彼が完成させたという小説を友希那も読んだ。
きっと、彼が提出したという新人賞の審査員よりはやく最初の一文を目にし、それからまた、審査員よりはやくに最後の一文を読み下した。長さとしては長編小説としてちょうどよく、また読み応えについても悪くないと友希那は感じた。
いいや、私はプロの小説家ではない。審査員を気取るつもりもないが、それでもこの作品は、並大抵のものではないなとまず意識した。
そして肝心の内容だが、これはいかにも彼らしい変態的な、独特のエネルギーに満ちた力作だった。
これならいけるかもしれない。
友希那が今作に向ける全体的な感想はそれだった。
いける、というのはつまり新人賞のことで、事が上手く進めば彼はプロになれるかもしれない、などと軽く思うのだが、いいや、そうしたそうした期待はあまりいいものではないなとすぐに冷静になる。捕らぬ狸の皮算用、という言葉もあるのだから。とにかくまだ、何も決定されていない。
決定するのは友希那ではなく審査員であり、彼だってそれを理解している。
恋人とはいえ部外者が、それほどの期待を寄せるというのも彼からすれば重たいだろう。なんだか迷惑というか、無駄な緊張を誘うだけのような気がする。
しかし、それでも今作には何か力があると思わざるを得ない。
これまで、彼が書く小説を友希那も読んだことは何度かあった。プロでないとはいえ、それなりの年月を文章執筆に費やしたその実力はある程度の領域に達しており、思わず目が留まることも少なくなかった。音楽家として歌詞を書くことなど友希那からすれば日常だが、歌詞執筆と小説執筆には似ても似つかぬやり方があるのだな、なんて関心することも多かった。
そうしたいくつかの作品と、それから今回の作品を比較して考えてみる。友希那は個人的に、その二種類の間には何か明確な境目があるように思える。
心情の変化か、それとも成長か、そういうものは自分自身にだってよく心当たりがある。
作品を生み出すこと、それ以外のところで作家はよく成長する。というより、そうした日々の成長や考えをまとめるため、作品を生むという行為に戻ってくる。
もしも、彼にもそのような人間的な成長が発生し、それをきっかけに今回のものを仕上げたのなら本当に、いけるかもしれない。
そして、その人間的成長の概要に自分が、恋人としての私がいるのなら――。
「ふふ……」
脱衣を終えた友希那は浴室出入り口扉を押し開いた。
足裏に鋭い冷気が触れすぐに馴染んでゆく。友希那はひとひとと身体を揺らし、誰も居ない浴室に入っていく。
ちらり。脱衣の最中に鏡を視たが、なんとも小ぶりな林檎が二つ実っていた。
原稿を手渡されたのは三日前のことだった。
今日、完全に読み終えて時計を確認すると食事をしてから一時間が経過しており、友希那はそれから彼に入浴について訊ねた。
自室に居る彼は「小説についてまだやるべきことがある」と一番風呂を断り、友希那は久々に独りで入浴した。
頭髪、それから身体そのものの清掃を終えて湯に浸かる。小さな息をついて何気なく、水面を視ていると周囲に無音があることに気付く。それは静謐なものだった。淡々と一定であり、それでいて何か、こちら側に差し迫るような迫力を持つただ無音だった。
浴室特有の重たい質感が這いずっている。その中で友希那は、自分がそれを耳にすることが久しいことに驚いていた。
この数か月、入浴といえば彼と共に済ませることが当たり前だった。別に毎回いつも、卑猥な行為に興じているわけではない。確かに彼が発情に突入し、後ろから胸を揉まれたり、首筋を舐められたり、本格的に、湯煙の中でまぐわうことももちろんある。けれど特に何もなく身体を洗い、肩を寄せ合って湯に浸かり、互いのこと、仕事や交友関係、それ以外の雑談をすることのほうが多かった。
それは一般的な入浴よりよっぽど長い時間を要する入浴だが、友希那は、二人の入浴とはこの世の他のどんな入浴より価値があり、有意義なのだと確信している。
そして友希那は今、たった独りの入浴とはこれほど寂しかったのか、なんて額を曇らせている。
いくら経過してもこの水面が、少しも歪まないことが悔しい。なんだかもはや不自然で、友希那は自ら右手を伸ばし、人差し指で弾いてみる。
その呼び鈴の音を耳に颯爽と、この浴室出入り口扉が開かれて友希那は目元を強く開いた。
彼という男の全裸など見慣れたものだった。
浴室という場でそれを目にすることだって、友希那からすればよくある体験だった。故に特別に今、驚いたり高揚したり、まさか恐怖することなんてありえなかった。
しかし現在、浴室出入り口扉を大きく開けて登場した彼のことについて、友希那はなんだか新しい、なんだか斬新だと目を丸くしていた。
そうして数秒間、目を合わせていると彼のほうがよろめいた。
「あ、あの、勃起が……」
「勃起?」
この浴槽の中、外の白い光を少し受け、友希那もまた肩を揺らす。温かい水面が揺れ、二人、息を打つ。
また彼が腰を揺らし、次に喉元が不安に震えた。
「勃起、しちゃって」
「……自分で処理することはできないのかしら」
俯く彼に対し友希那は素早く提示しておく。そうなんだけど、と彼はまた視線を迷わせ、額が上がると同時に股間、竿も何か跳ね上がる。そんなアピールをしたって仕方がない。そのように友希那は理性で思うのだが、意識ではなく本能として、友希那は彼のそれに反応していた。つまり視界の中、不思議に動く竿のことをじっと視認し逃さない。
いいや、逃れられない。
今、浴槽の湯に浸かる友希那にどこか逃げる道などない。脱するためにはあの出入り口を通るしかないのだが、開かれた扉の位置には彼が立っている。
「少し、苦しいくらいなんだよ」
「知らないわよ、そんなこと」
じっとり、股間を睨んでいるとやがて彼が、震えながら近づいてくる。
「友希那……」
それからさらに接近し、浴槽の中に影を落とすような位置になると雄は湿った声を吐く。
「イクイクする」
「い、いくいく?」
友希那はその聞き馴染みがない語感に目を丸くしたが彼は続ける。
「イクイクするっ、友希那でイクイクする……」
狭い浴室の中に彼の声が響いて溶けている。それは普段の態度と比べてみると圧倒的にひ弱で湿った口ぶりだった。友希那はそんな彼について心当たりがないわけではない。というより彼のこの姿、この『モード』は日常のことで、「イクイク」という発言も知らないわけではない。
彼が口走る言葉の中で、最も意味不明な単語が「イクイク」だった。声色も、それから表情も何かそれらしく甘えてくるが、要は全て同じ意味で、ただ射精がしたいだけ。
「わ、私が出るまで我慢できないのかしら」
「や、やだ、そんなの」
軽く突き返してみると彼はすぐさま弱った声を出す。友希那はそんな、なよなよと縮む彼の肩を叩くようにまた 責する。
「嫌かどうかじゃなくて、できるかできないかを聞いているの」
「む、無理っ。できないよ、そんなこと」
より縮まった顔とそれら、けれど逞しいままの下半身を見比べて友希那はため息を吐いた。普段、姫のためならどこへでも、という態度のくせに、こういう時だけむしろ、虫も殺せぬお嬢様のように縮こまる。
「まったく……」
