湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
四月に入った。
寒さは殆どなくなり、春の陽気が多くなった今日この頃。
丸亀城内を改装されて作られた道場にて、木刀が振るわれる風切り音が断続的に響いていた。
道場内にいるのは、ただ一人。
制服から動きやすい運動用の装いへと変えた、乃木若葉が木刀を上げては振り下ろす。
目を瞑り、一心不乱に素振りを繰り返していた。
これは若葉にとって日課の一つ。常在戦場が故、いついかなる時でも万全な状態を保つために。
けれど今日の素振りは、いつもより長い時間行われていた。
理由は、日課の鍛錬を超えた精神統一。
精神を落ち着かせるために、精神の乱をなくすために、若葉は木刀を振り続ける。
だが今はまだ、振る毎にリズムが一定ではない。
つまり若葉の中には、雑念があるということ。
その雑念を消すために若葉は、こうして素振りを続けていたのだ。
事の発端は、昨日。
大社にて神託の儀を行っていたひなたが帰ってきて、若葉を含めた勇者たちに告げた内容。
「今までよりも本格的な、バーテックスによる大規模な侵攻があります」
そう告げたひなたの顔には、巫女としての決意と共に、仲間を心配する不安が多分に含まれていた。
三月に行われた大規模な襲撃では、勇者たちは撃退に成功こそすれども、全員が倒れて入院するという辛勝といった結果に終わっている。
故にひなたの心配は、当然だった。
そして若葉ら勇者たちもまた、真剣の中に各々緊張を宿してひなたの話を聞き、その後の生活を送っている。
だが若葉がこうしていつもより長く素振りをしているのは、それだけが理由ではない。
続けるようにひなたから齎された言葉が、若葉の精神を乱していたのだ。
「それと、次回の戦闘の際……湯田寛も参加することになります。彼が先陣を切り、若葉ちゃんたちはそのサポートとして後方からの支援に徹してもらいます」
その言葉に、ひなた以外の誰もが動揺。
湯田寛はそもそも樹海化でも動けるのかという質問に、ひなたは肯定した。
ひなたは若葉たちに続ける。
「大社としても彼のデータを取る必要があるので、五分間は彼を主力として戦ってもらいます。それ以降は、樹海化をあまり長引かせるわけにはいかないので、若葉ちゃんたちも通常通り戦ってもらうことになります」
これはひなたが原案を進言し、大社側がそれを揉んで出した結論。
ひなたの口からそれは説明されず、若葉たちが知る術はない裏の事情。
大社としてもバーテックスの侵攻が増してきた現状に承認せざるを得ない。
だが若葉はひなたに訊ねる。
湯田寛が一人で戦闘するにしても、自分たちも他の区域で同時に戦闘した方がいいのではないかと。
それに対してひなたは、用意していた答えを告げる。
「神託で……湯田寛を前に出せ、と下されたんです。それを元に、今回の作戦が練られました」
神託。その言葉で若葉たちの反論の芽は潰された。
故に勇者たちは各々の感情を抱えたままに解散。
残った若葉はひなたから言われた。
「なので若葉ちゃんも、無茶はしないでください。前みたいに倒れた若葉ちゃんは、見たくないです……」
不安と恐怖を隠さないひなたがそっと身を寄せれば、若葉はそれを跳ねのける材料を持ち合わせてはいない。
そして昨日の今日。予定される襲撃日は、もう間もなく。
故に若葉は雑念を払うべく、素振りを続けていた。
若葉が抱く雑念。
それは、湯田寛に対する感情。そして印象。
今年に入ってから抱いた、湯田寛に対する微かな疑念。
三月の戦闘でも、決して心から抜けなかったその感情。
だからこそ、その雑念を残したままに次の戦闘に入るのは危険。そう考えた若葉は、早速と精神統一を始めたのだった。
