そのデパートに向かう手段として二人はバスを採用した。
電車、という選択肢もあったが乗り換えが億劫だった。駅と駅の間の迷路のような空間をさ迷うこととは今回のデートの目的ではない。
バス走行中、彼は友希那の隣に座っていた。そこはバス内部の後端の席で、友希那は窓際、彼は素早く過ぎ去る景色を眺める友希那の横顔をみつめ、また、窓の反射で二人は時おり視線を通わせた。
「それにしても、なんだか新鮮ね」
友希那が呟いた。座席の中で首元を動かし彼の方向を視たり風景を眺めている。バスの揺れは変則的で、その度に胸元まで伸びる長い髪が揺れている。
彼はその様子をみつめながら友希那の声を聞いていた。
「あなたと行く場所と言えば、水族館や美術館、映画。それから、ライブばかりだったから。そういう場所に行くことが、私たちのデートなのだと思っていたわ」
それについて彼は同意見だった。
彼は揺れるバスの中で友希那の横顔を視たり、稀にそこから視線を外して遠い景色を眺めていた。
二人での娯楽目的の外出、つまりデートをすることはそもそも久しぶりのことだった。
家の中で常に二人で居る、その状況はただそれだけで、彼に対しても友希那に対しても満足感と充実感を与えるものだった。
二人で並んで買い物を行うことに関しては、たとえば日々の食料の買い足しを二人でスーパーマーケットに求めることもあったし、彼が楽器店に付き添うこともあった。けれどデパートという施設に関して、彼も友希那も馴染みがなく、故になんだか、過剰な非日常感がある。
駅で電車を待つのではなくバス停からバスに乗る体験もそういった感覚を助長させる要因で、二人の中であまりない。故に彼は、いつも以上に友希那の隣の席を嬉しく思う。
彼は友希那の隣という位置にいつでも喜悦を得た。その位置に自分が立っていること、自分が立つことを友希那に認められていること、自分がそこに居るまま時間が過ぎ、その時間は全て友希那と共有されていること――。
それら全ての事実とは、身震いを起こすほどの喜悦として彼の精神を飲み込み、現在、彼はいつだって自分自身について大きく肯定することができる。
「商業施設」友希那がぽつりと発音した。「そういうものをあなたが最初に提案した時、少し意外だったわ」
「そうかな」
揺れるバスの中で彼も口を開く。
「前々から、行ってみたいとは思ってたよ」
「そうなのね……。私はてっきり、遊びがあったり、何か楽しめる場所を好んでいるのだと思っていたわ」
「そういう場所も好きだけど、僕は友希那となら、どこでも楽しいよ」
「ええ。私もよ」
友希那は淡々としていた。それはいつものことで、彼はその短い返事にむしろ気心が休まることを意識する。
友希那とのデートの際、どこに行くか決める際、その名前を聞くだけで友希那が喜びそうな場所を彼は選んでいる。それはやはり文化的というか、なんとなく芸術や音楽が関係する場所、あるいは猫カフェがよく挙がった。また、彼がデートにおいてそういった場を提案する理由とは友希那が喜びそうという理由もあったがそれだけでなく、彼もまた水族館で静かな時間を過ごしたい。美術で不思議な芸術に触れてみたい。映画を、音楽を、猫を、友希那と二人で楽しみたい、そういう欲求が先走り、故にデート先としてそれらを設定することが多かった。
つまり今回、デパートというデート先とは二人にとって初挑戦のことであり、彼としてはこの挑戦に意欲的だった。
あらゆる種類のデートを制覇する、だなんて大げさに掲げるつもりはないが、それでも時間と労力が許すのなら、できるだけ様々な行動を起こしたい。それはもちろん一人だけの旅ではなかった。その隣には今のように、友希那だけが居てほしい。
彼は自分の記憶の部分にあらゆる姿の友希那を詰め込んでおきたいと懇願している。
それを叶えることこそが今も生きている意味のようなものだった。走馬灯として移り変わる景色に必ず友希那が居てほしい。友希那以外は必要じゃないし、友希那だけで塗り潰されていたい。
バスが大きく揺れ、二人の肩幅ががっくりと動いた。その後また緩やかな走行に戻り、彼は友希那の首筋から表情を覗いた。
「楽しみだね」
「そうね」
友希那はきっぱりと答えた。それで終わり、と思ったが次にまた声が持ち上がる。
「私は、期待しているわ」
「期待?」
「ええ。あなたと新しい場所に行けば、知らなかった感覚を知ることができる。そこで私自身が何を想うのか、私はそれに興味がある」
友希那の声質にはいつの間にか硬いものが含まれていた。それは彼女自身のライブで、彼女が大勢の観客に向かって意思を表明する際の口ぶりに似たものだった。
やはり、隙のない人なのだ、と彼は友希那に思った。男女の仲として新しい場所に赴く際、そういった余暇の場合でも友希那は新しいものを得ようとしている。まさに湊友希那という作家性が唸る生き様であり、彼はその容赦のない鍛錬に頷くばかりだった。
だが厳格な風味の中から唐突に乙女らしい味付けが披露されたのはすぐだった。
「それに」友希那の語尾が唐突に揺らめき、指先に迷いが生まれる。その指先とは先ほどから彼の太腿に触れるか触れないかの位置に漂っているものであり、だが友希那はやがて境界線を越えて彼を撫でた。「新しい場所に行く時、その横にあなたが居ることが、何より嬉しいの。だって――」
あなたの新しい表情を、一番近くで視れるから。
「友希那……」
この揺れ動くバスの中、後端に並んで座る二人のことを他の客も運転手も視ていない。
二人はまるで喧騒の中で逢瀬を重ねるように指を絡め合い、反射などではない実際の目配せで頷き合うと景色に戻った。
「いい天気ね」
「ああ」彼は友希那の肩から垂れ落ちるたった数本の魅力に注目していた。「そうだね」
広がり続く青空に雲ひとつ漂わないことを彼はようやく知った。
休日ということもありデパートには人が多かった。
自動ドアをくぐり抜けるとそのざわめきが二人を包んだ。同時に店内のぬるい心地が二人の冷えた身体、顔面や耳の先端に通り過ぎてゆく。それはちょっとした別世界への転移だった。つい先ほどまで居たあの外という別世界を背に、二人は人工的なざわめきの中に埋もれてゆく。また友希那は左手を持ち上げて彼を握っていた。
「今日は人も多いみたいだから、絶対にはぐれたりしないで」
「うん」
友希那は長髪を揺らし彼を見上げた。視線を彼の肩に引っ掛けるような様子だった。
「お互い、気をつけましょう」
友希那のそれは握手や掌握というものではなかった。空中に垂れ下がる彼の素手に自身の素手を被せ、彼を軽く潰し手中に五指を定住させる。友希那はそのまま前を向き歩き出した。彼はその背に連れられて友希那に速度を合わせるだけだった。
一見すると雑に腕のみを突き出しているようにも思えるが彼からするとそれが好ましい。
今、彼は弱いものとして友希那に認識されている。たとえば唐突にどこかに駆け出したり、人の波に飲まれてどこかに消えてしまう小さい存在だと思われている。故に友希那は母親という身分を自主的に自身に設定し彼を繋ぎ留めるため手を握る。彼は少しだけ指の位置を変えてみた。するとその蠢きを友希那は強引に押さえ込む。左手は彼に手汗を揉み込むような動作で深くなってゆく。
これこそ彼が最も求めている状況だった。
彼がどこへも行かないように、また彼が迷わないため友希那は徹底しているようだった。その母親じみた要領に彼はうっとりと温かくなる。
彼は恋人らしく友希那と手を握りたいわけではなかった。
いいやもちろんそういったこともしたかった。だが彼が本意で求めているものとはそれではない。彼は友希那に腕を掴まれたかった。適当に放置している自分の素手を友希那が引き寄せるように鷲掴みにし、それから自分を引っ張ってほしいと願っている。
まるで友希那という母親に連れられている少年のような体験がいい。そういった状況、精神的な位置関係を彼は友希那に対し確かに求めている。
そして友希那は彼のそういった趣味嗜好に拒絶を浮かべていなかった。
たとえば二人きりの際に友希那は彼にとっての『ママ』の役割を演じてくれる。そのまま夜の湿り気へ突入し性を実感することも少なくなかった。このデパートのような公の場において性的に湿ることは不可能だったが問題はない。むしろ性的な要素がないからこそ純粋な母親っぽさ、温かく先導してくれる友希那の態度が誇張され、彼はその母性を楽しむことができる。
友希那はこうして素手を握ってくれているが、これがたとえば素手同士の結合ではなく、女の素手と男の竿だったらどうだろう。
彼は唐突に邪悪な妄想に突入した。
ただ繋ぎ留めておくだけ、そういうぶっきらぼうな腕の先が掴んでいるものは勃起した陰茎で、友希那はそれを上手く認識しない。あくまで手と手を繋いでいるだけであり、母親のような彼女は堂々と男を引き連れる。自分の急所が握り締められていること、また友希那が平然と歩き続けることに彼は何がおかしいのかさえわからなくなる。やがて我慢がせり上がり彼は友希那に申告する。友希那はやはり変わらない態度で許可を下し彼は暴発を起こす。ここでももちろん友希那の態度に変化は現れない。彼女はあくまでこのデパートを二人並んで散策しているつもりであり、彼はその横で勝手に陥没するしかない。粘液が絡み付いた五指がより竿に吸い付き、彼は引っ張られるように歩き続ける。
そういった現実ではありえないことも彼の脳裡では実現できる。男の煩悩とは可能性の塊であり、彼は慎重に自分の腕を腰に引き寄せた。
友希那は今、前方を向いて歩いている。こちらの卑しい動きに気付くことなどありえない。故に彼は動き続けた。自分の動きが友希那の中で不審なものとして認知されない程度に慎重になっていた。
友希那の素手が股間に接近する。友希那という特別な相手の部位が自分の敏感な領域に近づいてくる。
