歓声と興奮の余韻がスタジアムを包み込む中、ステージ上に立つミッドナイトが、艶やかな笑みを浮かべて鞭を空高く振り上げた。
MN「第一種目、障害物競走! 予想外の波乱も起きたけれど、これにて上位42名が出揃ったわ! ここからが本当のサバイバル! 息つく暇もなく、第二種目の発表よ!!」
ミッドナイトの背後にある巨大なモニターに、ルーレットが映し出される。目にも留まらぬ速さで回転する文字が、ピタリと一つの項目で停止した。
ミ「さあ、運命の第二種目はこれよ! 『騎馬戦』!!」
モニターに大々的に映し出された文字を見て、出久は小さく息を呑んだ。
出(騎馬戦……! チームプレイと個性の組み合わせが試される競技だ。でも、普通の騎馬戦じゃないはず……雄英だ、必ず過酷なルールの裏がある)
MN「ただの騎馬戦じゃないわよ! 参加者は、自由な組み合わせで2〜4人のチーム(騎馬)を組むこと。ここまでは普通ね。でも、ここからが雄英ルール!」
ミッドナイトは赤い鞭で自身の唇をなぞりながら、グラウンドに集まった42名の生徒たちを見渡した。
MN「先ほどの障害物競走の順位に従って、各競技者には『ポイント』が振り当てられているの! 下から5刻みで、42位は5P、41位は10P、40位は15P……という具合にね。そして、チームの総ポイント数が書かれたハチマキを騎手が頭に巻き、奪い合うのよ!」
その説明を聞き、出久の隣にいた実が指を折って計算を始めた。
実「ってことは……2位だったオイラは、205ポイントか! けっこうな高得点じゃねーか! これなら強い奴から引っ張りだこ……」
ミ「ただし!!」
ミッドナイトの鋭い声が、スタジアムの空気を一変させた。彼女の視線が、そしてスタジアム中の全てのカメラが、たった一人の少年に集中する。
ミ「1位に与えられるポイントは、なんと……
『一千万』よ!!」
その言葉が響き渡った瞬間。
スタジアムから歓声が消え失せた。
出「……え?」
出久の顔から、さぁっと血の気が引いていく。
一千万。その桁外れの数字が意味するものは、あまりにも明確で、あまりにも残酷だった。
ミ「上位の奴を倒せば、一気に下克上のチャンス! これぞサバイバル!
そのミッドナイトの煽り文句と共に、グラウンドにいる残り41名の生徒たちの視線が一斉に出久へと突き刺さった。
つい数分前まで「怪物」としての恐怖を抱いていた者も、今は違う。
彼らの瞳に宿っているのは、純粋な「飢え」と「野心」だった。B組の鉄哲も、普通科の心操も、そして普通科に残っていた天哉でさえも、静かに、しかしギラギラとした捕食者の目で出久を睨みつけている。
勝「……一千万か。上等だ」
勝己は、掌からチリチリと火花を散らし、獲物を狩る直前の獣のような笑みを浮かべた。
焦「……最初からお前を狙えば、確実にトップに立てるということだ」
焦凍の左半身が、静かな熱を帯び始める。彼もまた、その視線を真っ直ぐに出久へと定めていた。
出(……っ!)
出久は全身から冷たい汗が噴き出すのを感じた。
先ほど、怪物の力を抑え込み、人間の足で手に入れた栄光の「1位」。それは、この体育祭という戦場において、全生徒から命を狙われる『最大の標的』となるための烙印だったのだ。
ミ「制限時間は15分! ハチマキの数はチームの総ポイント! 奪われたハチマキは首から上ならどこに巻いてもOK! 騎馬が崩れても、ハチマキを奪われても、時間内ならアウトにはならないわ! つまり、最後まで何が起こるか分からない大乱戦ってこと!」
出(奪われてもアウトにならない……つまり、一度一千万を奪われても、また奪い返すチャンスがある。逆に言えば、僕がこの一千万を15分間、全員からの猛攻を耐え抜いて守り切らなきゃいけないんだ……!)
ミ「それじゃあ、交渉タイム……スタート!!」
ミッドナイトの合図と共に、グラウンドが一気に騒がしくなる。
生徒たちがそれぞれ生き残るため、強力な個性を持つ者同士で声を掛け合い、即席のチームを組み始めた。
出(まずは仲間を探さないと! 2〜4人……つまり、最低でもあと一人は僕のチームに入ってもらわないと、騎馬が成立しない!)
出久は焦燥感に駆られながら周囲を見渡した。
しかし、現実はあまりにも非情だった。
出「……あっ」
出久が声をかけようと視線を向けると、他クラスの生徒たちはもちろんのこと、同じ1-Aのクラスメイトたちでさえ、気まずそうに目を逸らして離れていく。
無理もない。
出久と組むということは、「15分間、最強の爆豪や轟を含めた全チームからの集中砲火を浴び続ける」ことを意味する。そんな自殺行為に等しいリスクを、好んで背負おうとする者などいるはずがなかった。
さらに、出久の心を暗く沈ませる事実があった。
本来であれば、クラスの中でも比較的声をかけやすいはずの「元・クラスメイト」たち……麗日お茶子や蛙吹梅雨たちは、ここにはいない。入試試験と除籍での出来事を経て、彼らは絶望と憎悪と共に姿を消してしまったのだ。
残された1-Aの生徒たち……障子や常闇、砂藤たちも、生き残るためにそれぞれが独自の戦略を立て、既にチームを固めつつあった。
2位という高ポイントを持ち、なんとか出久を利用しようとした実でさえも、この一千万の絶望的なプレッシャーを前にして、今は障子の巨大な腕の中に隠れるようにチームを組んでしまっていた。
出(どうしよう……誰も、僕と目を合わせてくれない。一千万のポイントが重すぎるんだ……このままじゃ、僕一人で……いや、ルール上、一人じゃ騎馬は組めない。参加すらできずに失格になっちゃう……!)
