とある世界の常識改変 作:ロロノア
透き通った満月の夜だった。
そこは北アイルランドの海辺の農村だ。広大な農地の中にまばらに人家があり、日中ですら人の気配どころか人を見かけることすらまれという地域である。
2階建ての小さな教会は、この地域で一番の高層建築物だった。
年季の入った木製の扉を開けて男が出てくる。
年齢は30歳前後だろうか。
背は高く、すらりとしているが服の上からも鍛え抜かれた筋肉の存在を見て取れる。
夜の闇に溶け込む黒いカソックを着た彼は、冷たい夜気を深く吸い込んでため息をついた。
深夜2時を過ぎた頃である。
月光以外の明かりはなく、いつも通りの静かな夜だ。
「こんな夜更けに非常識では?」
その男――――チェスター・シンプソンは暗闇に向かって問いを投げた。
ややあって、暗闇が揺らいだ。
まるで透明なカーテンが風に煽られてめくれ上がったかのように、景色が捩じれ、次の瞬間には月光を反射する銀色の鎧を着こんだ男たちが出現した。
その数は20。
ただし先頭の男だけは鎧を着ていない。
「しかし、まさか騎士団長自らお越しとは。こんな辺鄙な田舎の農村に出向くにしては、少々、いえ、あまりにも物々しい様子ですね」
「『騎士派』の不始末は『騎士派』でつけねばならん。まして、チェスター。一部隊を率いる立場にもなった貴様が相手ならば私が処断に動くのは予想できたはずだが?」
「2、3年も前の立場を持ち出されても困りますが。で、私には何らかの容疑がかけられていると」
「
騎士団長が剣の柄に手をかける。
「大人しく拘束を受け入れるのなら、手荒な真似はしないが、多少なりとも抵抗するのなら命の保証はない」
「なるほど」
チェスターは頷いた後、自らの腰に手を伸ばす。そこには彼が騎士であったころの名残。一振りの剣がある。
「残念だ、チェスター」
その瞬間、大地が揺れた。
激しい轟音とともに教会が文字通り吹き飛んだのだ。
木っ端みじんという言葉がこれほど適切な状況も珍しい。
粉塵が舞い上がり、ガラガラと瓦礫が地面に降り注ぐ。
騎士団長に同行していた騎士たちの中に、何が起こったのかを把握できた者は皆無であり、事が起こってから防御姿勢を取る有様だ。
対応できたのは2人だけ。
この破壊現象を引き起こした
「もう一度言うが、こんな夜更けに非常識じゃないか! この地域で唯一の教会だぞ!」
互いに剣を抜いた。
対立が明白である以上、もはや敬語は不要だと判断したいのか。あるいは、こちらが本性なのか。獰猛な笑みを浮かべたチェスターは、粉塵から飛び出して後方に退避する。
「違法な魔術的改造を重ねた教会だ。いずれにしても解体は確実。その費用が浮いた分だけむしろプラスだろう」
「何でもお見通しか。嫌になるね」
チェスターは舌打ちをして剣を構えた。
中世騎士が使用する一般的なロングソードだ。対する騎士団長の剣は、みるみる内にその形を変えていく。赤黒く肥大化し、携行武器としては規格外にまで変容する。辛うじて剣だと分かる意匠ではあるが、もはやそれは鉄塊だ。凄まじい「
「フルンティング! 本気か!」
その霊装をチェスターは知っている。
それが発動して、強大な力を発揮するということは、第2王女が騎士団長を支援しているということの証だ。王家の至宝たるカーテナまで持ち出してチェスターを葬り去ろうとしているのだ。
「貴様の処断は最優先事項となった。『騎士派』のみならず、英国として看過できんとな」
「なるほど、正直予想はしていたが、ここまでしっかり反応を返してくれるとむしろ嬉しいくらいだ」
発生した莫大な衝撃波だけで十分な破壊力があった。
もしも周囲に人家があれば、軒並み倒壊していたかもしれない。
ゴンゴンゴンと、爆弾が爆発したような轟音が立て続けに発生し、破滅的な魔力の炸裂が続く。
「どうした、騎士団長! 俺を斬るんじゃなかったのか!?」
手を広げたチェスターは挑発する。
騎士団長は表情こそ変えないものの、内心で首を傾げた。
(何故、斬れない)
