とある世界の常識改変 作:ロロノア
条理が他者の脳に干渉する能力を有しているという偶然から、冷理の奮闘に光明が見えた。
条理を巻き込んだことを申し訳ないと思いながらも、他に有効な手立てが見つからない冷理は、この共闘を前提にして動くことにした。するしかなかった。これは地獄の底に下りてきた蜘蛛の糸だ。縋らずにはいられない。
「じゃあ、さっそく」
「好戦的にもほどがあるだろ。何の準備もなしに行くわけにはいかんだろ」
「そんなこと言ったって、時間をかけてたらデータを持ち出されるかもしれないし、逃げられるかも。逆にこっちが襲われる可能性だってありますよ」
「本社にこの時間から殴り込みをかけて社長さんがいる保証あるのか? それにほかの役員とか技術者は?」
「う……それは、そうですけど」
本社を破壊すればいいという問題ではない。データと記憶をすべて消すのが目的だ。そのためには、押さえるべき人間を押さえなければならない。少なくとも社長と役員の3名と技術スタッフたちだ。冷理が他の施設を力づくで破壊したというから、この面々は本社にいる可能性があるが、すでに行方をくらませた者もいるかもしれない。百点満点は難しいかもしれない。だが、彼らが冷理の能力を応用した兵器開発に真摯に取り組み、まだ自社の独占技術として売り出すのを諦めていないのなら、本社に集まるはずではある。テレワークすらできないほど外部と隔絶した環境を用意しているのだから、関係者は実際に出勤しなければならない。が、この時間に果たして彼らがいるのだろうか。それを確認せずに闇雲に突入するのは、やはり推奨できない。
「情報収集から始めないと、襲撃が空振りになったら目も当てられない」
「理屈は確かにそうですけど、そんな悠長な。それに、情報収集って言っても、どうやって。むしろ、ここがEDMOに見つかるかもしれないですし」
「EDMOの前に支倉さんを探してる常盤台生に見つかるかもしれないけどな。捜索だったら、あっちのほうが優秀なんじゃないかね」
「いや、待って。それは、マズい。三週間も行方くらませた挙句ラブホで見つかるなんて、なんて言い訳すればいいか!」
絶望的な表情になる冷理。彼女の危惧はまさにその通り。見つかれば、一生の恥だ。事件に巻き込まれているとは説明できない状況では、男とホテルを梯子しているとしか言えない。
「くあああああああああああああああああああああああああッ」
頭を抱える冷理を見て、条理は笑った。
「何、笑ってんですか」
「百面相が面白いから」
「他人事だと思って」
「他人事だからね、こればかりは。それにバレないと思うよ」
「なぜですか?」
「能力でカモフラージュしてるから」
「幻覚?」
「そうそう。実際、ここまで支倉さんを連れ込めてるでしょ」
確かにその通りだと、冷理は思う。
気絶した冷理をどうやってからこのホテルまで連れ込んでいる。冷理はラブホテルのチェックインの方法を知っているわけではないのだが、ともかく意識のない少女を咎められることなくラブホテルに連れ込むというのは、それだけ条理の能力の応用能力の高さを物語っている。
「逆巻さんってレベル何でしたっけ?」
「3だけど」
「3でできる範囲を超えてますよね」
「原石ってヤツみたいでね。分かってないことが多いんだよね、俺の能力。測定結果も便宜的な数値だって」
条理の力の正体がいよいよ見えなくなってきた。だが、できることははっきりしている。その部分だけを見ても、頼りになる、というか頼らざるを得ない。
条理の能力について気になることはたくさんあるが、冷理は追究を控えた。
能力の話はデリケートだ。聞かれて嫌がる人もいる。条理の能力を根掘り葉掘り好奇心に従って聞き出して、関係が破綻したら目も当てられない。
今は「好奇心」が湧いてくる程度に視野が広がったことをよしとしよう。
「支倉さん、夕食はどうする?」
「どうって、どうするんですか? 食べに行くことなんて」
「ルームサービスあるぞ」
「そうなんですか」
条理がベッドに放り投げたタブレットはルームサービスの注文用のものだ。
