思った以上に賑やかだ。
放課後の第一体育館。重い扉を開けた瞬間、むせ返るような熱気と、数百人もの人が放つ特有の喧噪が一気に襲ってきた。今日は新入生向けの部活オリエンテーション。学園生活の入口ともいえるこの場には、僕ら1年生だけでなく、2年生、3年生までもがひしめいていた。
隣を歩く堀北さんが軽く眉をひそめた様子で言葉を漏らす。
「1年生だけじゃなくて、先輩たちまでこんなに立ち込めているなんて……すごい光景ね」
確かにその通りだ。会場の中央付近を占拠する上級生たちは、まるで自分たちの優位性を誇示するかのように陣取り、その光景に圧倒された新入生たちは入り口近くの狭いスペースへと追いやられていた。その場の先輩たちの視線は鋭く、まるで燻し出される獲物を捜す猛禽類の眼差しを思わせた。
「沢山の人が集まった分、生徒会や部活動のメンバーたちは少しでも早く、自分たちの影響力を主張したくなるんじゃないかな」
堀北さんは軽くため息をつくと、手元の端末で時間を確認しながら先へと進む。きびきびした足取りについていっていた僕の目が、不意に彼女の横顔を捉えた。出会ってからまだ間もないはずなのに、このわずかに近づいた距離感がなんとも心地よい。不意に肩や腕が触れる度、暖かさが弾けるように広がっていくのを感じた。
やがて照明が落とされ、ステージ上が眩しいライトに照らされる。
「1年生のみんな、お待たせしました。これより各部活代表による入部説明会を行います」
とスピーカー越しに響いたのは、凛然とした声ながらも滑らかな女性の響き。ステージ中央には一人の女性が現れ、堂々とした態度でマイクを握り観衆を静粛させる。
「こんにちは。今年度、生徒会長を務めます橘茜です。ついでに自己紹介として、スリーサイズは80・60・82のCカップ。よろしくお願いします」
突如飛び出した彼女の発言に場内がざわついた。この学校ではどうやら身体的スペックすらも個人の「実力」の一端として披露する習慣があるようだ。ステージ上に並ぶ各部代表者たちも同様で、それぞれ隙のない鋭さと独自の魅力を纏っていた。柔道着姿の先輩や、艶やかな着物に身を包んだ茶道部の先輩――その堂々たる姿は、美学そのものだった。
ふと隣を見ると、堀北さんが真剣な眼差しで壇上を見つめている。
「どうかした? ずっと壇上ばかり見ているけど……」
そう問いかけると、「別に」とそっけなく返事をされた。しかし、彼女の視線は明らかに特定の誰かを追っているようだった。「生徒会」という存在に内在する何か、もしくはそこに立つ人物への個人的な因縁。それが彼女の中で影を落としているのではないか、とふと思った。
説明会が進む中、弓道部主将という橋垣先輩が壇上へ姿を現した。
「私は弓道部主将を務める橋垣です。好きなタイプは包容力がある人です」
その佇まいは、どこか無駄がなく、一つひとつの動作に静けさと美しさが宿っていた。端正な弓道着に身を包んだその姿は、会場中の男子生徒たちの視線を自然と引き寄せていた。
隣で堀北さんがぽつりと呟く。
「綺麗……」
「弓道部にこんな綺麗な人がいるとはね」と僕が同意すると、彼女は少し呆れたように目を細めながら、どこか寂しげな表情で僕を見た。
「……あなた、見るところはそれだけなの?」
説明会はその後も進行していったが、僕の意識の半分以上は、隣の堀北さんに向けられていた。彼女はペンを走らせるふりをしながらも、生徒会役員が動くたびに微妙に目線を動かしている。その様子は、興味を引きつけられている自分自身と戦っているように見えてならなかった。
その時、橘会長が壇上で再びマイクを握った。
「では、最後に生徒会についてご説明します。今年度も新たに数名の一年生役員を迎える予定です。学校の理念に共感し、自分の力を試したい者は、放課後、生徒会室を訪ねてください」
力強い声で告げられたその言葉を合図に、説明会は終了した。一年生たちは早々に解散となり、それぞれが体育館から散っていく。
「堀北さん、生徒会には興味ないの?」と僕が勇気を出して聞いてみると、彼女は迷うことなく答えを返してきた。
「……興味ないわ」
その返答は即座だったが、どこか自分自身を納得させるような響きを含んでいるようにも感じた。そして彼女は出口へ向かいながら、振り返り一言だけ告げてきた。「私はもう少し部活の様子を見てから帰るわ」と。それを最後に、僕たちは別々の行動を取ることとなった。
それから約二時間ほど、一人で部活動の勧誘ブースを回ってみた。どの部活も魅力的ではありながらも、心の奥底で「あの日の出来事」や「堀北さんとのあの時間」を超える何かが得られる気がしなかった。そして結局、何ひとつ決められないまま昇降口へ向かった時、夕闇に溶け込みそうな影が目に入った――堀北さんだ。
「あれ? まだいたんだ」と思わず声をかける。
「……ちょっとだけね。生徒会のこと、少し気になったから寄ってみただけ」
彼女は目線を合わせようとはせず、校門の方をじっと見つめていた。互いになぜか言葉少なになり、その場には静かな沈黙が広がった。まだ付き合い始めたばかりで共通の話題も乏しい僕たちだったが、この沈黙は妙に心地よく感じられた。
突然、堀北さんが口を開く。
「ねえ……聞かせて。あなた、生徒会には興味ある?」
予想外の質問に少し考えてから僕は答える。
「正直、よく分からないかな。興味がないわけじゃないけど、この学校の“実力”というものがまだ分からなくて、不安なんだ」
彼女は僕の返事を聞き終えると、小さく息をついた。そして、今日初めて見せるような柔らかな微笑みを浮かべる。
「やっぱりそうね。あなたって何事も慎重に考えるタイプだもの」
そう言った後、彼女はほんのりと頬を赤らめ、目線をそらしたまま続けた。
「……今日は、ありがとう。部活動を見て回ろうと思ったのも、この学校のことをもっと知りたいと思ったから。あなたと一緒に回った時間は……その、悪くなかったわ。感謝しているのよ」
「え……?」
想定外の、あまりにも素直な感謝の言葉。堀北さんは僕の反応を待たず、逃げるような速さで歩き出した。夕日に照らされた彼女の後ろ姿が、少しだけ震えているように見えた。
僕はその場に立ち尽くし、彼女が去った後の空気を深く吸い込んだ。
爽やかなラブコメのような放課後。
けれど、背後にある体育館からは、まだ上級生たちの「実力」を競い合う怒号が聞こえてくる。
この平和な時間が、いつまで続くのか。
僕は、期待と、それ以上の確信的な予感を抱きながら、ゆっくりと寮への道を歩き始めた。