辺境奇譚
酒が止まらなくなってしまったのはいつからだったろうか。そんなことを夢うつつの中で考えた。
夜も更けて辺境の街が寝静まったころ、ロビンは酒場――通称ガラクタ酒場のカウンターで目を覚ました。
頬をぺたりとカウンターにくっつけたまま、目だけでぎょろりとあたりを見回す。くすんだ金の髪に青い目。無精ひげに酒でむくんだ顔。この国においては特に変わり映えのしない青年である。しかしそれでもいくつか人目を引く程度によく鍛えられた体躯を持っていた。
そんな男がぎょろりと目だけを動かすのだから不気味と言うほかない。
しかし普段は朝まで眠りこけて、店主に叩きだされるのがこの店の飲んだくれ共である。もちろんロビンもそのうちの一人で、だから目を覚ましたのには理由があった。
自分の席の左隣、つまり顔を向けている方になるが、そこに誰かが座っている。粗悪な燃料をさらにケチった店だ。薄暗くて顔もよく分からない。だが、わざわざ酔いつぶれたろくでなしの隣に座る物好きはいない。つまり、ロビンへ用があるのだろう。
カウンターの天板はロビンの体温を吸い取って生暖かい。少しだけ顔の位置をずらすと、ひんやりとして気持ちがいい。そうしてから、唸るような問いかけを投げる。
「なんか用があるのか? ないならどいてくれ。人がいると寝られないんだ」
「なにが寝られないだこの酔っ払いが。いつもたたき起こしてやってるのは誰だと思ってる!」
とたんにカウンターの奥から罵声が飛ぶ。現れたのはカウンターをひと跨ぎ出来そうな長身のヒゲ面だ。このガラクタ酒場の店主である。店主はその細長い体を器用に折り曲げてロビンの頭をはたく。そうしてランプをきゅっきゅと操作する。ようやくあたりがまともな明るさになった。ロビンとしては強い光で目がチカチカしそうである。
「悪いね、お客さん。この店はどうにもガラの悪い阿呆が多くてね。さっきも言ったが、仕事を頼むにしろ、まずはギルドを介すべきだし、直接頼むにしてもこいつよりましな冒険者はいくらでもいる。考え直したほうがいい」
何のことやら分からないが、ここは金も信用もない底辺冒険者が最後に頼るガラクタ酒場である。酒の安さ以外に誇れるもののない、ギリギリ酒場の体をなしているだけの店だ。僅かばかりの1日の稼ぎさえすっかり酒に変えてしまうような、飲んだくれ揃いの最底辺。ガラクタ共の集まる店、だからガラクタ酒場。
しかしながら、そんな店にわざわざやってくるような人間はすでにまっとうではない。ギルドに頼れないからこそこうして直接やってくるのだ。店主がそれを分からないはずもなかろうに。
ロビンは酒精にぼやけた頭でそんなことを考える。ここを選んだ時点で、控えめに言って頭が沸いている。
「お心遣いありがとうございます。ですが、私はこの人に依頼をしたいのです」
丁寧で優しい言葉。鈴の鳴るような声。大きな声を出しているわけでもないのによく通る。どんな物知らずが来たのやら。ロビンはようやく隣の人間に興味を持った。
目線を隣の席に伸ばす。なるほど、店主が柄にもなく説得を続けるわけである。ロビンは納得する。
なぜならそこに座っているのは辺境、それもこんな場末にいるはずもない真っ当な美人だ。
肩まで伸びた黒い髪は艶があり、女が動くたびにサラリと揺れる。白く張りのある肌に、大きな目。細身ながらしっかりと女性らしさを主張する胸。まるで画家の抱く理想を絵姿を取り出したかのようだ。
これはお人好しの店主は放っておけないだろう。うっかり目を離せばどうなるか分かったものではない。
うたた寝に近い、この心地よい酔いがなければロビンだっていの一番に口説いている。
だが。どれだけの美人であっても、それとこれとは話が違う。依頼を受ける受けないは人の勝手である。
ロビンとしてはこんなに気分よく酔っている時に、仕事の話などしたくない。まして、ギルドを介さない直接指名など、厄介事だと言っているようなものだ。
「そうかい、俺を指名のご依頼か。このザマを見て本気で言ってるなら頭か目の医者にかかるといい」
そう言うとロビンは左手、肘から先の無い腕を振る。中身のないまま垂れ下がった袖がひらひらと揺れる。ロビンは隻腕であった。冒険者でありながら体の一部を失っている。
大抵の人間はこれで怯む。冒険者の多くは実力主義で、辺境であればなおさらだ。文字通り、腕のないやつから死んでいくのだから。