寛が球子たちに行った脅し。大切な人を殺す。
寛が歌野たちに行った惨劇。守りたかった人たちを殺した。
そんなことを彼がする筈がない。そう思う若葉の心。
けれど実際に行われたと分かってしまう、彼女らの証言。
木刀を幾ら振れども、どちらかへと心が定まることはなかった。
「っ……」
やがてその腕が、木刀を振り下ろしたままに止まる。
「はぁ……はぁ……」
呼吸を乱す自分に、若葉は苛立ちが募る。
これしきの動きで息を上げる自分が、情けなかった。
情けないからこそ、精神が安定しないのだと理解する。
仲間の言葉を嘘だと思いたくない、勇者としての思考。
けれどずっと脳裏に残り続ける、"あの時"に見た背中。
「はぁ……はぁ……寛」
気付けば若葉は、幼馴染の名前を呟いていた。
常在戦場。故に"あの時"の、バーテックスに初めて襲われた時の映像が、常に脳裏を過る。
その背中の大きさと頼もしさ、安心感は、決して忘れられるわけがなかった。
だからこそ、思ってしまった。
次の戦闘では湯田寛も参加する。
自分たちよりも前に出て、先に戦う。
それはつまり、彼の後ろに自分がいる。
また、あの"背中"を自分は見ることになるのか。
そう思ってしまうと、雑念が増した気がした。
記憶が、鮮明に思い出される。
最初の"戦場"。突如現れたバーテックスに成す術もなく襲われ、食われる同級生たち。
何も出来ず呆然と見つめることしか出来なかった自分。
その光景を隠すように、まるで夢だったように視界を覆った背中。
長太刀を手にバーテックスを屠っていく、その姿。
戦場にも関わらず安心感を抱いてしまう蹂躙。
それをまた、見られるのではないか。
一度そう考えてしまえば、雑念が増し、若葉の鼓動が運動とは別に速さを増していく。
「……寛」
名前をもう一度口にしてみれば、やはり鼓動が速まる。
若葉の心は、揺れていた。
だからこそ縋ってしまう。
湯田寛のあの"背中"をもう一度戦場で見られれば、この心の雑念も精神の乱れもなくなるのではないかと。
憧れたあの姿を見れば、自分の中にある迷いを吹き飛ばしてくれるのではないかと。
それが果たして、仲間の言葉を信じる方向に傾くのか。
はたまた自分が見てきた方向に傾くのかは、分からない。
けれど、今こうして悩む心に光明が差し込むのではないかと思えた。
その思考を自覚し、若葉は小さく息を吐く。
「……もっと、精進しなければ」
一人きりの道場にて、呟く。
自分の心を自分で解決出来ない未熟さがあると気付かされたから。
まだ憧れに縋らなければ進めないのだと、気付かされたから。
未成熟な子供だと、若葉は自身そう評した。
同時に決意する。
憧れに縋るのはこれで最後にする、と。
自分で考え、自分で判断し、自分の決断を受け入れられる自分になると。
憧れを見つめるのではなく、憧れた背中になるのだと、決意を改めたのであった。
下ろしていた腕が静かに上がる。
頭上へと持ち上げ、振り下ろした。
木刀の風切り音が耳に届く。
先程よりも安定した音だった。
再び腕を上げて素振りを続ければ、やはり同じ音。
それを聴く度に、若葉の心には情けなさが募る。
けれどそれ以上に、憧れを抱く心には安定があった。
一定となった音を耳にし、若葉の中で雑念が消え始めるのが分かる。
バーテックスを倒すため。勇者として人類を守るため。仲間をまもるため。
そして、憧れた背中に追いつくため。
若葉は鼓動の早鳴りが収まるまで一人、素振りを続けるのだった。
夜。
室内にてベッドの上に、二人が並んで横になっていた。
「タマっち先輩、明日だね……」
暗い天井を見上げながら隣に寝る人物へと声をかけたのは、伊予島杏。