そんな彼について、ずる賢いなんてそんな程度のことではないのだが、友希那としてもどうしても、彼については強要できない。
「ねぇ、ねぇお願い……」
己の中で溢れ出る性的な欲求によって自我さえ喪失し、最も好ましい雌、つまり友希那を求めている。それだとなんだか、一方的に利用されているだけのように思えてくるのだが、友希那としても、実施に甘えて、頼りにされてしまうと、れが彼という男であるのならほぼ無条件で逆らえない。
だって、恋人なのだから。それに私は、この人の――。
「友希那ママ……」
彼がまた弱い声を発揮する。穏やかな湯煙の中にそれは混ざり合い、何か香水のように友希那の色香にところまで吹いてくる。
普段、理解のある恋人として、あるいは敬虔な母親として、友希那は彼を請け負っていた。そうして場面によってはその目つきさえ、使い分けてきた。
だが現在、何か暴走する彼の竿により友希那の中のそういった器用な裁量は失われつつある。
迫る雄の迫力に、あっさり敗北してしまう。そうして、雌としての気質が露呈してしまう。
それは彼に使われるだけの肉壺的な身分であると同時に、友希那もまた彼を追いかけることになる。つまり野生的に彼という男を求め、また自らも要求される。
そうした極めて単純な関係性に、友希那と彼、二人で堕ちてゆく――。
今、二人は浴槽の中に居る。
といっても、二人仲良く肩まで浸かって百まで数える、などというものではなかった。現在、湯の中に浸かるものとは足の部分のみであり、浴槽の底の部分に四つの足裏が触れている。二人はほぼ直立で、友希那は適当な浴槽ふち部分に両手を置いて踏ん張っている。
そんな様子の背後で男が肩身を揺らし股間のものが乙女に向かって揺れ期待している。
この陰茎は駄目だ。
それは友希那の直感だった。本能に警告が下されている。この亀頭は駄目だ。これと真に触れた瞬間、あるいは挿入した瞬間に負ける。乙女が崩れ、雌が蹂躙されて利用されるだけになる。女性としての尊厳が踏み潰され、ただ男の、彼の粘液に満ちて拭い取ることができなくなる。
彼の男性的な熱量は細いだけの女体を貫き、友希那が届かない箇所まで入って順応する。それからはもう彼が、支配者の如く雌を酷使するだけ。
そんな妄想は今の友希那にとって簡単なことだった。だってこの陰茎、むきむきに肥えた亀頭が熱の色を現し、その大柄な肉は限界まで膨張している。自分で処理をすればいい。先ほど友希那は彼に提案したが、確かに、この勃起は彼という男の性欲をそのまま具現化したような様相にあり、厄介というか、窮屈な様子にある。
こんなもの、負けてしまう……。
友希那は喉を鳴らした。固い唾液を下し、けれど身体はこの場から逃れようとしていない。きっと、このまま挿入を許したのなら、自分は、彼の愛ある猛攻により組み敷かれてしまう。それから自分という雌は、彼を満たすためだけの『オナホ兼ママ』になってしまう。
「駄目よ。駄目。絶対に……」
彼に躊躇などなかった。
性欲のみで突き進む雄は眼前の雌に遠慮しない。言葉で合図することなんてしない。彼は友希那の腰を左右で掴み、股間で狙いを定めて力強く押し進む。
その瞬間に友希那はこの場で悲鳴を上げた。
両足で直立し軽く尻を突き出した体勢のまま、若い歌姫は背中を反り上げ太く喘いでいた。それは開花だった。自分自身でも知らない喉の使い方を友希那は今まさに強いられている。出てしまっている。普段の領域から外れたものが、普段の喉からなんだか漏れ出てしまっている。止めたいとは思わなかった。そんなことより股間が拓かれている。熱く、彼の強さ、その胆力が入場し友希那は自身の立場を理解させられる。
友希那が雌で、彼が雄。
そして雌とは雄に絶対に負かされる。雌がどれだけ冷静に強く自我を保ったところでそんなもの意味がない。雌の全ての要素とは雄にとって極上の燃料であり、そうして肥大化した雄の強さに雌は全てをすり潰されてしまう。
そうした立ち位置を今まさに、彼の肉棒が決定付けている。
膣の中、彼のものは奥まで一気に入っている。友希那の肉壁はすっかり彼の形を思い出し、連なる肉ひだ、あるいはすでに堕ちている子宮のその入り口部分が温かく竿を舐めしゃぶる。みっちり包み、彼を受け入れ、彼を揉んで擦っている。包容ではなく降伏の心地が膣そのものに散布されており、彼だけを喜ばせている。
それは旅館に到着した客を丁寧な所作で迎え入れる女将の様子によく似ていた。
友希那の膣という極上の宿で最上級のおもてなしを受けることが可能な相手とはもちろん彼だけであり、その彼は友希那に対し、女性扱いを通り越して雌としての役割を求めてくる。
これは対等な性行為ではなかった。
これは支配だった。暴力といっていい。力のある彼が、力のない友希那を徹底的に味わっているだけだった。今、友希那の胎内で赤子のように元気漲って前後の運動し、膣壁を擦って猛るものこそが、そういうものだけがこの瞬間の規則であり、法であり、また友希那の宿命そのものだった。
他の何も、二人に適応されていなかった。
この二人きりの小さな国の中、そうして友希那は、かつてステージで歌の世界を紡いだ姫君は彼という大王に支配されている。友希那は彼に使われている。彼は呻きながら腰を振り続けている。大胆な誇示がそこにある。彼を性豪たらしめる獰猛さ、友希那はじっくり侵食されてゆくだけだった。
そんなもの、女性として何より屈辱的なことだった。
屈辱的なはずだったし、屈辱的だと友希那は思うべきだった。
しかし友希那の身体はそうした、普通の感覚にすでになかった。
友希那は比較的簡単に彼にひれ伏している。彼から受け取る愛情由来の脂の乗ったちょっとの暴力、それは友希那の、今まで積み重ねてきた矜持も理性も全て溶かして納得させる。つまり、自分なんて到底敵わないことを聡い歌姫はすぐに思い知る。
一撃、一撃と突かれる度、喉の奥の位置から自分でも知らない何か低い声が連続している。それを止めることはできなかった。いうならば彼という相手により掘り起こされた声であり、それでいてなんとなく、この声こそが自分の雌としての正体なのではないかと友希那は腑に落ちていた。
私とは犯される側であり、肉体を差し出す側であり、いいなりに、使われる側なのだ、いいや私とは、この彼と性行為をし、心地良く絶頂し、心地良く使い潰されるためだけに生まれてきたのかもしれない。
そういう部分を友希那はしっかり自覚して、それが当然で、また友希那はそういった意識をまるで、自らの最先端の武器のように確かに思う。
とっくに飼い慣らされている友希那は、とにかく男に媚びることだけを意識している。雌として今、めざましく開花してじっとり満たされている。
この瞬間だけは、音楽に対する一切の矜持や信念を捨て、ただ彼の、彼だけの雌になりたい。
そうした女としての欲求により膣は最適化されて彼を包む。彼のものも胎内にてヒートアップし、動きが大きく汗ばんでゆく。
もう、我慢ができない。
二人、どのような言葉も表情ももう必要としていない。ただ身体の中で出会い、身体で触れ合い、相手を窺うと全てわかる。