残り時間は刻一刻と迫っていく。
スタジアムの熱狂とは裏腹に、出久の周囲だけが真空地帯のように冷え切り、完全な「孤立」に陥っていた。
人間の姿で勝ち取った栄光が、今、彼を最大の窮地へと追い詰めている。
震える手で自身の右腕を握りしめ、出久が絶望の淵に立たされた。
焦燥感がピークに達し、呼吸が浅くなる。一千万のポイントという重すぎる十字架。全方向からの殺意。怪物の力を封じている今の自分に、果たしてたった一人で耐え切れるのだろうか。
その時だった。
出(……いや、弱気になるな。人間の足で立つって決めたんだ。僕の力で、この一千万を——)
「緑谷さん! 是非私と組んでください!!」
突如、背後から底抜けに明るい声が響き、出久の肩がビクッと跳ね上がった。
振り返ると、そこには見慣れない女子生徒が立っていた。
ドレッドヘアのようにまとまった奇抜なピンク色の髪。瞳にはスコープのような十字の模様が浮かび、頭にはゴーグルを乗せている。その顔立ちは驚くほど整っており、さらには小柄な出久が見上げるほどにグラマラスなプロポーションをしていた。
出「えっ……? あなたは……」
明「サポート科1年H組、発目明です! 障害物競走での貴方の“個性”、実に素晴らしいですね! あれほどの爆発的な推進力と、計算し尽くされた軌道! 物凄いインパクトになります!」
発目明と名乗った彼女は、出久との距離など全く気にしない様子で、グイグイと顔を近づけてくる。出久は思わず顔を真っ赤にして後ずさりした。
明「貴方のその目立つポジション、1位という最高の注目度! 企業に私のドッ可愛いベイビーたちを宣伝する、絶好のチャンスです! 絶対に逃がしませんよ!」
出「ベ、ベイビー……? って、君の発明品のこと?」
明「その通りです! 私はサポート科。ヒーロー科の皆さんを、私の発明品で最高に輝かせるのが仕事ですから! 貴方の一千万という『最大の広告塔』、私が守り抜いてみせます!」
そう言って、発目は背負っていた巨大な機械のバックパックをガシャンと鳴らした。
一千万のリスクよりも、自身の発明品のアピールチャンスを優先する常識外れの思考。しかし、打算的ではあるものの、彼女が明確に「味方」として立候補してくれたことは、今の出久にとってこれ以上ないほどの救いだった。
出(サポート科の発明品……。フルカウルの機動力に、サポートアイテムによる補助が加われば、逃げ切る確率はずっと上がる!)
出「あ、ありがとう発目さん! よろしくお願い……」
出久が手を差し出そうとした、その時だった。
踏「緑谷。俺と組んでくれ」
静かで、しかし確かな意思を持った低い声が、横から割って入った。
出「常闇くん……!」
そこには、腕を組み、鋭い瞳を出久に向けているクラスメイト踏陰の姿があった。黒い鳥のような風貌と、中二病めいた独特の雰囲気を纏う彼。現在、クラスの中でもトップクラスの実力を持つ常闇が、自ら一千万のリスクを背負おうとしている。
踏「お前は俺と同じく、内なる『闇』を抱え生きてきた。だからこそ、お前と組みたい。いや……組ませてくれ」
出久はハッとして息を呑んだ。
常闇の個性『黒影(ダークシャドウ)』。それは圧倒的な強さを誇る反面、暗闇や自身の感情に呼応して凶暴化し、制御不能に陥る危険性を孕んでいる。
それはまさに、出久の体内に潜み、暴走の危険を常に孕んでいる「白い怪物(インドミナス・レックス)」と本質的に同じものだった。
常闇は、出久がその「怪物」という闇を抱えながらも、先ほどの障害物競走で見事にそれを抑え込み、自らの理性と力で勝利を掴み取った姿を見ていたのだ。
同じ「暴走する恐ろしい個性」を持つ者として、その姿がどれほど彼の心を動かしたか。
出(常闇くん……。そうだ、ダークシャドウの圧倒的な防御力と中距離の制圧力があれば、死角からの奇襲や、かっちゃんたちの猛攻にも対応できる!)
出「常闇くん……! ありがとう、すごく心強いよ!」
これで三人。騎馬戦を成立させるための最低人数である「騎手一人、馬二人」の条件はクリアした。
しかし、出久の頭の中では、すでに完璧なフォーメーションが組み上がっていた。機動力、防御力、そしてサポートアイテム。あとは……。
出(あとは、相手の意表を突いてペースを乱し、確実に逃げ切るための『ジョーカー』が必要だ……!)
出久は周囲を見渡し、そして、先ほどまで自分の背中にへばりついていた、ある人物に狙いを定めた。
出「峰田くん!!」
実「ひぇっ!? な、なんだよ緑谷! 爆豪に殺されそうになってるオイラを差し出す気か!?」
目蔵の影に隠れてガタガタと震えていた峰田に、出久は真っ直ぐに手を差し伸べた。
出「違うよ! 僕たちのチームに入ってほしいんだ! 君のモギモギが、絶対に必要になる!」
実「はぁ!? お前、自分が一千万で全員から狙われてるの分かってんのか!? そんなデスゲームにオイラを巻き込む気かよ! お断りだね、オイラは安全な障子の胸の中で……」
出「峰田くん!」
出久は強く、決意に満ちた声で峰田の言葉を遮った。
出「君はさっき、僕の爆発を利用して2位になった。それは君の執念と、生き残るための計算だ。
……この騎馬戦も同じだよ。僕が全力で走って、常闇くんが守り、発目さんのアイテムで飛ぶ。君は僕の背中から、相手の足元にモギモギを投げるだけでいい。絶対に、一千万を守り切って見せる!」
その力強い言葉と、出久の揺るぎない眼差しに、峰田はごくりと息を呑んだ。
そして、チラリと出久の後ろに立つ発目明のグラマラスな胸元に視線を落とすと、彼の顔つきが途端に卑しいものへと変化した。
実「……前は緑谷、右は常闇、左は発目……体格的にオイラは上か。ってことは、必然的にオイラの顔は、発目の……!」
明「さあさあ、私のベイビーを早く装備してください!」
発目が無頓着に身を乗り出したことで、その豊かな胸が峰田の目の前で大きく揺れる。
実「……乗った!! 緑谷、オイラのモギモギで全員の足をくっつけてやるぜェェ!!」
煩悩にまみれた決断ではあったが、ここに機動力、防御力、妨害力、そしてサポートアイテムを備えた、10,000,205ポイントを背負う最強の逃亡チーム『チーム緑谷』が結成された。
MN「さあ、交渉タイム終了よ!! チームは決まったわね!?」
ミッドナイトのムチが鳴り響く。
グラウンドには、それぞれの思惑と戦略が交錯する騎馬たちが、既に戦闘態勢を整えていた。
勝己率いる『チーム爆豪』、焦凍率いる『チーム轟』、そして心操が率いる不気味な洗脳チーム。
全ての視線が、中央で陣形を組む出久たちのハチマキ……『一千万』の数字へと突き刺さる。
出「フルカウル、5パーセント……!」
出久は全身に緑色の稲妻を這わせ、怪物の細胞を沈黙させたまま、騎手として三人の肩の上に力強く立った。
MN「第一種目の上位から下位まで、下克上のチャンスは誰にでもあるわ! 15分間のサバイバル、雄英体育祭第二種目……」
出(来る。全員が、僕を潰しに来る……!)
