湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
一週間後、諏訪を出た白鳥歌野と藤森水都は香川の地を踏んだ。
これを長いと見るか短いと見るかは、人によるとしか言えない。
諏訪で最後の神託が実行された翌日。
歌野が目を覚ました時、その枕元には水都が座っていた。
どこか間延びした声で挨拶をした歌野に、水都が微かな笑みで挨拶を返す。
僅かな沈黙。
やがて歌野が勢いよく飛び起きたのだった。
その視界に入るは、自室。
昨日の朝までと変わらない、"日常"の光景だった。
だが歌野の表情に"笑顔"はない。
険しい表情で部屋を出ようとするのを水都がやんわりと止めようとするが、歌野はそちらに顔すら向けずに飛び出した。
外に出て、現実が目に入る。
道路の至る所で、見知った人々が倒れ伏せていた。
誰もが動かず、まるで寝ているとも思える。
その内の一人へ、歌野が近付く。
震える脚で、震える身体で。
うつ伏せに倒れる知人へと手を伸ばせば、触れる直前で固まる。
荒い呼吸、早鐘の様に鳴り続ける鼓動が、更に歌野を"笑顔"から遠ざける。
やがて固唾を呑み、意を決して触れた。
軽く肩を揺するが反応はない。歌野の動きに合わせて、その身体が左右に揺れるだけ。
地面に顔を向けたまま、その動かない身体へと声をかける。
名前を呼ぶ。反応がない。
朝だよと声をかける。反応がない。
こんなとこで寝ない方がいいよと続ける。反応がない。
早く起きなよ、と震えた声で言う。反応がない。
起きてよ、と涙を無視して声をかける。反応がない。
涙がその者へと落ちる。
反応はない。
揺する動きを止めた歌野が沈黙する。
やがて、うつ伏せとなっていた身体を反転させた。
肩から反対の横腹へとかけて一本の直線的な黒を中心に、その左右へと赤黒い大量の染みが正面の衣服を汚していたのだった。
反転された身体が、何ら抵抗無く動いては止まる。
胸も指も、一切が動きを見せなかった。
まるで糸が切れた人形。
いや。
糸が切れた人形だった。
膝から崩れ落ちた歌野が、あらんばかりの叫びを上げながら仰向けになったその身体を揺する。
だが、やはり反応はない。
顔を動かし、少し離れた先で倒れ伏せる人を見つける。
慌てた様に駆け出し、途中で転倒する。
けれど膝を擦っても構わずに足を動かし、四つん這いの様な姿勢でそのモノへと辿り着いた。
急いで肩を揺すり声をかける。叫び声で必死な形相。
反応がない事でこちらもうつ伏せから反転させれば、やはり全くと同じ染みが衣類を汚し、既に固まっていた。
悲鳴の様な叫びを上げ、歌野は駆け出す。
別のモノを見つけ、見つけては泣き叫ぶ。
また別の場所で同じモノを見つけて、縋りついて泣きじゃくる。
それを繰り返す事数時間。
歌野の目に涙は、なくなっていた。
ただひたすらに道を歩く。
揺れながら歩く姿はどこか不安定で、人によっては幽鬼と見間違う可能性すらある。
けれど構わず、歌野は朧げな瞳で歩き続けた。
誰も、いなかった。
生き物が、どこにも。
生物だったモノしか、いなかった。
そこで思い出す。
自室を出た時の光景。
自分へと挨拶をしてくれた
気付けば歌野は走り出していた。
目指すは自分の部屋。
日常を求めて。日常を失わない為に。
ただひたすらに走り続ける。
そして辿り着いた。
扉を勢いよく開け放つ。
聴こえてきたのは、その音に驚いた"
たったそれだけで歌野は、枯れたと思っていた涙がまた溢れてくる。
滲みかけた視界が、驚いた顔で自分を見つめる少女を捉えた。
同時に、その横に立つ――自分よりも頭一つ分以上に背の高い黒髪の少年を認識する。
次に聴こえたのは、何かが強く打ち付けられた壁の音。
続くは、水都の悲鳴。
そして壁際で、黒髪の少年が崩れ落ちた。
「あんたがッ! あんたがぁああああッ!」
叫びを上げながら、歌野は少年へと馬乗りになりその顔を頭を両手で殴り続ける。