タブレットの画面をのぞき込んだ冷理は興味深そうにスワイプする。
「へえ、いろいろあるんですね」
「お嬢様の口に合うかは分からないけどね」
「馬鹿にしてます? そりゃ、常盤台には超世間知らずのザ・お嬢様って感じの娘もいっぱいいますけど、わたしはそんなタイプじゃないですよ」
トントンとタブレットの画面を指で叩く冷理。注文後に、条理にタブレットを渡した。
「一番高いの頼んでるじゃないの」
と、条理は呆れたように言う。高いと言っても三千円もしない程度のものだが、ラブホで注文する食事としては高額な部類だ。
「期間限定メロンパフェは夕食か?」
「しばらくちゃんと食べてなかったし、いきなり普通の食べ物はお腹に悪いかなって」
「なるほど一理ある」
今日までずっと逃避行を続けていたのだから、常に空腹ではあっただろう。その状態で急に食事をとると、体質にもよるが、体調が悪化する場合がある。他にも選択肢がある中で、一番高いパフェを選ぶのは如何なものかと思うが。
「わたしが払いますから」
「金持ってるの?」
「カードありますよ」
「カード使ったらここに支倉冷理がいるってバレるでしょ」
「……そうですね。そうでした」
やはり、逃避行には不慣れらしい。
今までまっとうな表の世界で生きてきたから、そういう細かな逃避行の作法に想像を働かせるというのは厳しい話だろう。
「金は俺が持つからいいよ」
「え、でも」
「ここに連れてきたの俺だしな」
「後でお返しします」
「かっこ悪いからいい」
かっこつける場面でもないだろうが、年下の女子相手にラブホで立替払いというのは情けない。今時の考え方ではないかもしれないが、それでもダサさが勝る気がする。
+
ルームサービスで届いたピザを食べながら、壁掛けのテレビを眺める。冷理はスマホから居場所を探知されないように電源を落としているので、テレビくらいしか見るものがない。
「いやぁ、テレビも久々に見ると新鮮ですね」
「そういえば、今まではどうしてたんだ?」
「あーー……、大体は下水道にいました」
「下水?」
「常盤台の娘たちも、まさかわたしが下水道にいるとは思わないでしょうし。こういう時に逃げ込むのは、そういうところかなって思って。学園都市の下水道管って、スキルアウトの根城になってるところもあるくらいの地下ダンジョンみたいですよ」
「容易に想像できる……行ったことないけど」
学園都市は東京都のど真ん中に立地している。つまりは低地であり、場所によっては埋め立て地だ。そして、洪水、浸水対策をしっかりしないと大事なデータセンターが水没することになる。科学の町にとって、水害は天敵なので、排水能力が非常に高い。学園都市の地下には大型の排水管が幾重にも張り巡らせてあって、中には人間が隠れ潜むには十分な広さがあるものもある。とはいえ、下水は下水だ。衛生環境は最悪だし、有毒ガスも充満している危険地帯ではある。
「わたしは綺麗な水が出せるので、下水道でも衛生的に暮らせましたよ」
「確かに、それは便利だ」
もともと、化学物質で汚染された環境でも綺麗な水を確保できるようにするのが彼女の目指した技術だ。正しく使ったことで、下水道管の中でも清潔な生活ができたというのは、利便性の証明となった。
PIPIPIPI、と無機質な電子音が鳴った。それは条理のスマホからであった。
「ん……ああ、来た来た」
「何かありました?」
「情報収集」
「え……?」
条理がスマホの画面を冷理に見せた。
届いたメッセージは箇条書きで報告のみが記載されている。
「え……何ですか、これ」
と、冷理が驚くのも無理はない。
そこに書いてあったのは、EDMOの社長や副社長らのスケジュールや技術者たちの動向だった。社内に詳しい者でないと知りえない極秘事項である。
「俺たちを襲ってきた奴らを幻覚使って寝かせただろ?」
「はい。その時にEDMOのことを聞き出したって」
「それで、ついでにスパイもやってもらうことにしたんだ」
「スパイ?」
「そう。襲撃を失敗したから、それで終わりって可能性もあったけどね。あっちはあっちで少ない人員で回しているから、一回のミスで首を切るってことはなかったみたいだ。おかげで、俺のところに情報を回してくれる」
