湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
「最大火力だ!」
その叫びと共に、二人を乗せた巨大化した旋刃盤が高速で進化体へと激突して通り過ぎる。
球子が振り返って状況を確認。
「そんなっ! 効いてない!」
旋刃盤が衝突した箇所は、その表面が少しばかり傷付いている程度だった。
よろめきもしない姿を見て球子は思わず叫びを上げたのだった。
けれどすぐに思考を切り替える。
確かに、先程の攻撃では殆どダメージが入っていない。
しかし言い換えれば、僅かでもダメージは入ったのだ。
つまり完全に効いていない訳じゃない。
「くそっ!」
思わずと悪態を吐くが、状況は変わらない。
進化体から顔を戻して進行方向に意識を向ける。
「一旦距離をとってもう一度――」
苛立ちと焦り。攻撃が効かないことによる苛立ち。毒を抱える杏に対する焦り。
時間の猶予は樹海化も含めて幾ばくもなく、球子から徐々に冷静さを失わせる。
だからこそ状況判断を怠ってしまった。
まずは距離を取り、タイミングを見計らって再度同じく攻める。
落ち着く為にも進化体の攻撃範囲外に出ようと思った。
攻撃範囲外にでなければと、焦ったのだ。
頭上に陰が出来る。
刹那に訪れる、衝撃。やがて激痛。
木の根へと叩きつけられ、球子が意識を失わなかったのは奇跡と言えよう。
けれど身体に受けたのは圧倒的なダメージ。
それにより球子の"切り札"による強化が解けてしまった。
共に墜落した杏もまた強化が解け、二人の視界の遥か上から行われた尻尾の叩きつけによって抉られた根のクレーター内、球子の背後で気を失っている。
叩きつけの威力は凄まじく、粉々に粉砕された根の破片が土煙かの様に粉塵として大きく舞い上がった。
何も見えない視界。
たった一手で満身創痍とさせられた球子は、動くことが出来なかった。
けれど粉塵の中、正面から聴こえた微かな音。
風を切るような音を耳にした球子は、元の大きさに戻り落ちていた旋刃盤を無意識の内に掴み上げて、胸の前で盾のように構える。
辛うじて足を動かせが、右足を前に立たせ左脚はその場で膝をつくのが限界だった。
旋刃盤を装着した左腕に力を入れた瞬間。
正面から旋刃盤を通じて、左腕に多大な衝撃が伝わってきた。
気を失っていた杏が、静かに目を覚ます。
近くで鳴り響いていた甲高い音により、目を覚ましたのだった。
静かに目を開けて身体を確認すれば、気付いた。
「強化が、解除されてる……」
腕を、身体を確認した杏が呟けば、声が聴こえた。
「気が……ついたか」
その声と共に、甲高くも鈍い音が眼前から響いた。
思わず杏が顔を向ければ。
辺りを覆う粉塵を裂いて高速で迫りくる鋭利な、巨大な針。
それを杏の前に片膝をついて防ぐ球子の姿だった。
「タマっち先輩ッ!?」
遅れて状況を理解した杏が叫び声を上げる。
球子は額から幾つもの汗を流しながら衝撃に耐え、顔を向けずに言葉を返す。
「早く逃げろ、ッ……!」
それが告げられる精一杯だった。
再び針が二人から遠ざかる。
その光景を見て杏が叫ぶ。
「何言ってるの!? 逃げるなら一緒に……!」
だが、球子は動かない。
否。
「無理だ……足が、もう動かない……」
落ちた衝撃とダメージ。球子が最もダメージを受けたのは、脚だった。
辛うじて今の防御態勢を取れたのが最後。
これ以上動かすことが出来ない状況に陥っていた。
故に球子は願う。杏だけは無事でいてくれ。生き延びてくれと。
逃げられるまで防ぎ続けるからと、心で、気力で、進化体からの鋭い攻撃を防ぎ続けていたのだった。
自分はダメだ。故に杏は逃げるように「だから……」と言葉を続けた時。
「できるわけないよッ!」
杏から返ってきた言葉に、球子は苛立ちが湧く。
「でもこのままだと二人とも死ぬぞッ!」
結末が訪れるまでそう長くはかからない。
それ故の焦り。故の苛立ち。
だがそんな球子の背中を見つめる杏にも、強い思いがあった。
「嫌! 絶対嫌!」
まるで駄々をこねるような返答。けれどこれが杏の本心。
球子を一人にしたら死んでしまう。
それが分かったからこそ、絶対に認められなかった。杏には、球子を一人残して生きるだなんて、考えられなかったのだ。
故に二人で生き残ることに固執。だからこそ、このままで状況を打開する術を模索し始める。
球子も自分も、絶対に生きて帰るんだ。その思いが、杏をこの場に押しとどめた。
「このわかやず屋め……」
故に球子は悪態を吐く。
逃げてくれれば、良かったのに。
それが球子の本心。このままだと二人ともどうなってしまうのか、分かってしまうからこその本心だった。
けれどこうなった杏は梃子でも動かない。同時に球子は理解してしまう。
故に、結論を切り替える。
杏が逃げないのなら、それを守るしかないと。
必ず守り通すしか、ないと。
次の攻撃に備えて球子は右腕を始めとして全身に力を入れる。
タマは盾! 杏の盾だ! 傷つけさせない!
