「なんか、静かだな。」
夏休みの校内。階段に二人分の足跡が響く。
「いま8月だよ?部活以外でなにしにくるのよ、夏休みの学校に。」
「いや登校日とか。」
「今日は違いますが?」
「まあ…そうだけど。」
取り止めのない、なんてことない会話だ。
夏休みが始まるまでは生徒でごった返していたこの階段も、人の影一つみえやしない。傲慢な考えだが、まるで世界に二人しかいないような…そんな気さえしてくる。
「本当に誰もいないな…。」
周囲を見渡してさらに感じる静寂。ついで自分の隣にある存在を横目で見る。
「…ねぇもしかして、よからぬ事とか考えちゃってる?」
出し抜けに八奈見がそんなことを言い出した。
「よからぬことって別に。」
「それにしては私を見る目が、ちょっと浮ついてなかったですかー。」
「浮ついてないから。」
というかどんな目だよ、浮ついてるって。
「いかんよ?そういうの。誰にもみられる心配ないからって変な事考えちゃ。」
「…考えてないからな?」
むしろ、そんなことを言うそっちの方が変なこと、考えてたりしないか?
「ふーん、本当かなあ?」
ニヤニヤと、揶揄うような笑みを浮かべて言う。
勝手なことを。腹立つ…腹立つけど、全くの見当違いとは言えない。言い返そうにも少しだけ戸惑ってしまうほどには。
「言っておくけど、私はしないからね。こんな開けた場所で…えっちなこととか。」
「えっちなことって…いや、して欲しいなんて言ってないし?」
壁に耳あり障子に目あり。どこで誰が聞いてるかわからないんだからやめてくれ、やめてください。
「みられちゃったら面倒だもんねーわかるよ、わかってる。」
「変な方向に話、進めないでよ。」
「戒めだから、これ。それ、元気になられても困るもん。そういうの想像するのは禁止だよ。」
人差し指を俺の下半身へ向けて言う。
「こんなところで、元気になってたまるか。」
「ほほぉ…温水君は学校でなら何をされても反応しないんだ?」
何されても、までは言ってないんだけど。
「…試してみよっか。」
階段の踊り場。急に接近してきた八奈見によって、その隅へと追いやられる。
顔を、覗く。自分に向けられた目、表情。それはまるで、油断している獲物を発見した肉食獣のように見えた。
「急、に…なに。」
俺の胸部にひたと触れる手。少しずつ、ゆっくりと下へ動いていく。服の上から、腹に臍に、中心をなぞるように…。そうしてベルトにたどり着いた時一瞬だけ止まる。それもつかぬ間その下に位置するものを、ズボンの上から慣れた手つきで触ってきた。
「お、おい…ちょっと待てって。」
優しく、しかしいじらしく。最初は人差し指と中指だけで、下から上へ。だが、それだけでは止まらずにやがては手のひらでさそるように撫で回してくる。
たまらず反応してしまうのが悲しきかな男の性。駄目なことだとは頭でわかっていても、抑えようとする理性と相反して膨張をはじめてしまう。
「あのさ、元気になられても困るって…言ったよね?さっき。」
なら、やめろよ。言ってることとやってることが逆じゃないか。
「…元気にさせようとしてるのはどこの誰なんだよ。」
「えー?どこの誰さんかなー。…あ、言っとくけど出しちゃダメだよ?今は。」
後ならセーフってこともない。場所を弁えてくれ。
「出さない、から。公共の場でそんな。」
「周り、誰もいないしさ。」
いるかいないかで変わるものか?それ。
「いなくても、だ。…誰もいないからって路上で露出するやつがいるか?」
「いたら通報する、不審者じゃん。」
「だから、そういうこと…公然猥褻物陳列罪ってやつ。俺、捕まりたくないし。」
「出したら通報しちゃうから。」
今だって通報されてもおかしくない状況だと思うけど。
「出さないって…あと、そう言うなら触るのやめろよ。」
「なんで?」
わざとらしい演技で小首を傾げる。わかってるくせに。
「…なんでも。」
「理由を聞いてるんだけどなー。」
「だから、その…そういうふうに触られると、元気になっちゃう、からで。」
「へぇ…触られただけでこんなになっちゃうんだ。学校だよ?ここ。」
「男はそういう生き物で…場所とか関係なくそういうのに逆らえなくなっちゃうものなの。」
悲しいけどこれが男の性だ。実際逆らえてないからこうなってる。
「あは…そうなんだ?それは不味いね?じゃあ、やめたげる。」
ピタッ…と触れるのを止める。
いつもとは違って。途中で。
「やけに素直に…止めるんだな。」
「ん?続けて欲しかったってことかな、生意気君?」
「なんだよ、生意気君って。」
「温水君はすぐ調子乗るなーって。」
「乗らないし。それに、調子に乗りやすいのは八奈見さんの方だろ。」
「なにさ、おっきくしちゃってたくせに…。」
そして、またいくらかの静寂。絹が擦れる音も無くなって、ついで高鳴る鼓動の音も小さくなりつつあった。
微妙な間を経て、八奈見が口を開いた。
「キス、したくない?」
「え、いや…誰かに見られたら。」
さっきまでは運が良かっただけだと思う。これ以上は。
「…さっきから人っ子一人みませんけど。で、みられたとしてもだよ?例えば路上でキスしたぐらいで通報されちゃうものなのかな。公然猥褻物ってやつになる?」
「…ならないかも。」
「ならないって。だからさ?学校でしちゃっても大丈夫だって。」
なんだその理論。路上と学校は違うだろ…破綻してないか?
