湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
バーテックスの侵攻を防ぎ切り、再び安息のひと時。
だが勇者たちは、未だに日常へと戻れてはいなかった。
前回の侵攻は大規模で、千景と友奈以外の全員が"切り札"を使うほど。
誰もが傷付き限界まで死力を尽くしながら、何とかバーテックスを倒しきった。
けれど戦いが終わった頃には、既に気力も体力も限界。
そこに、"切り札"を使った代償が勇者たちを襲った。
死に体で意識を失った彼女らは、病院のベッドの上にいたのである。
幸いにもその間、バーテックスからの侵攻はなかった。
命に別状はないと判明した勇者たちだが万事解決とはいかず、未だに目を覚まさないという問題の他にも別の問題は残り続ける。
勇者たちは皆負傷し、すぐに動けるような状況ではない。
もしも今の状況でバーテックスが侵攻してきたならば、目を覚ましたとて"切り札"を使った負荷も相まって、満身創痍の勇者たちが倒せるか分からない。
誰かが命を落としてしまう可能性すら高く思える。
故にひなたは大社へとかけ合う。
勇者たちが戦えない今、湯田寛を送り出すべきではないかと。
ひなたにとって苦渋の決断。
湯田寛を戦場に送るとはつまり、もう一人の幼馴染を命の危険に晒す事と同義。
だが巫女として、勇者たちが倒れる今、背に腹は代えられない。
そして何より、大切な幼馴染がこのままだと手も足も出ずにバーテックスに殺されてしまうかもしれない。
病室のベッドで機器に繋がれながら眠る若葉を見ていると、ひなたの中でその思いが日に日に強まった。
一月に抱いた湯田寛への微かな疑念。
それがひなたの心を後押しするように、そう決断させたのだった。
湯田寛が戦場に出るにしても、たった一人。彼にもまた命の危険がある。
どちらにしても、幼馴染が命の危険に瀕する。
片方しか手を伸ばせない状況の中で、ひなたは若葉に手を伸ばすことを決断したのだった。
そしてその旨を大社に打診。
巫女という役職で影響力を持ち始め、徐々に組織内でも発言力を手にしてきているひなたの進言。
それは決して大社としても無為には出来ない。
ひなた自身もその事を知っているが故の、打診だった。
だが大社の回答は――否だった。
何度も食い下がるひなただが、大社の出した答えは変わらない。
つまり勇者たちが絶体絶命にある今も、勇者たちより湯田寛を大社は取ったのだ。
ひなたとは真逆の方針を示した大社。
それがひなたの心を大きく傷付けたのだった。
隠ぺいや情報操作をも行う大社だが、それは一重に神樹への信仰。
そして神樹から力を受けた勇者たちの神秘性を守るための行動でもあった。
故に大社は勇者を蔑ろにはしない。
少なくともそれだけは信じていたひなたに向けられた、大社からの拒絶。
ひなたの心に浮かんだのは、大社への疑念。
何故、そんなにも湯田寛を大切に扱うのか。
湯田寛が、そんなにも大切なのか。
勇者たちを犠牲にしてまで、守るべき必要があるのか。
そして以前よりも大きくなった、湯田寛に対する疑念。
ひなたは湯田寛に関する情報を聞いていた。
勇者たちから嫌われ恨まれる感情を蓄積することで、最大限に力を発揮する強力な"切り札"を持っていると。
だからこそ"それ"を溜めるための行動をし、大社がそれを許可している。
けれど、いつまで経ってもバーテックスに対する動きを見せない。
こんなにも勇者たちが傷付き動けない状況になっても、彼は動かない。
沈んだ心、苛立ちを抱えた心は、徐々にその原因へとその感情を向け始める。
幼馴染が苦しんでいるのに、何で力を貸してくれないのか。
これまで若葉が必死に頑張ってきたのだから、そろそろ動くべきじゃないのか。
今動かないならば、いつ動くつもりなのか。
一人で考えれば考えるほどに、ひなたの心の中には怒りが宿り始める。
"あの時"助けてくれた背中を知ってるからこそ、その背中を見せてくれない彼に怒りが増す。
心でまだ信じているからこそ、もどかしさが更に怒りへの燃料になった。
一週間後、ひなたは若葉の見舞いに行った。
未だに目を覚まさない若葉を悲し気な顔で見つめながら、その前髪を静かに撫でる。
けれど若葉には何の反応もなかった。
その姿に涙が込み上げるが、必死に堪える。
「……若葉ちゃん、今度は私が助ける番です」