その思いを気力にして、身体と心を奮い立たせる。
杏は未だに視界を煙に包まれる中、動く右手にボウガンを持って、針が迫ってきた正面へと打ち続ける。
巨大化した旋刃盤での威力を見て杏は分析していた。
一撃一撃は目に見えて効かずとも、攻撃を続けていればいつかは影響が出てくるはず。
故に撃ち続ける。
なんとしても倒すんだ! タマっち先輩が守ってくれるなら私が倒す!
その一心で撃ち続ける。
やがて再び、粉塵の外から風切り音が近付いてくる。
杏の目覚めは早かった。前回の戦闘で"切り札"を使っていた事により、僅かながらでも"切り札"による強化状態への耐性がついていたから。
故に球子に襲いかかっている攻撃も、回数としてはそれ程多いとは言えない。
だが、今回の進化体は今までとは違う。
四国へと侵攻してくるバーテックスは回を増すごとに強さが増した。
何割増しというレベルではなく、まるで倍々で強さが増していたのだ。
何かを恐れるように、急ぐようにその強さを増し、諏訪のように徐々に強くなるという次元を超えている。
風を切りながら、尾の先端の鋭く大きな針が姿を現す。
それを見て球子が腕に力を入れる。
切っ掛けを見つけようと、杏が見つめる。
タマが。私が。絶対に――。
以心伝心の様に、互いの心が重なった瞬間。
球子が構えていた旋刃盤が砕け散り、勢いが消えなかった針が、球子と杏の勇者装束突き破って身体の中央を貫通した。
もしこの進化体の強さが、今までの進化体よりも少し強い程度だったのであれば、球子はもう暫く防げたに違いない。
もしこのタイミングで旋刃盤に罅が入っていなければ、あと一回は防げたに違いない。
だがそれらは、既に現実ではない"もしも"。
結果を外野に知らせるかの様に、二人を覆っていた粉塵が姿を消す。
「え、ふっ……」
「ご……ぼ……」
そこで漸く、二人は己の身に起きた結末を理解した。
あまりの衝撃により、痛みは感じない。
眼下に映る剥き出しの光景に、恐怖を超えた無心が訪れる。
やがて針が抜かれ、支えを失った身体は重力に従い静かに落ちた。
根の上に倒れればほぼ横並びで仰向けとなる。
他の勇者たちは、目を見開いて固まっていた。
「アンちゃん! タマちゃんッ!」
我に返った友奈が悲痛に満ちた表情で叫ぶ。
だが、球子と杏の耳には届いていなかった。
「ぁ……ず……」
唯一、杏の耳に届いたのはそんな微かな声。
顔を静かに右へと向ければ。
「ぁ……ん……」
色の失いかけた瞳を杏に向ける、球子の姿。
球子の手が震えながら、静かに上げられる。
それは杏の方へと伸び、微かに開かれた。
意識が薄らぐ中、杏は声の出ない口を動かす。
身体が徐々に冷たくなるのを自覚しながら、杏は自身の右手を球子に伸ばした。
……そうだね……タマっち先輩。
互いの手が、ゆっくりと近付く。
生まれ変わっても……また……。
今度はきっと……本当の……。
互いの手が、やがて重なり合う。
その時。
「――"覚"」
既に"切り札"を使っている歌野から、そんな声が他の勇者たちの耳に届いた。
「――"覚"――"覚"、ッ――"覚"ッ!」
何度も"切り札"を呼び起こす言葉。
その語気が強くなると同時に、轟音が響き渡った。
球子と杏を貫いた尾が、絡みついた鞭により引きちぎられたのである。
それを行ったのは歌野。彼女の身体からは皮膚が裂け、至るところから血が噴き出していた。
限界を超えた"切り札"の使用。それに二人が意識を向けた時。
「うああああああああああッ!」
友奈の口から、言葉にならない叫び声が溢れ出した。
同時に友奈の身体を取り巻く様に周囲が歪み始める。
色を失った瞳はやがて、色を灯す。
涙を流すその目には、激しい憎悪だけが宿っていた。
憎悪の対象へと顔を向け、その口が大きく開かれる。
「来いッ――"酒吞童子"ッ!」
その声と共に周囲の揺らぎ勢いを増し、燃え盛るように渦巻いては友奈の身体が紅蓮に包まれる。
やがて紅蓮が姿を消せば、友奈の装いは一変していた。
紅蓮の勇者装束。否、紅蓮の装備とでも言うべきか。
