その配信画面の裏側で、女神が愛に狂うとき。 作:あやりゆるゆれ
――「絶対的」な可愛さを纏う2つの歌姫が、皮膜を破り互いの実体に触れるとき。
ヴァーチャルアイドルユニット「Lumière」の配信を終えた後も、スタジオの楽屋には、まだ熱気が残っていた。
アオイは、モニターの向こうの華やかな自分と、現実の自分の区切りが曖昧なまま、少しぼんやりしていた。
ユニットの相方、ルナのパフォーマンスはいつも完璧だ。その絶対的な光に比べ、アオイはいつも自分の存在が希薄に感じる。
「アオイ、お疲れさま! 今日も最高に楽しかったね!」
ルナがアオイに駆け寄り、勢いよく抱きついた。
「うん、ルナもね。お疲れさま」
アオイはルナの背中に手を回し、抱擁を受け入れる。
しかし、ルナの体温は異常に高かった。
真夏でもないのに、ルナの肌から伝わる熱は、まるで高熱を出しているかのように過剰で、アオイの皮膚に粘着質に張り付いてくるような感覚を覚える。
「ねぇ、アオイ、アオイって本当に熱いよね。あたし、アオイの体温、一番好きなんだ」
ルナの声はいつもの甘えた調子だが、耳元で囁かれたその言葉は、アオイの本能的な部分に、微かなざわめきを起こさせた。
まるで、ルナがただのスキンシップではなく、アオイの体温そのものを求めているような、得体の知れない執着の片鱗が、その熱から滲み出ている気がした。
アオイは一瞬、ルナの体を突き放したい衝動に駆られたが、すぐにその考えを打ち消した。
ルナは誰にでも人懐っこい。
これは、ルナの親愛の表現だ。
ルナはアオイを抱きしめる力を少しだけ緩め、両手をアオイの肩甲骨のくぼみにそっと滑らせた。
それは、親友同士が触れるには、あまりにデリケートな場所だった。
ルナの指先が、アオイの身体の境界線を測るように、ゆっくりと、しかし確かな熱を込めて圧をかける。
「あのさ、ルナ……」
アオイは戸惑いを隠せず、小声で呼びかけた。
ルナはアオイの顔を覗き込み、にっこりと笑う。
その笑顔は、ヴァーチャルな光を纏ったアバターと寸分違わない、絶対的な可愛さだった。
その可愛さが、アオイの理性の抵抗の声を封じた。
「んー? どうしたの?」
「ううん、何でもない。……早く着替えよう」
スタッフが楽屋を出て行き、二人が密室に残された。
ルナは、まだ熱を帯びたアオイの肩から手を離すと、いつもの甘い声で、言葉を告げる。
「疲れたでしょう?着替え手伝ってあげる」
アオイの心臓が、早く、不規則に脈打った。
ーーー
プロデューサーが次の予定があると言って楽屋を出ていくと、急に空気の密度が濃くなったように感じた。
ルナはソファに寝転がっていた体を起こすと、パタパタと手を叩く。
「あーあ、疲れた! 打ち合わせってなんであんなにエネルギー使うんだろうね」
アオイはバッグから私服のTシャツを取り出しながら、「まぁ、私たちにとっては大事なタイアップだもんね」と相槌を打った。
ライブ衣装は見た目こそ可愛いが、生地が厚く、早く着替えて楽になりたい。
アオイが背中のファスナーを下ろそうとした瞬間、ルナがすっと後ろに立つのを感じた。
その体温が、すぐ背中に迫っている。
「アオイ、疲れたでしょう?着替え手伝ってあげる」
ルナの声はいつもの何倍も甘く、少しだけ熱を帯びていた。
アオイは一瞬戸惑った。
着替えを手伝ってもらうのは、さすがに女子校のノリからも遠ざかっている。
でも、ルナの瞳には有無を言わせない絶対的な可愛さが宿っていて、アオイは「ありがとう」と抵抗せずに返していた。
ルナの手がアオイの背中に伸び、ライブ衣装のファスナーを最後まで下ろす。
布が身体から離れる感覚。
アオイが衣装を肩までずらし、ブラジャー姿になったとき、ルナの指先が、肌の上を遠慮なく滑った。