友希那は外向きに拓いた両足をそのままに、膝が少し落ち、太腿が突き出て尻が下がっている。へっぴり腰、という状態で、そんな中途半端の体勢のまま、それより大股を造る彼が覆い被さっている。限界を迎えた男はもう自由奔放で、女体の左右に添えた素手は臀部を掴んで離さない。雌の敬虔な臀部のみを股間に強引に寄せるという動きがあり、友希那は後方から熱烈に、注入され続けてしまう。
これじゃあ、彼に尻を献上しているみたいでさらにさらに恥ずかしい。
だが、彼はそんなことなど当然気にせず射精を続けている。
なんとも長い射精だった。また力強い排泄だった。何か雷撃というか、身体の芯にまで響いてくるものがある。子宮が脅されているかのように縮こまり、けれどそのすぐ後に、肉壺はじんわり緩んで温かく力尽きてしまう。
ああ、これはなんだろう、友希那は腹がたぷたぷと波打つ中で思考していた。何かこの高鳴る感覚、それを他で似た経験をしたような気がする……。
後方から、唸りつつそれでも衰えない射精を膣で受け止める友希那はやがて、この心地とはライブで音を体験するあの心地に似ていると思い至った。
ライブ会場、パフォーマンスをする音楽家が繰り出す音とは物理的な力を持っている。それは聴く者たちの骨格を揺るがす。肉に浸透し、臓物を震わせて意識が轟く体験に導いてゆく。
そうした一連の音楽体験とこんな射精がいちいち合致している。
先ほどから彼は友希那にしがみついたまま腰を尻に押し付けている。尻は男体の形によって潰れ、歌姫は背中一面で野生児の息吹きを感じているのだが、そうしていると雌として、友希那はもうくたくたになる。前方向に倒れ込んでしまいそうになるのだが、彼はへばり付いたまま膣を保とうとする。
力を抜き、股を渡して自由にやらせてあげること。自らはただ、彼に植え付けられるだけの肉塊なのだと徹すること。それこそが今の友希那の役割だった。正しい在り方、というものなのだが、熱烈な彼はそもそもそれ以外を許さない。
「ううっ――」
胎内で波打つもの、その勢いがようやく収まってきたかというところで彼は腰を引き、また強く打ち付けた。胎内にて陰茎が食い込み、そのまま滑り出すように射精が再開すると彼の腰そのものが勢い付いてくる。
何度か腰を引いて友希那打ち込んでいる。その度、その度に濃厚なものが友希那の奥へ飛散して、どろどろ、友希那の子宮に熱が及び、彼はまだ射精している。
「友希那、好き。ゆきなっ……」
浴室内で男女が二人、股間と尻を突き合わせたまま息のみを漏らし、男から女へ、押しつけがましい排泄が続いている。
ああ、この人は、私のことを本気で孕ませるつもりなんだ。
友希那は今さらそんなふうに理解した。理解させられていた。なすすべもなく敗北し、ただ弛緩している膣は今でも大きく震えており、彼を咥え込んでいる。ねじ込まれた竿は肉ひだにを押し退けるように強張り、女の中心で温かい飛沫を上げている。
友希那は自分が、雌として最良の使われ方をされていることにさらに満足する。
しかし一方、彼はまだまだやる気のようだった。
友希那という女体に解き放ったこの精液、これはただの初回に過ぎない。そうした事実を友希那そのものに知らしめるように彼はすぐさま元気を取り戻し動き出す。
緩んでいた両手をやり直し、友希那はまた、彼の懐の位置へ自らの臀部が抱き込まれたのだと理解する。
このまま続行だなんて少し耐えられない。
この男児の蛮行を許してしまったらきっと私はおかしくなる。
友希那はそのようにすぐ理解した。なんだかいけないものに成り果てる。
「待って……」
だって大きな絶頂の後、休息せずまた動き出すなんて女として耐えられない。まだまだ息も引きつっているし、胎内に溜まる精液も処理できていない。それなのに、まだ準備があるというのに彼は、男は我慢できない。
だが眼前の雄はそんなことこそ無視をして雌を求め続けている。
「ママ……」
この浴槽の中、直立したまま二人は水面を揺らし寄り添っている。もう友希那は浴槽ふち部分から手を外し、次に壁に向かってひしゃげるように備えているのだがそこに彼が付属する。
彼は、そんな友希那の肌肉へ勢いよくもたれかかっている。男の表面が友希那の背中一面に重なって、腕も巡り、それから緩んだ熱い頬が触れ合っている。ただ腰のみが女体に向かって突き出ており、そうして彼は友希那をびっしり抱き締めている。なんの遠慮もない抱擁で、また彼のこのような勢いについて、友希那は今回が初体験ではなかった。このような締め付けをされる度、される度に友希那は自らが、彼にとって性的に好ましく、また頼りにするにちょうどいい存在なのだと思い知る。
それはどうにか前進し、ここではないどこかへ逃げようと力む若い姫のことを下衆な大王が捕らえたというふうにも視えるのだが、彼の蹂躙は野犬じみたものがある。
「胸、触らないで。腰も押し付けないで……」
いいやしかし、実際に飼われているのは明らかに友希那のほうだった。
今、まさに彼が触れているこのくびれ部分だって、こうして彼の持ち手になるためにこの形になっているし、それ以外にも、彼の陰茎を精一杯揉むためだけに膣を持っているし、彼の精液を受け取るためだけに子宮を宿している。
彼に突かれて高く喘ぐためにだけにこの声で、彼を雄として調子に乗らせるためだけにこの体臭がある。
「まだするっ。友希那とするのっ」
大きな男体に包まれている。するとどうしても、友希那は自身の身体の小ささについて意識する。腕は細く、肩幅だって彼には敵わない。背丈も低いのは当たり前で、胸板も、男性のそれと比べると頼りないと思い知る。つまり生き物として、その序列の中で視てみると、湊友希那は彼一人を制圧できない。
つまり、もう負けるしかない。
今、勝っているのは男のほうで、友希那のことを使い勝手のいい抱き枕程度にしか思っていない。下敷きにある友希那はこのまま、彼という上位の存在にひれ伏して、従順になるしかない。
彼と相性のいい身体を、彼に向かって捧げるしかない。
「うううっ!」
呻き声と共に動きが停止した。力尽きたのではない。むしろ友希那という柔肉に彼はさらに差し迫り、胎内、めり込んだ肉棒はその場で激しく膨張している。友希那だって、この足腰を開いたままの体勢から動けない。だって、とても熱い、熱い雄の感覚が、どこからともなくせり上がってくる。それらはすぐに何かもわもわと、内側にて激しく広がって、友希那のその奥、最も女々しい箇所に伸びて溜まってゆく。
女々しい箇所とは友希那の子宮の入り口のことであり、今、友希那と彼はその地点で誰にも知られず逢っている。
「また、こんなに……」
この浴室内で友希那は小さく呟いた。壁に置き、くしゃりと握って耐え忍ぶ両手は汗ばんでいる。
現在、彼の象徴と友希那の秘密は狭い肉の位置にて完全に触れ合っている。もう、互いの形も位置も隠していなかった。少しだって、隙間も、精神的遠慮もない。
そうした中でただ竿のみが膨張し射精している。
射精する度、する度に陰茎は、友希那の膣へ甘えるように脈打ち、叩き込まれたものは子宮へ行き詰まる。彼が背後で震える度、友希那もまた細い両足をさらに細く際立たせ、大きな呼吸のみが浴室内に反響しあっている。
「うう、友希那すきだよ。大好き大好きっ……」