ああ、できることなら素手ではなく、この股間を……。
彼がそのように素手を引き締めた時、友希那の長髪が不自然に歪んだ。それは歩行により打ち上がる揺れとは異なるもので、彼はそれまでの自分の動きを手放した。
「……ちょっといいかしら」
友希那は何か申し訳なさそうな顔つきで彼を仰いでいる。彼はそこから状況を素早く読み取った。どうやら後方で発生した卑しい悪戯について友希那は認知していない。
彼はそのことについてひとまず安堵し、けれど友希那の要求を聞き漏らすこともありえない。
「いろいろ視て周る前にその、猫を……」
「猫?」
彼が口元を緩ませると友希那は右手人差し指で少し先を示した。それは堅牢な音楽家として名を馳せる友希那の印象からとても、とてもいい意味で逸脱した弱弱しい控えめな動きだった。
「あ、あそこのペットショップで少し、触れ合ってもいいかしら」
まるで少女のように頬を映す友希那を拒否することなどありえない。
この人は手厳しい部分が多いのだが、猫を前にすると一転、また異なる素晴らしさを僕にだってみせてくれる。
彼は欲望をさらけ出すことを止め、友希那のまた愛らしい部分を追うことにした。
それから二人はいくつかの店に入り商品を視た。
ペットショップでは猫を撫でるだけに留まらなかった。店員の提案により友希那は仔猫を腕に抱き、また彼は豊富な種類のオモチャに驚愕した。
家電製品の店は白色の照明がぎらぎらと眩しかった。最新の洗濯機や冷蔵庫の機能の多さと値段に彼も友希那も驚いた。独特のアクセサリー店には宝石が陳列されており友希那はいくつか手に取った。
十二時の直前で飲食店に入った。それは喫茶店で、友希那はスパゲッティを、彼はグラタンを注文した。
料理を待つ間に彼は友希那から仕事の近況を聞いた。普段、自宅で過ごす友希那のことなら彼はなんでも知っていた。友希那が音楽家としてどのように活動し、どのような世界を創作しているのかについても熟知していた。だがどのような分野であれ、その渦中に実際に立つ人間にしかわからないことがある。リアリティ、というものであり彼は友希那にそれを求めた。プロ音楽家としての生の感覚を友希那を介して彼も視た。
「それじゃあ、そろそろ行きましょうか」
友希那の号令により立ち上がった。荷物を持ち、それでも場になんの忘れものもないことを確認し彼は会計カウンターに向かう。すでに友希那が数歩先に立っており、やがて彼女は鞄から財布を取り出した。
彼はそのすぐ後方で突っ立っているだけだった。
一方で、友希那はカウンターを介して店員とやり取りを進めており、彼は何もせず待機する。この男がやることといえばただ友希那を眺めることくらいで、間もなく、レジにて表示される金額を確認してみたり、友希那が財布を開いて、小銭をこぼさないように指で慎重に取り出すその様子を楽しむだけ。
彼は少し遠い位置で会計に関する処理を進める友希那を視ていた。
所作の度にいちいち動く美しい薄紫の長い髪、乱れのないその輪郭はそういう一枚の布のような、光が満足に反射して、ここぞとばかりに懸命な、引き立て役を担っている。
彼は本人でさえ把握しきれていない友希那の中に備わる友希那の美を体験すると同時に、飲食に関する金銭の管理を、その友希那という母親へ委託する快感に酔っていた。
今回のデパートデートで二人はすでにいくつかの店で商品を購入している。
しかし彼は一度もレジに立ち店員とやり取りをしていなかった。
そういった金銭におけるやり取りは友希那、自分より年下の恋人に一任し後方で待つことに徹する。それは別に嫌がらせというものではなかった。友希那もまたそういった状況に本意の部分で納得しており、会計時の二人のやり取りはもやはそういう一種のプレイへ昇華している。
生活そのものの行方を友希那に預ける、というより投げ込む、いや、もう任せてしまうというこの独特の感覚は、背徳、それからちょっとの羞恥を同時に彼に注ぎ込み、彼はこれこそが美徳なのだと嗜んでいる。
「終わったわ。行きましょう」
財布を鞄にしまう友希那がふわりと振り返る。アリガトウゴザイマシタ、という店員の挨拶に彼は軽く頭を上げ、友希那に連れ添った。
ああ、それにしても実に見事なものだった。
友希那の後方で待つ彼はただその場の雰囲気に酔う以外に彼女の手つきを観察していた。
後方に男を待たせる女の手つきとは素早さと正確性に富んでいる。そして会計終了後、くるりと振り返りこちらに歩んでくる姿も愛おしい。手ばやく済ませたという雰囲気、またそれを感じさせない顔がさらに彼を惹きつける。
「ね、この後どうしようか」
「少し、洋服をみたいと思っているのだけれど、付き合ってくれるかしら?」
「もちろん。あ、荷物なら持つよ」
「ありがたいわ。私はいくつか新しいものを買うつもりだけれど、あなたどうするの?」
「それじゃあ、僕も買おうかな」
「そうするといいわ」友希那は口角を持ち上げた後に彼の顔を覗いた。「けれど、次の会計も私がやるの?」
「うん。お願い」
「……構わないけれど、よくわからない趣向ね」
思考を巡らせながら、それでもいまいち的を得ていない様子が語尾から読み取れた。
自分が行うこの趣向について、一般的な理解を上手く得られないことに彼はもちろん気付いている。
それでも彼が、友希那に対しこの趣向を共有した理由とは信頼があるからだった。これまで少しずつ自分の好みや趣味を認知し、それに対応した役割や状況に完璧に応じてくれた友希那だからこそ、彼はより高度な趣向について友希那を巻き込むことができている。
あの店員、女性だったが、だからこそ友希那の美しさに気づいたはず。そんな彼女が会計終わりに真っ先に、何もしていない男へ歩み、共に歩き出した。
店員という身分でその先のことを知ることはもちろんできないが、想像くらいは誰でもする。
ああいったい、あの店員は僕と友希那の関係性について、どのような想像を巡らせたのか。きっと、男のほうがだらしないなと密かに罵倒した。そうして女、友希那のことを労いつつ、だがなんだか勝手に哀れんで、それからちょっとだけ、羨ましいなとか考えた。
そうでなくとも、今の一瞬のやりとりや立ち位置で店員に、いいやそれ以外のあらゆる他に、二人の関係性について何か深いものを思わせたことは事実で、実際にどんな妄想をしたのかに関わらず彼はそれが楽しい。
どこまで向かおうが自分はこの人のお世話を受ける側だという事実、その相手が実の母親などではなく愛する恋人であるという事実、その一見するとみっともない、だらしない関係性の中に潜む歪な快楽と、厳しい目で視られてしまうという状況、それをみつけて味わうことこそが、彼にとって何より美味なデザートになる。
「そうだ、僕が服を選んであげるよ」
「あなたが?」
友希那の眉が前髪の中でぴくりと跳ねた。左手で彼の右手を包んでおり、二人はエスカレーターに乗っていた。
「あなた、私を着せ替え人形にしたいだけでしょう?」
「あれ、ばれてる」
彼は隠すつもりもなく明るく破顔した。対する友希那は何か陰りというか、彼を非難する色を浮かばせた後に脱力した。
「ほどほどにしてちょうだい。試着だって疲れないわけじゃないの」
「もちろん」
彼は頷きながら答えていた。友希那に抱き締められている素手の中、その指先にさえ期待は充満し、彼を踊らせていた。
デパート内の洋服店は混んでいなかった。
彼は友希那に連れられて入店しさっそくいくつかの衣類を視た。その店は品揃えに隙がなく、シャツやズボンにスカート、ジャケットや帽子といった基本的なものからベルト、靴下、タイツ類やちょっとした髪飾り、アームカバーといった細かいところまで取り揃えていた。レディースとメンズでしっかりとわかれており、彼はその二つのコーナーの広さについて少し驚いた。
「そんなに違うものなの?」
すぐ隣で友希那が眉を上げている。すごいことだよ、と彼は続けた。その語気には若干の熱が巡っている。
自分でもこんなことでテンションが上がるだなんておかしなことだと思っていた。だがそれでも彼は、洋服店において男女それぞれのコーナーがほぼ均等に設けられていることについて感激していた。
「だいたいは女性ものがメインで、男はオマケ、みたいな扱いだから……」
洋服店だと歓喜し入った矢先、敷地のほぼ全てが女性ものだった。男性用のシャツを探すと壁際に密集しており、そこには他のベルトやジャケットも陳列されている。何か男は適当に固まっておけ、という店そのものからのメッセージのように思え肩身が唐突に狭くなる。彼はそういった経験がたった数回どころではないことを経験していた。
故に今、友希那と共に入ったこの店の分け隔てのない設定に驚いた。
「そういうものなのね……」
彼の熱弁に対し友希那は一歩たじろいでいた。
二人はそれからその均等に造られた洋服店内を存分に探索した。
彼はこの洋服店の中でいくつか衣類を視る。その横には友希那が居る。彼は実際に友希那が服を手に取り吟味する横顔も視ていた。ああ、柄を視ているのか、それとも衣類としての強度や、構造について考えているのだろうか。値段を気にしているのかもしれない。思考の中にある友希那のことはわからないがその横顔は真剣だった。耳にかかった毛並みがぱさりと垂れ、首元を叩くと友希那は指を上げそれを耳にかける。彼はまるでまだ恋慕を打ち明けていない同級生女子に対してどぎまぎするように、視線を逸らし、適当な服へ視線を向ける。
男女二人で平和に洋服店を廻るなどなんて楽しいことだろう。
彼と友希那は全ての陳列棚に横並びで向かいいくつか洋服を視て意見を出し合った。
こっちはどうかしら。これは、少し高いわね。派手過ぎないかしら、ほら、こっち。ええ、似合っていると思うわ。え、私がこれを?