両腕は肩から甲冑のように外側に防具が備わり、肘から先の手甲は巨大なものへと変わる。
額の左右には一対の角が生え、その支えとして頭を半周するように後頭部へと白い線が伸びていた。
見た目は、鬼。これが友奈の"切り札中の切り札"、酒吞童子である。
身を屈めた友奈が、憎悪に満ちた表情のままに跳べば、次の瞬間には憎むべき進化体の眼前にいた。
「うおおおおおおぉッ!」
右手を振り被り、巨大となった手甲。その先の巨大な指甲を握り、拳を作る。
全力で押し出せば轟音と共に拳が進化体へと激突し、激しい轟音と共に拉げ砕ける音が響き渡る。
「ああああああッ!」
けれど友奈は止まらない。勢いのままに右手を引いて今度は左手の拳を振りかざした。
再びの轟音。
それと共に、威力に耐えられなかった進化体が崩壊を始める。
崩れ落ちる進化体を見つめた後、友奈の憎悪は別の進化体へと向けられた。
距離として近かったのは、若葉と歌野が戦っていた進化体。
「うああああああッ!」
起き上がろうとしていたその胴体を全力で殴れば。
鉄壁の硬さを誇る小柄な進化体の胴体が激しく拉げる。
だが同時に、殴りつけた友奈の右腕からも皮膚が裂けて鮮血が飛び散ったのだった。
「あああああああッ!」
しかし友奈は構わずに、馬乗りのような体勢でその胴体を殴り続ける。
一発、一発と進化体が拉げ、そして友奈の両腕から、更に全身から出血が増えていった。
「もうやめろッ! 残りは私たちが!」
衝撃から目を覚ました若葉が友奈へと叫ぶが、友奈は止まらない。
殴られていた進化体が胴体を激しく捩り、友奈の身体を吹き飛ばす。
「友奈!」
思わず若葉が叫ぶが、着地して後方へと身体を滑らせた友奈が、根を大きく抉って再び進化体へと飛びかかる。
だが身体を起こした進化体は持ち前の俊敏さで友奈の攻撃を躱し、離れる様に逃げていく。
「うおおおおおおおおッ!」
それを追いかけ友奈が拳を振るが、空振りに終わる。
だがその度に友奈の身体から新たな血が噴き出すのだった。
終わらないと思われた鬼ごっこ。
それは呆気なく終わりを迎えた。
「……さっきよりも動きがハッキリと読めるの。あなたももう終わりよ」
進化体が横へと身体を向けた瞬間、その言葉と共に歌野の鞭が足に絡められ、勢いよく転倒したのだった。
「うああああああッ!」
再び馬乗りとなり、両手で殴り続ける友奈。
それを見て歌野が若葉へと顔を向ける。
「若葉さん、もう一体をすぐに倒して。じゃないと友奈さんが持たないわよ」
歌野の言葉を向け、若葉の中で再び覚悟が決まった。
顔を動かせば、遠くに見える。
「……絶対に……絶対に、私はッ……お前はッ、絶対にッ……!」
必死の形相で進化体に突っ込む七体の姿。
そしてその四方から巨大な腕が迫る。
「しまッ……!」
千景が気付いた時、七体が圧死する直前だった。
目を見開き固まる千景。
怒りと恐怖。大きすぎるそれらに支配されて、攻撃が見えていなかった。
だから死の瞬間を、千景はただ見ているしか出来ない。
進化体の腕が一つに重なり、大きな衝撃音が鳴り響く。
千景はただ、その光景を見つめた。
「……大丈夫か?」
山伏の様な白い和装に袖の鈴懸、赤い結袈裟についている梵天。赤を基調とした金の縁の腰当てには白い帯紐が巻かれている。結袈裟を通す様に広がった大きな金色の首当ては菱形で、口元までを隠していた。肩口には紅葉の葉の様なデザインと色合いの浮き上がった装飾。
後頭部で髪を一つに纏めている髪留めは外側にかけて金色から紅葉色にグラデーションした十字架。その中心には日輪の様な輪がついている。
背中からは漆黒の大きな翼が生えて、その羽はまるで鴉。
乃木若葉が"切り札中の切り札"である"大天狗"を使い、刹那の間に千景を死の定めから掬い上げたのだった。
胸元で抱えられた千景は、呆然と若葉を見上げる。
地面へと降り立ち下ろせば、僅かにたたらを踏んで千景は若葉の前に立つ。
やがて千景は静かに進化体へと身体を向けた。
「……問題ないわ」
そう呟いた千景の、七人御先の衣装に隠された両脚は震えていたのだった。