彼は全て友希那へ流し込んでいた。一滴だってこぼしていなかった。何もかもを注入している。友希那はそんな彼の絡まる両腕、その素手の部分を上から覆って撫ぜてみる。意味はない。友希那はただ彼を後端に、その身を案じて留まっていた。陽光差す木造の椅子に座り子を見守る聖母のように、彼について見守るしかない。
「ゆきな……」
唐突に押し入った彼に捕まって、竿が溌溂と膣に入り込む。たくさん使用された後に射精があり、それはねっとり、呼び掛けるかのように連続で行われ、その瞬間に彼は気持ちよくなる、友希那はというと、女性としてのあらゆる尊厳が濁ったものたちに押し流されてしまう。
これは愛し合うだとか、それを確かめるとかそういうものではなかった。
大好きな友希那に抱き着いて、その膣に強くマーキングをしておく、強く自らの粘り気を付与できればそれでいいけれど、嬉しいけれどそのうえで、さらにあの子宮、もっとも尊い位置に雄を混ぜてもらえればさらにいいな。
などという程度の優しい流動は彼にはない。
だって、これは交尾、彼は雄として最初から、友希那の女性が詰まった子宮のみを狙って挿入し、それから直接流し込んでいる。
そうして空洞だった友希那の内側をねとねとと満たし、種付けがしたい。彼はそうした欲求にのみ急かされている。
確実に妊娠させる。
この雌を孕ませる。そうして唯一無二の、自分だけの妻にする。
精神と肉体の両方から彼に必要とされている。それで使用されて果ての部分へ向かっている。今だって、下腹部から肥えて彼の種子のみが増えていることがよくわかる。精液に次ぐ精液が波のように迫って重たいまま揺蕩う。
彼の一部を身体の内側に宿し、溜め、そこから放たれる波動は友希那を温かく包んでいる。
精液と、膣の中でまだまだ蠢き続ける陰茎と、それからさらに、頭部を撫でている彼の湿った素手、三つの刺激によって友希那は、彼の感情を読み取っていた。
膣など、とっくに彼の形に変えられてしまっている。子宮口も、亀頭の強さに潰されて欲しがり続けている。
そのうえで友希那はまだまだ、彼から暴力じみた性行為で愛されたいと志願することになる。
好きな人に使い潰されることの、なんと、幸福なことか。
さらに数度の射精をやらせた後、二人はようやく肌を離した。
もう不埒な行為は発生しなかった。二人、ひと通り身体を清掃してそれから平和に肩を並べて湯に身を預ける。落ち着いた息を吹き、それが湯煙に溶けて静まると今度、口を開いたのは彼だった。
「友希那」
「何かしら」
男を右隣に添える友希那は水面を視ていた。ただ具体的には湯でなく、その向こう、二人の身体をぼんやり眺めていた。
自分の身体などよりも、やっぱり彼の股間に目が向かう。臀部は、女のそれよりがっしりと造られており、またその中心、黒色の海藻がゆらゆらと手を振っている。湯の中のそれら、無数の毛並みをなんだか愛おしく眺めているとその合間から、また大きなものが上向いていることを視る。
「上がったら、またしよ」
「あなた、まだ私の中に出すつもりなの……?」
再び勃起を繰り出した陰茎と、それから彼の卑しい声色、同時に差し向けられた男の性欲に友希那はまず額を上げ、愉快そうな男児を睨んだ。
「あなたは、私と交尾することしか頭にないのかしら」
発言が反響し、それから友希那は自らが、交尾、という単語を無意識に使ったことを知る。
彼は明快に答えてくる。
「そんなことない。でも、友希那と居るからかな。勃起が止まらなくって」
普段、あまり下衆な単語を使わない恋人が交尾と発言したことについて彼は察知しているのか、友希那はそんなことを気にしていた。けれど、もし彼が気付いているのなら相応の顔つきで追求してくるはずだし、それがないのなら、聞き逃してくれたのか。
いいや、それにしても――。
つい先ほど、本当に、たった数分という時間の中であれだけたくさん、何か念入りに射精したというのに、そんな、まだまだ有り余るものだろうか。
友希那は疑心を持って彼の股間を視た。湯の中、屹立する竿のその先端部分、鈴口と目が合い、竿そのものがびくりと震える。
それは友希那の疑問に対する彼の言葉ではない解答だった。
「ねぇ、いいでしょ……?」
あれだけたくさん出したというのに、彼の燃料はまだまだ尽きていない。それどころかすでに、次の行為について考えている。つまり次の性欲を、いったいどのように友希那へ委託してやろうか、なんて正真正銘に打診し期待している。
私はやっぱり、これに一生、付き添わないといけない。
「もう、入らないわ……」
友希那は呟いていた。それからひとつ息を吐いた。胎内、もうすっかり彼の質量で満たされた子宮が、反り返るかのように期待している。
意思とは異なる子宮の疼きに不服ながら、それでも撫で上がる情熱に耐えられない。口元を引き締めていると、隣で、彼が粘っこく呟いた。
「さっきの顔、可愛かったよ」
「顔……?」
「射精してる時のお顔、とろとろで可愛かった。だからまたしよ、ね、しよ」
彼女の絶頂顔の愛おしさ故に、また行為を再開するなんて。
そんな助平なことを許していいものなのか。
「ど、どうしてそんな考えになるのよ……」
なんて苦い顔をしてみるが、彼はむしろ、それを好ましく眺めている。
それから適当な水滴がどこかに落ち、ぴちゃりと弾けたことを合図に友希那は肩を揺らした。背中、あるいは御尻の部分に男の視線を引き連れて、浴室を出ようとする。
「友希那」
彼がまた明快に声を出す。友希那は煩い扉を押し、首だけで彼を視た。
「また交尾、たくさんしようね」
「な――」
それから大きな音を出し、水滴を散らす彼が友希那を越えて上がってゆく。
ここに入る前、二つだった林檎はたったひとつに大きく実って、それから男に収穫された。
それは互いの性器を合わせ、互いに快感に至るというような、優しく愛のある行為ではなかった。
現在、友希那は食べられている。
今まで、経験のないほどに大胆に股を開き、極めて無防備に友希那は脱力している。
孤高、なんて一種の信仰まで集める歌姫が、プロフェッショナルに至る音楽家が自らそうした態度を示すなんてありえない。他の誰でもない、友希那自身がまずそのように思うのだが、現在、友希那はそのありえない態度を自ら示している。
よく知るベッドの上だというのにそんな気配はすっかり消失している。
この友希那の個室、その寝具の上で発揮されるものとはひとつであり、それは彼という男による支配だけ。友希那は全裸で仰向けにあるのだが、彼に対し尻を差し出すように体躯を放置し、また彼が、そういう女体を快適に楽しめるように両太腿を軽く開けている。
彼がよく好き好んで語るこの薄紫の長い頭髪も、今だけは、その特徴を持て余すことになる。だって、少しもたなびいていないし、宙空に何か描いていない。長髪、その毛先は今、ただ広々と背中はシーツのの上にばら撒かれているだけであり、彼の動きによって稀に流れたり、ずれるだけ。毛と毛のその合間から覗く肌色はすでに汗で出来上がっており、その上を泳ぐ毛並みもある。
友希那の個室、そのベッドの上に広がる女体はつまりご馳走であり、友希那は自らを彼という一人に献上する。
