湯田寛は勇者ではない 作:げっしりあん
出された豪華な夕餉に舌鼓を打った一同。
与えられた部屋で、それぞれが思い思いに食後の腹ごなしをしていた。
テーブルの前で正座し、若葉は湯呑に注がれた茶を啜る。
口から湯呑を離せば、自然と吐息が漏れた。
そして、それを合図かの様に口を開く。
「皆、少しいいか?」
言葉と共に湯呑をテーブルに置けば、全員の顔が向けられた。
「どうしたの? 若葉ちゃん」
友奈が不思議そうに首を傾げつつ若葉へと訊ねる。
畳の上で寝転がっていた球子が上体を起こした。
「なんだ? ゲームでもやるのか?」
楽し気な顔で訊ねる球子に、若葉は真剣な顔で首を横に振る。
そして、静かに口を開いた。
「勇者となって、歌野や水都も仲間になって暫く経った。だが正直に言うと、私にはまだ皆と心を通わせているとは言えない思いがある」
「えっ?」呆然と呟いたのは、友奈だった。
けれど他の面々もどこか呆然と目を丸くしている。
誰よりも奥でそれを見ているひなただけは、辛そうな表情で俯いていた。
「これからもバーテックスの侵攻は続く。だからこそ今、私は腹を割って皆と話をして、一切の憂いなく真の仲間になりたいと思っている」
「どうしたんだ、若葉」
球子はどこか腑に落ちない表情で若葉へと訊ねた。
「これは決して茶化す意図もなく、私は皆から真剣に聞きたいことだ。そして、私からも皆に言いたいことがある」
「それで若葉さん、何を聞きたいのかしら?」
僅かに訝しんだ顔で訊ねる歌野に顔を向けて、若葉が口を開く。
「皆が……湯田寛を嫌う理由を教えてほしい」
その瞬間、部屋の空気が一変した。
室内の半数から、激怒にも似た雰囲気が湧き上がったのだ。
「……若葉さん。私、前に言ったと思うのだけれど」
表情を消した歌野が、冷淡な声で若葉に告げる。
向けられた若葉は、真剣な表情を崩さずに受け止めた。
「承知している。だがそれでも教えてほしい」
「教えてどうするの?」
「私から見た、湯田寛という男を知ってほしい」
短いやり取り。けれど緊迫したやり取り。
「……あ、あのっ、そうだ! みんなでゲームでもしようよっ!」
そこに投げられた、場の雰囲気にそぐわない明るい声色。
若葉たちが顔を向ければ、どこか作った笑顔を浮かべる友奈の姿。
けれどその表情は、声は、この場にいる人々を落ち着かせるには十分な影響があった。
若葉が静かに息を吐く。
「……そうだな」
呟くように放たれた若葉の声は僅かに強さをなくした声。
「じゃ、じゃあっ」
若葉の反応に、友奈の顔が本当の笑みへと変わった。
「……私の話から最初にすべきだったな」
「あぅ……」
若葉の言葉に、友奈は笑顔を萎ませ小さくなってしまう。
表情に微かな笑みを宿して若葉が口を開いた。
「湯田寛は、私とひなたの幼馴染といった関係だ。とは言っても彼の方が五歳ほど年上だが」
その言葉に、多くの者が驚きを示した。
笑みのままに若葉が続ける。
「寛は昔からどこか寡黙で、あまり人とは話さない男だった。私やひなたとも、あまり会話はしてくれなかったな」
僅かに天井へと顔を上げる若葉は、懐かしい思い出を脳裏に蘇らせているかのよう。
「だが私やひなたが泣いている時や危機に陥った時は、必ず助けてくれる男だった」
若葉の表情が懐かしみながらも、どこか険しいものに変わる。
「バーテックスが最初に侵攻してきた時、私たちは島根にいた。そこで同級生たちが殺され、更にもっと多くの同級生や私たちが狙われた時……寛が現れたんだ」
膝の上で拳を強く握りしめる若葉。
彼女の脳裏には、あの時成す術もなくバーテックスに殺されていく友人たちの姿が浮かんでは消えて行った。
代わりに浮かんだのは、その後の光景。
「外にいた私たちの前からバーテックスを倒して、一人、まだ中に残されている同級生たちや他の人たちを救いに行ったのを覚えている。そして私がひなたからの声で"生太刀"を手にした時、天井を突き破って中に侵入していたバーテックスを全て殺し、まだ生きていた人たちを無傷で助けたんだ」
若葉の目が静かに閉じられる。
浮かぶは、突然の恐怖に慄くしか出来なかった自分の前に現れた大きな背中。
そして自分から渦中へと飛び込んでいく後ろ姿。
服がボロボロになっている人が多かったが、その身体は完全な無傷で多くを助け出して中から歩いてきた、その雄姿。
全てが鮮明に覚えていた。
辛い部分も、輝かしい部分も。
「その後は生存者を引き連れて、ひなたの誘導でそこまでバーテックスに遭わずに帰って来れた。だがバーテックスと鉢合わせすることもあり、寛には他の人たちの護衛をお願いして、私が戦ったんだ」
若葉はまるで昨日の出来事の様に、口から言葉が出る。
「生存者たちを引き連れて帰って来るまでにも色々あったんだ。まだ小学生だった私やひなたの誘導に不安を抱く者、疑念を抱く者、戦闘は私に任せて全体的な指揮を取ろうとする者。それら全ての不安や不満を彼は、私やひなたといった子供たちが寝ている間に、大人たち全員から聞いて、相談に乗り、そして解消し続けていたらしい」
らしいとは、若葉自身がその現場を見ていた訳ではないから。