MN「騎馬戦……スタートォォォ!!!」
開戦の合図と共に、スタジアムの熱狂が最高潮に達し、一千万を巡る壮絶な狩りが幕を開けた。
ーーー
制限時間15分、一千万ポイントを巡る残酷なサバイバルの火蓋が切られたのだ。
開戦の合図と同時、グラウンドの土が大きく抉れた。
ほぼ全チームが一斉に、スタジアムの中央に陣取る『チーム緑谷』――出久の頭に巻かれた一千万のハチマキめがけて猛ダッシュを仕掛けてきたのだ。
「まずは一千万だ!!」
「あの怪物をここで潰す!!」
怒号と殺意が四方八方から押し寄せる。
騎馬の数はかなりの少数。それも多くが普通科とサポート科が占めていた。無理もない。
なぜなら、本来この体育祭で主役となるはずのヒーロー科1年A組や他のクラスメイトは、雄英入試やUSJでの『インドミナス・レックス』の暴走による惨劇、そして消太の容赦ない個性把握テストでの除籍処分により、その半数以上が既にこの雄英から姿を消しているのだから。
自らの内に潜む怪物が引き起こした、取り返しのつかない喪失。
出久はその重すぎる罪悪感を噛み殺し、今はただ、人間の姿のままヒーローとして生き残るために声を張り上げた。
出「来るよ! 常闇くん、発目さん、峰田くん!!」
先陣を切って突っ込んできたのは、B組の鉄哲を中心とした突撃陣形だった。
鉄「もらったァァァ!!」
出「発目さん!!」
明「はいはいはい!! 私のドッ可愛いベイビーの力、とくとご覧あれ!!」
鉄哲の拳が届く寸前、出久たちの騎馬の左翼を担う発目が、背負っていた巨大なバックパックのスイッチを起動した。
轟音と共に強力なジェット噴射が下方向へと叩きつけられ、出久たち四人の身体がふわりと宙に浮き上がる。
「なっ!? 飛んだ!?」
踏「黒影(ダークシャドウ)!!」
黒『アイヨォォォッ!!』
飛び上がった無防備な足元を狙い、他のチームが個性を放とうとした瞬間、踏陰から実体化した黒き魔獣が大きく翼を広げ、全方位の死角からの攻撃を弾き飛ばした。
出「峰田くん、今だ!!」
実「言われなくても分かってるぜェ!! 喰らえオイラのモギモギ!!」
後方に配置された実が、自身の頭から粘着球を連続で引き抜き、眼下の地面へと次々に投げつける。
着地地点を予測して群がっていた敵チームの生徒たちは、突如として降り注いだ紫色の球体に足や靴をべったりとくっつけられ、次々とその場に縫い止められていった。
「うわっ!? なんだこれ、取れねぇ!!」
「動けない! 騎馬が崩れる!!」
明「素晴らしい! ホバーによる空中回避と制圧、私のベイビーの大・成・功です!! 企業の皆さん、見てますかー!?」
出(よし……! このフォーメーションなら、逃げ切れる!)
ジェットの推進力が切れ、出久たちがグラウンドの端へと着地したその時。
勝「テメェらだけでいい気になってんじゃねェェェ!!」
上空から、凄まじい爆発音と共に猛スピードで突っ込んでくる影、勝己の姿が!。
彼は寄せ集めの生徒たちで作った騎馬の先頭から、単身、掌の爆破を推進力にして空を飛び、一直線に出久の一千万へと手を伸ばして来た。
出「かっちゃん!!」
踏「迎撃する! 黒影!」
踏陰がダークシャドウを爆豪へと向かわせようとした、まさにその刹那だった。
「いやあ、油断大敵だねえ。A組ってのは本当に視野が狭い」
横手から不意に伸びてきた手が、勝己の首元を掠めた。
いや、違う。勝己の首に巻かれていた、彼自身の持ち点である数百ポイントのハチマキが、その手に鮮やかに奪い取られていた。
勝「あァ!?」
空中でバランスを崩した勝己が、舌打ちと共に自身の騎馬へと着地する。
ハチマキを奪い取ったのは、B組の狂気的な笑みを浮かべる金髪の少年――物間寧人だった。
寧人は奪い取った爆豪のハチマキを自身の首に巻きながら、酷薄な笑い声を上げた。
寧「一千万に目が眩んで足元がお留守だよ? さすがは自己中心的なA組様だ。USJであんな恐ろしい化け物を暴走させておいて、半数以上のクラスメイトが死ぬか除籍になって消えたっていうのに……残った君たちは、いけしゃあしゃあとトップ争いのお遊戯かい? 本当に、ヒーロー科の面汚しだよ。今やただの『残りカス』じゃないか」
その言葉は、爆豪の逆鱗に最も深く、最も鋭く突き刺さった。
その『空席だらけの教室』の光景が勝己の脳裏にフラッシュバックする。
勝「…………あァ!?」
勝己の全身から、これまでにないほどどす黒く、殺意に満ちた硝煙が立ち上った。
ギリッ、と牙のような歯を食いしばり、勝己は眼を血走らせて物間を睨みつける。
勝「殺すぞテメェ……!! テメーらのところだってほとんどいねーじゃねえか!!」
その爆豪の怒号に、余裕ぶっていた物間の顔から一瞬だけ、ピクリと笑みが消えた。
そう、B組とて無事ではなかったのだ。彼らもまた過酷な運命と選別の中で、多くの仲間になるはずだった者を失っている。痛いところを突かれた寧人は、しかしすぐに忌々しげな笑みを取り繕った。
寧「ふふっ……言うじゃないか。なら、その減らず口ごと叩き潰してあげるよ!」
寧人が掌を勝己に向けて突き出す。次の瞬間、彼の手から爆豪と全く同じ『爆破』の個性が放たれた。
勝「俺の個性……!? コピーか!! 上等だ、あのクソ舐めた金髪野郎からブチ殺す!! デクは後回しだ、追えお前らァ!!」
勝己の騎馬が、完全に標的を寧人に変えて猛ダッシュを始める。一千万を狙う最大の脅威の一つが、彼の挑発によって見事にルートを逸れた瞬間だった。
出(かっちゃんが、B組のチームと……!)
