常識改変された認識が条理とのキスに至福を感じている。

 ぐちゅぐちゅと口の中を舌で掻き回されて唾液を飲まされているのに、快感以外に感じない。積み上がった罪悪感も消えていく。

 頭の中、心の奥深くまで狂っていくのに、その自覚があるのに何もかもを受け入れている。

 暗部のことすら頭になく、ただ堕ちていく。

 




長くなったので切ります
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