授業が終わり、生徒たちも少なくなった放課後の教室で、僕と櫛田さんは軽く目を合わせ合図を送る。準備は万端だ。ターゲットである堀北さんは、いつも通りクールな表情で教室を後にする。
「追いかけよう」
「う、うん」
少し緊張気味の櫛田さんを横目に、僕はそっと足音を殺して堀北さんの跡を追った。幸い、遠く離れすぎることなく、見失う心配もなさそうだ。
「堀北さん、今日の放課後、空いてたりする?」
廊下で声をかけると、彼女はあからさまに怪訝そうな顔をして僕を振り返る。
「それを答えるのは簡単だけど、私がどうして空いていると思ったの?」
当然と言えば当然の質問だった。
「特に理由があるわけじゃないんだ。ただ、なんとなく堀北さんが暇なんじゃないかなって思っただけ」
その言葉に堀北さんはしばらく考え込むような仕草を見せた。
「そうね……今日は特に何もないわ」
やった。思わず心の中で小さくガッツポーズを取る。予想通りの展開だ。
「それならちょっとだけ付き合ってくれない?」
「付き合うって……どこへ?」
「それは秘密」
一瞬困惑したような表情を見せた彼女だったが、すぐにいつもの冷静さを取り戻しながら軽く頷いた。
「構わないわ。ついていく」
「ありがとう。じゃあ、行こう」
無事成功。僕は内心ホッとしながら教室を後にした。一方の櫛田さんは僕と別行動を取ることになっている。僕たちは事前に計画を練っており、目指す場所は学校の一階にあるカフェ・パレット。そのカウンター席が最近いい雰囲気だと評判なのだ。
案内する形で店内へ。窓際のカウンター席に腰掛ければ、堀北さんもつられて隣の席に座る。
「それで?私に付き合ってほしかったってのは、この場所のこと?」
「そう。ちょっと用事があってさ」
「用事ね……まあ、それが済んだなら帰るけど」
「まぁ、すぐには帰らないで。このお店、ケーキが美味しいって評判なんだよ」
何気なくメニューを手に取り、計画通りだなと胸の中で喜ぶ。もちろん、事前に櫛田さんと一緒に調べ上げていた情報だけど。
しばらくして飲み物が運ばれてきた。
「それで、一体何がしたかったわけ?」
鋭い瞳で問い詰められる。このままだんまりではいられない。
「いや、大したことじゃない。ただ、堀北さんと話したかっただけだよ」
その一言に対して顔を少ししかめる堀北さん。彼女からすれば、普段ほとんど話もしない僕からこんな申し出があれば不自然に思ってしまうだろう。
「堀北さんってクラスメイトとの距離感が独特っていうか。常に冷静で冷たい印象があるから気になった」
「あなたも同じようなものじゃない?」
軽い皮肉。けれど僕にはわかる。彼女はただ冗談で言ったわけではなさそうだ。
「あはは……確かにそうかも。でも、だからこそ気になったんだ。もうちょっと堀北さんと仲良くできるんじゃないかなって」
言葉だけ受け取ればやたら直球だけど、とりあえず本音は隠さずに伝えてみた。しかし彼女の表情は相変わらず。この人の壁は簡単には崩せそうにない――そう思ったその時だった。
「あれ、堀北さん!偶然だね!それに荒清君もいるじゃん!二人でお茶してるんだね!」
僕たちの話に割り込むように明るく声をかけてきたのは櫛田さんだった。実はこれこそが、僕と櫛田さんで練った作戦。偶然を装いながら、堀北さんとお茶をする計画だ。
「櫛田さん、本当に偶然だね」
わざと少しオーバーな響きで答えると、櫛田さんは満面の笑みを浮かべて元気よく頷いた。
「そうなの!まさかここで堀北さんと荒清君に会えるなんて、びっくり~!」
そんなテンションのまま彼女は僕の隣、つまり堀北さんの向かい側にポジションを確保し、すぐさま店員を呼んでメニューを注文し始める。堀北さんは特にコメントもせず、ただその様子を静かに見つめていた。
「ねえ堀北さん、このカフェ来るの初めて?」
質問をされた堀北さんは静かに答えた。
「ええ、荒清君に誘われて」
「そっか!私も気になってたから嬉しい!ここケーキも美味しいって評判なんだよね!」
明るい声に反応する堀北さんの表情は相変わらずだったが、櫛田さんの振る舞いがどこかほんの少し空気を和らげたような気がする。やっぱり櫛田さんはすごい。彼女の持つ自然な明るさは、それだけで人を引きつける力があるんだ。
「ところで、二人はここでどんな話してたの?」
櫛田さんが無邪気に尋ねる。その一言で少し沈黙が訪れる。そして、堀北さんが静かに僕の方へ視線を向けたので、焦りながら急いで口を開いた。
「特に深刻な話じゃなくてね。クラスメイトである堀北さんともっと話してみようかなって思っただけだよ」
僕のしどろもどろな返答を聞いた櫛田さんは目を輝かせながら声を弾ませた。
「へぇ~そうなんだ!素敵じゃん!堀北さんってちょっとクールだから、みんなともっと仲良くできるといいよね!」
その言葉に堀北さんの眉がわずかに反応する。
