「あれ?」
シートの中の荷物を取り上げた多輝は光るものを見つけて目を丸くした。どうやら携帯電話がいない間に鳴っていたらしい。多輝は何の気なしに番号を見て慌てた。
「うわっ、やばい。理子から電話あったみたいだ」
「理子さんから? 何かあったのかしら?」
「わかんね」
産婦人科の中は一切の通信が禁じられている。そのため、多輝は携帯電話をバイクの中に置きっぱなしにしていたのだ。多輝は慌ただしく電話を操作して理子の携帯電話にかけた。
「……繋がらない」
何度コールしても理子の電話は留守番電話になっている。多輝はしかめ面をして電話を切った。そこでふと気付く。
「そういえば由梨佳。そっちの通信も切ってたんだっけ? 試しに誰かに連絡して様子を聞いてくれないか?」
もしも緊急の用件だったら困る。あの朝の騒動を思い出した多輝の顔色が悪くなる。もしかして誘拐とかだったらどうしよう。
「緊急通信なら、どんな状況でも連絡入るはずなんだけど」
そう言いながら由梨佳が自分の股間を弄る。そうだよなあ、と唸って多輝は頭をかいた。一体、何だろう。
「多輝くん、あの……」
複雑な顔をして由梨佳が小声で言う。それを聞いた多輝は真っ青になった。
「どうした!? もしかして誘拐か!? それとも痴漢とか!? うわ、絶対駄目だぞそれは! 仕返しに行くぞ!」
多輝は早口でまくし立てて慌ただしくヘルメットを被った。
「ごめんなさい、その、故障してるみたい」
「はっ!?」
恥ずかしそうに俯く由梨佳を凝視し、多輝は素っ頓狂な声を上げた。どうやら誘拐などではないらしい。そのことに気付いて多輝はへなへなとその場に座り込んだ。
「そ、そっか。それなら繋がらないよな。ええっと、とりあえず帰ってから直すか」
安堵の息を吐きながら多輝はのろのろと立ち上がった。もう一つのヘルメットを由梨佳に手渡す。
「多輝くん、まだ、何が起こったのかは確認できてないのよ。跳んだほうがいいわ」
「そっか」
慌てて頷き、多輝はヘルメットを脱いでから由梨佳の肩を抱き寄せた。バイクごとその場から転移をして……。
多輝は転移中にもの凄い衝撃を受け、慌てて目的地をずらした。一気に自分の部屋に移動しようとしていた多輝は、清陵高校の駐輪場に現れたところでしかめ面をした。バイクはここに置けるからいいが、何で地下に入れないのだろう。
「おいおい……。中に跳べないぞ?」
不機嫌な顔をして多輝は頭をかいて校舎を見た。地下の施設全体に何故か強固な結界が張り巡らされているのだ。
「凄く、強固な防御結界ね。銀の力……。織り合わされてる……」
「理子おおおおお!? 何でおれを閉め出すんだあ!」
悲愴な声を上げて多輝はぶんぶんと頭を振った。もしかして交際を反対されたことで怒ったのだろうか。多輝なんて嫌い! 多輝の頭に浮かんだ理子がそう言ってそっぽを向く。うわあああ、と叫んで多輝は頭を抱えた。
「多輝くん。歯を食いしばって」
そう言って由梨佳が唐突に右手を揮う。平手で頬を打たれた多輝は驚きに目を丸くした。
「あ、えっと」
戸惑いに顔を歪めて多輝は打たれた頬を押さえた。
「独りよがりな父親ごっこはいい加減にして! 状況を、きちんと整理して考えてみて!」
「ご、ごめん」
由梨佳に叱られた多輝は消沈して肩を落とし、頭を下げた。だが考えてもこの状況が何を示しているのか判らない。考えられるのは自分が施設から閉め出されてしまったということだけだ。多輝は出来る限り考えてから由梨佳にそう言った。
「理子さんは八大。銀龍神の長よ。それはわかってるわね?」