ひゃ、とアオイの喉が鳴った。
ルナの指先は、ブラジャーのホックを外すために触れているのではない。
アオイの背中の、誰にも触れさせない皮膚の上を、水に溶けた飴のように粘着質に這っている。
その先、ブラジャーの布地が肌に食い込んでいる下着の境界線を、ルナの指がわずかに、しかし明確に内側に押し広げた。
「んっ……」
その瞬間、アオイの背中を、まるで高圧の電流が走ったような、異常な気持ちよさが襲った。
反射的に体が微かに跳ね、ゾクッと皮膚の奥から粟立つ。
拒絶よりも、先に、本能的な熱が胸の奥でカッと燃え上がった。
ルナはアオイの耳元に顔を寄せた。
その吐息は甘く、そして異常に熱い。
「しー。大丈夫よ、アオイ。特別な友達なんだから」
ルナの唇が、アオイの汗ばんだ耳たぶに触れるか触れないかの距離で止まった。
「アオイとあたしは、他の誰にも真似できない運命共同体でしょ? これは誰にも言っちゃダメな、あたしだけの秘密よ」
アオイはルナの言葉と、背中から侵入してくる熱い感触に完全に絡め取られていた。
抵抗しようにも、唇から出るのは戸惑いの声ではなく、切望に近い、呼吸の乱れだけだった。
ルナはアオイの背中に強く指の跡をつけ、満足したように手を離した。
「ほら、早く私服に着替えて。あたし、先に車に荷物置いてくるね」
ルナが楽屋を出て行った後も、アオイはすぐに動けなかった。
自分で私服のTシャツを頭から被りながら、先ほどルナの指が触れた背中を自分の指でなぞった。
皮膚の奥が、まだジンジンと痺れている。
その痺れが、異常で気持ち悪いというよりは、もっと欲しいという渇望に近い感覚であることに気づき、アオイは自分自身が、光を失った虚ろな空洞になったように感じた。
───
「Lumière」の勢いは止まらなかった。
次のタイアップは、国民的アニメシリーズの主題歌。
ヴァーチャル空間での人気が、現実のエンターテイメント界の頂点に食い込もうとしている。
そのニュースは、ルナにとってさらなる光であり、アオイにとっては重いプレッシャーだった。
「ルナはすごいね。いつも完璧にこなす」
アオイは控え室の鏡に映る自分に問いかけるように呟いた。
ヴァーチャル空間の光を纏った自分のアバターと、私服に着替えた現実の自分が、どうにもしっくりこない。
この成功は、アオイ自身の「実力」なのか、それとも隣にいる「ルナの光」によるものなのか。
自己の存在が、配信の華やかな画面のように薄く、希薄に感じた。
「ふふ、アオイったら」
いつの間にか、ルナが背後に立っていた。
ルナはアオイの背中を、優しく、しかし内側へ押し込むように抱きしめた。
体温が、熱い。
「疲れたんでしょ? 大丈夫だよ。アオイが頑張ってるの、あたしが一番知ってるから」
ルナの声は癒しのように響いたが、アオイの心臓は別の理由で鼓動を速めていた。
ルナの手が、私服の上からアオイの腹部に這っている。
その指先が、布地の僅かな隙間、下着の境界線を辿り、ためらいもなく内側へと侵入した。
「っ!」
アオイの喉から、空気の漏れるような音がした。
指が触れた瞬間、身体の奥から熱い塊が込み上げてくるようだった。
その刺激は前回背中に指が滑り込んできた時とは比べ物にならず、アオイの全身の神経を震わせた。
腰の奥から、頭のてっぺんまで、一瞬で痺れるような快楽が駆け上がり、アオイの足の力が抜ける。
「だ、だめ、ルナ……っ」
アオイが本能的に身を捩り、ルナを押し返そうとした。
理性が、この行為の異常性を叫んでいる。
しかしルナの力は、か弱い外見とは裏腹に強かった。
ルナはアオイを強く、抱擁というよりは拘束するように抱きしめ直した。