こんな体勢、この足の形こそが友希那としては何より恥ずかしい。なんだか降伏しているような、誘っているような気配があって許しがたい。いいやそうではない。だって、今この場にあるものとは彼という男の支配であり、自分とはその命令に従っているだけ。友希那はそのように自分を説得してみるのだが、そんな精神的な体勢で肉体的な姿勢を誤魔化すことなどできていない。
「友希那、いいんだね……」
そんな必要など、いったいどこにあるのだろう。彼だってそれについて理解しているはずなのに、わざわざ行為の開始の許諾を取ろうとする。友希那はもう彼の方向など知らない。ベッドに向かって適度に突っ伏し、その位置でこっくりと頷くと男は、寝そべる女体に差し迫る。背中一面に体躯の形の影が浮き、彼は自慢のカトラリーを友希那の最も弱い箇所に備えて入ってくる。
そうして友希那は食べられている。
だがそれは、互いの性器を合わせ、互いに快感に至るというような、優しく愛のある行為ではなかった。
「すきだよっ、友希那……」
膣はずっぷり姦通し男を咥え込んでいる。
彼はまさしく獰猛だった。つまり、よく愛し、よく尊重し、よく育む友希那のことを、ただ己の精を発散したり、吐き捨てる、排泄するだけの対象なのだと思い違いを起こしてしまっている。彼は、腰を動かすというよりは、下半身そのものを友希那へ打ち込んでいる。仰向けにある友希那に被さり、けれどただ臀部だけ、その箇所だけが激しく浮き沈みをして、呼吸が荒々しく昇っている。
まったく、つい先ほどのあの確認作業はなんだったのか。あれほど冷静で人間らしい湿度が、今は欲望に生かされているだけの覇者でしかない。
友希那は彼の中から人間的な意識をみつけることがもうできなかった。寝そべったまま、自らの理性も拭われてしまう。風呂から出たばかり、清めたものを否定するかのように肌色の上に汗が浮く。股間からはじまって、全身のその末端へ、痺れるような微細な感覚は彼の腰の動きと連動して波立っており、呼吸も狭く濃厚になってゆく。
彼が、標的を発見し獰猛に唸るこの雄犬が、どれだけ乱暴で身勝手な交尾に向かおうと、友希那は一切抵抗せずに、抵抗など、できない。本来安息の地であるベッドの上にて、可憐な歌姫の花びらが散ってゆく。
猛然。
それで間もなく、友希那はこの場で最初の最高潮を経験する。
つまりは絶頂で、男を咥える膣の部分が猛り唸る。何か引き抜かれているかのように重たい呼吸がいくつか続き、それでも彼は緩く腰の動きを止めない。
「まって、今、イったから……」
彼は腕ではなく腰で、その部分で友希那にマッサージをするように優しく動いているのだが、そんなものでも今の友希那には危険な刺激となる。
「イったの?」
「ええ、そうよ。あなたがその、激しいから……」
なぜ自らこんな告発をしなければいけないのか。
友希那はその「イった」という部分だけが、己の中で、なにかひどく尖った語感としていつまでも残ることを意識していた。
「気持ちよかった?」
「ええ。そうね」
友希那は額を上げた。背後、肩のすぐ近くにまで彼の口は迫り、両手は、友希那の肩よりよっぽど広い位置にそれぞれ置かれている。
寝そべる友希那を男体がまた覆い隠している。
「あのだから、少し休憩を」
友希那の提案を待たずして、彼は腰を本格的に再開した。
「待って、休憩、休憩をっ――」
一時的に弱った雌に対し、これ好機、と盛んになって腰が動き続けてしまう。友希那の膣は絶頂直後で弱り果てており、彼の独善的なものに対処などできない。友希那は半ば虐げられているように、けれど敏感な部分が勝手に昇りはじめる。それは友希那も知らない体験だった。刺激される股間からまた電流が響き、身体のあらゆる箇所が内側から発火して止まらない。もう一度絶頂してしまう。多大な汗を散らしてその峠を越し、また女性的な緩やかな波がやってくるのだが、一方で彼は腰を留めようとしない。この寝具の上、いくつも散る薄紫がさらに蛇行を造り、彼は止まらない。止まってくれなかった。猛烈に女を掘り上げる雄は次々と続き、「イってたから」という友希那の報告がそのうち、「またイく」という予告に塗り替わり、次の瞬間「イく」という告白に変化する。
「でるっ……」
しかし、女性のそれと異なり男性の絶頂にははっきりとした区切りがある。回復力に長けていれば終了後すぐさま走り出すことなんて容易で、たった数秒後、友希那にしがみついていた彼はまた動き出す。
「もう、イったから。お願い、待って……」
友希那はこの「イく」という単語にそのものに羞恥心を得ていた。
なんだか、口にするだけ恥ずかしい。というか、どうにも自分にふさわしくないような気がする。
人には誰だって似合う服装、似合わない服装があるが、この「イく」という言葉は自分には似合わないような気がする。
しかし今、猛烈に繰り出される刺激によって友希那はそうした、極めて人間的な似合う似合わないという考えを展開している場合ではない。彼の力強いものはまだまだ続き、友希那は身体を広げて喘いでいる。それしか許されていない。最低限の思考によって細く甘く、ただ「イく」と連呼するだけだった。
「またでるっ……!」
それから間もなくやってきたものたちは大量だった。とぷとぷ、とぷとぷ、下腹部を這い小さな子宮に入ってくる。射精途中の彼は腰を突き出し、その先で子宮口を愛撫するように腰を揺らしてくる。友希那は、そんな彼の吐息に混ざるように自らも熱気を吐き出していた。
胎内で生まれる熱は収まり、ただ身体表面を覆う汗が一斉に下っている。何度も繰り返した絶頂体験が、遠い記憶としてぼうっとする。口だけでなく、鼻でももうもうと空気を取り入れ、これで終わる、などと友希那は安堵する。
しかしそんな予感が全て間違いであることを彼がその態度で示してくる。
ぬるり、蛞蝓のように友希那の背後から降りた彼はベッドの上で身体を起こし、次に友希那をころんと動かす。力なく、男の腕に従うだけの友希那は気付けば、今までの体勢とは真逆に腹や乳房を彼に提示し、またその両足が退かされる。
「ま、まだするの……?」
薄く呼吸をする友希那に対し彼は「する」と即答した。友希那の細い両足は左右に開かれたというものではなかった。膝関節の位置で曲げられた二つの部位は今、胴体の位置からそれぞれ除け者にされている。
友希那は、自分の頭上が彼の形の影によって薄暗く堕ちたことを視る。間もなく股間と股間、二つの湿り気がぶつかって正しく結合しはじまってゆく。
「ゆっくりよ」
「ゆっくり……?」
「ええ、そうよ。少しずつ動くの、少しずつするの……」
呼吸を合わせるように呟いていた。あんな獰猛なものを続けさせるわけにはいかない。せめて介助をし、優しい性行為にしたい。
「少しずつ、ゆっくり……」
そのように慎重に指示をすると、彼も焦らず応えてくれる。互いの粘液を利用した、滑り込むような充実感に溢れている。ああ、一度絶頂を迎えたことが原因なのか、友希那のほうはやはり敏感で、彼の形もはっきりわかる。
「ああ、友希那……」
彼は友希那という膣そのものを舐るように慎重なのだが次第に何か外れてゆく。自らでさえ抑えられない活力により起死回生を果たし、その腰遣いはさっさと荒波へ育ってしまう。
