とある世界の常識改変 作:ロロノア
冷理と肉欲を貪りあった翌日、EDMO襲撃計画を確認した。
条理と冷理の二人だけで挑む襲撃だ。
人手が少ない分だけ選択肢は少なく、手間暇をかける余裕もない。
EDMOの違法性を指摘して社会的関心を高めるという選択も、彼らがこの街の権力者と結びついている時点で現実的ではない。
この学園都市では、社会のルールすら上層部の意思一つで容易に捻じ曲がる。そういう理不尽が、ここで罷り通るのだ。
非合法でも、力に訴えるしかない。
冷理の目的を果たすためには、その領域に手を伸ばさなければならなかった。
正義のために法を犯すというのはテロリストの論理と言ってもいい。
社会秩序が崩壊して、ギャングに支配された国ならそれも通じるのだろうが、ここは日本だ。
日本国内でありながら、日常の裏側でそのような暗闘が繰り広げられるのが、この学園都市の闇なのだ。
水素爆弾の製造を止めるためには、社長をはじめとする役員や技術者を一網打尽にして、条理の能力によってデータ削除や記憶消去を行う必要がある。
そのための情報収集の結果、条理は常識改変を行い情報提供者に仕立て上げたEDMOの技術者から標的のリストと施設の図面、そして各自のスケジュールを入手したのだった。
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山の中を白いミニバンが走っている。
時刻は午後4時を過ぎた頃だ。
ここは第21学区の山の中。学園都市の中でも緑が多く、小さな山岳地帯が広がる地域だ。その山の中に、EDMOの本社がある。
ハンドルを握るのはEDMOに派遣されているPMCの傭兵の一人だ。後部座席には技術主任の朝倉朋美が座っていて、その両脇を傭兵たちが固めている。
そして、その傭兵の中に条理と冷理は紛れ込んでいた。
彼らは条理が常識を改変して操る協力者たちである。本人たちは操られている自覚もなく、条理と冷理に協力するのを当然のものと認識している。
「会社の規模の割に敷地が広いな。山一つ丸ごとEDMOの所有地なのか」
と条理は言った。
ベンチャー企業としてスタートしてから、さほど時間は経っていないし従業員数も多いとは言えない。それにも関わらず、社屋は一流企業か工場かというほどの大きさである。
「昨年、倒産した企業の所有地をそのまま買い取ったのです。学園都市内の土地ではありますが、トラブル続きで資産価値がかなり下がりましたからね」
と答えたのは朋美である。
条理に聞かれたことに、そのまま回答してくれる。
彼女にとって、条理の指示に従うのは当たり前の「常識」である。EDMOの守秘義務に違反することも、躊躇なく回答してくれる。
「確かLSSとかいう企業でしたね」
冷理はこの施設に何度も来たことがあるので、ここが以前どういった会社の持ち物だったのかは知っている。
LSSは生物関連で幅広く展開していた「元」一部上場企業だ。
学園都市内外に知られる大企業だったが、昨年、不正会計や違法な生物兵器の製造が明るみになって上場廃止となった。大企業がなし崩し的に倒産してしまったので、一時はニュースを賑わせた。
「ここはその跡地ってことなのか」
「山の中は生き物の飼育や実験には都合がいいですから、LSSはこういった施設をいくつか所有していたんですよね。それをEDMOが買い取って、そのまま本社兼研究所として活用していたんです」
実のところLSSがどのような不正をしていたのかは完全には明らかになっていない。
株主や取引先からは訴訟も起こされているが、どこまで解明されるかは不透明だ。
ただ、生物実験の失敗という噂があり、その結果としてLSSの研究所の跡地の地価は大きく下がった。
詳細不明だが、生物実験に失敗したらしい研究所跡地だ。
何が出てくるか分からない土地を購入したいという酔狂な企業は多くない。毒性のある廃棄物が出てきたら処理が大変だ。
だが、何よりも初期投資を低く抑えたいベンチャー企業にとっては、値段がすべてだ。安く広い土地が手に入るのならありがたい。まして、人里離れた山の中というのなら、研究所としてはうってつけだ。