出久が安堵の息を吐きかけたのも束の間、周囲の空気が、急激に凍りつくのを感じた。
足元の地面が、パキパキと音を立てて白く霜結んでいく
。
出「この冷気……!」
踏「来るぞ、緑谷!!」
土煙の向こうから、静かに、しかし絶対的なプレッシャーを放ちながら進み出てくる一つの騎馬があった。
先頭で手綱を握るのは、右半身から凄まじい冷気を立ち上らせる焦凍。
彼の騎馬を支えるのは、前衛に複数の腕を展開する目蔵。左翼には、キラキラとベルトを輝かせる優雅。
そして、右翼――かつて出久たちと共にA組の教室にいた、見慣れた真面目な顔立ちの少年。
出「飯田、くん……!」
個性把握テストの結果、ヒーロー科を除籍され、普通科へと転籍させられた飯田天哉。
彼は眼鏡の奥の瞳に、かつての優等生らしい温かさを一切捨て去り、出久を真っ直ぐに、冷たく見据えていた。
飯「緑谷くん……。僕は、あの日ヒーロー科から落ちた。君の中の怪物にも、相澤先生の評価にも、打ち勝つことができなかった」
天哉の両足のエンジンから、キュラキュラと排気音が唸りを上げる。
飯「だが、僕は兄のようなヒーローになる夢を、絶対に諦めない! この普通科の底辺から這い上がってみせる……そのために、君の一千万を奪う!!」
焦「……悪いな緑谷。お前が怪物を抑え込もうが関係ない。俺は俺の力で、トップを獲る」
氷結の個性を放つ轟と、レシプロのエンジンをふかす飯田。
A組の生き残りと、這い上がりを誓う堕ちたクラスメイトによる、最悪で最強の騎馬が、出久の目の前に完全に立ち塞がった。
MN『残り時間、半分を切ったわよォォ!!』
スタジアムに響き渡る実況の声。
全身にフルカウルの5パーセントの稲妻を這わせながら、出久は腹の底に力を込め、目の前の強敵たちを真っ向から睨み返した。焦凍の右足から放たれた氷結が、ジリジリと出久たちの退路を奪っていく。
焦「逃げ場はないぞ、緑谷」
焦凍の冷徹な声と、普通科へ落とされた天哉の足から響く憎悪めいたエンジン音が、出久の鼓膜を容赦なく叩きつけた。
さらに後方からは、他のチームも一千万の首を狙ってじわじわと包囲網を狭めている。
残された時間は少ない。このままでは確実に一千万のハチマキを奪われる。絶体絶命の窮地だった。
出(まずい! このままだと僕たちが負ける……! でも、インドミナス・レックスを出すわけには……)
出久の脳裏に、かつての惨劇がフラッシュバックする。
暴走した白い怪物は、見境なく暴れ狂い、多くのクラスメイトたちの命を奪い、日常を徹底的に破壊した。麗日も、蛙吹も、切島も、もうこの教室にはいない。自分がその力を引き出せば、また同じ惨劇を繰り返してしまうのではないか。
その恐怖があるからこそ、出久はフルカウルの5パーセントという薄皮一枚の出力で、ひたすらに怪物を檻の中に閉じ込めてきたのだ。
だが、出久の心にふと、ある考えがよぎった。
出(いや待て……! 僕はこのままで……自分の“個性”《インドミナス・レックス》を、一生拒絶したままでいいのか?)
もしこの先、絶対に負けられない強敵と出会った時。
絶対に救けなければならない命が目の前にある時。
それでも自分は、「暴走が怖いから」と言い訳をして、自らの手の中にある最大の力を使わないつもりなのか。
否、だ。
出(それじゃあ、誰も救けられない。僕は……ヒーローになれない!)
これまで、血を吐くような特訓を重ねてきたではないか。ただ怪物を恐れて逃げるのではなく、己の肉体と精神で、あの絶大な力をねじ伏せ、制御するための地獄の日々。
やれる筈だ。いや。
出「やるしか無い」
出久の瞳から、一切の迷いが消え失せた。恐怖を乗り越え、己の業を完全に背負う覚悟を決めた者の、強烈な光が宿る。
出「常闇くん! 黒影で、峰田くんと発目さんを持ち上げられる!?」
突如として放たれた切羽詰まった指示に、背後で構えていた踏陰は目を見開いた。
踏「可能だが……!? まさか、お前……!!」
踏陰は気づいたのだ。出久の体から漏れ出ていた微弱な緑色の稲妻が不気味なほどに静まり返り、代わりにひどく冷たく、生暖かい「異質」な気配が内側から膨れ上がり始めたことに。
同じく内に怪物を飼う常闇だからこそ、その兆候が何を意味するのかを瞬時に悟った。
出「早く!」
出久の悲痛な、しかし決意に満ちた叫び。踏陰は短く舌打ちをすると、自身の内なる影に向かって吠えた。
踏「ク……ッ! 武運を祈る、緑谷!」
黒影が巨大な腕を展開し、踏陰自身と両脇にいた実、明の三人を強引に抱え込み、上空へと高く舞い上がった。
騎馬である出久の上から、重荷が消えた。
大地に一人で立つ出久。彼に向かって、轟の氷結が容赦なく襲いかかる。
だが、その氷が出久の足元に触れる直前。
ドクンッ!!