そして、ルナはアオイの首筋に顔を埋めた。
タイアップのプレッシャーで、アオイの肌は少し汗ばんでいる。
ルナはその熱を持った皮膚に、躊躇なく自身の唇を強く押し付けた。
チュッ、という湿った音が、密室の控え室に響く。
それは柔らかな口づけではない。
ルナの唇と、その過剰な体温が、アオイの熱い皮膚にマーキングをするように、べったりと痕跡を残す。
ルナが離れた後も、首筋には唾液の湿り気と、ルナの異常な熱の残滓が残った。
「ルナ、もうやめてよ。こんなの異常だよ……」
アオイが小声で訴えた。
「異常?」
ルナはアオイの顔を両手で固定し、吸い込まれそうな瞳でまっすぐ見つめた。
「違うよ、アオイ。あたし達が一番リアルなの。ヴァーチャルで嘘をついて、現実で本物を確かめ合う。それが、私たちだけの繋がりでしょ?」
ルナの言葉は、まるで甘い毒のようだった。
タイアップの不安で希薄になった自分の存在を、ルナの粘着質な指の感触と、首筋に残る体温の痕跡が、否定しがたい「実体」として証明してくる。
アオイはルナの顔から目を逸らせなかった。
ルナの瞳の中に、ヴァーチャルな光ではなく、自分を求めてやまない熱を見た。
この異常な繋がりだけが、今の自分を支えているのではないか、という恐ろしい錯覚が、胸の奥で大きくなっていた。
───
次の日の収録は、二人にとって久々に単独の歌唱パートが中心だった。
アオイは、ルナとのあの密着を思い出さないよう、頭の中に歌のメロディーだけを繰り返し再生し続けた。
スタジオを出た瞬間、ルナがいつものように甘えた声を出しながら、アオイの腕に絡みつこうとした。
「アオイ、今日もお疲れさま。ねぇ、ちょっと……」
ルナの体温が近づく前に、アオイはすっと一歩後ろへ引いた。
「あ、ごめんね、ルナ。ちょっと喉が渇いたから、先に自販機行ってくる」
アオイの言葉は冷たく、そしてどこか事務的だった。
ルナの動きが、一瞬、凍りつく。その愛らしい瞳の中に、普段の可愛らしいルナからは想像できない、深い焦燥のような感情がちらついたのを、アオイは見逃さなかった。
アオイは自販機へ向かうふりをして、そのまま楽屋へ急いだ。こんな行為が親友に対してひどいことだと分かっていたが、もうルナの熱を感じること、ルナの指が自分の境界線を越えてくることに、これ以上理性を壊されたくなかった。
楽屋の扉を閉めようとした瞬間、ルナが猛スピードで扉を押し開け、アオイを楽屋の隅の壁へと追い詰めた。
「どうしたの、アオイ」
ルナの声はいつもの甘さを失い、静かで、切羽詰まった響きを帯びていた。
「なんであたしから逃げるの? あたしのことを嫌いになった?」
「嫌いじゃないよ。でも……」
アオイが言い淀むと、ルナは初めて、その大きな瞳に涙を滲ませた。
ヴァーチャル空間の「絶対的歌姫」が、こんなにも脆い表情を見せることに、アオイの心は激しく動揺した。
ルナはアオイの両手首を強く掴み、その熱すぎる体温をアオイに押し付けた。
「アオイの隣にいる天乃ルナは、嘘つきなの。モニターの中のあたしは、作られた偽物だ。いくらみんなに愛されても、あたしはこの世界で実体を持てないの」
ルナはアオイの目をまっすぐ見つめた。
その瞳の奥は、恐怖と渇望で燃え上がっているようだった。
「でも、アオイは違う。アオイはここにいる。お願い、アオイのこの熱だけが、私が偽物じゃないって教えてくれるの。お願い、少しだけ、私に命を分けて」
ルナの切実な声は、アオイの胸の奥深くまで浸透してきた。
この完璧なアイドルが、こんなにも孤独と飢えを抱えていたなんて。
アオイの心の中に、ルナを拒絶してはいけないという共感の念と、そして前回の接触で覚えた痺れる快感の記憶が、同時に渦巻いた。
