(完結済)元冒険者の俺、入り婿先の義理の娘に逆レイプされてしまう 作:埴輪庭
◆
旗日の朝、王城から使いが来た。
辺境伯の叙勲式典に列席せよとの通達だった。エレオノーラの家名と爵位からすれば出席は当然の義務であり、夫であるウォーレンが名代として向かうことも当然だった。式典は日帰りでは済まない。少なくとも二泊、長引けば四泊の予定になる。
ウォーレンは面倒くさそうに旅装を整えていた。礼服の袖が長すぎるのか何度も腕を振っている。元冒険者にとって正装ほど不自由な衣服はないのだろう。エレオノーラはその不器用な仕草を書斎の窓から見つめていた。
馬車が中庭に回され、ウォーレンが乗り込んだ。そして門を出て、石畳の坂道を下っていく音が遠ざかっていく。
エレオノーラは窓から離れて振り返って言った。
「リュシアン。今日の午後の予定は」
「特にございません、奥様」
「そう」
胸の奥で決意が固まっていくのを感じた。何日も前から考えていたことだ。ウォーレンに離れの訪問頻度を尋ねた時から、ずっと喉に引っかかっている小骨がある。
ウォーレンの回答は嘘だった。
変わった様子はないと言ったが目が泳いでいた。ウォーレンは嘘が下手だ。十年も一緒に暮らしていれば嫌でもわかる。冒険者として幾多の修羅場を潜り抜けた男がたかが妻の質問一つで声を固くするなど、尋常ではない。
何かが起きている。
あの離れで。
あの娘と。
「出かけるわ」
「どちらへ」
「離れの館よ」
リュシアンの表情が微かに変わった。碧い瞳に不安の色が滲む。エレオノーラが離れの館に足を運んだことは、トリシャをそこに閉じ込めて以来、一度もない。
「お一人でよろしいのですか」
「ええ。ついて来なくていいわ」
◆
離れの館までの小径を、エレオノーラは一人で歩いた。
庭園を抜け、藤棚の下をくぐり、背の高い生垣に挟まれた細い道を辿る。冬枯れの薔薇が骨のような枝を伸ばし、灰色の空を引っ掻いていた。
離れの館の扉の前に立った時、あの匂いがした。
甘い香り。花とも果実ともつかない、頭の芯が溶けるような匂い。エレオノーラの足が一瞬止まった。この匂いは知っている。自分自身の身体からも、かつて同じ匂いが立ち昇っていたことがある。魅了の力が活性化した時に放たれる、あの匂いだ。
(この濃さ……)
尋常ではなかった。扉の外にまで漏れ出すほどの強度。エレオノーラの魅了は生まれつきのものだが、意図せずとも常に微かに漂う程度で、ここまでの濃度にはならない。
扉を押し開けた。
薄暗い室内に、香りが充満していた。窓は閉め切られ、蝋燭が二本だけ灯されている。書架に並んだ本の背表紙が蝋燭の灯りを受けてぬらりと光っていた。
奥の長椅子に、トリシャが座っていた。
膝の上に本を開いたまま、俯いている。金色の髪が頬にかかり、表情が見えない。白い指先が自分の爪をじっと見つめているようだった。
「トリシャ」
エレオノーラの声が室内の空気を裂いた。
トリシャは動かなかった。
「あなたに聞きたいことがあるの」
返事がない。指先が爪の形をなぞっている。まるで母親の存在に気づいていないかのように。
エレオノーラの眉間に皺が寄った。十年間この娘を離れに閉じ込めてきた。顔を合わせたのは年に数回、それも形式的な挨拶程度だ。だが、この態度は侮蔑以外の何物でもない。
「ウォーレンに何をしているの」
トリシャの指が止まった。
「聞いているの、トリシャ」
沈黙。
「返事をしなさい。あなたは今──」
「聞こえていますわ、お母様」
声は静かだった。俯いたまま、爪を眺めたまま、感情の読めない平坦な声。
「なら答えなさい。ウォーレンに何を──」
「何をしているか、ですって?」
トリシャがゆっくりと顔を上げた。
金色の髪の隙間から現れた顔に、エレオノーラは息を呑んだ。
憎悪の二文字に圧縮してなお足りないほどの、純然たる敵意がそこにあった。青い瞳が灼けるように燃え、薄い唇が引き結ばれ、頬のラインがこわばっている。美しい顔だった。エレオノーラの血を受け継いだ整った造形が、憎しみという一つの感情だけで歪められている。
エレオノーラの足が半歩退いた。
