入学式は好きになれない。入学式に限らず、新入生に対する視線というのはどうしてこうも露骨なのだろう。講堂のパイプ椅子に座りながら、僕はうんざりした気分でそんなことを考えていた。
僕自身、新入生の中で目立った容姿をしているとは思わないが、それでもこうして不躾な視線を向けられるとあまり良い気はしない。ぐるりと教室を見渡し、僕は自分のネームプレートが置かれた席へと向かった。窓際近くの後ろのほうの席。悪くない。教室の中を見る限り、知り合いがいそうな雰囲気ではなかった。
僕は席につき、そのまま鞄から文庫本を取り出し読み始める。別に読みかけの本を家で読んできてもよかったのだが、どうにも落ち着かなかった。何か別のことに意識を向けていたい気分だったのだ。
しばらく本を読んでいると教室はどんどん女子生徒が登校し密集していく。そして、その女子生徒の集団は教室の後ろのほうから前のほうへとやってきて、僕から少し離れた席へと座っていく。
「ねえ、あの人って……」
「うん、絶対そうだよ」
女子生徒が僕のほうを見ながら、ひそひそと何かを話している。僕は文庫本を読みながら、そんな彼女たちのほうをちらりと盗み見る。するとすぐに彼女たちは視線を逸らすのだが、またすぐにちらちらと僕のほうを見る。どうやら、彼女たちの話題に僕は上っているようだった。
「ちょっとかっこいいかも」
そんな言葉が聞こえ、僕は一瞬耳を疑った。まさか、彼女たちは僕のことを言っているのだろうか。いやいや、聞き間違いだろう。きっと彼女たちは僕じゃない人物の話をしているに違いない。そう納得し、僕は再び本へと視線を落とす。だがしかし、その後もひそひそと話す声が止むことはなく、それどころかちらちらと僕のほうを見る視線も増えてきているような気さえした。思わず深いため息が腹の底から出る。僕は、読みかけの本を鞄へとしまった。
「入学早々ずいぶんと重たい溜息ね」
本を片付けた僕の隣から、そんな言葉が振ってきた。僕はゆっくりと顔を上げ、その声の主のほうへと顔を向ける。するとそこにはバス降り場で別れたばかりの少女が微笑みながら座っていた。
「重い溜息には幸福が逃げるわよ。気をつけなさい」
「君は……同じクラスだったのか」
「ええ。まさか、あの場限りの冗談だと思われていたなんてね」
「……まさか。これでも記憶力には自信があるほうだよ。けれど……その、こういう場で再会するとは思っていなかったから……」
「そういうものなのかしらね。私はあまり気にしたことがなかったけれど」
彼女はそう言って、小さく笑った。その笑顔は、バス降り場で見せたものとは違う種類の笑顔に見えた。それはどこか気高さを感じさせるようなものだった。僕はそんな笑顔を向けられて思わず見とれてしまう。しかし、すぐに我に返り彼女から視線を逸らす。
「……えっと、僕は荒清綾人。これからよろしく」
「いきなり自己紹介?」
「え……ああ、ごめん。つい……」
「別に謝る必要はないけれど。私は、堀北鈴音よ。スリーサイズは……」
「いや、言わなくていい!そこまで聞いてないから!」
「そう」
彼女はそう言うと、何事もなかったかのように鞄の中から本を取り出した。まさか本当に自分のスリーサイズを言うつもりだったのだろうか。僕は内心不安になったが、聞き返すのはやめておいた。彼女……堀北さんは本を読み始める。僕も読書を再開……といきたいところだが、どうにもそんな気分にはなれなかった。それから数分ほどたって、教室に担任教師らしき女性がやってきた。
「えー新入生諸君。私はDクラスを担当することになった茶柱佐枝だ。スリーサイズは86・59・84のFカップだ」
前言撤回。この人……やばい人だ。仮にも高校教師とは思えない発言をしたぞ、この人。僕が呆然としていると茶柱先生は話を続けた。
「普段は日本史を担当している。この学校には学年ごとのクラス替えは存在しない。卒業までの三年間、私が担任としてお前たち全員と学ぶことになると思う。よろしく。今から一時間後に入学式が行われる。その前にこの学校の特殊なルールについて書かれた資料を配らせてもらおう。以前入学案内と一緒に配布はしてあるがな」
そう言って茶柱先生はプリントを配り始める。僕たちはそれを受け取り、目を通す。そこにはこの学校特有のルールが書かれていた。それは学校に通う生徒全員が敷地内にある寮での学校生活を義務付けるとともに、在学中は特例を除き外部との連絡を一切禁じているということ。つまり、この学校は徹底した管理体制がとられているようだ。
「今から学生証カードを配る。それを使って敷地内にあるすべての施設を利用したり、売店などで商品を購入することが出来るようになっている。ただし、ポイントを消費することになるので注意が必要だ。学校内においてこのポイントで買えないものはない。学校の敷地内にあるものなら、何でも購入可能だ」
