湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
突然の事態に、会見の場が騒然となる。
記者たちだけでなく、若葉の背後にいたひなたたちもまた、衝撃から抜け出せずにいた。
「……今の、って……かん、君?」
呆然とした友奈から、声が漏れた。
だが彼女の言葉に返す者はいない。
代わりにモニターからまた、声が届く。
『俺は人類の敵であるバーテックスを統べている。勇者たちが来なければ、全てのバーテックスをここに仕向ける』
その言葉に、記者の誰かが小さな悲鳴を上げた。
ひなたは漸くと我に返り、若葉の下へと走り出す。
それを見て友奈と千景もまた、追うように走り出した。
若葉と共に、三人がモニターを見下ろす。
そこには声の通り、全身を黒で纏った湯田寛が映っていたのだった。
画面の中の口が動く。
『まずはお前らに、絶望を見せてやろう』
寛はそう言って壁から飛び降りる。
大橋の上に着地し、カメラへと近付いた。
腕を伸ばし、カメラを掴み取る。
そのまま歩き出せば、寛の動きに合わせて画面が揺れた。
若葉たちだけでなくモニターへと集まった記者たちもまた、固唾を呑んでその映像を見つめる。
寛は大橋を歩き続け、根の壁の隙間を通り抜けていく。
そして――結界を抜けた。
「ッ……」
誰かが、息を呑んだ。
それは記者の誰かであり、若葉たちの誰かでもあった。
そしてこの放送を見ているテレビの前の者でもあり、インターネットの動画サイトで生配信を見ていた者でもあった。
即ち、不安を抱き勇者の会見で希望を抱こうとした者たちが、映し出された光景を見たのである。
記憶にある大海原や島、本州は、どこにもなかった。
空はまるで宇宙のように暗く、剥き出しの地表から大量のマグマが噴き出せばプラズマが発生し稲妻となる。
空間に漂うガスに引火して、マグマの上に巨大なプロミネンスが発生し、黄色と赤が入り混じる炎のような見た目で宙に大きく弧を描いたのだった。
上空にはまるで星々のような無数の点。
だがよく見れば移動が速く、目を凝らせばそれがバーテックスだと理解出来る。
空を埋め尽くしている無数の星々。その全てが、バーテックスだった。
原初の地球か、はたまた太陽の表面か。
見る者によって印象は様々だが、共通する思考は――地獄だった。
視聴者はただ、その光景を見つめる。
これが、四国の外の現実だった。
現実味の無い現実を見つめる彼らに、声が届く。
『こないだのバーテックス襲撃から七日後、不要となった世界を燃やし尽くした。つまりお前らの住む四国以外には――人類は存在しない』
四国のどこかで、誰かが悲鳴を上げた。
四国のどこかで、誰かが絶叫した。
会見場で、勇者と巫女は身体を強く震わせた。
やがて寛が踵を返す。
結界へと入れば、地獄の光景が姿を消した。
根の壁を越えれば再び青い海と空が映し出される。
それは観る者全てに、大きな安堵を齎す光景だった。
やがてカメラマンと思える、タブレットを片手に持った男性にカメラを返した寛が、再び壁の頂上に跳ぶ。
再び青空を背景に、寛の姿が映し出されたのである。
『残る人類はここだけだ。それを根絶やしにすれば、俺の目的も達成する。だから暇潰しにでも遊んでやろうと思ってな。万が一でも勇者たちが俺を倒せれば、お前たちは助かるだろう』
ひなたはただ、画面を睨みつけていた。
激しいまでの憎悪。歯ぎしり音が外へと漏れる。
千景はただ、画面を見つめていた。
けれどその瞳は収縮し、不安定に揺れている。
友奈はただ、理解に苦しんでいた。
何故、外の世界がそうなっているのか。何故、寛がこんなことを言っているのか。