退いてから気づいた。自分がたじろいだことに。実の娘の視線に気圧されたことに。
「私を見捨てたお母様とは違いまして」
トリシャの声は淡々としていた。憎悪に灼かれた瞳とは裏腹に、声だけは水面のように凪いでいる。
「お父様はとても優しくしてくださいましたわ」
(この子は)
エレオノーラの背筋を氷が這い上がった。
「この離れに閉じ込められて、十年。庭の薬草と書架の本だけが友だちでした。お母様は年に数えるほどしかいらっしゃらない。使用人たちは同情こそすれ、奥様のお怒りを買うことを恐れて親しくは接してくれない。わたくしはずっと一人でした」
トリシャの声に抑揚はなかった。事実を読み上げているだけの、感情を排した語り口。それが余計にエレオノーラの胸を抉った。
「お父様だけが、わたくしをここから連れ出そうとしてくださった。お父様だけが、わたくしの手を握ってくださった」
(連れ出す? 手を握る? それだけのはずがない)
だがエレオノーラはその言葉を口にしなかった。この場でウォーレンとトリシャの関係を暴き立てることが、自分にとって何の得にもならないことを本能的に理解していたからだ。
深く息を吸った。
意気地を奮い立たせた。ここで折れるわけにはいかない。エレオノーラがこの館を訪れたのは母と娘の確執を蒸し返すためではない。もっと切実な理由がある。
「トリシャ。あなたに伝えなければならないことがあるの」
「何ですか」
「あなたの目のこと」
トリシャの表情がわずかに変わった。
「あなたの瞳には魅了の力が宿っている。私と同じ力よ」
沈黙が落ちた。蝋燭の炎がちりちりと揺れている。
「あなたは気づいていないのかもしれない。でも、その力は相手の心を蝕む。長期間浴び続ければ、相手の意志を崩壊させる。最悪の場合──」
エレオノーラは言葉を選んだ。
「ウォーレンの心を壊してしまうかもしれないの」
トリシャの瞳が見開かれた。初めて見せた、純粋な驚愕の表情だった。憎悪の仮面が一瞬だけ剥がれ、その下にいる怯えた少女が覗いた。
「嘘……」
「嘘ではないわ。私は自分の力を知っている。だからこそリュシアンにしかその力を向けていない。だけどあなたは力の存在すら知らないまま、無自覚に──」
「待ってください」
トリシャの声が変わった。
驚愕が別の何かに塗り替えられていく。瞳の中で、怯えが消えていく。代わりに浮かんできたのは、エレオノーラが最も見たくなかったものだった。
恍惚。
陶然とした、甘い酩酊のような表情。唇の端がゆるやかに持ち上がり、頬に薄い紅が差した。まるで長年探していた宝物をようやく見つけた者のような、底知れない歓喜の色。
「つまり」
トリシャの声が蜜を含んだように甘く震えた。
「わたくしの瞳には人の心を操る力がある、という事ですか?」
「操るのではないわ。魅了して──」
「同じことですわ」
トリシャが立ち上がった。長椅子の上の本がばさりと落ちた。
「そして、その力を上手に使えば、お父様の心をわたくしのものにできるということですわね。最近寂しかったのです。お父様はもう、私になど興味を失ってしまったのではないかと。私にはお父様しかおりませんから。お母様には随分前に捨てられてしまいましたし」
「違う。私はそんなことを──」
「お母様」
トリシャの琥珀の瞳が、エレオノーラを真っ直ぐに捉えた。
赤く、輝いていた。
青い虹彩の奥に、灯火のような赤い光が点っている。蝋燭の反射ではない。瞳そのものが内側から発光していた。エレオノーラの魅了は紫に光る。だがトリシャのそれは赤だった。血の色だ。
エレオノーラの全身に鳥肌が立った。
「ありがとうございます。教えてくださって。不思議ですわね。わたくしにそういう力があると知った途端、
赤い瞳を湛えたトリシャが微笑んだ。まるで幼子のような無邪気さと、その真逆の様な邪悪さが混在している不気味な笑みだ。
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そして、その笑みの底にエレオノーラは見た。
十年分の孤独が醸した、修復不可能な何かを。
「トリシャ、待ちなさ──」
エレオノーラの言葉が途切れた。
視界が、歪んだ。