「ゆっくり……!」
友希那は慌てた彼に思い出させるように叫ぶが雄はそんなもので止まらない。あれだけ小さかった二人の動きはやがてベッド全域を揺るがすほど大胆に広がり、二人しか知らない夜間列車はしかし二人の間で認識の違いを残したまま強制的に出発する。絶頂は近かった。というより、絶頂と絶頂の間隔が狭まっている。それは彼も同様で、常に緩く弾けるように二人はいくつか溺れ、間もなく彼の身体が持ち上がる。
引きつった呼吸をする彼が次に触れたのは友希那の両足だった。投げ出された細い足、どうするのかと視ていると彼は急かされているかのように二本足を持ち上げてひとつにまとめ、抱き枕にそうするようにしがみつく。それで股間は繋がったままなので、友希那はこの寝具の上、背を落としたまま足部分をピンと上に伸ばしているような体勢になる。
「な、これ――」
奇妙な体勢に驚く間もなく彼の腰遣いが迫る。立てた両足をそういう支えとしてがっしり保持し、前方向に腰を突き出して進み出す。
この瞬間だけ彼は、友希那について愛しいあの子ではなく、都合のいい肉壺としての側面を見出して浸かっている。
友希那について、人間的な尊重というものを失くして食らっている。そうした生活ではなく、彼が意識するものとは己の性欲のみ。この美しい雌を使用し、己の精を発散し尽くす。
「友希那っ、かわいいよ友希那あっ……」
彼という男が、使用したい時にだけ、満たされるまで使用する。それは愛情ではなかった。一方的に彼だけがある。思うがままに種を植え付け、ああ気持ちいい、もっと気持ちいい、たくさん気持ちいい、まだまだ感じていたい、そんな不健全な恰好が今、二人の同意で成立している。
「でるっ……!」
友希那の両足を抱きかかえ、そのまま友希那へ。すぐさま腹部の奥が温かく湿る。つまり射精をされている。しかし絶頂の余韻などかき消すように彼はまた友希那の胎内で駆動しはじめる。
その運動について、女から要望を出すことはできなかった。全て男が主導し、友希那の要領や調子など考慮されていない。ただ男が満足するまで続き、けれど満足したところできっと、相応の感謝や労いもなにもない。使うだけ使ったらその後は何もしない。すっかり放置され、ああ気持ちよかったと去ってしまうだけ。
今、友希那は彼にとっての単なる肉壺に認定され、消費されるだけなのだと自覚した。
交尾の終了後、友希那が最初に意識したこととは身体の痙攣だった。
腰そのものが大きく震えている。がくがくと、痺れた肉体に何か力を入れたり、立て、座れ、顎を動かせという命令を下すことはできない。筋肉そのものがすでに限界で悲鳴を上げている。
つまり死に体というか、息も絶え、という具合であり左右の足や、歪んだ長髪を気にする余裕もあまりない。
今、湿った寝具の上で友希那の裸体は披露されている。腹部や乳房が天井の方向にあり、股は大きく広がっている。泉の部分に今は濁った白色のもの垂れ、両足の先は胴体からよく離れた左右の位置に放置されている。
下半身そのものが一時的に機能を喪失し、その質感を感覚で察知したり状況を理解することも難しい。自分のものではないような心地にさえ至り、呼吸についても、肺を引きずっているかのように気怠い。
また、本当に奇妙だと感じることとして、膣がおかしい。
現在、膣の入り口も、その道筋の部分もすっかり満たされて休息にあるはずだが、友希那の脳裡ではまだ、彼との交尾が続いている。
つい先ほど、あれだけ彼にいじられて、ほじられた膣にまだ竿の感覚が貼り付いている。
ベッドに敷かれた友希那を彼が覆い、股間が沈みこんでくる。膣壁が圧し拓き、奥までやってくる。膣の道、それそのものが彼の形と熱気で開拓され、ああこの人には、膣を明け渡すだけの権利があるんだな、なんて確信しつつ、その激しい動きに思考が溶かされる。
存在しないはずの男の強さが今も歌姫の身体の中で続いている。明確な雷撃というか、劈くものが膣から身体を撫で上げて脳裡を今でも叩いている。
数度の絶頂が友希那に対しそのような幻覚をみせているのか。
もしそうだとしたら、この場で本当に助平な人とは彼ではなく友希那ということになる。そんなこと正直に認めるなんて上手くできない。しかしそれでも友希那の股間にはまだ挿入がある。
どうしても忘れることができない。
いいや、忘れたくない。
強烈であり、相性のいい男をこれでもかと味わってしまうと女はもう、ちょっと男が抜けていったくらいでは何も忘れない。むしろその寂しさが、友希那の中の欲求を盛り上げる燃料として役に立ち、とにかく彼へ求愛したい。
「友希那……」
影が差す。上がって、引きつってゆく呼吸がある。友希那は自らの人生を思い出していた。今まで続いたその世界観の中に新しく、雌としての価値観が巻き起こっている。
尿を排泄するための瓶、という道具がこの世には存在しているらしいが、彼という男の種子を排泄し、保管する肉の瓶とは友希那のことである。今、彼から友希那への愛の調教は完全に成功しており、友希那は彼を咥えて混ざり合いたい。
新人賞受賞の通知を受けた彼の脳裡に幸福が蔓延、その際、他に配慮するという意識が消滅しとにかく友希那に知らせたいと勢い付く。
ママが入浴中であることなど当然理解しているがその現実は彼を静止させるに至らず突撃、素直に友希那へ結果報告ができればよかったのだが彼の視界に現れた極上のママの裸体により発情、あらゆる意識や目的が溶けて流れて去って遠ざかり、ただ友希那としたい。欲望により彼は男児へ帰還し性的にはじまってしまう。
というのが、今回の行為の発端だった。
「驚かせないでちょうだい……」
彼が、一連の事情を話した後の友希那の第一声はそれだった。
「新人賞については私も嬉しく思うわ。本当におめでとう」
友希那は淀みのない瞳で彼をみつめた後、「……けれど、それとこれとは話が別よ」と口元を歪ませる。彼はその表情を真剣にみつめ、「反省してる」とはっきり示した。
けれど冷静なママはそんな口ぶりだけで何も納得してくれない。
「そうは思えないわ」
慎重に発言する彼のことを友希那はすかさず一刀両断してしまう。
「私が出るまで、待つこともできたはずよ」
「それは……」彼は数秒口元を迷わせ、けれどすぐに尖らせる。「だって友希那に、はやく伝えたかったから」
「それでえっちなことをしてしまうなんて、本末転倒だわ。嬉しいのは理解するけれど、だからといって、お風呂場まで入ってくるのは流石に非常識よ」
「ちょっと、おかしくなってたんだよ、僕……」もはや、そのように認めることしかできない。「ごめんなさい……」
鋭くしかし淡々と、余裕を持った口ぶりの友希那に対し彼は謝罪をしつつ、意識の底でああ最良、と震えていた。
あの日、あの、復帰記念を祝うパーティの日、友希那はケーキを食べた口臭を嗅がせてくれた。
そこにはまず寛容があった。彼という恋人が奇妙な趣向を持ち出し、それを半ば強要しても友希那は動じなかった。動揺がないというのは彼女の気質に起因するところがあり、またその度胸は彼に対する理解による活力とも呼べる。友希那は彼のことを理解している。彼の性的な好み、癖、というものをある程度理解し、また知らない場合は知ろうとする。友希那は性において、いいや性的でなくとも当たり前には探求を怖がらない。理解なきまま否定をしたり、何か偏見を持ち出すことをまずしない。
