とある世界の常識改変 作:ロロノア
――――支倉冷理。
水素を発生させて操る『
一方で、彼女が行方不明になったことは、まだ「表沙汰」にはなっていない。
現時点では、自発的に行方をくらませた可能性もあるので、大々的には動いていないのだろう。
それでも、かつては常盤台に一大派閥を築いた人物だ。行方不明の話はすぐに知れ渡り、ネット上の掲示板では彼女の安否を心配する声が多数上がっているし、彼女を慕う学生有志が捜索に乗り出しているようだ。常盤台の優秀な能力者たちの中には、条理がしたように他者を追跡する能力を持つ学生もいるはずだ。そういう学生をどのように出し抜いて、冷理はこの三週間を過ごしていたのだろうか。
それは、後で本人に聞くとして、問題は行方不明となった原因だ。
倒した兵士の頭を覗いて出てきたのは、環境開発維持管理機構株式会社という企業の名前だ。
ありきたりな名前の企業だ。通称はEDMOというらしい。
HPを見ると創業から5年しか経っていないベンチャー企業だ。
主な事業は太陽光発電パネルの開発と販売で、近年は小型の水素発電所の研究に意欲を見せているらしい。こちらはまだ実現していないようだが。あとは、貧困地域の安全な飲料水の提供事業に海洋環境改善事業。原子力発電所のトリチウム水の除去装置の研究開発なども掲げている。
典型的な補助金運営の会社だ。特に利益になる事業がなく、夢を売って金を稼いでいるようにしか見えない。太陽光発電だけは進んでいるようだが、あくまでも学園都市外の規格の製品だ。風力発電の規模が大きい学園都市内では出回っていない。
夢はあるが企業としての未来はなさそうというのが条理の所感だった。
「水素発電にトリチウムね」
ベッドで眠る冷理を横目になんとなく分かった気になった。
これでレベル4の水素使いと無関係などということはあるまい。
「う……ぇ」
そうこうしているうちに冷理が目を覚ました。
寝起きで意識がはっきりしておらずひどく眠そうだ。
「目ぇ覚めた?」
「え……あッ、あれ、わたし」
飛び起きた冷理が掛布団を跳ねのけた。そして、条理を見て気絶するまでの一連の出来事を思い出した。
「あ、あなたは、ええと……」
「逆巻条理。逆巻でも条理でもどっちでもいい。ちなみに俺のほうが年上」
「あ、はい。逆巻さん……すみません。本当に、わたしのことに巻き込んでしまって」
「何回も謝んなくていいから。正直、最近俺も襲われるのに慣れてきちゃったからな」
「……暗部?」
さすがにレベル4の才媛となると学園都市の裏側に無知ということでもない。
「俺は暗部じゃないけどね。いろいろ、絡まれることはあって、何とかならないかと思っちゃいるんだけどな。ま、今回みたいな感じで関わっちゃうこともあるから、こういうのはめぐり合わせなのかもね」
と、肩を竦める。
暗部に知り合いもできているし、条理自身暗部の依頼を受けていないだけで、無関係でもなくなっている。そもそも、木原唯一に研究対象として執着された時点で、暗部と一切関係なく生きていくことは不可能だったのだ。
「わたし、どれくらい寝てました?」
「5時間くらいかな」
壁掛けの時計は午後10時を指している。
「そうですか。けっこう、寝てたみたいですね」
「5時間は別に長くないだろ」
「最近はそうでもなかったので。あの、あの後はどうなったんですか?」
「あのまま放置もできないんで、何とかここまで運んできた。
「そういえば、ここって……」
冷理はここでようやく自分がどこにいるか把握しようと周囲を見渡した。
ホテルのベッドルームだ。壁掛けのテレビは新品らしく綺麗な大画面(お嬢様視点ではまだ小さい程度だが)である。ベッドは一般的なものよりも低い。そして、それが置かれているところはなぜか一段高く、畳になっているという奇抜なデザインの内装だ。なにより目を引くのは、ガラス張りの風呂場だ。脱衣所もなく、ベッドの真正面にあるので丸見えである。
「こ、ここ、こここッ、ここ、はッ」
「第5学区の『カーマ・スートラ』ってホテル」
「ホテルって、ここ、そういうところなんじゃ」
「そういうって、まあ普通のラブホ――――うおッ」
