黒ずくめの男が屋敷に現れたのは、その日の夕方だった。玄関に現れた男は咥え煙草で仏頂面をしている。呼び出された透は腕組みをしてその男と対面した。
ふう、と重々しいため息を吐いた男の名前は重森和也。吉良瀬家の執事を務める男だ。
「それで、何の用かしら?」
「これを見たら判るだろう。ボケが」
執事の仮面を脱いだ和也が、担いだものを指差して低い声で言い放つ。透の背後にいた要がそれを聞いて目を吊り上げる。だが透は要を制して和也を見た。和也はいつものスーツではなく、革製の服に身を固め、長いコートを身に着け、何故かギターケースを背負っている。まじまじと和也を眺めてから、透は手にしていた楽譜を見つめた。
透は心の底からうんざりしたため息を吐いた。
「あたしに喧嘩売ってるの? どーせあたしは音痴よ!」
「いいから寄越せ。それと、女。喉が渇いた。ビールを持ってこい」
ずかずかと屋敷に上がり込みながら、和也がいじけようとしていた透の手から楽譜をさらう。続けざまに要に注文したところで和也はさっさと屋敷の奥に向かって歩き出した。
「なっ、なぜわたくしが!?」
和也の言い草に要が素っ頓狂な声を上げる。しょぼい歌を書きやがって、と文句を垂れていた和也が鋭い目で要を睨みつける。
「ちなりちゃんっ、お願い」
透は傍にいたちなりに頼んで、慌ただしく和也の後を追った。楽譜を見ながら廊下を進んでいた和也がぶっきらぼうに言う。
「歌ってみろ。どうせ歌詞くらいは覚えてるだろう」
「えぇ、歌ってあげるわよ! ちなみに、歌の先生からは三年計画ならなんとかって言われてるレベルだからっ!」
ヒステリックに言ってから透はすっかり覚えてしまった歌を歌った。歩きながら聞いていた和也がもの凄く嫌そうな顔をする。
「……奴の息子とは思えん音痴ぶりだな」
冷酷な評価を下しながら和也が部屋の扉を蹴り開ける。和也はピアノのある部屋に置かれたベッドに一直線に歩み寄った。
「このバカが」
低い声で言って和也が横たわっていた順に蹴りを入れる。だがやっぱり順は反応しない。そうしているうちにちなりが慌ただしく部屋にビールを運んでくる。グラスと缶入りのビールを出された和也は、礼もそこそこに缶ビールを直につかんだ。
「オヤジがバカのなのは認めるけど、仮にもあたしの親蹴るの、やめてくれる?」
「なに言ってやがる。てめえもさんざっぱら蹴り入れたろうが」
缶ビールを傾けながら和也がばっさりと透を切り捨てる。うっ、と言葉に詰まって透は和也と順を見比べた。あっという間に空になったビールの缶を和也がちなりに差し出す。
「あー、生き返った。ありがとう」
和也がそれまでの無愛想な様からは想像できないほどにこやかな笑みを浮かべる。和也の態度に怒っていたらしいちなりは、それを見て慌てたように頷いた。
「あたしだってこいつ起こせるものなら起こしたいわよ。毎日歌ってるし。音痴治療の先生のとこにも通うようにしたし、でも、こればっかりは即席ではどーしようもないらしくって」
言われるままにお代わりのビールを取りに行ったちなりを見送り、透はベッドに近付いた。担いでいたケースをおろし、ギターを出しながら和也がけっ、と嗤う。
「治療なんか間に合うかよ。……おい、灰皿は?」
ギターをつかんで和也が今度はピアノに向かって歩き出す。それについて歩きながら透は渋い顔をした。
「ここは禁煙よ」
「出さねえなら、じゅうたんに灰落とすぞ」
傲岸に言って和也がピアノの前に座る。どうやら煙草を吸うのを止めるつもりはないらしい。蓋の閉じたピアノの上に楽譜を載せた和也を睨み、透は深々とため息を吐いた。
「ビール缶でいいわよね? 巴! おねがい」
「あっ、はい!」
こそこそと部屋を覗いていた巴が慌てたように頷き、ドアから離れていく。巴が戻ってきた時、ちなりも一緒にビールを運んできた。
「くそが。くだらん歌書きやがって」
文句を言いながら和也がちなりの差し出したビールをさらい、楽譜を見ながらギターを弾き始める。まあ、和也がそう言いたくなるのも判らないでもない。何しろこの曲はタイトルからしてふざけている。らぶらぶぱぱ、というタイトルのついた曲のことを思い出して透はため息を吐いた。
「うし、もういっちょいくわよっ!」
気合いを入れて透は深く息を吸い、大声で歌い出した。ピアノの傍に立っていたちなりと巴が顔を引きつらせて何とか微笑もうとする。
「下手とかいうレベルを超えてるな、もう。よし、もう一回歌え」
ビールを飲みながら和也が軽く頷く。透は訝りを覚えつつも身体の後ろで手を組んで歌った。
「気合い、気合いよっ!」
「気合いは要らん。普通に歌え」
凄みを帯びた声で言い放ち、和也がピアノの譜面台を立てる。だが透はこれまで以上の気合いをこめて歌いまくった。
ビールを五本ほど空けたところで和也が漸くストップをかける。ぜいぜいと肩で息をしながら透は額に滲んだ汗を拭った。ピアノの傍に佇んでいた巴とちなりが、こそこそと部屋から出て行ってしまう。
「話にならんな」
きっぱりと言って和也が立ち上がる。
「だから、今さら言われなくてもそれはわかってるからっ!」