無事に四国に辿り着いて、生存者たちとの別れ際に、多くの者から若葉やひなたが言われたから。
実はそのような事があったのだと。それに対する謝罪や懺悔の数々。
その段階では既に寛は彼女らの許から離れていたのだから、伝える相手が必然的に若葉たちとなっていたのだ。
だから、若葉は思う。
「その時寛は、一人一人と腹を割ってそれぞれの言い分をぶつけた上で、言い分を理解した上で、言い分を納得してもらっていたようだ。力も行動力も頭の良さもある寛がリーダーとして扇動してほしいという言い分にも、私とひなたが先導するからこうして生き残れているのだと説得したらしい」
その時も、その後も頭が上がらないと若葉は思っていた。
生存者たちは寛からこの事は子供たちには絶対に話すなと厳命していた様だが、それが破られる形で若葉に伝えられたのだった。
箝口令が敷かれている内容も知ってしまえば、あの時自分を救ってくれた寛の背中が益々大きく見える。
だから若葉は戦場で、その姿を思い出した。
だから若葉は、仲間を傷付ける前に一度、立ち止まることが出来た。
同級生たちを殺された復讐や怒りだけでなく、あの時に光を見たのだから。
あの時の自分の安心感を誰かに持ってもらえるようになろうと、若葉はあの時に誓ったのだから。
「私は湯田寛を尊敬している。戦場に立つ者としても、一人の人間としても。だから皆にとっての湯田寛という男の印象や嫌う理由を、腹を割って話したいと思ったんだ」
目を開けて若葉が周りを見る。
誰しもが沈黙し、言葉を発さない。
けれど表情は千差万別。
だが若葉は、これ以上言葉を紡ぐことをしなかった。
今の自分がしたいのは、湯田寛という男のフォローではない。
それぞれが抱く湯田寛という男への思いと、その理由を知りたいのだ。
だから自分からの言葉はこれ以上は不要だと、若葉は判断した。
多くが俯き、顔を上げているのは、どこか気まずげにオロオロと周囲を見渡す友奈のみ。
しかし、沈黙は突如として終了する。
「…………だったら」
聴こえたのは、小さな声。
若葉が顔を向ければ、そこには俯く球子の姿。
全身に力が入り、小刻みに震えている。
若葉の視界に、球子の震えが止まったのが見えた。
勢い良く若葉へと顔を向けた球子が口を開く。
「だったら――何でますずを殺すって言ってきたんだよッ!」
「…………え?」
目をつり上げ、激昂とも言える表情で球子が叫んだ。
その言葉を若葉が理解するには、時間を擁した。
球子が続ける。
「ますずを殺されたくなきゃ、勇者になってバーテックスを倒せって言ってきたんだぞッ! 若葉の言う通りならあいつがバーテックス殺せるんだろッ!? 何であいつの代わりにタマたちがバーテックス倒さなきゃないんだよッ!」
あまりの怒声、その迫力に、若葉は言葉を返せない。
「若葉はあいつのこと気に入ってるかもしんないけどタマは大っ嫌いだッ! タマと杏はますずが人質に取られてるから勇者として戦ってるだけだッ! あいつと仲良くしろって言うなら若葉とは今後一緒に戦わねえよ! タマたちで勝手に戦うからなッ!」
聴こえてきた言葉に、若葉は焦りを抱いた。
「た、球子、待ってくれ! 仲良くしろとかそういうのでは」
だが若葉の言葉を聞かず、球子は苛立たしげに立ち上がる。
「若葉のことは別に嫌いじゃない。でもあいつの話をすんならこれ以上タマたちに関わるな……行くぞ、杏」
「ま、待て!」
若葉が慌てて呼び止めようとするが球子は足を止めずに部屋を出て、後ろ手に襖を勢いよく閉めた。
僅かな沈黙。
若葉の耳に、誰かが立ち上がる音が聴こえる。
顔を向ければ、杏が立ち上がっていた。
「あ、杏……」
名前を呼んだ若葉に、杏が顔を向けた。
「……ごめんなさい、若葉さん。私も、タマっち先輩と同じ気持ちです……真鈴さんを殺すって脅した人の話は、聞きたくないです」
どこか申し訳なさそうな表情。
けれどそれ以上に怒りを宿した杏が、その言葉を最後に部屋を出て行った。
残された面々が無言となる。
若葉は静かに閉じられ襖を見つめ、整理できない感情に囚われる。
何故、こうなった。
何故、こうなっている。
そのことだけで、他には何も考えられなかった。
「若葉さん」
不意に聴こえた声に、若葉の肩が震えた。
顔を向ければ、そこには表情を消した歌野の姿。
それを見た若葉に、嫌な予感が渡来した。
「球子さんたちの事情も知っちゃったし、私も言わないといけない流れよね?」
歌野はそう言って、若葉から顔を逸らす。
「聞いていて気持ちのいい話じゃないし、若葉さん以外は部屋をでた方がいいと思うわ」
まるで忠告の様に言葉を告げるが、誰も動かない。
否、動く事が出来なかったのだ。
やがて歌野が小さく息を吐いた。
その姿に、若葉の背中に嫌な汗が流れる。
徐々に開かれる歌野の唇の動きに合わせて、若葉の鼓動が大きさと速さを増していった。
そして、歌野は告げた。
「彼ね、私とみーちゃん以外の……生き残っていた諏訪の住人を全員、殺したのよ」
時が止まるとはこの事だ。若葉はそんな言葉が何故か無意識に浮かんだ。