スタジアム全体を揺るがすような、不気味で巨大な心臓の音が響き渡った。
出「グ……ッ! ガアァアァア!!!」
出久の口から、人間のものとは思えない苦悶の咆哮が漏れる。
彼の皮膚が内側から激しく隆起し、衣服を引き裂いた。溢れ出したのは純白の硬質な鱗。人間の骨格が、関節が、筋肉が、異様な音を立てて爆発的に再構築されていく。
背骨が伸びて太く強靭な尻尾が形成され、両腕には巨大な刃のような爪が生え揃う。人間の顔面は、無数の鋭い牙が並ぶ凶悪な肉食恐竜の顎へと変貌を遂げた。
「なっ……!?」
迫り来る焦凍も、天哉も、スタジアムを埋め尽くす観客たちも、その圧倒的で冒涜的な変化を前に、本能的な恐怖で完全に動きを止めてしまった。
上空へ避難していた踏陰、実、明の三人が、黒影のコントロールによって静かに下ろされる。
彼らが着地したのは、グラウンドの土の上ではない。
三人が乗っていたソレは、全長十メートルを優に超える、白亜の巨大な恐竜の背中だった。
出「ーーーーーー!!!!」
スタジアムの空気を引き裂き、人々の鼓膜を破壊せんばかりの、王の絶叫。
クラスメイトたちを蹂躙し、雄英を恐怖のどん底に叩き落とした絶望の象徴が、今再びグラウンドに顕現したその瞬間。
スタジアムを支配していた熱気と大歓声は、氷水を浴びせられたかのように一瞬で凍りついた。
実況席でマイクを握っていたプレゼント・マイクの言葉が途絶え、観客席を埋め尽くす大勢の一般客やプロヒーローたちが、息をすることすら忘れて目を見開く。そして、茶の間のテレビ画面を通じてこの体育祭を観ていた全国の市井の人々もまた、画面に映し出された圧倒的な異形と暴虐の存在感に、背筋を冷たい汗が伝うのを感じていた。
あの未曽有の絶望を巻き起こした「白い怪物」が、白日の下に姿を現したのだ。
しかし、以前とは明確に違う点があった。
その凶悪な赤紅の瞳に宿っているのは、見境のない狂気や殺戮衝動だけではない。騎馬戦を勝ち抜こうとする確固たる意志と、己の暴虐を支配下へ置こうとする強靭な「人間の理性」が、怪物の奥底で静かに息づいていた。
自身の個性を完全に解放し、巨大なインドミナス・レックスへと変身を遂げた出久。
彼の太い首には一千万のハチマキが誇り高く巻かれたまま、圧倒的な暴力の化身となって、轟たちを見下ろしていた。
巨竜の背の上に直接立たされる形となった騎馬の面々も、当然ながら正気ではいられなかった。
実「ギャーーー!! 変身しちまったー! 終わった、オイラたちの人生が終わったぁぁぁ!!」
実は自身の頭を抱え、涙と鼻水を撒き散らしながら絶叫した。一千万のハチマキどころの話ではない。脚元の巨大な皮膚が波打つたびに、死の恐怖が脳裏を焼き尽くす。
踏陰「緑谷……」
常闇もまた、冷や汗を頬に伝わせながら、自身の手綱を握る手に一層の力を込めた。いくら己の内に同じく暴走の危険を秘めた影を宿しているとはいえ、この圧倒的な質量と凶暴性の圧迫感は別格だ。緑谷出久という少年の理性が、いつこの怪物の本能に飲み込まれてもおかしくはない。
だが――この異様な極限状態の中で、ただ一人だけ、恐怖とは全く無縁の眼差しを向けている者がいた。
明「最高です……」
明である。
彼女はうっとりと瞳を潤ませ、スコープ状の目を最大まで開いて、足元の白亜の鱗や強靭な筋肉の隆起を舐め回すように見つめていた。
明「なんて素晴らしい! このでかさ! この迫力! 最高の条件です!」
パニックに陥る周囲など視界に入っていないと言わんばかりに、発目は歓喜の声を上げる。彼女にとって、この巨大な体躯と圧倒的な注目度は、恐怖の対象などではなく「史上最高の展示場」でしかなかった。
明「これなら私のとっておきのどっかわいいベイビーを引き立たせられます!」
発目はそう叫ぶやいなや、背負っていた大型のコンテナから、金属の重厚な作動音と共にゴツゴツとした巨大なアーマー状の器具を取り出した。それは彼女がこの体育祭のために夜を徹して組み上げた、大型個性の動きを補正・増幅するための試作品アイテムだった。
彼女は巨大な恐竜の背の上で一切の物怖じもせず動き回り、インドミナス・レックスの太い首元と胸部に、ガシャン! と重厚な金属パーツを強引に装着してみせた。
明「さあ緑谷さん。私のベイビーを引き立たせてくださいね!」
出「ーーーー!!!」
インドミナスの口腔から放たれた地響きのような咆哮。衝撃波となってグラウンドの土煙を吹き飛ばしたその叫びは、どう考えても彼女の要求に対する「了承」ではなかった。むしろ「勝手なものを付けるな」という苛立ちと不快感に満ち満ちていたが、発目は「いい返事です!」と意に介さず親指を立てていた。
そして、その怪物の咆哮が引き金となった。
「ヒッ……ひいいいいいっ!?」
「で、出たァァァ! USJの化け物だァァァ!!」
スタジアムのグラウンドに広がったのは、競技どころではない完全なパニックだった。
一千万のハチマキを狙って群がっていた生徒たちが、本能的な死の恐怖に耐えかねて蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出し始める。
中にはパニックのあまり足がもつれ、自ら騎馬の陣形を崩して転倒し、味方を置き去りにして一目散にスタジアムの壁際へ逃げ惑う者まで出る始末だった。
「待て! 競技中だぞ! 陣形を保て!」
「無理だ! あんなのに踏み潰されたら死ぬ!!」
秩序は完全に崩壊した。
クラスメイトを喰らい、教師陣やプロヒーローをも戦慄させた惨劇の記憶が、生徒たちの脚をすくませる。何十人もの生徒が一千万という喉から手が出るほど欲しいポイントを投げ出し、ただただ白い怪物から距離を取ろうと必死に駆けずり回っていた。
その地獄絵図のような惨状の真っ只中で、しかし、足を止めない者がいた。
勝「逃げてんじゃねぇぞ雑魚どもがァァァ!!」
爆薬の弾ける音と共に、上空から一直線に降り注ぐ殺意の塊。勝己だ。
寧人への怒りもそのままに、彼は自分以外の周囲が恐怖で逃げ惑う中で唯一、ギラギラとした歓喜と怒りを瞳に宿してインドミナス・レックスの頭上へと肉薄していた。
勝己「デクゥゥゥ! どんな姿になろうが関係ねぇ! テメェは俺の前に立つんじゃねぇぇ!!」
勝己の両掌から放たれた最大級の爆破が、インドミナスの側頭部で炸裂する。凄まじい衝撃と硝煙が白亜の頭部を包み込んだ。
しかし――煙の向こうから現れたのは、傷一つついていない巨大な白の頭部だった。
硬質な外骨格状の鱗が爆炎を完全に無効化している。赤く輝く瞳が、空中で滞空する爆豪を静かに捉えた。
「―――!?」
次の瞬間、インドミナスの太く長い尾が、しなる鞭のように空を切り裂いた。
ドガァァン!!