「朝倉主任……水爆の開発なんて、どうして始めたんですか?」
と、冷理が尋ねた。
朋美は冷理が以前から交流のある技術者であった。役員や技術者の多くが入れ替わったが、朋美は創立メンバーで唯一、EDMOの経営陣に残っている言わば最長老だ。冷理にとっては、新しい経営陣が新しい経営方針を打ち出すのは仕方がない。しかし、朋美の心変わりは悔しく悲しいことだった。
「企業を経営していくにはお金が必要でしょう?」
「それだけですか?」
「企業の目的なんて、究極的にはソレ。技術が世の中のためになれば、それはすばらしいことだけど、それだけでやっていけるわけじゃない。実際、前社長は、世の中のためにという理念はあったけど、結局立ち行かなくて売却したわけよ」
「……だからって、よりにもよって兵器開発なんて。人がたくさん死ぬことになるって分かり切ってるじゃないですか」
「そうね。でも、うちの取引先は中東からアフリカよ。世界の裏側で酷い騒ぎが起こっても、結局わたしたちの日常は変わらない。EDMOにはお金だけが入ってくる。悲しいニュースもあるかもしれないけれど、それはその時に胸を痛めて、寄付でもやっておけばいいのよ」
「最悪なことを言ってるって、分かってますか?」
「善行だけでご飯が食べられるのは、物語の中だけよ。貧困地域に水を配ったって、何にもなりゃしない。その設備を維持管理するお金すら払えないんだもの。技術的に可能であるということと実現できるかどうかは別物だし、箱物を建てたって、補助金やら寄付金頼みじゃ持続可能な商売にはならない。商売にならないのなら、ベンチャーとしてはやっていけないでしょう? あなたの『
兵器開発が軌道に乗れば、提携しているPMCが主要な取引先になってくれる。世界各地の情勢がきな臭い今、最新鋭の兵器は需要があるし、慈善事業のための大規模投資よりも目先の利益を保証してくれるのは間違いない。
飲料水工場の取引先が水不足にあえぐ貧困地域であることを考えると、収入源としてはPMCの方が経営判断としては正しいのだろう。日本から兵器を輸出するのは不可能なので、どこかのタイミングで海外に技術を移転するのだろう。
「で、主任さん。今日の報告会は社長もばっちり出席するでいいんだよね?」
社内に沈鬱な空気が広がる中で、条理は話題を変えた。
大事なのは今日をどう乗り切るかだ。会社の経営方針については、もう議論の意味がない。
「ええ、原子力施設の視察の結果は社内で共有することになっているし、末広は自分で報告する主義ですからね」
末広というのは社長の姓だ。フルネームは
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山の中腹を切り開いた平地に整備された駐車場に車が停まる。
EDMOの本社は三階建ての飾り気のない鉄筋コンクリート製の白いビルだ。上空から見ると正方形で、テニスコート4面分程度の中庭が確認できる。ベンチャー企業の本社ビルとしては、かなり規模が大きい。これは研究所を兼ねているのと、LSSの研究施設を買い取ったからだ。実際には使っていない部屋のほうが多いくらいで、倉庫や会議室、仮眠室という形でデッドスペースになっている空間が多いのだとか。
条理と冷理が車の外に出るとちょうど日が傾いてきたところだった。太陽が山の影になるので、ここは暗くなるのが早そうだ。
ここで条理はシャツの内側に隠していたネックレスを取り出した。細い鎖に3センチほどの薄い長方形の板がついている。板は光沢のある木製で、天球を木が支えているような焼き印がされている。
条理の手の中で、その木の板が瞬時に形を変えて、ボールペンの形状に変化した。
「え、今の何ですか?」
「ああ、これ? 不思議でしょ。理屈は俺にもよく分からないんだけどね」
「どういうことですか?」
「護身用の玩具だよ。支倉さんが持ってきた鉄の筒と同じようなもん」
言われて冷理はポケットを手で摩った。
冷たく硬い感触がある。
冷理が能力を活用するために持ち歩いている武器がそこにある。