シンプルな疑問だが、3メートルに達するフルンティングを目にも止まらぬ速さで振るっている。剣で受けることなど不可能だ。それは並みの魔術ではいくら守りに徹しようとも粉砕する理不尽な力そのものだ。ゆえに、真正面から斬り結ぶという状況そのものが不可解極まりない。
視覚的、直感的な不可解さは魔術の世界では重要ではない。超常現象を引き起こすのが魔術の基本だ。ただし、そこには明確な理論があり、理屈がある。その「常識」に照らせば、英国国内で騎士団長が振るうフルンティングに対処可能な剣などあり得ないのだ。
「貴様は優秀な騎士ではあったが、これほどの力は持っていなかったはずだ。いったい、何をした?」
何より疑問なのは、チェスターの身体能力が騎士団長に伍するということだ。
今の騎士団長はカーテナの支援を受け、聖人級の身体能力を獲得している。魔術に頼らずとも純粋な身体能力だけでそこらの魔術師や騎士は一方的に蹂躙できる。一方で、チェスターは騎士としては上位の実力者ではあるが、聖人のような特異体質はなかった。彼の上限はあくまでも人間の上限のままだ。
「この国の王たちが古くから恐れ敬っていた英雄がいる」
チェスターが剣の柄を握りしめて口を開いた。
「かつての、そして未来の王であるアーサー王。この国の王たちは、アーサー王伝説を王権強化に利用しつつも、その復活を恐れてきた。我々、いやお前たち『騎士派』も『王室派』に与してその芽を摘み取ってきた」
「なるほど、貴様がアーサリアンだということは知っていたが、そこまで入れ込んでいたとはな」
「英国騎士なら必修科目だ。そして絶望もした。『騎士派』でありながら、かの王を恐れ排斥する伝統に。あんたなら知っているはずだ。過去、アーサー王に対応した聖人が辿った末路を」
騎士団長の視線が鋭くなる。
脈々と受け継がれてきた伝統にして英国の闇の一端に、チェスターは触れている。
聖人とは神の子と似た身体的特徴・魔術的記号を持って生まれた人間のことだ。偶像の理論により、極めて強力な「天使の力」をその身に宿すことができる。アーサー王のような歴史上、神話上の英雄と対応する概念とは言い難いが、偶像の理論は十字教の専売特許というわけではないので、理屈の上では過去の英雄・豪傑・神様に準えた「十字教で言うところの聖人」が誕生する可能性は皆無ではない。
そして、偶像の理論と「いつか蘇る王」の伝説を重ね合わせれば、「人工的なアーサー王」を誕生させる可能性すらある。もちろん、大多数の魔術師からすればそれは机上の空論だ。現に存在が確認されている聖人ですら、その複製は実現していない。まして、実在定かならぬアーサー王をベースにした聖人など、夢物語に等しい。だが、『王室派』にとっては笑って流せる内容ではない。その可能性があるというだけで政治的権威を失墜するリスクを抱えることになりかねないからだ。アーサー王伝説を利用してきたからこそ、アーサー王という偶像は英国王室のアキレス腱となる。
「過去1,000年の歴史を閲した結果、3名の該当者がいたことを確認した。彼らが本当にそうだったかは今となっては分からないが、アーサー王に対応しているとされて秘密裡に処断された聖人たちだ」
「騎士団長にのみ陛下から直々に共有される話だ。よく辿り着いたものだな」
「そうやって未来の王を消すのも騎士団長の仕事だってわけだ」
「王室と国家の安定を第一とするのが『騎士派』の職責だ、とだけ言っておこう」
剣と剣がぶつかり合い、火花を散らす。
もはや前時代的な騎士の決闘とは言えない。
至近距離で爆弾をぶつけ合うようなものだ。
炸裂するエネルギーで空間が引き裂かれ、地面が砕け散る。
周囲に張り巡らされた人払いの結界も、どれだけ持ちこたえられるだろうか。余波だけで、引きちぎられてしまいそうになっている。
「アーサー王ベースの聖人化。貴様の力の正体か」
「最初に俺が手に入れたものが何か教えてやろうか。かつて処刑した3名の聖人を徹底研究し、「アーサー王に対応する身体的特徴・魔術的記号」を割り出したチェックリストだ。あんたたちが次の「王」を探すために用意したものさ」
チェスターの剣が急激に魔力を蓄え始める。どこかから流れ込んでくる膨大な「天使の力」だ。