「ガハッ……!?」
空気の壁を破る音と共に放たれた一撃は、勝己の身体を直撃こそしなかったものの、その絶大な風圧だけで彼を遠くの壁際まで吹き飛ばした。間一髪で掌の爆破を死力で放ち、壁への激突を免れた勝己だったが、着地した両足は激しく震えていた。
勝「クソが……! 効いてねぇだと……!?」
そして、その反対側からは、一切の恐怖を排した冷徹な冷気が忍び寄っていた。
焦「……大きく動けば、それだけ隙も増える」
轟焦凍。
彼はパニックに陥る周囲の生徒たちを眼中に置かず、右足を強く踏み込んだ。
ザザザザッ!! と音を立てて、グラウンドの土を覆い尽くす超巨大な氷の尖塔群が連なり、インドミナス・レックスの巨大な足元から、その巨躯全体をまるごと氷漬けにせん勢いで押し寄せた。
巨躯ゆえの回避の難しさ。轟の氷結は一瞬にしてインドミナスの両脚を包み込み、そのまま太もも、背中へと駆け上がり、数メートルにおよぶ分厚い氷の牢獄を作り上げる。
焦「捕まえたぞ、緑谷」
焦凍の氷結が完成したかに思えた、その刹那。
ミリ……パキッ……。
凍りついた氷塊の内側から、不穏な亀裂の音が響いた。
焦「な……っ!?」
次の瞬間、焦凍が放った渾身の氷結が、内側からの圧倒的な筋力と、発目が強引に取り付けた増幅ベイビーの駆動エネルギーによって、内側から爆発するように粉々に砕け散った!
氷の破片がダイヤモンドの雨のように降り注ぐ中、白い怪物は何事もなかったかのようにその巨大な一歩を踏み出す。
出「グルルルルァァァァ!!!―――」
怪物の咆哮。しかし、その声の奥底には、必死に怪物の本能を抑え込み、仲間の乗る背中を揺らさないように絶妙な体幹のバランスを維持しようとする、緑谷出久の凄絶な理性の意志が確かに存在していた。
明「見ましたか企業の方々! 私のベイビーは、あの怪物のパワーを逃がさず推進力に変換しています!」
背中で呑気に叫ぶ明の声と、死ぬ気でしがみつく峰田の悲鳴、そして黒影を展開して周囲の飛び散る氷塊を撃ち落とす常闇の怒号。
狂気とパニックが交錯するグラウンドで、一千万のハチマキを首に巻いた白亜の巨竜は、残された時間と押し寄せる脅威を前に、なおもその巨躯をそびえ立たせていた。
だがしかし、一見すれば、理性を失った絶望の怪物がただ見境なく暴れ狂っているだけの地獄絵図。周囲から見れば、出久は完全に怪物に飲み込まれたのだと錯覚しただろう。
だが、現実は違った。
巨竜の背中の上では、明がアーマーの出力を細かく調整し、踏陰の『黒影』が巨躯ゆえに生じる死角への攻撃を完璧に弾き落としている。
峰田は泣き叫びながらも自身の粘着球を要所に投げつけ、他チームの接近を許さない。各々が自身の性能と役割を最大限に引き立たせ、この白亜の巨竜を難攻不落の「移動要塞」として完成させていたのだ。
出(意識が……吹き飛ぶ……!!)
しかし、その要塞の核たる緑谷出久の精神は、絶え間ない削り合いの最中にあった。
血を吐くような特訓の結果、一時的にではあるが、怪物に変身した状態でも理性を保ち、制御できるようになった。
だが、それも限界がある。インドミナス・レックスという生物が持つ「全てを破壊し、喰らいたい」という根源的な殺戮本能は、常に津波のように出久の小さな理性を押し流そうと暴れ狂っていた。
出久の精神は、完全に操られないよう必死に抵抗していた。
故に、この姿を維持できる時間は極めて短い。
このままだと、完全に支配される。再び、取り返しのつかない惨劇を引き起こしてしまう……!
焦燥と恐怖が限界に達しようとした、その刹那。
インドミナス・レックスの巨大な身体中に、バチバチと緑色の電流が奔った。
出(……違う。僕は、何のためにこの力を引き出したんだ。恐れるな。逃げるな……!)
出久の意識が、自らの内に潜むどす黒い本能に向かって真っ向から牙を剥いた。
出(お前は……僕の“個性”なんだろ……?)
怪物は僕じゃない。僕が、
その強烈な自我の確立と共に、緑色の雷光が全身の鱗を覆い尽くすほどに激しく瞬き始める。そして、恐竜の巨大な口腔の奥深く、無数の鋭い牙が並ぶ喉の奥に、かつてないほどの超絶なエネルギー『ワン・フォー・オール』の力が収束していく。
物理的な圧力を持った光と振動が、怪物の口元で圧縮されていくのを感じ取り、背上にいた常闇が血相を変えた。
踏「不味い……!! 全員耳を塞げ!!」
踏陰の悲痛な警告。しかし、発目は全く動じることなく、不敵な笑みを浮かべてコンテナから新たなアイテムを取り出した。
明「問題ありません! これ使ってください!!」
明が素早い手つきで取り出したのは、自身の工房で開発した超高性能な防音・衝撃吸収ヘッドホン型耳栓だった。彼女はそれを実と踏陰に乱暴に押し付け、瞬時に自身も装着する。
三人がヘッドホンを耳に当てた瞬間、世界から一切の音が遮断された。
異変を察知したのは、背上の三人だけではない。
一千万を狙って接近していた勝己、氷の陣地を展開していた焦凍、そして周囲で様子を伺っていた他チームの面々も、怪物の口元に収束する異常なエネルギーの奔流に戦慄し、本能的に両手で耳を塞いだ。
緑色の雷光が最高潮に達し、出久の人間としての意志と、怪物の咆哮が完全に同期する。
出(たまには従え!!!)