「俺のこれは、魔術師やってる娘からのもらい物」
「魔術師?」
「学園都市の外の能力者みたいなの。世の中にはそういうのもいるんだ」
「そうなんですか」
冷理はそれ以上は追求しなかった。
能力は学園都市の専売特許だ。この学園内にのみ存在する能力開発技術により、異能が発現する。それは魔法とか魔術とかいうファンタジーとは別物の科学によって成り立つものだ。
学園都市の外に類似の能力開発機関があるとは聞いたことがない。
だが、生まれつき能力を持つ者もいるというし、各国が学園都市の技術を研究しているのも事実なので、頭ごなしに否定もできない。実際、木版がボールペン型に変形したのを見たので、何らかの能力に由来する現象なのは明らかだ。
「準備はよろしいですか? 社内に入るには、わたしと同伴している必要がありますから、離れないでください」
朋美が白衣を身にまとい、社員証を首から下げた。
冷理は緊張感のある面持ちで表情を引き締める。心臓が高鳴り、喉が渇いてきた。
条理と冷理が朋美の後ろについていく。その両脇を傭兵が固めてガードする。冷理が研究所襲撃を始めてから、毎日、こうして身辺警護を受けて出勤しているのだという。
自動ドアの先にあるのは駅の改札と酷似したゲートだ。朋美がIDカードを翳してゲートが開くと、条理たちも後に続いて滑り込む。誰もそれを咎める者はいない。
「うまく入れましたね」
「ああ。ここから先は俺たちは透明人間だ。人の目にも機械の目にも引っかからないはずだけど、油断はしないでね」
条理の幻覚は人間の認識だけでなく、機械の目も誤魔化す。
これだけなら、適性のある能力者ならできることだ。例えば海美の以前のチームメイトには、一人でこういった仕事をこなせる器用な能力者がいたと聞く。
本社の中は静まり返っている。すれ違うのはPMCの傭兵ばかりだ。まだまだ立ち上がったばかりの企業なので、正規の社員は一握りなのだ。時間的にも終業間際で、一般事務員たちは一日の仕事を片付けるために机に齧りついていることだろう。それにしても、片手で数えられる程度の人数しかいないはずである。
施設規模はマンモス小学校よりも大きいのに、人の数は一学級にも届かない。人口密度が極めて薄い施設というのは、無味乾燥としていて異世界に迷い込んだかのようだ。
(こういう雰囲気嫌いじゃないな)
と、条理は思う。
人工の建物は人がいるのが当たり前だ。それにもかかわらず人気がないというアンバランスさが好ましく思える。誰もが寝静まった時間帯の町であるとか、夜の公共施設のような廃墟とはまた異なる情緒がそこにある。
事前に見ておいた図面を思い出しながら、廊下を歩いていくと三階の大会議室で朋美は足を止めた。
ここが、今日の出張報告会の会場だ。
朋美が中に入り、条理と冷理も後に続いた。
「お疲れ様です、技術主任。今日は遅かったですね」
「渋滞に巻き込まれてしまいまして。間に合ってよかったです」
すでに着席している同僚たちと言葉を交わしながら次席についた。資料はすでに机上配布されている。冷理が言ったように、紙ベースのやり取りが主流の社風らしい。昨日までの出張報告という割にはきちんとした体裁の報告書だ。現場で配布された資料を印刷したものが大半だろうが、それでも報告書として作成した文書もなかなかの分量だ。今日一日で作成したのだろうが、これを作るのも手間だっただろう。社長の公孝は、かなり几帳面な性格らしい。
それでいて、社長が座るであろう椅子の向こうには、巨大なモニターがある。200インチはあろうかという特大サイズだ。この会議室でこのサイズは、デザイン的にも非常に浮いている。
見栄以外には感じられない無駄な支出だ。これだけでいくらしたのだろうかとつい考えてしまった。
その後、朋美に遅れて残りの面々も着席していく。副社長が開会時間ギリギリにやってきて席に着いた。
「社長が来ない……?」
冷理が不安げにつぶやく。
条理と冷理は出入口のドア付近で棒立ちしている。気配を殺して、会議の成り行きを見守り、折を見て幻覚をかける算段なのだが、肝心の社長が来なければ作戦目標を達成することはできない。
