TDLでの凄惨な特訓から数日。1-Aの教室には、異様な静寂と、それに相反する奇妙な連帯感が漂っていた。除籍された11名の机は撤去され、広すぎる教室に残されたのは、出久を含むわずか9名。
午前中の必修科目は、ヒーロー科といえど一般校と変わらない。
ー午前ー
PM「んじゃ次の英文のうち間違ってるのは?おらエヴィバディヘンズアップ盛り上がれー!!!」
(((普通だ……)))
勝(くそつまんね)
出(関係詞の場所が違うから4番!)
ー昼食ー
昼時、全校生徒が集まる大食堂。
「白米に落ち着くよね最終的に!!」
調理ヒーロー【ランチラッシュ】が、一流の料理を安価で提供する。
出久と生存者8名は自然と同じテーブルを囲んでいた。爆豪は離れた席で一人飯を食っているが、その眼光は常に周囲を警戒している。
食堂内では、他クラスの生徒たちが1-Aのテーブルを遠巻きに眺め、ヒソヒソと噂をしていた。
「おい、あれが例の……」
「入試で大虐殺を行ったっていう……」
「1-Aが半分以上除籍されたってマジかよ……」
障子が複製した耳でその声を拾い、静かに周囲を威圧する。轟は無言で蕎麦を啜り、峰田は震えながらも出久の隣を離れなかった。
そして、いよいよ午後の授業。
全生徒が待ち望み、同時に最も緊張する時間がやってきた。
廊下から、凄まじい風圧と共に、あの「声」が近づいてくる。
AM「わーたーしーがー!!」
重厚な教室のドアが、勢いよく開け放たれた。
AM「普通にドアから来た!!!」
オールマイトだ。
しかし、その笑顔の奥には、教え子である出久への深い懸念と、クラスの惨状に対する痛ましいほどの責任感が隠されていた。
AM「ヒーロー基礎学!ヒーローの素地を作る為、様々な訓練を行う課目だ!!単位数も最も高いぞ!
早速だが今日はコレ!!戦闘訓練!!!
そしてそいつに伴って…こちら!!!」
その言葉と同時に、壁から勢いよくコンテナがせり出す。そこには、生徒たちが事前に提出したデザイン画を元に製作された、各々の個性を最大限に活かすための「戦闘服コスチューム」が収められていた。
出久「コスチューム…!!」
出久のケースには引子が作ってくれたあのデザインをベースに、暴走を抑制し、肉体の負荷を軽減するための特殊なサポートパーツが組み込まれた、「怪物と戦うための鎧」が入っていた。
オールマイトの堂々たる宣言に、生徒たちは興奮を隠せない。
AM「着替えたら順次!グラウンド・βに集まるんだ!!」
格好から入るってのも大切な事だぜ少年少女!!
自覚するのだ!!!!今日から自分は…
ヒーローなんだと!!
この授業が、ただの訓練で終わるはずがない事は重々承知。
自分を恐れる者、そして救おうとする者。
すべての視線が、戦場(演習場)で彼に突き刺さることになるのだ。
ーーー
AM「さあ始めようか。有精卵共!!」
通常のクラスであれば心躍る授業となっただろう。
だが、血塗られた入試を生き残り、憎悪の渦中で「除籍」を免れたこの9名にとってはそれは一種の「宣戦布告」にも似た重みを持っていた。
更衣室の沈黙を破り、金属の擦れる音や布地の衣擦れが響き渡る。
勝己は両腕に巨大な手榴弾型の籠手を装着し、自身の殺意を物理的な破壊力へと変換する準備を整える。
焦凍は自身の個性を象徴するかのような、左側を隠した白い戦闘服に身を包む。
踏陰は闇をより深く宿すための黒きマントを羽織り、目蔵は、その異形を最大限に活かすための合理的かつ伸縮性に優れた装束を選んだ。
実、優雅、力道、口司らも、恐怖を振り払うかのように、あつらえられた「鎧」を纏っていく。
一歩、また一歩と、コスチュームに着替えた生徒たちが陽光の差し込むグラウンドβへと姿を現す。
そこに並び立つ彼らの姿は、もはや「学生」の輝きではなく、過酷な宿命に抗う「守護者」の鋭さを放っていた。
オールマイトは、逆光の中で最後に現れるであろう「彼」の姿を、固唾を飲んで待っていた。
AM「……来たか、緑谷少年」
