湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
歌野の言葉に、やや遅れて身体が震えた。
歌野を除く全員が、同じ反応を示したのだった。
けれどその中で水都だけは異なる意味で震わせていた。
歌野が、嗤う。
「すごいのよ、彼ったら。私がバーテックス戦ってる間に、全員殺したんだもの。彼に気を失わされて翌朝起きたら、みーんな、死んでたわ」
千景が、友奈が、若葉が、ひなたが、歌野に対して恐怖で震えた。
けれど歌野は愉しそうに続ける。
「みんな、どんな死に方だったか分かる? 肩から袈裟斬りされてその傷口がぱっくりと綺麗に割れてたのよ? 服は赤黒い血でべったり染まって、日中だったから傷口からは中身がよく見えたわよ? 筋肉でしょ、骨でしょ、心臓でしょ、肺でしょ、血管でしょ? 知ってる? それらって意外と気持ち悪い色してるのよ?」
「う、ぷ、っ……」
歌野の声が耳に届いた友奈が、その目に涙を溜め、口を押えて逃げる様に部屋を出て行った。
だが仲の良い千景がそれに反応することはなかった。
「今まではバーテックスから逃げたり倒したりで、ちゃんと見たことなかったけれど、人って殺されるとね? 顔が苦しそうなままで固まってるのよ? 死後硬直かもしれないけれど、まさに絶望したって顔で動かなくなってるのよ」
千景は、歌野を見つめていた。
否、顔を逸らすこともできなかった。
目を見開き、瞳を限界まで収縮させた状態で、硬直した身体を微かに震わせている。
たまに思い出した様に薄く呼吸をするのみだった。
その心にあるのは、絶対的な恐怖。
無力のままに殺される事への恐怖が、千景に襲いかかっていたのだ。
そして同時に、根源的な死への恐怖が湧き上がる。
死にたくない。それは人間にとって当たり前の思い。
だが今の千景は、勇者。
勇者とは、強大な敵に立ち向かう者。
千景は勇者で、皆から尊敬されている。
尊敬されているからこそ、千景は勇者でいられた。
元々、家庭環境が良好とは言えなかった千景。
父親は家庭を全く顧みず、仕事だけが最優先。
幼い頃に母親が熱を出して倒れた時に、家には千景しかいなかった。
父親に連絡をしたが、薬を飲ませて休ませろという声だけで電話を切られる。
不安に苛まれながら看病して治った母親はやがて、不倫した。
親の不倫。それは狭い村ではすぐに広まり、両親にも伝わる。
それが周囲にバレて、千景が虐められる様になった。
けれど本来は子供を助けるべき彼らは、
千景さえ相手が受け取ればすぐに離婚する。それ程までに互いの心は冷めていたのだ。
母親は別の男の元に去って行ったが、離婚はしていない。
どちらが"
だから千景の存在は、両親にとって邪魔な存在として認識されていたのである。
故に引っ越しも出来ず千景は子供達からも村の大人たちからも虐められ続けた。
けれど転機が訪れたのは、奇しくもバーテックスが現れたことだった。
千景は勇者としての力を覚醒し、大社からその力を認められる。
勇者としてバーテックスを倒してから一度村に戻った際、状況は一変していたのだ。
誰もが千景を歓迎する。誰もが千景を誇りに思っている。村の大人も子供も、父も母も。
誰も彼もが千景を必要としてくれたから、千景は勇者でいようと思ったのだ。
勇者でいれば認めてくれる。もっと活躍すれば、より多くの人が認めてくれる。
誰よりも活躍すれば、誰もが認めてくれる。
千景という存在を。千景という人間を。
全員が誇りに思い、尊敬し、認めてくれて、愛してくれる。
だから千景は勇者でいようと思ったのだ。
勇者でいなきゃと思ったのだ。
けれど今、歌野の話を聞いて千景は心の底から恐怖した。
それは死ぬ事。無力な事。無様な事。そして勇者である事。
勇者だから、誰よりも戦わなくてはいけない。
誰よりも命を懸けなければいけない。
誰よりも、死が近い存在。
その"勇者"たる負の側面が、千景の中で究極的に肥大化したのだった。
勇者じゃないと認められない。勇者だと生きていけない。
認められたいが、死にたくない。