そういった気質で彼を理解し、許し、受け入れてくれる。
彼はそうした友希那の態度に個人的に母性を感じているのだが、実のところ、彼が友希那へ求めるママとはそれ以外にもうひとつある。
叱られたい。
いつもの厳しい目つきで問題を、欠点の部分をはっきりと発言してほしい。この堅物め、と惚れ惚れするほど大真面目のまま、男の性についてだって論じてほしい。胸元では腕を組み、何が悪いのか、どこがいけないのか、どうするべきだったのか、というところをひとつひとつ丁寧に、徹底的に追求してほしい。
それは拒絶されたいというわけではなかった。謝罪をしても簡単には許さないでほしい。欠点を欠点だと責めるのではなく、その欠点を、互いに共有して改善したい。それで誠意をみせたらむしろ表情柔らかく、褒めてほしい。
強烈な精査があるけれど、それを越えればあっという間に認めてくれる。
そういうものこそが叱るという行動であり、友希那にはぜひそうあってほしい。自らの立場が相手より上、なんて思い込むことをせず、自らもこの子と一緒に成長する、それが子育てというものであり、彼は友希那に、そういうママであってほしいと求めている。
「まったく……」
呆れ果てているらしいその湿度とそれから、仄かに感じる憤怒の心地、そうした口ぶりにあるというのに友希那は、手元で相手する男への態度を変えない。
「このおちんちん。さっきから私が何か喋ると、それに合わせてびくびく震えているわ」
現在、あらゆる熱気がようやく決着した後、それでも友希那は彼のママとして身体を貸し出してくれている。圧倒的な激戦の香りを残した寝具をそのままに、全裸の女は腰掛け、全裸の男はその太腿に頭を乗せて上向いている。いわゆる膝枕という体勢で、友希那は今まさに右腕を伸ばし、彼の股間を握って撫でている。
入浴直後、ほかほかと整った友希那でさえ彼は使用し、己を発散した。こんなに荒れ果てた寝具が何よりの証明で、己の熱気が治まっても、しかし彼はまだ友希那に母親を強いている。
今回、まず浴室で数度、まるで破壊でもするかのように何度も射精した後、次の舞台は友希那の自室で、風呂から出た後に二人揃って駆け込んだ。今、その場にしか自由がないとでもいうように寝具に乗り上げ、それからは盛ん。本当に多様に燃え上がった後にようやく、こうして落ち着きを取り戻した。
とはいえ、基本的には彼が暴走し、そこに友希那が寄り添うという立ち位置だった。
故に互いに冷静になったというよりは、彼が体力をついに消費し、一応満足に至っただけ。被害は大きく、またその一切を、この友希那の自室のみが請け負っている。
汗と唾液、それから、互いの秘部から垂れ出た粘液がシーツに深々としたものを造り、あらゆる箇所でシワが波打つ。よく視ると捲れている箇所があったり、枕など他の物体の位置が大胆にずれている。
そんな惨状をひとまず無視し、友希那は彼に膝上を提供している。
彼は、もはや毒々しい興奮が治まらないまま友希那へ身体を預けている。竿を相手するのはもちろん友希那の素手だけであり、まだ熱気さえ消えない素手はその中で雄の熱を練っている。
だが、それだけでは満足できない。
だって、せっかく友希那に膝枕をしてもらっている。そのうえ勃起の面倒をみてもらっている。全裸で、肌色同士で落ち着いている。
そんな中で男が求めるものとはたったひとつで、彼は今から登る山頂を眺めるようにして呟く。
「おっぱい……」
すると友希那がまず「あなた……」と目を丸くする。徐々に、頬を明るく目を逸らしている姿が可愛い。彼はまた「おっぱい!」と膝の上で元気よく揺れ動いた。まさしく駄々をこねる餓鬼のそれであり、母親は怪訝な顔色を示す。
「わ、私の胸でいいのかしら……」
今さら何を危惧しているのか。当然だ、という意思表示として彼は強く頷く。
「男の人は、大きな胸を好むと聞くけれど……」
「いいや――」
ベッドに座る友希那へ頭部を預け、鼻先を上げてみる。視えるものは天井ではなく、まず友希那の全容、それからすぐ近くに乳房が控えており、ああ、こちらを視ている顔もある。
「とっても可愛いよ」
彼はこの膝枕の上、そこから眺めることのできる全ての友希那に告白し、また乳房を求めて目を潤ませる。
「本当に、調子がいい人ね」
この友希那、世間では歌姫と求められ、その支持はひとつの信仰にまで至る。まだ未婚で、実子についても存在していないのだが、授乳の心得についてはそこらの母親と同様の実力を持つ。そんな、ちぐはぐとした気質について彼はもちろん気付いており、また、卑しいなと思う。
いいや、そんなふうに友希那を歪ませた、というより友希那の中に歪みを与えたのは僕だ。そうした部分に責任と、それからやっぱり、卑猥だなァと興奮する。
それから間もなく彼の口元に柔らかいものが降りてくる。可愛い、と彼はもちろん真意から呟いたが、それでも友希那の乳房の大きさが比較的控えめであることは事実で、そういうものを彼が膝枕の位置から楽しむためには工夫が必須になる。今、己の懐に一人、男を抱え込む友希那は身体そのものを軽く丸めるように体勢を意識している。
右手には竿、左手は彼の頭部を包むように保持し、背が丸まって彼に向かっている。
彼は太腿の上にて、その友希那の上半身に潰されてゆくような光景を目にするのだがそれがとてもいい。肌肉が接近して胸部そのもの、二つの房のうちまず左側のみが真上に突出している。彼もまたそれに答えるかのように顎先を伸ばす。
それは『配達』だった。
小さな乳房の先端の、さらに小さい乳首を指定の男の口元へ運ぶ。男に、自分の急所を味わってもらう。まるで必死で、何か慌てる素振りが友希那の太腿の上、膝枕というものの上で披露され、こぼれないようにすかさず友希那は彼の肩を持つ。軽く擦ったり、抱き寄せるように保持してくれる。
「ほら、私の胸、おっぱい……」
「あうぅ」
体温、それから体臭に包まれて、閉じ込められてそれから、口には愛しい乳房があるなんて。
互いにつゆだくになり、たくさん、たくさん重なり合った後、それで今度は乳房を所望するなんて。
そんな劣情が許されるだなんて。
「しっかり味わって」
ああ、なんと高級志向なデザートか、彼はその極楽に頷きつつ、まだまだにおい立つ友希那の身体、その乳房をついにいただく。
柔肉には十分に余裕があるし、そこに若干の酸味が触れている。やはり事後だからなのか、より濃厚な汗の風味が舌先に触れ、けれど刺激だけではない。この女性らしい甘味、雄が、本能の部分で常に渇望するそれそのものがしっとり溶けている。そういうものがもちろん彼にとって好ましい。友希那は確かにママだが、まだ本物の母乳は出てこない。そうなるとこの発汗は、彼だけの特別な母乳ということになる。
また、友希那の素手とは一方で肩を寄せているが、そのもう一方で雄の相手もしている。
彼が友希那の乳房に夢中にあるように、友希那もまた、彼の竿に集中している。
「それにしても、本当に大きいわね。あれだけ出したのに……」
