湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
バーテックスの襲撃から二日。
ひなたは今日も、若葉が眠る病室にいた。
大社へと願い出て昨日行った神託の儀により、直近でバーテックスの襲撃は無いと判明。
今回の大規模な襲撃により勇者の半数を失った大社は混乱と立て直しに追われ、ひなたが何か出来るといったことはなかったため。
そして何より、怪我は全て回復しているにも関わらず、未だに目を覚まさない幼馴染への不安と心配から。
医者の説明では、身体の怪我は治ったが"切り札"を使い続け、更に上の力までをも無理に使用したことによる精神的なも非常に大きく、それが原因でまだ目覚めない可能性が高い。
けれど身体が回復している以上、そう遠くなく目を覚ますに違いないと言われていた。
故にひなたは可能な限り、病院へと足を運ぶことを決めていたのだ。
若葉の病室にいる比重が多いけれど、両隣に位置する友奈と千景の病室にも定期的に訪れ、三人の目覚めを待つ。
水都は様子を伺いに訪れるが、三人の様子をちらりと眺めて、早々に病院を後にしていた。
まるで生き残った三人には、然程関心を抱いていないように思える姿。
だがひなたは、それを非難するつもりは全くなかった。
寧ろそんな水都の姿を、悲し気に見つめていたのだった。
そそくさと病院を後にする水都。
小さくなる後ろ姿を、ひなたは見つめる。
後を追わずともひなたには、水都がどこへ向かったのか分かっていた。
無人となり所有者のいなくなった農場。
そこに向かったのだろうと、ひなたは思っていた。
やがて心に浮かぶは、罪悪感。
決してひなたが抱く必要のない、苦しい感情。
水都は、歌野の巫女。それは諏訪にいた頃から変わらない関係。
役職を超えた固い友情で結ばれた二人の絆。
だが、水都にとって何よりも大切だと思える歌野は、死んだ。
絶対に失いたくないと思える存在が、死んでしまったのだ。
その現実を受け止めたくなくて、考えたくなくて水都は動き続けているとひなたは考える。
けれど現実のどこにも歌野は存在しなくて、思い出の場所で一人塞ぎこんでいるのだと、ひなたは理解していた。
だからこそ浮かぶ、不要な罪悪感。
ひなたにとってとても大切な幼馴染である乃木若葉。
若葉が生き残った自分が、水都を慰めることは出来ないと、ひなたは心を痛める。
寧ろ不用意に言葉をかけてしまうことが、水都の心を苛む原因になるのではないか。
あなたは大切な人が死ななかったから、そんなことを言えるんだ。
反対の立場だったのならそう思ってしまうかもしれないと考えてしまうからこそ、ひなたは水都と向き合うことが出来ない。
仲の良かった友人たちが死んでしまい、大切な人を失った者がいるのに、若葉が生きていて安堵してしまう自分。
ひなたはそんな自分を自覚するたびに、罪悪感が心の中に蓄積していくのだった。
誰にも話せない、心に残る負の感情。
それは自然と、一つの方向に流れる。
同じ負の感情である、憎しみへと。
こんな状況を作り出したのは、バーテックス。
それはひなたも理解している。
けれどどうしても、こんな状況にはならなかったんじゃないかという思いが、心に生まれ続けていた。
それは同じく戦闘に参加していた男、湯田寛。
彼は、あの男だけは、あの戦闘で怪我をせずに無事だった。
病院にも寄らず、すぐに元の生活に戻っている男を想像し、ひなたの心には激しい憎悪が湧き上がる。
水都へと抱く罪悪感もまた、男への憎悪の燃料となっていく。
勇者たちが倒れていくのを、殺されていくのを、安全な場所で見ているだけだった男。
それがひなたにとって、どうしようもないほどに腹立たしく、苛立たしい。
何故若葉や友奈、千景が傷付いて、あの男が無傷なんだ。
何故歌野や球子、杏が死んで、あの男が生き残っているんだ。
その苛立ちは考えれば考えるほどに強まり、決して落ち着くことはない。
勇者がバーテックスと戦うのは仕方のないことだと考えてしまえば、やはり"もしも"を生み出せたかもしれない者へと、全ての怒りが向くのだった。