それが千景の中で二律背反となり、金縛り遭ったかの様に身体を硬直させたのだった。
千景の顔を見た歌野が、小さく息を吐く。
「あら……ごめんなさいね、千景さん。怖がらせるつもりはなかったのよ」
どこか優し気な口調で歌野が声をかけるが、千景は動けないままだった。
その様子を見て、再び歌野は嘆息した。
顔が、若葉へと向けられる。
「若葉さん。球子さんが言ってたように、私もあなたのことは嫌いじゃないわ。けど、自己満足をするのなら、もう少し結果にこだわった方がいいと思うわよ?」
歌野の静かな声が若葉に届く。
若葉は目を見開き、呼吸を忘れたままに固まっている。
「忘れないで? あなたは"勇者"なのよ。言葉一つでどれだけの影響が出るのか、考えた方がいいわ」
その言葉で、肩を震わせた若葉が漸くと呼吸を再開した。
歌野は静かに立ち上がり、部屋を出るために歩き出す。
「ちょっと私も夜風を浴びてくるわ。心配しなくても、戦闘時は今まで通り一緒に戦うわよ? だって人類には、私たちの問題は関係ないもの」
歌野はその言葉を残して、部屋を出て行った。
僅かな沈黙。
千景がゆっくりと立ち上がる。
その表情はまだ青白いままだが、震えは幾分か収まっていた。
「……ちか、げ」
若葉が呆然と声を出せば、歩き出そうとしていた千景が止まる。
やがて、顔を合わせないままに口を開いた。
「……乃木さん……これはあなたの責任よ……これでもし、誰かが死ぬことがあれば……私は絶対に、あなたを許さない」
そう言って千景は歩き出す。
震える身体を落ち着かせるためか、片手を耳に触れさせた。
何も変哲の無い耳を触りながら、千景が襖を開く。
「……私は特にあの人から、何かされたわけじゃないけど……昔から、あの男は嫌いよ……」
その言葉を最後に、千景もまた姿を消したのだった。
残るは若葉。そして水都と、ひなた。
ひなたは苦しそうに胸の辺りを強く掴みながら、俯いている。
その顔は歯を食いしばりながら、必死に嗚咽を堪えていた。
ひなたの心を占めるは、二つの気持ちだけだった。
若葉たちには話せない寛について知っていることによる、彼女らが抱く彼への感情に対する、本音を言えない事の悔しさ。
そしてもう一つは。
自分にも知らされていない諏訪の事情。住人を虐殺したという寛の行動への微かな疑念。
寛が勇者から嫌われる理由は理解している。
けれど大社がその為だけに、諏訪の住人を殺せという命令を出すとは思えなかった。
そもそも諏訪の勇者を四国に引き入れるなんて話自体を、ひなたは歌野が姿を現すまで分からなかったのだ。
それを大社に確認しても、偶然の産物という回答。
納得はいかないが、けれど大社が無為に人を殺すという判断をしないのも分かっていたからこそ、ひなたは寛への微かな疑念を抱いてしまった。
それに加えてひなたは巫女。他の巫女よりも適性が高く神託を受け取ることが出来る。
故にその様な大規模な行動を起こすのであれば、神託から何かを下されなければおかしい。
そう思ったのである。
だからこそ寛が何故諏訪の住人を皆殺しにしたのか、分からなくなった。
歌野から齎された現在の湯田寛という男。
これまで自分の目で見てきた湯田寛という男。
ひなたの中で、確かな対立が起こった瞬間だった。
若葉はひなたの状態を認識出来る余裕はなかった。
ただひたすらに、自分の中に生まれた思いに翻弄され続けていた。
何故、こんなことになってしまったのか。
決して軽い気持ちで聞いた訳じゃない。
だがここまでの内容を想定していた訳じゃ無い。
若葉の中の湯田寛という男は、寡黙で愛想はなく進んで関わってくる事もないが、それでも確かな優しさを持った人物。
故に何かの勘違いで嫌いになる要素が生まれてしまったのだと思っていた。
しかしいざ蓋を開けてみれば、勘違いとは程遠い内容だけが彼女たちの口から伝えられる。
だからこそ若葉は翻弄される。
今知った全てが、本当なのか。
自分が見てきた湯田寛という姿が、本当なのか。
若葉の中で、湯田寛という男の立ち位置が揺らいだ瞬間だった。
彼は優しいと、若葉は思う。