その声に反応し、杏の隣で人影がもぞりと蠢いた。
「安心しろ、杏。タマに任せタマえ」
言葉を返したのは、寝返りをうち杏へと身体を向けた土居球子だった。
杏を見つめる表情に笑みを浮かべながら、球子が続ける。
「杏のことは、タマが絶対に守ってやる」
球子の言葉に、杏が顔を向けた。
言葉と笑み。それを耳目で感じた杏の心に暖かいものが生まれる。
「……だからって、無茶しちゃダメだよ?」
故に生まれる不安。
ひなたから告げられたバーテックスの襲撃。
今までよりも強力で数も多い最大規模の侵攻。神託によれば、それが明日に迫っていた。
杏はそれに対しての恐怖をずっと持っていたのだ。
バーテックスに対して。命の危険に対して。
そして、今目の前にある光景が、二度と見られなくなるのではないかという不安に対して。
だからこそいつも通りに自信を示す球子に安心し、不安になる。
思わずと眉を潜めた杏。だが、球子の表情は変わらなかった。
「大丈夫、絶対に生き残れる。タマを信じタマえ」
どこか茶化した口調で雰囲気を明るくした球子だったが、杏の表情は変わらない。
「……でも、怖いよ」
杏が漏らしたのは、心の奥底に秘めた本心。
それは決して彼女だけが持っているものではない。
勇者の誰もが心の奥底に秘めている感情。けれど誰もが決して口には出さない本心。
杏もこれまでは、思っていても決して口には出さなかった思い。
けれど今、言ってしまった。
自分をそうさせた理由には、杏自身、心当たりがある。
「だって……"あの人"も、来るんだよ?」
それは伊予島杏にとって非常に珍しい、絶対に許せないと思っている人間。
湯田寛。自身と球子を巡り合わせてくれた安芸真鈴を、殺すと脅してきた男。
勇者として活動しなければ、安芸を殺す。その時の恐怖と怒りを、未だに杏は鮮明に覚えている。
バーテックスが襲来し勇者として覚醒して間もない頃。
武器も手にしたが戦う勇気がなくてただ怯えていた自分を、球子が助けてくれた少し後。
不意に現れたのだった。一緒に行動していた安芸を背後から首に腕を回して、反対の手で長太刀の刃を彼女の頬に近付けた男。
無表情に淡々とした口調で告げられた。
土居球子、伊予島杏。お前たちは勇者としての使命を果たせ。途中で投げ出す場合、この女を殺す。
その言葉を、声を、表情を。安芸の恐怖に満ちた顔を、球子の激昂も、杏は鮮明に思い出せた。
最初は、勇者として戦えと脅した理由から、大社による指示だとも疑ったが、やがてそれは違うのだと判明した。
二人から離れて大社の巫女となった安芸により、後から再開した際に湯田寛による独断行為だと、杏と球子は伝えられたのだ。
そして大社から寛には、安芸を殺すことは禁じるといった命令が下されたことも教えられた。
だが杏は、そして球子は、それを知っても決して安心を抱く事はない。
何故なら"あの時"の湯田寛の声は、目は、姿は、決してただの脅しでは済まないのだと、理解させられていたのだから。
故にあの男から安芸を解放させるためにも、二人は勇者という立場に身を置き続けた。
けれど四国の勇者となって最初の樹海化。
初戦ではバーテックスを目の前にして杏は、恐怖から勇者装束を纏うことが出来なかった。
その時の悔しさも、今でも憶えていた。
けれど球子がピンチになった時に、結果的にとは言え、勇者になることが出来た。
結果として無事に、バーテックスを倒すことが出来た。
そしてそのお陰で、安芸が殺されることはなかったのだ。
故に杏はずっと、樹海化中の内容は湯田寛には知られず、結果だけが安芸を殺すかの判断材料になると思っていた。
だが今回、湯田寛も戦闘に参加するということが分かり、樹海化中も彼が動けるのだと理解してしまった。