小さな呟き。
同時にひなたの脳裏は、若葉との記憶だけで埋め尽くされる。
他の記憶を薙ぎ払い、若葉だけで埋めた。
静かに病室を後にしたひなたがまっすぐに向かったのは、やはり大社だった。
組織に言っても無駄なら、"個人"に言う。
そう決めて大社の中を歩けば、出会った。
以前、彼が姿を消した部屋。
そこから姿を現した、湯田寛。
立ち止まったひなたを一瞥することなく、寛はその横を通り過ぎる。
「……寛くん」
だが芯を込めたひなたの声で、足を止めた。
ひなたが静かに振り返れば、そこには。
"あの時"に見た背中があった。
何も言わず、寛は背を向けたままに佇む。
思わず懐かしさと、安心感がひなたに込み上げる。
だがそれを振り払う様に首を振った。
若葉を取って、湯田寛を犠牲にする。
痛む心を押さえて、ひなたは内心でそう決意を改めた。
「……若葉ちゃんが今どんな状態か、知っていますか?」
背中へと問い掛ければ、僅かな沈黙。
「……ああ、知ってる」
やがて聴こえた声は、数年前よりも大人びた声色に思えた。
声が聴けたことにひなたの心臓が僅かに早鳴る。
笑みを浮かべそうになった表情を、必死に抑えたのだった。
彼は若葉の現状を知っていると言っていた。
ならば話は早いと、ひなたは思う。
「……若葉ちゃんを始め、勇者の方々は負傷し動けない状態です」
言葉を告げるは、巫女として。
寛は反応を示す事なく、ひなたの声を聴いている様子だった。
幼い頃に自分や若葉が泣いた時には、なんだかんだそばにいて不器用ながらに慰めてくれた彼。
バーテックスが襲来した日、必死になって自分や若葉を助けて守ってくれた彼。
こうして久しぶりに声を聴けば、ひなたの中に燻っていた彼への疑念が消え去っていく。
あの頃と変わらない彼の姿に、気付いてはいないがひなたの頬は仄かに上気していた。
彼ならば分かってくれる。
また自分を、若葉を助けてくれる。
その思いが強まれば、ひなたの声色は自然と高くなった。
「若葉ちゃんを、助けてくれませんか?」
それは巫女としての言葉。
けれどそれ以上に、上里ひなたとしての言葉。
きっと、彼はまた助けてくれる。
もしかしたら既に助けようと、動いてくれているかもしれない。
広い背中を見つめるひなたの心臓が早鐘を打つ。
それは期待か、それ以外の何かを含んだものなのか。
声を聴いて湯田寛への疑念がなくなったひなたの心は。
「助けるわけないだろ。勇者なんだから死ぬまで働かせろ」
一瞬にして砕け散った。
「…………え?」
仄かに浮かんでいた笑みのまま、ひなたが声を漏らした。
寛はそれに反応することなく、やや間を置いて言葉を続ける。
「……話はそれだけか。無駄な時間を取らせるな」
それを最後に、再び歩き出したのだった。
ひなたはただ、仄かな笑みを固めたままに遠ざかっていく光景を見つめる。
やがてその姿が完全に消えた時、ひなたの中からも湯田寛の記憶が消え去った。
耳に届いた内容を理解した。理解してしまったのだ。
ひなたの中で信じていたものが、音を立てて全て崩れ去る。
他に誰もいない通路。
ひなたの手が、静かに握られた。
笑みはすっかりと消え、男が去って行った方向を見つめ続ける。
「…………ない」
自身の耳にも届かないほどの声量で呟かれた言葉。
それを繰り返し、何度も呟く。
ひなたは姿を変えずに、気付けば大社を後にしていた。
時間帯は既に夜。
暗い室内には、一つの人影があった。
床に座り込み、落ちている何かを掴み上げる。
「…………許さない」
その声と共に、手元からパキという小さくも甲高い音が響く。
音と共に指の間から二つに割れて床へと落ちた。
再びその手が、床へと伸びて一つを掴み上げる。
「…………許さない」
またも言葉と共に、パキという小さな音が響いて、掴み上げたものが指からすり抜け床へと落ちた。
再び床へと手を伸ばしたのは、上里ひなた。
再び掴み上げたものは、データを保存しておくための薄い小型のメモリーカード。
持ち上げたそれを掴む指に力を込めれば、パキと音を立てて二つに割れた。
やがて二つの破片が、静かに床に落ちる。
床へと落ちたそれは、数百と言える同じ破片に紛れて見分けがつかなくなった。
「……許さない……許さない……」
そう呟きながらひなたは、また別のメモリーカードを割る。