けれど彼は優しくないと仲間たちは口を揃えて言う。
若葉にひなたを加えても、反対意見の方が多い状況。
しかもその理由のほぼ全てが、命に関わる事情で嫌っている。
故に若葉の心が揺らぐ。
湯田寛という男を信じてもいいのか、どうなのか。
奇しくもひなたと同じタイミングで、若葉は湯田寛に疑念を抱いたのであった。
それは若葉の中にあったアイデンティティの内の一つが揺らいだ瞬間。
あの時見た背中を目指すという、戦いにおける信念に小さな罅が入った。
常在戦場であるはずの乃木若葉が、戦場に対する迷いを抱いてしまった。
「……私は……どう、すれば……」
無意識に声に出していた、心情の吐露。
だが、それに答える者はいなかった。
虚しく宙を漂い、やがて静かに消える。
瞳を微かに揺らしながら、若葉は意味もなく湯呑の中に揺れる、冷めた液体を見つめ続けた。
涙を流しながら、彼女たちの姿を、これまでの全てを見ていた水都。
何も言わず何も言えず、ただそこに存在していた。
これまでのやり取りを耳にし、俯きながら身体を震わせていた水都。
完全に沈黙となった室内。
その中で唯一、僅かにだが顔を上げたのは、水都だった。
伏せていた視線を上げ、静かにゆっくりと彷徨わせる。
目の前に広がる光景は、少し前に食事をした時には絶対に考えられないもの。
呆然と俯く若葉は、到底勇者には見えなかった。
目的を見失い、道標を求めているただの少女。
蹲り身体を震わせるひなたは、到底巫女には思えなかった。
信じていたものが裏切られ、何を信じてよいか分からなくなった、ただの少女。
水都もまた、自分の事を巫女だとは思えていなかった。
気が弱く、周囲の顔色を伺い過ぎ、自己主張が苦手で、正確が暗い。何を考えてるのかわからないと言われれば更に自信をなくし、余計に引っ込み思案になる。
意志も存在感も希薄な人間。
だから、彼女らに何か出来るだけの行動力は、水都にはなかった。
落ち着かせる言葉も、共感する言葉も、間を取り持つ行動も、出来るわけがなかった。
水都は自分の事を巫女だとは思えなかった。
だって、巫女としてあるまじき思考を持ったのだから。
うたのんと私が死ななくて良かった。
数多の知り合いが殺されたのに、その時水都は、そう思ったのだ。
あの日、水都だけが見た奇跡。
空へと舞い上がり、たったひと振りで死への恐怖を消し去ってくれた、絶対に忘れられない一瞬の光景。
御柱も共に斬られて結界が消えたその時、水都は感じた。
箱庭から、解放してくれたのだと。
自分と歌野を救ってくれたのは、諏訪の土地神でも神樹でもない。他の勇者でもない。
寛だけが、死ぬ運命を変えてくれた。
水都が絶対に、誰にも言えない思い。
湯田寛は勇者である。
水都にとって、自分と歌野を助けてくれた、命の恩人。
故に水都は思う。
声をかけることも、何か行動することもできない自分。
けれど、思う事は出来る。
皆が彼を嫌いになっても、自分だけは彼を信じよう。
彼もきっと望まないだろうけど、彼の行動を信じていたい。
いつか本当のことが話せるその日まで、心の中で信じ続けよう。
本当のことを誰かに話せるようになればきっと、彼にも話せるということだから。
住人を殺した理由は、彼が魅せてくれた。
あの奇跡で、水都は諏訪での出来事を、納得へと昇華させたのだ。
きっと誰にも言えない真実。
諏訪が滅んだのは、人類にとって必要なことだった。
そうだと湯田寛が判断して行動したのならば、水都は心の中でその行動を信じる。
彼を信じなければ、今の自分はこうして生きていないのだから。
だから、藤森水都は湯田寛の巫女にもなる。
出来ることはないけど、それは歌野に対しても同じだったと水都は思った。
全部歌野がやってくれた。だから自分は何もしていない。
だから何も出来ない自分だけど、歌野に対してと同じ様に、寛にも思う事は出来る。
藤森水都は白鳥歌野と湯田寛の"
誰のためにもならないかもしれない決意。
ここにいる勇者と巫女が全員、心に負を抱えている中。
水都は少しだけ、そんな考えを持った自分を好きになれた気がした。