勝己が鋭い視線を向け、焦凍が静かに目を細める。
更衣室の出口から、ゆっくりと足音が近づいてくるー。
グラウンドβの入り口から現れた緑谷出久の姿を見て、そこにいた全員の思考が停止した。
夕日に照らされた演習場に、金属の擦れる音ではなく、「骨」が軋むような不気味な音が響く。
出久が纏っていたのはかつての面影を辛うじて残す深い緑色のスーツの上に、禍々しい白骨の装甲を組み上げたヒーローとは程遠い「死」を想起させる戦闘服だった。
頭部は 巨大な角を持つ獣の頭蓋骨がフルフェイスマスクとして君臨し、眼窩からはOFAの余剰エネルギーが緑色の怪火となって溢れ出している。
胸部は 剥き出しの肋骨のようなプロテクターが心臓部を厳重に囲い、呼吸に合わせて不気味に上下する。
腕部は肘から先はインドミナス・レックスの鉤爪を模した骨状の外骨格が覆い、指先は常に何かを切り裂く準備ができているかのように鋭利に尖っていた。
それは、母の愛情がこもったスーツをベースにしながらも、内なる
峰田実は、期待していた女子のいない「むさ苦しさ」への愚痴すら喉の奥に引っ込めた。
実「……なぁ、緑谷。それ、ヒーローっつーか……ぶっちゃけ
実は本能的に距離を取り、膝をガクガクと震わせた。
平和の象徴、オールマイトですら、その威容に冷や汗を流していた。
AM「あ、あの……緑谷少年。非常に……個性的だが、なんていうか、その……もう少しこう、『安心感』のあるデザインに作り直せたりはしないかな? ほら、国民のヒーロー像的な観点から言うと……」
出「え!!? 何でですか!? 僕、これ凄く気に入ってるんですけど! 動きやすいし、力の反動も抑えられるし!」
純粋な目で問い返す出久に勝己が苛立ちを爆発させた。
勝「当たり前だ馬鹿!! どこの世界に骨着て笑うヒーローがいんだよ! テメェは一生、日陰で死体でも数えてやがれ!」
しかし、この異質な空気を切り裂く一筋の熱い視線があった。
踏「素晴らしい……! なんという深淵の美学だ!!」
踏陰だけが、その漆黒の瞳をかつてないほど輝かせ、感動に打ち震えていた。
踏「聖なる骨に宿る緑の燐光……己を喰らう怪物と心中せんとするその覚悟、まさに『常闇(エターナル)』! 緑谷、その装束こそが、闇を行く我らの正装だ!」
踏陰は出久の手を取り、本気で感動の涙を浮かべんばかりの勢いであった。
AM「……まあ、着替える時間はもうない。本人の意思が固いならこれでいくしかないな……」
オールマイトは額を押さえながら無理やり授業を進行させた。
AM「今回の訓練は、『室内対人戦闘』! 二人一組のチームに分かれ、核兵器に見立てたオブジェを巡って戦ってもらう!」
出久は、獣の頭蓋骨の下で静かに息を吐いた。
この骨の鎧は、自分を「怪物」から守るための檻であり、同時に、自分を「ヒーロー」として繋ぎ止めるための境界線でもあった。
出「……行こう。僕の、新しい一歩だ」
骨の鉤爪を強く握りしめた出久の背後に、侵食された右半身から漏れる琥珀色の光が、一瞬だけ不気味に瞬いた。
オールマイトは引き攣った笑顔を無理やり立て直し、手に持った抽選箱を激しく振った。
AM「さあ!気を取り直してチームを決定するぞ!運命のダイスは振られた!!」
冷や汗を流しながら箱から引き出されたアルファベットの書かれたくじが取り出される。その結果はある者にとっては絶望であり、ある者にとっては狂喜の予感であった。
Aチーム:緑谷出久 & 峰田実
その時、実は文字通り地面に崩れ落ちた。
実「ひ、ひぃぃぃ!死んだぁあ!!俺の人生、ここで強制終了だぁ!!」
実は泡を吹きながら、出久の「ボーン・アーマー」を指差して絶叫する。
実「なんでだよ!なんでよりによって、この『動く死神』とペアなんだよ!女子はいないわ、隣には骨の怪物が立ってるわ、地獄かよ!!」
出久は申し訳なさそうに、獣の頭蓋骨の下から声をかける。
出「ごめん、峰田くん……でも、君の《モギモギ》は足止めに最適だ。僕が前線に出て、君が後方からサポートしてくれれば……」
