湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
二〇一五年。世界が震撼した。
後にバーテックスと呼ばれる異形が空から舞い降り、瞬く間に地上のほぼ全てを滅ぼした。
たった数年という短い年月。
地球上で人類が居住可能な地は、地球という規模で見ればミクロ単位の面積のみとなっていたのだ。
一番大きな面積を誇るのは、日本。
四国が人類の総本山となっていた。
そこには
だが当初は脆弱な結界。強弱といった個体差のあるバーテックスだが、弱いに分類されるバーテックスですら越えられる危険がある程の薄い壁だった。
故に結界を強固にするまでの間。
そして"勇者"と呼ばれる無垢な少女たちを成長させるまでの間、四国への侵攻を起こさせない措置を講じる。
"勇者"とは、バーテックスが襲来したと同時に力に目覚めた人類の希望。
バーテックスを討てる力を有し、人類の命運を握る人間たちを人々は"勇者"と呼んだ。
皆一様に、歳端の行かぬ少女たち。
彼女らにはバーテックスと対峙するに相応しい存在になるまでの時間が必要だった。
三年、四年と経つ頃には、四国には五人の勇者が集結する。
けれどまだ僅かに、力を蓄える必要があった。
四国に襲撃が来ない様にしていた期間。
それはつまり、"四国以外"には襲撃が行われていたと同義。
長野県。守屋山の麓付近の平地。近くにある湖は諏訪湖。
諏訪地方とも呼ばれるこの場所にもまだ、人類は生存していたのだった。
人数は、四国に残る人類と比べるのは烏滸がましいと言える程に少ない。
バーテックスの侵攻を定期的に受けるこの土地は、四国と同じ様に結界が張られていた。
だが回を増す毎に結界は縮小。以前は諏訪湖を余裕で覆える程だった生存可能範囲が、今では諏訪湖が端の一部だけを含める程度の範囲となっている。
確かに人類はまだ生存出来ている。だが、時間の問題。
しかしこの地に住まう人々の表情に陰りは然程と見受けられなかった。
結界の中、その土地の一部。
そこには大きな畑があった。
人々がそこで農作業に勤しむ。
やがて、大きな声が聴こえた。
「皆さん! そろそろ休憩にしましょう!」
鍬を置き、明るく爽やかな笑顔でそう声をかけたのは、十代半ばと思しき少女。
肩口辺りまでの深緑色の髪。その毛先は外側へと跳ねている。
長袖長ズボンのジャージを着て、他の面々と同じ様に畑の中に立っていた。
大きな瞳と感情を如実に表す表情は、彼女の愛嬌の良さを前面に出している。
すらりとしながらもどこか女性らしい体つきとなってきている身体を伸ばし、軍手をはめている手で遠慮なく自身の額に伝う汗を拭うのだった。
周りの大人たちも彼女に倣い作業を止めて休憩へと入る。
その姿は、まるで彼女の言葉に従うのが当たり前と認識しているかの様に、自然だった。
誰一人彼女の言葉に反論する者は居ない。
それは一重に、彼らの中にある彼女への共通認識。
三年。バーテックスがこの地に現れてからの季節の遷移。
その間、歌野はたった一人でこの土地を守り続けていた。
華奢なその身一つで、無数のバーテックスと戦い続けていたのだ。
声をかけた歌野自身も休憩すべく、畑の中を歩く。
その足取りは迷いなく、たった一方へと向けられていた。
歌野の視線の先には、木陰に座る一人の少女。
茶色のボブカット。服装はラフな動きやすいと思える恰好。
木の幹に寄りかかる様にしながら、その少女はずっと歌野が鍬を振るう姿を眺めていた。
歌野の腰には籠が抱えられており、その中から一つを判定の手で取りだした。
呆然と見上げてくる少女へとそれを差し出す。
「はい、みーちゃんも一緒に休憩しましょう?」
屈託の無い笑顔を向ければ、少女の表情が僅かな苦笑へと変わる。
「あはは……私は見てただけで何もしてないよ?」
そう返した少女へと歌野は笑顔のままに返した。
「いいのよ。休憩する時は皆で休憩! みーちゃんは"私の農作業を見る"っていう仕事をしていたんだから!」
一切の嫌味の無い言葉と笑顔。
みーちゃん、と呼ばれた少女は再び「あはは……」と苦笑するしかなかった。