二人の周囲に透き通った結界が現れる。多輝はぐるりと周囲を見回してからああ、と頷いた。だが真面目に由梨佳の話を聞いている顔をしている多輝は、頭の中では全く別のことを考えていた。
由梨佳に怒られた……。もしかして理子が可愛くて仕方なかったのはおれだけだったのか? そんなことを考えた多輝はどんどん落ち込んでいった。
「多輝くんは、理子さんのことを可愛がってるつもりだったのだろうけど、彼女のことなんか、本当はこれっぽっちも気に掛けてなかったのね」
複雑な表情をして由梨佳が多輝を見つめる。多輝は力なくうなだれながら、そうかも知れないと小声で呟いた。由梨佳に何を言われても心に突き刺さる。それは多分、由梨佳が多輝の本心を言い当てているからなのだろう。
「子供が成長してやがて大人になって自立していく、これは自然の摂理よ」
「うん」
俯いたままで多輝は小声で呟き、頷いた。多輝は無意識のうちに由梨佳に背を向けて座り込み、膝を抱えていた。どんよりと落ち込む多輝を由梨佳が複雑な顔をして見下ろす。
「多輝くんが、もし、理子さんの事を本当に想っていたなら、自立するまでの過程の中のどこで手助けが必要なのか、あるいは敢えて自分自身で乗り越えさせるべきなのか、真剣に考えて対応していたはずよ」
「そうだな、おれは理子のことを考えていなかったんだろうな」
小さくなって落ち込みながら多輝は素直に認めた。
「可愛い生き物がいる。可愛いから眺めて楽しむ。可愛いからなでてみる。万事そんな感じだったんじゃない?」
「そうかも知れない」
小声で呟いてから多輝は深々とため息を吐いてのろのろと立ち上がった。ごめん、と断ってから由梨佳の結界を跨ぐ。唐突に結界を出てしまった多輝に驚いたのか、由梨佳が目を丸くする。
「多輝くん……?」
「おれ、ちょっと頭冷やしてくる。ごめん」
由梨佳に言われたことはいちいちもっともで、だからこそ自分のしてきたことが酷く人でなしだと思える。理子にそんなことをしてしまったのだと落ち込んだ多輝は、がっくりとうなだれたままで歩き出した。
「多輝くん。何か緊急の事態が起こっているのは確かなのよ。結界を張っているということは撃退できたのでしょうけど、このまま、放置しておいていいのね?」
「お困りのご様子ですね。Can I help you?」
後ろから由梨佳の声が聞こえてきたのと、目の前に唐突に誰かが現れたのは同時だった。多輝はどちらにも反応出来ず、目を見張って足を止めた。
どこかで見たような気がする。目の前に立つ高校生くらいの少年を見つめ、多輝は目を細めた。にこにこと人好きのする笑みを浮かべる少年がぱちんと指を鳴らす。
「あは。少しは覚えていてくれたんだ?」
「なんだ、お前」
独特の波動を感じ取って多輝は低い声で訊ねた。人によく似た形をしているが、この少年は人じゃない。
「淫魔!」
鋭い由梨佳の叫びに多輝はびくん、と身を竦めた。その隙に少年がするりと多輝に近付いて背伸びをする。多輝が反応する前に、少年は多輝の唇を唇で塞いだ。その瞬間、多輝の身体から一気に力が抜ける。
「ナイスタイミング。巫女様、ありがとうございます」
急速に遠のく意識の中に少年の笑い混じりの声が届く。がっくりと脱力した多輝を少年は腕に抱えて由梨佳に笑みを向けた。慌てて結界から駆け出した由梨佳が手を伸ばす直前、少年が背中に生えた虹色の羽根をはためかせて空に舞い上がる。多輝はそんな少年の腕の中で意識を失った。
緊急事態なのに多輝が呆けていたから、由梨佳がぶっ叩いたのですが。
思わぬ方向に行ってしまったいう感じでしょうか。
多輝は打たれ強くないからなあ……。