「そんなこと、してたんですか」
「念には念をってヤツ。あんなことしてくる連中なんだからさ。探りは入れないとね」
条理がしたのは別に珍しい手ではない。精神干渉でスパイ活動をしてもらうように働きかけただけだ。「彼ら」はEDMOに敵対する意思はまったくなく、条理に情報共有するのが当たり前だと誤認しているに過ぎない。それでも、条理からこういう情報が欲しいと伝達すれば、情報を送ってくれる程度には優秀なスパイだ。
EDMOが外部との接続を徹底して遮断しているので、情報の伝達には遅れがある。それは仕方のないことだが、標的の大まかな動きがこれで追えるので、こちらとしても襲撃計画が立てやすい。
もっとも、傭兵部隊からの情報であってEDMOの完全内部情報ではないということには注意が必要だ。末端から上がってくる話でしかない。が、少なくとも社長らのスケジュールは事実だろう。彼ら傭兵部隊は護衛も兼ねる。仕える相手のスケジュールが不明ということはないだろう。
学園都市の闇に深く関わる者ならば、傭兵を切り捨てることも辞さずにフェイクデータをバラまいたりもするが、EDMOの会社規模でそこまではできない。ベンチャーゆえに、リスクを常に負っているし、リスク回避のための損切りも難しい。まして、協力してくれる傭兵たちは出資してくれるPMCの所属なのだから、完全な部下というわけでもないようだ。
「社長、役員はほぼ毎日出社してるみたいだな。技術者は、10人しかいないのか?」
「そこまで大きな組織じゃないですから」
「これでよく核に手を出そうとしたな」
「基礎理論を作って軌道に乗せてからさらに出資を募るつもりだったようです。だから、今はこの人員ということですね」
「ほんとにできんのかね、これで」
核を扱うには人員が少なすぎる。これから増やしていく予定ということだろうが、実現可能性が怪しいとしか言いようがない。それも「能力」という最高の理屈があるから、あながち無理筋ではないのだろうが。
「出資者を募るには、いい餌だよな。能力ってのは」
外部の人間には能力がどのようなものか分からない。何でもできるすごい力だと思われていることだろう。投資家たちは、能力が絡んでいれば出資する価値を感じるのだ。
「それじゃ、明日にも動けるってことですか?」
「……いや、明日からは社長と副社長、あと研究員も4人ばかりお供につけて出張だ」
「出張……?」
「ああ、第10学区の原子力実験施設と関連会社に視察だと」
「……原子力ッ」
ぎり、と冷理が奥歯を噛んだ。
「いくつか施設を回るみたいで、明日は出勤しないな。出てくるのは、明々後日だな。17時から視察結果の報告会を開くみたいだ」
「じゃあ、明々後日なら」
「社長じきじきの報告会だから、技術者も全員出てくるだろうな」
「……やるなら、明々後日」
「だな」
と、条理は頷いた。
ターゲットが一塊になっているときに攻め込むのが一番効率がいいのだ。
一人ひとり闇討ちしていくという手もなくもないが、時間がかかるし取り逃がすリスクはある。まして、EDMOの幹部たちは、冷理に狙われていることを自覚しているはずだ。
冷理を返り討ちにしたから、彼女のことを甘く見ているのだろうか。
「とりあえず、しばらく動けないな」
「あのー、それまではどうするんですか?」
「ここに泊まるしかないんじゃない?」
「ラブホにそんな長く……?」
「あんまりいないな、そんな客は」
「じゃあ、変に思われるんじゃ」
「何とでもなるんだけど、じゃあ、明日は別のホテルに行くか?」
「別ってまたラブホ?」
「ラブホは受付に人がいないから、逃げ隠れするのに都合いいんだよ。安いしな」
言わんとすることは分かる。値段を言われると、頭が上がらないということもある。ただ条理とは知り合ったばかりで、ラブホに一緒に滞在するという状況に抵抗がないわけもない。
「まあ、俺が一緒にいる必要があるかっていうこともあるか」
「わ、わたし一人でラブホってのもどうかと……あ、別にいっしょがいいっていうわけでもないですが」
