湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
襲撃があってから一週間。
仲間を失い消沈する心はあれども、勇者たちの身体は既に襲撃前の状態まで戻っていた。
怪我や傷の回復という意味ではなく、戦闘における身体の仕上がり。
その間は神託の通りバーテックスの侵攻はなく、勇者たちの精神も少しずつではあるが落ち着きを見せ始めていた。
けれど若葉には他の二人とは違い、日常における勇者としての役目があった。
今日はその、日常においての勇者の役目を行う予定である。
時間帯はまだ朝。
早朝の鍛錬を終えた若葉は、シャワーを浴びた後自室にて机に座っていた。
手元に持つは、一枚の紙。
その紙を見つめ若葉は思案していた。
書かれている内容は、ここ最近の世論を受けて、勇者として大衆を鼓舞する内容。
バーテックスの襲撃を受けて、三人の勇者が命を落としてしまった。
そして今回の襲撃で新たに戦闘へと参加した男が、大きな原因として世間から叩かれている。
湯田寛は勇者として失格。
湯田寛は人類に大きな損失を齎した。
湯田寛は人類に仇なす者だ。
湯田寛は人類を裏切ろうとしている。
日を追うごとに噂は尾が付きひれが付いていく。
一週間以上が経つ頃には、それらの噂が公然の事実かのように巷では言われるようになっていた。
故に若葉は、手元の紙を見つめる。
書かれている内容は、勇者として人々が抱く不安や恐怖を取り払う内容。
人々を安心させ、余計な混乱を生まないようにする言葉が並んでいた。
バーテックスには絶対に負けない。
人類は必ず勝利できる。
そして。
湯田寛は勇者たちが死力を尽くす中、戦闘を放棄し最後まで戦うことはしなかった。
それは決して勇気ある者、人類の希望とは言えず、噂に違わぬ人物である。
力を持つにも関わらずそれを人類のために使わぬ姿は、勇者とは呼べない。
力ある者がその力を正しく使わないのなら、それは人類の味方とは呼べないであろう。
バーテックスに利する行為をするのなら、それは則ち。
湯田寛は勇者ではない。
湯田寛は、人類の裏切り者である。
文章の最期に記された七行。
それが若葉を、素直に勇者としての役目に向かわせる気力を阻んでいた。
若葉とて、あの戦闘において湯田寛に対し見切りをつけている。
だがそれは勇者として。"憧れ"という存在に対して。
決して文章にあるように、人としての存在を否定するようなつもりはない。
若葉にとって湯田寛は未だに、守るべき人間の一人なのだから。
しかし世間は既に、湯田寛という存在は疫病神や悪といった存在にまで遷移していた。
テレビでは連日特集が組まれ、湯田寛を非難する内容が放送されている。
新聞や雑誌の紙媒体も、同じ。
ネット記事もまた、それに倣った記事ばかりが目立つ。
勇者が死亡。人類の希望の損失。
人々は不安になり、その原因として考えられるものがあれば、それに対して縋るように責め立てる。
若葉にはこの状況が正しいとは思えなかった。
例え自分たちほどの力がなくとも、彼はバーテックスを倒した。
勇者としての力は弱くとも、それが原因で人類から弾き出される謂われはないはず。
確かに、"勇者"ではないのかもしれないと、若葉は思う。
だが勇者ではない、としか思わない。
故に若葉は悩む。大社から渡されたこの原稿を読まなければいけないことを。
しかし大社とて、意地悪をしたくてこんな原稿にした訳ではないということも分かっている。
大社は神樹を信仰し、人類を守ることを最優先に考えている。
だからこそ大衆が不安になり、希望陰るのならば、勇者という希望によって再び光を灯すしかないのだと。
既に人々から嫌われている人間を、犠牲にするしかないと。
同時に若葉には、一つの疑念が残り続けていた。
それは昨日耳にした、大社における噂。
いつも通り授業を四人で受け終えた後、廊下で大社の人間が話している声が、三人の耳に届いたのだ。
湯田寛が大社内で巫女を五人斬り殺して、姿を眩ましたらしい。
微かに教室内へと届いた言葉を耳にし、その後は四人とも微妙な雰囲気の中で解散となった。
ひなたはどこかへと駆け出し、友奈はトレーニングに行くと笑顔で去り、千景は部屋に戻ると静かに教室を後にする。
若葉は今日の記者会見のことで大社の人間と会う予定があり、そこでこの原稿を渡されたのだ。
故にその話を思い出し、若葉は悩んでいた。