ひなたの心には、強い憎しみだけが渦巻いていた。
信じていた男に裏切られた。
いや、最初からあの男に騙されていた。
ひなたの脳内には、男との記憶が浮かんでは消える。
浮かんだ記憶の男の表情が、自分の事を馬鹿な女だと見下しているように思えて、慌てて消し去る。
「……許さない……許さない、っ……」
だからこうして、男の"記憶"を消していたのだった。
男のことを考えれば、その全てが憎くなる。
幼い頃から、危ない時は助けてくれて、泣いた時は傍にいてくれて。
離れていながら、見守っていてくれて。
命の危機にあんなにも安心出来る、身を任せたくなる背中を見せられて。
男を憎んで、ひなたは初めて気付いた。
湯田寛に、好意を寄せていたのだと。
積極的に関わられた訳じゃない。寧ろ関りは少なかった。
でも辛い時には、誰かが傍にいて欲しい時には、悲しい時には。
絶対に傍にいてくれた。大した話をした訳じゃないけど、一緒にいて気が楽になった。
そして危ない時には、絶対に助けてくれた。
こちらをみて安心したように息を吐く姿に、心が高鳴った。
「……許さないっ……許さない、ッ……」
それが全部、嘘だった。
全部あの男によって作られた紛い物だった。
ひなたの心が激情で荒れ狂う。
荒れ狂う心は、最もひなたを苦しめていた事柄へと集中していく。
「……許さないッ……許さないッ……!」
それは大社で、男が出入りする部屋。
男の力は精神的に不安定になる可能性が高く、巫女がそのサポートに充てられていた。
だからその部屋で何が行われていたのか。
ひなたは詳しく知るわけじゃない。けれど、何となくは理解していた。
気になって、担当になっている巫女たちにそれとなく聞いて回ったが、語られることはなかった。
けれどある日、あの扉が微かに開いているので、覗いたことがある。
裸の男、下半身に顔を寄せる巫女。
その光景は、ひなたにとって衝撃的だった。
部屋の中で何をしているのか、理解した。
口淫といった事をしている、と。
同時に、巫女たちが語らない理由を、理解した。
巫女たちが語れない理由を、理解した。
男の"世話"とは何かを、理解したのだった。
頬を微かに染めながら上目遣いに男の顔を見つめる安芸の顔を思い出して、ひなたの激情が更に荒れ狂う。
「許さないッ……許さない、許さない許さない許さないッ……!」
ひなたとてそういった知識は皆無ではない。
口淫とはどんな事なのか、性的なことなのだと出来てしまった。
あの部屋で仰向けになっている裸の男。
その男の股座に顔を埋め、上下に頭を動かす安芸。
「許さないッ、許さないッ……許さない許さない許さない許さないッ!」
頭に浮かんだ光景が余りにも心をささくれ立たせ、声を荒げると共に、二つに割れて床に落ちていた破片を右手で無造作に掴み上げて、勢いのままに壁へと投げつける。
だが映像は消えず、股座に顔を埋める女へと手を伸ばして優しく、その髪を撫でる男の姿。
「許さないッ! 絶対に、絶対に絶対に絶対にッ!」
両手で頭を押さえ、目を瞑り何度も強く横に振り乱す。
「消えてッ! 消えてッ! 消えて消えて消えてッ消えてッ!」
そう叫んで何度も首を横に振るが、更に自分の心を激しく乱す映像へと切り替わり続ける。
自室で一人、ひなたは憎悪に焼かれながら心の乱れを叫び続けた。
同時に思考が固まり始める。
あんな想像をして心を激しく乱されるのは、あの男のせいだと。
満身創痍となっている勇者たちに力を貸さず、何の力にもなっていない癖にあんなことをしている男のせいだ。
若葉が必死で戦ってる裏で、あんなことをしている男が許せないのだと。
あんな男を勇者よりも大切にしている大社が許せないと。
神樹は何故、あの男を戦いに出させる神託を下さないのかと。
あの男を、何故、動かせないのかと。
激情の全てを一人の男に向けて、ひなたは夜が明ける頃までもがき苦しむ。
そして夜明けを迎えた頃。
ひなたは静かに動きを止めた。
一人の姿は全て消し去り、若葉と二人の姿は、全て黒塗りにした。
全ての"記憶"を消し去り、塗り潰したひなたの顔が移り変わる。
徐々に、その表情から激情が消えていく。
やがていつものような、"笑顔"を浮かべた。
その頬は上気し、瞳は微かに潤んでいる。
ひなたの唇が、艶めかしく動いた。
「うふふ……そっか……"神託"が下りましたっ」