薄暗い部屋の中、ロビンは裸身のままに宿の軋むベッドに腰掛けている。無意識に無精髭に右手を当てて、思索にふける。無論竜についてである。
竜とは、一般には過度な願いを魔術に頼った人間の成れの果てと言われる。身の程を知らない欲望を糧にして、暴走した魔術が人を竜に変えるのだと。
人が竜になろうとどれほど求めようと、竜になれるわけではない。竜は、ある日突然になるものだ。前触れはなく、特別な理由もない。ただ、何かの気まぐれのように選ばれた人間が竜へとなるのだ。
ふと、背後へと毛布が引かれる。視線をくれてやれば、女が体を起こしてロビンを見ていた。今さらながらに裸体を隠そうと、胸元まで毛布をかき上げる姿はいっそ扇情的だ。
さんざん乱れた姿を見てきたロビンだが、まだまだこの女は魅力を隠し持っているようである。精を放った後だというのに、無理を押してでも組み敷きたくなる色香がある。
「起きたのか」
「はい。……おかげさまで」
「意外と──」
「何も言わないでください……」
裸で絡み合っておきながら今更の恥じらいである。何が変わる訳では無いと思いつつも、ロビンは口をつぐむ。褥で女を泣かせるのは粋ではない。隣で寝る女の機嫌を損ねても馬鹿を見るだけだ。
だから代わりに今更なことを尋ねる。
「そういえば、名前を聞いていなかったな?」
「……私の体にしか興味がないのかと、そう思うところでした。ハルメル、とお呼びください、ロビン様」
ロビンは今しがた聞いたばかりの名を呼び、もう一度ハルメルを抱き寄せる。彼女は抵抗することなく、むしろ自ら身を寄せてくる。確かにこの柔らかな肉づきへの興味は未だ尽きない。それでも竜を殺せと願うハルメルの目が、その昏いまなざしがロビンの好奇心をそそる。
ロビンの笑みに何を感じたか、ハルメルはロビンへと体を完全に預ける。そしておずおずと左腕に触れる。あるはずのものがない、引きちぎられたような傷跡だけが残る不具の証を。
「別に今更痛むものではないぞ」
ロビンからすれば随分前の傷だ。見た目に痛々しいのは分かるが、触られて困るようなものでもない。むしろ控えめに触れられるとこそばゆい。
「そう……なのですね。これも冒険で……でしょうか?」
「いや、その前だな」
特に語るつもりは無い。ハルメルも恥じたように口を噤む。馴染みの娼婦であればああだこうだと図々しく聞いてくる所だが、その辺りはやはり慎ましくと育てられているのだろう。
「……竜が、怖くはないのですか?」
小さくつぶやかれたその問いは、今更の話である。こうして先払いで体を好きにしたが、踏み倒す気もない。むしろロビンはハルメルに感謝しているくらいである。
「竜は、過大な望みを魔術に頼った人間の、成れの果てと──そう聞きました」
「なんだ、そんな話を信じているのか。それは国とギルドがついた嘘だ」
驚いたようにハルメルの体がびくりと震えた。わずかな明かりが、見開かれたその大きな瞳に映っている。
「竜へ落ちることに理由はない。誰であろうと、俺もあんたも、今この瞬間に竜になったところでおかしくはない。そういうものだ」
竜は、万物への呪いを振りまく、いわば生きる災害だ。そんな存在に、誰もが成りうる。可能性においては、街を這いずる乞食も国を治める王も変わりなく、竜に落ちる。
魔術などというまやかしに、人を変えるほどの力などない。ただ、人の理解が及ばない何かがあるのだ。
とはいえ、その事実を知られるわけにはいかない。
王や貴族、実際に竜の対処に当たる騎士団やギルドは、この事実をひた隠しにする。ただ暮らすことすら困難な時代に、竜へなる恐怖まで抱えさせては民が持たないからだ。
ハルメルからの応答はない。好きでもない男と肌を交えることを厭わぬ、媚びるような、男をその気にさせる雰囲気すら消え失せて。ただ黙ってロビンの言葉をかみしめるように俯いている。
「そんな話は……」
「竜の前に立つこともない、ただ男にねだるだけの女に知らせる必要があるのか?」