彼は友希那に服を選んでもらい、また友希那に着てほしい服を選んだ。友希那はいくつか服を持って試着室に入り全て試した。一着を着ると彼の前に現れ、彼がそれに感想を述べるとまた試着室に戻ってゆく。閉じられた試着室の前で、まるで外敵を警戒するように待ちぼうけるなんていかにも恋人っぽくて楽しくなる。
「これは……」
そうした待ち時間の中で、彼はふと試着室のすぐ近くに陳列されている一着に注目した。
いいや、それは陳列というものではなかった。展示だ、と彼は思った。白色の女性型マネキンに着せられている服はなんというか可憐だった。
その一着は長袖の薄桃色に黒色のスカート、トップスにはフリルやリボンが多く備えらえており、スカートについてもただ黒色というだけでなく、部分によって絶妙に色合いが違う。こちらにもフリルが連なり、あらゆる箇所が複雑に飾られている。
いわゆる、地雷系、というものだろうか。詳しくはないが、こうして衣類を前にしてみると確かにおしゃれだが、何か尖った雰囲気を感じる。
「あら……?」
知っている声がして彼は顔を上げた。友希那が隣に居る。試着室のカーテンが開かれており、恋人はつい先ほど持って入ったあのワンピースを着ている。
彼が何か喋るより前に友希那は視線を通わせた。
「可愛らしい服ね」
「ああ、そうだね」
彼は平然と言葉を返した。きっと、友希那の脳裡に地雷系などという単語は存在していない。そういう人、つまりある程度の偏見というか、流行さえ知らない人の目には、ただ単に可愛らしい服、として映るらしい。
「友希那は、あんまり着ないタイプの服だよね」
なんて喋りながら、彼はさっそく脳裡で友希那がこのテの服を着ている姿を想像する。
それは不思議な光景だった。普段、おとなしい色合いでまとめる友希那が開き直って可愛く気取っている。服だけではない。たとえば髪型だって、ツインテールにしてみたり、化粧に関しても少し冒険して、目元とか、意外とゴシックな仕上がりになるかもしれない。きっと指先に関する事情だって気合を入れて、黒色とか、男にはもうわからない模様なんて入れてくると思う。
そんな友希那、どこで視たこともない。けれど視てみたいし、可能なら、誰にも視られたくない。
「この服……」
友希那が真剣に、自らの世界観とは別種の衣類を観察している。
「私は、こういったタイプの服は、着たことがないわ」
そうだろう、けれど――。
「よく似合うと思う」
彼は呟き、この服の一か所、スカートの部分を指さした。
「だってほら、ここに猫も居る!」
彼は溌剌と発言した。このスカート部分、用途はわからないが猫の形をした金具が付属しており目立っている。
にやけながら隣の猫好きを視てみると、流石に赤面などしていないが、語気が不自然にある。
「ね、猫は、関係ないでしょう?」
「はは。僕にくらい、もう隠さなくていいのに」
「隠しているつもりなんてないわ」
それなら、このデパートに到着した最初の時、真っ先にペットショップに反応したのはなんだったのか。
「最初に言ってくれたもんね、猫が好きって」
「それは……」
友希那の語尾が溶けて数秒後、彼女は息を吸い、自ら話題の方向性を変える。
「あなたは、こういう服が好みなのかしら?」
そんな質問に彼は気取って、けれど本意で強く示す。
「僕はね、友希那が着たいって思って、それで袖を通した服装なら全部好きだよ」
「言うと思ったわ」
何か慎重に語ってみるとその恋人は涼しく返答する。
彼はもちろん友希那に対し衣類の強要などしない。
なるほど、悪くないわね。けれど私、似たような服をいくつか持っているの。ふふ。あなた、好みが意外とわかりやすいわ。
男の思想など心底どうでもいいもので、最終的な決定は友希那自身がいいな、と彼は強く思う。
つまり友希那が本意で着てみたいと思った服を選んでほしい。そして彼は、その自ら選んだ服を堂々と着こなす友希那をなんであろうとみつめていたい。
「それじゃあ、お会計をしてくるから、あなたは――」
買い物かごを持ち上げる友希那に彼はにやけた。友希那の表情に少しぎこちないものが浮き、彼を下から突くように射る。
「あなた、またついてくるの?」
「視ていたいからね」
「そう……。いいわ。好きにしてちょうだい」
きっぱりと提示した後、友希那は店内天井の矢印を確認する。それは会計カウンターに誘導するものであり友希那は歩き出した。彼もそれを追った。数歩先の位置に友希那を定め、尻の部分で揺れる毛先を視ていた。
あらゆる物事に対し冷静でそれほど追及もせず、だが相手を否定することなど絶対に行わず、対話はしっかりと行い、寛容のまま、相手の意見を尊重したまま、それを冷静に受け流す。
その、お金持ちの若いママ感がなんともたまらない……。
食事を済ませた後だというのに彼は舌なめずりの動作をする。まさしく待機時間というもので、店内の他の服を眺めたり、さらには友希那の普段の服装についていくつか考えてみる。
友希那が普段から着ている服はなんだか城のようだと思う。
城とは複雑な建物で、それは内装だけではなく外見からでもよくわかる。だがそうした、細かい造りがあるからこそたとえば荘厳さだったり、優雅な雰囲気、可憐な建ち姿をみせることができる。
あの服、地雷系のものだって同じ。たとえば肩の部分のフリルだったり、スカート部分の大きな装飾、いくつもの造りが合わさることで、全体を視ると美しい。けれど、ひとつひとつを視て廻ると、ただ可愛い、というだけでは、計り知れない技術がある。
そういう複雑な衣類をさらに何枚も持ち寄って、色がどうとか、形がどうとか、そうした試行錯誤を続けて着こなしているなんて。
男からすると、それは支配だった。
友希那は衣服を支配している。だって、フリルだとか、七分袖から視える腕が可愛い。色合いだって、ただ一色のものから、何やら複雑に移り変わる様子をみせるもの、服の前後で全く色が違うだとか、上下で若干、異なっているとか、女モノの服なんて、そんなものばかりじゃないか。
ある意味で、女性の服は全て癖が強いと思う。友希那はそんな衣類たちを、自由自在に手に取って似合う似合わないと思考を続ける。
きっと詳しいテンプレートだとか、パターンがいくつもあって、季節ごとによいもの、そうではないもの、流行だって、細かく違うのだろう。
そういうものに気を配りつつ、けれどそれだけを素直に着るのではなく、友希那の個人的なアレンジを練り込んだりもするのだろう。
いったい、どこでそのテの知識を備えたのか。それは女性の先天的な気質なのだろうか。
少し考えてみると、それだけでなんだか慄いてしまう。衣類の知識を得るため、知識をモノにするため、友希那だけでなく、世の女性はどんな才覚を問われているのだろう。
それに、衣類だけではない。化粧に、髪型も、男にとってはそれこそが、女に対する最大の謎というか、踏み込もうにも踏み込めない、踏み込んではいけない魔境のような気がする。
いいや、男として、というより友希那の恋人としてそれを考える必要はない。
ただ男として、すぐ隣に立つこの美女、友希那が造る装いをとにかく愛でていきたい。
なんて、素敵なものだろう。可愛らしいものだろう。今日、二人きりの外出のため友希那は何を着ていこうか、と悩んでくれたはずで、デパートという場に馴染む恰好をもちろん友希那は考慮するのだが、それとは別に、恋人の横に立つことも考えたはず。
つまり、僕のため。
今朝か、それとも昨日の夜か、クローゼットを開いて衣類をみつめ、男のことを考える。
あんな人だから、なんでも変態的にウケるのだろうけど……。
なんて最初に考えてくれている。だが友希那はそれだけで満足しない。妥協がない姿勢は音楽ではない場であっても十分に発揮され、いくつか手に取り、これは相応しくない、これはいい、この組み合わせだと華がある、なんて考え、それで決定した。
結果として出てくる友希那の装いについて、彼としては何より嬉しいのだが、その前にまず、友希那の思考そのものが嬉しいし、なんだか楽しい。
だって、そんな純粋な乙女らしい思考をしたくせに、今の友希那はまったく、そんな気配がないのだから。
彼氏のための試行錯誤、そんなものとは無縁そうな鉄面皮が横にある。
そういう友希那ももちろん綺麗で大好きなのだが、顔から少しでも視線を下にすると、彼氏のために用意した服装がある。
友希那の性格を考えると、なにもひとつも適当ではない。たとえば長いスカートから、胸元に惹かれるちょっとしたリボンの色だって、真剣に考慮し選び抜いた。
そうした事実そのものが、彼としては嬉しい。
「なんだこの服は……」
敬虔に気心を構える彼だったが、その視線が少し友希那の背から逸れる。
彼の目が視たものは適当な陳列棚だった。そこには白色のシャツが販売されている。いいや、この棚は白色の衣類のコーナーらしい。部屋で着るような簡素で薄いものから、外に着て出ることができる、ボタンなんて備わったシャツもある。