いい女ではあるが、こんな飲んだくれの不具者に依頼とは、頭が弱いに違いない。もしくは金を溝に捨てる趣味があるか。ロビンからすればその程度であると見えた。
しかしそのどちらでもないと、涼やかな声が告げる。
「そうでしょうか? 私はあなたのことを少しは知っています。それでも、私の目を節穴とおっしゃいますか?」
その言葉にロビンが黙る。過去についてああだこうだ言われるのが一番嫌いだったからだ。
苛立ちをぶつけてやろうと口を開く前に、依頼の内容が告げられる。
「竜を殺してほしいのです。あなたにならばと、そう聞いて参りました」
今度こそロビンは完全に押し黙る。
酔いつぶれた飲んだくれ共のうめき声がそこかしこから聞こえてくるが、女はただロビンの答えだけを待っている。
──竜。
それは邪悪なるもの、悪意ある魔の産物だ。生ける呪いそのものである。そんなものを、それを殺して欲しいのだと、目の前の女は言う。
つい、酔いを越えて地が出る。いらだちを声に乗せ、威圧するように問いただす。
「誰に何を言ってるのか、それを知ってるのか?」
「ええ。殺せますか?」
そんなロビンの圧も涼しい顔で受け流す。線の細い美人というだけではなく、よほど肝の据わった女である。
ぐいと温くなったエールを飲み干す。寝ている間も放置されていた酒で、酷い味がする。普段なら見向きもしないそれにロビンは手を付けた。そのおかげか頭が冷えたようである。ようやくまともに回りだした脳みそで思考を巡らせる。
竜にまつわる依頼を受ける機会はそうあるものではない。まして制限のない、殺すだけの依頼ならなおさらだ。機嫌の悪さを見せたまま、頭の中でそろばんを弾く。
依頼へすぐに食いついては安く買い叩かれる。ギルドの管理外である以上、誰も公平さを保証しないのだから。
「……あいにくそれは俺の仕事じゃない」
「もちろん、報酬は弾みます。筋違いの依頼ですから。私に用意できる限りのものを。どんなものであっても、です」
「どんなものも、ねぇ」
ロビンは改めて女へと向き直る。目に浮かぶ下心を隠すことなく、女の肢体を舐めつけるように見回す。その体が欲しいと、そう見せる。
だが、女は戸惑うことなく、むしろ見せつけるように胸を張る。そしてさらりとした髪をかき上げ、白く柔らかなうなじを見せつける。春を売る女としての仕草であり、見た目通りのお嬢様ではないと行動が示している。
女の媚を含んだ目線がロビンの視線と絡み合う。
品定めするはずが、されているのだとロビンは感じた。いや、事実として女は竜を殺せる男を探している。そのために体を差し出すことをいとわぬほどに。
知らず口角が上がる。こういう女を組み敷くのも、悪くない。顔色一つ変えずに自身を値踏みするその整った顔を、静かなその目を、ねじ伏せてやりたいと熱が沸く。
ロビンの腹の底、深い身の内で未だ煮えたぎる怒りがわずかに顔をのぞかせる。それは女には獣の欲に思えただろう。だがロビンの本命は別にある。ただ、竜に至る"何か"にこそロビンの執念がある。
──気づいてくれるなよ?
それを見せたいとは思わない。全てロビンの内にだけあればいい。だから粗暴な男を演じる。冒険者らしく、酒と金と女の身体にだけ興味を持つ男だ。
「報酬はあんたの体。獲ってくるのは竜の首。それでいいか?」
「ええ。構いません。竜を──竜を殺していただけるのでしたら、何もかも、全てあなたに差し出しましょう」
「なら決まりだ。金と女と、竜殺しだ。男の本懐とでもいうかな?」
立ち上がり、外へと促す。外れかけた仮面を付け直すように、大きく笑みを浮かべる。
そうして細くしなやかな女の腰を強引に引き寄せる。女の身体によく似合う黒のドレスは手触りが良い。布越しに感じる温かく、柔らかな肌。華奢でありながらも豊かな胸。襟ぐりからその深い谷間を覗き込み、機嫌よく笑って見せる。たぎる肉欲に内心の興奮を紛れ込ませる。
店主と周りの客に見せつけるようにして店を出る。向かう先は当然宿である。
”そういうこと”のために建てられた宿で、適当な部屋を選ぶ。
ロビンの大きな手のひらには、女の体温が伝わっている。これからに向けて上がる体温だが、その熱は一人だけのものだけではない。ロビンは女の顔に口を寄せて、衝動に任せた言葉をかける。
「さあ、いい夜にしようじゃないか」
もはや言葉はなく、回された腕が答えだった。