ルナの強く掴む指の熱は、アオイの手首の脈拍を異常なほど早くさせた。
アオイはルナの腕を振り払おうとしたが、指先に力が入らない。アオイの理性の声は、「見捨てられない」という感情に負け、かき消されていった。
ルナはアオイが抵抗をやめたことを察すると、そっとアオイの手首を解放し、代わりにアオイの身体全体を深く抱きしめた。
服の上からだが、その抱擁は長く、熱すぎる支配を意味していた。
ルナの過剰な体温が、アオイの肌を通して、骨を通して、奥深くまで浸透してくる。
アオイは目を閉じ、抵抗しないことを選んだ。
ルナの熱がなければ、自分もまた、モニターの向こうの希薄な存在に戻ってしまうような気がした。
ルナの執着こそが、今の自分の「実体」であると、アオイはすでに溺れ始めていた。
───
新タイアップのプロモーション動画収録は、ルナにとっていつもの日常だった。
彼女のヴァーチャルアバターと同じ、絶対的な可愛さを纏った動き、声、表現。
すべてが完璧だ。
問題はアオイだった。
「はい、カット! アオイさん、今の演技、少し固いかな。もう一度お願いします」
ディレクターの声が飛ぶ。
アオイの心臓は収縮した。
もう何度もNGを出している。
ルナの隣で演技をするたび、鏡に映る自分の顔が、どこか虚ろで薄っぺらい膜のように見えた。
自分の声も、表現も、すべてが嘘に聞こえる。昨日のルナの「お前の体温だけが本物だ」という言葉が、呪いのように頭の中で響いていた。
休憩時間になり、アオイはスタッフから離れて椅子に座り込んだ。
自分が、中身のない空洞になってしまったような気がした。
ルナの熱が、体温が、指の粘着質な感触が、今、自分にはまったくない。
「アオイ、やっぱり疲れてるよ」
ルナが近づいてきた。その声は優しく、手を引く力は強かった。
ルナはアオイを半ば引きずるようにして、誰もいない楽屋に連れ込んだ。
「大丈夫。あたしが調整してあげる」
ルナはアオイを壁に押し付けると、すぐにTシャツの裾から手を入れてきた。
その手は遠慮がなく、迷いがない。
ルナの指は、アオイが最も敏感に反応するデリケートな肌の領域に到達し、意図的に短い、しかし強烈な刺激を、数回与えた。
「――っく」
アオイの身体は、意志とは関係なく、強く弓なりに跳ねた。
まるでスイッチを入れられた電気信号のように、全身に熱い電流が走り、内側から生命力が湧き上がってくるのを感じる。
それは屈辱的なほど、瞬時に効く甘い毒だった。
「ほらね?」
ルナは得意げに笑った。
「アオイはただ、エネルギーが足りないだけなの。あたしが、ちゃんと命を分けてあげてるんだから」
ルナがアオイを抱きしめ、アオイはルナの肩に額を押し付けたまま、涙が出そうになるのをこらえた。
身体はルナの刺激で熱と力を取り戻しているのに、心は完全に支配されていく感覚に苛まれていた。
「ルナ……」
アオイの口から、無意識の渇望が漏れた。
「ルナ、もっと触ってくれないと、うち、何もできない気がする。配信も、歌も、全部、嘘になっちゃう……」
ルナの瞳に、満足と勝利の光が宿った。
ルナはアオイをさらに強く抱き締め、アオイの熱を持った皮膚、特に汗の蒸発が激しい脇の下の柔らかい部分に、ゆっくりと顔を近づけた。
そして、誰も想像できないであろう異常な愛の形として、その部分を舌先で、わずかに、しかし明確に舐めた。
ルナの体液が、アオイの体温と混ざる。
アオイの全身が、反射的な嫌悪感で硬直した。
しかし、それと同時に、身体の奥深くで、ルナの熱を内側に取り込んだという錯覚が生まれた。
これは異常だ。異常な行為だ。
そう頭では理解しているのに、アオイはルナの「この繋がりこそが本物」という言葉を、「これが愛の形なのだ」と、自らの心を洗脳し始めていた。