「術式・モードレッド。俺自身を骨格レベルで調整し、「英国王室がアーサー王と断定する数値」の近似値にまで近づけるアーサー王化の術式だ」
「正気とは思えんな」
騎士団長は思わずつぶやいた。
理屈は分かる。
「天使の力」を利用できる形状や特徴が分かっていれば、それに近づければいい。
だが、それは人間の肉体で達成できることではない。それができるのなら、魔術世界は聖人だらけになっているだろう。
そもそも偶像の理論で流れ込む「天使の力」を制御するのは困難だ。
本物の聖人ですら自分の力に手を焼いているというのに、後付けで聖人の特徴を付け加えた普通の人体など、内側から破裂するのが目に見えている。
チェスターの恐ろしいところは机上の空論を実現するセンスと才能。さらには、聖人級の「天使の力」を流し込まれても暴走しない類まれな制御能力だ。行きつくところは、執念。その一言に尽きるだろう。
「思えば昔から魔力の扱いはとびぬけて上手かったな」
騎士団長はチェスターの剣に対応しながら呟く。
「だが、それだけで私から逃れられるとは思うまい」
その上で、斬り返した。
部下の騎士たちでは今のチェスターには敵わない。
カーテナによるブーストを受けているとはいえ、聖人級にまで上昇したチェスターの身体能力は彼らをさらに上回っているからだ。
それでも、カーテナの加護を受けた騎士団長の力は聖人をも上回る。
「ッ――――!」
驚愕に目を見開いたのは騎士団長の方だった。
チェスターの剣がフルンティングを打ち払い、押し返したのだ。
「こればかりは感謝するよ、騎士団長。この術式が実戦でどれだけ使えるかは分からなかったんだ」
剣を右に左に持ち替えながら、チェスターは言う。
「術式・エクスカリバー。アーサー王と言えば、これだろう」
騎士団長は総毛立った。
この男は危険だ。
そう感じたからこそ、最短最速の斬撃を叩き込む。
渾身の一撃はしかし、チェスターの剣であっけなく受け止められた。
「術式は完成した。ああ、カーテナの加護なんぞ、もはや無意味だ。伝承を紐解けば、カーテナはトリスタン卿の剣だったという。ならば、円卓の騎士を束ねるアーサー王の剣が、その加護を断てないはずがない」
出血量が多い。
騎士団長は歯噛みしながら、剣を握り直した。
辛うじて致命傷を避けたが、上半身を斜めにばっさりと斬り裂かれている。
(フルンティングの出力は7割減といったところか)
3メートル以上あった刀身は、今や通常のロングソードと同じくらいに縮小している。赤黒い刀身は健在だが、大幅に威力が低下している。カーテナからの「天使の力」の供給が途絶えてしまったからだ。
(さながらグレンデルの母と対峙したベーオウルフの如しか)
カーテナを介して送り込まれる「天使の力」を返り血としてフルンティングに注いでいた。それを今は騎士団長自らの血で代用している。返り血を浴びるほどに強くなる性質は、アーサー王伝説に由来する術式ではないから、術式・エクスカリバーで完全に無効化されることはないと踏んだが、正解だったようだ。
「さすがにしぶとい。だが、ここまでだ。騎士団長――――ぐッ」
ごう、と旋風が駆け抜ける。
あれほど猛威を振るっていたチェスターの身体が20メートル近くも吹き飛ばされる。
チェスターは何度も地面を蹴って勢いを殺し、倒れることなく着地する。
騎士団長が両断される寸前に、飛び込んできた襲撃者は女だった。
長い髪をポニーテールにした東洋人の美女。東洋人にしては長身で、身の丈ほどもある刀を肩に担いでいた。
「東洋の聖人か」
神裂火織。
有名人だ。
英国の魔術世界に身を置く者で、彼女を知らない者はいない。
「まさか、ここで『清教派』が出てくるとはな」
痛む胸を抑えてチェスターは言った。
振りぬかれた鞘の一撃はチェスターを手酷く打ち据えていた。術式完成前のチェスターなら、肋骨がすべて圧し折られていただろう。
「あなたが利用した「新たなる光」は
柄に手をかけて神裂は敵を見据える。
「貴女に助けられるとは」
「間に合ってよかったです。見たところ相性の悪い相手のようですから、ここはわたしが引き受けますので治療を優先してください」