瞬間、ハルメルの顔に怒気が現れる。媚びたような笑顔でも、賢しらに振る舞うすまし顔でもなく、火を思わせる怒り。
何が心の内に触れたのか、ロビンに分かるはずもない。だが、ただ従うだけの女を抱いたところで面白くもない。薄く口元を曲げて、激情のままにロビンを振り払おうとするハルメルをロビンが組み敷く。
力の差を思い知らせるように華奢な体をベッドへ縫い留める。隻腕とはいえ、戦いを生業とする冒険者である。荒事に縁のない女一人、大したこともない。
再び屹立し始めるロビンの自身。
肘までしかない左腕でハルメルの柔らかな胸を、その心臓を突く。必死な表情で藻掻き続けるハルメルへと、ロビンは囁く。
「竜は倒されなければならない。そうだろう?」
ハルメルの動きが止まる。その目だけは、燃えるような赤がロビンを睨みつけている。
呪いの塊そのものである竜は、ただの人間を近づいただけで呪殺するほどの瘴気を持つ。ゆえに竜退治ともなれば呪いを払う専門家と、腕の立つ騎士による大規模な討伐隊が組まれるのが普通だ。
そしてそれでも倒すこと叶わぬと判断された竜は、ただ隠される。ハルメルが希う竜とてその一つ。
竜に死を。そのためにハルメルはロビンの下に来た。
隻腕の竜殺し。呪いを食らうもの。竜腕のロビン。
たった一人で竜を殺した男。真実かもわからぬその頼りない噂に、大仰な異名だけを頼りに、ハルメルは辺境まで来たのだ。
ハルメルが目を閉じる。無力さを嗤われた怒りを、ただ体を売るしかない弱さを、ただ竜の首のために差し出す。
その無様さなまでの一途さが、ロビンを動かすのだ。
ハルメルは身体から力を抜き、抵抗をやめる。そして、かすかな戸惑いの後に、自らに覆いかぶさるロビンの顔に手を添える。
「……竜を、殺して下さい……。それだけを、そのためなら、私を全て──」
ロビンは不敵に笑い、ハルメルの言葉を遮るように口づけを落とす。
唇を食み、舌を絡ませる。しばらくのあと、離れる二人の舌を混じり合い境界をなくした唾液がつと繋ぐ。
上気した頬、とろんと焦点をぼやかせている瞳、荒い吐息。ロビンは耳に顔を寄せ、ただ一言を告げる。そうしてハルメルの柔らかな耳たぶを甘噛みする。
ああ、とハルメルが熱い吐息を零し、ぎゅうとロビンの身体に自身を擦り寄せる。
あとはもう、言葉にならぬ声だけが部屋にあふれていった。
***
明朝、未だ眠ったままのハルメルを残してロビンは宿を出る。金は何日か分をまとめて払ってあるから、特に急かす必要もない。反応の良さに気を良くして貪るように抱いたから、昼間まで起きてくることはないだろう。
ロビンは彼女が起きてくる前に、ある程度の調べものをしておくつもりだった。向かった先は、日雇いの仕事から後ろ暗い厄介ごとまで、金になるならどんな仕事でも取り扱うもぐりの口入屋だ。
ただの依頼であっても、裏どりは必要だ。それが竜絡みならなおさらである。
討たれることのない竜だなどと、ギルドを介した情報経路に出てくる話ではない。ギルドがないと言えば、それはないものである。依頼が生まれるはずもない。だからこそハルメルはわざわざスラム同然のガラクタ酒場までロビンを探しに来たのだ。
しかしギルドがいかに箝口令をしこうとも口に戸は建てられぬ。まして、竜がいるのならば、聡い商人や情報を扱う口入屋が知らないはずないのだ。
スラムにほど近い屋台が並ぶ路地へと足を踏み入れる。何の肉か分からない怪しい串焼きを売る露店。そこはロビンが使う口入屋の1つだった。
食べたくもない肉の串に過剰なほどの金子を積む。口入屋は素早く懐に金子をしまうと、焼きたての串を一本ロビンへと手渡した。
討伐されることなく存在を隠された竜と、討伐されたという竜についていくらかの情報が早口で告げられる。あくまで独り言の体としてである。責任逃れの小芝居ではあるが、この辺境では人は消えるものだ。ささやかであろうと身を守る言い訳は必要なのである。