と、自分でも混乱したことを口走ってしまう冷理。
今、条理の手が離れることに不安を抱いてしまうのだ。心細いということもあるし、本当に条理が最後まで付き合ってくれるかという不安もあった。
彼からすれば冷理と一緒に罪を犯すメリットなどないのだ。火の粉を払うという以外に、理由がない。
本当に、どこまで条理は付き合ってくれるのだろうか。
それだけが一抹の不安ではあった。
+
海美と唯一に事情を軽く説明しておいた。
唯一がぷりぷりと怒っていたが、能力を応用した核開発にはまったく呆れた様子だった。
『核兵器なんて、そんな何十年も前に理論が確立した骨董品じゃないの。学園都市外には有効かもだけど、わたしたちからすれば、興味の対象ではないですよねぇ。小型化って言っても結局は既存の能力の延長なわけで目新しくもなし。科学の発展に寄与するようなものとは、とてもとても』
というのが、最前線の科学者としての意見だった。
そういうだろうと、条理も思ってはいた。
核兵器そのものははるか昔に実用化している。能力などなくても、科学の力だけで人間は容易に世界を滅ぼすことができる悪魔の武器を手にしている。
小型化しても世の中に混乱をもたらすだけで経済的・科学的な成長は考えられない。
学園都市の科学者からすると意味がないのだ。
それなら、もっと新しい何かを追い求める。
『水爆の小型化なんて、これっぽっちもロマンのねえ戯言って感じですよ』
とのことである。
唯一にしてみれば、特にこれと言って好奇心をそそられるような内容ではなかったらしい。
学園都市の暗部が協力しているようではあるが、それも限定的なものであろう。そこまでの価値がある研究とは思えない。断片的な情報だけではあるが、所感はこんなところだった。
人材難はどこの業界も同じことで、テロリストもPMCも少ない人材を使ってどうにかやりくりしている。まして、日本国内の学園都市に外部から武装組織を送り込むのは至難の業だ。いくら学園都市の暗部に関わる者が協力しているのだとしても、それが理事クラスの権力者でもない限りは限界がある。
事実、学園都市内で活動しているPMCの人員は少数精鋭だ。そのうちの15人は条理の手の内にあるから丸裸も同然である。
あとは、PMCの人員も把握していないEDMO独自の防衛機構がどうなっているかだ。これは、事前に集めたほうがいい情報だろう。
逃避行二日目の朝一で、条理はラブホテルを出た。冷理は夢の中である。するりと監視カメラも壁もすり抜けて、簡単に建物の外に出た。そのまままっすぐ15学区にあるとあるマンション前までやってきた。
しばらく佇んでいると、目的の人物が出てきた。
瘦せ型の背の高い女性である。高級そうなスーツを着て、ブランド物のバックを手にしている。気難しそうな印象を受ける表情は、なんとも話しかけにくい雰囲気を出している。
朝倉朋美という名前のEDMOの技術主任だ。先日送られてきたメンバーリストに掲載されていたPMCの護衛対象の一人である。朋美の左右にいるのが、その護衛を担当する傭兵で、彼らは銀色の金属製のケースを手にしている。銃撃を受けた時に盾にするというあれだ。
「噂の
条理は意識の外から朋美の認識に介入した。わざわざ、朝の挨拶をする必要もない。精神系能力の恐ろしいところはこういうところだろう。だから、大抵の研究者は精神系能力の対策を講じているものだが、それを条理は容易に突破する。学園都市の理屈では説明できない条理の精神干渉は、こういう場面では非常に有効で、彼らからすればかなりの脅威になるだろう。
「ん……?」
と、朋美は何らかの違和感を覚えたのか足を止める。
「どうかされましたか?」
と、PMCの一人が尋ねる。
「いいえ、なんでもありません。行きましょう」
何事もなかったかのように、朋美たちは迎えに来た車に乗り込んだ。