原稿をもらった際に、耳にしたその話を訊ねたが、その者は首を傾げるばかり。
故に若葉は今、悩んでいた。
所詮は噂の段階。だからこそ、決め付けたくはなかった。
何かの間違いかもしれない。人が人を殺すだなんて。
バーテックスという脅威がいる中で、そんなことが起こるはずがないと。
そう思いたいが、若葉の脳裏に浮かぶは、一月に行った旅館での記憶。
諏訪の住人を皆殺しにしたという、歌野から聞かされた話。
それが脳裏にこびりついて離れなかった。
故に若葉は悩む。
その時、扉が小さくノックされた。
「……若葉ちゃん、少しいいですか?」
若葉の耳に届いたのは、ひなたの声だった。
了承すれば、静かに扉が開かれる。
制服姿のひなたが姿を現した。
扉を閉めて、ひなたは若葉へと振り返る。
ひなたは優し気な笑みを若葉に向けた。
「もうすぐ記者会見ですが、緊張はしてないですか?」
その言葉に若葉は僅かに表情を和らげる。
「ああ。会見自体は慣れているしな」
「そうですか、ならよかったです」
若葉の言葉に、ひなたが笑みのままに小さく息を吐いた。
「これが、今日の原稿ですか?」
歩み寄ったひなたが、そう言って若葉の手元を覗き込む。
「そうだが……ちょっと、悩んでいてな」
若葉はつい甘えるように、ひなたへと本心を口にした。
それを耳にしながら原稿に目を通していたひなただったが、不意にその表情から笑みが消える。
「……それって、最後の部分ですか?」
「……ああ、そうだ」
やはりひなたも不自然と思ったのだろうと、若葉は考える。
だがひなたの口から告げられた言葉は、予想とは異なるものだった。
「……若葉ちゃん。これは、このまま言ってください」
「え……?」
若葉が思わずと聞き返すが、ひなたの表情は変わらない。
真剣な表情の奥に何かを潜ませつつも、若葉に言葉を返す。
「昨日教室で聞いた噂ですが……あれは、真実でした」
若葉の目が驚きで開かれた。ひなたが言う"噂"。それが何を意味するのか理解したから。
ひなたが続ける。
「五人とも一太刀で正面から切られ、命を落としたそうです。そしてその中の一人は安芸さん……球子さんと杏さんの、巫女だった方です」
若葉の脳裏に、過去の記憶が蘇る。
――ますずを殺されたくなきゃ、勇者になってバーテックスを倒せって言ってきたんだぞッ! 若葉の言う通りならあいつがバーテックス殺せるんだろッ!? 何であいつの代わりにタマたちがバーテックス倒さなきゃないんだよッ!
それは、一月に旅館で若葉が球子から言われた言葉。
「本当……なのか?」
掠れたような声が、若葉から漏れた。
僅かに顔を青褪めた若葉に、ひなたが頷く。
「そして、湯田寛は死体を放置して逃亡したのだと……大社から先程、確認が取れました」
ひなたは表情に険しさを宿し、若葉の目を見つめる。
「なのでこの原稿は真実です。大社は事実を把握し、湯田寛を人類の裏切り者として扱うことを決定しました。大社内で殺人があったことが公になれば、人々を余計に不安にさせるだけなので……巷で広がっている噂を真実として公表し、勇者とは仲間ではないということを、若葉ちゃんの口から言ってもらいたいんだと思います」
若葉はただ、ひなたの言葉を聞いていた。
衝撃と驚き固まる中、やがて思考が動き出す。
「……その後は、どうするつもりだ」
ひなたの言葉を聞いて、若葉に浮かんだ疑問。
自分の口から湯田寛との決別を口にしたとて、その後の行動に何か繋がるとは思えなかった。
湯田寛は勇者ではないと人々に伝えたところで、どうするのか。
人々の不安や恐怖は変わらないのではないかと、若葉には思えたのだ。
ひなたが口を開く。
「私が大社から聞いたのは、勇者の会見が終わった直後……湯田寛は人類の敵だという神託があったとして、大社から指名手配を出すようです」
「指名、手配……」
「はい。幸いあの男は私たちと同じ端末を持ったままらしく、大社で追跡は行えているようです。ですので勇者の会見が終わり次第、湯田寛は人類の敵という公表をしながら、同時に拘束するみたいです」
僅かな沈黙。
やがて若葉の口が開かれる。
「……拘束された、後……彼は、どうなる」
若葉の口から出たのは、微かに震えた声。
「それは、聞かされていませんが……大量の罪なき人々を殺めてしまっているので、恐らくは、相応の罰が下されるかと……」
ひなたの言葉に、若葉の身体が微かに震える。
