湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
その組織が本拠地を構える建物の一室。
一人の男が立ちあがり、自身の私物である服を着ていく。
下を履き、上を着る。それが終われば、壁に立てかけてあった細長い棒状にくるまれた布を掴み上げる。
扉へと向かい足を進めれば、男の背後から声が聴こえた。
「ねえ、もう行くの?」
その声は、女性と思える声色。
男は足を止める。
「ああ。大分治ったしな」
静かに部屋へとその声が響く。
僅かな沈黙。
「今度は……どこに行くの?」
そう告げたのは女性。
だが部屋にいるその女性は、決して成熟したとは言えない容姿だった。
胸辺りまでの茶色の髪を後ろで一つに纏め三つ編みにしたものを前に流している。
巫女服といった白を基調にした和装で、床に敷かれた真っ白な布団の上に座り込んでいた。
幾分かあどけなさを残しつつも大人らしさが徐々に形成されてきている整った顔には、いつもの活発さはなくどこか悲し気といった雰囲気が漂っている。
勇者たちと年の頃は変わらないと思える少女。
微かなそばかすの上に存在する仄かに緑色をした瞳には、背を向けている男の背中だけが映っていた。
視線の先にいる男は動かない。
「高知だ。少し間が空いてしまった、現状を把握しておく必要がある」
少女に届いたのは声だけだった。
その事に、その内容に、少女は目を伏せて息を吐く。
「……それが御役目だって、分かってるけど……ちゃんと治してからでもいいんじゃないの?」
少女の口調は、その言葉を願うものだった。
けれど同時に、無理だと分かっている様な声色。
「普通に動けるようになれれば問題ない。それに四国にもバーテックスが来たんだ。悠長にしてる暇はない」
男の言葉に、少女の反応は変わらない。
経験則上、少女はその返答を理解していたのだった。
男は再び歩き出し、出口となる扉へと触れる。
やや動かし辛そうに左手で扉を開ける瞬間、少女の耳に届いた。
「……いつも、迷惑かけて悪いな。
少女が肩を震わせた時には、既に男は退室した後だった。
一人残された少女は無言で俯く。
やがて、ぽつりと声が漏れた。
「……寧ろ、迷惑をかけてるのはこっちじゃない」
誰に告げる訳でもない、心情の吐露。
「……あの子たちのことも、私がお願いしてるのに、っ……」
布団に触れていた手が静かに、けれど強く握られる。
「バカっ……寛君の、バカっ」
悪態を向ける相手は、既に部屋を出てしまっていた。
「……バカっ……鈍感男っ」
一年以上も、湯田寛の世話を仰せつかっている内の一人。
そして、彼が本音で話す数少ない人間の一人でもあった。
諏訪が落ちてから一か月以上が経った。
勇者たちはその間にもバーテックスの襲撃を受け、それを無事に撃退。
多少の怪我はあれども、誰もが命を落とさず生き残り続けていた。
勇者にはそれぞれ、"切り札"と呼ばれる力がある。
神樹に蓄積されている無数の概念記録にアクセスし、抽出した力を自らに顕現させることで勇者としての力を増幅させる能力。
各々がそれぞれに見合った"切り札"を有し、それを使うことで己の力を飛躍的に高める。
けれど同時に、人ならざる者の力としても教わっており、"切り札"を使った後に起こる影響は未だに調査中の段階だった。
だが四国にバーテックスが本格的に攻めてくる様になり、勇者たちが戦いを増していけばそのデータは蓄積していく。
戦闘後はそれぞれ検査をされて、そのフィードバックとして得られたものを大社が勇者の力へと反映させる。
その方法は、勇者としての力を発揮するのに最大限の補助となる勇者装束。これを大社は勇者専用に作成したスマートフォンにて起動できるようにしていたのだ。
よって服をいちいち着替えるといったロスがなくなり、不意に戦闘となった場合でもすぐに戦うことが出来る。
だが、それは四国の勇者だけが持ち得る特権。
諏訪の勇者たる白鳥歌野は、それがなかった。故に諏訪では戦闘となれば事前に着替えてから戦場へと向かっていたのだ。
「次の戦闘からは、これを押すだけで着替えられるのね?」
歌野はそう言って、大社から配布されたスマホをしげしげと見つめる。
これまでの四国での戦闘に、歌野は極力参加していなかった。
それは本人の意思ではなく大社からの要請。
貴重な勇者を無為に失うのを良しとしなかった大社は、諏訪から香川へと入ったその日に歌野へと告げたのだ。
まずはここでの戦闘を覚えてもらってから、他の勇者たちと共に戦って欲しいと。
同時にアプリでの装着や、諏訪とは違うここでの戦闘方法についても説明していく。
諏訪では、現実世界で戦闘をしていた。全てがありのままに、守る対象の世界で。