そういうものが彼の目には、ある程度、変態として道を歩んだ男の目には驚愕の衣類として映る。
なんとも卑しい衣類だ……。
だって、白色だなんて友希那に似合わないわけがない。友希那もそれを理解しており、時おりそういうものを部屋で着ていることもある。だが白色とは罠だと呼べる効果があることを友希那は知っているのだろうか。冬場ではあまり実感しづらいが白色とは簡単に透けてしまう。たとえば汗か、それか雨で透けた衣類の向こう側にそれ認めることで、比較的簡単にその日の友希那の下着の様子を知ることができる。
夏場だと、そういう事象はよくあるのだが、彼が気にして仕方がない部分というのは、その事象が家の中ではない外の際に発生するということだった。
友希那の下着の事情はもちろん、衣類が透けているということさえ他者に知ってほしくない。いいやもはや、友希那という女性であっても、衣類が透けるほど汗なんてかくのだな、とすれ違う男も女も知ってほしくない。
そういう部分は恋人だけのものであり、二人の間で完結するべきだと強く、強く彼は思っている。
それからさらに棚を眺めると、白色のコーナーは終わり、次に彼はパジャマのコーナーをみつける。
友希那のパジャマについて、黒色や白などのおとなしい色もいい。それでさりげなく、襟や袖にフリルが咲いているなんて最高だと思う。
桃色や空色などの明るい色もいい。多くの人は友希那におとなしい色を視るが、実際、友希那はその系統に収まる女ではない。また、彼女の小柄な体型だと、暖色が肉体的な幼さを助長してくれる。そんな彼女との添い寝など、平穏に終わるわけがない。
男はいつでも女の人の足について意識を巡らせ、多くの場合、何も履いていない生の足ではなく何か履いている足を好むが、その実、女性たちが履くもの、それらについて、正確にいい当てることができる男はきっと少ない。
ニーソ、というものだろうか。確か、そのテの足に着衣するものたちは長さや役割などで名称がころころ変化する。とにかく、そういったものを履く友希那も彼からするととても楽しい。
足の輪郭にぴっちり纏い、友希那の足の部分の肉付き、あるいはするりと細く角張った形を知らせてくれる。また足の全てを覆うわけではないというのも素晴らしい。何かサービスのように、一部分だけ肌をみせてくれることについて賛美したい。
タイツやらストッキングやら、友希那はよく好んで着衣する。スカートから伸びる二本足が黒一色に満ちていることもよくある。だがあれらはただ単に黒色というだけでなく、なんだか独特の光沢のようなものがある。それが友希那の足に巡り、他からの光を受け、妙な艶やかな色合いをみせてくれる。これもいい。
あのロングスカートというものは友希那のために造られた衣類だと彼は思う。
腰の位置から全方向に均等に長く造られており、また裾の部分は何かふわりと別の輪郭がある。そういったものを揺らしながら歩く友希那を彼は脳裡で立ち上げる。それはまさに姫君であり、この世界がどれだけ広くても足りないような気がする。
屈む程度のものでもない、たった、ふわりと揺れるだけであの布の整いが歪む。まさしく波打つように震え、その柔らかい印象が美しい。
タイトスカートなんて卑猥なものでしかない。
友希那といえばタイトスカート、という印象がやはり強い。蝶が花に必ず行き着くように、僕もあの腰からつま先までの統一感に惹かれたのかもしれない。タイトスカートなんて卑猥な衣装だと彼は思う。だってあんなもの、確かにスカートとして女性の下半身を包んでいるのだが、その女体にびっしりと張り付いて、腰周りのふっくらとした形というか、そこから続く両足のなめらかな曲線、つまり雌としての様子そのものを、はっきり周囲に教えている。
タイトスカートを着る友希那の背後ほど楽しい位置はないのかもしれない。コツコツ、小さな所作で歩く友希那だが、その一歩の度に臀部が変形し、その造りは布を介して男の視界に入ってくる。
こんなもの、もう尻がむき出しなことと同じじゃないか。
男どもはタイトスカートを愛用する人々が狙う何かフォーマルな演出とは裏腹によくわかる女性の下半身へ欲情する。
腰の形を浮き出すこととは自分の身体が安全な出産に適していることを主張することと同義であり、日頃から劣情にまみれた男どもにとってそれは子宝だとかそういう健全な概念ではない。それはただの卑猥であり、男は、いいや友希那の隣を歩く彼はただそれだけで十分に持ち上がる。スカートとは女性を慎ましく飾る衣類のはずだが、こればかりは男にとって嬉しいものだった。
いいや。
彼はまた思考を転換させた。何もスカートだけがおしゃれではない。たとえばあの帽子はどうだろう。彼は自分たちから少し遠い位置に陳列されているいくつかの帽子を視る。それはまさしく花のように思えた。花壇から顔を出す花々がそれぞれの色を示している。
ふわりと舞う薄紫色が彼にとって印象深いのだが、そこにたとえばあの帽子、白く、広いつばが造られたものを乗せてみると、いいアクセントになる。また、あれほどつばが巨大だと影が目元に落ちることになるが、その奥まった印象の中に真摯な瞳の光をみつけること、それは男子が待ち望む姫との奇跡の体験に違いない。
もちろん友希那が彼以外の男とそのような巡り合わせに至ることなどもうありえない。
友希那がその手で生み出す個人的な奇跡とは全て彼に回収され、彼が彼のまま、友希那に許諾されて味わうことになる。
また彼は衣類の名称、単語についても少し思考を巡らせた。
彼はそれほど衣類について詳しいわけではなかった。あの友希那もとても詳しいわけではないが、彼は自身の知識がそれ以下だと自覚している。だがそういう彼でもデニム、というものが生地の名前であることは流石に知っていた。また、ズボン、と呼称するとあまりよろしくない反応を返されることも知っていた。
けれど純粋な男として、パンツやボトムスという呼び方には何か慣れないものがある。
また、彼はその部分に何か不思議な男女の違いを嗅ぎ取ることが多かった。
スカートではないものを履く友希那とはいつでも新鮮だなと思う。
それは友希那が、何かそういう象徴になるほど高い頻度でスカートを着用していることが原因だった。彼はもはやスカートとは友希那のために存在するのだと勘違いを起こし、また友希那の下半身におけるオシャレとは決まって美しい布を引き連れるものだと認識していた。
故に友希那がスカートではないもの、つまりズボン、いいやパンツ、ボトムス、というものだろうか、それらを履くこととはいつでも目新しいなと印象を受ける。友希那の股の部分がくっきり分かれ、広い可動域を確保しツカツカと歩くこともできる。スカートの際の何か優雅な心地は消え、むしろ活発に動き続ける友希那が視える。
その様子は普段のそれを打ち破る威力をいつでも保有し、また彼は、長いジーンズの類を着る友希那が階段などで足が大きく動く時のその臀部に注目したい。
そこにはタイトスカートを着た際と同等の卑猥がある。
足の動きによっては背中から唐突に膨らみを帯び、尻の形がくっきり出現する。友希那の後端でそれを目撃する彼は己の理性と毎回戦うことになり、また友希那のそれを他の連中が視ていないか気にするという焦燥感に掻き乱された。
あの突出した腰の位置に手を据えて撫でてみる妄想をすることでさえ自分だけがいい。
あるいは思い切って足をそのまま、つまり生の足をみせつけることだって嬉しい。生足となるともう、衣類やおしゃれという話題ではなくなるが、いいや違う、衣類と共に嗜むことでまた別の味が込み上げてくる。
おしゃれとは下半身だけの事情ではない。
衣類で表現できる最大限のおしゃれを造った一着、あの地雷系のように、あらゆる袖部分や胸元に気を遣った一着というものもいいかもしれない。
身体の輪郭が浮き出る服もいいけれど、友希那の肉体を自分以外の男が眺めるだなんて、やるせないじゃないか。友希那の乳房や臀部や、手足や背丈のその形、輪郭が誘う男とは自分だけでいい。ふわりと一着、どこかの国の姫の衣装ように思えるものを優雅に着こなし、つまり衣装を支配し魅せてくれる友希那もほしい。身体の輪郭が窺えるだとかそういうことに固執せず、ただ豪勢に着飾る友希那を前にして、けれど彼はまた、友希那の裸体を想う。
何か複雑に絡み合う洋服のその造り、男には把握しきれない、ただそれが魅力的なことだけを理解し男は単純に惹かれてゆく。
そうして視線を凝り、じいっと、満足した後に顔を上げると友希那と目が合う。
それから、友希那と一緒に多目的トイレを使用したい。
だって、仕方がない。
友希那から少しでも妖しさをみつけると、股間はそれを誘惑だと解釈する。あらゆる衣装を着て、悩んで、そういう友希那を前にして、彼という男が劣情に盛り上がらないなんてありえない。別に友希那にそういうつもりがなくとも関係なく、彼の股間は我慢なんてできない。
ああ、卑しい!