実「近寄んな!その骨のカチャカチャいう音が怖いんだよ!!流石に覚悟を決めたオイラでも直ぐに吹き飛んだわ!!」
出久が歩み寄るたびに実は脱兎のごとく逃げ惑う。この二人がどう連携を取るのか、周囲には不安しか漂っていなかった。
Dチーム:爆豪勝己 & 常闇踏陰
対照的に、最も不穏で、かつ圧倒的な殺気を放っていたのがこのペアだった。
勝己は、モニターの結果を一瞥すると、隣に立つ踏陰を「ゴミを見る目」で睨みつけた。
勝「……チッ。鳥頭かよ。テメェは俺の邪魔すんじゃねぇぞ。大人しく隅っこで黒い雑巾にでも包まってやがれ」
しかし、常闇踏陰は爆豪の暴言を全く意に介していなかった。むしろ、出久の装束を間近で見られる喜びに、その漆黒の羽を震わせていた。
踏「……案ずるな。爆炎の者よ。貴公の苛烈な光、そして緑谷の放つ深淵の燐光。この二つが交わる時、真なる混沌(カオス)が降臨する。……フフフ、これぞ正しき狂宴の形」
勝「うるせぇよ、中二病がうつるだろ!!」
勝己の怒声と踏陰の不気味な笑み。最悪の相性に見えてその実、攻撃力においてはクラス最強の「暴力の塊」のようなチームが誕生した。
オールマイトが震える手でヒーローSide、敵さいどを決めるくじを始めると選ばれたのは……。
【第一試合】
ヒーロー:Aチーム(緑谷出久・峰田実)
VS
ヴィラン:Dチーム(爆豪勝己・常闇踏陰)
その瞬間、グラウンドβの温度が数度下がったかのような静寂が訪れた。
出(……かっちゃん。そして常闇くん……。最初から、全力でぶつかるしかない。僕の中の『怪物』を、ヒーローの力に変えて見せるんだ!)
勝「……あぁ? 面白ぇじゃねぇか。そのスカスカの骨ごと、粉々に粉砕してやるよ、デク!!」
踏「
実やだぁぁぁぁ!!帰らせてぇぇぇぇ!!!」
オールマイトは、これから始まるであろう「訓練」という名の「殺し合い」に近い光景を想像し、ごくりと唾を飲み込んだ。
「……各々、配置に付け! 準備ができ次第、スタートだ!!」
ーーー
ヒーロー役の出久と実は、ビルの窓から静かに内部へと足を踏み入れた。出久の纏う「ボーン・アーマー」が一歩ごとに床のコンクリートを微かに削り、カチャリ、カチャリと乾いた骨の音を立てる。
薄暗いビル内では、獣の頭蓋骨の眼窩から漏れ出す緑色の燐光がいっそう鮮やかに輝き、壁に巨大で歪な影を落としていた。
実「ひっ……ひぃぃ、やっぱりコエェよ……緑谷の戦闘服。お前が後ろにいるだけで、ヴィランに追い詰められてる気分だぜ……」
実は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら出久の影に隠れるようにして進む。
実「おい、あんまり急に動くなよ!? その骨の角が俺に刺さったらどうすんだよ! そもそも、こんな『動く標本』みたいな格好してたら、隠密行動もクソもねーだろ!!」
出「……静かに、峰田くん」
出久の返答は、獣のマスク越しに籠もった、低く地を這うような響きだった。
出「かっちゃんは必ず僕を直接狙ってくる。策を弄するよりも、まずは彼を止めないと……」
出久の意識は、すでに自分の周囲数メートルに張り巡らされていた。
ワン・フォー・オールの熱が体内で脈打ち、それに応呼するように、奥底に眠るインドミナス・レックスが、獲物の匂いを嗅ぎつけたかのように歓喜の咆哮を脳内で上げている。
その時だった。
勝「見つけたぜぇ、クソナードがぁあああ!!」
突き当たりの角を曲がった瞬間、凄まじい爆風と熱波が二人を襲った。
勝己だ。彼は「核兵器」の守備など鼻から眼中にない。ただ一人、自分を追い越し、化け物へと成り果てた幼馴染をそのプライドごと粉砕するためだけに突っ込んできた。
勝「死ねぇえ!!」
至近距離で放たれた爆破。峰田は「ギャアアア!」と叫びながら、自身の個性をバラ撒く暇もなく後方へ吹き飛んだ。
しかし、出久は逃げなかった。
ドォォォン!!
