湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
「……ふざけないで」
再び、同じ言葉が漏れ出る。
力無いくせに、弱いくせに、無力なくせに。
決してあの状況でも勇者に任せて、すぐに身を引くという選択をしなかった男の顔。
「……ふざけないでッ」
まだ戦えると言わんばかりに敵を見据える姿。
脚は震えておらず、安全な位置にも下がらない姿。
恐怖も怯えも絶望も、安堵も浮かべてはいない姿。
「……あんな男とは違うッ!」
その叫びと共に、怒りの形相を浮かべた千景が飛び出す。
心に浮かぶは、ただ一つ。
私は勇者なんだ。だからあなたとは違う。
その思いで、若葉に近付いた進化体の背後に接近。
私はあなたとは違う。無力だからって絶対に逃げない。
その思いで、"千景たち"は一斉に大葉刈を振り上げる。
絶対に逃げない。だって――。
土居さんを、伊予島さんを、白鳥さんを、乃木さんを、高嶋さんを傷付けた
その思いで、胴体の頂点であるたった一点へと七本を振り下ろした。
六本が弾かれる。だが残りの一本。
たった一本だけが、ごく僅かにだが刺さった。
小さな一歩。けれど千景の力でも通用すると分かった大きな一歩。
その一本を七人で掴む。
持てる全ての力を使い、更に押し込んだ。
あの男と違って、私は仲間を傷付けた相手を許せない。
自分の死と同じく、"仲間の死"がどうしようもないほどに怖いのだから。
その気持ちを全力で口にする。
「これでッ、おわ――」
だが最後まで言うことが出来なかった。
「……えっ」
突如現れた下からの衝撃に、千景が声を漏らす。
直後、六体が一瞬にして消え、千景の身体が上空へと跳ね上げられた。
強化状態が解除され、元の勇者装束に戻る。
状況を認識出来た頃には、千景の意識が薄れ始めていた。
進化体が、四本の腕を思い切り振り上げて、その途轍もない衝撃で千景の生命力が一気に消えたのだ。
薄れる思考で状況把握を終えた千景には、不思議と恐怖はなかった。
死への恐怖よりも、大きな思いがあったのだ。
「――千景の思いは私が受け継いだッ!」
……ああ……仲間、って……いいもの、なの……ね……。
千景は薄れゆく意識の中、下から光が見えた気がした。
微かに微笑み目を閉じた時、千景は身体に暖かい感覚が訪れる。
それに身を任せたのが、最後の記憶だった。
若葉は地面に片膝をつき、両手で握る生太刀を振り下ろした態勢で止まる。
頭上からは轟音と共に、周囲に火の粉が舞い落ちている。
終わった。若葉はそう心の中で呟いた。
どうにか根から抜け出した若葉が顔を上げれば、進化体の頭上に七本の鎌を振る下ろす千景の姿。
内六本が落下し、残っていた一本を七人で掴む。
それを千景が押し込めた瞬間、進化体の腕である四本が、背後へと一斉に振り上げられた。
一瞬にして上空へと跳ね上げられた千景の身体は、一切の力が入ってはいなかった。
その姿を見た若葉は激しい怒りが込み上げたが、視界に映り込んだものを見て、一気に冷静になる。
千景の愛武器である、大葉刈。
それが、進化体の頭上に刺さったままだった。
故に若葉の思考が切り替わる。
千景に攻撃したことで、全ての腕が背中側で振り上げられている。
ならば若葉が面する側は、完全な無防備となっていた。
脳の痛み、身体の痛みを全て抑え込むように叫ぶ。
「千景の思いは私が受け継いだッ!」
それとともに超速で飛び上がり、生太刀を両手で掴んで頭上に掲げる。
余計な思考は一切捨てて、視界へと全てを集中させる。
勝機を溢すな、掴み取れ。
その思考を最後に、思考すらも全て捨て去る。
大天狗の力を全て刃に宿せば、刀身が紅蓮の炎が現れた。
若葉に気付いた進化体が腕を前に出そうと動かすが、直線上に障害物さえなければ、今の若葉に速さで勝てる者など皆無。
空へと舞い上がり、翼の力で超速による急降下。防御の一切を捨てた一点突破の特攻。
四本の腕が若葉に触れる間際、その間を光となって若葉が通り過ぎる。
急加速で視界が狭まる中、若葉が唯一見続けたのは、進化体の頂上に刺さる大葉刈のみ。
それだけを目標に更に加速を行えば、骨や筋肉が限界を迎えた音が各所から響き渡る。
だが腕だけ持ってくれればいいと若葉は加速を続けた。