自分の容姿や肌の色から、似合う服や化粧を選び抜き、それらを毎回、せっせと準備する。そんな健気な努力の果ては結局、男が射精するきっかけにしかならないなんて。
だってこんな、衣装だって、どれだけ飾ったところで友希那は友希那なのだから、その最も深い位置、全て剥いてしまった後には裸体がある。乳房があり、腹部が清らかでくびれが卑猥に造られている。股間の香しい雌を誰であっても無視できず、そういうものを前にすると全ての雄は動物になる。
いいや、そんなものではない。
たとえ衣類を着ていたとしても、そのすぐ下に、そうした肉造りがあるのだな、なんて滑稽に思考を巡らせる。何もかも視えているというものも悪くないが、あえて隠されていることだって、それもいい。特に男は、肌色が隠れているだけで真面目になり、その思考力を高めてゆく。
夢が広がる、などと男どもは語るのだが、そんな豪勢な希望がただ、女が布で身体を隠しただけで打ち上がるとは。どれだけ美しく着飾ったとしても、結局は男の目に入ってしまえば、みつかってしまえば、その脳内で身勝手に射精のきっかけへ変換されてしまうなんて。
そんなふうに考えてみると、なんだか滑稽というか、そういうものが男の摂理なのか、と呆れてしまう部分もある。
不思議なもので、友希那が陳列棚から衣類を選んだり、試着室から自信のある顔で出てくる瞬間を視ると胸が温かくなった。
様々な衣類を着用する友希那には女性としての美しさが際立っている。その光を麓の部分から舐めるように眺める彼はもちろん魅了されている。けれど、その瞬間に何か胸の内で踊り狂う喜悦に触れる理由はきっとそれだけではない。
友希那が個人的に買い物を謳歌し、その中で満足できる結果に巡り合った際の笑み、ただ嬉しい、というだけの純粋な笑みを横に彼もまた誇らしげな心地を得ていた。不思議なことは、彼自身が友希那がそこ至るまでなんの手助けもしていないはずなのに、強いて言うなら、「これとこれ、どちらがいいと思うかしら」という質問に答えているだけなのに、それでも友希那が嬉しがってくれると、まるで自分の挑戦が成就したかのような喜悦に満ちる。
地雷系も、シャツも、ロングスカートもタイトスカートも、パジャマだって、ズボンも帽子も何もかも、この店の全ての衣類が、いいや世界の、全ての服が、きっと友希那に必ず似合う。
そのように気持ちを持ち直していると、視界の中、その少し奥まった位置で友希那に動きがある。どうやらレジ係の店員が新人だったらしくてこずっている。むしろ友希那がバーコードの場所を指摘したり、カウンターから落ちてしまいそうな商品をさりげなく戻したりと助けている。
「ふむ……」
僕も何か助け舟を出すべきだ、なんて決起したその瞬間、店の奥から、いかにも歴戦のレジ係がやってくる。この上司も巧みなもので、まず新人に激怒しない。ただ客、つまり友希那へ頭を下げ、すると友希那もいえいえと会釈する。なんて平和なのか。それから上司は丁寧に、道具の扱いや商品を袋に入れる手順を口で新人に説明し、会計作業は進む。
ああ、せっせと会計を済ませるすぐ後ろで、特に便利に役立つことも、別の用事を済ませることもせず、ただ何やら、男は怪しい妄想だけを続けている。
そんなそんな時間を、あるいは関係そのものを、他の人間が知ったら顔を引き攣らせるに違いない。
しかし彼からするとそんな視線さえ美味になる。何か罰当たりというか不健全な雰囲気は確かにあるのだが、そういった湿度含めて彼の、男としての気持ちを高ぶらせている。
「今、終わったわ」
ごめんなさい、待たせてしまったわね、などと友希那は眉をへこませる。そうして左手を伸ばしてくるのだが、彼はそれよりまず友希那が持つ袋について手を示す。
「持つよ」
「ありがとう」
彼は友希那から荷物を受け取った。隣を歩く女性のほうが大きく抱え込んでいるだなんてありえない。それに軽いものではない。
会釈をしてくれる友希那の礼儀の正しい所作に置いていかれそうになる。けれど友希那はやはり母親のように素手を差し出してくれる。
友希那と目が合う。そうなると、彼はまるで自分の汚い生態を網羅されてしまったかのような心地に触れてしまう。また火照ってしまうのだが、もちろん友希那はそんなこと、察知しない。素手をしかと握っていたとしても、それでも脳裡の粘ついた欲望は悟られない。
「それじゃあ、行きましょう」
「うん」
友希那の真白い頬を視て、彼はまた気性の高ぶりを意識しそれを隠すように彼女の中に素手を収めた。
今度の彼は少しだけ大胆だった。友希那に捕まっているだけではなく、自らも五指をくねらせる。そうして二人、全ての指に相手の熱を意識し歩き出す。
バスから覗く空の中に太陽が溶けている。
空が主役というか、ひっくり返ったような光景がある。全て領域が薄っすらと光り、地上はむしろ全て影のように黒く潰されている。
この時間、朝や昼でもなければ、まだ夜とも表現しづらい狭間の部分を人は黄昏れと呼び、何か他とは異なる力を見出す。
だが彼としては、そういう風景もいいのだがそれよりも、そんなものよりもとにかく友希那と触れ合いたいなと思う。
つまり、友希那としたい。
「いやいや、急すぎるだろ……」
だが彼は心の中で己を律した。実際、手元の握り拳をより硬め、暴発してしまいそうにある己を奥まった箇所に追いやった。
現在、二人は帰宅のためバスに乗っている。
車内後方、窓際の席に二人並んで座って、友希那が窓側だった。多くの人は窓からの景色を楽しむため、意図して窓側に座りたがるらしいが彼としてはこの席でよかった。
そもそも友希那の隣であるのならなんでもいいのだが、窓側に座る友希那の隣に座り込み、友希那の横顔と、それから背景に広がる橙色の光る空を眺めていたい。
友希那も空模様も、どちらも美しいものなのだが、空の中の閃光によりさらに浮き立つ友希那の輪郭が愛おしい。
「今日は、楽しかったわ」
そうして当然見惚れていると、その友希那が少し髪を揺らして彼を視る。
「ああ」
彼はゆったりと口を開いた。
「いろいろ観れて、とてもよかった」
「そうね」
友希那もすかさず、表情を柔らかく目を合わせる。
「あなたと買い物だなんて、なかなかないことだから、新鮮だったし、本当に、いい時間だったわ」
普段、時間を無駄にしないこと、有益を心掛ける友希那から、まさかいい時間だった、と真っ先に肯定されるなんて。
焼け焦げた建物が並び、自分たちも、あの陽光を頬に受けている。
その大火の中で彼はやはり友希那を視る。横顔なのだが、均一の頬肉に橙色が伸び、また瞳のは光を受けて燦然と目立っている。
「きれい……」
暮れてゆく寸前、陽光は最期のひと息として空を、猛烈な灯りで焼き尽くす。だが、友希那ほど徳の高い姫君は、そんな息吹きでさえ着込んでしまう。
夕焼けが伸びていなければ、顔が赤いわよ、なんて、不思議に訊ねられていたかもしれない。
そうして帰宅をし、共に上着を脱いで手洗いうがいを終えると彼は友希那に抱き着いた。
「ちょっと……」
家の中に入ったし、もういいだろう。
なんて、彼は自分自身に理由をつけて腕は止めない。今、外出用のコートを脱いでトップスとそれからスカートだけになった愛する友希那を己の中へ、前のめりに腕を突き出し、胸や肌、肩の部分や少し抵抗する腕を巡る。
ああ、友希那が欲しい。だってもう我慢ができない。はち切れてしまいというか、強く凝縮された股間が煩くって、意欲が友希那へ収束している心地がある。
このリビングのほぼ中心地点にて女の後ろから男が抱き着き、その二人の、衣が擦れて熱が生まれる音が続く。
「待って……」
いよいよ身体が震えはじめ、内股のまま腰が落ちた時、友希那はひとつ声を弾く。同時に彼は自身の素手が左右二つとも、ぎゅっと握り込まれたことを知る。
「駄目だったかな」
「あ、当たり前よ……」
彼が額を上げて呟いてみると友希那も視線を少し持ち上げる。
その際、際立った肩口や首筋にばら撒かれた長髪がさらに流れ、いくつか自由に揺れている。
「雰囲気とか、いろいろあるでしょう?」
「ごめん……」
ああ、駄目だ。なんだか真剣に、というか唐突に彼は思い直す。こんなこと、こんな、無理やり襲うなんてやっぱりよくなかった。
そうして引き下がろうとしていると、両手、彼のものに被さった友希那の二つが動きをはじめて持ち上がる。同時に友希那の身体そのものが立ち位置を変え、彼はすっかり頭部を両手で掴まれる。
立ち尽くす彼に対し友希那は自身のそれを持ち上げて与えるように口づけする。
何か幼妻っぽい風味があるのは、彼が日頃から彼女をママと仰ぎ、そうしてまだ若い友希那の女の中に母親としての意識を芽生えさせたからだろうか。
「仕方のない人ね、本当に……」
右耳が深々としたものに覆われてゆく。それからこのリビングが、生活の空間ではなく卑しい秘密の場所に変化する。
デートを終えた後の行動とは恋人の数だけ正確がある。
まるで他人のようにさっさと部屋に戻り休息を取ってしまってもいいし、すぐさま思い出話に花を咲かせてみてもいい。次にどこに行くか、という未来について真剣に議論することだって楽しいだろう。
けれど彼は、とにかく友希那と行為がしたい。