だが四国では、神樹が形成する仮想世界の様な空間での戦闘になる。
その間現実世界では時が止まり直接的な戦闘被害は出ない。
けれど戦闘が長引くにつれて現実世界への影響が無視できなくなり、戦闘が終わっても別の自然災害という形で現実世界に悪影響が出てしまう。
更に重要なのは、仮想世界内にも神樹は存在し、バーテックスが神樹に辿り着くと現実世界も終わりを迎えてしまうという事。
それらの説明を聞いた歌野は「御柱を守るのと同じってことね」と納得し、歌野用のスマートフォンが完成するまでは戦闘への参加を見送ることに同意した。データを取る為に勇者装束を手放してしまったのだから、歌野自身も積極的に参加する訳にもいかなかった。
そして漸く、歌野の元に勇者としての力が戻ってきたのだった。
同時にもう一つ、教育を受けて知識を身につけることにより得られた力。
"切り札"が、歌野でも使える様になったのである。
スマホを眺めていた歌野だったが、不意に手元から大音量のアラート音が流れたことで驚き、「うわひゃっ」と奇声を上げながら思わずスマホを落としそうになった。
慌てて掴み直せば、その画面に映るは"樹海化警報"の文字。
それにより歌野の思考が切り替わったと同時に、世界までもが切り替わる。
直前まで見えていた人類の文明を示すものは自らが持つものだけとなった。
一面が太く大きな無数の木の根で埋め尽くされていたのである。
それを見たのは、今回が初めてではなかった。
これまでも勇者として、戦闘には積極的に参加せずとも、この場所には降り立っていたのだから。
僅かに光景を眺めた後に、スマホで開いたアプリをタップする。
そして、制服から勇者装束へと服装が切り替わったのだった。
自分の姿を呆然と眺め、やがて呟く。
「……"これら"が諏訪の時にも、あれば」
だが言葉を途中で止めた歌野は、振り払う様に頭を振った。
再び正面を見据え、"笑顔"を浮かべる。
視線の奥には、次々と合流する五人の姿があった。
歌野は脚に力を入れて飛び出す。
「過去は、立ち止まるためにある……未来は、切り拓くためにある」
諏訪での思い出を"
もう誰も、失わせない。もう誰も悲しませないために。
みーちゃんと私の夢も叶えないといけないものねっ。
思考を切り替えた歌野は、五人の前へと降り立った。
「わあっ、それが歌野ちゃんの勇者装束なんだ! 可愛いー!」
「タマげたな。今日から一緒に戦うのか?」
「髪に付けてる金糸梅の花、とっても似合ってます」
「……勝手に動いて、迷惑だけはかけないことね……」
歌野の顔が、やがて一人へと向けられる。
一振りの太刀をその手に握る、青を基調とした細身のドレスと和装を掛け合わせた装束で佇む、後ろ髪をひと房に纏めてたなびかせる金髪の少女。
「歌野……一緒に戦ってくれるか?」
その言葉に、歌野は笑顔で返す。
「私にまっかせなさい! 一緒にエクセレントな未来を切り拓きましょう?」
きっと、じゃない。
絶対にまた立ち上がれると、歌野は強く思う。
だから彼女たちとここから始める、人類の反撃。
視界に映る大量の点へと身体を向ければ、五人もまた並ぶ様に横に揃い立つ。
「私の方が多く倒したら、若葉さんのお昼ご飯は蕎麦にするわね?」
「馬鹿言うな、歌野がうどんになるに決まっている」
笑みを浮かべたままにやり合う軽口。
「じゃあタマが一番倒して、今日こそ歌野をうどん派にさせてやるよ!」
二人を尻目に、球子が勢いよく飛び出した。
「タマっち先輩、私も手伝うよ……!」
「よーしっ、歌野ちゃんとうどんについて語り合えるように私も頑張るぞー!」
杏が、友奈が後を追う様に飛び出す。
「……馬鹿馬鹿しいけど、蕎麦には負けない……!」
やや遅れて、心なしか気合いの籠った表情で千景が続いた。
残るは若葉と歌野。
「悪いが、後で人数不利だと泣き言を聞くつもりはないぞ?」
不敵な笑みを残し、若葉が飛び出した。
それを見送る歌野。
けれど表情は笑顔のままだった。
「ふふっ、さいっこうにエキサイティングじゃない。
愛武器である鞭を一度しならせ、歌野が飛び出したのだった。
多いのは慣れている。どうすれば良いかも分かってる。
四国の勇者たちでは足りない経験値を、歌野は存分に発揮する。
「皆、気をつけろ! 蕎麦派が勢いを増している!」
そんな声が戦場に届くのは、果たして場違いだろうか。油断しているのだろうか。
けれど危なげない戦い方を続けている姿には、余裕があった。
油断とは違う、落ち着きといった余裕。
敵が多く、攻撃を受ける事もある。
だがそれでも致命的なミスや油断は皆無。
誰もが無傷で、憎きバーテックスたちを狩る側に回っていたのだった。
その遥か後方で、一人の男がその光景を眺めていた。