出「ーーーーーーーー!!!!!」
ワン・フォー・オールの絶大な出力を纏った、大咆哮の発動。
それはもはや「声」や「音」という概念を超越した、純粋な破壊のエネルギー波だった。
インドミナス・レックスの口から放たれた目に見えるほどの巨大な衝撃波が、扇状にグラウンドを薙ぎ払う。
ドガァァァァァァァァァァァン!!!!!
爆発音すらも掻き消す圧倒的な衝撃が、スタジアム中の空気を力ずくで押し潰した。
直後、グラウンドの大地が耐えきれずにメキメキと音を立てて砕け散り、巨大なクレバスを描きながら凄まじい勢いで隆起していく。
焦凍が展開していた分厚い氷の壁は一瞬にして粉微塵に吹き飛び、爆豪の騎馬も、飯田の騎馬も、その場にいた全ての生徒たちが、隆起した大地と暴風のような衝撃波によってなす術もなく後方へと吹き飛ばされた。
土煙と氷の破片が乱舞し、スタジアム全体が激震に見舞われる。
大地の割れる轟音が収まった後、そこには完全に地盤がひっくり返り、クレーターのように変形した無残なグラウンドの中央で、一千万のハチマキを首に巻いたまま悠然と立ち尽くす、白亜の巨竜の姿だけがあった。
しかし、その威容を保っていられたのはほんの数秒のことだった。
出(やった……! なんとか、凌い……)
出久の限界は、とうに超えていた。恐るべき殺戮本能を理性の檻に押さえ込みながら、ワン・フォー・オールの絶大なエネルギーを制御するという二重の負荷。それは十五歳の少年の肉体と精神を、容赦なく限界の底へと引きずり込んだ。
出「ガ……ァ……ッ」
喉の奥から空気が漏れるような音が響き、インドミナス・レックスの巨体が大きくグラついた。
次の瞬間、白亜の硬質な鱗が、強靭な筋肉が、シュウウウウと熱い蒸気を噴き出しながら急速に縮小していく。爆発的な細胞の再構築が逆行し、恐竜の肉体が人間のそれへと戻っていく。
変身が解けた出久の身体は、完全に糸の切れた操り人形のように重力を受け、前方へと傾いた。完全に意識が飛びかけ、真っ逆さまに落下しそうになる。
踏「緑谷!!」
その刹那、間髪入れずに動いたのは常闇だった。
踏「
黒『アイヨォォォッ!!』
常闇の影から実体化した黒き魔獣が、落下しかけた出久の小柄な身体を空中で柔らかく、しかし力強くキャッチする。
そしてそのままの勢いで、常闇、明、実の三人は瞬時に陣形を再構築した。
出「ハァッ……ハァッ……ハァッ……!」
元の騎馬の体勢に戻された出久は全身を滝のような汗で濡らし、荒い息を吐きながら必死に前を睨みつけていた。疲労はピークに達し、目はうつろになりかけているが、その首にはしっかりと一千万ポイントのハチマキが巻かれている。
明「ナイスキャッチです常闇さん! いやあ、私のベイビーもあの怪物の出力に耐え切って見事にデータを収集してくれました! 大満足です!」
実「死ぬ! 死ぬかと思ったァァァ! もう絶対に二度とあんなことすんじゃねーぞ緑谷ァ!!」
大号泣しながら出久の足にしがみつく峰田と、どこまでもマイペースな発目。常闇は鋭い視線を周囲へと巡らせる。
踏「気を抜くな。まだ終わっていないぞ」
踏陰の言う通りだった。
大咆哮の衝撃波によって吹き飛ばされ、陣形を崩されていた他チームの面々が、土煙の中から次々と立ち上がり始めていた。
氷の破片を払い落とし、焦凍が鋭い冷気を立ち上らせる。
壁際から体勢を立て直した勝己が、掌からチリチリと爆発音を鳴らしながら凶悪な眼差しを向けてくる。
這い上がりを誓う天哉のエンジンの唸りが、再びスタジアムに響き渡る。
怪物はいなくなった。そこにあるのは、疲労困憊で今にも倒れそうな緑谷出久と、一千万ポイントだけ。
誰もがその事実に気づき、残された数秒という最後の時間を振り絞って、中央で息も絶え絶えになっている出久たちへ向けて一斉に突撃を開始した。
勝「デクゥゥゥ!! 逃がさねェェェ!!」
焦「もらった……!」
天「緑谷くん!!」
四方八方から迫り来るトップクラスの脅威。
だが、出久は震える手で自身の首に巻かれたハチマキを強く握りしめ、決して目を逸らさなかった。
出「……来い……!!」
勝己の爆破が、焦凍の氷が、天哉の腕が、一千万のハチマキに触れようと一斉に伸びてきた、まさにその瞬間だった。
PM『タァァァイムアァァァップ!!!』
プレゼント・マイクの絶叫と共に、スタジアム中に競技終了を告げる大音量のブザーが鳴り響いた。
勝己の指先は、ハチマキまであと数センチという空気を空しく掴む。
焦凍の放った氷結も、ミッドナイトのムチが振り下ろされたことによってピタリと制止させられた。
勝「……ッ!! クソガァァァァ!!!」
爆豪が地面を殴りつけ、悔しさに絶叫する。焦凍もまた、小さく舌打ちをして自身の右手を下ろした。
荒れ果てたグラウンドに一瞬の静寂が訪れ、やがて地鳴りのような大歓声がスタジアムを包み込み始める。
PM『第二種目、騎馬戦! 波乱に次ぐ波乱、予想外の大怪獣バトルを制し、見事一千万ポイントを守り切ったのは……!!』
大型モニターに、生き残った上位チームのランキングがデカデカと映し出された。
PM『第一位!! チーム緑谷ァァァ!!!』
そのアナウンスを聞いた瞬間、出久の全身からようやく力が抜け、カクンと首が落ちた。
出「……守り、切った……」
踏「よくやった、緑谷」
実「うおおおぉぉん! オイラたち一位だ! 一位通過だぜ緑谷ァ!」