───
あの日、ルナの「調整」を受けてから、アオイのヴァーチャル空間でのパフォーマンスは嘘のように安定した。
しかし、それはルナの熱と、粘着質な指の感触がもたらす、一時的な借りの命であることをアオイは知っていた。
そんなある日、アオイは買い物の途中、女子校時代の親友、ミサキと偶然出会った。
「彩音じゃん! 久しぶり! Vtuber、超見てるよ!すごいね!」
ミサキの声に、アオイは一瞬、自分が誰なのか分からなくなった。
「彩音」という、ルナが絶対に呼ばない名前に、遠い過去の自分が引っ張り出されるような感覚を覚える。
ミサキの笑顔は太陽のように明るく、彼女が纏う空気は、ルナとの間に存在する異常な熱とは違い、軽やかで心地よかった。
ミサキはアオイの成功を心から喜び、来週の週末、二人でゆっくりご飯でも食べようと誘ってくれた。
アオイの胸に、一瞬、ルナの支配から解き放たれ、「普通」の日常に戻れるかもしれないという、淡い期待が灯った。
ミサキと別れ、待ち合わせの日。アオイが約束の場所へ向かうため駅のホームに立っていると、スマートフォンが振動した。
通知はすべてルナからだった。
『アオイ、どこにいるの?』
『今、何の収録もないよね?』
『あたしを置いていくの?』
『もしかして、他の誰かに会ってるの?』
メッセージは十数件に及び、そのすべてが強い不安と、独占欲を滲ませていた。
さらに通知の一つに、見慣れないアプリからのポップアップが表示されていた。
それはルナが勝手にアオイのスマホにインストールしたGPS共有アプリのものだった。
アオイの背筋に冷たいものが走る。
ルナは、自分の居場所をすべて把握している。
ミサキに会って、ルナとの「秘密」が外界に漏れたら、この「本物」の関係が壊れてしまうかもしれない。
壊れるのは、ルナとの繋がりではなく、ルナの熱に依存し始めた自分の実体だ。
ミサキが呼んだ「彩音」という名前が、ルナの光を邪魔する異物へと変わった。
アオイの心の中で、ルナの存在だけが確実な現実を意味していた。アオイは立ち止まり、震える指でミサキにメッセージを送った。
「ごめん、急な仕事が入った。また今度ね」
その直後、ルナからの電話が鳴った。
「やっぱり……アオイ、あたしのところに来てくれるんだね?」
ルナの声は、電話越しでも過剰な熱を帯びていた。
一時間後、アオイは駅前の広場でルナに捕まった。
ルナはアオイを見つけると、周りの目を気にせず、強く、体温を押し付けるように抱きしめた。
「良かった。アオイ。他の誰かのところに、行かないで」
ルナはアオイの耳元で囁いた。
「他の誰の熱も要らないでしょ? アオイの実体は、あたしが一番知ってるんだから」
アオイは、周囲のざわめきや、通り過ぎる人々の存在が、遠いヴァーチャルな背景のように感じられた。
ルナの体温だけが、自分を繋ぎ止める現実だ。
アオイはルナの背中に手を回し、自らルナの体を強く抱きしめ返した。
「うん……要らない。ルナ、うち、ルナのところがいい」
ルナの家に着くと、アオイは自らルナの部屋のクローゼットへ向かった。
ルナの衣類、特に配信中に着ているライブ衣装の入った箱に触れる。
ルナの残り香、ルナの体温の染みのようなものを求めて、アオイはそれを肌に押し付けた。
「アオイ……」
ルナは静かにその光景を見ていた。
その瞳には、すでに支配者としての確信が宿っている。
アオイは、もはやルナの執着を受け入れる側ではなかった。
ルナの体温と感触がなければ、自分が存在できない。
アオイは今、自分から「本物」の接触と執着を求める側へと、完全に堕ちていた。
───
今日の配信は、アオイにとって過去最高のパフォーマンスだった。