条理は飛んできた水の弾丸をバインダーを盾にして防ぐ。
「床が濡れるだろ」
「気絶した女子をこんなところに連れ込むなんて、どうかしてるでしょ!」
「あんまり騒ぐと隣に聞こえるぞ。一応防音だけど、古い建物だからな」
「ぐ……ど、どういうつもり?」
「どうもこうも、
「そ、それは……でも、ラブホにする必要ないんじゃない?」
と、冷理はぐっと押し黙りつつも、何とか反論する。
「ここ、セーフハウスみたいに使ってんだよ」
「セーフハウス?」
「そう。なんかあったときに逃げ込む場所」
「なんでラブホ?」
「こういうところって、条例で運営が認められているから合法なんだけど、運営側に裏側の人たちが関わってることがあるんだよ。で、そうなると縄張りってヤツになるから、別の組織の奴らは踏み込むのに躊躇するだろうってこと」
「なんか、理屈が通ってるような通ってないような」
「俺がぱっと思いつく逃げ場がここだったってだけでもあるけどな」
この第5学区にはラブホテルが集中するラブホ街がある。
大学が多い地域のため、若く元気で性に奔放な世代を対象にして発展していったようだ。
外観は古く寂れたビルだが、内装は驚くほど綺麗で清潔だ。
「まずは休憩」
そう言って条理は冷蔵庫から麦茶のペットボトルを取り出して、冷理に渡した。
「ありがとうございます」
冷理は麦茶で喉を潤して、一息ついた。
それからしばらく、会話が途絶えた。
今日が初対面なのだ。ラブホテルに入ったといっても、決して浮ついた話のためではない。何なら、名前くらいしかお互いに情報がない。
「ネットで調べたんだけど、支倉さん、三週間くらい行方不明だって。掲示板で話題になってるけど」
「……だと思います。ネットは、ほとんど見てませんけど」
「あの軍隊みたいなのに追い回されてたからってこと?」
「……そうですね」
「結局、あれは何なんだ?」
「………………」
冷理は答えなかった。
条理をこれ以上巻き込まないようにするためか、話しても意味がないと思ったのか。
その反応は予想していたので、特に思うところはない。条理は気にせず、話を続けた。
「環境開発維持管理機構株式会社」
「――――どうして!?」
驚いた冷理が顔を上げた。
「逃げる前に何人か選んで、あれこれ聞いたんだよ。俺の能力はいろいろ便利だからね。ただ、雇い主の目的とかさすがに情報はなかったな。能力者対策かもな」
そもそも情報を与えられていなければ、頭を覗いたとしても情報漏洩はない。条理が本気になれば、そのあたりの常識を覆すことも不可能ではないが、さすがに負荷が大きくリスクがある。冷理に聞けばいいことで無理をする段階ではないと判断していた。
「……それができるなら、わたしの頭も覗けるんじゃないですか?」
「できるかもしれないけど、してないよ。一応味方のつもりだし」
「……………………はぁ」
冷理はため息をついて両手を上げた。
「分かりました。黙ってても意味がないってことですね。こんなことになっちゃいましたし、白状しますよ。ただ、知らない方がいいかもしれないですよ、やっぱり」
そう言って、冷理は条理の反応を待ったが、特に嫌とは言わなかった。それで、口を割ることにした。冷理は能力の相性で精神系能力には耐性がある。レベル5の
「環境開発維持管理機構――――EDMOがどういう会社か知ってますか?」
「ホームページに書いてある内容くらい」
「そうですね。それは、それで間違いはないです。特に海洋環境の保全活動とか安全な飲み水が手に入らない地域に綺麗な水を提供する福祉事業なんかがあります。理念的にはNGOとかNPOみたいな感じの企業ですね。彼らの事業とわたしの能力は相性がよかったので、早い段階で共同研究の声がかかりました」
「前から関係はあったんだ」
「常盤台の時は、ヒアリングに協力する程度でした。本格的に関わったのは卒業後です」
「まだ、半年くらいじゃん」
「そうですね」
「それで、共同研究で何かあった」
冷理は頷いて肯定した。
「わたしの能力は水素を発生させるだけでなく、反応させたり、水素化合物を操ったりできます。さっきの戦いで使っていた水は空気中の酸素と反応させて作ったものです」