友希那の視線が少し上向き、股間、握り締めている竿を視る。
「あなたには驚かされることが多いけれど、よく振り返ってみると、それは全部、あなたの変態的な趣味に関連することばかりだったわ」
鈴口から垂れ下る粘液が、なんとも都合のいい潤滑油となっている。竿の表面、指の表面の合間にねっとり伸びて、動く度、なんだか卑猥な音を出す。
友希那は彼のその形、大きさ、熱気を確かめるようにしごき続けてくれる。
「その源、あなたの変態性の象徴がこの、いつまでも治まらない勃起、ということかしら」
竿に留まった視線がまた落ち、それと同時に髪型が揺れることを彼は眺めていた。耳からつるりと垂れ、肩口を流れてくる束の薄紫のその形、いいや、においこそが美しい。
「んふ」
そうして見惚れていたから、というわけでもないが、彼は自然とこの友希那の上で腰部分を強張らせる。竿を握る友希那がその変化に気付かないわけもなく、「ちょっと……」と眉を歪ませる。
「勃起を褒められたからって、腰を上擦らせて主張しないで」
これはお仕置きなのよ、と友希那はまた少し厳しく続く。
「驚いたとは言ったけれど、別にかっこいいなんて思っていないわ」
ひとつ思い立ち、彼は友希那の左乳房からぢゅぱりと口を外す。
「で、でもさ……」
「何よ」
「ママも気持ちよさそうにしてた」
なんて、少しばかり反抗してみるとその途端、友希那の素手が力む。竿に寄り添っていた五指がきゅっと狭まり、暴れん坊は捕らわれてしまう。
そんな友希那を前にして、彼はもっと口角を上げる。
「ママ、ベッドの上でも受け身だった」
「知らないわ、そんなこと」
「気持ちいいから、中出しぴゅーぴゅー受け入れてくれたんでしょ?」
ねぇそうでしょ、ねぇママ、とさらに攻め込んでみると流石に、友希那の目元に鋭利なものが浮かんで射貫かれる。
「このまま突き落とそうかしら」
「じゃあしがみついちゃお」
さらににやけると友希那の腕が活発になる。彼は思わず腰を揺らした。唐突な強い快感に肢体が強張っている。友希那の強気な態度は変わらず、太腿に広がる彼という波を乗りこなして操るように手淫は股間に付き纏う。それは手淫として明確な技量というか、彼にとって何より心地のいい刺激だった。
しかしママの太腿を占領する男児はまだまだ対抗したい。
「んむ、ん……」
つまり、友希那が股間を楽しませることに呼応して、彼も口元、乳房を啜る動きを過激に盛り上げる。
ふっくら造られている乳房をより大きく頬張って、それから口の中、尖らせた舌先で乳首と仲良しこよしにやってみる。じゅるりと啜って、口全体で揉むように続けてみるとママの肩が揺れ、震える口から明らかに熱い息が漏れているのだが、股間に付属する素手のみが、変わらず素早く続いている。
彼は今、ママの乳房を舐め、頭を守られながら股間についても満たされている。
それは、母親という役割を担う友希那があるからこそ実現した極楽であり、彼はより激しく、より執拗に友希那の胸元に愛情を求める。
「いいわよ」
陰茎をまるで慈しむような声と視線がより濃厚になる。反り返った竿を上から撫でてくれる安心感が心地いい。
彼は友希那の膝の上、何か慌てているように男体を強張らせていた。股間で蠢く素手が本格的に雄を促進している。腰が上擦っている。けれど友希那が支えてくれているし、何より口元、柔らかいものが常にある。
「やりたいことはまだまだあるけれど、今日は最後に、私の胸で射精することを覚えてちょうだい」
女性の甘味に加えて雌としての酸味、それから人としての隙間の部分に漂う魅惑の風味が彼を肯定する。散々、友希那を雌肉として使用し消耗し尽くしたその後、今度はその友希那に秘部を整えてもらう。
そうして彼は友希那の素手で、乳房の迫力によって、真ッ白なものを打ち上げる。
まさしく遊び疲れた少年が最後、最も安全なママの元に帰ってくる。
もちろんママは少年のことを労い、そして少年は、ああこの場こそが、僕が帰るべき場所なんだ、なんて思って、ついに乳児に至る。
「これからもしっかり、私がママになってあげるわ」
ああそうだ。それがいい。僕は君の胸元をただ頼りに、また育ち直すとする。
室内の清掃について、二人は満場一致で明日に任せることにした。
度重なる性行為による疲労、というより気怠さの前に労働などもう不可能だった。最低限シーツを取り替え、枕を処理し、それからもう全裸のまま、彼は友希那の横に添う。
「ねぇ、あの……」
照明も消え、本格的に就寝だという時、すぐ隣で寝息ではない友希那が聞こえる。
「どうしたの?」と頬を右に倒してみると、そこに最愛の人が居る。薄暗いが美しい輪郭で、これがとろとろと雌っぽく歪んだり、母親らしく精悍に際立つのかとひとつ思うとそれだけで楽しくなる。
だが対する友希那は、そうした淫らな意識というより、何か真剣な面持ちにある。
「その、新人賞についてだけれど」
「うん」
「本当に、おめでとう」
少し視線を逸らしつつ、けれど明確に発音する姿が愛らしい。
「あなたがどれだけ真剣に筆を握って、何度も悩んで、けれど諦めることなく、作品を書き続けたこと、私は誰より近い位置で視てきた。もちろん、これで終わりというわけではないわ。むしろこれから、あなたはプロとしての道を歩みはじめる」
けれど、と友希那はより真剣に彼を視る。彼もまた至近距離で、そういう友希那の瞳を視ている。
「あなたは勝ち取った。あなたがこれまで積み上げたものは、全て無駄ではなかった。……それだけは、よく覚えておいて」
何か、ひとつ土産でも置いておくかのように呟いて、それで友希那はくるり、真反対を向いてしまう。その向こうから控えめに、「おやすみなさい」と聞こえてくるとそれから、規則正しい寝息がやってくる。
薄暗い室内、彼の目はどうにも冴えており、その視線はすぐ近くの友希那の後頭部、また毛並みの合間から視えるうなじを捕えて離さない。
新人賞について、確かに嬉しかったし、なんだか認められたような心地もある。だが友希那のいう通り、これからはじまる。自分の道は開けたばかりで、こんなところで満足しているわけにもいかない。
だが彼は、そうした作家としての余念よりまず、この友希那について想う。
なんだか今まで、迷惑ばかりをかけてきたような気がする。
いいや違う。これだと何か、今さらようやく思い至った、という表現だがそうではない。実際そういう、お荷物、みたいな感覚は一番最初から香っていたし、そこに罪悪も確かにある。
今、新人賞という扉がようやく開いて道が広がってゆく。ようやく人として、安心をもたらすことが彼にもできる。
であるのなら、何かがしたい。今まで、今日に至るまでの迷惑を友希那にしっかり謝罪し、またそれを許容してくれたことについて、感謝の意をはっきり伝えたい。
「何か、ないか……」
彼は喉奥で呟いた。 伝えるべきだと思っている。けれど脳裡を探るが何も考えが浮かばない。どうすればいい。何もなかった。ただ空っぽのおもちゃ箱を、その広さを確認するように探っただけであり、途端に友希那が恋しくなる。
「ゆきな……」
眼前、すぐ近くの綺麗なうなじや、垂れて流れて落ち着いた長髪を撫でようとして、彼は眠りの世界に溶けてゆく。