視聴者の熱狂的なコメントが画面を埋め尽くし、ルナも「アオイ、今日のノリ最高だよ!」と満足げだった。
だが、配信が終わり、スタジオの照明が落とされ、ヴァーチャル空間の熱狂が消えた瞬間、アオイは激しい虚無感に襲われた。
体の中から、何かがごっそり抜け落ちたような感覚。
昨日の配信の成功も、今日の熱狂も、すべてが意味を失い、自分の存在がまた希薄な膜に戻ってしまったように感じた。
アオイはもう待てなかった。
ルナが着替えのためロッカーに向かう背中を、アオイは焦燥に駆られた目で見つめた。
ルナが自分に触れる「調整」を待つのではなく、自らその熱を求めなければならないという、本能的な渇望に突き動かされていた。
アオイは無言でルナの背中に近づいた。
ルナがTシャツを脱ぎ、ブラジャー姿になった瞬間、アオイはルナのロッカーにルナを押し付けるように抱きつき、ルナの服の内側に手を滑り込ませた。
「アオイ……?」
ルナは驚くどころか、アオイの行動を予測していたかのように、満足げな笑みを浮かべた。
アオイの指は、ルナの一番熱い部分に触れる。
ルナがこれまでアオイにしてきたことと、まったく同じ行為。
ルナを支配することで、ルナの熱を内部に取り込もうとしているのだ。
「ルナの体温が、うちの実体……」
アオイの瞳は虚ろだった。
ルナの熱を感じることで、アオイの身体は一時的に命の脈動を取り戻した。
ルナはアオイの頭を優しく撫で、その髪を強く掴んだ。
ルナの顔がアオイに近づく。
ルナはアオイの顔を固定すると、アオイの唇に、自らの人差し指を深く押し当てた。
その指は、アオイの唇を押し広げるように、僅かに、濡れた感触と共に、アオイの口内へと滑り込んだ。
アオイの身体の奥底から、反射的な強い拒絶が湧き上がった。
それは、これまでの快感とは異なる、生理的な嫌悪だった。
しかし、ルナの指がもたらす異物感と、それを超える異常な快楽が、アオイのすべての神経を焼き尽くす。
指が離れた後、アオイの唇には唾液の湿り気が残った。
それは、支配の完成であり、境界線の完全な溶解のサインだった。
アオイは激しく呼吸を乱しながら、完全に満たされた感覚に包まれた。
「ルナ。もう、どこにも行かないで」
アオイの言葉は、懇願ではなく、ルナの熱に依存する自分の宣言だった。
ルナはアオイを抱き締め直し、囁く。
「ふふ、もう行かせないよ、アオイ。あたしの命の熱を、誰にも渡さない。アオイは、あたしだけの実体なんだから」
窓の外の街の灯りが、二人を照らしていた。
しかし、その光は二人には届かない。
アオイはルナの腕の中で、外界とのすべての繋がりを断ち切り、倒錯的な共依存という名の、温かい闇へと完全に没入していった。
ーーー
ユニット「Lumière」史上最大規模のリアルライブ本番。
楽屋には、何万もの観客の熱狂が、地鳴りのように響いていた。
アオイは衣装を纏いながら、極度の緊張と、それ以上にルナの熱がないことによる深い虚無感に苛まれていた。
ルナの指の感触がなければ、この衣装も、このメイクも、すべてが虚ろなハリボテのように感じられる。
体は、早くルナに「調整」されることを無意識に要求していた。
ルナは、光沢のあるライブ衣装に身を包み、アオイの前に立った。
その姿は、ヴァーチャルの女王が実体を得たかのように完璧だった。
ルナはアオイを抱きしめた。
その抱擁は、いつにも増して力強かった。
ルナはアオイの手首の内側、血管が脈打つ場所に、顔を埋めた。
「大丈夫だよ、アオイ」
ルナの声は震えていた。
「今から、あたしが全部確かめてあげる」
ルナの唇が、アオイの皮膚に強く吸い付いた。
それは、ただの口づけやマーキングではない。