「水使いじゃなくて水素使いってのは、そういう違いもあるんだ」
「あなたはいろいろできると言いましたけど、わたしもいろいろできるんです。この力をもっと人の役に立てられるのならと思って、共同研究に参加しました。空気があれば、どこでもきれいな水が作れるので、地下水脈すらない砂漠でも、化学物質で水質汚染された地域でも、飲み水が確保できます。原発の処理水からトリチウムを取り除けるかもしれませんし、水質汚染対策にも使える可能性はあります。水素は多くの化学物質に含まれていますから、活用の幅は広いんです。わたし個人では手に負えなくても、例えば機械化して大規模かつ広範囲をカバーできれば、環境問題にも人道的な課題にも、一定の答えが出せるかもしれません」
「確かに、言われてみると水素って、いろんなところに使われているのか」
彼女が挙げたもののほかにも水素燃料エンジンやオキシドールも水素が関わっている。意識していないが、生活になくてはならないものなのは間違いないし、脱炭素が叫ばれるようになった昨今では、よりニーズが高まっているというのは想像に難くない。
そんな水素を自在に操るレベル4の能力者ともなれば、共同研究を持ちかける企業も少なくないだろう。
ただ水を操るというだけの能力とは、文字通り次元が違う「価値」がある。
環境保全とエネルギー産業は、どちらも世界的に注目のジャンルで、持続可能な社会を構築する上で水素の活用は鍵となる。
「ベンチャーと組まなくても、協力してくれる企業はいくらでもありそうだけど」
「それは、はい。たくさん、お話をいただきました。ただ、わたしはベンチャーでやってみたかったんです。会社を自分の力で大きくするってところにも惹かれて。それに、常盤台にいた頃から知っているところでもあったので、そういう意味では取っつきやすかったんです。ただ、それは間違いでした」
冷理は膝を抱えて俯いた。
「今年に入ってから買収されて経営者が変わったんです。それから一気に方針が変わってしまいました。今まで一緒にやってきた社員さんたちはみんないなくなってしまって、全然、違う会社になったんです。環境問題や福祉事業は表向き継続していましたけど、投資家向けのアピールばかりで事業そのものはほとんど動きがなくなりましたね。本当に打ち合わせの度に空気が変わっていきました」
冷理はそれまで口を噤み、胸の内に抱えていたものを吐き出していく。一度、決壊したら止まらない。溜め込んでいた感情が爆発し、言葉になって流れ出ているかのようだ。
「……買収されて方針が変わるってのは、まあ、よく聞く話なんだけど、じゃあ、あれは何? あんな私設部隊みたいなのを持ってる時点で、ただのベンチャーじゃないだろ。まして、この学園都市内で運用できるって、どういうことなんだ?」
「……あれは提携しているPMCの傭兵だと思います」
「PMCって民間軍事会社ってヤツ? そんなの学園都市に入れるわけなくない?」
「だから、上層部と何らかの取引をしてるはずです。そうとしか考えられません」
「それで
学園都市は単独で一国を上回る軍事力を持つほど強大な力を持っている。その背景にあるのが、数十年先を行く圧倒的科学技術であり、その優位性を維持するために技術流出は厳しく監視されている。通常、外部からPMCが入り込む余地はないし、学園都市内で生み出された技術がそのまま外に漏洩することも難しい。逆に言えば、堂々と傭兵部隊が動いているということは、そのお膳立てをしている権力側の誰かがいるはずなのだ。
「上層部の話に確証は?」
「すみません。それは、さすがに……状況証拠だけとしか」
「まあ、信憑性はあるよなぁ」
上層部が関わっているとなれば、まっとうな手段で解決するのは困難極まりない。上は上で権力闘争を繰り広げているから、がらりと方針が変わることもあるだろう。しかし、この件に関わっている何者かが、外部の傭兵をわざわざ許可する理由が分からない。
普通の学園都市の科学者や既得権益保持者の発想とは違うような気もする。
もっとも、これは今のところ重要な話ではない。