爆炎が収まった跡、そこには無傷で立ち尽くす「白い死神」の姿があった。
ボーン・アーマーの腕部装甲が、爆風を真っ向から受け流していた。骨の装甲には焦げ跡すら付いていない。
出「……やっぱり最初に来たね、かっちゃん」
出久から不気味な熱を帯びて膨張し始める。外骨格の隙間から、白い鱗と、琥珀色の眼光を放つ「第2の瞳」が覗いた。
勝「当たり前だ! そのスカスカの骨ごと、テメェの自惚れを吹き飛ばしてやるって言ってんだよ!」
勝己の掌からこれまでにない規模の火花が散る。
出「……峰田くん、君は核の回収を。ここは、僕が食い止める」
ボーン・アーマーの鉤爪を構え、出久は爆炎の中へと跳んだ。
ヒーローと敵、光と闇。そして幼馴染の執着。すべてが混ざり合う、地獄の格闘戦が幕を開けた。
ーーー
演習ビルの冷え切った廊下に爆豪の放つ硝煙の臭いと、常闇の操る黒影が放つ、死の香りに似た濃厚な闇が充満する。
そんな中、勝己は屈辱に顔を歪めていた。
自身の最大火力の爆破を、あの「クソナード」の不気味な骨の装甲が耐え凌いだこと。そして、あろうことか峰田実の、あの卑小で粘着質な「モギモギ」によって足止めを食らったこと。それら全てが、彼のプライドを修復不可能なまでに激昂させた。
勝「んがっ!?……クソがっ! 離れろよこの紫玉ぁ!!」
勝己はブーツの底にまとわりつく粘着球を剥ぎ取ろうと、床に向けて小規模な爆破を連発する。その隙に、出久はボーン・アーマーの重量を微塵も感じさせない速度で、実の肩を掴んで逃走を開始した。
実「よっしゃ! 行け、緑谷! 俺のモギモギは、時間稼ぎにしかならねぇ! あとはお前のその『ラスボス・モード』でなんとかしてくれよ!!」
実は半泣きで叫びながら、出久の装甲にしがみつく。出久の頭蓋骨マスクの奥では、凄まじい速度で計算が回っていた。
出(今の爆破で装甲の右肩部分に亀裂が入った。かっちゃんの火力は、明らかに僕を『殺す』つもりで上がっている。体内のインドミナス・レックスがこの刺激に反応して起きようとしている……。ここでワン・フォー・オールを無造作に使えば、今度こそ僕は『人間』に戻れなくなる!)
背後からは、床や壁を爆破の反動で蹴りながら、弾丸のような速度で追撃してくる爆豪の怒号が迫る。
勝「逃げんじゃねぇ! クソデクがぁ!! テメェのその悪趣味な戦闘服を、肉ごと剥ぎ取ってやるよ!!」
廊下を破壊的な勢いで駆け抜け、核兵器が安置されたフロアの入り口に辿り着いた瞬間、二人の前に「絶望」が立ちはだかった。
部屋の中央、不気味な沈黙の中で、常闇踏陰が待っていた。
彼は既に黒影を広範囲に展開し、部屋の入り口から窓に至るまで、光の届かない「完全な防衛陣」を敷いていた。
踏「来たか、悪意を纏う者よ」
踏陰の瞳にはかつてないほどの警戒の色が宿っていた。彼は誰よりも「闇」を理解するがゆえに出久の装備から溢れ出す、あの忌まわしいインドミナス・レックスの「純粋な殺意」を敏感に察知していた。
出「……常闇くん」
出久の声が、獣の喉から漏れるような低いノイズを伴って響く。
実「う、嘘だろ……後ろからは爆破魔、前には暗黒の鳥男……。ラスボスが二人、挟み撃ちじゃねーかよ!!」
実は絶望し床にへたり込んだ。
その時、背後の廊下を揺るがす轟音と共に、爆豪が姿を現した。
勝「テメェは逃げ回って、助けを待ってるだけか、デク!!それがヒーローか! その醜い姿で、ただ怯えてんじゃねぇよ!!」
爆豪の放った言葉は出久の心臓に冷たい楔を打ち込んだ。
逃げているのは爆豪からではない。自分の中に潜む、あの「白い悪魔」から逃げているのだ。だが、このまま恐怖に支配されれば、それこそが怪物の思う壺だ。
出久は獣のマスクの下で血が出るほど唇を噛み締めた。
出(やるしかない……。常闇くんの防御を突破し、かっちゃんの追撃を振り切る一撃。今の僕が、自分を失わずに放てる、最小にして最強の……!)