少年は何の抵抗も見せず、殴られるままだった。
「う、うたのん! 落ち着いて! 落ち着いてよ!」
歌野へと抱きつき、必死に呼び止める水都。
だが歌野の動きは止まらない。
「何で殺したッ! 何で! 何で! 何でッ!」
「ダメだようたのん! お願い! 落ち着いて!」
少年へと向ける声、歌野へと向けられる声。そして拳を打ち付ける音。
それだけが暫くと続いたのだった。
やがて歌野が動きを止める。
拳を打ち付ける代わりに、その胸倉を掴み上げた。
「はぁ……はぁ……何で……なんでっ……なん、でッ……!」
荒い呼吸を繰り返しながらも、合間でぶつける少年へ向けた言葉。
瞳を収縮させ、流れる涙を拭わずに声を上げ続ける。
「うたのんっ……お願い……落ち着いてよぉ、っ……!」
歌野の腰に抱きつく水都もまた、涙を流していた。
僅かな沈黙が訪れる。
やがて、歌野の顔が動いた。
「みーちゃん……みーちゃんは恨んでないの!? こいつは皆を殺したんだよ!? なのに、何でとめるのよ……」
感情のままに叫ぶ歌野。その声は水都に向けられていた。
けれど水都は、泣きながら悲しんでいる表情を変えない。
互いに違う感情と表情。
数日前に水都が受け取った神託。
その時とは正反対と呼べる状況だと言えた。
あの時は水都が不安と恐怖を歌野にぶつけた。
けれど今は歌野が怒りの憎しみを水都にぶつけている。
だから水都は思う。
今度は、私がうたのんを支える番だと。
「……そう、だよ……でも、うたのんは、勇者だから……まだ、御役目が残ってるから……」
「……御役、目……?」
泣きながら告げた水都の言葉に、歌野が困惑を示した。
何故今、そんな話が出るのか全く分からない。
次いで浮かんでくる思考。
「……なん、で……皆、死んじゃった、のよ……? 御役目なんて……これ以上……」
最後まで言葉を続けなかったのは、歌野はやはり勇者だからだろうか。
続けられない。
やる意味がない。
やりたくない。
言葉を続けていた場合、出たのは勇者としての自分を放棄する内容。
けれど歌野は、言わなかった。
言えなかったかもしれないが、それは歌野自身にも分からなかった。
再び沈黙が走りそうになる間際、二人に声が届く。
「……四国、で……勇者、を、やれ……」
二人が顔を向ける。
そこには、頬と瞼が青く膨れ上がり、口内を切ったのか口の端から血を流した少年の姿。
声は弱弱しく、歌野の殴打が正しく効いたのだと分かる姿。
歌野はそんな少年へと険しい顔を向ける。
「……何で……四国に行かなきゃ、ならないのよ」
その問いに答えたのは、痛まし気な表情の水都だった。
「……あのね、うたのん……ここは、もう……結界がなくなったの……」
「…………え?」
呆然と驚愕。それらを混ぜた顔で、歌野が硬直した。
水都が言った言葉が理解出来なかったのだ。
呆然自失といった様相で固まる歌野に、水都は意を決した様に告げる。
「だから、もう……ここには……いられない、の……」
様子を伺う様に見上げる水都。
その視界に映る歌野の唇が、震えた。
「…………畑、は?」
やがて呟かれた言葉は、静寂でなければ誰の耳にも届かない程小さな声。
「……蕎麦、は……きゅうり、は……トマトは……?」
「……四国、で……育てりゃ、いい……だろ……」
少年の言葉は、歌野の感情を揺さぶるには十分だった。
「……今……何て言ったの?」
静かな声が、少年に届く。
だが少年は痛々しい顔を歌野に向けたまま。
「……育てた、け、りゃ……四国で、勝手に……育てろ」
少年は最後まで言う事が出来なかった。
「うたのんッ!」
水都の悲鳴が響く。
きつく握られた拳が再び、少年へと振り下ろされたのだった。
振り抜いた体勢で固まった歌野が、口を動かす。
「……確かに、四国でも育てられるわよ」
歌野の声は次第に大きくなる。
「農業王になるんだから、どこでも野菜を育てられる様にならないとけいないわ」
その瞳はただ、少年を見つめていた。