何故なら少女は、これが白鳥歌野という人物なのだと知っているから。
バーテックスの襲撃により、二人は出会ったのだった。
水都が歌野と共に居る理由。もちろん、親友と言うべき存在だから。
けれどそれを抜きにしても水都には"巫女"という役割があった。
"巫女"とは神から神託を受け、"勇者"の補助を行う存在。
また、戦闘の際にはどの方向からバーテックスの襲撃があるのかを知る事が出来た。
ここ諏訪の地にて水都は公私共に歌野を支えられる存在となっていたのだ。
反対に、水都もまた歌野に支えられている。互いを補い合う様な関係であった。
籠を地面に置いて包丁を取り出した歌野が、きゅうりのトゲを擦り落として二つに割る。
均等に割られた片方を水都が受け取れば、笑顔のままに歌野は音を立ててきゅうりを齧った。
「んー、やっぱり美味しい! 水分補給にも持ってこいね!」
歌野の笑顔を見ながら苦笑を浮かべる水都。
だがその心境は決して、笑う事が出来ていなかった。
理由は歌野の姿。
まだ誕生日が来ず一三歳である彼女は、既にどこか女性らしさが現れ始めている。
けれどその肌。
長袖長ズボンといったジャージに隠されている乙女の素肌。
水都には、視界に映る服の中の様子が分かっていたのだった。
現在は徐々に残暑へと変わり始めた九月。
こうして農作業に勤しむ歌野だが、少し前に大規模なバーテックスの襲撃があったのだ。
そこで彼女はかなりの怪我を負った。
勇者の力を持つ歌野は戦闘力だけでなく、怪我をした際の回復力もまた常人よりも高い。
けれど決して寝たら全回復しているような魔法の力ではないのだ。
治りが早いだけで、深い傷を負えば回復までにそれだけの日数がかかる。
前回の襲撃で負った傷は、未だに歌野を苦しめているのだ。
それを知る水都は、歌野の状態を考えるだけで気が重くなる。
元来の気質として後ろ向きな彼女の性格が、急速にその思考を押し広げた。
もしまた大規模な襲撃があれば、歌野が無事でいられるか分からない。
不安となり、緊張となり、やがて恐怖となる。
その時、声が聴こえた。
「こら、みーちゃん!」
眼前からかけられた声に、意識が視界へと戻る。
そこには水都に向けて叱る様な表情を浮かべた歌野。
呆然と見つめる水都へ、歌野が続ける。
「私なら大丈夫。だからみーちゃんも大丈夫!」
叱りから笑みへと変えた歌野が、後ろへと振り向く。
そこには一面に広がる畑。歌野の掛け声で思い思いに休息をとる人々。彼らが浮かべる笑顔や楽し気な話し声の数々。
「私がこの"日常"を守ってみせるから。いつかこんな日常に戻れるように……必ず繋いでみせる!」
明るい歌野の声に、何故か水都は泣きそうになった。
顔を戻した歌野がやはり笑顔で告げる。
「だからみーちゃんは笑顔で私を見てくれれば、私は最後まで笑顔でいられるから」
口を閉じた歌野を見つめる。
彼女が口にしなかった言葉を、水都は容易に把握出来てしまった。
親友だから。そして、ずっと見ていたから。
故に、視界が滲むのを必死に忘れながら、歌野へと表情を浮かべた。
朧げな歌野の姿が、頷いた様に感じた。
「流石私のみーちゃんね! その顔を見られればもう何も怖くないわね!」
水都に告げた言葉。
だがそれは、歌野自身へと向けた言葉でもあった。
笑顔の奥にひた隠す、勇者としての本音。
それをおくびにも出さず笑顔を見せた歌野は本物の勇者だった。
バーテックスから最初に襲撃を受けたその時から、歌野は"勇者"になったのだ。
故に笑う。笑って、皆の"日常"を守る。
それが歌野にとっての"日常"だから。
"日常"を守る為にも、"日常"を過ごす為にも歌野は今日も笑っていた。
安心した様に笑みを浮かべた水都を見ながら、歌野はまた"日常"に感謝する。
不意に歌野の視線が水都から外された。
「……あら?」
水都の更に奥、畑から離れた場所にぽつりと立つ人影を見つけたのだ。
それを見て、歌野は再び笑みを浮かべる。
"日常"を守りたい歌野は、その人影へと届く様に声をかけた。
「
数日前から"日常"に追加された、少しばかり年上の少年。
その顔が静かに歌野へと向けられたのであった。