けど、期待するような上目遣いでみられて…我慢できる男は、いないと思う。
「…一回だけ。約束できる?」
「一回、ね…わかった。」
八奈見は少しだけ背伸びをする。目を瞑り、俺が動くのを待っている。
「…ん。」
軽く、唇の先が触れ、離れる。目を開くのは同じタイミング。目線が合う。
「…もっかいしよ。」
「一回だって、言ったろ。」
「…足りないもん。」
そう嗜めてはいるがその実…俺もそう思っていた。もはや止まることは出来そうにない。ろくに抵抗することもないまま、約束破りの2回目へ突入する。
「あ…むぅ…んっ。」
…舌を入れていいとまでは思ってない。そんなことは許可していない。
だが、抗おうにもその理性とは裏腹に、身体は彼女を求めるかのように続きを始める。
湿った音。交わる二人の息遣い。そして人が放ったものとは思えない、耳、頭へと伝わってくる甘ったるい声。それが、それまで静けさを保っていた校舎に小さく、しかし確実に響いていく。
ふいに止め、もう一度唇を離す。また、互いの目線を重ね見つめ合った。惚けたような顔に潤んだ瞳。数秒のインターバルをおき、どちらが先か競うように、再び続きを始めた。
…なにがキスぐらいなら通報されない、だ。こんなの、路上でしてたら注意されるぐらいじゃ済まないんじゃないかな。
でもここは学校で、周りには誰もいなくて。人影のない今は、みられる心配はない…そのはずだ。
幾らか残っていた理性は最後のリミッターたり得なかった。もっと…欲しい、ずっと深くまで触れ合いたい。彼女を求め、右手を腰に、左手を頭の後ろに回し…始めたところで、ストン…と軽い何かが床に落ちたときの音がした。
「っ…!」
思わず体ごと離れる。絡み合った唾液で作られたアーチが、いままでの行為を証明するかのように伸び、そして…ぷつり、と名残惜しそうに切れる。
それを合図としてか、おそるおそる音の鳴った方に顔を向けた
「はっ、ははは……。」
そこにいたのは、我らが愛すべき社会科教師、甘夏古奈美。その足元には紙のファイルが一冊落ちている。顔には薄く、そして形容し難い複雑な笑み。プルプルと小刻みに震える体。
「…ええーっと。」
なんとかしらばっくれないだろうかと口を開いてはみる。
「お、お仕事お疲れ様〜…。」
八奈見も同じことを考えたのか、適当な言葉でお茶を濁そうとした。
「…ふ、ふふふふ…ふふ…」
…へぇ、甘夏先生ってそんな笑い方もするんだな。
悪役幹部みたいですね、甘夏先生。
「…不純異性交友って言葉、知ってるか?」
違った。いまどき悪役だってそんな笑い方、普通はしない。
もはや言い逃れはできないことを悟る。
不純異性交友。それは不純で、かつ異性間での、交友をすること。
「…どういうものを指すんでしたっけ?」
どう考えても誤魔化す事ができないとわかっていても、時間稼ぎに俺はそんな質問をした。
さあ、それに対する答えは如何なものか。
スゥー…と、深く息を吸う音が聞こえた。
そうして甘夏古奈美は
「不純異性交友ってのは」
肺に溜めた酸素を全て吐き出すかのように
「今のお前たちみたいなことを」
目一杯な渾身の力で
「……言うんだーっ!!!」
どうしようもない感情と共に叫ぶのだった。
しちゃうとは思えないんですけど
キレそう自分に