「……でもここで育てた野菜はッ、ここだけの野菜なのよッ!」
憎悪に満ちた瞳で、感情に従い歌野は叫ぶ。
「ここの野菜は私だけじゃないッ! 皆の思いが籠っているのッ! 皆の思いを受けて育った野菜たちなのよッ!? あんたが殺した皆が一生懸命育てた野菜なのッ!」
心からの言葉を怒りに乗せて歌野が言う。
「そんなのも知らないで勝手なこと言うなッ! バカッ!」
思うがままに言葉をぶつけた歌野は少年を睨む。
そこに水都の声が聴こえた。
「……うたのん……うたのんの……気持ちも、分かるよ……」
どこか落ち着いた声色に、歌野の顔が少年から逸れる。
歌野の視界に映った水都は、悲しみで占められていた。
「……みーちゃん?」
歌野が名前を呼べば、水都が再び口を開いた。
「うたのんがここで育ててる、野菜への気持ち……他の人達との絆だってのも、分かるよ……でも……それ、でも」
どこか怯えた表情。
だが、水都はやがて目を瞑り、その口を大きく開いた。
「それでもっ……私はうたのんと、これからも生きていきたいっ!」
水都の言葉に、叫びに、歌野は驚きで目を見開く。
「みー、ちゃん……?」
目をきつく瞑ったままに、水都が続ける。
「私っ、うたのんに生きていてほしい! うたのんが農業王になるなら、私は宅配屋さんになるからっ! それでうたのんが作った野菜を日本中にっ……ううん、世界中に届けるんだっ!」
水都の告白に、歌野は目を見開いたままに圧倒される。
「最初は仕事のやり方がわからなかったり、うたのんと方針の違いでケンカしたりするかもしれないけどっ、すぐに仲直りして! だんだん、ちゃんと宅配の仕事もできるようになって!」
「……みーちゃん」
「うたのんの野菜は評判いいから、口コミでいろんな人から注文が殺到するんだっ! 私は毎日忙しく働いてたくさん野菜届けて!」
「……うん」
「そのうち大人も、子供も、貧しい人も、お金持ちもみんなっ……みんなうたのんの作った野菜食べて笑顔になる!」
「うん、うん」
「そんな夢、叶えたいのっ!」
一方的な自己主張の叫び。
だが、それを向けられた歌野は。
「……だったら……みーちゃんと私の夢のために、この世界を壊させるわけにはいかないわよね!」
白鳥歌野の象徴である"笑顔"で、水都に応えた。
その声を聴き、水都がゆっくりと目を開ける。
「みーちゃんの夢が叶えられるまで死んでたまるもんですか! 私もナンバーワンな農業王にならないといけないしね?」
「あっ……うんっ!」
その言葉を最後に、二人は四国へと向かう準備を始める。
昼頃に出発し、野営を挟みながら何日もの旅路を進む。
歌野は気力が増したかの様に、襲いかかってくるバーテックス達を"無傷"で倒し続けた。
少年はただ、リュックを背負い、布にくるまった長太刀を持ったままに後ろを歩く。
歌野は水都へと話しかけ、水都は少年を気にしながらも歌野に言葉を返す。
喧嘩も無く、道中を三人で進み続けた。
だが四国が間際に迫ったある日。
一度だけ歌野は少年へと声をかけた。
「あんたの事は、絶対に許さない。四国に着いたらもう私とみーちゃんに関わらないで」
それは歌野なりの譲歩。
割り切りと、前向きな思考。
歌野の歳では決して行えないであろう、感情と思考の割り切り。
後ろを向くのをやめた、未来へと切り替えた思考。
けれど決して捨てる事の出来ない感情だけは、少年へと残したままに。
ここまでの道中で彼女は、水都から聞いていた。
自身が気を失っている間に起きた、諏訪の顛末。
水都から告げられた真相は、土地神が起こした奇跡。
結界に回していた力を全て攻撃に回し、あの日総攻撃を仕掛けてきたバーテックスたちを消し去った。
だがその代償として諏訪は完全に力を失い、結界が消失したのだと。
それを聞いた歌野は静かに目を瞑り、土地神への感謝と労いを呟いたのだった。
以降、どこか今までよりも前向きとなった歌野を伴い、やがて三人は四国へと入ったのである。