何故震えたのか、若葉自身にも分からなかった。
ひなたが若葉の手を静かに握る。
「若葉ちゃん……大丈夫です。若葉ちゃんは何も気にする必要はありません。悪いのはあの男であり、若葉ちゃんは正しいことをするんですから」
優し気な口調でひなたは続けた。
「それにもし何かあっても、私は若葉ちゃんの味方です。私だけじゃなくてきっと友奈さんも、千景さんも……他の人たちも皆、皆、若葉ちゃんの味方です」
その言葉と共にひなたは、優しく若葉を抱きしめる。
腕の中で若葉はただ、原稿に目を見つめていた。
暫くと続けていれば、ひなたが微かに顔を動かす。
そして口を開いた。
「……そろそろ、時間ですね」
言葉と共に、ひなたは名残惜しそうに身体を離す。
若葉と顔を合わせ、静かに口を開く。
「若葉ちゃん……大丈夫ですか?」
心配を含めた声色に、僅かに沈黙。
やがて、若葉が口を開いた。
「……ああ、問題ない」
その言葉と共に原稿を丸めて筒状にし、片手に持ったままで若葉が立ち上がる。
反対の手に持ったスマホでアプリを開き、画面をタップ。
次の瞬間には、若葉は青を基調とした勇者装束を身に纏っていた。
ひなたを横に伴い、若葉は部屋を出たのだった。
記者会見の場。記者やカメラの前でお立ち台へと登った若葉。
数多のカメラと視線が、彼女へと向けられた。
若葉が視線を僅かに下げれば記者たちの前。お立ち台の真下には若葉へと向けられたモニターが一枚置かれていた。
そこには僅かに視線を下げる若葉の姿が映っており、生放送されている画面なのだと理解。
視線を正面に戻し、手に持っていた原稿を広げる。
胸の前で両手で持ち、若葉は静かに口を開いた。
「今日はこの場に集まっていただき、ありがとうございます」
凛とした声は、自然と周囲のざわめきを掻き消す。
その後ろ姿を少しばかり離れた場所で見つめるは、制服姿のひなた。
隣には同じく制服姿の友奈と、千景の姿があった。
ひなた以外は若葉の持つ原稿の内容を知らない。
故に友奈はどこか不安げに、千景は僅かに目を細めながら若葉を見つめていた。
若葉は勇者として相応しい表情のままに話を続ける。
「この度、三人もの大切な仲間が、命を落とした。土居球子、伊予島杏、白鳥歌野の三人は人類を守るために必死に戦った! 正に勇者という姿を最後まで見せていた! 私は三人のことを心から尊敬し、その思いを確かに受け継いだ!」
原稿には二言程度しか書かれていない内容。
けれど若葉は、自然と生み出る言葉を声に乗せ続ける。
「勇者が減ったと不安になる者もいるだろう! もっと強い敵が現れたらどうするのかと恐怖に駆られる者もいるだろう! だが決して不安になる必要はない!」
記事にするために写真を撮ろうとしていた記者が、顔を上げて肉眼で若葉を見上げる。
生放送で撮影しているカメラマンが、カメラから顔を上げそうになり慌てて画角を戻した。
誰もが若葉の言葉に、魅せられていた。
「私、乃木若葉は! 高嶋友奈は! 郡千景は! 球子と杏と歌野の意思を受け継いだ! 例え姿は見えずとも、私たちの心には常に三人がいる! 戦場では六人の心で戦い続けているのだから! 人類は必ず勝ちますッ!」
ひなたは、友奈は、千景は、若葉の後ろ姿を見つめていた。
遠くに見えるにも関わらず、その背中は大きく安心感を抱いた。
正面で見る者たち、そして画面越しに見る者たちもまた、不安だった心が若葉を見ていると薄らいでいく。
「そして私たちだけではない! この四国に生きる一人一人が皆、勇気を持つ勇者です! あの天災の悲劇からもうすぐ四年。それでも今生きていてくれる一人一人が人類の希望なのです! 生き続けるとは戦い続けること! ならば今生きている皆さんは私たちと同じく戦い続けているのです!」
誰もが、若葉の姿に、声にこう思うだろう。
「一人でも戦い続けている限り! 人類は絶対に負けません! 一人一人が戦い続けていることを知っているからこそ、私たちは絶対に負けません! 私たちは奴らなどに負けはしない! だから希望を持ち続けよう! 侵略者から全てを奪い返す未来のためにッ!」
乃木若葉は勇者である、と。
手元を見ずに語った言葉は、似た内容が原稿には書かれていた。
けれど言い放った若葉の声が、言葉が、姿が、人々に思わせた。
乃木若葉は勇者である、と。
ひなたは微笑む。これが乃木若葉だと。