騎士団長の顔色は悪い。出血量が多く、意識を保つのが精いっぱいといった有様だ。並の人間なら致命傷のところ、踏み留まっているのはさすがだが、カーテナの加護を失った今、彼の肉体強度は人間を超えるものではない。
神裂としては騎士団長を連れて下がりたいところだが、チェスターを無視して下がるわけにはいかない。
後は彼の判断に任せて、神裂は地面を蹴った。
「ぐ……ッ!」
苦悶の声を漏らしたのはチェスターだ。
神裂の高速移動にチェスターは辛うじて反応した。振りぬかれた鞘がこめかみを殴りつける直前に、剣で受け止め――――支えきれずに殴り飛ばされた。
さらに神裂の追撃は加速する。
チェスターが体勢を立て直す前に瞬時に接近して抜刀した。
「ぐおおおおおおおおお!」
致命の一撃を剣で受けながしたものの、続く蹴りまでは凌げない。
まるでトラックに跳ね飛ばされたかのように、チェスターは蹴り飛ばされた。
「く――――ふう、はあ、なるほど、これが聖人か。実際に相対すると凄まじいな」
全身に青あざを作りながらもチェスターは立ち上がった。
異様なタフネスは、彼に流れ込む「天使の力」によるものだろう。
神裂のそれとは異質のアーサー王信仰に由来するものだ。
チェスターの頬の切り傷、青あざがみるみるうちに消えていく。
「なるほど、そういえばアーサー王は不死身の英雄の1人でしたね」
「なんだ、騎士団長とのやり取りは筒抜けか」
「ですが、あなたはそれでも人間です。そして、わたしが相手なら騎士団長に対するほどの優位性は確立できない。如何です?」
「ああ、その通り。俺は所詮はアーサー王の聖人もどきに過ぎない。英国騎士どもが相手ならいざ知らず、まっとうな聖人には力負けするのは至極もっともだ。まったく、貴女が英国人だったら、まだ何とでもなったんだが、よりにもよって日本人とはね」
「何の関係が?」
「……ッ!」
チェスターが剣を構えようとしたところに神裂が素早く斬りかかって動きを制す。
「余計な動きはしないことです。速やかに剣を捨てて降伏してください」
「く、ぐ……ふ、東洋の聖人様はお優しいことだ。騎士団長ほどの冷徹さがあれば、あるいは俺を仕留められたかもしれないな」
鍔迫り合いの最中にチェスターは不適に笑った。
「何、ッ……!」
神裂は咄嗟に背後を振り返って刀を振るった。
空中で銀白色の金属が火花を散らす。
それは矢だった。
放ったのは騎士団長が連れてきた騎士だった。
それだけではない。他の騎士たちも剣、斧、槍を抱えて神裂に対峙している。明らかに敵意は神裂に向けられている。
「彼らに何をしたのですか?」
「これ以上のネタバレはなしだ」
「そうですか。それで、あの方たちとあなたでわたしに勝てると?」
神裂は騎士に囲まれつつある状況にも余裕を崩さない。チェスターに20人の精鋭騎士が加わったところで、聖人1人に遠く及ばない。それが魔術世界における常識であり現実だった。カーテナの加護を得た騎士団長が加われば話は別だが。
「もちろん、思ってない。何より、貴女に勝利する必要もない」
パッと血の花が咲いた。
「な……!」
神裂は驚愕に目を剥いた。
騎士たちが突然同士討ちを始めたからだ。
「何をしているのですか!?」
「見ての通りだ。あいつらは俺ほどの耐久性はないから、このままだと死ぬんじゃないか」
「あなたはッ」
「俺を相手にしている時間があるか?」
「く……ッ」
神裂は目の前の危険人物と背後で起こった阿鼻叫喚の地獄絵図を秤にかけて、やむなくチェスターに背を向けた。
音速を凌駕する瞬間移動で神裂は同士討ちを始めた騎士たちを制圧する。
20人の騎士たち全員が横臥するまで1分とかからなかったが、その僅かな時間でチェスターは姿を消していた。
神裂は周囲を見回してチェスターの行方を捜したが、少なくとも目の届く範囲から出たようだ。
聖人の視力でも捉えられないとなると、長距離を移動する術式を使用したのだろう。
『騎士派』の襲撃に備えて脱出手段は整えてあったに違いない。
神裂は内心のいらだちを被りを振って振り払い、騎士たちの手当に向かった。