それを見送って、条理は踵を返す。他の役員や技術者にも手を回すかと考えたが、やり過ぎてボロを出すリスクを考えると控えたほうがいい。本職ならばいざ知らず、条理のこれは数ある応用技の一つに過ぎないのだ。自分一人で乗り込んでみるかということも頭を過ったが、それもやめておこう。できるかどうかと言えばできるだろうが、それでは冷理のこれまでの戦いが無為になる。それに何より、条理の好奇心が満たされない。結局のところ、なし崩し的に冷理を手伝うことになったが、彼女を見捨てず、それでいて助けすぎない状況を維持しているのは、条理の悪い癖によるものだ。この顛末に興味がある。自分の力がどれだけ通じるか、そして冷理がどのように戦うのか。核兵器の開発を止めなければならないというのは理解している。それが如何にまずいことは容易に想像がつく。だが、それ以上に、この物語の展開そのものに関心が向いていた。
木原唯一の実験で、何度も頭を弄られたために不合理な好奇心に苛まれることになった。彼女のおかげで新しい扉を開いたわけだが、同時に性格面で難を抱えることになった。
「好悪で言えば悪、善悪で言っても悪。でもまあ、結果が人助けなら全部ひっくるめて善ってことで」
頭を掻きながら歩道を歩く。
朝日に目を細めながら、元来た道を引き返す。
まだ前哨戦すら始まっていない段階だが、朝日を見るとなんとなく、全部うまくいくような気がするのが不思議だった。
+
『カーマ・スートラ』に戻ってきた条理は、寝室の扉を開ける。寝室というが、宿泊室はほぼこの部屋一つだ。あとは風呂場と玄関とトイレである。大学生でも気軽に利用できるラブホテルというのは、概ね似たり寄ったりな構造だ。『カーマ・スートラ』は歴史あるラブホテルなので、部屋の構造自体は「昔ながら」ということになる。
「あ、わッ」
と、冷理がベッドの上で慌てたようにしてバタついた。布団をかぶって、その中に隠れる。そして、その拍子にテレビのリモコンがテーブルから落ちて音を立てた。
「何してんだ」
「な、なんでもありません!」
そう言って冷理はリモコンを拾って枕元に置いた。
「戻って来たんですね」
「戻って来ないと思った?」
「……すみません。いや、信じてましたよ。五分五分、いや、二分八分」
「どっちが二分の方なんだか」
視線を泳がせる冷理にジトっとした視線を向けてみる。
「だって、起きたらいないし、ちょっと外に出てくるって書置きしかないんですから。外に出るなら、直接言ってくれればいいのに」
「よく寝てたから」
「……寝顔、見られるの、あまり」
「同じ空間にいるんだから仕方ないでしょ」
乙女心は理解するつもりだが、これで寝顔を見ないのは物理的に無理な相談だ。
説明が足りなかったのは申し訳ない。
彼女にとっては不安になる状況だったというのは配慮が足りなかった。とはいえ、冷理自身も本当に条理がいなくなるとは思っていなかったことだろう。いなくなっていたら、いよいよどうしようもなくお手上げだ。だから、いなくならない方に賭けてこの部屋で帰りを待ったのだ。
それはそれとして、冷理の頬が火照っているのは、橙色の照明のせいではないだろうが、武士の情けだ。気付かなかったことにしよう。
「朝飯」
そういって、条理は手に持っていたビニール袋の中身をテーブルに出した。
コンビニのおにぎりとお茶、焼きそばパンにカレーパン、それからカップサラダだ。
「ありがとうございます」
「コンビニって使う?」
「もちろん使いますよ。お嬢様を何だと思ってるんです?」
冗談めかして笑みを浮かべながら、冷理はテーブルに並べられた朝食候補に視線を走らせる。真っ先に手を伸ばしたのはカップサラダで、次にツナマヨおにぎりだった。
「一個でいいの?」
「明後日まで運動できないので」
「そういうこと」
「男性がサラダを買ってくるのが意外でした」
「俺だけだったら買わないよ」
「そうですか」
冷理はカップサラダの蓋を外した。千切りキャベツとトマト、ニンジンスティック、それに玉ねぎの詰め合わせだ。何種類かあったが、カップサラダを買ったのは初めてだったので、まったく当てずっぽうで、いろいろ入っているヤツという基準で選んだものだ。そもそも冷理の好みが分からないので、悩んでも仕方がなかった。
小動物のようにニンジンスティックを齧る冷理を見る限りでは、外れではなかったようだ。