一日を外で過ごし、まるで性行為とは隔絶された時間を過ごすことは健全なことだったがそれはあくまで表立った印象に過ぎない。実際、彼は今日一日という時間の中で友希那に対する妄想を絶やさなかった。
そういう性分を持つ男にとって性行為と縁遠い時間を過ごすこととはむしろスパイスになる。
今日一日という時間により彼の欲望は凝縮されている。あの衣類に関する妄想も手伝って、帰宅後の一発は何かデザートのような黄金を放ち彼を期待させていた。
「し、しないの……?」
「何を」
「何をって、その……」
彼が知らぬふりをして訊ねてみると友希那の頬の部分が休息に赤く引き締まる。
このリビング、ソファーの上に男女二人は座っている。二人ともまだ脱衣には至っていない。
そうして彼は友希那の様子を眺めている。
今日は、すぐさま友希那の中に飛び込まない。
「まず指でいじる」
「ゆ、指で……?」
「そう。君を気持ちよくしてあげる」
小さく宣言をすると友希那は口先をフフと揺らす。
どうにも彼女には、彼が背伸びをして、無理にでもこの場の主導権を握ろうと踏ん張っているように視えているらしい。
そんな侮っている態度こそ、男をその気にさせる。
相手の人と繋がる時、その子の熱気をある程度のところまで高め、可愛い部分を引き出すこと、それもまた男の役割のひとつであり、それを終えた後にようやく内部を楽しんでみると完成度に驚くことになる。
友希那ほど美しい女体を前に、一時的に己を我慢し、相手を弄ることに専念する。
それは友希那を想う行為であると同時に、自身を制御することでもある。欲望としては、はやく友希那を貫きたい。だがそんな欲望と同じくらい、友希那の飛沫を眺めてみたい。
静観しているほぼ無表情の顔つき、そのすぐ隣に己が居ること、それを許されていること、その一切に幸福を覚え、これが続けばそれでいいと確信し、けれど次の瞬間に、いいそれだけなんて駄目だ、もっとたくさん楽しみたい、なんて、より深い友希那を求めてしまう。
彼は友希那のせいで性的に溺れたいが、その耽溺に友希那も巻き込みたい。
左隣の友希那の顔を覗いたまま、彼はその太腿に手を乗せる。肩と肩が狭まり、まず指先がスカートに触れる。彼はそれでも素手の進行を止めず、捲って侵入してゆく。
その動作は大蛇か、地中のお宝を求める金属探知機に似ている。
飢えた触手はやがて目的のものを指先に捕えるのだが、熱された彼と友希那が出会うことを阻害しているものがある。
「脱がしてもいい?」
頬に吐息を当てるように訊ねると友希那はこくりと頷いてくれる。指先だけを器用に使ってショーツを巧みに降ろし、次いでスカートを外す。
友希那の貴重な部分はすでに湿っていた。
彼からすると、この少量の湿り気、粘ついた蜜でさえ貴重なお宝だった。
そうしてみるとすでに目的達成ともいえるのだが、彼の大蛇の部分はまだ飢餓に苛まれている。友希那から垂れる蜜を指先で掬い取り、この小さな門の形を撫でてゆく。
最初は触れるか触れないか絶妙な距離を保っていた。けれど男が我慢ならず進んだのか、それとも堪えきれない女が腰を上げたのか、大蛇の舌先は明確に孔に触れ、優しさを持ったまま食い込んでゆく。
「んっ……」
こうなるともう、友希那であっても表情を隠せない。
このソファーの上、堅牢な歌姫が一人の男の手の中で溶けてゆく。肩幅が歪み、身体そのものが震えるのだが彼がそれを追求し、右手は股間を、左腕は肩に廻って抱き留めてそのまま続く。
指先はすでに膣内に進入しており、柔らかい肉壁をさらにほぐして撫でている。
彼の指先の動きこそが今の友希那の動きを造っている。たとえば彼がより厳しく責め立てれば友希那の表情は狭まり、逆に何か余裕を持たせると友希那はその通りになる。
そんなところに彼はひとつ、己の支配欲が満ちてゆくことを得た。
「も、もどかしいわ。こんなの……」
「僕は楽しいよ」
彼は何も知らぬという顔で友希那を覗いた。弱りきった姫の頬は、額は汗ばんでおり、毛先が数本、諦めたように流れてゆく。
「そんな……」
友希那は自らの下半身を確認するように目元を降ろした。膣の入り口に男の指がいくらか入っており、それは調子よく上擦ったり深まったり忙しない。
「ひどいわ……」
歌姫の極小の声でさえ、男の指先からの反応で押し殺されてゆく。
ああこんな、あの友希那が、こんな顔をしてくれるなんて素晴らしい。普段、あんなに強かな人が今、ソファーの上で股を開け、胴体を反り上げて強張るなんて。
やはり、どんな状況であれ、好んだ女が自分の手腕で酔う姿にはぞくりと注目してしまう。
そうして十二分に濡らし、それをかき混ぜ、だが最も弱い箇所にはけっして触れない。
それもまた当然だった。現在の彼は責めの姿勢であり、どれだけモノにした女に艶を嗅いでも飛びつくわけにはいかない。生かさず殺さず、という程度が最も好ましく、そしてそんな理想はすでに友希那の股間で実現している。
珍道中を続け、ついに友希那は彼へ献上されるだけの獲物と成り果てた。
このソファーの上、友希那は完璧な鮮度で保たれている。独りでに果てることもなく、またその熱な消えてしまうこともない。もうどうすることもできず、孔をみせつけ、ただ男を待つだけになっている。
出来上がったこの歌姫をしかし男は許さない。
徹底的な指先はついに裁きを下す。膣を騒がせたまま、肩を左手で保持し固定したまま、友希那には股を開いてもらって、そのまま、必死の歌姫は狂い咲く。
「いくっ……!」
多くの男が挿入の前にまず女性を楽しませる理由とはもちろん女性のため、彼も、友希那との性交で自分だけが果てることに耐えられない。故にまず友希那を愛撫し、弄び、こうして快楽の、飛沫の果てに突き落とす。
丁寧な女性の顔を暴き、雌として輝かせる。すると友希那は、なす術もなく倒れてしまう。
彼はその姿に嬉し思う。
だが、その趣向はすぐに次の意欲で満ちてゆく。
一度、その火照りで限界までゆき果てた友希那に対し、そうして整った女体に対し唐突に、男のものを持ち出す。
さて、このほとぼりが冷めてしまう前に姫をいただきたい。
取り出した竿は準備を整えて友希那を睨んでいる。
「はやく……」
「何が?」
いかにも白々しいという様子を顔に造って友希那に訊き返す。
「いじわるしないで……」
そうして開花してゆく友希那の新しい湿った表現に、彼は急激な盛り上がりを体験する。
「じゃあ、わかるよね?」
ここで、帰宅直後の友希那の様子をひとつ思い出してみるとまた異なる味に目覚める。ソファーへ完全に乗り上げて、背を落とした友希那はそろそろと、両足を持ち上げる。
たおやかな輪郭が左右に聳え立ち、中心にある股間や、奥の友希那の表情がさらに羞恥心に満ちてゆく。
「ちょうだい……」
今、慎ましい淑女の解体作業は終わり、次に、友希那という雌を味わう時間がはじまる。
友希那の足といえば彼は、やはり左右が自然な形で、真っ直ぐに揃う様子を思い付く。
太腿と太腿、膝と膝、足首と足首たちは互いに離れることに慣れておらず、股というものに関しても、開帳とは珍しい。それは、友希那の女性としての権威のあり様を示しているのだと彼は解釈しているが、しかし二人きりになると友希那の股は、どちらかといえば容易く内部を披露してくれる。
無論、それは友希那の貞操に関する意識が低くなったなどということではない。むしろその意識は健在で、ただ彼という男が、友希那の懐に入っただけ。
誘われている。
高貴な歌姫に見込まれた勇者はその胎内へ堂々入場する。友希那のほうも受け入れる手立ては完了しており、彼はそれを理解し遠慮なく進む。
雄としての先端部分でまず入り口に触れ、少しばかりの抵抗感を体験する。一気に打ち破るように腰を進めるとどうだろう、膣はすっかり彼を見知っているようで、抵抗はなく、男をみちみちと咥えてくれる。
あれだけ新鮮味のあった肉壁が一瞬にして拓いてゆく。彼の形の分だけ友希那は開花し、むしろ吸い付いて招かれる。
膣の中で竿は友希那の都合のいいところのみを指し肥大化を続けている。
腰と腰が狭まり、男女が完全に結合すると肩で息をする。そうした間もすぐに終わり、最初に彼が動きはじめる。
ある意味で、彼は必死だった。
友希那とは美しい女性だった。そんな彼女と今、こうして裸で触れ合うこととは彼の尊厳を高めることになる。しかし友希那はあまりにも美しい。その輝きが、彼の中によくない思想を芽生えさせてそれは膨らんでいる。
友希那は、いつかどこかに去ってしまうのではないか。
そうでなくともこの友希那が、誰かに取られてしまうのではないか。
彼が知らないだけで、実は友希那に見合う男が他に生きていて、その男が友希那の前に出現した時、自分は用済みとなる。自分とはその男と友希那を繋ぐだけの、その程度の存在であり、それを自覚しながら消えるしかない。
そんな妄想も時おり、彼の脳裡で盛り上がる。ありえないことだが、まるでこれから確実に起こる出来事のような質感を持って流れてくる。
しかし子宮の入口は彼のそんな様子を許さない。
今、彼と友希那の二人は完璧な密度で結合している。この二人について他が介入することなど不可能であり、そんな余地はない。