全てが理解出来なかった。
若葉はただ、食い入るように画面を見つめた。
衝撃の事実、光景。けれどそれ以上に、湯田寛を見つめていた。
『だが半数が死んだ勇者では、勝てないと臆して来ないのも納得出来る。残念だったな、前回の戦闘であの三人が――俺によって殺されなければ万全だったろうに』
全員が、寛の言葉に息を呑んだ。
「…………え?」
やがて、友奈が声を漏らした。
それに答えるかのように、湯田寛が口を開く。
『気付かなかったか? 戦闘中、何故俺が身を引いたのか。ただ何もせずにいたと思っていたなら、随分と実直で可愛いものだな』
どこか見下すような口調。
嘲るような口調。
「……何を、したの」
友奈が言葉を返す。何かを我慢するような声色。
その瞳には、強い感情が点滅していた。
無表情の湯田寛が微かに、口角を上げる。
『お前らが苦戦してる間に、背後から邪魔をしたに決まってんだろ。あの馬鹿共は簡単に引っかかって……すぐに死んでくれたよ』
「……許さ、ない」
友奈が呟く。
口角を僅かに上げたまま、寛が返す。
『言葉だけで動かないのなら、そこで情けなく震えていろ。勇者としても未熟なあの雑魚共と、本当にお似合いの仲間だな』
「絶対にッ、許さないッ!」
友奈は叫びと共にスマホがタップされ、勇者装束を身に纏う。
『全く、威勢だけは一人前だな。"あいつら"と同じで、お前も――人類を守るとは、口だけなんだろ?』
「三人を馬鹿にするなああああああッ!」
「た、高嶋さんッ……!」
寛の言葉を受けて、瞳に憎悪を宿した友奈が全力で飛び出した。
我に返った千景が慌てて呼び止めるが、友奈の耳には届いていない。
瞬く間に小さくなった友奈の姿を千景が見つめていると、モニターから声が聴こえる。
『なんだ、来るのは一人だけか。他の者は勇者と言っても所詮、口だけか』
その言葉に、千景は身体を震わせてモニターへと顔を向けた。
湯田寛と、目が合う。
『勇者として活躍したくても、どうせ自分の命が惜しいんだろ? 自称勇者は全員から無様に蔑まれ袋叩きに遭いながらも、無力で情けなく泥水を啜りながら惨めに生き続けていればいい』
千景の身体が大きく震えた。
脳裏に浮かぶは、勇者になる前の記憶。
村中から蔑まれ侮蔑され甚振られていた毎日。
両親からも疎まれ、誰からも嫌われていたあの日々。
その頃の自分に戻ってしまう姿を、想像してしまった。
『勇者の真似事で悦に浸る時間は終わりだ。戦う意思がないのなら勇者ではない。ならば、元の生活に戻るのは当然だろう? 無力で誰からも認められず、敬われず、評価などされない……ただ情けなく自分の殻に閉じ籠るだけの生活にな』
「……違う……私は、違う……」
モニターを見つめながら、譫言のように千景が呟く。
その瞳の揺れは更に大きくなり、呼吸までもが荒くなる。
『逃げたければ逃げればいい。その醜態は全員が見ている。もしも勇者が俺に勝った場合、死ぬまで後ろ指を指される人生を堪能する権利を得られるぞ?』
「……違う、っ……私は、そんな人間じゃ、ないッ……」
「……千景さん?」
千景の様子がおかしいことに気付いたひなたが声をかける。
だが千景は両手で頭を抱え、俯きながら首を振る。
「……私は、勇者なのよッ……惨めな人間じゃ、ないッ……!」
「千景、さん? 大丈夫ですかっ、千景さん!」
ひなたが千景の肩を掴んだ瞬間。
「うるさいッ!」
「きゃっ!」
千景が腕を払ってひなたを突き放した。
震える手でスマホを握り、千景は画面をタップする。
そして次の瞬間には勇者装束を纏っていた。
『俺を倒さなければ、今までよりも惨めな人生を送ることになるぞ』
「……殺、す……殺せば……あいつを、殺せばッ……!」