「じゃあ、食ったら場所変えるか」
「はい」
+
同じラブホテルに長く滞在することはさすがに不自然だ、という冷理の当然の疑問もあって場所を変えた。移動先はすぐ近くの別のラブホテルだ。さすがラブホテル街というだけあって、探すまでもなくいくらでもある。見た目からラブホテルだと分かる建物から、一見するとビジネスホテルと区別がつかないビルもあった。
「遠目には見たことありましたけど、さすがに来たことはなかったですね」
と、冷理は周囲を見回して呟いた。
ラブホテルが立ち並ぶ地域に常盤台に通うお嬢様が近づくことなど普通はない。
冷理の生活圏とも重ならないので、本当にバスや電車の窓からこの「異質な」街並みが視界に入るくらいだ。
冷理は帽子を深くかぶって顔を隠しているが、スタイルがよく、立ち振る舞いが堂々としているので大学生と言われても納得してもらえそうだ。それだけのしっかりとした雰囲気が彼女にはある。
「希望は?」
「どんなところがあるのかも知りませんからお任せします」
「じゃあ、最近改装したとこにしようか」
ということでやってきたのは、『カーマ・スートラ』から徒歩3分程度のところにある6階建てのビルだ。見た目はビジネスホテルかマンションのようにも見えるが、ピンク色の看板があからさまに「そういうホテル」であることをアピールしている。
エントランスには人がいない。ここはタッチパネルで好きな部屋を選択するタイプの店だ。
「昼間だから空いてる部屋が多いな」
「部屋ごとに違いがあるんですか?」
「ホテルによるけど、ここはかなり違うな」
「へえー」
画面をのぞき込む冷理は部屋の画像をスワイプして眺めた。
「気になる部屋があったらそこにするよ」
「いや、そこまでは……」
冷理は部屋選びに意見はしない。
こういう世界がよく分からないのは事実だが、さらに言えば、ラブホテルの部屋に意見するのは憚られた。
「じゃ、ここにしとくか」
条理が選んだのは、5階の部屋だった。最上階は高額になるが、別に大した額の違いはない。どこまで言っても学生狙いのラブホテルだ。学生が手出しできない値段設定にはなっていない。
実際に部屋に入ってみると、思いのほか綺麗な部屋だった。さすが、改装したばかりのラブホテルだ。綺麗な部屋好きの最近の大学生を狙っただけのことはある。
「普通のホテルとはやっぱり違いますけど、結構綺麗なんですね」
冷理は部屋中を興味深そうに見て回った。
(昨日のホテルと違って風呂場がスケスケじゃない。部屋はこっちの方が広いし、全体的にこっちが正解かな。ベッドが丸いのが気になるけど)
普通のホテルではお目にかかれないまん丸のベッドが、如何にもラブホといった雰囲気だ。
照明の位置を確認して、スイッチらしき物を押してみる。すると、白色から桃色や青色、橙色と照明の色が切り替わった。
「うわ、こんな機能あるの?」
「お好みの雰囲気でってことだな」
「そういうものなんですか?」
「そういうものなんですよ」
条理はよく知っているようだが、冷理にとっては新鮮だ。
新しいラブホテルの部屋を散策し、調べる心の余裕ができていた。それは、好ましい変化ではあった。一通り見てから冷理は木製の椅子に座った。追手がかかるか分からないので窓際には近づかないようにする。行動が制限されるのは少し不便だが、仕方がない。
テレビのリモコンを手に取って、電源を入れる前に念のためチャンネル表を確認する。刺激的な番組を間違って選ばないようにして、電源を入れた。
『Oh my god I'm coming! yes! yes!』
「ぎゃあッ」
冷理は驚いてすぐにチャンネルを変えた。
電源を入れたらすぐにアダルト動画が表示されるとは想定外だ。
「なんだ、ここは洋物も無料で見れんのか」
「普通に言わないでください」
冷理は異性とラブホテルにいるという状況を飲み込んでいるが、それは緊急避難という言い訳があるからだ。R18動画を一緒に視聴するつもりはないし、今の一瞬で相当な気まずさを感じていた。
しかし、条理はまったく動じていない。
(慣れてるんだろうか?)