茶柱先生の発言にクラスメイトは一気に色めきたつ。それもそのはずだろう。学校生活において必要なものはポイントで買えるというのだから、生徒たちからすればかなりの好条件だろう。
「施設では機械にこの学生証を通すか、提示することで使用可能だ。それからポイントは毎月1日に振り込まれる。お前たち全員、平等に10万ポイントが既に支給されているはずだ。なお、1ポイントにつき1円の価値がある。それ以上の説明は不要だろう」
つまりは入学したばかりの僕たちには10万円のお小遣いがすでに配布されているということだ。何とも手厚い対応である。
「ポイントの支給額の大きさに驚いたか? この学校は実力で生徒を測る。入学を果たしたお前たちには、それだけの価値と可能性がある。そのことに対する評価みたいなものだ。遠慮することなく使えばいい。ただし、このポイントは卒業後には全て回収されることになっている。現金化したりなんてことは出来ないから、ポイントを貯めても得はないぞ。振り込まれた後、ポイントをどう使おうがお前たちの自由だ。好きに使ってくれ。仮にポイントを使う必要が無いと思った者は誰かに譲渡しても構わない。だが、無理やりカツアゲするような真似だけはするなよ? 学校はいじめ問題にだけは敏感だからな」
冗談めかした茶柱先生の発言にクラスメイトたちは苦笑した。まあ、確かにお金の貸し借りが理由で喧嘩に発展するなんてよくある話だしな。
「質問はないようだな。では良い学生ライフを送ってくれたまえ」
そう言って茶柱先生は教室を後にした。残された生徒たちは互いに顔を見合わせて戸惑っている。いきなり10万円ものプライベートポイントを貰ったのだから無理もないだろう。
「思っていたほど堅苦しい学校ではないみたいね」
隣の堀北さんは周囲の戸惑いを意にも介さず、そう呟いた。それに同意するように僕も頷く。
「そうだね……このクラスだけかも知れないけど、思っていたほど堅苦しい雰囲気は感じられない」
これからの学生生活がどうなるかは分からないが、ひとまずはこの学校独自のルールには従ったほうが良いだろう。ポイントを使い切ってしまうのも手だが、それは最終手段にしておこう。
「皆少し話を聞いてもらってもいいかな?」
そんな時、一人の女子生徒が席から立ち上がった。立ち上がったのは、今朝バスの中で痴漢されていた少女だった。
「これから、クラスの仲間だし自己紹介したいと思うの。賛成してくれる人は多いかな?」
彼女の提案に対して否定するような生徒は一人もいなかった。
「じゃあ、まず私から。私は櫛田桔梗と言います、スリーサイズは82・55・83のDカップです。中学からの友達は0人、だから早く顔と名前を憶えて、友達になりたいって思ってます。皆の自己紹介が終わったら是非仲良くしてください」
櫛田さんはそう言ってぺこりと頭を下げた。僕はそんな彼女を見て、朝のバス内での光景を思い出していた。
「自己紹介ありがとう櫛田さん。じゃあ次は私ね」
そう言って最初に立ち上がったのは、バス内で隣の席だった堀北さんだった。彼女は立ち上がり軽く視線を周囲に巡らせるとゆっくりと話し始めた。
「私は堀北鈴音と言います。スリーサイズは79・54・79のDカップです。この学校には、入学試験で高い点数を取って合格しました。以後よろしく」
簡潔に自己紹介を終え、堀北さんはすぐに席に戻った。どうやら、彼女の性格上あまり長い話は苦手なようだ。今現在僕に分かることはそれだけだった。すると、すぐに別の女子生徒が立ち上がった。
「私は、井の頭……心と言います。その、仲良くなりたいです。よろしくお願いします」
そう言って井の頭さんはぺこりと頭を下げた。そんな様子を見て、他の女子生徒たちは次々に自己紹介を始めた。……とか言って他人の自己紹介を批評している場合じゃないぞ。僕の第一印象は、この自己紹介で決まっている。その後話す機会があるとしても最初が肝心なのだ。もし仮に変な印象を持たれてしまったら後々大変だろうし……ちょっと緊張してきたな。
「じゃあ、次の人お願いできる?」
そんなことを考えていると櫛田さんに声をかけられる。
「あ、はい」
僕は立ち上がると自己紹介を始めた。
「えと……荒清綾人です。その、仲良くしてくれたら嬉しいです」
僕はそれだけ言ってすぐに席に座る。……うん、まあ無難に自己紹介できただろう。僕は、ほっと胸を撫で下ろす。
「荒清くんかあ……うん、よろしく!」
僕の自己紹介が終わるとすぐに、櫛田さんは僕に笑顔を向けてきた。どうやら好感触なようで一安心だ。こうして僕たちⅮクラスの自己紹介は終わった。