「千景さん!」
瞳を不安定に揺らしたまま、必死の形相で千景が友奈と同じ軌跡を辿る。
ひなたの声はもう届かず、焦りを抱いたひなたが顔を上げた。
「若葉ちゃん! 若葉ちゃんっ!」
縋るように、求めるように声をかけたひなただったが、檀上の若葉はモニターを見下ろしたままに動かない。
「若葉ちゃん! 二人が!」
再びの声にも、若葉は反応を示さない。
そこに、モニターから声が届く。
『どうやら二人は戦うらしい。だが、残る一人はまだ戦う決心がつかないらしいな』
届いた言葉を、若葉はただ見つめる。
若葉の心は、衝撃から回復出来ていなかった。
湯田寛を殺す言葉を決心しきれず、けれど周囲から急かされる重圧と、勇者だから言わなければいけないという重責。
その全てが若葉の心を硬直させていた時に訪れた、湯田寛からの言葉。
壁外の光景には衝撃を受け、やはり湯田寛の口から告げられた裏切りを思い出して、衝撃から抜け出せないままだった。
目まぐるしい感情の連鎖に、若葉は上手く思考が出来なかった。
自分が何をしなければいけないのか。
戦うのか、人々を安心させるために言葉を届けるのが先か。
置かれた状況が、若葉から冷静さを完全に奪っていたのである。
だからひなたの言葉にも反応出来ない。
けれど記者たちに声を発することも出来ない。
呆然自失となっていた若葉に、声が届く。
それは記者でもひなたでもない。
画面越しで再び口角を微かに上げた男から。
『来ないのなら、他の勇者が死んでも文句は言うなよ。来ずに他の者が死ぬのなら、それは来なかった者への報いだ。ある言葉を教えてやろう――"何事にも報いを"』
それを最後に、モニターの映像が若葉へと切り替わった。
画面に映る若葉は俯いており、身を縮こまらせる姿は、勇者とは思えない。
ただのか弱い少女が、若葉の目に入った。
それを見つめ、若葉が口を開く。
「……お前が、それを言うか」
持っていた原稿が、静かに握りつぶされる。
「……何事にも、報いを」
言葉にすれば、その意味が鮮明になる。
何をすべきか、鮮明になった。
何事にも報いを。
ならば若葉は、何をすればよいのか。
原稿を投げ捨て、若葉が顔を上げる。
向けるはカメラのレンズ。
浮かべるは先程までと同じ、凛とした表情。
その場にいる誰もが、若葉が纏う雰囲気が変わったと察した。
誰もが若葉の言葉を待つ。
何事にも報いを。若葉は心の中で今一度呟いた。
「……湯田寛は勇者ではない! 人類に仇なし人類を陥れ、人類の脅威となる男である! 湯田寛は人類の裏切りものだ!」
凛とした声が、カメラを通して人々に届く。
誰もがその姿を見つめた。
「だからこそ人類に仇なす者がいるのなら、何事にも報いを。勇者として必ずやその報いを受けさせる! 必ずや奴を倒してみせよう! だから信じてほしい! 私は――乃木若葉は勇者である!」
その言葉を最後に、若葉は二人が飛び去った方向へと顔を向ける。
「若葉ちゃん!」
若葉の行動を察したひなたが声をかける。
「私も連れて行ってください!」
ひなたの言葉に、若葉が驚く。
「……やめておけ、危険だ」
「分かっています。でも私は、若葉ちゃんの巫女ですから!」
若葉はひなたの真剣な顔を見つめる。本音を言えば若葉は、連れて行きたくはない。
戦場故に何が起こるか分からない。
けれど。
「……分かった。しっかりと掴まっているんだぞ?」
「はいっ」
若葉はひなたを横抱きに抱える。
生太刀を腰に下げたまま、若葉は飛び立った。
乃木若葉は勇者である。
だから人を守りながら戦うのが、勇者の使命だと若葉は思った。
そうして若葉とひなたは、戦場となる壁付近の大橋へと辿り着く。