それにより最初の戦闘では、自分が変身出来なかったのを湯田寛が知らなかったんじゃない。
知っていた上で見逃されていたのだと、杏の頭脳は判断してしまった。
だからこそ、次の戦闘では湯田寛が見ている状態で戦わなくてはいけない。
その戦闘内容によって、安芸が殺される可能性だってある。そう考えると、いつもよりも前向きに戦わなくてはいけない。
故にいつもとは違う状況で戦う必要が出てくるかもしれない。
故に、次の戦闘への恐怖が隠しきれなくなった。
明確に戦闘を見られる。それは杏の中で緊張と恐怖を増す材料となっていたのだ。
前向きに戦闘しなければいけない。けれどそれを意識し過ぎれば、無茶をしてしまう。
そうなれば他の勇者たち、そして球子にしわ寄せ行って、怪我や命の危険を生じさせるかもしれない。
「"あいつ"のことは、タマに任せろ」
だからこそ球子は、自信を崩さずに杏へと返す。
ひなたから次回の襲撃に際しての内容を聞いてからずっと、球子の中に残り続けている感情。
それは激しい怒りと、憎悪。
初めてそれを抱いた"あの時"を、球子は決して忘れない。
刃を突きつけられて恐怖に震える安芸、そして同じく恐怖に震える杏。
大切な彼女らを怖がらせた、命の危険に晒させたあの男を、球子は絶対に忘れない。
自分の役目は、バーテックスを倒すこと。そして人類を守ること。
けれど球子は思う。
それ以上に、安芸を守る。そして杏を守ることの方が大事だと。
故に必ず守り抜いてみせると、自身を見つめてくる杏を見つめながら、笑顔の奥で決意した。
球子は気付いている。あの男が、大社から大事に扱われていることを。
神託がなければ、次回の戦闘でも姿を現すことはなかっただろう。
けれど姿を現したならば。戦闘に参加するのならば。
必要になれば"その命"を使ってでも、杏を守り抜いてやる。
冷静で、冷淡な思考がそう結論を出した。
明日に迫った次回の襲撃。
それに伴い、大社によって勇者の力がアップデートされていた。
今までの戦闘データからフィードバックを得て、漸くと実装に至ったらしい機能。
らしいとは、球子たち勇者や巫女にはその機能の内容が明かされてはいないのだ。
大社曰く、緊急時に動作する機能でまだプロトタイプのため、効果検証が完了するまでは過信を防ぐ意味で情報を公開しないとのこと。
故に球子たちは、新しい機能については忘れて今まで通り戦う必要がある。
だからこそ万が一、命の危険に瀕したら。
杏に危機が迫ったら。
湯田寛に身代わりになってもらってでも、杏を助ける。
故に明日は寛の近くで戦い、いざとなれば振り回せる位置に置いておく。そう考えたのだった。
「だから杏は気にせず、いつも通りタマの近くで戦えば大丈夫だからな」
そう言って左手を動かせば、杏の右手に触れる。
自然とその両手が重なり、握り合っていた。
暖かな感触を抱きつつ球子は、今一度の笑みを杏に向けて、やがて天井へと顔と身体を向けたのだった。
何があっても、必ず杏を守ってみせる。
その思考に集中するかの様に、目を閉じたのだった。
杏はそんな球子を見つめながら、思う。
球子を絶対に失いたくないと。
球子を失うくらいならば、湯田寛の命を使うと。
あの男さえいなければ、球子も安芸も幸せになれると思うから。
バーテックスとの戦闘でも、あの男に関しての意識を持ちながら戦うのは、効率が悪いから。
自分たちが生き残るためにも、彼女らが幸せになるためにも。
いざとなれば真っ先に、あの男の命を犠牲にする覚悟を持とう。
目を瞑り天井へと顔を向ける球子の横顔。それを見つめ、杏は決意した。
明日の夜も、明後日も、その後もずっと。この横顔を見続けるために。