生命の芯を確かめようとする、倒錯的な獣の所業だった。
ルナの唇の圧力が強すぎて、アオイは一瞬、鋭い痛みを感じた。
しかし、その痛みがすぐに全身を痺れさせる快感へと反転する。
アオイは、痛みと快楽の区別がつかなくなるほどの刺激に、身体を固くした。
ルナが顔を離した瞬間、アオイの手首の内側には、ルナの唾液の湿り気と、皮膚が赤く変色した僅かな痕跡が残っていた。
ルナは、アオイの「命」を自分のものだと視覚的に証明したのだ。
「これで大丈夫。アオイは、あたしだけのもの。さあ、最高のライブをしよう」
ルナは悪魔のように笑い、アオイの手を引いた。
ステージに上がると、何万ものペンライトの光と、観客の熱狂が津波のように押し寄せてきた。二人は最高のパフォーマンスを見せる。
しかし、曲と曲の間の、観客から見えない暗転の数秒間。
ルナはアオイの腰を抱き寄せる振り付けの際、ライブ衣装の隙間から、アオイの下着の際に一瞬、指を滑り込ませた。
「ひゅっ……」
観客の耳には届かない、アオイの切望にも似た息遣いだけが、ルナに届けられた。
公の場での境界線の完全な破壊。
ルナは、観客の熱狂を燃料にして、最も私的で倒錯的な行為を行うことに、極上の快楽を得ていた。
アオイは、ルナの指の粘着質な感触が、ステージ上の自分を現実に繋ぎ止めていると錯覚した。
観客の熱狂は、二人の退廃的な行為を正当化する賛美歌と化した。
ライブは大成功に終わった。
熱狂的な歓声が遠ざかる、静まり返った楽屋。
アオイは極度の疲労と、ルナの接触による強烈な快感の残響で、その場に崩れ落ちるように座り込んだ。
体中の関節が抜け落ちたかのような完全な脱力感。
ルナは、汗で輝くアオイの姿を見下ろし、歓喜に満ちた、静かな笑みを浮かべた。
「完璧だよ、アオイ。あたしの命の熱を受け取って、最高のパフォーマンスをしてくれた」
アオイは、自分の身体が、ルナの異常な愛を受け入れることで初めて完全な存在になれるのだと、心の中で深く確定させた。
ルナの指が吸い付いた手首の熱い残滓が、この退廃的な快楽こそが、自分たちの絶対的な現実であると証明していた。
───
ライブ成功の熱狂が、とうとう終息した。
誰もいなくなった楽屋の静寂は、何万もの観客がいた時の熱狂とは対照的で、まるで世界から二人だけが切り離されたように感じられた。
アオイはライブ衣装の重さから解放され、私服に着替えた後、迷うことなくルナの元へ向かった。
アオイはルナの背中を、強く、縋るように抱きしめた。
ルナの体温がなければ、自分の体はすぐに冷たい空洞に戻ってしまう。
外界との繋がりは、もう必要ない。ルナの熱こそが、唯一の現実なのだと、アオイは今、完全な幸福感をもって受け入れていた。
「ルナの体温……やっぱり、これがないとダメだ」
アオイの声は、弱々しく、しかし満たされていた。
ルナはアオイの腕を解くことなく、振り返らずに、アオイの耳元に囁いた。
その声には、深い満足と、絶対的な勝利の色が滲んでいた。
「ふふ。これで、誰もアオイの実体を盗めない。ヴァーチャルな光だけじゃ、アオイは生きられないんだから。あたしが、アオイの命の熱を永遠に握っている」
アオイはルナの言葉を否定しなかった。
むしろ、その言葉が安息だった。
「うん……うち、ルナの人形でもいいよ」
アオイは、自己を否定することで、初めて完全な肯定を得た。
「ルナが望むなら、ルナの命の熱の器になる。だから、ずっと傍にいて」
ルナはゆっくりと、アオイを抱いたまま、楽屋の大きな鏡の前に立った。
鏡の中には、完璧なメイクと衣装を纏ったルナの姿と、その隣でルナの熱に溶け込むように憑りつかれたアオイの虚ろな姿が映っている。
「Lumièreは、これからも最高の光を放ち続ける」