条理の女性関係は知らない。
知り合って一日と少しの関係で、それを尋ねるのは踏み込みすぎだ。が、ラブホテルの扱いをよく知っているのだから経験者ではありそうだ。ラブホテルをセーフハウスにしていると言ってはいるが、使い方に詳しいのでおそらくは本来の用途で使ったこともあるはずだ。
「なんだね、その険しい視線は?」
「何でもありません」
冷理は、女の敵を見るような視線をテレビにずらす。
気難しいお年頃のお嬢様だ、と条理は特に相手にせずにソファに深々と腰かけた。窓から日差しが差し込んできている。外の天気は快晴で、本来なら学校に登校している時間帯だが、時にサボりも悪くない。が、そうはいっても何もすることがない。本当にテレビだけだ。ラブホテルでご休憩とはいえ、甘酸っぱい何かがあるわけでもなく、しかも一緒にいるのは美少女と言っても過言ではない相手だ。これは正直、生殺し状態そのものだ。とはいえ、これで冷理に手を出すのも気が引ける。冷理が悪人なら、良心が痛むこともなく手を出したかもしれないが。
+
翌日、条理と冷理は三件目のラブホテルに滞在していた。ここは二日目のラブホテルよりもこじんまりとした安普請のラブホテルだ。大学生と思しきカップルの出入りは平日でもある、というよりも大学生だからこそ、曜日に関係なく出入りがあるのだろうか。
条理の能力があればごまかしがいくらでもきくのだが、冷理はやはり人目を気にするようで、人が出入りしないタイミングを見計らってラブホテルにチェックインしていた。
三日間、ラブホテルを渡り歩いてきたが、色気のある話は特になし。明日のEDMO襲撃が近づくにつれて、緊張感が高まってきていた。
洗脳した関係者から提供される情報を整理しながら、状況確認をする。
「いい報告」
「なんですか?」
「水爆関係の話」
「……いい報告ですか?」
「ああ。その研究の進捗状況をリークしてもらえたよ」
「ちょ、重要情報じゃないですか!」
もとより水素爆弾を作らせないようにするのが究極的な目的だ。水爆の小型化研究の進捗状況は、何よりも気になる情報だ。
条理は届いたメールの文面を読み上げた。
「当社は水素爆弾の小型化には至っておらず、基礎理論を見直している状況です。安定的な核融合反応の実現、目的地への安全な運搬方法の確立、能力への基本的な理解の不足、その他、複数の課題があり、実用化の見通しは立っておりません」
「それ、本当ですか?」
「まあ、理論的に可能でも実用化は難しいってのはあるんだろうね。兵器として使うなら、自分たちには安全に運用できないといけないわけだからな。そこまではできてないんだろ」
「じゃあ、まだモノはないってことですね!」
「ああ」
「よかった」
冷理はほっとして笑みを漏らした。
水素爆弾が完成していたら、と思うと眠れないほど苦しい精神状態だった。
「悪い話もある」
「なんで後から言うんですか」
「水爆は実用化が遠いけど、別の兵器は軌道に乗りそうだそうだ」
「別の兵器……?」
「硫化水素を発生させたり」
「……はあ? コンビニで材料がそろうようなものを?」
「危険物なのは変わりないけど、たぶん兵器としては採算取れないんじゃないかな、これ」
化学兵器は普通の戦争では使えない。どうしたところでテロリストしか使わない代物だ。それでいて、費用対効果が悪すぎる。冷理が言う通り、硫化水素ならば能力を使わずに発生させることは容易だ。他にも水素を使った劇物はいくらでもあるだろうが、わざわざ能力を応用した兵器として運用するのは逆に高コストだろう。
今の技術でできることを追究しているようだが、結果的には既存の技術を超えるものにはなっていないようだ。
水素爆弾の開発が遅延しているのは嬉しい話だが、研究開発が続いているのは事実だ。いずれにしても、これを止めなければならないことに変わりはない。
明日、いよいよ乗り込む。そのときのモチベーションが大きく変わった。
+
本社に突入するのは、明日の17時過ぎだ。それまでに英気を養っておく必要がある。当然、夜更かしはできないので、早めに消灯した。
まだ外は人工の明かりで輝いている。ネオンの光が窓から入ってきて、部屋の中を怪しく照らされている。むしろ、夜遊びをする若者たちはこれからが活動時間なのだろう。
眠気はまだ来ないが、いつまでも起きていてもすることがない。
ソファの上に身を横たえた条理はタオルケットに身体にかけて、目を瞑った。
掛け時計の規則正しい秒針の音だけが、寝室に響いている。
キシ、と床がきしむ音がした。
胸の上に少しだけずっしりとした重さが伸し掛かる。
「寝れないの?」
冷理がソファの横に膝をついて、条理の胸に額を押し付けていた。
「すみません。明日だと思うと、緊張してしまって」
「いよいよだからな」