曰く、ここから20日ほど、森にぐるりと沿った先に小さな村があるという。何某だか男爵領に属するその村へと竜が住み着いているらしい。竜は村を縄張りとし、ほとんど外へと興味を持たないため、被害を増やすよりは村を封鎖する策をとったのだろう。
竜は、元となった人間の願いにゆがんだ執着を抱く。だからその小さな村は、竜にとって手放せぬものなのだ。さすがにそのような竜の性質まで口入屋が知るものではないが。
ロビンは話を聞きながらそんなことをつらつらと考えていた。
一通り語り切ると、口入屋はにやにやとロビンへ笑いかける。馴染みであっても親しみを感じたことなど無い関係だ。磨かれたことのないような、黄色い歯列がロビンを堪らなく不快にさせる。
「いやね、旦那。その竜には女がいたらしいんですよ。良いところのご令嬢でね、もちろんその男もご立派なお貴族様だったらしいんですが。ま、竜に堕ちる前の話ですがね。で、夫が竜に成り下がったならその後の仕置きは想像がつくでしょう? なんで、その女は、竜を殺してくれそうな男の前に現れるらしいんでさ。腕のいい冒険者を探して、竜を殺してください、なんてね。自分をそんな目に合わせた竜への復讐なんでしょうねぇ。もちろん依頼を受けて帰ってきた奴はいないようですがね」
時に旦那、昨日はずいぶんいい女を連れていたそうで。
口入屋の下卑た言葉に何を返すでもなく、口を付けず持っていた肉串を放り投げる。慌てて串を受け取る口入屋を気にすることもなく、ロビンはその場をさっさと立ち去る。気の抜けたようなお気をつけて、という言葉に軽く右手を振る。
頭に浮かぶのはハルメルのすがるような目だ。弱さを笑われ目に浮かんだ昏い火。ロビンはその時の赤を思い浮かべる。
竜殺しを願う女が幾人もいるはずがない。呪いの塊にわざわざ手を出すなど、まともな人間のすることではないからだ。
噂を鵜呑みにするわけでもないが、事実だとすればなるほど、納得である。
竜になった人間は人に戻ることはない。世界の理からも外れて、永遠をただ擦り切れていくだけだ。そして呪いそのものとなった竜は、あらとあらゆるものへの害悪である。竜が存在する土地では水を毒に、土は汚泥へと姿を変え、何物も生み出されない腐敗の地に堕ちる。
そんなものを身内から出したハルメルは、どれだけの目に遭ってきたことか。
竜を殺すことができる人間などそうはいない。騎士や冒険者、売剣稼業の人間でも二の足を踏むだろう。それを戦いに向かわせるために、金と体を駆使してきたに違いない。慣れきった褥での所作がそれを裏付ける。
まして噂に上るほどだ。どれだけ自分を使ってきたのか。蝶よ花よと育てられたであろうご令嬢が、身を売る娼婦にまで成り下がり、男の欲にいいようにされる。
だと言うのに、よく磨かれたその美貌も肢体も、竜を討つことはない。自分を削るようにして体を売り、それを叶えられそうな、男どもを差し向ける。その程度しか出来ることがない。そしてそうまで身を窶しても、その身を売ってまで頼み込んでも竜は健在である。
ハルメルの瞳には昏い淀みが渦巻いていた。ここまでロビンが勝手に想像した内容は、恐らく間違ってはいるまい。
愛した夫の業がハルメルへと降りかかっているのだ。さぞ恨みは深かろう。それともまだ、夫への情が残っているのだろうか。
***
いくつかの口入屋を回り裏を取る。そして必要な道具を手配し、ロビンは再び宿へと戻る。
用意が整うまでの間、毎夜ロビンはハルメルを抱く。有り余る欲をぶつけるように、ハルメルへと腰を打ち付ける。
それは、ハルメルからの愛を受けながらも竜に身をやつした夫への嫉妬か。何もかも諦めたように体を売る女への憤りか。
過去を問うことはしない。ロビンはただハルメルの体をむさぼるだけだ。
引き締まった筋肉に由来する底なしの精力に、ハルメルはただただ嬌声を上げて体を震わせるばかりであった。