明「素晴らしい宣伝効果でした! 企業からスカウトが来ちゃいますね!」
疲労で気を失いかける出久を、踏陰たちが騎馬の体勢のまましっかりと支え続ける。
自らの内に潜む怪物の力を受け入れ、仲間の個性と機転を信じ、そして何より人間の理性で狂気をねじ伏せた結果。失われたクラスメイトたちの分まで生き残り、ヒーローとして這い上がると決めた緑谷出久は、全校生徒からの凄まじい包囲網を潜り抜け、見事にこの過酷な騎馬戦を一位で突破したのだった。
ーーー
スタジアムのグラウンドを包み込んでいた熱狂が、競技終了の余韻となって空気を震わせている。その熱気を見下ろすように上層部に設置された実況席では、観客向けのメインマイクのスイッチをオフにしたプレゼント・マイクが、ふうと深く息を吐き出していた。
PM「でも驚いたよな。まさか、緑谷が制御しちまうなんて」
マイクの視線の先には、疲労困憊で今にも崩れ落ちそうになりながらも、踏陰や明たちに支えられて一位通過の事実を噛み締めている緑谷出久の姿があった。
入学試験で多数の試験者とプロヒーローを死に追いやったあの白亜の怪物。それをほんの僅かな時間とはいえ、自らの理性の下に従わせ、競技の勝利に結びつけた事実は、プロヒーローであるマイクの目から見ても驚愕に値するものだった。
隣に座る相澤消太ことイレイザーヘッドは、USJでの襲撃による重傷からいまだ完全には癒えていない痛々しい包帯姿のまま、ジッとグラウンドの教え子を見下ろしている。
消「やっとスタートラインに立っただけだ。喜ぶことじゃない」
その声はひどく淡々としており、微塵も浮かれた様子はない。突き放すような物言いだった。
PM「相変わらず素直じゃねえな」
憎まれ口を叩くようなマイクの返しにも、消太はただ無言でモニターの映像を見つめ続けていた。
一方、スタジアムの喧騒から離れた関係者用の暗い控室。
そこでは、活動限界を迎えトゥルーフォームの痩せこけた姿となったオールマイトが、食い入るようにテレビモニターを見つめていた。画面越しに映る、満身創痍の出久の姿。
自らの「個性」の恐ろしさに絶望し、幾度となく涙を流しながらも、それでもヒーローになるという夢を諦めきれずに血を吐くような特訓に耐え抜いてきた少年。その軌跡を、誰よりも近くで見守ってきたのが彼である。
AM「良かった!緑谷少年を信じて良かった…!」
オールマイトの窪んだ両目から、ポロポロと大粒の涙が溢れ落ちた。
USJの惨劇の後、周囲からどれだけ危険視され、非難の的になろうとも、出久の中に宿る確かな「自己犠牲の精神」と「ヒーローとしての資質」を信じ、導き続けてきた自らの選択。それが今日、この体育祭という大舞台で一つの結果として結実したのだ。細い両腕でガッツポーズを作りながら、彼は弟子の勝利を心の底から祝福していた。
しかし、世界は出久を祝福する者ばかりではない。
実況席から遠く離れた一般観客席、そしてテレビの中継を見ている視聴者たちの中には、出久の姿に対して明確な拒絶反応を示す者たちが大勢いた。
あの白い怪物が雄英高校の生徒たちを無惨に殺戮したという事実は、断片的な報道やネットの噂として世間に広く漏れ伝わっている。事情を知らない一般市民からすれば、出久の個性は「制御不能の恐ろしいバケモノ」であり、犠牲となった生徒の遺族や関係者からすれば、絶対に許すことのできない「憎悪の対象」に他ならない。
歓声に沸くスタジアムのあちこちで、畏怖に満ちた怯えの眼差しや、射殺すような恨みの目が、モニターに大写しになる出久へと密かに向けられていた。
消太はその重く冷たい空気を、肌でヒリヒリと感じ取っていた。
消(緑谷。お前の道は茨の道だ。お前の事を知らない者達にとってはお前がヒーローになることを拒むだろう)
理不尽な偏見、向けられる悪意、そして自らの個性が犯した取り返しのつかない罪。それら全てを背負って歩むには、十五歳の少年の肩はあまりにも華奢すぎる。それでも、出久は逃げずに戦うことを選んだのだ。
消(潰れるなよ緑谷。とことん抗え)
消太は包帯の奥にある鋭い瞳を細め、過酷な運命に立ち向かおうとする教え子へ、声なきエールを心の中で送った。
ーーー
一方で、雄英高校から遠く離れた出久の実家、緑谷家のマンション。
リビングのテレビ画面いっぱいに映し出された息子の雄姿を前に、母親の引子はソファの上にへたり込み、両手で顔を覆いながら大号泣していた。
引「出久おめでと〜〜!!」
目から噴水のように勢いよく涙を噴出させながら、引子はテレビに向かって歓喜の声を上げる。
息子がどれほど自分の個性に苦しんできたか。憧れ続けてようやく受け入れた力が、周囲を破壊し自らの心をも苛む呪いのような怪物であったこと。夜な夜な部屋から漏れ聞こえていた嗚咽を、引子はドアの向こうで何度も聞いて胸を痛めてきた。
そんな息子が今、仲間たちに支えられ、光の当たる舞台で堂々と一位の座を勝ち取ったのだ。母親として、これほど嬉しいことはない。
しかし、涙でぐしゃぐしゃになった顔を上げると、引子の胸にどうしようもない不安と心配がよぎる。あの巨大な恐竜の姿になる時、出久がどれほどの苦痛と恐怖に耐え、身を削っているのか、画面越しにも痛いほど伝わってきたからだ。
引「でも、あまり無理しないでね〜!!」
引子は手元のティッシュ箱を抱きしめながら、画面の向こうでフラフラになっている息子へ向かって、震える声で祈るように叫び続けていた。