そして最高速度に至った時、大葉刈へと寸分の狂いなく、真上から生太刀を振り下ろしたのだった。
大葉刈が僅かに刺さり微かな亀裂を見せていた頂点。
若葉が速度という超質量を与えたことで、大葉刈が更に深く入り込み、頂上の亀裂が増す。
勢いは止まらず大葉刈が深く刺さっていき、亀裂が大きく広がった。
そのまま大葉刈がめり込むと同時に、進化体の頂点が二つに割れる。
内部に入った生太刀は命の炎を燃やしながら下へと進み続け、やがて正中線上に一本の軌跡を作り上げたのである。
そして炎に身を焼かれた進化体は、若葉の力を内部に留められず炎上。やがて爆散した。
全てが、終わった。そう確信し、若葉の中に思考が戻る。
バーテックスはきっと、また侵攻してくる。
だからそれまでには、今回の戦闘の怪我を癒さなくてはいけない。
その時、若葉の強化状態が解除された。青を基調とした元の勇者装束に戻る。
理由は二つ。
一つは、若葉が完全に"切り札"を使える状態ではなくなったから。
そしてもう一つは。
「……常在、戦場……なの……だが、な……」
思わずと若葉が呟く。
けれど浮かんでいる表情は、苦笑だった。
今回の侵攻は食い止めたという、安堵。
それが若葉から、力を抜かせたのであった。
故に苦笑してしまう。
犠牲は、考えたくもない。
だがそれでも、その犠牲を無駄にはしなかったという安堵。
それが若葉の心を埋めていたのだった。
不意に全身の力が抜ける。どうやら動ける限界をも迎えたらしい。
前のめりに倒れた若葉は、全身の痛みに耐えながら、微かに唇を動かす。
「……例え、次、立ち上がる、のが……一人、でも……必ず、守り抜いて、みせる……」
この身が例え尽きようとも。若葉はそう決意した。
故に次に備えて、今は休もう。
重くなった瞼を閉じようとした瞬間。
前方から突然、轟音が鳴り響き、大量の粉塵が舞い上がる。
痛む身体を必死に堪えて顔を向ければ。
「…………も、う……一体」
根から飛び出してきた
無傷で佇む進化体の姿を、若葉は目を見開いて見つめることしか出来ない。
意識は既に朦朧とし、思考が乱れ続ける。
身体は既に満身創痍を超えた状況。
万に一つも勝てる見込みはなかった。
だが。
「……何事、に、も……報い、を……」
掠れる声で呟き、若葉は右手に力を籠める。
握るは生太刀。だが震えるだけで、握り締めた感触は訪れない。
これを倒さなければ、人類に未来はない。
必死に身体を動かそうとするが、とうに限界を迎えた身体は震えるだけで一切反応しない。
ここで立ち上がらなければ、何が勇者か。
そう思う心はあれども、身体がついてこない。
意識もまた、限界を超えた作用で薄まり始める。
「……寝る、な、ッ……ま、だ……て、き……が……」
自分を奮い立たせる様に声にならない声を上げるが、身体と意識は重くなる一方。
このままでは神樹が、人類が、みんなが。
悠然と佇む進化体を睨む若葉の視界が、微かに滲む。
千景が、友奈が、歌野が、杏が、球子が。
仲間たちが命をかけて守り抜いた世界が、終わってしまう。
帰りを待つひなたが、水都が、死んでしまう。
「……泣く、な、ッ……泣い、て、も……なに、もッ……」
唯一今の自分が出来た行為を叱責するが、視界に映る
ただ何も出来ず、見ていることしか出来ない自分に、若葉の中で無力感が強まる。
勇者なのだから戦わなくてはいけない。
そう思う若葉だが、身体は震え涙を流すばかり。
痛み、そして恐怖から。
全てを失う恐怖が、若葉の涙を増やした。
けれど動けない自分。
更に薄れていく意識。
こんな時に動けない自分が、情けない。
命を失う覚悟は、勇者になった時から出来ていた。
でも何も出来ないままで死ぬのは、絶対に嫌だった。
故に薄れる意識の中、若葉は
絶対に許さないと、心の中で叫び続ける。
けれどそれしか出来ない自分に、心が折れそうになった時。
「…………ぁ」
若葉は微かな声を漏らした。
同時に、意識が急速に遠退いていく。
それは若葉の頭にそっと優しく、何かが触れた瞬間だった。
意識が朦朧として徐々に視界が虚ろに、そして閉じられていく。
その目と意識が完全に黒に染まる直前。
朧げな若葉が最後に見たのは、真白を基調とした装束の中心部が赤に染まる、長太刀を片手に立つ男の背中だったような気がした。