そのうえで友希那は、彼のために開いた足を左右どちらも大きく持ち上げる。仰向けの彼が友希那の動きに気付いたのはそれから少し経った頃、つまり友希那が、持ち上げた足を今度は彼の腰に添ってなだらかに添え、そうして男の背の位置できゅっと交差させた瞬間だった。
その時に彼は、自分が友希那のさらなる奥地に流れ込んだことを意識する。
それは彼という来訪者だけでは到達できない女の領域だった。
歌姫の両足は今、男の形に添って臀部を固定する役割に転じている。腕だけでなく、足そのものを使用し、寄せ付けられた彼はその中であの妄想が溶けてゆくことを意識する。
友希那とは僕のものである。
二人の関係性の中に誰が別の人、他の何か知らない制約や概念は漂わない。そこには二人が相手を想うだけの感情があり、それ故に発展するまぐわいがあり、そして生活がある。邪魔なものとはこのひどい妄想で、彼は 今、己の中からそれを吹き飛ばしてみせる。
何か叩きつけるような様子で、だが彼は別に友希那を躾けたり、まさか虐めるという心地ではなかった。
ただ彼は、自分を受け入れてくれた友希那に対し、自分というものを示したい。
ああそうだ、これだ。これが快感だ。
このソファーの上で二人は確かに絡まり、丸まりながら密着している。細い女体に角ばった男が被さって、股間部分だけが激しく上下に蠢いている。動きが止まることはなく、下敷きの友希那も、二人を乗せるソファーも連続で揺れている。
顎を上げると友希那の顔がある。身体を倒したまま、胸元そのものでそちらのほうへ、滑り込むように抱き着いて離れたくない。彼は首を突き出して友希那に向かい、友希那もまた唇を男に献上する。
これまで、あらゆる道のりを歩んで新たな姿へ、新しい世界を描き続けたその喉元は今、ただ男の唾液を飲み、逆に自らの唾液を持ち上げて与えるだけになる。
そうした接吻の最中の二人は緩やかに動いた。ここまで続いた興奮を途絶えさせないように、だが意識としては口づけに集中したい。そのため、竿が膣にめり込んだまま身体を揺らし合い、混ぜ合うように散らしてまた開始する。
行為の途中か、あるいはそれより前、友希那の秘部を整えるあの段階から、彼は捕食者という印象を自らに課し挑んでいた。実際、指先が友希那を操っていたあの時間の彼は優勢にあり、まさしく友希那を敷いていた。
けれどそんなものはまやかしでしかなかった。一度、あの熱された孔に搭乗すると全ての立場が崩壊し、後は場に居る二人の貪欲が絡み合うだけ。
過ぎ去ってしまえば、結局男が負けている。彼はそんなふうに総括し、けれどそこに屈辱的なものなど当然感じない。むしろこのまま一生、友希那という檻の中に居たい。
たとえば単純な力、腕っぷしだと彼のほうが圧倒的に有利だが、そんなくだらないもので性の場の立場は決定しない。彼は自ら己の弱さをさらけ出し、友希那に向かっている。友希那もまたそういう彼を否定せず、包み込んでくれる。
この両足による抱擁こそが何よりの証明で、彼と友希那の二人きり、みっちりと結合したまま共に大きく持ち上がってゆく。
友希那が設けた柔肉の中に彼は満を持して己を投入する。他の何でもなく、己そのものを刻み込む。彼のすぐ下、友希那の胎内は有り余るほど連続するひだで彼を包んで見守ってくれる。手助けをするかのように腰を浮かばせてくれる。
男はそんな友希那にのしかかり、軽く身体を反らせ、股間を股間に押し付ける。
胎内、陰茎が子宮の入り口を圧し、もう射精が止まらない。自分で仕立て上げた肉壺を丁寧に味わう、これほど、男として極楽なことはない。それから全ての熱気が嚥下のように発散し、今度は、重たい快感が込み上げてくる。
「ずるいわ……」
という友希那の声に彼は顎先を持ち上げた。
「ずるい?」
復唱し、それから彼はソファーの背もたれから身体を起こす。脱ぎ捨てたパンツも、ズボンも元通りになっており、それは友希那も同じ。
それで、ずるいとはどういうことなのか。彼は視線を伸ばし、左隣の友希那へ訊ねる。
「僕、ずるしたかな……」
「ええ」
友希那はすかさず切り返す。そうよ、という声と共に身体が持ち上がり、長い長い髪を引き連れて友希那は彼の左隣にまた座る。
「普段、甘えてくる時はあんなに、何もできないはずなのに」
そうして彼の肩に寄り、間もなく頭部が触れる。ふわり、甘い風味と、濃厚な汗のにおいが混ざったものが誘ってくる。
「どうして私の、弱い場所、全部知っているのよ……」
横から彼に身体を預けつつ、さらに友希那は視線を上向きにする。
ちょうど、胸元に友希那の頭部が流れてくる。そんなもの愛おしい。そうして彼は友希那を視線で愛玩しつつ、この人の膣のその奥の位置まで、自分が染め上げたのだと思い知る。
友希那は、男の弱さを相手しつつ、けれど自分の弱点をその男に把握されていることが何より不服らしい。確かに、負けず嫌いの友希那からすると、なんだか彼だけが美味しい部分を総取りしているように視えるだろう。
だが、男がそんな姿勢を続ける理由などひとつで、彼は胸板をたまり場にする友希那に呟く。
「それは友希那が好きだから」
声にしてはっきりと、突きつけるようにすると友希那の額が少し浮く。慎重な視線が瞳の中で組み上がり、じいっとこちらに上がってくる。
彼は負けないくらい真摯に語気を熱しておく。
「友希那が好きだから、だから安心して甘えられるし、好きだから、気持ちよくなってもらいたい」
「それは、ありがたいけれど……」
友希那の視線が少し揺れる。頬の部分に高揚がある。
このリビング、窓から差し込む暮れた陽光がそんな友希那を右から照らしている。瞳も可憐で、また自由な長髪も、仄かに色を示してくれる。
彼はそうした妖精にまた囁きかける。
「それにね、友希那のナカってすごいんだよ」
「ちよっと」
「一回入っちゃえばもう、僕は負けたも同じなんだ。なんていうのかな、搾り取られる、みたいな感じ」
まるでポーカーで、自慢の手札を披露するように口角を上げると、次に友希那は身体を正し、ソファーの背もたれ部分に身体を落とす。それから視線だけを彼に渡し、また口元が浮く。
「あなたは、いつでもそんなことを考えているの?」
「そんなことって?」
「いやらしいこと」
友希那はきっぱりと追求する。
「今日だって、ずっと私のことを視ていたわ」
「え、あれ……」
ばれていたのか、と反応するより先にまず、友希那の身体が背もたれから上がる。そうして両手が伸び、男の頬を左右で擦る。口元、鼻先が狭まって、乙女の熱気に彼は浸る。
「わかるわよ。今日一日、あなたの卑猥な視線を引き連れて歩くのも、大変だったわ」
「ご、ごめんなさい……」
「変態ね、本当に」
「うう……」
恋人とのこのテの問答で、なんにも否定できないなんて、それは惨めなのか、それとも恵まれた関係ということなのか。
わからないまま、彼も友希那と同様に背もたれに身体を落とす。そうして二人、並んでいると友希那がまた発言する。
「不思議だと思っているのよ。そんなに毎日、妙なことを考えて、実際に、することもあって……」
真横から友希那の視線が覗く。
「飽きたりしないのかしら」
その語気に、何か見下すというか、彼の変態的妄想を小馬鹿にする質感はなかった。友希那はただ、真に疑問に思ってそれを口にしている。
そうした姫君に対し、彼もまた真剣な口ぶりで回答する。
「友希那はさ、音楽に飽きたとか、思ったことある?」
「ないわ」
流石に歌姫は即答する。彼はにっこり砕けると、その回答そのものを愛おしく想う。
「それと同じだよ」
「同じ……」
友希那のひと言が溶け、また息を吸う。
「あなたって、本当に私の身体がいいのね」
具体的には話題にしないが、きっと乳房の大小や、背丈についてのことだろう。
「ああもちろん」
だから彼は、そんな部分を掬い取って舐め廻すようにしっかり示す。
「友希那は、可愛い身体してる」
「か、可愛い……」
「うん。可愛い」
これまで数多の友希那を視て、あらゆる感想を考えたし、実際に口にしたけれど、結局、これほど伝えたい言葉もない。
「あなたが満足しているのなら、それでいいわ」
友希那と繋がって、その中に、性の花を咲かせた。それでも飽き足らず、その鼻をより高い練度に導いた。
そんな日々をそれなりに重ねてきたのだが、日々の中で彼がまず理解したことがひとつある。
友希那とはまだまだ芽吹く途中にある。
彼はもちろん意欲的に、またこだわり続けて友希那を性的に育てている。新しい成長、友希那という花がそこに至る度、その度に友希那に潜む可能性について驚くのだが、これにはまだまだ深いものがあるらしい。
「ああ、でも僕は、ずっと変態じゃないよ」
それからまた彼は肩を起こし、友希那に向かって破顔する。
「だってほら、友希那音楽についても、よく考えるから」
「……何よそれ」
友希那の声色に明るいものが戻り、それから二人でほほ笑み合った。
それから、彼は今日一日について文章にした。
それは日記というものではなかった。一日、発生した出来事や考えたこと、そこからさらに思い付くあらゆる文章を彼はノートパソコンで記入する。場所は自室ではなくリビングだった。