「別に今の関係で特に困ってないわ」
「えー、そんな寂しいこと言わないでよ、ねぇ荒清君?」
明るさ全開の櫛田さんに話を振られ、僕もつい頷いてしまう。
「そうだね。堀北さんの良さ、もっとみんなにも知ってほしいと思うよ」
二人から畳みかけられた堀北さんは少し居心地悪そうな顔をしていたが、それでも冷静な表情を保ちながら紅茶へと手を伸ばした。ゆっくり一口飲みながら、淡々と言葉を返す。
「あなたたちの考えには共感できないわ。私、群れることは好きじゃないの」
堀北さんの鋭い断言に、僕と櫛田さんは目を合わせる。僕は少し言葉を選びながら促す。
「でもね、クラスってみんなで協力してやるものだから。少しずつ歩み寄るっていうのも大事なんじゃないかな?」
彼女はじっと僕を見据える。その鋭い目つきに、妙な緊張感が流れた。
「それって......荒清君自身にも言えることではないかしら?」
堀北さんの一言に、一瞬息を呑んでしまった。確かに、彼女に対してあれこれ言える立場ではない。僕は人付き合いを避けてはいないが、積極的に関わることもあまりないのだ。
「うっ……それは、まあ、確かにそうかもしれないけど……」
苦し紛れに返すと、横から櫛田さんが援護射撃ならぬ追撃を仕掛けてきた。
「そうだよ!荒清君も、もっとみんなと話した方がいいよ~!」
二人に挟み撃ちされた形となってしまって、僕はすっかり立場が弱くなっている。自分の計画がまさかこんな形で裏目に出るとは思わなかった。
「えへへ、でもね、私も最初は荒清君ってちょっと話しかけづらいなって思ってたんだ。でも話してみたら意外と面白いじゃん!」
そう言いながら、櫛田さんは無邪気な笑顔を向けてくる。それが余計恥ずかしくて、自分も堀北さんと似た立場だと言われているようで顔が熱くなる。
「櫛田さん、それ余計だよ……」
小声で抗議すると、櫛田さんは「えー?そうかな?」と悪びれる様子もなく首を傾げた。そんな様子を堀北さんは冷静な目で眺めている。彼女の無表情な顔にちらっと探るような視線が感じられるのは気のせいだろうか。
「あなたの言う『協調性』が、この茶番のようなことを指すなら、残念ながら私は共感できないわ」
堀北さんの声は静かだが、その言葉には鋭い底意があった。
「茶番って……そんな言い方ひどいよ、堀北さん」
冗談めかして肩を落としてみせた僕に対し、櫛田さんがすぐさまフォローに入った。
「そんなことないって!荒清君だって堀北さんのこと思って誘ったんだよ?それだけ堀北さんともっと仲良くしたいってことじゃない!」
櫛田さんの熱弁に、堀北さんは口を開かず紅茶に視線を落とした。その長く整った睫毛が微かに震えたような気がしたのは単なる錯覚だろうか。
「……私の考えは変わらないわ」
微かに応じたその声には、以前ほどの即断さはなく少しの空白があった。この空気の変化はもしかして……。
「まあ堀北さん、せっかくだし今日は楽しくお茶でもしながらしゃべろう?」
櫛田さんの提案には柔らかな親しみがあり、それはどんな鋼鉄の壁もじわじわと溶かしていく力を持っているようだった。少しためらうそぶりを見せた堀北さんはやがて小さく頷いた。
「……そうね、悪くないわ」
堀北さんの一言に、僕と櫛田さんは思わず視線を交わし、心の中で小さくガッツポーズを取った。これは大きな前進だ。堀北さんが僕たちの「お芝居」に付き合うことを受け入れてくれたのだから。
その後、三人で他愛ない会話を楽しんだ。クラスの噂や授業の話、さらには週末に放送されていたバラエティ番組のことまで。堀北さんが自分から積極的に話題を振ることはなかったが、それでも時々相槌を打ったり、短いながらも返事を返してくれていた。
特に、櫛田さんがクラスメイトにまつわるエピソードを話す時など、堀北さんがふと口元を緩める瞬間さえあった。それは僕にとって、とても新鮮で特別な光景だった。
気づけば時間はあっという間に過ぎ去り、僕たちがカフェを出る頃には夕日が空を染め始めていた。
「今日は本当にありがとう、堀北さん。付き合ってくれて助かったよ」
素直に感謝を伝えると、彼女はそっけなく返してきた。
「べつに。誘ったのはあなたたちでしょう?」
その言葉はそっけないものの、不思議と冷たい棘のようなものは感じられない。
「また今度、みんなでどこか行こうね、堀北さん!」
櫛田さんがにこやかにそう言い添えると、堀北さんは少し間を置き、「……気が向いたら」とつぶやいて、いつもの調子で先に歩き出した。
「やったね、荒清くん!」
櫛田さんが僕の肘を軽く小突きながら、明るい笑顔を向けてきた。その笑顔につられるように、僕も自然と微笑んでしまう。
「ああ、とりあえず第一段階は上手くいったかな」
堀北さんの背中を見送りながら、心の中にはこれまでにはない手応えを確かに感じていた。