残る進化体は一体。今まで根に隠れて様子を伺っていた様だ。
だが勇者たちは皆、地に伏せてしまった。
戦場で今、バーテックスを眼前に佇んでいるのは、まるでこの戦闘の巻き戻しかのような光景。
「随分と、相手も……急いで、いるらしい」
進化体を正面に見据え、呟かれた言葉。だがその言葉はどこか、途切れ途切れといった様相。
静かに息を吐き、無理矢理に呼吸を整えた。
その目はひたすらに進化体のみを見つめ、やがて微かに唇が動く。
「――
その声と共に長太刀の刀身が、角度を後ろに下げれた遥か遠くの神樹にまで届きかけるほどに伸びる。
刃と峰の間隔までもが極大に広がり、遠目に見れば巨人殺しの大剣と見紛うほど。
最後の進化体はそれを脅威と感じ、素早く根へと潜る。
細長い胴体の上体を根に沈めた時。
張り巡らされている根の僅か上を水平に、武骨な刀身が薙がれた。
何の抵抗も受けず、男を中心にその視線内を右から左に剣先が動く。
真上から見れば前方へのたった半周といった円運動。けれどそれが終わった時、根に潜ろうとしていた進化体は両断され、その剣圧によって更に消し飛ばされるのだった。
張り巡らされた巨大な根の地面もまた、無事では済まない。大きく抉れ消し飛び、戦場だった場所は跡形もないほどに崩れ落ちたのである。
やがて何もかもの音が消えて静寂が訪れた。
この戦場で唯一立っていたのは、刀を振り抜いた男だけだった。
男は刀を元の長太刀に戻し、鞘に収める。
振り返った視界の先には――無傷の勇者たちが全員、気を失っていた。
「――勇者たちは、ここが限界か」
微かな独り言。
やがて前方へと歩き、静かに片膝をつく。
強化状態が解除され青が基調となったドレス型の勇者装束を纏う少女を、背中と膝裏に腕を入れて横抱きで持ち上げる。
意識を失い、重力に従ってだらり垂れる四肢と頭。
その姿を僅かに見つめ、男は力を入れて一足飛びをする。そうして辿り着くは今は根に覆われた丸亀城。
城内の敷地に静かに下し、再び飛び出す。
そうして再び戦場で倒れ伏す無傷の少女を抱え上げては、丸亀城内へと運ぶ。
繰り返すこと四度。
戦場へと戻ってきた男は、眼下に倒れ伏すその姿を見つめた。
仲良く手を繋いだ状態で横たわる二人。
「……悪いな。二人がいずれこうなるのは、分かってた」
そう呟いた男の表情に、驚きが浮かぶ。自分で、自分の言葉が信じられなかった様子。
口に出すつもりはなかった言葉を発し、やがて男は表情を歪める。
そうして先に、一際小柄な少女を抱き上げた。
その姿を間近で見た、男の顔から険が抜ける。
「だから俺だけを恨め。恨んで――生き続けてくれ」
小さな呟き。それが少女に届くことはない。
身体のどこにも怪我が見当たらない少女を抱え、男は飛び出す。
迫る丸亀城を見つめる男の眼下では、微かに胸を上下させる少女の姿。
やがて小柄な少女を下ろして、最後の往復に入る。
残る一人の少女を抱き上げ、見下ろした。
長いプラチナブロンドの髪が力無く垂直に垂れている。寝息のような呼吸をしている無傷の少女。
男は、この少女が誰よりも戦いに向かないことを知っていた。
故に思わずと呟く。
「……もうすぐ、"囚われの身"から解放される。こんな世界は、俺だけでいい」
それは少女に対してか、他に対してか。男自身でも理解していなかった。
けれどどこか宣言のように、決意のように呟き、男は丸亀城内へと飛んだ。
少女を下ろしたと同時に、樹海化が解除され現実世界が息を吹き返す。
眠る少女たちを見つめながら、男はスマホを取り出して電話をかけたのだった。
そして城壁の傍へと歩き、その陰に小さく畳まれていた服を取り出す。
黒いトレンチコートのような厚手のアウター。長さは踝辺りまでもある。
静かに羽織り、そして自分の身体を見下ろした。
やがて前側も完全に覆えば――腹から胸にかけて真白な装束ごと肉体を貫通した、血だらけの大きな穴が隠れたのだった。
男が歩き出せば、幾重もの汗が輪郭を辿りコートへと、地面へと流れ落ちる。
歯を食いしばり鼻から強く呼吸することで、その意識を保ち続ける。
到着した二台の車。バスを改装したような黒塗りの大型車と、黒塗りの普通車。
大型車からぞろぞろと降りてきた者たちが慌てた様子で男を通り過ぎるのを尻目に、男は普通車に乗り込みやがて車を発進させたのだった。