こうなったのは全部、湯田寛のせいだ。
憎悪の果てに、ひなたの心が行き着いた思考。
バーテックスという絶対的で果ての無い敵よりも、身近で気ままに行動している不俱戴天の敵へと怒りの矛先を向ける方が、簡単だった。
味方にも関わらず、輪や場を乱す行為ばかり繰り返す男。
北欧神話のロキのような、日本神話の須佐之男命のような存在。
まるで、味方ではないかのようにも思える男。
「…………ユダ」
若葉が眠るベッドの横で、椅子にかけたひなたが呟く。
ユダ。それは、救世主たるキリストの弟子であるイスカリオテのシモンの子ユダ。
"裏切り者"の代名詞となった、その名前。
その名を呟いたひなたの心に生まれたのは、否定と納得だった。
人類が滅びるかもしれないのに、人類を裏切るなんてありえない。
けれど湯田寛の言動は、人類の希望である勇者を苦しめるものばかり。
球子と杏を脅し、諏訪の住人を虐殺し、こうして勇者たちを見殺しにした。
心は否定するが、思考が肯定を生んでいく。
そしてひなたは思った。
湯田寛の力を、見た事がないと。
バーテックスと戦う姿は、見たことがある。
けれどそれは決して、勇者たちから嫌われたり憎まれたりする前の話。
戦えてはいた。けれど今は戦わない。
その矛盾が、徐々にひなたの心を肯定へと傾けていく。
戦えないんじゃない。戦わないんだ。
その思考が生まれれば、ひなたの心と思考が一つにまとまった。
嫌われる、憎まれるといったことで、湯田寛は力を増幅しないのではないか。
元からバーテックスを倒す力があるのに、それを敢えて使わないのではないか。
それを使わない理由は――バーテックスを倒す必要がないからではないか。
勇者たちを全滅させ、人類を滅ぼすためじゃないか。
ひなたの中で、湯田寛の言動がその思考と一致したのだった。
故に浮かぶは恐怖と焦り。
人類が内側から食い破られる可能性がある。
大社は未だに、湯田寛に騙されている可能性がある。
ならばそれを早く大社に説いて、対策を練らなければ。
そう思い立ち上がろうとしたひなただったが。
「……んっ」
眼前から聴こえた微かな声で、その思考が消し飛んだ。
やがてゆっくりと開かれ、見えた紫の瞳に、ひなたの目から涙が零れ落ちたのだった。
大社にある一室。
一人の男が立ちあがり、その身に服を纏っていく。
真白な装束を隠す様に黒いシャツ、黒いチノパンを履き、更に上から足首辺りまでの長さのレザーコートを静かに羽織る。
髪の色と合わせて全身が黒で固められた姿は見る者の目を引き、同時に警戒心を抱かせる姿。
男の周囲には五人の少女が倒れていた。
彼女らの服装は、巫女としての正装。
だが等しく、肩から腰に掛けて一筋の切れ目が入っており、それを中心に赤い模様が滲む様に広がっていたのだった。
その中の一人、安芸真鈴の指が微かに動く。
身体を震わせながら、僅かに顔を上げた。
「……さい、ってぇ……」
声と顔を向けられた男が、僅かに驚きを浮かべながら真鈴を見下ろす。
真鈴の口が、男の声を待たずに開かれた。
「……急に……斬る、とか……最低の、男っ……」
その言葉に、男の表情が元の無へと戻った。
「なら、勇者にでも言えばいい」
感情を乗せない声色が届き、真鈴の目に涙が浮かぶ。
男の言葉を理解したから。
全身が傷付き、その身に秘める特殊な力がなければ決して生きてはいられなかった状態からの回復。
万全ではない。けれどある程度以上に動けるまでには回復した。
その時、男は四肢の拘束を破り、壁に立てかけてあった長太刀を掴む。
鞘から抜いた鋭い剝き身を、これまで献身してきた巫女たちへと振るったのだった。
何も分からないままに、倒れ伏す巫女たち。真鈴もまた同様。
唯一覚えているのは、男に突然斬られたという事実のみ。
これまで支えてきた自分たちを、何の理由もなしに斬り伏せた。
つまり。
湯田寛は、裏切ったという事実のみが最後の記憶となる。
辛うじて意識を残していた真鈴もまた、その心境だった。