「それで、まともじゃない企業と支倉さんに何があったの?」
「それは……その……」
冷理は、言いにくそうに口を噤む。
しかし、一度話始めたことで、口は軽くなっている。黙ってくる苦しさからようやく解放された。このまますべて吐き出したいという欲求に負けた。ここまで話したのだから、情報を出すだけ出してしまおうと、口を開いた。
「……あの人たちは、わたしの力を兵器開発に応用していました。わたしはそれが許せなくて、何とか止めようとして、この様です」
乾いた笑みを浮かべた冷理。
その瞳は疲労と絶望の色を浮かべていて、表情は心なしかやつれたように見える。
「兵器?」
「はい」
「ベンチャー企業が能力を応用した兵器開発に参入なんて、今更できる? 兵器開発なんて、参入する余地なさそうじゃないか」
ここは日本であって日本ではない。学園都市は独自の軍事力があり、兵器開発を担う企業も都市内に存在している。学園都市上層部と繋がり十分な予算と研究施設を有しており、それは言ってみれば国営企業も同然の立ち位置である。
そこに設立5年のベンチャー企業が割り込めるものだろうか。まして、買収されて方針変更をしたばかりで、兵器開発というのは無理がある。
技術レベルも設備も違いすぎて新規参入なんて無理筋だ。下請けから地道にやっていくしかないだろう。
「それ、ほんとの話?」
「はい。だから、あのPMCが出てきたんです。あれは完全に学園都市外の組織です。」
「学園都市の中じゃなくて、外に兵器を売ろうってこと。確かに、能力を応用した兵器だったら、外では十分脅威になるかもな」
学園都市の技術レベルは他の国々を遥かに上回る。たとえ、学園都市の技術の表層部分だけだとしても、外の組織からすれば魅力的に見えるだろう。学園都市の技術を使った兵器というだけで、質を問わずにプレミア価格で取引されるだろう。
上層部の誰かが噛んでいるのなら、技術の持ち出しも大目に見てもらえるかもしれない。
「それで一人で……」
「はい。誰かに相談したら巻き込むかもしれないですから。でも、どうしたらよかったのか、正直分からなかったのも事実です。とにかく、何とかしないとっていう一心でした」
一年前の冷理なら、常盤台の派閥の長として振る舞い、別のアプローチを選ぶこともできたかもしれない。だが、今の彼女は一介の学生でしかない。常盤台ブランドはもうない。組織的に動くすべはないし、そもそも自分だけの問題なのだから人に相談して危険な目に合わせるわけにもいかない。そして、残念ながら
なら、たとえ犯罪になろうとも力づくで研究を止めさせるほかない。そう思い詰めて、ただ一人で決起した。それが三週間前だった。
「ほんとに一人でよくやったな」
「もともと大きな企業じゃないですから。研究所は本社込みで三つしかないですし、わたしとしては、EDMOのデータ元を潰せれば、兵器化を阻止できると思ったんですけど、上手くいきませんでした。研究所は二つ潰しましたけど、そこは重要なところではありませんでしたし、データの本体はおそらく本社にあるはずです」
「そうまでして、妨害したい兵器化って何? EDMOは何をしようとしているんだ?」
と、条理は尋ねた。
能力開発が兵器化に繋がるリスクは常に生じているし、高レベルの能力者は大なり小なり軍事的な価値を期待される。
嫌な話ではあるが、どうしても科学の発展と軍事力の発達は不可分の領域だ。学園都市はそういった科学の使い方を表向きは否定しているものの、裏では着実に強力な兵器を開発している事実がある。
能力開発で得たノウハウを兵器に応用しないという倫理観は、この学園都市にはない。科学の発展に犠牲はつきものだと平然と人体実験をする科学者もいるくらいだ。
冷理も、それは承知しているはずだ。想像できることである。それでもなお、EDMOの兵器開発は命がけで止めたいと行動するほどの何かがあるのか。
問われた冷理は、テーブルの上に置かれたコップを指さした。
何かと思ったらいつの間にか、並々と透明な液体が注がれている。
「それ、なんだと思いますか?」
と、冷理は逆に訪ねてきた。
「水じゃないの?」