「うるせえ。がなるな」
機嫌悪く言ってから和也がギターケースに歩み寄る。なにをするのかと思ったら、和也はケースから白い楽譜とペンを取り上げた。またピアノの前に座って譜面台に白い楽譜を立てかける。
「今度はゆっくり歌え」
「ゆっくりね」
「気合いは入れるな。うるせえだけだ」
そう和也が忠告し、ペンを持って楽譜に向かう。順の書いた楽譜の隣に並べた楽譜にはなにも書かれていない。不思議に思いつつも透は言われた通り、曲のスピードを緩めて歌った。
「……よし。何とかなりそうだな」
透が歌い終わった後、和也が低い声で言って白い方の楽譜になにかを書き始める。透は和也に近付いて手元を覗き込んだ。
「何?」
「てめえの方を歌に合わせるのは無理だからな。歌をてめえに合わせるんだよ」
そう言いつつも和也の手が忙しく動く。和也は白い楽譜に音符を書き入れていた。だが右に置かれた順の楽譜に書かれたものと、左の和也が書いている曲は全くの別物に見える。
「わかった! あたしじゃ無くて曲が悪かったのね!」
「くだらん曲なのは認めるがな。てめえが音痴なことには変わりねえ。あー、くそ、オレは作曲は専門外なんだよ」
ぶちぶちと文句を言いつつも和也は次々に音符を書き込んでいく。
「専門外とかいいつつ、凄い勢いじゃない」
「バカが。この程度のスピード、速い内に入るかよ。……っと、リピート」
眉を寄せて呟き、和也が楽譜に記号を書き入れる。どうやら和也は透が歌った歌を耳でコピーし、それと順の書いた曲とを比較し、差分を埋めた曲を新たに書いているらしい。
「とにかく! あたしの曲ができたのね!」
「てめえはどこぞの芸能人か」
呆れた顔で言ってから和也がペンを置き、ギターを弾き始める。
「うわ、むちゃくちゃなコード進行だな……あり得ねえぞ、こんなの」
やっぱり文句を言いながら和也がギターを鳴らす。
「それじゃあ、いくわよ!」
そう宣言して透は深々と息を吸い、これまでで最高の気合いをこめて歌い出した。もの凄く嫌そうな顔をして和也が待ったをかける。
「待て。まずオレが歌うのを聴いてからにしろ。……ったく、楽譜も読めないと来たか」
低く呻いてから和也はギターを弾きながら歌い始めた。歌詞は全く同じなのだが、和也が歌う曲は順のそれとはまるで違って聞こえた。透は眉を寄せて腕組みをし、真剣に和也の歌に耳を傾けた。
「いいか。オレが歌うのをまず覚えろ」
そう言われて透は素直に頷いた。よし、と頷き返して和也が何度か歌う。一緒に合わせて数回ほど歌ったところで、和也が改めて言った。
「よし、何とかいけそうだ」
ギターを抱え直し、七本目のビールを飲み干したところで和也は頷いた。
「それじゃあ、こんどこそっ! 必殺! オヤジ帰ってこいこんにゃろロック!」
「ドラムとベースが欲しいところだな」
ぼそりと呟いてから和也がギターを弾き始める。透は息を吸って大声で歌い始めた。和也の伴奏と自分の歌が合っていないような気がしたが、気にしないことにする。
「うわあああああああああ!」
透が歌い終わった直後、素っ頓狂な声を上げて順が飛び起きる。ぜいぜいと息を吐きながら順は涙を流し、うう、オレが悪かったよ透ちゃん、としきりに呟いた。
このエピソードで五章は終わりです。
エピタイ通り、透の叫びでしたw
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ここまでの人物紹介
○吉良瀬立城
今も楽しげ。
水輝(沙耶)が産む前にいじめまくっていた。
出産の時に助けた。その時に沙耶の本当の名前を呼んだ。
○池田水輝(沙耶)
妊婦だからなのか産むことを必死で抵抗していた。
陣痛が始まって子供が産まれた後、出血が酷くて死にかける。
立城が何とかした模様。
○吉良優一郎
水輝に引っかき回された被害者のひとり。
理子とラブラブ中。
○池田理子(苗字は吉良に変わってるかも?)
優一郎と結ばれてうきうきである。
特訓することになってるんだけども……。
エロシーンがくるたびに邪魔されるのでブチキレ中。
立城=ばい菌と思っている。
○池田水輝
色々とやらかしている。
沙耶が赤子を産んだら自爆するようにしていた。
いやまあ、実はちょっと事情があるんだけども。
○吉良瀬佑
苗字はどうなんだろう……。
池田に変わっていないのかな。まだ。
水輝と一緒に色々なところを眺めているところ。
さすがに水輝がやったことに腹を立ててぶん殴った。
○木村順
水輝に要らんものを押しつけられる。
透が起こしてくれたが酷い目にあったぽい。
○如月透
そーいえば透は要と結婚したから木村じゃなくなってたわw
忘れてたw
音痴を克服しようと頑張り中だった。
和也が来たのでどうにかなった。
○如月要
透の嫁。(の一人)
正妻? といえばいいかも知れない。
透の音痴克服に協力していたらしい。
○重森和也
立城のとこの執事。
立城が不在の時は妊娠中の水輝を護衛していた……ぽい。
透がどーにもならないので助けることになった。
音楽には強いからなあ……。こいつら……。