何故、自分たちを斬ったのか。これまでずっと支えてきたのに。
これからのことも知っている。なのに何故ここで牙を剥いたのか。
まさか、これからのことが、嘘なのか。
全部嘘で、この男の掌の上で踊らされていたのか。
あまりの衝撃と痛みに、そう思ってしまった。
けれど返ってきた言葉で、意識が鮮明になる。
そして訪れるは、心の冷たさ。
悲しい、辛い、苦しい、悔しい。
それらの感情が一挙に、真鈴の心へと押し寄せたのだった。
真鈴は、流れ落ちる涙を気にも留めず、男の姿を見つめる。
「……生贄、じゃ……なか、った……の……?」
涙交じりの声が届いた時、男の表情が如実な驚きへと変わった。
その顔を見て、真鈴は思う。
やっぱりこの男は鈍感だ、と。
人の気持ちも知らないで一方的に決めつけて、自分を置いていくんだ。
嫌われる、憎まれる。それを最後に残して離れていくんだ。
だから、真鈴は告げる。
「……あんた、なんか……嫌いよ……大っ嫌い……!」
その言葉に、男はやがて表情を戻して「そうか」と、落ち着いた声色で返してくる。
真鈴はその姿を見て、思う。
やっぱりこの男は鈍感だ、と。
嫌いだ。大嫌いだ。憎い。憎たらしい。
そう思えば思うほどに、真鈴の鼓動が高鳴り続ける。
だから真鈴は告げる。
「あんた、なんか……どっかに行っちゃえばいいのよ……!」
男は何も返さない。
「あんた、なんか……二度と、顔も見たくない……!」
涙が更に溢れてくる。
「あんたのことなんか……死ぬほど嫌いよ……!」
顔も見たくなくて、真鈴は床へと顔を下げた。
僅かな沈黙。
「なら……お前の勇者に俺を殺させるんだな」
やっぱりこの男は鈍感だ、と真鈴は思った。
静かに足音が遠ざかっていく。
やがて扉が開き、閉まる音。
僅かな静寂の後に聴こえたのは、すすり泣く微かな声だけ。
「……バ、カッ……鈍感、男ッ……ばか、バカッ……!」
力の入らない手を、震えながらに握り締める。
「……やだっ……いなくなんないでっ……ずっと、アタシと一緒に、いてよぉ……!」
真鈴が男に伝えたのは、鈍感な男が気付かない、感情の裏返し。
好き。大好き。どこにも行かないでほしい。ずっと見ていたい。死ぬほど、好き。
男が去った室内で、それらの想いが真鈴の中で激しく暴れ回る。
去っていく男の雰囲気を、真鈴は感じ取った。
前だけを見つめ、後ろを決して振り返らない。それが分かった。
私たちが最後の心残りだったのだと、真鈴には思えた。
全てを知る自分たちにさえ嫌われ、憎まれれば、全てが完了する。
だから男はこんな暴挙に出たのだと。
「……バカに……しないでッ」
故に真鈴は苛立つ。
真鈴が抱いただろう感情を決め付けた、男に。
女の気持ちを分からない男に操られるほど、馬鹿じゃない。
本当の男の姿を知った後に表の顔を見せられても、女の感情はそう簡単には動かない。
「……恋する乙女を、舐めるな……バカ
腹いせのように呟くが、涙は止まらない。
何故なら、心から想う男が、止まらないのだから。
動かない身体、けれど動いている事柄。
その不条理に真鈴は、涙が止まらなかった。
本心を全て涙で覆い隠すように、泣き続ける。
涙が枯れたその時には、愛する男の望みを叶えるために動くことが出来るように。
「……アタシって、ほんとバカ……」
最低な男を好きになってしまった自分に、真鈴は呟く。
もしかしたら、男運がないのではないかとすら思えてくる。
けれど惚れた弱み。恋は盲目なのかもしれない。
自分に幸せと共に大きな不幸を背負わす男のために、きっと自分は動いてしまうんだろう。
そう思ってしまう自分に、真鈴は悲しさと、悔しさと、けれどどこか誇らしさを抱いた。
「……バカっ……アホっ……最低の、鈍感男っ……!」
だから真鈴は瞼が降りるその時まで、呪詛のように小さく叫び続ける。
愛する男を想って、愛する男を嫌うために。
愛する男の願いを叶えるために。愛する男の最期を見届けるために。
少しでも湯田寛の力になるために、真鈴は感情の裏返しを言葉にし続けた。