「水ですね。ただし、自然にあるものよりほんの少しだけトリチウムが多く含まれてますけど」
「トリチウム。原発から出てるヤツ?」
「ええ、はい。ああ、大丈夫ですよ。そのコップの水で被爆するとかないですから。もともと、トリチウムはそこまで強い放射性物質じゃないし、自然界に存在してる程度の濃度にしてます」
そう言って、冷理はコップの中の液体を消した。蒸発させたのだろう。
「すごい手品みたいだな」
「そんな可愛いものだったよかったんですけどね」
乾いた自嘲気味の笑みを浮かべる冷理。
「わたしの力を使えば、もっと大規模に高濃度のトリチウム水を作れます。さらに言えば、理論上は水素を使った核融合も不可能じゃないです」
「……水素を使った核融合って」
「はい、お察しの通りです。EDMOが進めているのは、手のひらサイズの超小型水素爆弾の開発です」
+
超小型水素爆弾の開発。
耳を疑うような言葉に一瞬、頭がフリーズする。
それが事実なら、由々しき事態だ。
確かにそれは学園都市に留まる問題ではない。
「それ、マジか」
「はい。……間違いないです。データでも確認しましたし、理屈も通る。それに、実験中の水素の動きで何をしているのかは察しがつきます。あちらは、わたしがそこまで感知できるとは思ってなかったようですし、基本的に外の人ですから情報セキュリティの意識も、学園都市の他の企業に比べるとそこまで高くなかったので、わたしでも、裏どりはできました。あそこ、重要書類は紙で保存してるんですよね。自分たちのシステム面が脆弱なのを分かっているので、あえて外部とネットワークを繋いでませんし、紙ベースのやり取りも多いんですよ」
「それで、核兵器の開発を。核兵器なんて、そんな簡単にできないんじゃないの? いくらなんでも核を扱えるような施設なんて、持ってないだろ」
「少なくともEDMOがしようとしていることに、そこまで大きな施設は必要ないみたいです。熱核反応はわたしの能力だけでもできますし、機械で能力を再現する試みはすでに存在してます。それも、個人で運用できる大きさのものです。昨年、その機械で悪さをする企業と揉めましたから」
「能力を再現する機械があるって噂は本当だったんだ」
「……わたしも水爆の原理を全部知ってるわけじゃないですけど、その重要な部分はもう個人レベルの大きさにまで縮小できる状況です」
原子力発電所を見れば分かる通り、核を扱うにはそれなりに大規模な施設が必須だ。膨大なエネルギーを安全にコントロールしなければならないし、ちょっとした国家予算規模の資金がなければ手を出せない。
核兵器の開発となれば原発とは違うのだろうが、それでも様々な実験をするのにベンチャー企業の規模ではとても資金が追い付かない。
だが、それも冷理の能力を再現できれば大いに費用縮減が可能となるし、大規模な施設も不要となる。
どこまで正確に『
冷理はそれが実現可能だと見ている。自分の能力だから、そのリスクは自分がよく知っている。恐ろしくて試すこともしなかった核融合を、倫理観の欠如した企業が手にしてしまった。
「わたしの責任です。わたしが、止めないと……たくさんの人を死なせてしまう。そんなことになったら……」
冷理は目じりに涙を浮かべ、膝に顔を埋めた。
EDMOの目的に気付いてから、責任感と無力感に押しつぶされてそうになっていた。
精神的にも相当追い詰められている。
思考が限定的になって視野狭窄に陥り、半ば自暴自棄になっていたと言ってもいい。
結果、敵地に乗り込んだ挙句、想定外の反撃により返り討ちにあって逃げるしかなかった。何とかしないとという気持ちはあっても誰も頼ることができず、かといって自分一人で解決する力もなかった。
条理を巻き込んでしまったことへの申し訳なさがさらに加わって、頭がぐちゃぐちゃになって思考がまとまらない。
本来ならば、こんなことを条理に話すべきではなかった。
聞いたところで、条理には何のメリットもない。自分が何に巻き込まれたかを知っただけで、解決にはつながらない。心構えくらいはできるだろうかという程度で、秘密を知ったことによるリスクと天秤にかけるようなものではない。
