湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
三月に入り、徐々に三寒四温が明確になり始めた頃合い。
「今回は中々の数を揃えてきたようだな……」
若葉は正面を見つめ、静かに呟いた。
バーテックスの襲来。
勇者たちは今、樹海化された空間に身を置いていた。
彼女らの視界には、宙に浮かぶ数多のも異形の姿が映っているのだった。
今年に入り初めての侵攻。
前回から時間は空いたが、それぞれ鍛錬は続けていた。
故にブランクを感じさせない佇まいで、全員がバーテックスたちを見据えている。
「タマたちはこっちでやるぞ杏!」
「……うん。分かったよタマっち先輩!」
「ッ、球子! 杏!」
我先にと飛び出した球子、それに続く杏。
若葉が思わず呼び止めようと声をかけるが、二人は振り返ることなくバーテックスの方へと遠ざかって行った。
「私が、二人をサポートできる位置で戦うわね」
そう言って一歩前に出たのは歌野だった。
「ちょうどいいから、三人ずつに分かれましょう?」
歌野は問い掛ける様に若葉へと告げたが、返事を待たずに球子たちの後を追う様に飛び出す。
「えーっと……私とぐんちゃんは、若葉ちゃんと一緒でいいのかな?」
「……高嶋さん、単独で離れるよりは安全だと思うわ」
残された友奈と千景の会話。
若葉は二人へと顔を向ける。
「ああ……すまないが、一緒に戦ってくれ」
その表情は悩みを含んだもの。
友奈は若葉へと笑顔を浮かべた。
「大丈夫だよ若葉ちゃん! まずはバーテックスを倒して、皆でうどんを食べれば仲直りできるよ!」
「……友奈」
その笑みを見つめた若葉が、やがて溜息を吐く様に彼女の名前を呼んだ。
「そうだな……まずは敵に集中しなければ」
表情から迷いを消し、若葉は再び正面を見据える。
「ぐんちゃんもバーテックスを倒したら一緒にうどん食べようねっ!」
「……ええ、そうね……高嶋さん……」
背後からの会話を耳にし「行くぞ!」と声をかけて飛び出せば、後続の二人もまた続くのだった。
そしてバーテックスの群れもまた若葉たちの存在を認識し、彼女らへ向け攻め寄って来る。
接敵が残り僅かとなった頃合い。
若葉は背後から強い力を感じ、思わず振り返る。
「――
その声と共に、千景の装いが変わる。
元は赤を基調とした細身のドレス調とも言える、黒のインナースカートを含めた短めのドレススカートに、裾の短い長袖のジャケットを纏っている様な勇者装束。
だが今の千景はドレス部分の色合いはそのままに、ジャケットとして羽織っていた衣装が赤から、白無垢のを開いたものへと変わり丈が足元まで伸び、袖は着物の様に広いものへと変わった。
頭には綿帽子が千景の長い黒髪を覆い隠すが如くベールの様に腰よりも長く伸びて、彼女の姿を一面の白で塗りつぶしたのである。
相棒となる武器は死神の鎌とも思えるデスサイズといった、大葉刈。
それが一つではなく、七つ。
一人一本を手に持った千景が、七人同時に存在していた。
これが千景の"切り札"。千景を殺すには、七人の千景を同時に屠る必要がある。
最大火力。これが千景の全力全開。
千景が浮かべる十四の瞳は若葉や友奈を捉えることなく、眼前に迫るバーテックスだけに向けられていた。
「千景! それはまだ早い」
若葉が思わず声を上げるが、途中で遮られる。
「出し惜しみして死ぬなんて、ごめんよ……」
その言葉と共に千景の速度が増す。
若葉を追い抜き、
"切り札"にはまだ、使用後にどんな影響が出るのか分かっていない。
それを認識している若葉が、戦闘前から切り札を使用する千景を止めたのは当然だった。
だが千景は止まらない。
「……殺す……殺す……殺せば……死なない、ッ……!」
一心不乱に鎌を振りバーテックスを屠る千景。
状況はバーテックスが手も足も出ないほど。
だが。
「……はぁ……はぁ……殺す……殺す……死ね、ッ……!」
何故か優位に立ち回っているの息が上がり始めていた。
その心は、ただバーテックスを殺すという思いのみ。
けれどそれを生み出す理由は、恐怖だった。
千景の中にはずっと恐怖が残り続けていたのだ。
死への恐怖。戦うことへの恐怖。
だがそれと同じ程に、勇者でいなければいけないという千景にとってのアイデンティティが湧き上がり、それらが心の中で衝突を続けていた。
そして戦いを前にして千景が出した結論。
今までバーテックスは倒せてきた。その自信。
だから殺せば、私は死なない。