彼が、いかにも作家らしく部屋に籠らない理由はその隣、友希那にある。
軽い雑談の途中で語気がとろけはじめたのは友希那のほうで、額を彼に預けたのは本人の意思だった。彼はそれを崩さないように努めている。というより彼が作業をはじめた理由は友希那が眠ったからであり、かたかたと続くキーボードの音を横に、恋人は落ち着いた顔である。
「ふむ……」
この友希那を起こすなどありえないことで、ただ彼は、自分の肩を貸し出す見返りとして、その寝顔をじっくり観察している。
友希那の容姿は整然としていた。
派手な愛らしさというより落ち着いた美貌を持つ友希那だが、もちろんその一色だけではない。自信に満ちた顔つきには勇ましさが宿り、歌唱の際はそこにより荘厳な空気感が漂う。
けれど鋭いだけではなく、笑顔には人としての余裕が窺える。
何か嗜んでいる、という雰囲気の友希那の笑みが彼は好きだった。何事も丁寧で真剣な友希那によく似合う。また、そういう顔を頻繁にみせてくれるようになった現状の友希那について彼は嬉しく感じている。
そしてこの寝顔、その表情は極めて安らかった。何か感情が抜け落ちている気配もあり、頬を嗅ぐように接近してみると規則正しい寝息を聴くこともできる。
彼は、自分の横でそういう顔を用意してくれる友希那について信頼を感じていた。
けれどそういった温かい感情に脳裡のどす黒い部分は呼応する。彼が想起したものとは友希那の乱れた夜の顔で、その様子と今の寝顔を見比べる。
たとえば今、この寝顔を壊すように友希那を求めてみる。もちろん強引に起こすことはせず、一枚一枚、この衣類を慎重に取り除いてみる。女性の衣類とは本当に複雑で、しかしだからこそ潜り抜ける度に彼の指先には期待が染み込んでゆく。姫君は自分が追い詰められていることにさえ気付かず、男はついに安らかな寝顔を裏切ることになる。
その妄想を断ち切るようにこの自宅のインターホンが鳴った。
まず動き出したのは友希那だった。彼に寄りかかるその肩が一瞬で持ち上がり周囲を見渡す。やがて腰が浮くが彼がそれを素手で静止した。
「僕が出るよ」
脳裡で汚した贖罪ではないが、彼は使いのように玄関に向かった。リビングには寝ぼけたままの友希那と、書き途中の小説データが入ったノートパソコンだけがあった。
紳士的な表面の中で愛する者を不誠実に食い散らかす。
そんな状況に最も憤怒を示す存在とはその被害者の父親だと彼はすぐに思う。
故に彼は、自分の不純な妄想を、やはり覗かれていたのではないかなどとこの眼前の男性にひとつ考える。さらに続いて、そういった疑心さえ見透かされているような気がして手元を誤魔化す。
「どうだい、最近は」
「最近……」彼は軽く視線を外して友希那の生活を想起した。「とても、穏やかですよ」
「そうかい?」
「はい。友希那さんは……」彼はここで意識的に友希那のことを『さん付け』で呼称する。「精神的にも肉体的にも、とても健康的です」
「はは――」男性は彼の前で軽く肩幅を揺らした。「君について、聞いたんだけどね」
「あ、すみません……」
縮こまるように語尾を溶かし、それから彼は対面の男性、友希那の父親の顔から目を逸らした。
友希那の父親に誘われて彼はこの喫茶店に訪れていた。
二人用のテーブル席が少し狭い。注文した飲み物は二つ、すでにどちらも到着した後で、彼は、自分のカップがどこかに勝手に落ちてしまわないように慎重に持ち上げた。
珈琲の湯気はすでに消えていた。
けれどそれは無味だった。もちろん珈琲が実は真水だということではない。彼はこの珈琲店の中、自分が一定の緊張状態にあることを自覚した。
「そんなに、緊張しなくていい。近くに用事があったから、ちょっと顔を視たくなっただけなんだ」
「いえ、そんな……」
カップを置くと、同時に父親がまた口元を緩ませる。彼は驚愕した。顔面にも、どこにも現していないはずの緊張感でさえ覗かれているような心地だった。
「それでどうなんだい?」父親の瞳が光ったように彼には映る。「執筆のほうは」
「ええと……」
やはり、と彼は胸中で首を振るう。そうして何も、言葉を迷っていると父親はさらに彼の心情を見抜いてくる。
「まだ踏ん切りがついていない」
確信めいた声色に彼は額を上げた。
「家で会った時からだ、そういう顔をしているように視える」
「すみません……」
彼は軽く額を下げた。そうして自分がこの場で謝罪しかしていないことに気付いた。
友希那の前ではある程度、男を保って柔軟に居る。けれど相手が変わった途端、それが義父であれ一瞬でたじたじに萎んでしまう。
そんな転身に彼は自分で苦く嗤っていた。いったいいつもの自分はどこへ行ったのか。いいやそんなこと、彼自身にだってわからなかった。
「謝ることなんてない。何かを造ること、それは悩むことと同義なんだ。僕も、友希那だってそれをよく知っている。むしろじっくり悩むべきなんだよ、今の君は」
「はい……」
彼は父親ではなく珈琲の水面をみつめていた。やがてそこに父親の顔が反射する。彼は、どのように思考や視線を逃がしたところで逃れられないという錯覚を得た。
自宅に置いてきたノートパソコンには書き途中の小説が一遍ある。それは彼がアマチュア作家として制作している作品で、けれど、筆の進みは良好ではなかった。
完成予定日は不明、完成後、どういった場所で発表するのか、また新人賞に提出するのか、というところについても不明になっている。
つまり、この父親がいい当てた通り、彼はアマチュア作家として、現在あらゆる選択に踏ん切りがついていない。
というより、指針がない。自分で何か選択をする時、必ず出現し、いつも助けになってくれる指針、たとえばひとつの法則や、やり遂げたい目標、信念、こだわり、そういうものが、今の彼には上手く目視できない。まさしく暗闇の状態であり、だがそれでも、書くしかない。
そうしていくつか、プロではない作家と、プロだった作家が言葉を交わした後、一方は唐突に父親に戻る。
「元気かな、友希那は……」
そのひと言に彼もまた本来の身分に戻ってゆく。
「もちろん。あの、とても、笑顔が素敵です」
「笑顔?」
「はい」
明瞭に返事をした。笑顔、というのは彼としては、唐突に出た単語だった。
彼が友希那を語る時、必ず何か準備をする。あの美しさや可愛い態度、生き様をどのように言葉にすべきか、それを慎重に検討し、選抜した言葉だけを披露する。しかし今、なんの準備もしていなかった彼は切羽詰まって、最後に残った友希那に対する言葉がこの、笑顔が素敵、というものだった。
「今の友希那さんには、しっかりとした余裕があって、奥ゆかしいというか……」
「昔は違った?」
「ええと……」
父親の眉がぴくりと上がる。彼は、何か急くように口元を緩めた。
「昔の友希那さんは、そうですね。クールで抜け目がないというか、そういうものを感じない、感じることを許さない、みたいな雰囲気でした」
触ろうとすれば、むしろこちらが傷を負うようなかっこよさがあった。
「でも、今は少し違うような気がします。話を聞いて、話をしてくれるようになった。温かくなった」
今、彼は友希那の私生活に混ざり合い、密接な部分にまで自分を染み込ませている。友希那が自主的に披露してくれる生身も、友希那が意図しない素の姿も彼は目の当たりにしてきた。
「昔から、もちろん好きでした。でも、今のほうがよっぽど好きです」
それは自然に出てきた言葉だった。彼はその発音を見送った後、すぐに羞恥に頬を焼かれることになる。スミマセンと謝罪したが何もかもが遅く。父親の柔らかい笑みもそういう嫌味のように映ってしまう。
けれど父親が次に紡ぐ言葉だけは彼の脳裡にそのままの形で染み込んだ。
「君が友希那の恋人でよかった」
それから、彼は義理の父親と珈琲を味わった。連れられて、はじめて入った店だが味と舌先の相性は悪くない。また彼は今さら、ここの珈琲は中々に苦いことを知った。
店の前で別れて、彼は独りで帰路をゆく。すると、ちょっと顔を視たくなっただけ、その義父の言葉が蘇る。
彼は歩きながら独り考えた。
きっとあの人は、本当に、ただ様子を視にきただけなのだろう。
今まで、少ないがそれでも確かに重ねてきたやり取りにより、その程度のことならすぐにわかる。だが今の彼としては、そんな本物の善意がむしろ少し恐ろしい。
何か、裏側を意識しないわけではない。
だって、まだまだ若い娘が生き生きと、仕事も、恋路も順調にあることにほほ笑ましいのだが、相手が作家志望となると一転、その表情にだって流石に暗雲が垂れるだろう。
友希那がそういわなくとも、義理の父がそういわなくとも、それ以外の全ての他の存在が、彼のことを後ろで指先で突くだろう。
「駄目だ……」
実際、今の彼は誰にも胸を張れない状況にある。そんなこと自分が一番理解している。
ぬるい突風が世界へ夜を導いている。彼は、まるで今からそれを止めにゆくかのような立ち姿で友希那の待つ自宅に急いだ。急いでいた。自分という人間は、どうしても執筆というやり方から逃れられない、逃れたくないことを彼は詳しく知っている。
「友希那……」
己の中の、重たい筆をまた握る。やってやるさ、と作家的に彼は決起した。