それでも、冷理が言葉にしてしまったのは、やはり心が相当弱っているからだ。
秘密を抱えきれなくなって、同じ境遇に陥った相手に吐き出してしまったのである。
そのことに気付いて、さらに自己嫌悪に陥る。
今また、他人を追い詰めた。
「とりあえず、落ち着いて」
条理の言葉が聞こえた直後、冷理の頭の芯が急に冷えた。
昂っていた感情が一瞬にして萎み、平静を取り戻す。
冷理自身も明確に変化を自覚するほどの急激な感情の安定化。それは条理の能力による精神への干渉だった。
「悪いけど、ちょっとだけ干渉したよ」
「あ……ありがとうございます」
精神系能力による感情のコントロールだ。
大きく荒れていた心が、凪いでいる。
冷理にとって、それは奇妙な感覚だった。
感情に手を加えられたのは初めてだが、空恐ろしい力だと思った。レベル5の心理掌握はこれを上回るというのだから、この手の能力は反則だとつくづく思う。
頭に力を使われれば、普通は恐ろしい。が、今はありがたかった。つらい気持ちが落ち着いて、平坦なものになっている。三週間、いや、もっと前からずっと思い詰めていたことが嘘のようで、それは時化た大海原が、あっという間に凪いだかのようだった。
「……このまま、引き返すこともできるぞ」
「引き返すって」
「戦うモチベーションを消すことも、記憶を消すこともできる。何も知らないまま日常に戻って、学校に復帰するってこともできる。三週間どこにいたのかって言い訳とかはいるだろうけどな」
精神的な負荷を完全に消し去り、何もかもを忘れて今まで通りに生活する。
それを物理的に強引に可能とすることが、条理にはできる。
「いえ、それは何の解決にもなりません。結局、わたしの能力が悪用されることに変わりはないですから」
「学園都市で高ランクの能力は大なり小なり、悪用されることもある。というか科学技術なんて、なんにしても兵器に転用されるリスクはある。核だって、核兵器もあれば原発だってある」
「それでも、放置するわけにはいきません。わたしだって、好きでこんなことしませんよ。でも、核なんて、こんなに分かりやすい脅威なんてないじゃないですか。その脅威の原因が、こんなに明白に自分にあるなんて突きつけられたら、何とかしないとって思うものじゃないですか?」
「――――逆効果だったかな」
「落ち着いたおかげで、自分がしなくちゃいけないことがはっきりした気がします」
「そんなつもりじゃなかったんだけど」
「ええ、分かってます。でも、もうわたしの頭は大丈夫です。おかげで整理がつきました」
冷静に自分の置かれた状況を見つめなおして、日常に帰るという選択もあった。条理はその可能性を提示したが、生来の責任感と真面目さが、仇となった形だ。冷理は感情任せにEDMOと敵対するのではなく、理性的に敵対するべきだと判断した。これを止めるのであれば、本格的に彼女の記憶や人格に干渉する必要がある。だが、果たしてそこまでする義理があるか。ここまで関わったからには、途中で手を引くのは後ろ髪を引かれるが、かといって条理が一人で解決に奔走するほどの深いつながりがあるわけでもない。それに記憶を消そうと根本原因のEDMOの追手がいることに変わりはない。結局はここをどうにかしないと、冷理の問題は解決しない。本来は
「だから、わたしの頭、元に戻してください」
「いいの?」
と、条理は尋ねた。
条理が抑え込んだ精神的な苦痛は、彼女がこれまでの人生で味わってきたあらゆる苦痛よりも大きい。せっかく、それを気にしなくていい精神構造にしたというのに。
「それも含めてわたしが負うべきものです。大丈夫ですから」
「……お勧めしないけど、な」
本人が望むのなら、と条理は彼女の精神構造にさらに手を加える。元通りの形に作り直して、後悔と精神的外傷を自覚するようにした。
「ハ――――んぷ……ッ、うッ」
途端に、冷理は口元と腹部を押さえて、呻いた。
心拍数の急上昇と吐き気、そして血の気が引いていく。
「ふ……う……はあ……キツ……はあ、はあ……」
余裕を見せていた表情が歪んだ。
冷静になったことで逆に自分が抱えた苦しみを過小評価したのだろうか。一気に押し寄せてきた罪悪感は、暴力的な精神攻撃と同じだ。