「今日、社長はいらっしゃらないのですか?」
条理の指示を受けて朋美が副社長に尋ねた。
「ん……ああ、来るはずですよ。社長室にはいましたから」
その回答を受けて、冷理は安心したようにほっと胸を撫で下ろす。
時刻が午後5時を回ったところで、部屋が急に暗くなった。電気が消えて、大画面モニターが起動する。
画面に現れたのは40台半ばくらいの小太りの男性だ。スーツに白衣を着たいかにも研究者といった風貌である。
EDMOのHPにも載っていた末広公孝その人だった。
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『集まってもらったのに、私だけウェブ会議となってしまい申し訳ない。見ての通り出勤はしているのだがね』
公孝はソファに腰かけて悠々とした様子で口火を切った。
「何かありましたか?」
と、副社長が尋ねる。
『いや、何、急に不安になってしまってね。ここ数日、支倉さんの動向が掴めないだろう? 念のため、下に籠ることにしたんだ。これくらいならウェブ会議で十分だしね』
公孝は、独断でウェブ会議に切り替えたのだ。誰にも情報を共有していないから、スパイ活動で情報を得ることができなかった。
横目で冷理の様子を伺う。
顔を青くして、唇を噛み締めている。
考えが読まれたというわけではないが、冷理が二つの研究所を潰したことに加えてPMCの追跡を振り切って行方を晦ませていることが公孝の不安感を刺激した。
あちらからすれば、冷理がいつ、どのように襲撃してくるか分からないのだから対策もする。
PMCの傭兵で守りを固めるだけでなく、公の場に出てこないというのも一つの手ではある。公孝にとってこの本社は城ではあるが、さらにその最奥に引き籠って冷理の出方を伺おうというのだ。
『支倉さんは所詮は一人だ。いつまでも隠れ続けることはできないし、すぐに顔を見せてくれるさ』
「しかし、彼女の協力はもう望めないでしょう。どうされるのですか?」
『ふむ、確かにそのとおり。だが、ここまでくれば自発的な協力でなくてもいいだろう。彼女も都合よく行方不明になってくれているのだからね。ここは学園都市だよ。そういう子どもは残念ながら大勢いるものだ』
残念に思っているとは思えない口調と表情で肩を竦める公孝の言葉に、冷理は今度は顔を赤くする。羞恥、ではなくこれは怒りの感情だ。見るからに頭に血が昇っている。
とはいえ、殴りかかる相手が目の前にいない以上、ここで気を吐いても仕方がない。
『それでは、出張報告会を始めようと思う。資料は机上に配布したとおりだ。あとは、画面共有するからこちらと手元の資料を見ながら聞いてもらいたい。もっとも、それは皆が目を覚ましてからにすることになるがね』
ガコン、と四隅の天井板が開いた。正方形の蓋が外れて、銃身のようなものが顔を出す。
「な――――ッ」
冷理が目を見開いた。
『正直、支倉さんに身を隠す術があるとは思わなかったが、探しても見つからないのだから、友人を頼るなりして、身を潜めているのだろう。人望のある彼女のことだから、その可能性は十分にあり得るし、万が一にも侵入にも使えるのなら使ってくるだろうからその準備はしておくのも当然だ。なあ、支倉君。仲間と一緒にそこにいるのだろう? 先ほどから大会議室のCo2濃度がちょうど2人分ほど合わないぞ』
危険を察して、条理は冷理を抱えて壁を抜けた。何かしらのガスが会議室内に噴射されたようだが、その時には2人は施設の中庭に着地していた。
図面と航空写真で見た通り、なかなかの大きさの中庭だ。
ヒョウタンの形をしたビオトープとその上にかかる木製の小さな橋、そして小さな東屋が建っている。無機質な研究所には似つかわしくない、自然公園然とした雰囲気だ。施設の設計者か社長の趣味だろうか。
「吸った?」
と条理は冷理に尋ねた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
幸い、冷理もガスを吸引していなかった。