「…………逆巻さん、なぜ、ここまで手伝ってくれるんですか?」
「今更?」
「巻き込まれただけなら、このまま逃げていいじゃないですか。あなたの力なら、EDMOくらいなら逃げられるはずでしょ?」
「たぶん、そうだね」
「じゃあ、なんで」
「乗り掛かった舟ってヤツ。行き当たりばったりなだけかもしれないけどね。確かに、偶然トラブルに巻き込まれただけだけど、内容が内容だし……それに偶然って、俺は結構大事にしてる」
「偶然が大事ですか?」
「そうそう。能力もあって、いろいろ手広くできるからさ。普通にルーティンで生きてるだけだと、どうも面白くない。だからトラブルそのものは、歓迎っていうと大げさだけど嫌わないようにしてるんだ。今回は、人命が関わるから、そんな愉快なスタンスじゃないし、放っておくのも寝覚めが悪いでしょ」
「よく分かりません。命がかかってますし、犯罪にもなりますよ」
「確かにね、でも放っておくのは寝覚めが悪いってのが、一番しっくりくる理由じゃない? 手を貸せそうなのに、ほったらかしにして後悔するよりは、まだイイかなと思うんだよね。これが無能力者だったら、きっと関わらないで逃げてただろうけどな」
冷理に関わる方がデメリットは大きいのは間違いない。リスクを取ると言えば聞こえはいいが、メリットを考えるとリスクと釣り合わない。条理にとって、これはまったく関係のない話なのだ。
とどのつまりは、メリットとデメリットを比較してどっちを取るかというような話でもなく、利害関係を無視した気持ちの問題が大きいのだ。
この問題を放置するのは気持ちが悪い。関わって解決まで見届けられたらスッキリする。そして、条理自身には、有益な能力があった。それ以上の理由は特にない。一言でいえば、興味関心が向いたのだ。
「……一つ、提案があるんですけど」
「何?」
「今から、その……しませんか?」
薄暗い夜闇の中でも分かるくらいに、冷理の顔が赤くなっている。
何をするのか、口に出さなくてもその意を察するくらい簡単だ。
「会って二、三日の男にそんなこと言うもんじゃないぞ」
「……嫌ですか、その、わたしとするのは」
「むしろ、大歓迎。大抵の男は首を縦に振るだろうけど、だから危ないって話」
「大歓迎ならいいじゃないですか」
「急に誘ってくるってのは?」
「いや、だって、明日じゃないですか。失敗したら、もしかしたら命はないかもしれないですし、処女のままっていうのもなぁと」
頬を掻きながら、冷理は言った。
「理由が安っぽい」
「安っぽいとか言わないでください。女子的に重い話ですよ」
「ぶっちゃけ、俺が明日、最後までついてくるか不安なんじゃないの」
「ッ…………それは…………」
とてもそんなことを本人に言うわけにはいかない、と冷理は口を噤む。その態度が、条理の指摘の正しさを証明するものでもあった。
「信頼してない男に身体を預けるのは、得策じゃないよ。俺が言うと説得力ないけど」
「信頼してないわけじゃないです! それは勘違いしないでください! ここまで手伝ってもらって、そんな失礼なこと……」
と、言って冷理はまた口を閉ざした。
「いえ、すみません。正直、不安はあります。だって、もしも逆巻さんがいなくなったら、また一人になるじゃないですか。困ったことに、わたしはそれが怖いみたいです」
「俺はその辺、ロクデナシだぞ」
「何となくそんな気がしてました。ちょくちょく連絡取ってたの、女の子ですよね」
「分かってたのに、誘ってくるのか」
「はい。だって、わたしには他に手がないですから」
冷理が条理を繋ぎとめる手段は、ほとんどない。ホテル代も食費も条理が持っているし、迷惑ばかりかけている。そんな中で条理が離れていかないようにするには、身体を使う以外に思いつかなかった。普段の冷理なら、脳裏を過ることすらなかっただろう。
(短絡的にもほどがある)
と、自分でも内心で呆れている。
だが、それでも条理が万が一にも離れてしまったらと思うと恐怖してしまう。今までは一人で何とかしようとしてきたが、条理が関わったおかげで大幅に楽になった。それは精神面でもそうだ。出会って数日の異性に、冷理は半ば精神面を依存しつつあった。そんなのは支倉冷理の在り方ではない、と一笑に付すような事柄だが、事ここに至っては己のプライドなど、何の助けにもならない。それが現実だった。
「そんなふうに誘われたら、俺は乗るぞ。今更、この船を降りる気はないけど、それはそれとして」
「……言っておいてなんですが、あの、わたし、初めてなので」
「分かってる」
起き上がった条理は冷理をベッドに押し倒す。
さっきまでとはまた別の意味で緊張した様子の冷理。窓から差し込む月とネオンの光で、表情がよく見える。まずはこの緊張を解きほぐすところからだな、と条理は冷理の身体をどのように扱うかプランを立て始めた。