「大丈夫か?」
「――――はい。大丈夫です」
冷理はその苦痛を堪え、苦悶の声を飲み込んだ。
水を飲んで一息つく。
「はあ……やっぱりきついですね。さっきまでのわたしは、こんなの抱えてたんですか。それが、頭にいきなり湧いてくるっていうのは、不思議な感じです」
「こういう精神系能力だって、悪用しようと思えばいくらでもできるし、いいことに使おうとすれば、その使い道もたくさんある。脳内物質を操るタイプの精神系能力はうつ病の治療にも使われてるっていうしな」
「はい。ただ、やっぱり核を持ち出されるとスケールが違います。何より、学園都市の中より外への影響が大きいんですよ。核兵器は外の世界では抑止力になってるわけです。それが安易に小型化して、テロリストもPMCも使えるほど普及したら、どんな世界になるか……わたしには、想像もできません。ただ、よくない状況になるってことははっきりしています。だから、わたしにはその芽を潰す義務があると思うんです」
「そんなの、支倉さんにはないだろ」
「自惚れかもしれませんけど、わたしは原因の一人です。ほら、核兵器の開発に関わった科学者も、後悔したとか言うじゃないですか。そういう後悔をしたくないし、万が一にも被害者を出したくないわけです」
正義の側に立つ人間の理屈だ。どこまでも真面目で正しくあろうとする。今までは自分の才覚で乗り越えられたのだろうし、自分ではどうにもならなくても頼れる仲間がたくさんいた。何せ常盤台の三大派閥の長だった才媛だ。挫折がなかったとは言わないが、ここまで二進も三進もいかない状況はなかったのだ。
今回のような、誰にも頼ることができず、非合法な研究所襲撃という強硬手段に出るほど追い詰められたのは、初めてのことだった。
気付かないふりをして、目を反らして生きていくこともできたのに、それをせずに立ち向かったのは、おそらくは昨年の成功体験の影響もあったのだろう。
「で、まだ続けるつもりみたいだけど、勝算は?」
「それは……」
「今の今まで負けて逃げ回ってただろ」
「……ッ」
冷理は悔し気に唇を噛んだ。
レベル5ならば単独で事を成すこともできただろう。あるいは、もっと「刺さる」能力者なら別だったかもしれないが、彼女の戦闘能力では限界がある。もちろん、彼女は強者に分類されるが、訓練を積んだ特殊部隊を相手に、たった一人で長期戦ができるほど突き抜けてはいなかった。
「それに一番の問題は、どうやって計画を止めるつもりだ?」
「それは」
「施設を潰しても金と知識があれば同じことはできるんだ。非合法に社長さんを捕まえたとして、そのあとどうする?」
「……交渉して、データを全部、消させます。研究は情報漏洩を恐れて少数で進めていたものですから、口留めもして……」
「それ、通じると思ってないでしょ」
「………………」
「関係者は皆殺しにするしかない。データを消して、誰の記憶にも残さない、それくらいしないと、この件は消えてなくならない。支倉さんが突入しても、最後の最後にはこの問題にぶつかることになるぞ。いや、当然、分かってて襲撃してるんだと思うけどさ」
「……酷いですね。わたしの考えてることまで読んでましたか?」
「信じられないかもしれないけど、読んでないよ。想像力は人並み以上なんだ。というか、少し考えれば想像できることじゃないか」
冷理が止めたいのは自身の能力の兵器への転用である。提供したデータの完全な破壊だけでは足りず、この計画に関わったすべての技術者が、今後能力を悪用しないようにしなければならない。そんなことは、『
「……じゃあ、どうしろって言うんですか?」
殺人を犯さなければ、根本的問題を解決できない。いや、それどころかそれすらも無駄に終わる可能性がある。冷理が人生をかけても達成困難な現実だった。
「頭を弄ればいい」
「え?」
「社長でもなんでもいいんだけどさ、会社の「上」にいるヤツを捕まえて、頭を弄る」
「それ……」
「俺の力なら、データを消せと命令できるし、記憶も消せる。これでも一応精神系能力って分類なんだぞ。水素で脅すより、現実的な解決策じゃないか?」