どのようなガスか分からないが、種類によっては一瞬で意識が飛ぶし、即死もあり得る。条理は別として、冷理がそうなるのは避けたい。
条理の能力でも死者を蘇らせられる気がしない。試したことはないが、死者蘇生のイメージができないのである。
それはそれとして、条理と冷理が中庭に逃れたことは敵の知るところとなった。
幻覚が揺らぎ、彼らの探知システムに引っかかったのだろう。
中庭にPMCの傭兵たちが飛び出してくる。2階、3階の窓からも銃口が覗く。四方が建物に囲まれた中庭は、周囲を狙撃ポイント囲まれているようなものだ。逃げ込むのは得策ではなかった。
(幻覚は、まだ改善の余地はあるってことか)
持続時間の問題か、冷理を抱えて逃れた際に演算の誤りがあったのか。幻覚のイメージの仕方から見直す必要がありそうだ。
「Co2濃度を計測して特定されるのは想定してなかった。すまん」
「気にしないでください。ここまで入り込めたのも逆巻さんのおかげです。わたし一人だったら、入口からドンパチやってますよ」
冷理に身を隠す術はない。それは先ほど得意げに敵が語ったことである。それは事実なので否定しようがないし、この盤面で冷理にできるのは力押しだけだ。
「そこを動くな!」
電子的な加工がされた声で、男が言う。顔は見えない。頭部を覆ったヘルメットにも似た装備で何者かは分からず、体格から男性であるということだけが分かるくらいだ。白く硬質なベストやガントレットを装着していて、その雰囲気は中世の騎士のようにも見える。
中庭に現れた傭兵は5人でアサルトライフルの銃口をこちらに向けていた。
さらに遅れて3両の小型戦車が現れた。外見は戦車だが、全長は2メートル程度と小さい。人が操縦するのではなく、AIを搭載し、不審者を攻撃する戦車型ロボットだ。施設内外を巡回警備していたものを、中庭に回したのであった。
冷理が突入してくることは想定されていたことだから、展開が早い。内部にいつの間にか侵入されていたという驚愕はあっただろうが、リカバーの早さはさすがPMCの傭兵たちだ。
「手を頭の後ろに置け。少しでも妙なことをすると撃つぞ」
と、警告する。彼らが持っている銃は軍用モデルで、
条理はひそかに精神干渉の触手を伸ばしたが、不発に終わった。あのヘルメットが精神干渉を無効化する波長を出しているらしい。腐っても能力の応用研究をしている会社なだけのことはあるか。ガワを真似ただけの精神系能力では、意味をなさない。仕方がないので、本来の能力で直接夢を見せようとしたところで、
「ちょうどいい。社長は社長室? それとも別の場所にいるのかしら? 今日は出勤してるって聞いてるんだけど?」
と、冷理が冷たく尋ねた。
囲まれていながら冷理は冷静だった。頭に血が昇りすぎて、逆に冷えたのかもしれないが。
「黙ってろ。口を開いていいと誰が言った?」
「こっちは社長の居場所を聞いてるんだっての」
冷理は挑発的に言葉を続けた。
銃口を向けられても、彼女は臆さない。我を失ってはいないが、気が立って、苛立ってはいるようだった。
傭兵側には、冷理と問答をするつもりはなかった。降伏する気のない高位の能力者を相手に、時間をかけて説得しようなどという殊勝な考えはない。彼らは
傭兵のリーダー格が銃口を下げて引き金を引く。3点バースト機能により、放たれた3発の銃弾は、直撃すれば、冷理の足の肉をそぎ、骨を砕いて余りある威力だ。およそ、女学生相手に使うには過剰な火力ではあるが、やはり冷理に対して使うにはまったく火力が足りない。
忽ち、足元から立ち上った黒い壁が、文字通り銃弾を飲み込んだ。ズボッ、ズボッと音を立てて黒壁に穴をあけた銃弾だったが、その穴はみるみるうちに塞がって、傷一つない綺麗な表面に戻る。
「なッ! クソ、なんだそれは、水を操る能力じゃなかったのか!?」
「見てのとおり、ただの泥の壁だけど?」
冷理は足元の地面に発生させた水を浸透させて、土ごと持ち上げただけだ。ただの水を盾にするより、泥壁のほうがシンプルに高密度で固い。それに加えて、絶妙な水分と土の粒子の配合によりダイラタンシー流体として機能している。撃ち込まれた銃弾は、その瞬間に締まった泥壁により受け止められて、その内部に閉じ込められていた。