ルナは、鏡の中の自分自身とアオイに向かって宣言した。
「ヴァーチャルでは、誰も知らないあたしたちの秘密の熱を燃料にして、どこまでも輝くの」
それは、二人の倒錯的な秘密を、永遠に隠し続けるという、ルナからの最終的な契約だった。
夜が更け、二人はルナの自宅の密室に戻った。アオイはルナの腕の中に横たわり、ルナの過剰な体温に包まれる。
アオイの意識は、ルナの熱に溶かされて、曖昧になっていく。
ルナの熱と、粘着質な指の感触。
外界の光も、普通の友情も、ヴァーチャルの熱狂も、すべてが遠い過去の残像に過ぎない。
ルナの独占欲と、アオイの依存心。二人の倒錯的な共依存は、温かい闇の中で永遠に完成した。
Vtuberユニット「Lumière」は、現実の熱を隠したまま、今日もヴァーチャルな世界で、誰よりも眩しい光を放ち続ける。
───終───
─
──
───
「はーい、みんな! 今日はルナとアオイのホーム、ルナハウスからお届けするよー!」
「うちの部屋からじゃなくてごめんね。
ルナの部屋のほうが映えるんだもん」アオイが笑う。
今日の配信は、久しぶりのオフコラボ。
一台のPCの前で、二人のアバターが寄り添って座っている。
しかし、オフコラボだからこそ、二人の現実の距離が、配信画面にも映り込んでしまう。
「もう、アオイったら、またあたしにもたれかかってきてるでしょ!」
ルナが少し大げさに抗議するが、その声は甘い。
アオイは配信画面を一切見ず、ルナの腕に頭を預けている。
ルナの過剰な熱が、服越しに伝わってくる。
この熱がなければ、アオイは配信中も、また虚ろな膜に戻ってしまう。ルナの熱は、もはや生命維持装置だ。
画面のコメント欄は「ひゅうひゅう!」「ルミエール、距離バグ!」の文字で大いに湧いている。
そして、その熱狂に乗って、ついに特大のスパチャが投下された。
<スパチャ:$50,000>: 実際のところ、ルナとアオイはどこまで進んでるの? あたしたちの妄想を現実に!
アオイのヴァーチャルアバターの頬が、一瞬で赤く染まる。
「な、ななな、何を言ってるんですか!?」
アオイはパッとルナから離れた。
だが、すぐに熱を失う恐怖からか、ルナの太ももにそっと指先を触れさせる。
ルナは、この瞬間を待っていたかのように、完璧なアイドルスマイルを浮かべた。
その表情には、すべてを理解し、すべてを支配している女王の自信が満ちている。
「ふふ、みんな、そういうのは野暮だよ」
ルナはカメラに向かってウインクした。
「アオイとあたしの繋がりが、どれだけ特別な熱を持っているかは、みんなの想像にお任せするね」
ルナはそう言いながら、机の下で、アオイの触れてきた指先を、粘着質に自分の指と絡め取る。
アオイの指は、ルナの粘着質な感触に、電流が走ったように跳ねた。
その配信は、リスナーのさらなる熱狂の渦の中で、大成功のうちに終了した。
PCの電源が落ち、部屋に静寂が訪れる。
ルナはアオイの手を掴んだまま、ベッドに倒れ込んだ。
「あーあ、疲れた。でも、楽しかったね」
ルナが満足げに息を吐く。
アオイはルナの上に倒れかかり、ルナの熱に全身を埋めた。
外界から遮断されたこの温かい密室だけが、二人の実体だ。
アオイは、ルナの首筋の、以前マーキングをされた場所に、自ら唇を押し当てた。
「ねぇ、ルナ」
アオイが囁く。
「うち、この熱がないと、もう生きられない」
ルナはアオイの髪を優しく撫で、その瞳に狂気的な愛を宿したまま、答える。
「大丈夫だよ。これでいいんだよ、アオイ。だって、女の子同士に、終わりは永遠にないからね」
二人の密着した体温だけが、静かな部屋に満ちていく。
外界の光は、もはや二人の世界には届かない。