出久は、ボーン・アーマーの右腕を前方に突き出した。
全身の筋肉をバネのように絞り込み、全神経を、人差し指一本にだけ集中させる。
ドクン…ドクン…。
心臓の鼓動に合わせて、体内の膨大なエネルギーが、細い指先へと濁流のように流れ込んでいく。
彼は、全身の力を絞り込み、指一本にワン・フォー・オールの力を集中させ始めた。緑色の雷光が、彼の黒い甲冑の指先に、一瞬の輝きを放った。
出久の指先に集束しかけていた緑色の雷光がその思考の転換と共に全身を駆け巡る奔流へと変わった。踏陰の《黒影》による鉄壁の防御、そして背後から迫る爆豪の爆炎。その双璧を同時に、かつ確実に打ち破るための、あまりにも危険で「怪物」に近い解答。
出久(待てよ……? 指先の一撃じゃ常闇くんの影を散らすだけで終わる。かっちゃんの追撃も止められない。……もし、今の僕にできる『最大』をやるなら……。|ワン・フォー・オールとインドミナス・レックス《二つの個性》の力を合わせれば……!)
出久は自身の喉の筋肉を限界まで収縮させた。肺腑に溜め込まれた空気は、ワン・フォー・オールの膨大なエネルギーによって圧縮され、超高圧の弾丸と化す。同時に、彼は意識の深淵にある、あの「白い悪魔」の檻を、ほんの数ミリだけ、意図的に抉じ開けた。
ドクン!!
獣の頭蓋骨マスクの下で出久の喉が異常なほどに膨れ上がる。首筋には緑色の電流と、侵食による白い鱗が浮き沈みし、琥珀色の眼光が闇を射抜いた。インドミナス・レックスが持つ「超広帯域の咆哮」――それをワン・フォー・オールで増幅し、指向性を持たせた「超音波の暴力」。
それは、インドミナス・レックスになる直前の、人間としての理性が保てる最後の境界線。
出「ーーーーーーーー!!!!!」
獣の頭蓋骨の口が大きく裂けるように開き、そこから目に見えるほどの「衝撃の波動」が放たれた。
それはもはや「声」ではなかった。
鼓膜を直接蹂躙し、脳漿を揺さぶる特大の轟音。ワン・フォー・オールによって威力を倍増させた咆哮は、物理的な破壊を伴う圧力となって、正面の常闇と背後の爆豪、そして演習ビルの構造そのものを襲った。
咆哮の直撃を受けた踏陰は、その衝撃に目を見開いた。
踏「なっ……がぁぁぁあああ!!」
闇の中で最強の硬度を誇るはずの《黒影》が、音の振動によって分子レベルで掻き乱され、まるで霧のように霧散していく。踏陰自身も肺から空気を無理やり搾り出されるような衝撃を受け、後方の壁へと叩きつけられた。
背後から肉薄していた爆豪勝己もまた予測不能の「音の壁」に衝突した。
勝「ぐっ、オオォォ!? なんだ……この……音はぁぁ!!」
爆破を放とうとした掌の震動すらも咆哮に上書きされ、爆豪の体勢は無惨に崩れる。廊下の窓ガラスは全て粉々に砕け散り、コンクリートの壁には放射状の亀裂が走った。
実「ぎゃあああ! 鼓膜が…オイラの鼓膜が溶けるぅぅ!!」
出久の足元でうずくまっていた実は衝撃の余波だけで失神寸前まで追い込まれた。
咆哮が止んだ後、ビル内には不気味なほどの静寂が訪れた。
煙塵が舞う中、出久は膝をつき激しく咳き込んだ。喉からは血の混じった唾液が滴り、ボーン・アーマーの首周りのパーツは、内側からの圧力によってひしゃげている。
しかし、その効果は絶大だった。
前方の常闇は昏倒し、後方の爆豪もまた、一時的な平衡感覚の喪失で立ち上がることができない。