「……やはりレベル4ともなると一筋縄ではいかないか。構わん、撃て!」
正面からのアサルトライフルの弾丸が通じなかったとはいえ、四方を取り囲んだ圧倒的有利な状況に変わりはない。
冷理の処遇をどうするかは社長の最終判断があるだろうが、現場の人間としてはレベル4の大能力者と敵対していることに恐怖を感じる。
所詮は学生。ただの子どもだと侮る気持ちがある一方で、自分たちにとっての未知の力であるレベル4の能力への警戒心は大きい。
大量の銃弾を浴びせて、ひき肉になるのならそれでよい。むしろ、それが正しい。そうでなければ、同じ人間だと思えない。
鳴り響いたのは、無数の銃声――――ではなかった。たった一つの耳を劈く轟音だ。
中庭に面したすべての窓ガラスが粉々に吹き飛び、空気が激しく振動する。視界は一瞬にして真っ白に染まり、強烈な閃光が迸る。
誰一人悲鳴一つ上げることなく、勝敗が決した。
(ひでえ有様だな)
と、条理は空爆でもされたかのような中庭の様子を見て思う。
降り注いだガラス片がそこかしこに散らばり、東屋が跡形もなく吹き飛んでいる。
条理と冷理を取り囲んでいた傭兵たちは、壁際に倒れてピクリとも動かないし、屋内から銃を向けていた傭兵たちの姿も窓際にはない。各部屋の奥まで吹き飛ばされたのだろう。
肌が湿って、少し寒気がする。一気に気温が下がったのは、この爆発で生じた水分のせいだろう。
「爆鳴気?」
「はい」
と、冷理は頷く。
「情報がちゃんと共有されてなかったみたいですね。わたしを相手にするのなら、まず第一に火気厳禁でしょう」
水素の極めて基本的な性質として高い可燃性が挙げられる。水素と酸素の混合気体は火をつけると激しく反応して水蒸気となる。
冷理がしたのは、水素と酸素で作った酸水素爆鳴気を傭兵たちの銃口周辺に滞留させただけだ。彼らが引き金を引いたその瞬間、銃火が可燃性ガスに火をつけて大爆発を引き起こす。傭兵たちからすれば、アサルトライフルが、突然手榴弾に変わったようなものだろうか。手元で生じた爆発により、彼らは激しく全身を殴打されて跳ね飛ばされたのであった。
そして、残った戦車も今の冷理からすれば脅威にはならなかった。
唐突に3両の戦車が傾いた。というよりも、地面にどんどんめり込んでいく。無限軌道が懸命に回転しているが、前にも後ろにも進まない。泥を掻き回しているだけで、まったく身動きが取れないでいた。
土中の水分量を操り、飽和させ、戦車の足場を脆弱にした。それは沼といっても過言ではなく、鋼鉄の車両の重量を支えられる地面ではなくなったことで、戦車が泥の中に沈んでいく。
いわゆる流砂だ。
無限軌道を回せば回すほど、流砂は戦車を飲み込んでしまう。
もはや脱出は不可能で、瞬く間に3両の戦車は泥中に没した。
さらにとどめとばかりに沼の水分を一気に蒸発させた。泥が一瞬で固まって、乾燥して岩のようになる。こうなってしまうと重機でも使わなければ、戦車を掘り出すことは不可能だ。
気化熱で一気に気温が下がり、寒気がする。
「俺いらなくね?」
「そんなことないです! 逆巻さんの出番はこれからなんですから!」
「まあ、それはそう」
条理に求められているのは戦闘ではなく、精神干渉だ。EDMOの技術を知るすべての関係者の脳を操って、冷理の能力を悪用した兵器開発データを抹消することである。
「とにかく、この騒ぎで社長に逃げられたらアウトです。探しに行きましょう」
「そうだな、それじゃあ、まずはこいつらの頭の中を探ってみるか」
社長が出勤しているのは事実。条理の手足となって動く傭兵たちが会社の周りをぐるりと取り囲み、監視しているので社長が外に出ればすぐに分かる。傭兵の一部が条理に寝返っていることまで社長はさすがに気付いていないだろうから、彼らをこの騒ぎに動員するのは奥の手として残しておくことにして、まずは目の前にひっくり返っている5人の頭を弄ることから始めよう。