けれど力が足りずに死ぬのは絶対に嫌だ。
死にたくないから、最初から"
バーテックスを倒すという勇者としての意地。
そうすれば皆が自分を認めてくれるから。求めてくれるから。尊敬してくれるから。
バーテックスに殺されるなんて、絶対に嫌だ。
死にたくない。殺されたくない。まだ生きていたい。ずっと生き続けたい。
二つの大きな思いがぶつかり、幸か不幸か千景から、戦闘に対する恐怖を消していた。
けれど残り続ける根源的な死への恐怖。
「……はぁっ……死ね……死ね、っ……はぁ、っ……死ねッ……!」
死への恐怖から、その身体を動かし続けていた。
周りなど見えずに前へ前へと突き進む。
目の前からバーテックスがいなくなれば、死なないのだから。
バーテックスに勝ち、また皆が自分を褒めてくれるから。もっと認めてくれるから。
千景は必要とされるために、更に前へと一心不乱に進み続ける。
だがバーテックスの量は途方も無い数。
正面だけでなく、上下左右にいる。
千景は気付かずに、気付けば単独でバーテックスの巨大な群れへと侵入していたのだ。
故にバーテックスは格好の獲物たる千景に襲いかかる。
前から横から後ろから上から下から。
正面だけを見て恐怖を無理やり気力に変えながらバーテックスを切り裂く千景は、自身の状況を把握するのが送れた。
一人、二人、三人と"自分"が姿を消している。
それは圧倒的な物量による同時殲滅。
やがて上空から間近に迫ったバーテックスに気付いた千景はただ"一人"、動くことが出来なかった。
武器は正面のバーテックスを倒して完全に振り抜いた状態。
顔すら上げることは出来ず、迫りくる死だけが嫌でも理解出来てしまう。
この戦闘において千景は、初めて顔を恐怖に歪める。
青褪め、そして瞳を限界まで収縮させて震わせた。
根源的な死への恐怖が、表情以外を動かすことを許さなかったのだ。
見ずとも分かる、刹那には食いちぎられる未来図。
泣きそうな顔で正面を見つめたままに、その唇が微かに動く。
そして次の瞬間。
「――勇者パァァァァンチッ!」
千景の耳にその叫びが聴こえた瞬間、彼女の未来図から死が消えた。
頭上で何かが破裂する音。
"
「ぐんちゃんが正面をやってくれるなら、私がそれ以外をやっつけるよ!」
千景が顔を向ければ、腕を曲げて拳を力強く握りファイティングポーズを取りながら千景へと明るい笑みを向けた友奈の姿が見えた。
友奈の装いもまた、通常とは異なっていた。
白と薄桃色のドレス調ではなく、中に纏う黒のバトルスーツはそのままに、湾曲した真白な板が腕を覆う様に浮いて形成されている。武器である両手の手甲を覆う様にも板が浮かび、勇者装束となった際に伸びた、大きな桜型の髪留めで結われているポニーテールの髪は、変わらず腰よりも下の位置でたなびかせている。だが彼女の顔、その左目には腕を覆うのと同じ板がその中に桜の花の模様をあしらい、バイザーの様に覆っていたのだった。
友奈の"切り札"の一つ、
その姿に、千景の中で過度だった緊張が抜けていく。
笑みのままに友奈が続ける。
「だからぐんちゃんは遠慮せずバーテックスを倒し」
だが言葉の途中で、友奈の背後にバーテックス迫りその大きな口を開けて友奈に陰を作る。
「高嶋さんッ!」
状況を先に把握した千景が悲鳴の様に友奈の名前を叫んだ。
表情に焦りを宿して背後へと慌てて振り返る友奈。
「友奈、常在戦場を忘れるなよ?」
そこで見たのは、バーテックスが中心から水平に二分されて友奈の上下を通り抜けていく光景。
そして、太刀を横へと薙いだ若葉の姿だった。
変わらずの青を基調とした勇者装束で、友奈へと笑みを浮かべる。
「あはは……以後、気をつけます……」
乾いた笑いを溢しどこか恥ずかしそうに謝罪を述べた友奈に、若葉が息を吐く。
やがて若葉をその目を二人へと向ける。
「反省会は私も含めて、うどんを食べながらしよう」
「あっ! 賛成! 楽しい反省会になるよ!」
「……そうね……高嶋さんの言う通りよ……」
全員が再び迫りくるバーテックスを見つめる。
千景は正面を。友奈が正面側の右上を。若葉が後ろ側の左下を。
「ならば、これ以上の反省を……生まないようにしなくてはなッ」
「みんなでご飯食べようね!」
「……そうね、高嶋さん」
息を合わせた様に、三人が同時に視線の方向へと飛び出した。
心に秘めているものはまだ完全には消えていない。
けれど約束を果たす為にも、今は戦闘に集中するのだった。
だがそれは、すぐに果たされることはなかったのである。