出久は半分だけ怪物に侵食された顔を上げ、朦朧とする意識の中で「核兵器」を見据えた。
出「……ま、だ……やれる……」
ボーン・アーマーの指先から緑色の雷光を再び散らしながら、出久は「怪物」と「ヒーロー」の狭間で、勝利をもぎ取るために再び動き出す。
咆哮の衝撃が収まり、硝煙と粉塵が立ち込める演習ビル内。静寂を切り裂いたのは、コンクリートを削るような忌々しい金属音。
勝「……が……はっ……!!」
壁に叩きつけられ、三半規管をズタズタに揺らされたはずの爆豪勝己が震える腕で床を押し上げていた。耳からは一筋の鮮血が流れ、視界は定まっていない。しかし、その瞳に宿る執念の灯だけは、出久の放った超音波の暴力すらも焼き尽くさんばかりに荒れ狂っていた。
勝「おれは……まだ……立ってるぞ……!! デク……!!」
勝己の掌が残ったニトロを絞り出すように火花を散らす。
もはや戦術もクソもない。ただ、目の前で怪物の如き威容を晒す幼馴染を、己の全存在を懸けて否定するためだけに、彼は立ち上がった。その姿は、ある種の神々しさすら帯びた「破壊の化実」であった。
出久は咆哮の反動で喉を焼き、ボーン・アーマーの隙間から漏れ出す緑色の雷光も弱まっていた。爆豪の凄まじい殺気に圧され、出久が防衛姿勢を取ろうとしたその時――。
実「緑谷にばかり……頼ってたまるかよ!!」
その叫びは、場に似つかわしくない、しかし最も人間らしい、恐怖を乗り越えた者の声だった。
峰田実だ。
彼は、先ほどの咆哮の余波で腰を抜かし半泣きで床を這いずっていたはずだった。しかし、ボロボロになりながらも自分を守り、喉を潰してまで活路を開いた「相棒」の背中を見て、彼の心の中で何かが弾けた。
実「オイラだって……オイラだって、モテるために……かっこいいヒーローになりたくて、ここに来たんだぁああ!!」
実は血が滲むまで引き剥がした頭皮の《モギモギ》を放ち、自身の足の裏に接着。勝己が放った爆風の残滓を跳躍のバネに変え、弾丸のような速度で常闇が守っていたはずの核兵器へと肉薄した。
踏陰は未だ咆哮のダメージから回復しきれず、黒影も霧散したまま。勝己の意識は完全に出久へと固定されている。その「隙」は、この戦場において「峰田実」という最小の戦士だけが突ける唯一の針穴だった。
実「届……けぇええええ!!」
実は空中で身体を丸め、最後の跳躍を見せる。
勝己が「しまっ……!」と顔を向けた瞬間には、すでに遅かった。
パシィィィン!!
静まり返ったフロアに実の掌が金属製の核兵器に触れる小気味いい音が響き渡った。
実「……とっ、獲った……。獲ったぞ、緑谷ぁああ!!」
実は核爆弾にしがみついたまま大声で泣きじゃくった。それは、恐怖と絶望のどん底から、初めて自分の手で掴み取った「勝利」の証だった。
モニター室でこの光景を見ていたオールマイトは、マイクを握る手が震えるのを止められなかった。出久が「怪物」の力を使って道を切り開き、最も臆病だった峰田がその道を走り抜けた。
「……ヒーローチーム……ウィ、WIN……!!」
その宣言は、演習ビル内に、そして9名の生徒の心に重く響いた。
勝己は核兵器の前で呆然と立ち尽くし、出久は獣の頭蓋骨を被ったまま、静かにその場に崩れ落ちた。
地獄のような戦闘訓練の第一試合は、凄惨な破壊と、一筋の「勇気」によって、あまりにも劇的な結末を迎えた。