友奈は笑みを浮かべる。勇者である自分が何をすべきか、一つにまとまった。
千景は顔を逸らす。今の千景に若葉の姿は、眩しすぎた。
けれどやがて、微かに笑みを浮かべた。
若葉の言葉の全てに賛同した訳ではない。だが仲間を想う姿にはどこか、共感を覚えたから。
若葉の目が、静かに下へと向けられる。
視線の先には原稿。
その、最後の七行が書かれていた。
僅かな沈黙。
誰もが若葉の次の言葉を待っている。
若葉は震えそうになる身体を必死に押さえつけた。
最後まで若葉が原稿を読み上げれば。
湯田寛は拘束され、ほぼ間違いなく殺される。
それが若葉には分かっていた。
巫女の殺害、諏訪での殺害。
これらが真実だったとするならば、湯田寛に情状酌量の余地はない。
ならば拘束された彼に何が待っているのか。
ひなたが言う相応の罰とはつまり、"死"なのだろうと、若葉は思った。
つまり若葉がここからの言葉を口にした場合。
湯田寛は、死ぬ。
若葉のかけ声一つで、死んでしまう。
だからこそ若葉は、口の中が渇くほどに緊張し、五月蠅いほどに心臓が鼓動を速めていた。
自分が、湯田寛を殺す。
そう考えれば、身体が震えそうになる。
そう考えれば、言葉が出なくなる。
若葉の沈黙に、記者たちが首を傾げる。
後ろで見つめる友奈と千景もまた、首を傾げた。
ひなたは一人、目を細めて若葉を見つめていた。
若葉という少女の優しさと繊細さを、ひなたは知っている。
だからこそ彼女の中に渦巻く感情を理解していた。
けれど、それでも。
若葉は勇者として言わなくてはいけない。
記者会見の場ということもあり、ひなたは何の手助けも出来ない。
だから若葉が、自分で決断して言わなければいけないのだ。
バーテックスから人類を守る"勇者"。
これまで若葉はその役目を十二分に果たしてきた。
だがここからは、これからは、人類を導く"勇者"として、若葉は存在しなければならない。
綺麗ごとだけでは、人々を導くことは出来ないのだから。
故にひなたは思う。
ここが"乃木若葉が勇者である"ための、分水嶺だと。
ひなたは若葉がそれによってどう変わっても、隣で寄り添う覚悟を決めていた。
友奈や千景には、この"勇者"としての役割は、あまりにも重すぎる。
若葉しかいないのだ。
若葉にしか務まらない、これから一生付き纏う"勇者"としての役目。
ひなたはこの"役目"を若葉に押し付けたという罪悪感と後悔を一生、胸に秘めて生きていくと決めた。
だから絶対に若葉から離れないと、決めていた。
故に心の痛みを無視して、ひなたはただ見つめる。
先程とは全く違う、辛そうな小さい背中を。
若葉は口を開こうとするが、上手く動いてくれない。
声を出せば、人を殺してしまうから。
バーテックスではない。人間を殺してしまうのだ。
若葉が直接手を下すわけではない、けれど若葉がきっかけで死ぬのだ。
もしかしたら本当に殺人を犯していたのかもしれない。
けれど知人を。幼馴染を殺すという決心は、容易につくものではない。
微かに呼吸が荒くなる。
湯田寛を殺す。その覚悟が、若葉には出来なかった。
殺されないかもしれない。でも、殺されるかもしれない。
楽観的な思いが浮かべばすぐに悲観的な思いが生まれ、やはり口を開けなくなる。
俯いた若葉の沈黙が続き、記者たちがざわつきだす。
その中の一人が堪えきれず口を開こうとした瞬間。
若葉の眼下に設置された、生放送で若葉を映していた画面が突如切り替わる。
「……え?」
微かに、若葉の声が漏れた。
突然の事態に、若葉が驚きで固まる。
映像が切り替わった画面。
そこには海が映っていた。
更には水面から飛び出している、画面の中央付近を横断する壁。
それはよく見ると全て"根"の塊であり、壁が何の役割を果たしているのか若葉は既に理解していた。
つまりは人類を守る結界が張られている場所だった。
映像はどうやら瀬戸内海を縦断する大橋からされている。
映像が徐々に根の壁へとズームされ、やがてその頂点が拡大された。
若葉の目が驚愕で見開かれる。
同時に、モニターに内蔵されたスピーカーから、会見の場全体に音が響いた。
『愚かな人類よ、今日が人類最後の日となる。もしそれを望まないというのなら――勇者たちよ、ここへ来てこの俺……"湯田寛"を倒してみろ』
足首辺りまでの黒いレザーコートを風にたなびかせ、十メートルほどの長太刀を右手に持った、湯田寛がテレビを通して、そう宣言をしたのだった。